20代後半の息子がニート。 最初は厳しく接してしまっていたが、一時期は本当に精神状態が悪化してしまった。 自殺や引きこもり化を防ぐために妻と考えて話し合った結果、以下のことが決まった。 ・息子の現状を一旦肯定する ・息子ができることを肯定する ・息子が社会と接点を失わないようにする 息子はドライブとゲームセンター(UFOキャッチャーや、フックを引っ掛けてキーホルダーをとるやつ)が好きだ。 そこで息子に、ゲームセンターでぬいぐるみやフィギュアやキーホルダーを取ってもらい一緒にフリーマーケットでそれを売る、ということを発案した。 それで金や生活費を稼げというわけではない。 売るだけならメルカリだってできるし、その方が利益もあるかもしれない。 ただ、得意なものを肯定したうえで、社会との接点を失わせたくなかった。 息子は二つ返事で了承してくれた。 軍資金を渡すと一週間かけて想像以上にたくさんの商品

2003年11月~2005年10月まで「若林史江の株でバンザイ」を運営していた時、メルマガに書いていたKプロデューサーこと私のノムラ證券時代の実話です。夕刊フジに「巨大證券残酷物語」として毎週金曜にも連載されています。 このブログは、2003年11月~2005年10月まで、若林史江さんと、弊社のスタッフみんなが協力して、友人の芳賀さんの運営するインターネットTV「あっとおどろく放送局」で放送していた「株でバンザイ」(旧番組名じゃぱねっと株だ!)で発行していたメルマガに、私Kプロデューサーが書いていたコラム「Kプロの独り言」のコーナーを改称して書き始めた、私の自伝(笑)です。最初は、無料メルマガだったので、番組のHPでも掲載されていますが、途中で有料メルマガに移行したので、後半部分は大勢の方が読めませんでしたので、改めてブログを立上げ公開したいと思います。 ちなみに、私の会社は、株式

今日は、医療の現場で見かける普通じゃない存在について紹介したい。 普通じゃないと言っても、悪い意味ではない。 逆だ。 特別に、非常に、具合が良い人達についてである。 非常に長く活動し、命の砂時計がゆっくり落ちていく人たちについて述べたい。 1.精神科には元気な高齢者も通院している ありふれた病院でありふれた精神医療をやっていると、ありふれた患者さんと接点を持つ機会も多い。 精神医療をやっているからといって、極端な精神症状を持っている人ばかり診療しているわけではない。特に外来診療では、「うつ病が治った後にも再発せず、けれども若干の維持療法が必要な人」「睡眠導入剤を定期的にもらいに来る人」なども珍しくない。 最近は、認知症のさらに手前のMCI(Mild Cognitive Impairment)と呼ばれる状態の患者さんを診る機会も増えた。直訳すれば、「マイルドな認知機能の差しさわり」となるだろ

これは心肺停止になった肉親を自分の勤務先の病院へ搬送することになった医師のはなし。 まだ死後3週間と未だ受容し兼ねる時期ではありますが、そのとき思ったことや考えたことを忘れないうちにどこかに残しておこうと思いここに書きます。文章の才能はありませんので悪しからず。 先日父が急死した。60歳だった。 普段なら夕食後トイレに出てきたりするはずなのに物音がしないので部屋へ様子を見に行ったら心肺停止の状態だった。 すぐに救急要請し胸骨圧迫(心臓マッサージ)を行った。これまでのキャリアで最も必死で行った心マだったと思う。 病弱な母に救急隊との連絡を任せて心マを続けること4分程、遠くからサイレンが近づいてきた。と思っていたらすぐに救急隊員たちがマンションの部屋まで駆け上がってきた。余裕がなくて全く分からなかったけれどもたぶん見知った顔の人たちだ。 既往歴やかかりつけ医療機関を伝えたら「最も近い〇〇病院(

