名古屋大学の鄭少鳳(テイ・ショウホウ)大学院生(研究当時)と石井敬子教授の研究グループは、米国人と比較して日本人は共感的関心が低いために、社会的支援を求めにくいことを明らかにした。 一方、本研究では、新たに共感的関心(困っている人への同情や思いやり)に着目し、社会的支援の求めやすさへの影響を検討した。 米国人参加者と日本人参加者の実験による日米比較研究を通じて、共感的関心や他者の利他的な行動への期待は、日本人よりも米国人で高く、さらにそれらが高いほど社会的支援を求めやすいことがわかった。また、日本人は困難や精神的苦痛を「社会規範や秩序を逸脱・違反した報い」として理解する傾向が高く、そのような理解をしやすい人ほど共感的関心が低いことも明らかとなった。 以上の結果から、共感的関心が高いと他者の利他的な行動を期待しやすく、また社会的支援を求めやすいことがわかったとしている。逆に、日本では、苦しみ

夜だし、いつもの不安に襲われましたので投下します。 駄文故、至らぬ点も多々ございますがお許し下さい。 私は現在医学部に在学中ですが、もともと希望していた進路ではありません。 両親も医師ではなく、専業主婦とサラリーマンです。 小さい頃から機械やコンピューターにすごく憧れがあって、将来は技術者になりたいと強く胸に抱いていました。 そして大学受験が近づくにつれ志望校を絞りこむ際に、地方出身であったため東京に憧れがあったことや、また、技術者になることへの憧れから、都内の大学の工学系を第一志望にしました。 前もって両親や先生には通しておいた話だったので、最初は特に抵抗を受けずに自由に出来たのですが、いよいよ願書提出期限が迫ると、しきりに両親は医者や医学部への進路変更を迫るようになりました。 どうしても煩いため一度は呑む寸前まで行きましたが、やはり夢を捨てきれず、別日程で受験できる医学部へ出願する、と

これって結構ドラスティックな変化だったと思うんだけど なんか社会的な議論とか全然無かったみたいだ 自分は私立だが有名大学を出てるし仕事も安定していて収入も悪くはない 家系にガンも痴呆も糖尿もハゲもなく 実家はゆとりがある。 身長182cmで顔も普通だしデブではないしジムにも通っている。 何が言いたいかと言うと お見合い制度の世の中なら結婚相手ぐらいいたと思うんだ! でもなんとなーくずるずると独身のまま三十路になってしまって、しかもこのまま行きそう。婚活サービスとかは、男女とも恐ろしい雰囲気の市場になってるというし、業者しか幸せじゃなさそう。 まあ本人に真面目さや必死さが足りないって言うのはその通りだけど 昔はそういうのでもいい歳になると適当に相手見繕って世話焼いてくれたんでしょ?結婚後のいざこざとかも仲裁やアドバイスしてくれて。 いいよねそういうの。 なんで必ずハイテンションに恋愛と

Dombury Sofan @DomSofan この論文を読んでいると、 ・教勢衰退が著しく、「身内化」している ・社会布教を重視しない ・教団の構造的に信者より教会子弟の負担が大きい という状況なので、悪い噂を立てられるほど社会での存在感がないのかもしれない 天理教の布教と現状の課題 echo-lab.ddo.jp/Libraries/%E4%…twitter.com/kyuusyuha_001/… 2024-01-14 22:49:50

男の子を育てる時は父親が積極的に介入した方が良いな。父母の集まりで「3歳になったら息子に空手でも習わせようかと思ってる。なんだかんだ男の子社会は『こいつを怒らせたら怖いな』っていうのが抑止力になるから」って言ったら男親は「確かに」って反応だったのに女親はピンと来てなかったもんな。 —ヨッピー (@yoppymodel) June 19,2023 これです。この呟きにいたる背景について書こうと思います。ちなみに、↑の呟きをしたあとに、「女の子は女の子で痴漢被害とかもあるので女の子だって腕っぷしが強い方が良いですよー」みたいな意見を頂いて「おー、確かに」と思ったので、男にしかわからない男の子の話、女にしかわからない女の子の話ってやっぱりあるなぁと思った次第です。僕は男なので女の子が受ける被害の話とかはピンと来ないところもあるからなぁ。 ともあれ、子どもが生まれてから、同じように子育て中のパ

