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2025-12-13

純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

---------------------------

年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

---------------------------

(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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2025-11-30

プレステコントローラだけすぐ加水分解するんだが

同じ環境に ps5、スイッチスイッチ2、Xbox、SteamDeck、Razer Kishi、Backbone があって、何故か ps5 だけ加水分解したんだけどなんで

ps2 くらいからいつもプレステコントローラだけベタベタになるんだけど

Permalink |記事への反応(1) | 18:39

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2025-11-24

愛着あるよ

2026年三国無双2リメイク出るんだけどリメイクって言うか完全作り直しの新作っぽいから別物になってそうで不安

三国無双2はキャラのダサさとか、ザコ馬だと兵士踏みつぶせなくて止まった所を弓兵に狙撃されたりロックオン無かったり、回避が無いかジャンプでぴょんぴょん飛ぶしか無かったり、

あいう不便さも良い部分だったのでそこら辺全部快適にしちゃう無双2じゃなくなっちゃう。

つーかふつうPS2版をそのまま持って来て1000円位で良かったんだけど。 anond:20251124133432

Permalink |記事への反応(1) | 18:21

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2025-11-19

anond:20251119191730

最後に買ったプレイステーションPS2だとSNSでもリアルでも言ってるから無理だなあ

Permalink |記事への反応(0) | 19:36

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2025-11-12

おせーよ

PS2はもうプレミア化してるよ。3DSも手遅れ。今安く買えるのはPS4wiiu辺り anond:20251112122905

Permalink |記事への反応(0) | 12:32

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ブックオフで昔遊べなかったPS2ソフトを買い集めてるんだけど(安いから)PS2本体はどこにもないねんな(俺のはもう壊れた)

どうしたもの

Permalink |記事への反応(2) | 12:29

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2025-11-06

昔のPS2モンハンドスって今遊んでも面白いでしょうか?

Permalink |記事への反応(1) | 11:28

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2025-11-05

ガンダムを題材にしたロボットアクション物、シミュレーション系の新作が出なさ過ぎて、PS2時代ぐらいまで遡ってゲーム遊んでる。

今のバンナムは完全にガンダムIPものゲーム基本無料系にシフトしてるし、今の時代だとガンダム1作品パッケージソフト化するのも無理だろうしで

(ガンダム00の時点でDSのやつとPS2ガンダムマイスターズだけだった)

しゃあないなとは思うけど、HD進出した辺りでもうちょいラインナップに幅持たせてくれてたら

遊ぶ物に困る、みたいな事態にはならなかったのになと思う。

今思うとSLG系に強いコエテクと組んでたんだからガンダム無双とかempiresみたいな拡張出せば良かったのにね。

ガンダムブレイカーは色々あって新作が戻ってきてくれたけど

Gジェネエターナル成功した今、コンシューマーの新作は5年以上は出せないだろうし

SLG系はスパロボけが支えになりつつある。そのスパロボもYが難産過ぎて「スパロボすら駄目なのか…?」って怖かったが。

もう使い回しとか文句言わないし、出してくれるだけありがとう領域入ってるから

末永く続いてくれる事を願いたい。

Permalink |記事への反応(1) | 11:48

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anond:20251105111705

わいの子供部屋のレパートリーPS2で止まってるやで

Permalink |記事への反応(0) | 11:19

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ワシが最近やってるゲーム

スパロボDD(スマホ)

スパロボα(PSVITA)

BALL x PIT(XBOX)

スパロボY(Switch2)

モンハンXX(Switch2)

幻想水滸伝(リマスター)(XBOX)

モンハンSB(Switch2)

スパロボインパクト(PS2)

Permalink |記事への反応(0) | 10:48

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2025-11-04

PS2エミュ動かすのにゲーミングPCが欲しい

解像度2倍、フレームレートロックが無い作品を60fpsで動かせる環境で遊びたいけど

今時の相場だと幾らぐらい見積もれば良いんだろう?

