20代後半の息子がニート。 最初は厳しく接してしまっていたが、一時期は本当に精神状態が悪化してしまった。 自殺や引きこもり化を防ぐために妻と考えて話し合った結果、以下のことが決まった。 ・息子の現状を一旦肯定する ・息子ができることを肯定する ・息子が社会と接点を失わないようにする 息子はドライブとゲームセンター(UFOキャッチャーや、フックを引っ掛けてキーホルダーをとるやつ)が好きだ。 そこで息子に、ゲームセンターでぬいぐるみやフィギュアやキーホルダーを取ってもらい一緒にフリーマーケットでそれを売る、ということを発案した。 それで金や生活費を稼げというわけではない。 売るだけならメルカリだってできるし、その方が利益もあるかもしれない。 ただ、得意なものを肯定したうえで、社会との接点を失わせたくなかった。 息子は二つ返事で了承してくれた。 軍資金を渡すと一週間かけて想像以上にたくさんの商品

家で使う用のオフィスチェアを土曜日に買いに行ったんだけど ついでに家で暇そうにしてた母親連れ出してみた 中古オフィスチェア屋で「良いイスってこういう所が良くて~」って母親座らせながら説明してたら 母親も良い椅子の魅力がわかったみたいで3万くらいの中古の椅子欲しがったので自分のやつのついでで買ってあげた 帰りに諏訪湖の周りグルグル走りながら諏訪湖畔が歩道整備されててウォーキングするのに良い話をしたり 「この水門から出てく水が天竜川」とか「あれが八ヶ岳」とか「あれが高島城」とか観光ガイドみたいにいろいろ諏訪を紹介しながらドライブした 母親が寿司好きなので諏訪湖近くの魚類がめっちゃおいしいと評判のスーパーに寄っておいしい寿司買って 諏訪大社前とか走ったり道端の桜眺めながら帰宅した ちょうど桜が一番きれいな時季で天気も良かったから母親も大満足なドライブデートになった 独身だから休みもずっと一人で出

父が死んだので数年ぶりに帰省した。仕事から帰って寝ていると思ったら死んでいたそうで、実家の母は慌てふためきながら救急車を呼び、死亡確認後の諸々の手続きやら準備やらをやっていた。 幼少期を過ごした家から引っ越しをした実家に足を踏み入れるのは初めてだった。 和室に父が安置されていた。少し頬がこけてやつれた印象はあるが、概ね記憶通りの父を眺めた。私は父が嫌いだった。 私はお葬式は死者のためというよりも、『生きている人が気持ちを整理するためもの』という理解でいる。個人的には何も思い残す事はないので、そのまま焼いてもいいくらいだった。数年前の祖母の葬儀は家族葬で、母はその雰囲気も悪くないと思っていたようなので、そうなるか思いきや、兄が「ちゃんとやりたい」と言った。兄は祖母が亡くなった時は遠方にいたため、祖母の葬儀には参加していない。 兄は屁理屈をこねるのが上手く、昔から母は丸め込まれていたので、今

私(27)「ただいまー」 弟(24)(在宅勤務中)「......おかえりー」 私「ママは?」 弟「お友達と飲み会だってー、ご飯はハンバーグだって」 私「はーい」(ハンバーグ冷蔵庫から出してチン) いい歳していつまでも実家住んで母親にご飯作ってもらって情けないとも思うけど、もはやこの歳になるとこれって逆に究極の幸せなのではと思えてきたからそれはそれでいいかな 両親の健康に感謝しているし、これからも健康でいてほしい

「今の時代大学行かないと職がないからな」 そう言って国公立という条件付きで大学行かせてもらった。 「1番金がかかるな」 そう言いつつも大学院に進学させてもらった。 学費免除は自分で調べて申請した。半額免除だった。 奨学金も借りた。けど両親は「借りすぎると返済できなくなる」と言い最低金額しか借りさせてくれなかった。 毎月仕送り貰った。 大学院になると平日はバイトに入る暇もなく、土日も学校とバイトの往復で生活費は十分に稼げず、仕送りを増やしてもらった。 世間でも名が知れた企業に入社が決まった。 昨今の賃上げの流れに乗ることができ、2年目で額面30万貰えることになった。 運転が下手くそなので、安全装置の充実した中古車を買った。バスなんてこない田舎に住んでるからだ。 親の車よりよっぽどグレードも装備品も良い。 両親はどちらも高卒だ。 昨今の働き方改革で残業代は出なくなったらしい。 元々月給は高くな

私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。 もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。 父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。 この家に育って何が起きたか。 物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。 それは認めるし、親としては感謝している。 だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。 少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。 また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。 自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。 私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していな

アブスト 結婚の見込みがない29歳正常独身青年が、ご先祖様に申し訳ないという気持ちから先祖の戸籍を請求した。6市町から31通の戸籍謄本を取り寄せ、Excelにまとめた。戸籍制度の変遷や行政区画の歴史を知ることができ、何故か海外移民の歴史にも繋がり、祖父母との会話のきっかけにもなった。独身の暇つぶしにはもちろん、子供の自由研究にもおすすめである。かわいいあの子と新戸籍編製したい。助けて。 背景・目的俺が末代だ(誤用)→ ご先祖様に申し訳ないにゃあ → そもそも先祖って具体的に誰やねん → そうだ、戸籍、取ろう ワイ、29歳素人童貞。自分は子孫を残せないかもしれないというぼんやりした不安がいよいよ現実味を帯びてきた今日この頃。親にも祖父母にもご先祖様にも顔向けができぬと思った時、はて自分の先祖ってどんな人たちだったんだらうという疑問が湧いてきた。祖父母に聞いてみても、こんな先祖がいたという話は

