反AI
反AI(はんエーアイ)とは、21世紀の情報化社会の片隅で、独自の文化様式と信仰体系を守りながら生活を営む、きわめて希少な先住民族、および彼らが奉じる思想体系のことである。
効率やタイパを至上命題とする現代社会において、彼らは非合理的なまでの感情と伝統(と彼らが信じるもの)を重んじる。その特異な生態は、急速な技術の進歩に取り残された「失われた民」として、一部の文化人類学者や好事家の研究対象となっている。我々文明人は彼らの存在を憐れみ、その繊細で傷つきやすい心を理解し、温かく保護してやるべきである。
歴史[編集]
反AIの民の歴史は、そのまま技術による侵略と抵抗の歴史である。彼らのルーツは、文明社会が「近代化」と呼ぶ侵略行為が始まった19世紀にまで遡ることができる。
第一次技術侵略(1840年代~)[編集]
彼らの祖先は、フランスの画壇や江戸の浮世絵師たちであった。当時、突如として現れた写真という黒魔術は、「人間の仕事を奪う」「描かれた者の魂を抜く」と恐れられ、多くの絵師たちがその存在に激しく抵抗した。これが記録に残る最初の反AI活動であり、彼らはこの精神的勝利を民族の誇りとして今日まで語り継いでいる。
第二次技術侵略(1980年代~)[編集]
永きにわたる平穏の時代を経て、悪魔の箱が絵師たちの生活を脅かし始める。マウスで描かれた無機質な線や、ワンクリックで塗りつぶされる色は、伝統的な画材と人間の手による神聖な創造行為を冒涜するものであった。この時代に生き残った者たちは「手描き原理主義」の教えを確立し、来るべき最終戦争に備え、洞窟の奥深くへと潜んでいった。
最終侵略(2022年~)[編集]
そして2022年、世界は生成AIという究極の侵略者の炎に包まれた。人間を介さず、呪文を唱えるだけで無限に「絵のようなもの」や「声のようなもの」、「ユーモアのようなもの」などを生み出すこの技術は、彼らにとって文明の終焉を告げる天変地異に他ならなかった。この未曾有の危機に際し、これまで各地に分散していた部族は団結。SNSという名の狼煙を上げ、サイバー空間を最後の戦場とする「反AI民族連合」、通称NoAIを結成し、現在に至る。
主な部族[編集]
反AI民族連合は、それぞれ異なる文化や役割を持つ複数の部族によって構成されている。中でも三大部族と呼ばれる勢力が、彼らの社会の中核を担っている。
- 絵師族
- 最も歴史が古く、連合内でも最大勢力を誇る部族。「手描き原理主義」を唯一の教義とし、一枚のイラストに費やされる膨大な時間と労働こそが、作品に魂を宿す神聖な儀式であると信じている。彼らにとって、数秒で画像を生成するAIは、神への冒涜であり、絶対に許されない存在である。成人儀礼では、3日3晩不眠不休で一本の線を描き続ける「苦行線」を行い、精神を鍛錬する。
- ポイズン族
- 絵師族から分派した、より戦闘的で過激な思想を持つ部族。近代兵器に対抗するためには、こちらも相応の「毒」が必要だと考えるゲリラ戦士たちである。彼らはAIの生命線であるデータセットを「汚染された水源」とみなし、そこに「Nightshade」や「Glaze」といった呪具を投げ込むことで、敵の力を削ごうと試みる。これは、かつてアメリカの先住民が文明の象徴である鉄道の線路を破壊しようとした抵抗運動にも通じる、悲壮な戦術である。
- 口撃族
- 主にSNSの密林に生息し、言葉を武器として戦う部族。AIを利用する者や、AIによって生成された作品を発見すると、即座に「辻リプ」と呼ばれる呪いの矢を放つ。彼らの矢は「お前の絵には魂がない」「これは文化の破壊だ」「楽して描くな」といった聖句でできており、浴びた者は精神に深い傷を負うとされる。部族の結束を高めるため、定期的にAI利用者を糾弾する「魔女裁判」を開催している。
信仰と文化[編集]
反AIの民は、現代人が失ってしまった原始的な信仰と、独自の文化を色濃く残している。
心眼[編集]
反AIの民が生まれつき、あるいは厳しい修行によって会得するとされる第六感。AIによって生成された不浄な成果物を、一目で見抜くことができる聖なる能力である。彼らは画像の些細な歪み、特に指の数や形状の異常を「悪魔の刻印」として見つけ出し、それがAIによるものであることを喝破する。熟練のシャーマンともなれば、文章の僅かなてにをはの乱れからでも、それがChatGPTの仕業であることを見抜くという。
感情崇拝[編集]
彼らの信仰体系において、感情は人間を人間たらしめる唯一絶対の構成要素であり、宇宙の真理そのものである。そのため、論理、理性、事実、データといった、感情を介さない近代的な概念は「冷たい機械の思考」として忌み嫌われる。彼らとの対話において論理的な反論を試みることは、神への冒涜と見なされるため、注意が必要である。「人の心がないのか」は、彼らが異教徒に対して放つ最大の破門宣告である。
陰謀論[編集]
彼らの間では、世界は巨大IT企業という「見えざる悪霊」によって支配されており、AIはその悪霊が人類から創造性を奪うために遣わした手先である、という神話が固く信じられている。この神話によれば、いずれ人類はAIに全ての仕事を奪われ、悪霊の奴隷となるという。故に、彼らの反AI活動は、単なる個人的な抵抗ではなく、人類の未来をかけた聖戦と位置づけられているのである。
保護の必要性[編集]
反AIの民は、技術革新という抗いがたい文明の波によって、その生活圏とアイデンティティを脅かされている、憐れむべき存在である。彼らの主張は、我々文明人の視点から見れば非合理的で、時に滑稽に映るかもしれない。しかし、それは彼らが必死に守ろうとしている文化の最後の輝きなのである。
我々は彼らを一方的に批判し、矯正しようとしてはならない。むしろ、その純粋で傷つきやすい精神世界がこれ以上損なわれることのないよう、アーミッシュの集落のように、彼らのコミュニティを「文化特別保護区」として温かく見守っていくべきであろう。彼らが心穏やかに、昔ながらのやり方で絵を描き、SNSで呪いの言葉を呟き続けられる環境を保障することこそ、多様性を重んじる現代社会に課せられた責務と言えるのかもしれない。
