書類を偽装してまで、なりたかった戦闘機乗り。とある事件がきっかけで内地勤務となった原田さんは、新米搭乗員たちを訓練しつつ、終戦までの愛機となるゼロ戦に出会う。それは、真珠湾攻撃の少し前だったーー。第5回後編!(前編はこちら http://wpb.shueisha.co.jp/2015/01/03/41562/) ―ゼロ戦を初めて見たのはいつですか? 原田 昭和16(1941)年の9月に航空母艦・蒼龍(そうりゅう)へ着任しました。航空隊は大分県の佐伯に基地があって、ここで初めてゼロ戦に搭乗しました。 ―初めて乗った感想は? 原田 基地には20機くらい並んでいて、見た目だけでもいい飛行機だなと思いましたよ。乗ったら、それまで乗っていた九六式艦上戦闘機とは別物。スピードは出るし、視界はいいし、しかも10時間以上飛べる。そして何より攻撃力がすごい。20mmの機関砲を2門も装備しているから、どの国の

Lolida(ろりいだ) @Lolida21 詳しい軍事オタクに聞きたいのだけれど、終戦時に北京にいて、直後に満洲に移動して奉天で武装解除を受けソ連の捕虜になった補給中隊(輸送中隊?)、という情報で確定はできるのでしょうか?祖父が所属していたらしい 2015-01-01 21:38:45 Lolida(ろりいだ) @Lolida21 じいちゃんから聞いた断片的な情報をまとめただけで従軍記を一冊書けそうな気がするんだけど、固有名詞を覚えられない。今日の話だけで「南方への移動中に船ごと沈められて死んだ身内」が3人出てきたんだけど、全員覚えられていないし…… 2015-01-01 22:26:14

去年、2014年は安倍総理が目指す「戦後レジームからの脱却」に向けてまさに一直線となった年でした。「アベノミクス解散だ」、総理自身のそうしたかけ声のもと始まった暮れの総選挙でしたが、経済以外にも、震災復興や原発再稼働、北朝鮮拉致被害者、沖縄米軍基地、外交・安全保障問題など、争点はそれなりにあったはずでしたが、議論は深まりませんでした。投票率は戦後最低の52.66%。《日本を変えたのは「あの日」の無関心だった》と将来振り返る日が来るかもしれません。 私は選挙前から、最大の争点は「憲法改正」だと折に触れて発言してきました。安倍総理が2012年暮れに政権に返り咲いてから、日本版NSC・国家安全保障会議の創設、特定秘密保護法の制定、憲法解釈の変更による集団的自衛権容認の閣議決定、憲法改正手続きを定めた国民投票法の改正、道徳の教科化の検討など、保守色の強い政策を矢継ぎ早に打ち出してきました。靖国神社

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