はじめに どれだけ技術を学んでも、どれだけ正しいプロセスを知っていても、燃え尽きてしまったら意味がない。才能ある若者たちが最初は誰よりも速く理解して、誰よりも多くのコードを書いていたのに、数ヶ月後には姿を見せなくなる。「疲れた」と言って離れていく。 逆に、最初は遅くても数年経った今も黙々と学び続けている人たちがいる。彼らに共通しているのは、自分を大切に扱う習慣を持っていることだった。ちゃんと眠る。ちゃんと食べる。ちゃんと休む。そしてちゃんと掃除する。その中でも最も基本的な実践が、掃除だ。 在宅勤務を始めて六年目のある朝、ふと自分の部屋を見回した。 今、部屋は比較的綺麗だ。床に物は落ちていない。デスクの上も整理されている。技術書も本棚に並んでいる。窓を開けて空気を入れ替える習慣もついた。カーテンも開いていて、部屋の中は明るい。 30歳のエンジニア、独身。在宅勤務という働き方は自由をくれたはず
がん研究への寄付が増えている。きっかけは、今月がんで亡くなった北大生の中山奏琉(かなる)さん(22)が生前、Xに投稿した「グエー死んだンゴ」の8文字。父親の和彦さん(48)=北海道津別町=は「多くの…

【追記】 皆さんありがとうございます。トラバもブコメも全部読みました。ご自身の経験を書いてくださった方も多く、参考になります。 大したことじゃないのに悲観しすぎかなとか、現状から目を背けようとしていたけど、だめですね。仕事における責任を考えるなら、これ以上悪化しないうちに手を打つことが何より必要だと思うことにします(奴隷根性全開ですみません。でもそうして大義名分風にすることが、自分にとっては一番楽なので……)。 仮に休んだらキャリアはどうなるのかとか色々と不安はあるけど、このまま同じペースで働き続けて悪化させるよりは絶対に良い!はず!!! 初診予約の電話を、明日一番でかけてみます。 皆さんにも、少しでも良いことがありますように。本当にありがとうございました。 【追記ここまで】 20代後半女。この半年ほど、残業が月60〜80hくらい。 最近、ふとした時に涙が出るようになってきた。一人で作業

超重要追記 反響受けネット公開だって 前編 gendai.media 後編 gendai.media もう、本当にくらくらするようなニュースだった。 荒俣宏氏が蔵書を処分週刊現代2025年10月27日号。字を高齢者向けに大きくしたら内容も高齢者向けになって読むところがねえ、とさんざん悪口言ってきて、実際そうだと思うんだが、まれにそんな高齢者向け記事でも重要なものはある。 それがこれだ 週刊 現代 (2025年10月27日号) 講談社Amazon ※余談 この号の「カンボジア特殊詐欺集団にインタビュー」も話題。この号は神回? なんかこの週の週刊現代、カンボジア特殊詐欺、荒俣宏の蔵書処分、高齢者向けスマホの使い方と話題の記事の多い「神回」なんだな。 “週刊現代のカンボジア特殊詐欺グループ日本人リーダーの独占取材が赤裸々で興味深い『東北はカネが無く、関西は顧客の態度が悪くて…” https://

ふと懐かしくなって、昔のTwitterや画像を最近ずっと漁っていた。今では超国民的俳優になってしまった横浜流星さん。私が人生で一番大好きで、今でも忘れられなくて、もはや心の中で神格化されちゃってる元推し。 若かった頃のちょっとした思い出と暴走を振り返ってみる。 忘れもしない2014年4月6日、「烈車戦隊トッキュウジャー」第7駅(トッキュウジャーは◯話のことを◯駅と呼ぶ)放送日。 バイト先のテレビでその放送を偶然見ていた私は、オープニングで流星くんが演じているヒカリが列車の窓際でもたれかかっているカットに衝撃を受けた。 「……何だこのかっこいい人……!」 当時、私は16歳、横浜くんは17歳。高2と高3であった。その頃私は嵐・二宮担を降りて、セクバ(死語)についていた中村嶺亜くんを追っかけるお金を貯めるためにバイトを始めた直後の衝撃の出会いである。 すぐに猛スピードで情報を調べた。スターダスト

