◆◆◆ 体重は「最高140キロ→現在は90キロ半ば」 ――先日、永田裕志選手のYouTubeチャンネルに出られて、かなり反響があったんじゃないですか? 中西 まあ、永田選手がすごくPRしてくれてお客様を煽ってもらえたので、それに乗っかって反響があったと思うんですけど(笑)。 ――動画では、中西さんが現役時代と比べてだいぶ痩せられてたので驚かれたコメントが多数書き込まれてましたけど、実際にお会いするとまだまだじゅうぶんゴツいと思いました(笑)。 中西 通常は120キロぐらいだったんですけど。現役時代は、北海道巡業なんかに行くとうれしいことに毎日のようにごちそうになって、最高140キロくらいまでいったこともありますからね。 ――今は何キロあるんですか? 中西 90半ばぐらいじゃないですか。今はトレーニングとかやってないですからね。 ――現役引退して、意図的に体重を落とされたんですか? 中西 い

デジタル家電やオタクカルチャーをはじめとしたエンタメ系の店が所狭しと並び、趣味人たちを魅了してきた秋葉原。 その秋葉原はあくまで「通う」街で、「住む」というイメージは抱きにくいものだが、SUUMO住みたい街ランキング2024で過去最高の29位になるなど、筆者をはじめ、ひそかに「住む」ことに憧れをもつ人はいるはず。 そこで、なんと秋葉原に住むことをテーマとした同人誌(自主制作誌)、『秋葉に住む』を20年以上発行し続けている方の存在を知り、貴重なお話を伺った。 自作PC好きから秋葉原住まいへ 前人未踏、『秋葉に住む』を21年発行し続け、そして大部分の記事を執筆しているのが、しげのさん。そもそもなぜ秋葉原に住んだのか。 しげの「もともと自作PCが好きで秋葉原に愛着があったんです。社宅住まいだったので分譲マンションを買おうと、就職6年目の2004年に、当時新築で販売されていた『東京タイムズタワー』

任天堂の代表作として知られる、『星のカービィ』シリーズと『大乱闘スマッシュブラザーズ(スマブラ)』シリーズ。 【写真を見る】桜井政博さんの経歴と写真 『星のカービィ』はシリーズ累計で世界約5000万本 、『スマブラ』シリーズはシリーズ累計で世界約7200万本を売り上げているヒット作だ 。特に『スマブラ』シリーズ最新作の『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』は約3600万本を全世界に出荷しており 、カプコンの『ストリートファイターⅡ』(1500万本)を超えて、世界で最も売れた格闘ゲーム作品として名高い。 この両シリーズの「生みの親」が、ゲームクリエイターの桜井政博さんだ。桜井さんは1989年から2003年にかけてゲーム開発企業のハル研究所に在籍。『星のカービィ』シリーズと『スマブラ』シリーズを手掛けた。2003年以降はフリーのゲームクリエイターとして独立し、2005年8月には自身が代

――大阪と名古屋でのライブはどうでしたか? 最高だったよ!大阪も名古屋も、すごいエネルギーだった。今回は大阪で以前よりも大きな会場で演奏できたのが嬉しかった。名古屋は初めてだったので、本当に楽しかったね。何が起こるか分からなかったけど、観客の盛り上がりがすごくて、喚声も大きくて、本当に素晴らしいショーだったよ。どちらも、ツアーの素晴らしいスタートになったね。 ――昨日の名古屋ではDMでリクエストされたStevie Wonderのメドレーや、Earth, Wind & Fireの「In The Stone」を演奏したのことですね。SNSでも選曲が素晴らしいと話題になっていましたが、こういうリクエストに応えることはよくあるのですか? 僕の元にはよくリクエストが届くんだけど、その時のフィーリングでもし「ああ、これは今日のセットリストにぴったりだ」と思ったら、セットに組み込むことにしている。 僕た

弘前大学出身で、ロボットアニメの金字塔「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインなどで知られる安彦さんは、1970年に大手アニメ制作会社「虫プロダクション」に入社。フリーのアニメーターを経て、現在は漫画家として活動している。 79年にテレビ放送が開始されたガンダムには「超時空要塞(ようさい)マクロス」などで知られるアニメーターの板野一郎さんも参加。板野さんは安彦さんの「弟子」に当たる一方で、庵野さんにとっては「師匠」であることから、安彦さんは庵野さんを「孫弟子」と紹介。 庵野さんがアニメの世界を志すようになったきっかけは、安彦さんが絵コンテを担当した「宇宙戦艦ヤマト」とガンダムだったという。庵野さんは「ヤマトとガンダムを見ていなければこの仕事には就いていない。公務員になろうかとも思ったが、浪人時代にガンダムを見てアニメに引き戻された。安彦さんのせい」と、最大限のリスペクトを込めて責任を追及


任天堂のものづくりに対する考えやこだわりを、 開発者みずからの言葉でお伝えする 「開発者に訊きました」の第16回として、 6月5日(木)に発売が予定されている NintendoSwitch 2 の開発者のみなさんに話を訊いてみました。 まず、それぞれ自己紹介をお願いできますか。 NintendoSwitch 2 のプロデューサーを担当している 企画制作部の河本です。 どういうゲーム機にするか、その方向性を考えたり、 ハード開発部門などと相談したりしながら細かい仕様を決める役割です。 NintendoSwitchでは総合ディレクターを担当しており、 今回、引き続きハード全般の開発に携わっています。 NintendoSwitch 2 のディレクターを担当している 企画制作部の堂田です。 普段は『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』※1などの ソフトのテクニカルディレクターを

Kate Hutchinsonによるインタビューもうそんなに突飛な話ではないのかもしれないけど、一生を機械との嵐のような関係に捧げるというのはどうだろう。ここで言っているのは、スマートフォンやタブレットみたいに洗練されたものじゃない。スパイク・ジョーンズの映画『her/世界でひとつの彼女』で、それがどうなるかは見たことがあるよね。そうじゃなくて、絡み合った色とりどりのワイヤー、無数のノブやボタン、そして「ブクラ(Buchla)」として知られる重厚なモジュラーシンセサイザーを想像してみてほしい。スザンヌ・チアーニは、この扱いにくい機械の可能性を探ることにキャリアの大半を捧げてきたんだ。彼女はこの振動するドローン音やぶつぶつした音、ピーピー鳴る音に夢中になりすぎて、冗談めかしてブクラを「彼氏」って呼んでいたくらい。時にはその関係が「トラウマ的」だったとも言っている。彼女がカリフォルニア州ボリナ

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