おっぱい募金にしろ、のうりんポスターにしろ、「女性を性的に扱うコンテンツ」に関する議論が噛み合わずいつも平行線になってしまうのは、「今この国で性的な表象(特に女性の)をどう扱うか」という問題の難しさ、その本質を浮き彫りにしているなあと思う。 というのも、まず大前提として「女性の体を客体として消費すること(A)」それ自体は、本来ならいいことでも悪いことでもないニュートラルな事象にすぎないと俺は思うのです。特に、その体の持ち主である本人の主体性と自己決定に基づいていれば、誰が文句を言う筋合いもない。 別にこれは女性に限らず、男体も女体も、どんなジェンダーであっても、本来は「これエロいなー」「これ萌えるよねー」と、お互い自由に消費し合っていいはずなのです(もちろん、実際に搾取や侵害といった被害の及ばない限りにおいて。ここでは「消費」と「搾取」は区別するという立場に立ちます)。 ただ問題は、現在の

猫海賊(わきまえない人) @1moresmartwoman 昨日知り合ったタイ人の男性に、「何で日本のマンガはどれもこれも制服を着ている女の子が性的対象にされているの?制服を着るのは大人なの?それとも制服を着ているのは子供で、子供に対して性的な目で見るのが普通なの?」って言われた… 後者ですとしか言えなかったよ悲しい。。 2018-06-24 12:08:53 言いたいことを言おう @stop_control_jp @1moresmartwoman 思春期が題材になっているものは、当然異性の身体に興味を示し始める時期ですので、多少の描写はあるかと思いますが、「どれもこれも」との発言は完全にバイアスがかかってますね。 日本の漫画文化を冒涜してるに等しい。 正しい見識をお願いしたい。 2018-06-27 00:33:04猫海賊(わきまえない人) @1moresmartwoman @koko

最近のネット上のやりとりを見ていると、ダブルスタンダードであることを全く恥ずかしくないと思っている人たちが増えているように感じる。ダブルスタンダードであることを指摘しても、別に全然気にしていないというか、そもそも何が悪いのかもよく分からないといった反応が返ってくることもある。 これまで自分は、自分の主張がダブルスタンダードになることは恥ずかしいものだと思って生きてきたけど、ネット上でダブスタを気にしない人達の発言を見ていると、そちらの方がストレスなく気持ちよく日々を生きられるような気がしている。むしろなぜ自分が今までダブスタであることを極度に恐れていたのかよく分からなくなってきている。別にネット上で論理の破綻を指摘されても気にしなければいいんだよね。論理が破綻していようといまいと現実の生活には何の影響もないわけで、それだったらネット上では論理が破綻していたとしてもただただ自分の思ったことを

なんか中日新聞に上野千鶴子氏が寄稿した文章を元に、またインターネット上では「経済成長は善か悪か」論争が盛り上がっているそうです。synodos.jp この論争を読んでいて、ちょっと古参のブロガーなら即、「ああ、またこの論争か」と思うことでしょう。経済成長論争っていうのはそれぐらい、ブロゴスフィアで何度も何度も繰り返し論争の対象になってきた話題だからです。 d.hatena.ne.jpanond.hatelabo.jp eulabourlaw.cocolog-nifty.com 大体四年おきぐらいに議論がぶり返していますな。オリンピックか。 しかしそれだけ議論が何回も何回も行われていても、いまだブロゴスフィア内ですら合意形成ができていないのが、この「経済成長論争」というものなわけです。 僕が思うにその原因っていうのは、結局経済成長肯定派も否定派も、相手の議論こそがすべての人々を不幸にする
この手の言い回しはよく本当に言いたいこととは全く違う論点で戦うことになる。なぜならすぐ有限リソース問題に行き着くし、それが自分に返ってくるから。 Aを批判するのにBを批判しないなんておかしい、とか別に言いたいわけじゃなく、Aをする人を攻撃するネタとしてBをしない事を理由にしているに過ぎないし、じゃあお前はAを批判してんのかよって問われたらそもそもAを批判する事自体が気にくわない、またはそいつの別のことを批判したいがためにBを引き合いに出してAをすることを批判したいだけなのだから、当人にはAを批判することが必要だとは思ってないし、もっというとAを批判することが間違いだとすら思っている可能性があるのでほとんどの場合極力言及しない態度になる。 こうなるともう話は成立しないし、そもそも何を批判したいかわからないまま延々有限リソース問題を有限のリソースを費やして話す羽目になる。 前提と対象を合意しな
「機動戦士ガンダム」は放映当初は、高視聴率・大ヒット作品ではなく、例えば放送日程も短縮されたりした。しかし徐々に人気が高くなった…というのは有名ですが、あまりにその伝説が膨らみ、劇的になり過ぎた面もあるようです。では、実際はどうだったのでしょう?異論・議論も含めて振り返ります。