長浜市の高時川が氾濫した航空写真の件で「あれは遊水地だから洪水じゃない」と言ってる人が多いのだが、あれも洪水です。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kentaoki/status/1555648450955735040 洪水っていうのは普通水が流れない場所に水が流れてる事をいうので、河川敷の河原が水没しているのも洪水なのだ。 だから元記事の「河川敷も水没」っていう記述に文句言うのもおかしいのである。 川と人間の活動地が堤防で仕切られているという常識は最近のものそもそも河川=堤防の向こう側=人間の営み無しの地というのは今は常識になっているが、この常識は精々50~100年程度の歴史しかない。 人類文明は有史以来水と戦ってきたが、それは必ずしも堤防で川を閉じ込めるという意味ではなかった。氾濫が頻発する箇所は氾濫するに任せておき、水が少ない季節

この本の感想を書きたいと思って、放置していたnoteのアカウントにログインをして、レビューを書き始めました。 結論、書きすぎました(笑)本来一つの投稿でおさめるつもりだったのですが、読みやすさを考慮して、 ①なぜしがない公立高校公民科教員がこの本を手に取ろうと思ったのか?(この投稿) ②本についてのレビュー の二本立ての投稿でいきます。高校教育とかいっさい興味ない方はこの投稿を飛ばして②だけ読んでいただいたほうが良いと思います。 それではよろしくお願いいたします。 シンプルにして究極の問い「Whogoverns?」今年は公民の授業を中心に受け持つことになり、再来年度には廃止されてしまう科目「現代社会」のいいネタ本はないかなーと探していたところ あるじゃないですか! 『ぶっちゃけ、誰がこの国を動かしているのか教えて下さい』 このタイトルにぴーんときました。失礼ながら、イヤミな教養主義者で

Q: 20代男性です。統合失調症などで、第三者から見れば到底辻褄の合っていない妄想を本当のことだと信じ込んでしまう例は数多いと思います。 このような妄想の飛躍具合は、もとの論理的思考力やIQといったものと相関があるのでしょうか? また、臨床の現場で、元々非常に論理的な方と非常に迷信深い人の妄想の診断はどのようにつけるのでしょうか? (例えば、元々全く迷信深くない人が「死んだ母親が靴下を左右違うものを履けと言っている」、というような支離滅裂な主張をする場合と、普段から霊感があると主張する人が「死んだ母親が靴下を左右違うものを履けと言っている」と言った場合で異常度(?)がかなり異なる気がします……例えが下手で申し訳ありません) 他にも子供が「思考を読まれた」と主張するのと大人が「思考を読まれた」と主張するのは意味が違う気がするのですが、そのような元々の論理的思考力の推測なども統合失調症等の診
「ニコニコ動画」の運営で知られるドワンゴは、2014年に「ドワンゴ人工知能研究所」を立ち上げ、今年7月にはゲーム会社との共同出資で、バーチャルリアリティー(VR)システムの運営開発会社「バーチャルキャスト」を立ち上げるなど、人工知能(AI)とVRに力を入れている。同社の創業者・CTOで、カドカワ社長を務める川上量生(50)に、AIとVRのテクノロジーが切り開く、現在とはまったく異なる未来像を聞いた。(聞き手・太田啓之) ■人間にできてAIにできないこと、ない 人間の知性って、実は人間自身が思っているほど高くないと思います。人間同士のコミュニケーションは大抵、場当たり的だし、数学者の新井紀子さんが著書「AI vs.教科書が読めない子どもたち」で明らかにしたように、読解力や論理的思考力を人間はそれほど持っていない。人工知能は現時点でも、大抵の人の知的水準をかなりの部分で上まわっているのではない