Permalink |記事への反応(1) | 19:36

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2025-10-31

ペルソナ3リロードってPS2オリジナルを元にしたリメイクって言ってたのに片手剣しか使えねーポータブル仕様なの詐欺だろ

Permalink |記事への反応(0) | 11:32

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2025-10-30

時代遅れレトロ分岐点はどこになるんだろう

Youtubeゲーム実況で言えばPS1どころかPS2レトロだしファッションで言えば平成レトロ90年代も許されそうになっている

2000年が境かと言えばそうでもないし2010年あたりはまだ古臭く見える

他の流行りについて調べてみるとタピオカ屋は1992年2008年2018年の3度ブームがあったらしい

これは割と早い周期かなと思うけどターゲットが若年層女性ということを考えると市場の元々のターゲットとなる人間がいなくなり入れ替わったらその時からレトロになるって感じかな

Permalink |記事への反応(5) | 09:37

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2025-10-22

ドラクエ配信者多すぎんか

これまで全然なかったけど偶然見かけたVのドラクエ配信、懐かしいなと軽い気持ちで開いたら、それ以降オススメに大量にドラクエ配信がでてくるようになった

それで思ったんだが、今やってるライブ配信が多い(増田投稿してる現時点というわけではなく夜とか)

最新のドラクエというわけでもなく結構古いタイトルばかりで中にはSFC実機とかPS2実機というのもある

そんなドラクエ流行ってるのか?

今のタイミングで?

最近許諾されたとかでもあるのか?

Permalink |記事への反応(2) | 14:07

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2025-10-17

anond:20251016172246

ムーアの法則絶頂期ならPC爆速陳腐化してたかゲーム専用機価値があったけど、今は停滞してるんだからAPU流用で「VAIOのゲーミングPC」が出てもいいのにな

1995年2015年位まではPCスペックが3年で1~2桁くらいの異常なペースで進化しており、PCゲームと言えば「2年前に30万円で買ったPCの性能が今ではドンキの激安PC未満相当まで相対的に落ちているから、このPCではもはや最新ゲームの起動自体不可能」とか「去年組んだ最強ゲーミングPCから、今年に出た最新ゲームでもまだ画質設定の一部をLOWにすれば、大部分MIDDLEでも遊べる」といった狂った状況が続いていた

そういった状況で、ソニープレステ任天堂などのゲーム専用機は、発売時は特殊アーキテクチャPC進化を5年先取りして美麗なグラフィックスや新しい価値提供し、終売時はPCには劣るがゲーム自体が特化しているので十分楽しめるという価値を残し、そして「初代」から最終型まで価格や消費電力が落ちていく一方、性能を一切変えないことで「発売日に並んで買った初期型なのに、今では最新ゲームが動かない」という状況を回避していた

しかし、2010年代くらいからゲーミングPC進化が急減速し始め、5年で20%くらいまで落ちて今に至るので、今ではこの「ボクのおこづかいで買った初期型現象はもう発生しなくなっている。同時に、同世代スマホよりも画質が凄惨だったチップセット内蔵グラフィックスも性能が上がり、更にUnityなどの無料ゲームエンジンが登場してイチからC++プログラミングを極めなくてもゲームが作れるようになり、これらの合わせ技で「殆どゲーム殆どPCで動く」状況が完成した

こうなった今、「ゲーム専用機から安心」という価値はほぼ無くなっている。今こそPS2PS3時代にどっかのソニー久夛良木かいオッサンが夢見ていた「ソニーエコシステムマルチメディア環境を実現すべき時が来てる。んだからさっさとSteam一太郎やらPrime Videoやらをプレステ移植するなり、プレステWindows実行機能を付けたモデルを作るなり、やればいいのにと思うんだがなぁ。

Permalink |記事への反応(2) | 03:16

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2025-10-15

anond:20251015162417

PS勝利に関してはバグだらけとはいえ、Cで書けるライブラリを用意してくれた事も大きかったかと思いますね。

PS2以降、正確にはポケステから電話帳みたいなニモニックコードしかなくてアセンブラで書くしかないみたいになってキツくなったけども、最初期は参入メーカーの事考えてくれてるなと

