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はてなキーワード:NIFTY Serveとは

2026-01-18

PC履歴(~1999年

フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分PC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。

特に面白いものではないけども。

私のパソコンHistory

なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのであるプログラムを組んで実行できる最初マシンは、高校ときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくま電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。

パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。

これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲーム感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?

そもそもの始まり

小さい頃から電気電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックトランジスタ抵抗などが入っており、ブロックボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;

アマチュア無線免許なども取ってみた。

因みに、私がアマチュア無線免許を取得したのは、小学生ときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。

当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオ製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。

まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。

カシオ FX-502P

そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオプログラム電卓FX-502P」である

これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。

プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプション必要だが(買った)、普通ラジカセなどを使ってカセットテーププログラムを記録するのである

あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである

因みに、このFX-502Pは未だに現役で動いてます

NEC PC-8801MA

学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。

で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MAである

当時は、既に16ビットパソコンPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?

それは、パソコンゲームがしたかたかである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである

とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。

その中で、印象深いゲームを、記憶を頼りに書き綴ってみよう。

マイト・アンド・マジック

何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのであるしかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在であるソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである

世間では、「クソゲー」との評価一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのであるストーリーは、最初は与えられず、発見したものけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコン時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである

アンジェラス

ドラクエシリーズで有名なエニックスアドベンチャーゲーム(AVG)。

不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。

水龍士1,2

今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的ダンジョンとはひと味違うのである

ストーリーも大変感動的なもので、キャラデザも秀逸であった。

ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。

1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。

今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。

カオスエンジェルス

かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである

このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスター女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである

このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム特にグラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。

そんな中で、この「カオスエンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。

また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンス雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。

しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。

うる星やつら」のゲームタイトル忘れた)

当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターものゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラゲームを続々と発売していた。

このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画うる星やつら」をゲーム化したものである

ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。

マルチエンディング時間概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。

リップスティックアドベンチャー

フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。

フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後どんでん返しが強烈でした。

そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…

番外:世紀末美少女伝説

これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである

ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。

これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストッキーゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。

そして、NECの8801,9801シリーズパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタ印刷することができる。

なんか、「流行から適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。

PSON PC-286VE

…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコン時代へと、大幅に突入したのだった。

そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;

パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)

先ずメモり。1MB(!)のメモリを積んだ。

今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクト収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。

それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。

そして、ハードディスク。奮発して40MB(!!)を買った。

これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。

でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。

あと、このマシンからパソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから

当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像ダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。

このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。

このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。

マイト・アンド・マジック

上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスク書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっとしかったが。

プリンセスメーカー

いわゆる「育てゲー」の元祖存在

なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。

ドラゴンナイト1~5

これもELFのゲームで、RPGである

「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。

「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。

同級生

これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しか大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビア時間概念。所持金の存在も内容に深みを与えています

さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲーム破綻しないものだ。

そして、何より高校最後夏休みという、絶妙のセッティング

とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的ゲームでした。

このゲームは、マニュアル本見ない方がいいと思う。

後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。

PSON PC-486SE

そのうち、世の中はウィンドウ時代突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲーム世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。

上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやか構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応ソフトほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。

実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまりMacへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしいPermalink |記事への反応(1) | 12:53

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2022-06-15

anond:20220615113240

おじいちゃん向けには、mixiとかNIFTY SERVEですよって言ってあげないと。

Permalink |記事への反応(0) | 11:39

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2018-05-08

anond:20180508004011

NIFTY ServePC-Vanが始まったのですら1986年だぞ。

ワープロ通信とさえ言われてた時代だな。

Permalink |記事への反応(0) | 16:54

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2009-01-11

ちなみに、私が初めてnifty serveにつないだときは、2,400bpsでした。

その少し後、nifty serveからJUNETにつなげることがわかった。

まだ、internetという言葉が一般的でなかった頃の話。

internetという言葉を知ってる人は、ARPANETという言葉を知ってるのが当然だった頃の話。

その少し後、internetが普及し始めた。

最初は、ブラウザといえば、Mosaic

IEはもちろん、Netscape存在していなかった。

あと、いまだとwwwftpしか言葉が残っていないけど、

archieとかGopherとか言葉があった。(検索システム名前だったと思う。)

