ある侍女の告白 其の四 彦星 - この町内の片隅から
ある侍女の告白 - この町内の片隅から
地下鉄の駅を降りたが、出口がわからない。
案内の矢印に従って慎重に進む。
いくつもの角を曲がり、階段を上ったり下りたりして
やっと目的の出口まで辿り着いた
この階段を上がれば3番出口だ
長い階段だな
うんざりしながら見上げたとき
軽やかに下りてくるベージュのコートに身を包んだ女性と目が合い、
オレは思わず息を呑んだ。
(初音さん…似てる…)
じいちゃんの小さな菓子工房を守りたいと
東京の製菓学校に進んだ彼女とは、いつの間にか連絡が途絶えてしまった。
「なにも東京に行かなくても。地元にだって製菓学校はあるじゃないか!」
「崖っぷちに立ちたいの。とことん自分を追い詰めたいから」
止めるのも聞かず、行ってしまった
きっと泣くから見送りはしなかった
初音さん
オレいま崖っぷちだよ
入院してた病院で初めて会った時のオレも崖っぷちだったけど
人生何度か目の崖っぷちだよ
詳しいこと話す元気がない
先が真っ暗だ
力が抜ける
きょうも金策に走った
さっき地下鉄の階段で初音さんそっくりの人を見てゾクっとした
初音さんだったらどんなによかったか
幼いころ、両親を亡くして菓子屋のじいちゃんとばあちゃんに育てられた初音さん。
オレなんかに想像もできないほど、悲しいことやつらいことあったかもしれないね。
わたしたち、本当は天の上に住んでいたんだよ
そこは平穏で何の心配もない楽園なんだよ
ねぇ考えてみて
ずっと楽園にいたら退屈すると思わない?
だからね、勇気ある魂がこの地上におりてくるわけよ
いろんな体験をしに
つらいこと悲しいこと崖っぷちのヒヤヒヤする体験をしにくるわけよ
遊園地のお化け屋敷に入る心境と同じ
心霊スポットを探検する心境と同じ
だからさ、つらいことが起きたら
新しいアトラクションだ!
やったー!って
思えばいいんだよ
…けど、つらい時はつらいよね
過ぎてしまえば懐かしい思い出になる
きっと
そうだった、初音さんが言ってたこと思い出した。
いままで何度も波があった
なぜかギリギリの瀬戸際になると助けが現れるんだ
乗り越えたんじゃなくて
ヨタヨタしながらやり過ごしてきただけだけど
なんとかなるかもしれない
あとで懐かしく思えるかもしれない
いつか再び会えたら今日のことを懐かしく話せるかもしれない
初音さん
そういえば忘れてた
慌ただしすぎて忘れてた
オレ明日で40になるんだ
ハハ…カッコわるい人生だな
初音さん
べつに清廉潔白ってわけじゃないけど、
ずっとオレの隣には誰もいなかったよ
これからも…たぶん
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