児童、思春期期に発達障害の存在に気が付かれずに、大人になってから問題が顕在化する、いわゆる「大人の発達障害」は一般への啓発が進み、精神科の従事者・援助者にとっては日常診療でも出会うことが多い疾患となってきました。発達障害にはさまざまな疾患が含まれますが、主要なものは、自閉症スペクトラム障害(ASD)と注意欠如多動性障害(ADHD)の二つの疾患になります。 対人関係、社会性の障害と興味の限局性・常同性を主な症状とする自閉症スペクトラム障害(ASD)は成人の約1%、不注意や多動性・衝動性を主症状とする注意欠如多動性障害(ADHD)は3~4%に認められるという指摘もあり、決して稀な疾患ではありません。発達障害の人々は社会の中で様々な生きにくさを抱えていますが、専門の援助者に相談をしている人はまだ僅かです。自身が発達障害であると認識していないため、受診や相談をすること自体に思いが至らない人も少
はじめに あらたまこころのクリニック院長加藤が、第116回日本神経精神学会学術総会に参加しました。 今回はその内容の中でも、ADHDと精神科の病気との合併症に関する情報を皆さんにお伝えいたします。発達障害かもしれない?人生の中で、失敗を繰り返すうちに、人の目が気になる、朝起きるのもおっくうで学校(会社)に行けない、相手のちょっとした言葉に傷ついて切り替えられない、気持ちが高ぶって眠れないなど、こころの症状が出るようになった。 「うつ病」と心療内科、精神科で診断されて長く通院しているが、治らないし、治療方針が腑に落ちない。新型うつ病かもしれないと考えることも。 それは、発達障害(神経発達症)と精神疾患(うつ病、双極性障害・不安障害・トラウマ)の合併かもしれません。 重ね着症候群と呼ばれることもあります。ADHDのおさらい 今回は発達障害の中でもADHDに絞ってお話させていただきます。ま

コンピュータはなぜ動くのか?知っておきたいハードウエア&ソフトウエアの基礎知識? 作者: 矢沢久雄,日経ソフトウエア 出版社/メーカー: 日経BP社 発売日: 2003/06/02 メディア: 単行本 購入: 43人 クリック: 514回 この商品を含むブログ (61件) を見る 今月からIT関係の知識は前職の研修でやったぐらい、という新人を預かるようになったので、彼の今後の育成プランを立てたりしている。 その彼が「情報処理試験も受けたことがない」ということだったので、まずはITパスポート試験の勉強をさせているんだけれど、彼がもっているテキストを見ると「知識としては必要なもの(しかもちゃんとアップデートされている。わたしが基本情報をとったときはアジャイルの話とか一切出てこなかったけど、今はITパスポートの試験のテキストに載っていて、ちょっと感心した)」が揃っているのだが「ストーリー」がない

ようようしょうてんがい (こどものとも絵本) 作者:環 ROY 株式会社 福音館書店Amazon たのしいラップの絵本。 パサージュ論 一 (岩波文庫) 作者:ヴァルター ベンヤミン 岩波書店Amazon パサージュ論 二(岩波文庫 赤 463-4) 作者:ヴァルター・ベンヤミン 岩波書店Amazon パサージュ論 三 (岩波文庫 赤 463-5) 作者:ヴァルター・ベンヤミン 岩波書店Amazon パサージュ論 四 (岩波文庫 赤 463-6) 作者:ヴァルター・ベンヤミン 岩波書店Amazon パサージュ論 五 (岩波文庫 赤 463-7) 作者:ヴァルター・ベンヤミン 岩波書店Amazon 二度目の通読。 【電子版限定特典付き】 給食営業マン サバイバル戦記 カスハラ地獄、失注連鎖、米の仕入れも赤信号 作者:フミコフミオ 家の光協会Amazon さすがの読みやすさ。 給

最新の調査から、自殺の背景にあるうつ病とアルコールの存在が明らかになってきました。 WHOの自殺対策に関するガイドラインでは、自殺に関連する精神障害としてアルコール依存症とうつ病が同等に扱われています。アルコール・うつ・自殺は「死のトライアングル」とも言われます。これら3つの関係についてまとめました。 コンテンツ監修:松本俊彦 国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長 知っておきたいポイントアルコールはうつ病にどのように作用するのか、なぜうつ病の人にとってアルコールはタブーなのか、一見つながりにくい2つの症状の関係を見ていきます。 なぜ「うつ」の人はアルコールを飲もうとするのか? 「うつ」の治療を受けているなら、飲酒はタブー! なぜアルコール依存症者は「うつ」になるのか?アルコール・うつ・自殺……「死のトライアングル」 調査/データ 国立

