映画『TAR/ター』を観て、まだ映画館でやっていてよかったと思った。 gaga.ne.jp エンドロールから始まるところで男性の声がして、「自然な感じで歌ってごらん」的なことを言っていた気がする(何しろ3時間近くあり、最初の方のセリフや声の質感までは覚えられなかった。大概オペラは3時間とか4時間とかあって暗譜しなくてもいいとはいえよく振れるものだと思う)。女の子の歌う声がして、ちょっと緊張に由来しているような喉の苦しさと音程のブレがある。終わるとターが立っている。もう苦しそうであり、人間の苦悶に満ちた表情と仕草のバリエーションの豊富さがあらためて確認され、この人はもうすでに大変な状態にあるんだなと思う。 素晴らしい対談シーンのことを映画が終わった後で思い出してみると、(『トリビアの泉』を観ていた世代には常識であろう)リュリのエピソードがあった。初の独立した指揮者リュリは杖で指揮をしていた。

批評家の蓮實重彥さんは、いままでにいくつも偉業を成し遂げてきた。『映画の神話学』(1979)や『監督 小津安二郎』(1983)によって日本の映画批評に革新をもたらし、『夏目漱石論』(1978)や『表層批評宣言』(1979)によって文芸批評界に波瀾を起こし、『「ボヴァリー夫人」論』(2014)というフランス文学研究の記念碑的著作を上梓したかと思いきや小説『伯爵夫人』(2016)の三島由紀夫賞受賞によって時の人となる──そんな蓮實さんが、この7月に新著『ジョン・フォード論』(文藝春秋)を刊行した。西部劇映画の監督として知られるジョン・フォードをとことん論じた同書は、蓮實さんの映画批評の金字塔として発売前から大きな期待を集めてきた。『ジョン・フォード論』に込められた思いについて、蓮實さんに話を聞いた。(入江)

「女なんだから、わきまえろ」 そういう意図で投げかけられる言葉に、世の中が敏感になってきた昨今。今でこそ「ちょっと待て!」と異を唱えることに抵抗はありませんが、それまで私は「女だから」と言われるたびに、嫌悪感と違和感を抱きながら、そういうものだと“わきまえて”しまっていました。思い返せば、幼い頃から事あるごとに「女の子なんだから」と優しく前置きされながら正されていたものは全て、大嫌いなジェンダー・バイアスだったのです。それに気づいてからというもの、私は他の女性がこのことについてどう思っているのか知りたくなり、女性を――特に女性監督や女性作家が描く作品を目にしては、ある種の答え合わせのような作業をするのが癖になってきました。 今週お届けする二本立ては、そんな私が楽しみに、そして心して観た女性監督作品『プロミシング・ヤング・ウーマン』と『17歳の瞳に映る世界』です。 『プロミシング・ヤング・ウ

濱口竜介・野原位・黒沢清が脚本、黒沢清が監督した『スパイの妻』。『第77回ヴェネツィア国際映画祭』で「銀獅子賞」(監督賞)を受賞した本作を、ラップグループDos Monosのトラックメイカー / ラッパーの荘子itが論じる。気鋭のラッパーは、本作をどう見たのか。また、本テキストを受けて行なった、彼のインタビューも掲載する。 現代を生きる私たちの自画像として描かれた「妻」 「夫」が「亡命だ」と囁くとき、それが、例えば現代日本を舞台にしたラブロマンスで発せられる「駆け落ち」という言葉とは比べようもなく甘美な響きであるかのように、窓からの照明とレンズフレアが、「妻」のクロースアップを包み込み、映画のような夢見心地にさせ、これに素直にうっとりしていいのかと、「居心地の悪さ」を感じさせる『スパイの妻』の舞台設定は、1940年、太平洋戦争前夜の神戸である。 最初の企画段階では、神戸をテーマにした映画と

The 100 greatest foreign-language films: who voted? We polled 209 critics representing 43 countries – here are their ballots in full. We approached hundreds of film experts - critics, industry figures, academics - and 209 from 43 countries responded by filling in an online poll in August and September 2018. Each critic voted for 10 films,ranking them 1 (favourite) to 10 (10th favourite). We award