脱文脈化ということ: 極東ブログ なにやら私のブコメが琴線に触れたらしいので簡単に答えておきます。 愉快だった。読み違えしているかなと思えるのは一点、「深刻ぶった」というくらいで、どうも「バブー」のベタは受けなかったようだ。つまり、他の指摘は当たっていると思った。二つある。 一つは「こうやってごく基本的な経緯すら把握していないくせに」である。まあ、それでいいと思う。他のはてなーず(「女子ーず」みたいだな)のコメントに、「私はシャルリだ」の背景もわからんのか爺、みたいのもあった。 どう理解されているかの弁解でもないが、私は、この話題を「脱文脈化」したいのである。 脱文脈化というのは、人々がある方向性の受容している前提となる文脈を入れ替えることである。そうしたとき、命題はどのような意味を持つだろうか。 「基本的な経緯すら把握していない」という指摘について「当たっている」と認めていただいたのでそ
いや、だから主語がデカかったから盛大に食らいつかれただけでしょ。 「スレ主だが、走行状況を一般的な所に限定しすぎ。」←逆だよ。元増田の主語がデカかっただけだ。 ”夜間暗くて歩道や車道が曖昧なところを延々と歩かないといけない人は特に”反射板やライトでちゃんと目立つようにしたほうが安全だよ!マジ見えてないから!って言えばよかったのに。逆に「まあそうだな」で終わって食いつかれることもなかっただろうけど。クルマの免許持ってていつも乗ってるような人はけっこう更新の時のビデオでその辺もちゃんと映像で教えられることが多いから反発しないけど、リーマン全員にシャウトしちゃったから都市部のクルマなしが盛大に食らいついた。

初めに言っておくが、私は目立ちたがり屋ではない。むしろ人前に出ることは苦手で、できることならば機械いじりか土いじりでもやって、静かに暮らしたいと思っている。だが最近、私は“キャラを立てる”ことにしている。つまり、無理して目立ちたがり屋になっている。今回の極言暴論は番外編として、その理由を解説する。実はITベンダーやIT部門、技術者に伝えたいメッセージがある。 なぜ、この時期に番外編という形で、このネタを載せるのかというと、このITpro上で「極言暴論ライブ」という特集を掲載しているからだ。この特集は、2015年12月に開催したセミナーイベント「日経コンピュータ・サミット」での私の講演『デジタル時代に用済みとなるIT部門とSIer』の内容を、全6回の記事として再現するものだ。 講演タイトルから分かる通り、この極言暴論のライブ版との位置付けだ。実は最近、日経BPのイベントで講演する際には、必ず
![極言暴論[番外編]~なぜ木村はキャラを立てるのか、実はワケあり](/image.pl?url=https%3a%2f%2fcdn-ak-scissors.b.st-hatena.com%2fimage%2fsquare%2f83c794e5cd8b6ff5e5a24d9190112cb82c8804f4%2fheight%3d288%3bversion%3d1%3bwidth%3d512%2fhttps%253A%252F%252Fxtech.nikkei.com%252Fit%252Fatcl%252Fcolumn%252F14%252F463805%252F030300076%252F14195213_s-001.jpg%253F20220512&f=jpg&w=240)
2月20日に上げたエントリーで指摘した、増田悦差によるぼくのジェイコブズ翻訳に対するまちがった因縁記事が、修正された。該当する部分は削除され、その旨のコメントも最後についている。 素早い対応、感謝します。 一応、放置しようと思いつつも、このままだとNTT出版も可哀想かも、と思って連絡窓口に指摘をしておいたんだけれど、三日ほどで対応してくれたことになる。 Having said that... こうして直されてしまうとおもしろくないので、言わないままにしておけばよかったかなー。 都市って自由放任ではできないのよ で、ついでだから中身についてもコメントしておく。増田の主張は、ジェイコブズは都市計画すべてを否定していた、自由放任の都市がすばらしい云々、というもの。 これがとっても浅はかで馬鹿な主張だというのは、都市というもの――特にここで問題にされているような大都市――を考えればすぐにわかる。

