今回のブログから『ダンマパダ』を唯識思想によって読み解いていこうと思います。題して、 「唯識で読み解くダンマパダ」 です。 『ダンマパダ』のダンマは真理、パダは言葉という意味ですので、『ダンマパダ』とは「真理を述べた言葉」という意味で、漢訳で経を付けて『法句経』と訳されます。423の短い詩句から成り、後の仏教の経論で展開される難しい教理は述べられていなく、人間いかに生きるかを易しく説き示し、また釈尊の生の言葉が伝わってくる、人生の指南書のような書です。すでにこの書に関しては、友松圓諦氏の『法句経』(講談社)や中村元氏の「真理のことば」(岩波文庫)などが出版されていますが、私はこの度、サンスクリット語の原文にあたりながら、私なりに翻訳し、かつ説かれた詩句一つ一つを唯識思想の教理に基づいて、その内容をさらに深めて解説していくことにしました。 (第1詩句) すべての現象は意を先とし、意を主とし、
久しぶりにブログを書きます。今回は橋本凝胤長老についての思い出を記してみます。長老は昭和の世に天動説を説き、週刊朝日の誌上で徳川無声氏と激論を交わしたことで有名ですが、今回は、私の思い出のなかでの長老についてのお話をさせていただきます。私は30歳の頃に本郷にある東京大学仏教青年会で主事をしていましたが、その頃、長老は月1度、わざわざ奈良から本郷にある東京大学仏教青年会にお見えいただき、唯識思想の講義を開いてくださいましたが、私もその講義を拝聴させていただきました。私が唯識思想に触れた最初が長老の講義でした。厳格で威厳に満ちたお顔で、難しい唯識思想を淡々とお話になられる姿はいまでも私の脳裏に鮮明に焼き付いております。講義のなかで毎回説かれた「心内の影像を心外の実境と見るな」という言葉が、今考えてみますと、唯識教理に基づいた生き方の、まさにエッセンスを表したものであると痛感しています。「心内の
今日は、スティーブ・ジョブズと玄奘三蔵との二人についてお話をします。前者は昨年の十月に亡くなりましたが現代の人、後者は七世紀の人、この二人が、なぜ今日の表題で「と」と結ばれているのでしょうか。 結論から言えば、前回のブログで取り上げた新渡戸稲造と同じく、二人は自己の信念に生きた人だったのです。 では二人はどのような信念をもち、どのように生ききったかを探ってみましょう。 (Ⅰ)スティーブ・ジョブズについて、 先月の10月6日、本郷の東大仏教青年会で、このたび私たちが立ち上げました「さわやかに生ききる会」主催の「スティーブ・ジョブズ一周忌追悼ライブ」を開きました。内容は、漢語と梵語とによる法要から始まって、私のスティーブ・ジョブズについての講義、参加者と山口博永師と私との話し合い、そして最後に山口博永師による坐禅指導と続きましたが、多くの方からよかったというお声をいただき、これからも毎回、山口

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