「300(スリーハンドレッド)」はペルシア戦争(前500~前449年)でのテルモピュライの戦い(前480年)を舞台に、レオニダス王率いるスパルタ軍300名とクセルクセス王率いる数十万のペルシア軍との激突を描いた、2006年に公開され大ヒットした作品です。 敵は大軍、味方は少数。その劣勢を力で打ち破る爽快感、戦士たちの鍛え上げられた肉体美、次々と押し寄せる敵を粉砕していく大迫力の映像美、そして敵を圧倒しながら大軍勢を前にして勇戦の果てに倒れていく勇者たち、確かにヒロイズムの極致といって良い熱さ極振りなエンターテイメント作品で、見ている間実に楽しめました。いちいちかっこよすぎる。ネットミームとしていまだ見かける”This is Sparta!”とか確かに何かしら使いたくなります。 一方で、テルモピュライの戦いという歴史上の事件を扱いつつ、歴史考証よりもエンターテイメントを常に優先させたつくりに

先月26日 靖国神社を参拝した安倍晋三日本総理に対して世界各国からの批判が相次いだ。 その大部分は、第2次世界大戦を起こしたA級戦犯14人が合祀された神社に総理が参拝するのは、東アジアの安定と発展に役立たないという点を指摘していた。 米国国務部はそのような観点で "失望した" という声明を出したし、韓国国会も先月30日 "韓半島を含む東北アジアの平和と安定に対する明確な威嚇になる行為" という決議案を出した。 ‘神社参拝は東北アジアの安定に役立たない。だから愚かなことだ。’恐らくこのような実利的な見解が安倍総理の靖国参拝を眺める平均的な視線ではないかと思う。 しかし神社からA級戦犯が分祀されさえすれば、すべての問題は解決されるのだろうか。 東北アジアの平和と安定に特別な利害関係を持たない異邦人にとってはヤスクニはどうなろうが関係のない問題であろうか。 ここまで考えた時、私たちがヤスクニ問題
![[特派員コラム] 我らが内なるヤスクニ/キル・ユンヒョン](/image.pl?url=https%3a%2f%2fcdn-ak-scissors.b.st-hatena.com%2fimage%2fsquare%2f15e55c472ed9586d7566602ab7a6b302397cc147%2fheight%3d288%3bversion%3d1%3bwidth%3d512%2fhttps%253A%252F%252Fimg.hani.co.kr%252Fimgdb%252Fjapan%252Fnews%252Fresize%252F2014%252F0102%252F138867391877_20140102.jpg&f=jpg&w=240)
天声人語 「B29と言えば爆撃機のことだが、今の若者は鉛筆だと思うらしい」 1 名前: サイベリアン(栃木県):2013/03/09(土) 12:13:13.25 ID:YD4ZWjrj0 職場の屋上から眺めると、ビルの街に隅田川がゆったり光っている。春のうららの……と歌われる季節も近い。思えばそんな春先、3月10日の未明に隅田の川面は死者で埋まったのだった。約10万人が非業の死を遂げたとされる東京大空襲から、あすで68年になる▼きのうの朝日小学生新聞で、当時14歳だった画家、吉野山隆英さん(82)の話を読んだ。隅田川につながる北十間川(きたじっけんがわ)にも遺体が折り重なって浮いていた。いまは東京スカイツリーの足元を走る川である▼ 思い出すのがつらくて、吉野山さんは空襲の絵を描けないできた。70歳を過ぎて初めて描いた。天をつくツリーが完成に近づいた一昨年には、北十間川の記憶を絵にした。あ