m.$.t.k. @mk_sekibang ところでディディ=ユベルマンなど買ってみたものの、わたしは視覚系のイメージがあんまり強くないので、読めるかどうか不安である。ただ、美術系の人には憧れがある。 2014-03-15 15:21:28 Adam Takahashi @adamtakahashi @mk_sekibang 『イメージの前で』と『時間の前で』は、良い本だと思った(『残存するイメージ』は文章の水増し感が凄かった印象がある)。この二つとも何かを主題として論じているというより、美術史はこうするべきだ!というアジテイションというか宣言書みたいなものだと思う。 2014-03-16 01:27:29

そういえば、『Newton』2月号の特集“「無」の物理学”がとても面白かったです。この科学誌、学生の頃、暇つぶしに図書館でよく読んでいたのですが、会社員になってから初めて読んで「あ、やっぱり面白いな。これからも読もうかな」と思いました。内容は、タイトル通り「無」について。この「無」が現代物理学のさまざまな領域でどのように捉えられているか、ということが紹介されています。 「無の空間」には、宇宙全体のエネルギーと物質の総量の約73%を占める正体不明のエネルギーがあると考えられている 超ひも理論によれば、この世界は10次元かもしくは11次元の時空をもつ必要がある 個人的には以上の2点のトピックが衝撃的でした。無の空間はエネルギーをもっていて、さまざまな素粒子が生まれては消え、生まれては消えを繰り返している。となると「無の空間」はホントは「無」といえない。サルトルの著作に『存在と無』というクソ長い
著者、ライナルド・ペルジーニは1950年ローマ生まれの建築史・思想史家。図像解釈学的な建築研究を試みており、建築の構造から時代の精神を分析しようと言う研究をおこなっているそうである。本書『哲学的建築』でのペルジーニの試みは、建築という概念が認識の概念と分離不可能な時代において建築家は、哲学者でもあった、という観点から「哲学者-建築家」の系譜を描こうとするものだ。その「哲学者-建築家」の原始には、ヘルメス・トリスメギストスがいる。彼が築いたとされる理想都市はアドセンティンは、プラトンの『国家』における理想国家とも統合され、さまざまな変奏を生み出していった……というのがプロローグとなっている。そののちに取り上げられる「哲学者-建築家」は以下の通り。 理想都市国家:トンマーゾ・カンパネッラ 薔薇十字運動:ヨーハン・ヴァレンティン・アンドレーエ 記憶術的建築:ジョルダーノ・ブルーノ 記憶劇場の理念
第十六章 フラッドの〈記憶の劇場〉とグローブ座 残るは二章、ってことでサクッと片づけてしまいましょう。この章では「イギリス・ルネサンス演劇のメッカともいえる場所であり、シェイクスピアも所属していたグローブ座という劇場は、実は記憶術と関係していたのではないか!?」という世界ふしぎ発見的なミステリー読解が展開されます。グローブ座がどういう建物だったかについては、Wikipediaでもご覧ください。 グローブ座 -Wikipedia この建物、すでに復元されたりしているようなのですが、すごく謎めいた建物だったようです。とにかく、一切資料が残っていない。残っているのは「グローブ座の焼け跡を見たことがある」という人の証言や、また「グローブ座に似た劇場のスケッチ」ぐらい。そのわずかな資料からイエイツがこの『記憶術』を書いていた頃に、グローブ座の復元といった試みがおこなわれていたそうです。イエイツはこ