祖父母の姿を見てきた。 元気に動けるのは本当に60歳か65歳。運がいいと70歳までだ。奇跡が起きると80歳までいける。 寿命は長い。幸いにも80歳を超えても体は元気だ。脳みそは死んできてる。 もう、全く楽しそうじゃない。 ずっと、祖父母は趣味でカラオケに行ってた。 でも、今は外に出れない。記憶力が低下して、それどころじゃない。 カラオケの個室まで行けば歌える。歌えるが、それ代わりに、付きっきりで世話する人の時間を食う。仕事してたら世話できない。金を払って誰かに付き添ってもらう?そんなことをすれば、働いた分の金が消えていくだけだ。 こんなのは延命でしかない。 さらに言えば、食い物に関する文句も多い。味が分からないそうだ。甘味は分かるらしいが、他は全く。カップラーメンすら味が分からんみたいだ。 しかし、祖父母は死にたいとは言わない。生きたいとも言わないが。 長生きするのが当たり前という考え方な

もうすぐアラフォーのアラサー。男性未婚子供無し。 20代の半分をニートで過ごし、ろくなスキルもなく経歴ズタボロのまま30代を迎えた。このままじゃやばいという焦りと、その当時勤めていた会社で使うかもなという思いからプログラミングを始めて、3年ちょいになる。 最初はExcelVBAだった。学びながら、自分だけが使う作業時間集計アプリを作った。アプリを使ってるうちにそれが会社に認知されたから、今度はVB.NETで業務に使うRPAもどきを作った。その頃にN予備校のプログラミング講座がすげえバズってたので、それでNode.jsも学んだ。プログラミングを学び始めて約1年で応用情報を取った。Node.js使って独力で小規模な業務システムを作って、それをポートフォリオに転職活動をした。地方製造業の社内SEとして採用された後、その企業と懇意にしている東京のITベンチャーに能力を買われてそこに転職し、今に至

ひるね @hirunenko0808 わたしの母はお料理も掃除も洗濯もしてくれた。学校にも通わせてくれた。お弁当も毎日作ってくれた。 まいにち不機嫌な顔で起きてきて、イライラしながら朝食とお弁当を作ってくれた。 怒った顔で宿題を添削し、溜め息をつきながら洗濯物を畳んでくれた。 わたしは何不自由なく育ててもらった。学校にも通わせてもらったし、病気になったら病院にも連れて行ってもらった。 でもどんなに身の回りのお世話をしてもらっていても、お母さんが不機嫌でイライラして怒って溜め息をついている。こんな態度じゃあ、子どもは愛されているなんて感じられないよ。 私が受け取っていたのは母親の不満や被害者意識。とにかく嫌で嫌でたまらないという空気だった。 2025-09-15 16:02:15 ひるね @hirunenko0808 お母さんって家庭の雰囲気を決定する灯台のような存在なんだよね。 手の込ん

今近くにいるんだけど、一緒に帰らない? そんなこと初めてだったからちょっとびっくりしたんだ。近くで用事でもあったのかな?って思ったけど、声のトーンが軽かったから特に深刻な雰囲気でもない。 合流したら「歩いて帰らない?」って妻が言う。 会社から自宅までは電車で二駅。歩けない距離じゃない。 断る理由もないし、たまにはいいかと並んで歩き出した。 他愛もない雑談をしながら歩いて仕事の愚痴とか、今日の晩ご飯何にしようか?とかそんなことを話していると妻が言ったんだ。 今日テレビでしりとりやっててね、なんか久しぶりにやりたくなっちゃった。 いいねと歩きながらしりとり。久しぶりにやると意外と盛り上がる。 でも大人になって改めてやってみるとなかなか終わらない。妻の番で「あ」が回ってくると、言い淀むように声を止めた。 それから少し間を空けて、妻は 「赤ちゃん」と答えた。 俺は反射的にん付いてるよーっ!ってテン

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