此処に至るまでには、 島津忠夫「百人一首」(角川文庫ソフィア) 田辺聖子「田辺聖子の小倉百人一首」(角川文庫) 中西進「中西進と歩く百人一首の京都」(京都新聞出版センター) 井上宗雄「百人一首を楽しく読む」(笠間書院) 佐佐木幸綱「百人一首のひみつ100」(主婦と生活社) 「もっと知りたい京都・小倉百人一首」(京都新聞出版センター) 特にこれらの本から受けた影響は多大なものがあり感謝の念に耐えません。 久保田淳訳注「新古今和歌集上下」(角川ソフィア文庫)とウエブサイト「やまとうた」を参考資料として展開する予定です。 詳しい注釈や歌人については、いろんな本を読んだりウエブサイトを訪れて勉強してくださいね。 個人サイトの勝手気ままなものですから、間違いその他突っ込みどころはあるでしょうがご放念下さいませ。 参考資料: やまとうた、千人万首http://www.asahi-net.or.jp/~
最近気に入っている註があって、まあタイトル通りではあるのだがとりあえず次の画像を見て頂きたい。 (『本麒麟』350ml 6缶パック、2022/1/28、撮影は引用者) 「うまさ、極める。」と影付き文字で大きく出ているが惹句なのでそれは別にいい。そんなことを気にしていたら、サッポロの『GOLD STAR』なんかは同時期に6缶パックで「すべてのうまさを、過去にする。」と力強すぎる惹句を打ち出しており、俺は酒類売り場に足を向けてはGOLD STARのパックに書かれた文言を見るたびに、(すべてのうまさを、過去にしてしまったGOLD STAR。その味を、俺達は「うまさ」という範疇で果たして理解することができるのだろうか……?)などと思っては心の中でのみならず普通に顔面もニヤニヤしていた(キモすぎる)ので収拾がつかなくなってしまう。 問題は惹句そのもののデカさではなくて、商品と惹句の関係にある。丁度G

町田康の新作エッセイ『しらふで生きる』が、発売から3ヶ月経った今でも売れ続けている。本作は作家・ミュージシャンである町田康が30年間毎日飲み続けた酒をやめ、酒とはなんだったのか? という問いを柱に、断酒して変わったことやその効用、そして過程などについて書いたもの。ハウツー本のように、辞めるための本ではなく、あくまで自分の経験を書き連ねた内容が、誰もが経験のある酒にまつわる失敗の記憶からか、やけに心に染みる名作だ。今回は、その著者である町田康に、「酒」のことを中心に、執筆のきっかけや文章で伝わる酩酊感などについて語ってもらった。(編集部) (お酒からの)離脱の過程を書こうと思った ――非常に面白いエッセイとして読みました。書いているあいだは、お酒を呑んでいる人や禁酒をしたいと思っている人に向けて書くという意識はあったんでしょうか。 町田:「こうしたらお酒がやめられますよ」といった、いわゆるハ