第十四章 記憶術とブルーノのイタリア語対話篇 ここまでかなりのページを使ってジョルダーノ・ブルーノについての話を進めてきましたが、いよいよこれが最後です。イエイツはブルーノの思想と記憶術を切り離すことができない、と考えていました。記憶術が彼の思想を読み解くための重要な鍵概念になる、と。したがってイエイツは、ブルーノの記憶術に関する著作でみられた「型」は、ブルーノの著作のすべてに痕跡をのこしている、という風に主張しています。この章ではその例としてイタリア語で書かれた対話篇を見ていく。まずは1584年にイギリスで出版された『聖灰日の晩餐』について。 この作品は「ブルーノのオックスフォード訪問と、そこにおけるコペルニクス的太陽中心説についての彼のフィチーノ的もしくは魔術的な解釈を巡ってのオックスフォードの学者たちとの衝突を反映し」(P.356)、ブルーノとその友人たちはロンドンの町並みを歩きなが
第十二章 ブルーノ記憶術とラムス記憶術の衝突 さて、前回はジョルダーノ・ブルーノが1583年に出した通称『秘印』という作品についての話で終わりました。繰り返しになりますけれど、イギリス(エリザベス朝時代)で出版されたこの本はあまりにオカルトじみていたせいか、受け入れられませんでした。一部のサークルでは「こりゃ、すごい」と言われたんだけれど、まぁ、メジャーだったのがプロテスタントだったもんで仕方なかった。しかし、その一年後の1584年のイギリスでは、熱烈なブルーノ信奉者とラムス主義者のあいだで論争がおこっていました。ラムス主義については第十章で触れてます。忘れている方はそちらを確認、ということで。第十二章は、アリグザンダー・ディクソン(ブルーノ派)VSウィリアム・パーキンズ(ラムス派)によるこの記憶術論争の模様を追っています。 イエイツの見立てによれば、この論争は「俺のほうがすごい。俺のほう
第十章 記憶術としてのラムス主義 前章ではジョルダーノ・ブルーノが魔術的記憶術によって実現しようとした壮大なプロジェクトについて触れましたが、ルネサンス期には記憶術陣営の盛り上がりに対抗するようにして、反記憶術の動きも勢いをましていました。この章はその反記憶術陣営の代表として、ピーター・ラムス(ピエール・ド・ラ・ラメー)というフランスの思想家がとりあげられています。この人もなんかすごい人で、1515年に生まれて、1572年サン・バルテルミーの虐殺に巻き込まれて死亡……という歴史の犠牲者みたいな人です。彼は教育者としてさまざまなメソッドを簡素化し、再構築するような仕事をしていたみたい。それがスコラ哲学の複雑さを一掃する手段となるだろう、とプロテスタントには歓迎されたらしいです。 ラムスがおこなった教育方法の簡素化のひとつには、記憶術の撤廃も含まれていました。「場にイメージを埋め込む」という例
第九章 ジョルダーノ・ブルーノ――『影』の秘術 ここからがジョルダーノ・ブルーノのお話。彼についてなにも知らない、という方はそもそもこのコーナーを読んでいないかと思うのですが、一応参考としてWikipediaへのリンクを(信用性はよくわかりませんが、けっこう詳しく載っています)。 ジョルダーノ・ブルーノ -Wikipedia イエイツのブルーノヘの関心の高さは彼女の最初の本が『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』という作品だったからも明らかです*1。この章からはそのブルーノ愛が全開になっている感じ。前章まででルネサンスのヘルメス的人間のメンタリティを形成する上で、強い影響を与えた思想についての確認が終わっています。ここからはイエイツはその影響下からヘルメス的人間として才能を開花させた最大の人物としてブルーノを取り上げます。まずはブルーノの生い立ちなんかから話がはじまりますけれど、こ
第七章 カミッロの〈劇場〉とヴェネツィア・ルネサンス ちょっと間が開いてしまいましたが気を取り直して参りましょう。前章はカミッロの〈記憶の劇場〉が当時(16世紀)に与えたインパクトと、その意味について追っていましたが、この章でイエイツが分析しているのは「カミッロの〈劇場〉が生まれた背景とはなんだったのでしょうね?」というところです。カミッロはそれ以前の記憶術とはまったく関係なく生まれてきた突然変異だったのか、それともそれまでの記憶術の影響をうけてそれを進化させた人だったのか。イエイツの結論からみていけば、彼女は「カミッロはそれまでの古典的記憶術と地続きである」ということです。これは前章でも触れられていることですね。カミッロの仕事の基盤には、マルシリオ・フィチーノ、ピコ・デッラ・ミランドーラという新プラトン主義者の仕事があり、そしてそこにはシモニデス流の記憶術も伝えられていた、ということです
