海外で大きな事故や事件が起きる。すると、日本のマスコミは、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉さんが『JAM』という曲で歌うように「乗客に日本人はいませんでした」の世界に没入し、騒ぎ立てる。そういう報道を見聞きするたび、「日本人に犠牲者がいなけりゃ、それでいいのかよ」と思う。 けれど、自分は日本人だから、同じ日本人が助かっていたらいいなあ、となんとなく思ったりもする。さらに、ご遺族には申し訳ないが、同じ日本人が「事故現場で生きているのか死んでいるのか」という素朴な好奇心もある。だから、海外の事故や事件における日本人の安否確認は、テレビでいえば視聴率が取れる。 そんなわけで、いろいろ言いたいことはあるけれど、安否確認まではよしとしよう。筆者が気になるのは、そこから先の話である。それはズバリ、亡くなった犠牲者の英雄化だ。 例えば、国連が暫定的に統治していた1993年のカンボジアで
木の家をつくる建築家。国産材と自然素材で平和な家を作ります。戦争と放射能は人間と共存できません。地上から無くすためにはどうしたらいいのか、毎日考えています。 震度6弱のまっただ中に、中部電力・浜岡原子力発電所はある。 ホンモノの東海地震が来てもビクともしないと言い張って、巨大地震の震源域の真上で稼働し続けている、恐怖の大魔王のような代物だ。 今回の静岡の地震は、東海地震の震源よりもずっと遠く、マグニチュードも小さかった。エネルギーにして100分の1。 産経にわかりやすい図があったので引用させてもらう (産経新聞 2009.8.12) これでも、浜岡原発は震度6弱で揺れた。5号機は、震度7相当だった。 いろんな単位が出てくるから、専門でない人はわかりにくいかもしれない。 マグニチュードというのは、地震の起きる地下深くで、どのくらい岩盤がずれたかということ。発生源のエネルギーの大きさ。 震度は
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