新型コロナの影響などで経済的に厳しい家庭が増える中、神奈川県逗子市は地元出身の男性から寄付の申し出があった現金10億円で、ひとり親世帯の学生などを対象に給付型の奨学金の事業を始める方針を決めました。 逗子市によりますと、今月10日、逗子市出身でアメリカ在住の男性から大学生の奨学金事業を始めることを条件に現金10億円を寄付すると申し出があり、市は財団法人を設立し、来年度から給付型奨学金の事業を始める方針を決めました。 市は来年4月に大学に入学する5人に年間72万円を給付する予定で、選考の際は国際的なリーダーを育てたいという寄付者の意向で、国が選定した「スーパーグローバル大学」の学生やひとり親世帯の学生を優遇する方針です。 寄付を申し出た男性は幼い頃に父親を亡くし、大学に進学する際に逗子市から教育費の援助を受けたことから「恩返ししたい」と話していたということです。 東京のNPO法人「日本ファン

ステレオタイプに負けじと頑張る人は立派だ。 しかし意識することが、逆にステレオタイプ的結果を生じさせることがある。 試験を実施するには、この問題を考えなくてはいけない。 2020/12/01 追記本記事は『ステレオタイプの科学』という本を参考に書いたが、最近の研究では再現性があまり無いとのこと。それを念頭において読んでもらいたい。 この邦訳の原書は、10年以上前(心理学の再現性の危機が議論される前)に出たもので、最近の研究では、元になった実験の再現性はあまりないと言われています。https://t.co/RKmwQXfLZm— 'Yuki’ Kamitani (@ykamit) August 28, 2020 "Stereotype threat" is such a weak research program with findings that don't replicate in

日本の社会問題のニュースを追っていると、最終的な結論が「解決策はあるが予算がない」にたどり着くムリゲー感がすごくて、最近はそういうニュースを見るのも面倒になった。 一時期は自分が興味のある社会問題の新書(中年ひきこもり、教育問題など)を定期的に買ったり、荻上チキのsession-22をよく聞いてた。(社会問題系では一番信頼できる) 中年ひきこもり、教育格差、教育や医療現場のブラック労働環境、介護士&保育士離職、難病問題、貧困問題、ブラック部活、ブラック労働、介護難民、保育難民、派遣労働問題、外国人研修生などなど。もっとあると思うが、思いつくのはこれくらい。 各問題について現場のスタッフや専門家の意見をよく聞けば、改善のため問題点と解決策が浮き彫りになってくる。ただ大半の結論が「人員と予算が足りない」で終わってしまう。 国や政府からは「そんな金はない」一択なので、結局はさらに少ない予算でどう

「自分の仕事が好き」。心からそう言いきれる人は、どれくらいいるのだろうか? 単に賃金を得るための手段ではなく、人生を賭するライフワークとして仕事に打ち込む。結果、一般的な幸せやレールから外れることになっても、おかまいなしに没頭し続ける。そんな、少しはみだした「クレイジーワーカー」の仕事、人生に迫る連載企画。今回お話を伺ったのは、登山家の服部文祥さんだ。 大学生で登山にのめり込み、29歳で山行におけるできる限りを自然の恵みでまかなう「サバイバル登山」を開始。会社員として働きながら、毎月10日前後のサバイバル登山を行う。そんな生活を、もう20年近く続けている。 「サラリーマンになりたくない」。子どもの頃からそう思っていた服部さん。かといって、好きな登山だけで身を立てる覚悟も持てなかったという。そんな自分に葛藤し、くすぶりながらも山に向かい続け、いつしか自分だけのスタイルを確立していった。 現状
ラップを聞けば「ギャング」がわかる シカゴで暮らす若者たちに取材をはじめた当初は、街中が恐れるギャンググループの内部に入り込み、18ヵ月間も一緒に過ごすことになるとは思っていなかった。 私は社会的弱者と、彼らを取り巻く貧困や暴力、社会的不寛容をテーマに研究を続けている。 これまでは、全米で最も犯罪発生率の高い街の1つであるロサンゼルスのスキッドロウに通い、そこに暮らすホームレスの生活や、彼らがいかに警察からの不当な暴力と戦っているのかを調査していた。 2012年、シカゴ大学での職を得たが、この街でも同じテーマで研究を続けたかった。そこでまずは、シカゴの若者たちに取材をはじめた。だが、彼らは警察やホームレスには関心がないようだった。私はすぐに、彼らが本当に話したいのは、ギャンググループのことなのだと気づいた。 シカゴの若者たちは、なぜか街のギャンググループの詳細な活動を把握していた。ある少年

