わが家のひとり息子は、現在小学5年生(11歳)です。 最近は僕(父)が手をつなごうとすると「やめて!」と速攻で拒否されます。でも、家を出て歩いているとき、ふいに息子が僕の手を取ってくれることがあるんですよね。 11歳の息子の手 このとき僕は、黙ってその瞬間をかみしめています。息子の手の柔らかさ、温かさ、小ささ……。もしそこで「今日は珍しいね」なんて言ってしまったら、恐らくその時だけでなく、今後、二度と手をつないでくれないかもしれません。 「子どもの手を離してはいけない」 そんな幼い頃もありましたが、今となってはどんどん手が離れていっています。子育ての手間がかからなくなることを「手が離れる」と言いますが、リアルに手が離れていってしまうんですね。成長をうれしく思う反面、やっぱり寂しさを覚えてしまいます。 まだまだ可愛らしい息子の手。 手をつないで歩くことができるのは、あと何回残されているのだろ


うちの息子は小学一年で、最近急にいい子になった。 宿題もちゃんと済ませるし、ご飯も文句ひとつ言わず静かに食べる。お風呂も歯磨きもサボらず行い、夜になれば自分から布団に入っていく。正直親としてはありがたい限りだけど、あまりにも急な変化だったので少し心配にもなった。 そこで先日それとなく聞いてみた。 すると息子はちょっと照れくさそうに好きな子ができたのだと言った。 どうやらクラスの女の子に一目惚れしたらしい。それで、ちゃんとした男の子って思われたいんだそうだ。 それを聞いてハッとした。 同時にあぁ、そうだったなって、自分の昔のことを思い出した。 俺もかつては酷かった。 ネットに誹謗中傷を書き込むのは当たり前で、気に入らない芸能人を叩くようなスレに入り浸ってた。誰かを罵倒することで、なぜか自分が優れてるような気になっていたんた。 だけど、そんな日々がぴたりと止まった瞬間がある。 それは、好きな人


先日、父の日なんかもあったが、我が父親もそこそこ高齢。元気なうちに、元気な姿を記録しておきたいものである。 そこで絵描きな僕としては、父親を油絵で描いておこうと思うのだが、できるかぎり元気そうな父親をッ!ということで今回は。 父親を、この世で最も元気な父親だと言える(人気格闘漫画「バキ」でおなじみの)範馬勇次郎 っぽく、描いてしまおうと思うッッ!! 多摩在住のイラストライター。諸メディアにおいて、フマジメなイラストや文章を描くことを専門としながらも、昼は某出版社でマジメな雑誌の編集長をしたりするなど、波乱の人生を送った後に、新たなるありのままの世界へ。そんなデイリーポータルZでのありのままの業務内容はコチラを!(動画インタビュー) 前の記事:猫ミームを超える柴犬ミームを手作りしてみた > 個人サイト >ヨシダプロホムーページ >ライターwiki

今は中学生の息子が、なんというか、小物キャラというか卑怯者みたいな感じで辛い 色々ぼかして書くけど 小学生のころからチクリ魔みたいな、学校的に「正しい」んだがどう考えても人に好かれない性質のことをやってて 子ども同士で市民プール行った時に案内役かって出たはずなのに、ちょっと喧嘩しただけで一人で帰ってきたりとかいろいろあったんだけど 昨年中学の合唱コンクールの後にクラスメイトがファミレスで打ち上げ会をやったみたいで 息子とあと何人かが知らされずにハブられたらしいんだけど、いやもうこの時点で悲しいというかアレなんだけど 息子はどこからか情報を手に入れて担任に注進して、打ち上げ会を台無しにさせたみたいで あと学校にスマホを持ち込んでる生徒を一々教師に密告していたらしい それで三者面談の時に教師からそれとなく褒められたんだけど(どうかんがえても皮肉に聞こえるんだけど) いや、でも、息子よ・・・ も