2018年3月1日(木)から公開されるクリント・イーストウッド監督の最新作「15時17分、パリ行き」は、2015年に国際高速列車タリスで発生した銃乱射事件を題材としています。イーストウッド監督は「アメリカン・スナイパー」「ハドソン川の奇跡」と実際の出来事に基づいた映画を連続して撮っていますが、本作はさらに一歩踏み込み、事件の当事者本人たちが出演する作品となっています。 イーストウッド監督はなぜこの事件を映画化しようと考えたのか、そして実際の出来事をどのようにして映画に落とし込んでいくのか、雄弁に語ってくれました。なお、後半にはイーストウッド監督と映画に出演した事件の当事者たちが登壇した記者会見のやり取りも掲載しています。イーストウッド監督が作品の展開について触れているので、事件のあらましを知らないまま映画を見に行きたいという人は、鑑賞後に読んで下さい。映画『15時17分、パリ行き』オフィ

ジョン・カサヴェテスの映画を見る経験は、何ものにも代え難い。カサヴェテスの映画を良いとも言いたくないし、悪いとも言いたくない。面白いとも言いたくなければ、面白くないとも言いたくない。美しいとも言いたくなければ、美しくないとも言いたくない。 ジョン・カサヴェテスの映画は、そのような単純な判断から隔絶したところにある。スクリーンの向こうに写っている映像が、単に自分の外部にある別の世界だとは思えない。そこにあるのは自分自身の魂の延長である、自分の人生の一部である。自分の人生を振り返り距離を置いて反省しつつある時ならともかく、今まさに生きられている自分の人生は、良くも悪くもなく、面白くも面白くなくもなく、美しくも美しくなくもない。それは単に、生きられている。 だがもちろん、それでは何も言ったことにならない。私は、カサヴェテスの映画の価値は分析不可能であるなどと言いたいのではない。言葉にできないほど

映画『マンガをはみだした男―赤塚不二夫』が、ゴールデンウィークから東京・ポレポレ東中野、下北沢トリウッドほか全国で公開される。 赤塚不二夫の生誕80周年を記念して制作された同作は、赤塚の肉声と複数の視点から赤塚の多面性を浮き彫りにするドキュメンタリー。赤塚の漫画『レッツラゴン』のキャラクターを案内役に据え、関係者へのインタビューや残された写真、プライベート映像、テレビ番組などの映像とアニメーションを融合させた作品となる。 赤塚を知る関係者として登場するのは、娘の赤塚りえ子や漫画の担当編集者をはじめ、石ノ森章太郎、園山俊二、ちばてつや、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、荒木経惟、坂田明、篠原有司男、田名網敬一、タモリ、若松孝二ら50人超。 監督は『ローリング』などの冨永昌敬が務め、ナレーションを青葉市子、音楽をU-zhaanと蓮沼執太が担当。また2Dアニメーション演出を室井オレンジ、3Dアニメ

2015年初夏、新宿K's cinema他、全国順次ロードショー 2015年初夏、新宿K’s cinema、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次ロードショー! エグゼクティブプロデューサー:小曽根太 甲斐真樹 宮前泰志 池内洋一郎 企画:宮﨑雅彦 プロデューサー:木滝和幸 アソシエイトプロデューサー:磯﨑寛也 宇野航 監督・脚本・プロデューサー:冨永昌敬 撮影:三村和弘 照明:中村晋平 美術:仲前智治 録音:高田伸也 整音効果:山本タカアキ 編集・仕上担当:田巻源太音楽:渡邊琢磨 衣装:加藤將 ヘアメイク:小濵福介 助監督:荒木孝眞 制作担当:佛木雅彦 協力プロデューサー:平島悠三 協賛:一般社団法人水戸構想会議 一般社団法人いばらき社会起業家協議会 特別協賛:㈱ホコタ ㈱サンメイ 製作:ぽてんひっと スタイルジャム カラーバード マグネタイズ 製作プロダクション:ぽてんひっと
冨永昌敬監督待望の最新作『ローリング』は、盗撮で職を追われた元高校教師の転落する様と大人になったその生徒たちの馬鹿騒ぎが茨城県水戸市を舞台に巻き起こる。監督が特別なところと話す水戸でみつけたもの。原作ものではない、久しぶりのオリジナルシナリオでの作品となったこと。『ローリング』をめぐる、冨永監督の現在地を語っていただいた。 ——『ローリング』の企画はどのように始まったのでしょうか。 冨永昌敬:水戸構想会議という実業家の親睦団体があって、水戸短編映像祭に協賛もしてるんですけど、地元の歓楽街を舞台にした映画製作の企画が出て、それに僕が誘われたわけです。そこで確認したのは「ご当地映画ではない」ということ。つまり必ずしも自治体を礼賛するような内容でなくてもいい、ということだったんですね。それで有り難くお引き受けしたわけなんですが、もしお誘いがなかったとしても、2002年に水戸短編映像祭で僕の『ビク