都会育ちの子どもではなかったから、当然、映画館に通う習慣なんてなくって、つまりおれにとって映画とはゴールデン洋画劇場でみるものだった。多感な時期に観たものはその是非によらず心の深いところに刻まれるから、だからおれの心の中のベストテンはほとんどゴールデン洋画劇場にかかるものに占められている。いまでも、一番好きな曲はシンディローパーの歌う「グーニーズはグッドイナフ」だし、一番怖かった映画は「ロボコップ」だし、1番面白い映画は「ターミネーター2」だし、そしてもちろん、1番好きな映画は「JM」なのだ。でも、残念なことに、これまでの人生でJMを褒める人に出会ったことはなかった。だからおれは、口をつぐんで、1番好きな映画はテレンス・マリック監督の「シン・デッド・ライン」なのだと、意味のない嘘をついて暮らしてきた。でももう僕も34歳だ。そろそろ、嘘と戯れるのはやめて、真実に向き合うべき時期がやってきた。
完璧な絶望が存在するのかどうかは知らないが、完璧な文章、とりわけ完璧な書き出しはたしかに存在し、そのようなものを前にしてはそれが小説なのか小説でないのかはどうでもよくなって、繰り返し何度も読み直すだけである。あと、ぼそぼそ音読して口と耳にも体験させるだけである。それから、手を動かして書き写すだけである。けっこう、やることはある。 《阿房[あはう]と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ。 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になつた時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。さうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れな
先日取引先とキックオフミーティングを行った。生まれてはじめてのキックオフミーティングだった。その集まりをキックオフミーティングと呼んだのは、前任者も毎年プロジェクトを開始する際にキックオフミーティングをしていた、との記録が社内の共有フォルダに残っていたので、それを手がかりにキックオフしたからだった。 キックオフと聞くとどうしてもサッカーやラグビーなどの試合開始時に勢いよくボールを蹴る選手の姿が頭に浮かぶ。 高校生の頃、体育祭のサッカーでなぜかボールの上に玉乗り状態になり、そのまま倒れて背中を打って息が止まった経験がある者としては、とてもいやな気持ちになる。なぜビジネスの場で球技を連想させる必要があるのか。 取引先とのやり取りにおいて、現在どちらが作業をしなければならない状態にあるのかを言い表すのに、「球はどっちにあるのか?」という聞き方をするひともいる。硬いボールがそれなりのスピードで飛ん
生まれてから四半世紀を過ぎるまでずっと、粉薬を飲むのが苦手だった。幼い頃、母親から教えられた飲み方は、舌をUの字型に曲げたところへ粉をさらさらと流し入れるというものだったけれど、まず舌をU字型にできなかったし、舌の上に粉薬をのせると薬を味わってしまい、その味が気持ち悪くて吐いてしまうこともあった。結婚してから妻に教わった飲み方は、舌の下にある歯に囲まれた空間に少し水をためておき、そこへ粉薬を流し込むというもので、この方法なら薬をあまり味わうことなく飲めるのでかなり楽になった。教わるまでずっと病院に行くたびに(粉薬を出されたらどうしよう)とびくびくしていた。他にも怯えることはやまほどあった。物心ついた頃からとにかく心配性で、公園で遊んでいてもどこかで頭をぶつければ脳内出血で死ぬんじゃないかと不安になった。トイレで用を足せば、またすぐにしたくなるんじゃないかと不安になってトイレから出られなく
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、という作家がいる。20世紀フランス文学において、主にシュルレアリスムという文学の潮流において活躍した作家、と言われている。アンドレ・ブルトンやロートレアモン(「手術台の上でのこうもり傘とミシンの出会い」は有名だろう)、トリスタン・ツァラといった面々と比べると、少々マンディアルグの知名度は落ちるかもしれない。 自分語りになってしまうのを承知の上で書くが、シュルレアリスムとの付き合いは個人的に長い。ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』という作品に出会ってからというもの、マンディアルグはもちろん、アルトーやアラゴン、上に挙げたような作家の作品は比較的好んで読んできた。彼らの作品に通底するのは、「タブー」とされているもの―糞便、性行為、血液など―を「語りなおす」という試みだ。しかも、それらは多様な概念とまとわりついている。例えば上のバタイユ『眼球譚』ではそのよう
OnJapanese Translators andJapanese Versions of A la recherche dutemps perdu Kousaku TANAKA Key words Marcel Proust, A la recherche dutemps perdu,japanese version,japanese translator RTP RTP RTP RTP RTP targettext sourcetext RTP E-mail koutnk@ha.shotoku.ac.jp RTP RTP RTP RTP RTP RTP RTP RTP RTP I RTP RTP RTP RTP RTP A J’entendis les pas de mes parents qui accompagnaient Swann; et quand le g