これは、町山さんにアンサーさせて頂きます(長文注意)への返信です。 せっかく紳士的に書いたのに「町山さん、昔は仕掛けるときそんな口調じゃなかった癖にさ!(笑)ちょっと見ない間に、すっかりもう!!(笑)」ときやがった。 わかったよ、なら、昔通りの言葉遣いでやったろうじゃねえか。 オラァ! きくちなるあな! 読めねえ名前親につけられてんじゃねえよ! これでどうだ! 菊地さんがジャズを愛してるように、オイラも映画を愛してるし、この『セッション』という映画が大好きだから、1万6千字も使って口汚く罵倒されて、「菊地さんの批判を読んで観ないことにした」なんてツイートまであったから頭にきたんだよ! この小さい映画を守りたかったんだよ! ああ、たしかにオイラは菊地さんが『ハッスル&フロウ』についてデタラメ書いた原稿読んで、ファースト・インプレッションで「うさんくせえ!」って思ったよ! いや、違うな。正直言
「批判をするなら代案を出せ」的なことをいう人がいます。 これはたぶん、何かと批判をする人に対して「じゃあお前はもっといい案あるのかよ」ということだと思うので、気持ちはわかります。要は「いろいろ考えたけど、これがベター。」というのがビジネス上では多いにもかかわらず「ベストじゃない」というので批判する人への返答にすぎません。 まあ、要は、決まり文句みたいなもんで、面倒な批判されたときに、これをいっておけば片付くという、便利ワードだと思います。 これは、批判をされたくない場合や、相手にしたくない批判をされたときに、とりあえず逃げるための答えなんですが、これをスタートアップの現場で使う人とかもいるのですね。つまりは、「面倒な人への適当な返し」にすぎない言葉なのに、まるで守るべきルールのように振りかざす人もいたりするのです。 たとえば、何かを批判するメディアとかに「批判するなら代案を出せ!」とかコメ
このエントリでは、東京創元社を告発する一連のエントリがあまりにも長大であることを考慮して、様々な事項の短文での要約を掲載します。 このエントリに掲載する短文での要約は、SNS上などで拡散していただくことが目的です。そのため、それぞれの項目をそのまままるまる引用していただいて構いません。 なお、内容は、随時更新して増やしていきます。 東京創元社による無断盗用への抗議について 「東京創元社は、新人賞受賞者にノーギャラでやらせたトークショーの発言の一部を自社の編集者が発言したことに改竄した上で公式サイトで公表した。無断盗用に気づいた被害者が後日抗議すると、出版業界で「当たり前のこと」として被害者を侮辱した上で、恫喝した。」 ※ 詳細は→ http://howardhoax.blog.fc2.com/blog-entry-270.html 東京創元社がハラスメントへの見解を提示することすら拒否し

リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く