
名前を隠して楽しく日記。
この件で一番引っかかるのは、当初は同じ目的を共有していたはずの人たちが、なぜ途中から決定的に対立し、さらには録音や公開、記事化といった強い手段にまで踏み込んだのかという点だ。
一般論として、完全な敵同士よりも、元味方同士の方が深刻な対立に発展しやすい。目的が近く、関係性も近かった分だけ、期待や信頼が裏切られたと感じたときの反動が大きいからだ。社会的意義を持つテーマであればあるほど、感情的な衝突は激しくなりやすい。
まず考えられるのは、映画化を巡る主導権や表現方針の対立だ。ドキュメンタリーや告発性のある作品では、誰の視点で、どこまで踏み込み、何を強調するのかが極めて重要になる。制作者側は作品としての完成度やメッセージ性を重視する一方、当事者側は自分の経験や尊厳がどう扱われるかに強いこだわりを持つ。ここにズレが生じるのは珍しいことではない。
次に、金銭や権利の問題も現実的な要因として考えられる。制作費の扱い、著作権や肖像権、将来的な収益配分などは、最初は理念や信頼関係で曖昧にされがちだが、話が具体化するにつれて避けられない問題になる。ここで不信感が生まれれば、関係が急速に悪化するのは自然な流れだ。
さらに重要なのは、対立に至った側が、結果的に当事者にとって極めて不利になり得る情報、場合によってはセカンドレイプと受け取られかねない内容まで記事や記録として公にしている点だ。これは単なる意見の違いや感情的な行き違いのレベルを超えているように見える。
もし最初から敵対関係であれば、相手に不利な材料を出すこと自体は理解できる。しかし、元々は支援や協力の立場にいた人間が、相手の尊厳を傷つけかねない情報まで出す判断に至るというのは、相当深刻な決裂があったと考えるのが自然だ。そこには、裏切られたという感覚、あるいは自分たちの正当性を社会的に証明しなければならないという強迫観念があった可能性もある。
この段階になると、録音や公開は単なる証拠保全ではなく、相手との関係が完全に破綻したことの表明に近い意味を持つ。つまり、味方ではなくなったどころか、もはや敵として認識するに至った経緯があったのではないか、という疑問が生じる。
重要なのは、こうした構造的な可能性を指摘することが、性被害の訴えそのものを否定することとは別だという点だ。被害の有無や深刻さと、支援者や制作者との関係が崩れた理由は、切り分けて考えなければならない。
しかし現実には、この二つはしばしば混同される。内部対立や不和の背景を考察しただけで、被害を疑っている、被害者を攻撃していると受け取られてしまう空気がある。その結果、なぜ元味方がここまで強硬な行動に出たのかという核心部分が検討されないままになる。
むしろ、セカンドレイプと受け取られかねないリスクを承知の上で情報を公開する判断がなぜ下されたのか、その異常さを含めて考えることこそが重要だと思う。そこには理念だけでは説明できない、人間関係の破綻や利害対立、感情のもつれがあった可能性が高い。
結局のところ、この問題で問うべきなのは、誰が絶対的に正しいかという単純な話ではない。なぜ関係がここまでこじれ、取り返しのつかない形で対立が表面化したのか。その過程を冷静に検討することを許さない空気こそが、問題の本質を見えにくくしているように思える。
「公式が解釈違い」って単に、「自分が思ってたのと違う」って意味だと思うから、ややこしい要素は何処にもなくない?
推しカプに都合が悪いだけだろと言われたところで、「そうではない」とは誰も言っていないが…?となる。
「公式が解釈違い」は文字通り「解釈違い」であって、自分が思っていたのとは違ったという単純な事実を表明する言葉であって別に正当性を主張しているわけじゃないもの。
ややこしい言葉であるとして、何故か「メロい」と一緒にされてたが、それとは全然違わない?「メロい」と違って意味は一つしかないじゃん
「あれ?ほとんどまともにセックスしてないな?私が上になるばかりで夫は前戯もしてくれない!」と思い始めてから6年経ちました。
夫とは何度か話しましたがさして改善されず。時にはテレビを見ながら作業的にされて、ショックで大泣きしたこともあります。
この6年間、何十回も泣いた果てにようやく夫との行為を諦めることができました。諦めがついて今はスッキリしています。
結婚して15年以上経つ主婦の経験からお話させてもらうと、性の価値観の不一致が埋まることはおそらく一生ないです。お別れするか、セックスを共に楽しめる別の彼女を作ることをおすすめします。
私は彼氏ができたので、そちらでこっそり解消しています。月に一度でも彼から愛情たっぷりに抱いてもらえると思えば、家庭でもニコニコ過ごせます。
まずホモとレズはいったんちょっとノイズになるので置いておくとして
血のつながった兄妹姉弟もので途中までは近親恋愛としての葛藤を描いているのに
終盤になって急に「実は血が繋がってませんでした~vv」という展開になるやつ
アホなん
その程度の覚悟も、風呂敷を畳む能力もないなら近親恋愛なんていう難しいジャンルに手を出すなよ
あのさぁ!こっちとしては近親恋愛という社会的、精神的な障害をどう乗り越えて
もしくはどう乗り越えられずに互いの心が揺れ動いていくかを楽しみに見とるんよ
別の設定でもよかったのを「近親者」っていう恋愛対象として最大限の障害を持ち出して着といて
それを「やっぱ血が繋がってないので障害なし!」じゃねンだわ
なんだそのマッチポンプ、舐めてんのか
玩具出したら片づけなさいって教わらなかったんか?