魅惑のバストクリーム『ワンダーボム』はホントにHカップになるのか というわけで、本日はlove_chocolateさんの記事に尻馬。やっぱ、こっちのブログはこういうネタをやらないとやる気おきんね。 あくまでも「個人的には」という意見ですが、「プエラリア・ミリフィカ」を含む商品*5は、利用を避けた方がよいでしょうね。特に「常用」はやめた方がいい気がします。 あと、サイゾーウーマンでピックアップされていた『ワンダーボム』については、化粧品なのに処方のようなことが書いてあって、薬事法違反じゃんかと。今、確か薬事法って広告するだけで違反になるから、ネットプライスの子会社はもちろんのこと、サイゾーの方も微妙。コレ、厚労省が見たら、怒られる気がしますよ。ホントに。 らぶちょこさんのとこの記事を読んでから、ちょっと思った事なんだけどね。まぁ、僕はどんなことでも、おっぱいと関連づけて考える癖があるし、一日
ひこにゃんの動画をみてて思ったんだけど、これ、着ぐるみ来てなかったら地元のおっさんが舞い踊る姿を観光客がかわいいとかいいながら写真とりまくってる感じの構図だ。 着ているもので相手を判断したくないな。男なら中身で勝負してくれひこにゃん。女かもしれんが。着ている服とかマジでどうでもいい。自分も、周りの人も。アルマーニのスーツ着ている相手と、全身エルメスで固めた女と、ユニクロしか買わない男と、無印しか着れない女と、制服の女子高生と、拾った服だけ着てるホームレスと、着ぐるみで舞い踊るひこにゃんと、タイツ一枚でダッシュする江頭2:50と、それぞれの前で同じように振る舞いたい。見た目/着てるものでなく、ほかの部分で評価したい。なんかインターネットをだらだらみていると、違う国で生まれたとか、出身がちがうとか、学歴が違うとか、趣味が違うとか、なんかそういうのでお互いを排斥し合ってるコミュニティを見かける。
世界の新車需要が同時崩落した2008年、日本も1980年の規模まで市場が縮小した。このところの日本の持続的な需要減は、少子・高齢化の進展や、若年層のクルマ離れなど複合的な要因による。 このうち「クルマ離れ」については、若者の消費の多様化や、魅力的なクルマの不在といったことが指摘されてきた。だが、昨今の雇用情勢の悪化を見ると、実は「購買力」が大きな問題であることが浮き彫りになる。「クルマなんてとても手が届かない」という若者が増えているのだ。 2008年の国内新車需要は、前年を5%下回る508万台と1980年(502万台)以来のレベルになった。4年連続の減少であり、ピークだった90年(777万台)の3分の2まで縮小した。日本自動車工業会は、2009年の市場も5%減となる486万台と見込んでいる。500万台割れとなれば31年ぶりだ。本質的な問題は「購買力」の低下か 金融危機に端を発する世界同時

祝日の月曜日、成人の日。知人Aと話していたのは、私が海外で暮らしたい理由について。 私は日本にもっとコミットしたいのだ、という説明に彼は理解できない表情を見せる。 たとえば、村上春樹は一度デタッチメント(コミュニケーションのあり方とか、もっと物理的に日本からも)に凄くふれたからこそ、今コミットメントに戻ってきているのだと思う。それは、(世の中の)時節とか(人間の一生における)時期とか、色んな要因があるとは思うけれど、一度おもいっきりデタッチメントに触れたからこそ、だと私は思う。その触れ幅があったからこそだと。 私は、もっと日本とか、もっと言えば近しい人々、あるいは家族、にコミットしていかなければいけないと思っている。私は日本が決して嫌いではないけれど、決して好きでもない(プラスマイナス0)。あるいは、家族とは無関係を基調とした関係を築いている(マイナス)。もっと、コミットしなければと頭では

人間というものはハンドバッグのようなものです。外面と内面がある。外面は見えるが、内面は見えない。外面はだれにでも見えるが、内面は本人しか見ることはできない。もしかしたら外面は美しいが内面はみられたものではない、かもしれない。ふつうは外面だけしか見えないから、内面がどうなっているのか、外面を見ながら推し量るしかない。私たちは、自分を含めた人間というものを、こう思っています。 人間は、外面の内側に外からは見えない内面を持っている、という理論。それと気づかないで私たちが毎日使っているこの理論は、人間の行動を予測し、計画を考える上で役に立ちます。また、この理論を自分自身に適用することもできる。これはとても役立つ。社会に生きるためには、不可欠の能力です。つまり、自分も自分以外の人間も、同じように外面の裏に内面を持っている、と思えば、他人の行動も自分の行動もよく予測できる。顔は笑っているけれども、心は
人を裁くことは、犯罪者も含めた人々の「心の救済」を目指す宗教の立場と両立するか。国民が参加して有罪・無罪などを判断する裁判員制度が5月に始まるのを前に、宗教界で議論が起きている。同制度では死刑判決に関与することもあるだけに、宗教の社会へのかかわり方が問われている。 裁判員法では、「人を裁きたくない」というだけでは辞退理由にならないが、立法過程で「宗教上の理由で裁けない人もいる」という意見も出たため、「裁判参加で精神上の重大な不利益が生じる」と裁判官が判断した場合に限って、辞退が認められることになった。一方、刑事裁判への国民参加の伝統が長いイギリスやドイツでは、法律で聖職者は参加できない定めがある。 「裁判員制度にどう対応するのか。宗派としてメッセージを明らかにするべきではないか」。700万人の信者を抱え、刑務所や拘置所で教誨(きょうかい)師を務める僧侶も多い浄土真宗本願寺派。京都市の西本願
彼と出会ったのは中学生の時。共通の友人の紹介だった。 バスケットボールという共通の趣味もあり彼とはすんなり打ち解けた。 どちらもあんまり上手ではなかったけど、ただただ楽しかった。 特に示し合わせはしなかったけど同じ高校に入った。 願書提出する時にたまたま居合わせて「あれ、おまえも?」みたいな感じだった。 うれしかった。 幸い二人とも合格して同じ高校に入学した。 部活は二人してバスケ部に入った。 彼は3年間通い通し、ぼくは3ヶ月で辞めた。 運動神経がなくてついていけなかったからだ。後は先輩とかとなんか打ち解けられなかった。 今思えば、今後の展開の元が此処にあった。 クラスは3年通して隣のクラス。特に示し合わせがなく同じ理系の道を進んだ。 共通の友人もいたが、お互い別々のコミュニティに入り、少し疎遠になった。 でも通学とかは一緒だったので特に寂しくなかった。 大学。学科は別だったけど同じ大学を

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