こういう意見もあるみたいだね。

任天堂セガC言語が使えなかったみたい

Permalink |記事への反応(0) | 16:25

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anond:20251015083538

天気の子って、PS2辺りで発売されてそうなエロシーンのない全年齢向けにエロゲっていう、割と的確な例え話が当時あったな

Permalink |記事への反応(1) | 08:42

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2025-10-14

休みから久々にスマホドラクエ遊んで、SFCPS2版を懐かしんでた。

SNS検索したら子どもが親とやってるって投稿見て、何か生き方間違えたかもしれないと思った。

よりによってドラクエVやったのは間違いだった。こんなにも惨めな気持ちになるとは。

Permalink |記事への反応(0) | 19:10

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anond:20251014090412

おはよー

最近ソシャゲ系はどうも最近苦手で

ログインボーナスとかイベントとか疲れちゃって)

ブックオフで300円くらいでPS2ソフトを買ってはのんびり遊んでるよ!

オフラインゲームは気兼ねなく自分のペースで遊べて本来ゲームってこうだよな・・・再確認した3連休だった!

Permalink |記事への反応(1) | 09:34

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2025-10-08

anond:20251006123907

あれだけ2010年頭までは「ゲームに行くエンジニア邪道」と吹いていたかつての俺達の同輩が、

はい考証不足

当時ゲームエンジニア花形だったね

同期がセガとかコナミ就職決まったの聞いて羨ましがってたし、同じ職場にいた同僚からPS2用にポリゴン表示ライブラリ開発してたって話聞いて興奮してた

ゲーム作りたくてプログラミング始めたプログラマ多かったしな

Permalink |記事への反応(0) | 11:29

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2025-09-29

anond:20250929161145

まぁコントローラー自体が大きく変化してないから、体験できる内容としてはPS2と大きく変わらんよね。

内容の進化は凄いけど。

ただ、グラやサウンドが容量や技術的に良くなったとしても容量に依らない「シナリオ」とかは(思い入れ補正もあるかもしれんが)昔のゲームでも

全然いいというか、そっちの方が入れ込めたりすることが多い。

特に今まで想像していたシーンがムービーとして補完されてしまって、自分はこういう解釈だったなぁというのがあったりも。

Permalink |記事への反応(0) | 16:16

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何十年かぶりに家庭用ゲームをやって驚いたこ

最後に買ったのはPS2だ。Switchも買ってないしスマホゲームもほぼやったことない。

とあるきっかけで最近PS5をもらったので色々ゲームをやってみることにした。

ゲーム自体情報は、自分ではやらないものの有名なタイトルなんかは多少の知識はあった。

ただ内容とかはほとんど知らない状態なので、何十年も経って今ゲームはどれだけ進化したんだろうと期待に胸を膨らませた。

驚いた。全然変わってない。

いや、細かいことを言えば色々変わってはいる。

まずなんといってもグラフィックがきれいになっている。

ムービーシーンだったのがそのままゲームになってる感じだ。これはすごいことだと思う。

でもそこに感動できるかというと、意外とそうでもなかった。

身も蓋もない言い方をすれば、ゲームプレイしてる間というのは、そんなにじっくりグラフィックを楽しむ余裕がないからだと思う。

しろ画面内の情報が多すぎて、うるさく感じるゲームのほうが多い。

リアルになればなるほど、ゲームプレイ邪魔してる感じがするんだけどどうなんだろう。

ちなみに自分グラフィックがどうでもいいというタイプなわけではなくて、むしろ絵がきれいなのは大事だと思ってる。

だけどそれはムービーシーンとかできれいならそれでもいいし、どちらかというと全体の雰囲気が成立してるのが美しい絵作りだと思ってる。

あとオープンワールドという用語も聞いたことはあったし期待したけど、これもピンとこなかった。

現実世界でも地続きに広い世界を感じる場面なんてすごく少ない。

