『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)に掲載された記事に加筆したもの。 シニシズムの原理としての 機会原因論 目次 オレンジ色のにくいやつ 批判主義とシニシズム ふたつの構築主義 ロマン主義の意味するところ シニシズムの原理としての機会原因論 オレンジ色のにくいやつ 早稲大学文学部の構内でビラを配っていた二十二歳のアルバイト男性が、「建造物侵入罪」の現行犯という名目で「大学教職員」によって身柄を拘束され、警察に引き渡されるという事件がおきた。二〇〇五年一二月二十日のことである。建造物侵入罪と、教職員という「私人」による逮捕の組み合わせが、かなり危機的なものであるということは、すでにべつのところで述べたとおりだ*。そのあとに「学生・教職員のみなさまへ」と題された、「早稲田大学第一文学部」「同第二文学部」「同文学研究科」の公式の声明が、早稲田大学文学部公式ホームページおよび文学部構内の立て看板に
楽しく拝見させていただき、非常に勉強となっています。本日ははてサの皆様に質問がございます。 よく、ネット右翼の皆様は弱者救済を自己責任論で完結させようとしていらっしゃいます。 この辺の理屈は非常に単純明快でわかりやすいものがございます。 おそらく、私が愚考いたしますに、「俺ら頑張ってきたんだから楽するなんて許さないよ」という心境がございますのでしょう。 皆様は大変努力なされてきたのでしょう。一学生の私はただただ敬服するばかりです。 私にはその考えはとても理解しやすいものです。 対するはてサの皆様は弱者救済を声高に叫んでいらっしゃいます。 慈愛の心に満ち溢れる、自然と出てきた主張でありましょう。 人なのですから、助け合いの心は大切ですよね。 しかし、どのような行動にも「理由」はあるものだと私は考えております。 皆様なりの思うところがあり、弱者保護の拡充、体制の変革を求めていらっしゃるのでし

2008年03月15日03:00 カテゴリArt バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ そろそろ以下の質問に答えておこうか。 弱者に手をさしのべる強さ - マ儿コの日記 - + - + 自分ひとりの力だけでマッチョになったの?誰の力も借りず? まだ小さくて弱いあなたに手を貸してくれた本当のマッチョがいなかった? 答えは、どちらもNo。 自分一人の力で強くなったか? No. 手を貸してくれた人がいるか? 母を除けば No. なぜどちらもNoとなりうるのか? 世の中には、「宛名のない善意」がいくらでもあり、そして今もなお増えているからだ。 私はそれを利用したに過ぎない。 「宛名のない善意」とは何か? 私にとって、それは道路であり、書籍であり、その他諸々の、「誰宛でもないけれども、私を含めた誰でも使ってよい」もの全てだ。 道路は私を救ってくれた。しかし道路は私を救うために敷かれたのではな


この本は、頂き物ではなく、ちゃんと自腹で買いました。 『赤めだか』 読む前から評判が高く、売れているようなので、つい敬遠してしまったのですが(編集者にありがち)、いや、もっと前に読めばよかった。 近頃読んだ本の中でも、一番のオススメです。 今日はその中でも、僕にとって一番「しみた」部分をご紹介。 *あとから入門した弟弟子の志らくを、師匠の談志が何かにつけてほめ、著者(談春)が腐っていたときの話 翌日、談春(ボク)は談志(イエモト)と書斎で二人きりになった。突然談志(イエモト)が、 「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」 と云った。 「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来ならば相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかな


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