皇居横にある「戦争博物館」が担う役割 日本では公的な歴史博物館が全体像を示すことを避けがちなため、民間の歴史博物館がそれに代わってはっきりとした歴史観を提示することが多い。その代表的な例が、靖国神社に併設された遊就館である。 遊就館は、1882(明治15)年、靖国神社の境内に武器陳列所として設立された。名前は、『荀子』勧学篇の一節「故に君子は居るに必ず郷を択えらび、遊ぶに必ず士に就く」から取られた。戦前、靖国神社は陸軍省が建設や経理を担当していたため、遊就館も陸軍省が管理する国立の軍事博物館という性格を持っていた。 日清戦争や日露戦争などを経ることで展示も充実したものの、1923(大正12)年の関東大震災により、設立当時の建物(イタリア人カペレッティによるイタリア古城様式)が損壊。1931(昭和6)年10月、伊東忠太設計により東洋風に建て直された。これが現在の本館にあたる。 敗戦後、靖国神

本日、大東亜戦争終結から八十年を迎えました。 あの戦争の記憶をたしかに持つ国民はごく僅かとなりました。終戦当時、成人であった人が百歳を超える歳月が過ぎ、大東亜戦争はすでに歴史となったと言えます。ただし、惨禍を繰り返さないために、あの戦争がいかに始められたかを総括する必要がありますが、日本政府はこれを避けてきたとも言えます。 大東亜戦争の直接の原因は、昭和十六年八月のアメリカからの石油の全面禁輸です。当時、日本が全消費量の八十パーセントを頼っていたアメリカの石油を止められるということは、国としての「死」を意味しました。このとき石油備蓄がどれくらいあったか正確なところは不明ですが、仮に半年分あったとしても昭和十七年の二月には日本の経済活動はほとんど途絶えることとなったでしょう。当然アメリカ政府はこのことをわかっていました。 日本が「死」を回避するには、アメリカから突きつけられたハルノートの要求

【ロンドン=黒瀬悦成】英国で最も権威のある首都ロンドンの国立軍事博物館「帝国戦争博物館」で行われている「紛争下の性暴力」に関する特別展で、いわゆる慰安婦問題に関して「若い女性が日本軍に強制的に性奴隷にさせられた」と断定するなど事実に反する内容の展示が含まれていることが分かった。日本政府は関係者に対して「強い懸念」を表明し、「適切な対応」をとるよう求めた。 特別展は5月23日~11月2日の期間限定で、博物館が英国内外の民間団体や有識者の協力を得て企画した。協力団体には韓国最大の慰安婦関連団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」が名を連ねている。 会場の展示案内では、第一次世界大戦下のドイツ兵による占領地での女性への暴行や、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)による少数派ヤジディ教徒への迫害の紹介に加え、旧日本軍が先の大戦で「慰安婦部隊を創設した」とする、事実と異なる記述

林官房長官(中央)に要請書を手渡す自民党の保守系グループ「日本の尊厳と国益を護る会」代表の青山繁晴参院議員(右から2人目)ら=7日午後、国会自民党の保守系グループ「日本の尊厳と国益を護る会」代表の青山繁晴参院議員らは7日、林芳正官房長官と国会内で面会し、戦後80年の節目に石破茂首相が調整している先の大戦の検証について、中止するよう申し入れた。安倍晋三元首相による戦後70年談話で「謝罪外交を明確に終えることになった」と強調し、検証を踏まえた首相の発信も控えるよう求めた。 林氏は、面会後の記者会見で「石破内閣はこれまでの首相談話を含め、歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と説明した。戦後80年に向けたメッセージの在り方に関しては「何ら決まっていない」と述べた。

産経新聞「正論」メンバーで評論家の西尾幹二(にしお・かんじ)氏が1日、老衰のため死去した。89歳。葬儀・告別式は家族葬で執り行う。後日、お別れの会を開く予定。 東京都生まれ。東京大文学部を卒業後、同大大学院修士課程修了。静岡大講師などを経て、昭和50年に電気通信大教授に就任した。ニーチェやショーペンハウアーといった19世紀ドイツ思想史研究の第一人者としても知られた。作家の三島由紀夫らとも親交を深め、文芸評論家として文壇にも活動の幅を広げた。 先の大戦で日本とドイツの戦争責任を同一視する論調を批判し、戦後補償などについて保守の立場から論陣を張った。戦勝国が一方的に敗戦国を裁いたとの認識の下に東京裁判の不当性を訴え続けた。平成6年に第10回正論大賞を受賞した。 近現代史を中心に日本をことさら悪く描く「自虐史観」の是正にも力を注いだ。平成9年には、教科書の正常化を目指して「新しい歴史教科書をつく