An in-progress catalog and translation of the varioustexts, films andmusic used in Jean-LucGodard's "Adieu au langage". Adieu au langage -Goodbye to Language A Works Cited Introduction Fromitsbluntly political opening (AlfredoBandelli's 'La caccia alle streghe': "Always united we win, long live the revolution!") toits pessimistic fecal humor and word play—with 3D staging that happily puts

グザヴィエ・ドラン監督・主演の『トム・アット・ザ・ファーム』を見てきた。 主人公はゲイの恋人ギヨームの葬儀に出席するため、ケベックの田舎に一人で出かけたトム(ドラン自身が演じている)。トムはギヨームの兄で農場を管理しているフランシスから、母アガットに対してはギヨームがゲイだったことを隠しておけと脅され、友人のふりをすることになる。亡くなった恋人を忘れられないトムは次第に暴力的なフランシスのペースに取り込まれていくが…というスリラー。 これ、Liliesを書いたミシェル・マルク・ブシャールの戯曲を映画化したものだそうで、たしかに場面場面の展開は非常に舞台的で、主な会話とかアクションは密室的な空間で展開する。ただ、畑が広がるカナダの大地を主人公のトムが車で走る場面はカナダの広さを感じさせ、舞台となる農場が非常に隔絶された場所であることを印象づける効果をもたらしている。この隔絶感、ド田舎感がすご

国際的に高い評価を受ける小津作品。ロシアではどのように受け止められているのだろうか。小津映画をロシアに紹介した映画評論の第一人者、ナウム・クレイマン氏に語ってもらった。 小津映画との出会い―純真な子どものようなまなざし 私が小津安二郎(1903-1963)の映画を見たのはずいぶん年齢を重ねてからだったが、かえって子どもの頃に感じるような純粋な喜びとともに作品を味わうことができた。昔からずっと小津を知っていたような気がすることさえあるほどだ。 小津作品に出合ったのは、忘れもしない、1989年、カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の町バークリーでのことだった。パシフィック・フィルム・アーカイブ所長のイーディス・クレーマーと話している時に小津の話題になったのだが、ソ連では上映されたことがなかったので、私は彼の名前と作品内容しか知らなかった。するとクレーマーは心から同情した様子で言った。「初期作品

『幕末太陽傳』(ばくまつたいようでん、新字体で幕末太陽伝とも表記)は、1957年(昭和32年)7月14日に公開された日本の時代劇映画。監督:川島雄三、主演:フランキー堺。モノクロ、スタンダード(1.37:1)、110分。 古典落語の世界観を取り入れた異色コメディ映画で、幕末の品川宿を舞台に起こるさまざまな出来事が、グランド・ホテル形式で描かれる。第31回キネマ旬報ベストテン(1957年度)で日本映画部門第4位に選出されたのちも、時代を問わず観客の支持を得ており、川島の代表作とみなされているだけでなく、日本映画史上の名作に数えられる。 フランキー堺演じる主人公が走り去るラストシーンで、彼がそのままスタジオを飛び出し、(製作当時の)現代の街並みを走り抜ける、という演出構想を川島は持っていたが、現場の反対を受け却下された(後述)。 (※タイトルバックにおいて、製作当時の品川宿=京浜国道・八ツ山橋
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