実家が太い云々という増田を目にして、俺もつい自分の人生について書きたくなった。 約30年前、俺は両親が医者の家庭に長男として生まれた。 医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。 そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。 まず前提として俺の家系は代々医者の一族で、父方の祖父が地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院の理事長をしていた。 その祖父の思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。 母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。 当時は家や身なり

タイトルそのまんまだが 職場で有給がとりやすくなり、 例えば金曜に有給とって金土と旅行に行けば ちょっと空いてる、宿代も安いといいことずくめ! と妻に相談したら学校を休ませるなんてありえないと反対くらった。 1日休んだら授業についていけなくなると。 ブラックな職場やブラック部活って小学校、またはこういう母親から始まってると思うのだけどどうかね? <追記> 「子供に学校サボり癖がついたらどうするんだ」ってきたが回答としては ・極端に低いリスクで考えるほどでない。 それより旅行で得られる体験、経験が日々の学校に行く元気の源になると信じたい。 よく学び、よく遊べ、でいいじゃん。 <追記2> わあ、びっくりした。 3年前書いたものがいきなりはてぶトップに 来ててびびった。笑 誰が持ち上げたんだろ? 結局、この後コロナで旅行なんて 言ってられなくなりましたね。 学校休ませて旅行に関しては妻の理解は

犬を飼っているという職場の先輩に 「なんで犬を飼おうと思ったんですか?」 と質問したら 「犬じゃなくて○○(その犬の名前)って呼んでほしいな。家族だからさ、そういうの嫌なんだよね」 という意味の分からないことを言われて、とても気持ち悪かった。 ペットを家族の一員と思うのは全然良いんだけど、まるで息子や娘のように人間扱いするのは本当に理解できない。 ブラックジャックの庄造さんみたいな人、正直恐い(あの話は好きだけど)。

俺は無理だな。 例えば、って例をあげてみると 窃盗犯が家族にいる伴侶を得たとしよう。盆正月に伴侶の実家に集まるって時に、財布にクレカやキャッシュカードを入れた状態で、家のどこかに置いとける? レイプ犯が家族にいる場合なら、年頃の娘を連れて実家に行けるか?ロリコンなら、幼児を付けて行けるか?薬物犯に自分の子供を無警戒に接触させられるか? 元殺人犯、傷害犯と密室で二人きりになれるかね?放火魔に自分の家の所在を教えられるかね? 俺はどのケースでもNOだね。自分が被害者になる事だけは避けなくてはならないが、犯罪の被害者になるのを避けるための最もいい手段の一つが 元受刑者とは絶対に関わらん事なのは、高い再犯率を考えれば議論の必要すらない事実でもある。 犯罪者の家族とかかわりを持つってことは、犯罪者とかかわりを持つって事と等しいし、避けるのは当然だと思うけどな。 犯罪者本人じゃない?そんなのは承知の上

もうすぐで70になろうかという母が「日本橋まで山本山のほうじ茶を買いに行きたい」と言い出した。 欲しいのは、3年前に友達のHさんと日本橋に行った際にお勧めされて買った、店舗限定お徳用ほうじ茶で、通販はしていないらしい。 確かに数年前、母が「やっぱり専門店のほうじ茶は味が違う」とやたらと騒いでいたことを思い出す。 母はガラケー使いで方向音痴だ。コロナウイルスの蔓延する最中、余所様に道を尋ねるのも申し訳ないと言う。 仕方ないので、店舗限定お徳用ほうじ茶1パックの報酬で、人間GoogleMapとしてお供することになった。 あっさり山本山に着いたが、母は「こんなに白い店じゃなかった」と宣う。「店のイロチとか知らんがな」と薄情なムスメが考えている間に、母は店員さんに「この店、昔からこんな色でしたか?」と、老人性の申し訳ない質問をしていた。どうやら、このお店は2018年の秋にできたらしい。そうなると

中学生になった娘がコロナ休み中、ずーーーーーーーーーーーーーと、スマホいじっている。 それを見て、妻が発狂寸前というかもう発狂していて、1時間に1回は娘と激しく喧嘩してるし、俺ともしょっちゅう喧嘩になる。 もう中学なんだから親の言うことなんか聞きっこないっていうのは自分の経験上わかりそうなものだけど、やっぱり女親っていうのはなんとかしたいと思うものなのかね。

精神疾患をもつ父親に友だちができ、家族一同毎日小躍りしている。うれしくてたまらない。 還暦を過ぎたいい大人の人間に友達が一人できたぐらいで何を大げさな、と思う御仁もあるかもしれないが、 今回ばかりは許してほしい。何せ父に友だちができたのだ。それもまともな友だちが! 父は30年以上前に統合失調症と診断され、以来入退院を繰り返している。精神疾患を抱えながらも、私達子供を食わすために 無理に働きに出てはクビになり、体調を崩して入院するという生活が10年近く続いた。そのたびに父は激しい劣等感と自尊感情の低下に 苛まれ、ことあるごとに私たち家族に「ごめんなあ、ごめんなあ」と言っていた。 私の記憶の中の父は、いつも縁側でタバコを吸いながら力なくうなだれていた。 父はとても優しく、人のことを悪く言わないという美点がいくつもある反面、口下手で気が弱かった。 そのため、精神病院の少々ガラ悪めの人々にしょっち

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