妻が家を出ていったことがきっかけではない、そう男は供述している。妻が出ていってしまったせいでやけになって事件を起こすなんて馬鹿げている、発端は結婚するよりも前にある、社会人になった瞬間からこうなる運命だったのかもしれない、そう銀行員の男は供述している。 供述によると、入行してすぐに行員専用カードローンを申し込んだ、というよりも申し込まされたという。三百万円まで自由に利用できる当座貸越枠を手に入れると、最初は(金利がもったいない、給料の範囲で生活していればカードローンなんて使う必要がない)と考え、借り入れすることを恐れさえしていた新入行員たちは、しばらくするとそれぞれが思い思いの、いわゆる遊興費とよばれる資金使途のためにATMにローンカードを挿入し、暗証番号と金額を入力し紙幣を手にすると、まるで打ち出の小槌でも手に入れたかのように気が大きくなって、二度目の借り入れまで時間はかからなかった、皆
わたしだけがいつも蚊に刺されていた。日本から取りよせたものらしき渦巻き型の蚊取り線香に火をつけながら、思い出した。そういえば、最近は蚊にさされても痒みを感じなくなった気がする。皮膚が赤くなるだけで、さされたことに気づかないこともあった。体質が変わったのか、蚊がひとの肌に痒みを残さずに血を吸えるよう進化したのか。進化したのだとしたら、世界中の蚊がそうなったのか、それとも日本の蚊だけが特殊なのか、そんなことはわからない。 ここは南アフリカ。男がそう言っていた。いや、そうとは聞き取れなかったけれど、手渡された書類の束の中にサウスアフリカという単語がみえたから、きっとそうだと思う。窓際に据えつけられた木製の机はコの字形をしているだけで引き出しがないので、書類の束は机の上の左端に置いてある。机の上には一冊のノートと鉛筆と消しゴム、ハンドルを回すタイプの鉛筆削りが置かれていた。祖父の家に同じタイプの鉛
陽は昇りきって南中し、眩しさに目を細めつつハンドルを握り、(これはロシア民謡だったかな)と考えながらテトリスのBGMをくちずさんではいるものの、途中で立ち寄ったコンビニエンスストアで買って車内で食べたサラダ巻きの海苔が歯に挟まったのを舌で取ろうと試みるたびに鼻歌は中断されたが、彼の頭の中では音楽は途切れず、急き立てるように流れ続けていた。 流れるラジオはエアコンの動作音に負けないボリュームで世界各地の風力を伝え終え、語学講座が始まり、ロシア語ではなくフランス語で、レストランに入店するところから料理を注文するところまでをレクチャーしていた。 (地元の方言で地元民に媚びを売る、ローカルタレントのくだらない話は聴きあきた) それまでローカルタレントが、リスナーから送られてくる「日常生活で起きたおもしろい出来事」を読み上げて何かコメントをするラジオ番組を好んで聴いていた彼が、急にそう考えてラジオの
In his novel “Submission,” Michel Houellebecq imagines France in2022, with a Muslim president.Credit...Miguel Medina/Agence France-Presse — Getty Images PARIS — The cover of this week’s Charlie Hebdo, the French satirical newspaper that was the target of a massacre on Wednesday by masked gunmen, featured a cartoon depicting Michel Houellebecq, whose polemical — some say prophetic — new novel, “Su

前の記事で、「ナボコフは、フロイトやドストエフスキーは結構読んでそうだけど、サルトルは何読んで嫌いになったのかな? と思った。」と書いたが、"Strong Opinions"の後半のエッセイ編の二つ目の記事にナボコフの英訳版『嘔吐』書評が載っていた。「サルトルの初めての試み」("SARTRE'S FIRST TRY",1949)というタイトルだ。"Strong Opinions"自体、日本語訳がないので、たぶんこの書評は、日本未紹介だろう。中身は、誤訳指摘+内容の要約+作品評価といったもので、こんな感じ。 (ネット上では、ここ Sartre's First Try で原文を読めるようだ。ただし、"Strong Opinions"バージョンではなく、誤訳指摘4 を削除した初出のもの 2013/12/10追記) Strong Opinions (Penguin Classics) 作者: Vl

“Gravity’s Rainbow,” Thomas Pynchon’s gargantuan parable of rocketry, sex and a wholebunch of other stuff, turned 41 this year — six years older thanits author whenit was first published. What happens when a novel whose scenes of coprophagia and pedophilia moved Pulitzer trustees to cancel the prize in 1974 (when Pynchon seemed poised to win) eases into middle-aged, canonical respectability? We

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