議員立法で国会に提出されている三つの臓器移植法改正案について審査する衆院厚生労働委員会の小委員会が21日、開かれた。専門家ら6人が参考人として意見を述べ、質疑に応じた。現在認められていない14歳以下の子どもの心臓移植など脳死移植の増加を求める一方、脳死判定の難しさを指摘する意見や自己決定の尊重を求める立場からの反論が出された。 参考人は意見陳述順に▽日本医科大病院の横田裕行副院長▽日本弁護士連合会人権擁護委員会の光石忠敬(ただひろ)特別委嘱委員▽国立小児医療研究センターの雨宮浩名誉センター長▽大阪医大の田中英高准教授(小児科学)▽海外で心臓移植を受けた青山茂利さん▽日本宗教連盟の斎藤謙次幹事。それぞれ約15分ずつ意見を述べ、各党の代表者からの質問に答えた。 改正案は(1)脳死を一律に人の死とし家族の同意があれば年齢を問わず臓器提供を容認(A案)(2)提供年齢を現在の15歳以上から12歳以上
イスラエルによるガザへの空爆と軍事侵攻がとりあえずしばらくおさまって、もうすぐ一ヶ月になる。日本でもそれなりに報道されていたように、10日のイスラエル総選挙の結果「極右」政党が支持を伸ばし、「右派」の連立内閣の可能性が取りざたされている。そうなると、イスラエルがさらなる残忍な殺戮を開始するのは、そんなに先のことではないかもしれない。もちろん「左派」や「中道」と呼ばれている労働党やカディマも、基本的には対パレスチナ政策では、違いがあろうはずもなく、どちらにせよ平和的な解決への取り組みはなかなか期待できなかったのだが、それでもあからさまにパレスチナ人排斥を訴える人間がこれほど支持を集めるとなると、極めて悪い予想がなされるしかない。 それでガザ虐殺22日戦争によって死亡したり負傷したパレスチナ人の写真を集めているサイトを見つけたので、もう一度じっくり見てみた。正直、あまりにひどい写真は、まさに殺
少し前に曾祖母が亡くなった。享年102歳。俺を含む親類縁者に見守られ、自宅の寝室で眠るように逝った。今時珍しい大往生だったと言えるだろう。通夜、葬儀と滞りなく終わったが、問題はその後だった。火葬場での出来事だ。 祖母のお骨を骨壺に収める際、何を思ったが従姉(お袋の姉の娘)が娘(小学一年生・俺からみれば「従姪」)をその場に立ち会わせたのだ。 俺と両親は「やめておいた方がいい」と事前に何度も告げたのだが、従姉夫婦はいっこうに聞き入れず、これから何が始まるのかもよく分かっていないであろう我が娘に「大丈夫だよね?」と尋ね、娘もそれに頷くばかりで結局押し切られてしまった。 何せ直前まで高温に晒されていた物体である。お骨のみならずそれを乗せている台もかろうじて触れられる程度に熱を持っており、それほど広くない締め切った部屋には独特の熱気が充満している。そして部屋の中央には紛れもない本物の人骨。いくらなん


妻が事故で亡くなってから二月ほど経った。 しかし実はそれほど悲しくないのである。本当にこれっぽっちも悲しくないかというとそれは嘘になる。 でも悲しいという気持ちよりも「解放された」という気持ちの方が強い。 決して仲が悪かったわけではなく、むしろ良かった方だ。妻と一緒に妻の友達に会えば、妻が幸せそうにしているということをからかわれた。 確かに自分で望んで結婚したわけではない。「20代後半の女性と付き合うなら、男は結婚する責任があるでしょ」みたいなことを言われ、しょうがなく結婚したのだ。 それでも、自分なりに妻を満足させようと頑張った。 一緒に色々な所に出かけた。たまには喧嘩だってした。 自分の仕事時間を減らして、趣味の時間も取らず、いっぱい話をした。妻の不安を解消するために自分の行動に制限をつけた。妻はそれなりに結婚生活に満足していたと思う。 自分がそれだけやれるぐらいの妻だったのに

私は7年前に夫と死別した。12月のことで、ちょうど7年前のこの日、葬式を出した。きょうはその話を書こうとおもう。思い出話というよりは、なるべく実務的に。最近、匿名ダイアリーからはじまったのか、お葬式に関する議論が出てくる。このエントリはそれらの議論への応答でもある。 すでにブックマークコメントや別エントリでも書いたが、私自身は葬送儀礼にもそのあとの祭事にも意義を認めている。いっぽうその形式についてはそれほど伝統主義者ではない――キリスト教という日本土着の宗教でないものに共感し、一方で正式には信徒共同体の一員ではないという割合微妙な立場にいるため、伝統によった主張をしにくいという個人的な事情もある。亡くなった人はわたしと違い、キリスト教に一定の理解はあったが、本人の自覚ではあくまでも門徒だった。ただ、彼が強い信仰を持たなかったせいもあって、それで葬儀とそのあとの弔いについては、かなりわたしの
精神的に参っていた頃のこと。 毎日鬱々と過ごしていて、あの日は駅で電車を待っていた。 電車に飛び込んで自殺する人ってたまに居るよなあ、あんなでかいものに轢かれれば確実に死ぬよなあ、そういや飛び込むときって助走つけたほうがいいのかな、でもタイミング合わせるのが難しいな、ってことはやっぱり水泳の飛び込みみたくホームの端でスタンバイしておくほうがいいんだろうか、それとも先に線路に降りるべきかな、などと考えていた。 それから、つらいことを色々と考えていると、死ぬということがたまらなく魅力的に思えてきた。 急に、自分でも信じられないくらいテンションが上がってきた。 自ら命を絶つ? おいおい、はっきり言って、そいつはナイスアイデアだぜ。 何で今まで気付かなかったんだ、俺は。 そうだよ、毎日つらいのが終わりになるし、誰かに迷惑かけるのもこれっきり。 電車に轢かれるなら即死だろうから、そんなに痛くもないだ

自分がメンヘラになってわかった。自殺は人には止められなかった。 医者は役に立つ事もある。薬も効くことがある。家族や友人もありがたい。 でも、自殺衝動はホントに「衝動」で来るんだ。急に死にたくなるんだ。 しかも、その時は判断力がそうとう鈍ってるんだ。本人が自覚してる以上に。 今でも何人も電車に飛び込むだろ。「電車に飛び込むと損害賠償が大変なのに何考えてんの?」ってよく聞く。 逆に考えてほしい。それを知ってても飛び込む人が減らないのはなぜなのか。ホームにたつと急に死にたくなるからなんだよ。 自殺は止められなかった。 だから、自殺した人の家族や友人は、自殺を止められなかった、といって悔やむ必要は全くない。罪悪感を感じる必要は全くない。 自殺を止めることなんて神様にも不可能だから。 自分がメンヘラになって、自殺の止め方はわからなかったけど、自殺の救いがたさだけはわかった。 日本は毎年3万人が自殺し

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