遠くに行くとき乗り物で移動するからロードして別の場所に行く感覚のほうが近いし。

飛行機に乗ってる時にあーそうか全部繋がっているんだなあってちょっと思うくらいだ。

からゲーム内の世界が全部地続きで繋がっていても特に感動は感じなかったのかもしれない。

単純に世界が広いというのはいいけど、それは技術的に可能になったからそうしただけ、という感じがある。

ゲームシステムとかはすごく親切になったなと全体的に感じる。

迷うことが少なくて、チュートリアルとかがよく出来てる。

インターフェイスストレスが少ない。

このへんはすごく洗練されたんだなと感じたし、意味があると思う。

ただ親切すぎてもうちょっと自分で調べたりしたい気持ちも少しあったりもする。

そして何十年もタイムスリップしたような感じで久しぶりにゲームをして自分が一番すごいなと思ったのは、意外にもサウンドだった。

音がビビるほどよくなってる。

環境にもよると思うけど、ヘッドフォンとかしてゲームすると、音がすごい立体的というか、立体音響ではないはずなんだけど、前とか後ろみたいな感覚に近い音場みたいなのを感じる。

あと音そのものもすごくいいし、色んな音数がめっちゃ増えてる気がする。

BGMは昔と変わらないけど、ゲーム内の効果音とか環境音みたいなのがやたらリッチになってるし、効いてるなと思ったのだ。

グラフィックのほうが分かりやす進化してるはずなのに、これは意外だった。

色々なPS5のゲームをやってみて思ったのは、ゲームちょっと天井が見えてきてるのかなということだ。

VRゲームとかはやったことないし未知ではあるけど、逆にこっちはまだ技術進化必要そうに思う、特にハードが。

とはいえ性能を上げてグラフィックやその他をどんどん進化させてリアルにしていく流れはもうきっと止まらないんだろう。

となると昔のゲームリメイクというのは確かにいい考えなのかもしれない。

不便だったところを便利にしたり、絵をきれいにしたり、音をよくしたり、でもゲームのもの面白さはそれらに依存しないとこにあるし。

音楽ファッション基本的には焼き直しされながら循環してるようなところがある。

ゲームもそういう時代になっているのかもしれないと思った。

Permalink |記事への反応(4) | 16:11

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2025-09-18

昔のゲームからしか得られない感動ってあるよな

ファミコンとかスーファミだと涙するほど感動することってなくて

プレステサターンあたりから泣けたりマジで感動できるゲームが出てきて

PS3ぐらいから段々と少なくなってオープンワールドゲームで全滅した感じ

ゲームとしての面白さはオープンワールドゲームでもファミコンでも全然あるんだけど

泣けるとか感動するゲームプレステサターンPS2あたりに集中してる

Youtubeレトロゲーム実況でもその辺が中心なんだよな

例えば、FF9FF10グランディアパンツァードラグーン AZEL、メタルギアソリッド3大神シュタゲ、ラスアスとか

全部その辺の年代に集中してるんだよね

逆に最近ゲームゲームとして面白くてストーリーが良いのもあるけど泣けるほど感動しないんだよな

Permalink |記事への反応(0) | 23:34

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2025-09-17

anond:20250917172435

昔よくPS2移植されてたよねエロゲ

Permalink |記事への反応(0) | 17:25

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2025-09-09

友人が失踪した

友人が失踪してもうすぐ五年が経過する。失踪、と言っていいのかさえ、よくわからない。ただ消息が途絶えた、という言い方のほうがしっくりくるだろう。

最後にやり取りしたのはLINEでの友人の発言

しあわせをおしえて

文末に句読点すらないそのメッセージが、俺のスマホの小さな矩形の中でいつまでも光を放っている。

彼の両親は未だに探している。警察にも相談し、ポスターも作ったが、手がかりはない。ニュースにならなかったのは事件性がないからだろう。

2000年代の俺たちは大学生だった。当時はまだガラケーで、ネットiモードか、PCADSLが主流だった。今みたいにSNS推し活なんて言葉もなかった。ただ掲示板チャットハンドルネームを名乗り、同じ作品を好きだというだけでどこまでも語れた。あいつと出会ったのも2ちゃんアニメ板、ラーゼフォンフルメタル・パニックスレッドを行き来していた頃だった。大学の構内のPCルームで、授業をサボってレスを投げていた。