第六章 ルネサンスの記憶術――ジュリオ・カミッロの〈記憶の劇場〉 記憶術の歴史をめぐる当初もいよいよルネサンスに本格突入、いきなり〈記憶の劇場〉の設計者であるジュリオ・カミッロについてイエイツは書き始めています。カミッロの〈記憶の劇場〉(円形劇場)がどのようなものであったのか、については『哲学的建築』という本を読んだときにもこのブログで紹介しています*1。 ……彼らはこの男が円形劇場とやらをつくったと申し述べております。何やらすばらしいからくりで、その中に観客として招きいれられた人は、どんな主題を巡っても、キケロはだしで弁ずることができるとのことです。(P.164) イエイツはこの章の冒頭でヴィグリウス・ツイケムスという男が書いたカミッロの円形劇場についての報告を引用していますが、これもなかなか魅力的な紹介になっていますねえ。これはヴィグリウスがエラスムスにあてた手紙なのですが、そのなかで
第四章 中世における記憶術とイメージの形成 引き続き、中世の記憶術の話です。前章では記憶術の「弁論術から倫理学への河岸変え」というダイナミックな変化について指摘されていましたが、イエイツはこの変化をとくに重要視しているようでかなり詳しく見ているようです。中世において、スコラ哲学の人たちが記憶術の規則を倫理学に適用したことで、13世紀にもその技法は伝えられ、さらにそれが14世紀により大きな影響の波となって時代へと流れ込んでいく……といったことが章のはじめで予告されます。この章は、先の時代へと進む前に、具体的に中世の記憶術とイメージの形成がどのようなものであったのか確認するものとなっています。具体的な記述が多いところですので、詳細は本書を読んでいただいた方が面白いかと思われます。個人的には以下の指摘が興味深いと思われました。 アクィナスの記憶術の規則で重視されるのは、場よりも配列順であり、この
マラソンの練習中に思いついたのですが、この『記憶術』の著者、フランセス・A・イエイツ(1899-1981)って、今考えてみると元祖「歴女」(歴史好き女子、の略でいいんですよね?)みたいな人ですよね。左はいつのものかわかりませんがイエイツ先生の写真です。ちょっと怖い顔。最近になって彼女の評伝の日本語訳『フランシス・イェイツとヘルメス的伝統』が出ています。こちらの表紙はさすがに若い頃の写真が使用されているようです。こっちはパッと見、ちょっと美人風。歴女ブームが来ているそうですから、我こそ歴女、あるいは歴女好き、という方は是非、イエイツ先生の著作にも手を出していただきたいところです。日本の戦国時代なんかはっきり言ってスケールが小さいですよ! 「城がカッコ良い」とか言いますけれど「記憶の劇場」のほうがもっとダイナミックで最高です!! 第三章 中世における記憶術 いきなり脱線してしまいましたが、今回
第二章 ギリシアにおける記憶術――記憶と霊魂 さて、第二章でイエイツは再度ギリシアの記憶術がどのようなものであったか、というのを探っています。まずはギリシア式記憶術の始祖、シモニデスについて。さまざまな人に偉大な人物として語られたにも関わらず、彼が書き残した著作はもちろんのこと、ギリシア時代の書物でシモニデスの逸話を伝えるものは何も残っていないのだそうです。記憶術についてシモニデスの名前を出して言及しているのは第一章にでてきた三大ラテン語文献が最古のものなのだとか。しかし、実在の人物であったことは確かなようです。第二章の冒頭で彼のプロフィールが紹介されていますが、この文章はなかなか魅力的。 ケオスの人シモニデス(紀元前556-468頃)はソクラテスより前の時代に属している。若い頃にはまだピュタゴラスも存命中であったかもしれない。(残存する詩作品はほとんどないものの)ギリシア最高の叙情詩人の
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