1941年12月8日の日米開戦の直前、当時のルーズベルト米大統領から昭和天皇に送られた戦争回避を訴える親電(電報)の伝達が遅れた問題で、終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が外務省に対し、「電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることができたに違いない」との見解を示していたことが、7日公開の外交文書から明らかになった。 文書によると、GHQの見解は、国際検察局の担当官が46年8月1日、伝達遅れの経緯を調べるため外務省職員2人を尋問した際に示された。 問題の親電は41年12月7日正午、東京の中央電信局に入電。しかし、米大使館のグルー大使に配達されたのは同日午後10時半だった。大使から東郷茂徳外相を経由し、昭和天皇に伝達された直後に、真珠湾奇襲が始まった。
この話は、『考える生き方』(参照)に書かなかった沖縄の話の一部です。というか、途中で削除しました。理由は、単に書籍に取り込む話題のバランスのためでした。つまり、ページ数との関係で沖縄の話の比重が重すぎるのもどうかなということでした。 「さとうきび畑」の歌の風景本土復帰の前、本土側で沖縄を思ってよく歌われた歌に「さとうきび畑」がある。 「ざわわ、ざわわ」というフレーズが繰り替えされ、広大なさとうきび畑に風が抜けていくようすが印象的だ。歌には、海の向こうから戦争がやってきて、鉄の雨に打たれうたれて父は死んでいったというストーリーが盛り込まれている。本土では当然ながら、これは沖縄戦を示していると普通に理解される。 そして沖縄でもそう理解され、この歌が歌われていると思っている。 たしかに、現代の沖縄ではそのように理解されている。 歌われていないとは言えない。 だが、私が暮らし始めた1995年頃、
アフガニスタン、カーブルでの任務にあたったイギリス軍の兵士たちを撮影した、写真家のララージュ・スノウによるポートレート写真14枚。 戦地に赴く前に撮影した写真が左、戦場の中で撮影した写真が中央、任務を終えて帰還した後の写真が右。 あまり変化が感じられない兵士もいるけれど、戦場においてはほとんどの兵士が険しい顔つき。戦争から帰ってきた後は少し柔和な顔つきに戻るものの、以前よりも精悍な顔つきになる兵士が多いように見える。 緊張感、ストレス、恐怖など、精神的な刺激は人間の顔を変えていくものだというのがよく分かる。 【関連】 行軍中の兵士たちが突然、敵兵に襲われた瞬間を1兵士の視点から見た映像 愛する者たちの元へと生還した兵士たちの再会映像集 「掃除屋」の異名を持つ米軍特殊部隊の精鋭たち その2 米軍の新兵器?不規則な軌道で飛行するジャベリンミサイルがアフガニスタンで撮影される 1. Chris
母との同居に疲れ、実家に帰っていた妻が1週間ぶりに帰ってきた。その夜。 「息苦しさに耐えられないの」と妻は言う。このセリフを何度聞いただろう。「これというはっきりとした理由はないけれど」マグカップをテーブルに置いて一呼吸してから妻は付け加える。「理由がわからないのは悔しいですー」。 甘党の妻がブラックコーヒーを飲んでいる。妻と母。嫁と姑、同居。気の使い合いという戦争。言葉が続かない。重苦しい。僕は彼女のマグカップの内側に薄くついた黒いラインをあてもなく見ていた。どれだけ時間がながれただろう、結婚したときにニトリで買ったワードロープにぶら下がりながら妻は「やっぱり出ていくしかないよー」と言う。「僕も出る。二人で部屋を探そう」と言うと「ブーッ!君今大事なことを反射的に答えたでしょー、そういうの地味にキズつきますうー」と僕の言葉を遮った妻の手にはコスプレ用の槍が握られている。穂先が今にも僕の左胸
日本は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と
人類200万年の「戦争の謎」のほとんどに答えを出そうとする野心的な本書は、上下巻合わせて996ページ、総重量1.2kg、翻訳者13名、そして7,560円という規格外のボリュームである。全17章から成る本書は3部構成となっており、それぞれが「戦争は人の本能か、それとも文明による発明か?」、「戦争と文明の発展はどのように相互作用したのか?」、そして「近代化は戦争をどのように変質させたのか?」を主題として、戦争にまつわる多くの謎に光を当てていく。 そのボリュームに比例して、本書の考察対象は途方も無く広いものとなっている。時間軸で見れば、武器すら持たない狩猟採集民時代から核・生物兵器によるテロの恐怖に怯える現代まで、地理的に見れば、先史時代の手がかりを残すオセアニアや南北アメリカから世界の覇権争いを主導したユーラシア大陸まで、学問領域を見れば、人類の本能を辿る人類学から制度と現象の因果関係を考察す

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