「息子とサシで飲みに行く」 「親父と飲み交わす」 世のお父さん達、我が子とふたりきりで飲みに行くというのは、いつか思い描く光景ではないでしょうか。 昨夜、2022年5月28日、僕は小学2年生の息子(8歳)と、赤提灯が灯る焼き鳥屋さんへ飲みに行ってきました。息子は未成年ですので、もちろんソフトドリンクです。 きっかけは、2年以上続いているコロナ禍が落ち着いてきたこと。感染防止の様々な規制が緩和される中、妻がママ会へお出かけしたので、残された僕は「よし、お父さんとふたりで美味しいものを食べに行こう!」と息子を誘い出しました。 結果、最高に幸せな時間に……。 これ、めちゃくちゃ良いですよ! そんな「親子サシ飲み」の様子をお伝えします。 父と子、ふたりで焼き鳥屋さんへ 選んだお店は、店先に赤提灯が灯る『やきとり基久屋きくや』さん。 僕も、息子も、初めてのお店です。 ふたりで暖簾をくぐって店内へ。

いない?ちなみに自分がそう。 とは言っても、特に実家が金持ちとか顔が良いとかってわけでもない。 たぶん、とにかく周囲の人間に恵まれてた。あとは運とタイミング。 まず親が良かった。 父親は出世欲と物欲のない男で、万年係長。大河ドラマと将棋番組を見るのが趣味。家は古い社宅だったし、車も軽自動車だったけど「こだわりないから別になぁ」って感じだった。 母親は世渡りの上手な女で、40過ぎても更に年上のジジババから「〇〇ちゃん」って可愛がられるタイプ。 この両親、とにかく穏やか。夫婦喧嘩してるところを見たこともなければ、親子喧嘩もほとんどしたことがない。生まれてから高校卒業と同時に家を出るまでの18年間、我が家に怒鳴り声が響いたことはなかった。 家のローンや車のローンが無かったおかげで、奨学金を借りることも生活費を自分で稼ぐこともなく大学生活を満喫。バイトは大学の近くにあった本屋でしんどくない程度に小


父子家庭で育った。 母30、父40、私3の時に母が死んだ。 それから父が女性と関係を持っていたかどうかはわからないが、 まじめで無口な人で職場にも女性は少なく、友人関係自体ほとんどなさそうなので、あまり考えられないと思う。 また収入面や生活リズムを考えると風俗に行っていたとも考えにくい。 朝早く会社へ行き定時でまっすぐ帰宅し、趣味といえば読書とちょっとした旅行くらいで、仕事と私の世話に父の後半生は費やされた。 父は漫画が好きで、私とも漫画の趣味がよく合い、ジャンプやアフタヌーン、モーニング、ガンガンなどを共有して読んでいた。 一方で父は甘い生活などの過激な漫画から本気の成年漫画まで多数持っていたし、私もそのうち過激な少女漫画やボーイズラブも読むようになった。 家に数多くの官能小説やアダルトビデオがあるのにもいつからか気づいていた。趣味が合う部分がある一方で、狭い家で隠しきれるわけもないそ

31日、JNN系列で放送された番組で身元不明者として紹介された男性が29年前に徳島県で失踪した男の子ではないかとして、徳島県警が来週にもDNA鑑定を行うことがわかりました。 1989年、茨城県牛久市の松岡伸矢ちゃん(当時4)は家族と徳島県つるぎ町の親戚の家に行った際、父親が目を話したわずか数十秒の間に姿を消し、今も消息はわかっていません。31日に放送されたTBSの番組で紹介された男性は3年前、愛知県弥富市で意識不明の状態で保護され、それまで長い間、知らない男性に軟禁され両親の記憶もないと話していました。 放送終了後、男性について「伸矢ちゃんに似ている」という情報が徳島県警に相次ぎ、県警は1日に伸矢ちゃんの両親からDNAを提供する承諾を得ていて、来週にも男性のDNA型と一致するかどうか鑑定を行う方針です。
2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。 一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。 母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。 そして


1リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く