2021年1月、はてなブックマークで以下の記事が多少話題になった。 日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策 - 佐藤由美子の音楽療法日記 佐藤氏が気にかけていたのは、あくまでも日本語版Wikipediaの日本の歴史認識問題についてのみだったようだが、私は当時から、いわゆるホロコーストに関しても、歴史修正主義者のWikipedia上での活発な活動を知っていた。奴らは、ちょこちょこちょこちょこ、関連記事を編集していたのを目撃していた(実際にはネットで知り合った人から教えてもらったw)。その時から、私の奴らとの孤独な戦いが始まった。本当に孤独で、誰か他におらんのか?と思うほどである。 そんな戦いをしているのは私(と他に何人かはいるかもしれんがよく知らない)くらいかもしれないが、とにかく日本語版でのホロコースト否定派に属するであろう歴史修正主義者はWikipediaで暗躍

今度の都知事選、現職の小池百合子氏が出馬するなら3期目を狙う立場になる。 ではこれまでの小池都政のレガシーとは何だろう? 本人は6月7日の会見で、 《2期目のレガシー(遺産)は何かと問われ、18歳以下の都民に月5000円を給付する事業「018サポート」や高校授業料の実質無償化について所得制限を設けなかったことを挙げ、「これらの所得制限を外すことは私のレガシーの一つだ」と述べた。》(毎日新聞6月8日) 小池都政の「負の遺産」 一方で、明治神宮外苑の再開発が「負の遺産」ではないかという質問に対しては「認識の差だと思う」と答えた。これらの質問は「報道特集」(TBS系)の日下部正樹キャスターが質問したものだ(8日の放送で流していた)。質問はまだあった。小池知事が関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に、なぜ追悼文を送らないのか? である。追悼文は就任翌年の2017年から7年連続で送っていない。 私はこれ

群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に建つ朝鮮人労働者の追悼碑。戦時中に動員された朝鮮人労働者の追悼を目的に建立された。市民団体が2001年に群馬県議会に請願し、自民党を含む全会一致で趣旨採択され、市民団体が県の許可を得て設置していた。 ところが、2014年になって県と議会の態度は一変する。保守系団体などが、追悼碑の許可取り消しを求める請願を県議会に提出したところ、賛成多数で採択された。ほどなくして、群馬県も不許可にする。そして今年に入り、群馬県は追悼碑をついに撤去した。 ただ、分かりにくいのは群馬県が不許可にした理由だ。市民団体が毎年開く式典で「政治的行事を行った」から不許可にするという。 確かに、群馬県はもともと許可した際にこんな条件を付けていた。 「宗教的・政治的行事および管理は一切行わない」 では、政治的行事とは何か。群馬県は、式典で市民団体が「強制連行」に触れる発言をしたことを問題

SNSなどでは、アイヌ民族のあれやこれやに対し事実誤認や偏見に基づく暴言や誹謗中傷、ヘンテコな誤解が呟かれている。実際にはその先には当事者がいて、それらの暴言や誹謗中傷によって傷つく人がいる。気軽に呟くその言葉はそのままヘイトスピーチにつながっていることも多い。本noteはそれらの事実誤認に応えるために開設した。心当たりのある方は悪意のある言説に乗せられ、犯罪者にならないためにもお読みください。 ※ここではアイヌに対して日本のマジョリティである日本民族、和人を「和民族」と統一して表記します。 アイヌ民族は北海道の先住民族ではない、のか?まずは、先住民族とは?、というところから始めよう。 「先住民族とは一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化