 「エヴァが終わっても、終わりじゃない」

エヴァが終わったあとでも、俺たちの熱狂は続いていて、むしろエヴァ後のアニメ群──スクライドラーゼフォン∀ガンダムあたりをどう受け止めるかで、世代の色が決まっていた気がする。

当時はよく池袋に行ったものだ。デジキャラットのグッズを探すため。ブロッコリーが全盛期で、ゲーマーズ本店に並ぶ人の列は今よりずっと濃度が高かった。メイド喫茶がまだ秋葉原でようやく形を成し始めた頃で、池袋乙女ロードと呼ばれる前夜。帰り道にサンシャインシティの地下のゲーセンbeatmaniaIIDX 5th styleを遊んで、あいつはR5ばかりやっていた。俺はリズム感がないから失敗ばかりで、それを笑われた。

しあわせってなんだろうな。

歳のせいか最近そんな事ばかりをよく考える。

その度に思い出すのは、あの夏の新宿新宿駅南口から甲州街道を渡った先、紀伊國屋の前で待ち合わせて千と千尋の神隠しを観に行った。2001年夏休みで、俺たちは大学二年だった。劇場満席で立ち見になった。千尋が両親を助けるために湯屋で働く姿を見ながら、俺は隣であいつが泣いているのを横目で見ていた。映画の終わりに拍手が起こって、あいつは「やっぱジブリジブリだな」って呟いた。その帰りに寄った新宿中古ゲーム屋で、あいつはドリームキャストギルティギアXを買った。

あいつは本当にゲームが好きで、深夜までファイファンXIログインしていたことも覚えている。PS2HDDネットワークアダプタを買って、ADSLで繋いで、ヴァナ・ディール寝落ちした話をしてくれた。俺はオンラインゲームに馴染めなかったが、あいつにとっては現実と地続きの世界だったのだろう。

確か2005年頃だったと思う。俺たちは聖地巡礼という言葉を覚えた。AIRCLANNAD流行して、京都アニメーションが一気に名前を広めた時期だ。夏休みに二人で和歌山白浜に行った。AIR舞台に似ていると言われていた海辺で、青い空と蝉の声を聞きながら、あいつは「神奈がここで空に還るんだ」と真顔で言っていた。その帰りに白浜駅で食べた駅弁味噌カツサンドがやけに美味かったことまで覚えている。

同じ頃、俺たちは東京荻窪にも行った。ネギまイベントで、赤松健サイン会があったからだ。行列に並びながら「これって歴史証人になるんだな」とか言っていた。あの頃は何もかもがくすぶっていて、しかしそこにだけ輝くものが見えていた。

思えば、俺たちはずっとネット空間に生きていた。mixi日記掲示板書き込み、夜中のMSNメッセンジャー現実よりもそっちのログのほうが確かだった。あいつが消えたのは物理的なこの世界からであって、ネットのどこかにはまだいるんじゃないかとそんな気すらしている。俺が昔のハードディスクを漁れば、あいつの書いたレビューイラスト、短いテキストファイルが出てくる。2001年アップロードされたkyoani_fanpage.htmlとか、今となっては誰も開かないファイルに残っている。

俺は相変わらずアニメを見て、Blu-rayを買って、配信で昔の作品を見返している。先日はスクライドを観直した。あの頃、夕陽をバックにカズマと劉鳳が殴り合うシーンを「熱い」と言っていたあいつの声が頭に蘇った。

彼は今、どこで何をしているのだろう。まだネットのどこかにいるのか、それとももうどこにもいないのか。

大学四年の、ちょうど9月になって間もない頃。あいつと深夜のゲーセンを出て歩いた時のことを思い出す。

自販機コーヒーを買い、涼しくなり始めた夜風に身を包みながら歩き、少し憂いた顔で口ずさんでいたあの歌詞を。

あのころ未来に ぼくらは立っているのかなぁ…

全てが思うほど うまくはいかないみたいだ

Permalink |記事への反応(8) | 13:18

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