前回まで議論のことを縷々述べてきた。論理的な議論を経て結論を出すと、行動しなければならない。行動して失敗した場合は、誰かが責任を取らされる。責任を取った人は咎められるから、誰もが責任を取りたくない。責任を取りたくないから、行動をしない。行動できないから、議論もタブーとなる(参照:失敗の責任を誰が取るのか、日本企業の落とし穴)。日本企業の中では、なかなか議論がしづらい。議論の結果、不利益になる当事者が現れると、具合が悪い。身近な事例を挙げよう。 「払込用紙」がいまだ健在という驚き 先日、某生命保険会社にメールを入れた。自分の生命保険料の払込みはあと残り1年となる。毎月の支払いは面倒だし、一括前払いしてしまえば、若干の割引もあるから、保険会社に連絡して手続を依頼する。 折り返しの電話がかかってきて一通りの確認を終えると、では払込用紙を日本国内の住所に送るから、それで郵便局や銀行の窓口で払ってく

CULTURE | 2019/04/02 なぜ組織をゼロから再構築しなければならなかったのか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【後編】 前編はこちら 批評家・思想家・作家として、そして出版社「ゲンロン」の代表として日本で類を見ない独自のポジションを築き上... 前編はこちら 批評家・思想家・作家として、そして出版社「ゲンロン」の代表として日本で類を見ない独自のポジションを築き上げてきた東浩紀氏。同社の事業の核として発行してきた批評誌『ゲンロン』が、東氏の単著『ゲンロン0』を含め3年間で全10冊を刊行し、第一期が終了となった。 このタイミングで東氏にインタビューを敢行し、『ゲンロン』3年間の振り返りおよび、今後の事業展開、そして作家としての東氏がどんなものを書いていくのかということをうかがった。 後編では、今後の事業展開の話題に関連し、SNSで突如発表されて物議を醸した社内体制の大幅変更

高校生からのゲーム理論 (ちくまプリマー新書) 作者: 松井彰彦出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2010/04/07メディア: 新書購入: 74人 クリック: 736回この商品を含むブログ (43件) を見る この『高校生からのゲーム理論』という本に、「いじめ」についてのこんな記述がありました。 社会がゲームだとすれば、子どもたちは子ども社会というゲームを自分たちの狭い経験の中から作りあげている。そのゲームに入れてもらえないことほど辛いものはない。仲間外れは転校するたびにぼくが恐れたことだった。 大勢の中での孤独はたった一人で宙をさまよっているより性質が悪い。しかも、仲間外れの子をかばおうとすれば、今度はかばった子が仲間外れになる。仲間外れの子がいる状態というのは、そういうふうにして維持されているのだ。 A、B、C、Dという4人の子どもがいたとする。ここで、A、B、Cというグループが

ロボットの応用範囲が広がる中、ロボットメーカー大手の安川電機会長で、2017年12月に国際ロボット連盟(IFR)の会長に就任した津田純嗣氏にロボットの果たすべき役割について聞いた。AI(人工知能)を内蔵したロボットが、人間の能力を上回る「シンギュラリティ」の可能性については、「一生かかってもそこまでは行きつかない」と指摘。人間の仕事を奪うのではないかという懸念についても「マスコミの論調的に言われているだけで、科学、技術系の人でそう言っている人はいない。囲碁や将棋などの狭い分野では人間の能力を上回ることはあっても、ロボットに人間の代わりをさせようと思って取り組んでいる人はいない」と述べ、ロボットの果たす役割はあくまで人間を補助するものとの認識を示した。 「シンギュラリティ」とは 米国の有名な発明家レイ・カーツワイル氏が、2029年ごろにコンピュータが人間の知性レベルに到達し、もしくは凌駕(

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