広島市の新人職員の研修で、戦後廃止された教育勅語を一部引用して市長が指導しているということが10年以上にわたって続いていたーー。そんなニュースを、共同通信が先日独自取材で報道し、他社も同様の報道をしました。 これを受けて、研修や人事などを所管する広島市議会の総務委員会が12月14日に開かれた際、一部の議員からこれについて広島市の見解を問う場面がありましたので、テキストおこしをしておきます。 「国際平和文化都市」を標榜する一方で、広島市がいかに戦後の民主主義や日本国憲法を後景化してきたかがありありとわかる内容ではないかと考えます。広島の外から、今の広島はいったいどのように見えるでしょうか。 中森辰一議員(日本共産党): それでは、二つ目の、広島市に新規採用された職員に対する研修の際に使用される資料の中で、生きていく上で心の持ち方に関するページで、我々の先輩が作り上げたもので良いものはしっかり

1.呉座さんの訴訟と和解の概要およびその意味 すでに周知の事実ですが、さる2023年9月末、2021年3月に発覚した呉座勇一さんのネット上の差別的な数多の暴言をめぐる騒動と、そこから派生した訴訟について、続けざまに大きな進展というか結末が示されました。国際日本文化研究センターで内定していた准教授への昇任を撤回された呉座さんが、日文研の上位機関である人間文化研究機構に対し起こした地位確認の訴訟と、呉座さんの一件をめぐって出されたオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が、呉座さんの名誉を毀損したものであるという訴訟が、相次いで和解したのです。 その結果は、呉座さんは助教として日文研に復帰(再度准教授承認が内定しなおしたのかどうかは分かりません)し、名誉毀損訴訟は呉座さんの側が訴えを取り下げ、オープンレターが呉座さんの名誉を傷つけるものではないとの同意をして、和解したものでした。ただし
7月17日の企画総務委員会で、驚くようなやり取りがありました。「永住権を持つ外国人に地方選挙権を与える」ことを求める陳情の審査の中でのできごとです。私自身はこの委員会のメンバーではありませんが、録音で確認しながらそのやり取りを再現してみます。 (録音はだれでも聞くことができますし、データで開示を求めることもできます) 選挙管理委員会事務局長 これ(特別永住者)はどのような方たちかということを説明させていただきます。 日本がかつて、朝鮮半島や台湾を植民地支配していた時期に日本に渡り、そのまま日本で生活基盤を築いた方々およびその子孫が永住することを認められている制度で、いわゆる在日朝鮮人、台湾人です。 A委員 今、資料の説明の時にですね、日本が韓国や台湾を植民地支配をしたとおっしゃいましたね。 植民地支配なんかしてないですよ。日韓併合条約というのはしっかりと韓国側も承諾している国際条約ですから

昭和30年に長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)を取りあげたNHK番組「緑なき島」を巡り、NHK幹部が19日の自民党会合で、坑内とされる映像の撮影に使われたフィルムは放送と同じ年の30年製だったと説明したことが分かった。坑内映像は韓国のテレビ局などが、朝鮮半島出身者が戦時中に軍艦島で強制労働させられた証拠の一つとして使用している。終戦から10年後に撮影された映像だと裏付けられたことで、韓国側の主張の一端が崩れることとなる。 複数の関係者が明らかにした。19日に開かれた自民の外交部会と日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会の合同会議に、NHKの山名啓雄専務理事が出席し、明らかにした。 番組の坑内映像には、狭い坑内でふんどし姿の炭鉱労働者が採炭する光景が映っており、韓国メディアが軍艦島を「朝鮮人強制連行」と関連づけて映像を使用するケースが相次いでいる。韓国・釜山の「国立日帝強制動員歴史館」でも

インドのネール首相から「日本が300万人という尊い命を犠牲にして戦ってくれたお陰で、我々は独立できた」 という書き込みをツイッターで見ました。……怪しい。こういった「名言」はデマも多く、そしてそのデマをまとめて書籍にしたり、ネットの有象無象に書き込まれたりするのですが、上記発言を検索すると全然出てこない。現状、グーグル、ツイッター、5ch過去ログを見た限り、下記の3つのツイートのみです。なお「ネルー」、「ネール」とこの記事では表記が揺れていますが、一般的には「ネルー」の方が多いようなので基本的には「ネルー」、デマ発言の引用の際には「ネール」と記述しています。 https://twitter.com/2cnVN0qBlipIR7U/status/1058248483814039552 https://twitter.com/PNFBLRp1Ulm4pGh/status/12944794092

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