http://anond.hatelabo.jp/20090110112607

Permalink |記事への反応(1) | 00:56

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2009-01-10

追記

b:id:otou-no

ダイヤルアップNifty Serveに、

しかもワープロ書院でつないでましたよ。

その後最初のDOS/V普及機FM-V DESKPOWERでインターネットへ。

アクセスポイントが増えたり高速化されるのがうれしい。

ADSLの前にISDNを体験しないと。

うわー懐かしい響き。

ISDN」に「アクセスポイント」・・・。

ワープロ書院で繋げるってのは聞いたことあったけど、

実際にやってる人は見たことがなかったです。

(55.6kbps対応の)アクセスポイントなんて、

1996年当時は人口10万人以上の都市ぐらいにしかなくて、

町民の自分には厳しい状態でした。

ISDNもねえ。

ロクヨンロクヨンイチニッパ」とかCMやってたなあ。

電話と同時にネットも!」ってスゲーなって思ってたし

何より安定して速いと聞いていたのでさっさと導入したかったけど、

グズグズしてるうちにADSLの安いところが出てきちゃった。

確か2001年2002年頃、

Yahoo!BBは始まったばっかりで一部の都市でしかサービスやってなくて、

仕方なしに「まあまあ安かった」ぷららにした記憶が。

今思うとNiftyって「礼儀正しいotsune」みたいな人がたくさんいて、

小学生だった自分は結構厳しくそして優しく、

ネットマナーについて色々教わった感じ。

フォーラム」とか「キャビネット」とかあったっけ。

オートパイロットが、今のLDRとかの代わりみたいなモンだったな、

そういえば。

あの時掲示板で色んなことを話した人たち、今どうしてるんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20090110112607

Permalink |記事への反応(2) | 16:13

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僕らは昔、ダイヤルアップだった

ADSLにしてから7年近く経つ。

「ピピピピ」

「ピポプペプポポ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ピー・・・・・・・・・ピー・・・・・・・・・ピー・・・・・・・・・

ガー・・・・・・・・・ゴー・・・・・・・・・ゴー・・・・・・・・・

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(つながった!)」

の響きが恋しくなったので書く。

1996年ごろにPCを買った。

その時はNiftyをやっていた。

いわゆる「パソ通」ってやつだ。

インターネット」って言葉テレビにポツポツ出始めた時期だったと思う。

Niftyの話は本筋と関係ないので省くが、

結局ネットに繋ぐのもNifty Serveに繋ぐのもモデムが必要だった。

ダイヤルアップ回線だ。

55.6kbpsとか言ってたっけな。

親父は「昔のモデムと比べて滅茶苦茶高速になってウケる」なんて言っていた。

それ自体が今となっては笑い話になってしまうけども。

本題。

ダイヤルアップの話をしよう。

要は繋いでる間は、通話してることになってるんだ。

PC買って2年近くはNiftyしかやってなかった。

オートパイロットっていう巡回機能でパパっと繋いでパパっと切ってたから、

そんなに大した料金はかからなかった。

で、1998年

始めてWebに繋いだ。

果てしない海の広さを知ってしまった。

長い時間繋いでると当然通話料金がかさむ。

NTTサービスに関する知識が皆無な当時、何ヶ月かは通話料金1万円を超えていた。

ひどいときは2万円くらいだったと思う。

これはなんとかしないと、ということで色々調べるとあった。

タイムプラス」と「エリアプラス」、

そして僕たちの強い味方だった「テレホーダイ」だ。

最初の二つは、まあちょっとした通話割引だったんだけどね、

テレホーダイっていうのが超強力だった。

(特定の番号に対して)夜11時から朝方にかけてなら、

いくら通話しても月1800円。

畜生もっと早く知っていれば。

で、考えてることは皆同じなんです。

夜11時、クソ重い。

今考えると、それだけその時間ネットも賑わっていたんですがね。

11時こえるといつも見てる掲示板に書き込みがガガっと増えてたり。

「オ、やってるやってる!」って感じでしたよ。

そしてテレホに入ってから、翌月の請求書で浮いた額を見てニンマリするの。

当時は実家住まいだから別に俺が通信料払う訳じゃなかったんだけど、

やっぱり

テレホーダイ1800をご利用にならなかった場合、10000円になります」

とか見るとテンション上がるよね。

「おっしゃ得した!」って。

当時の請求書があったのでアップロードしておこう。

http://www.lightbluesky.net/uploader/src/0405.jpg

(この月はあまりネットやってなかった月だな。)

あと当然、テレホ以外の時間帯も(少しぐらいは)ネットをやるため、

金管ソフト使用は必須だった。

ソフトを通してダイヤルアップに繋ぐんだったかな、確か。

InterConnecterとかRasWatchを使っていた。

2002年実家ぷららに入った。

我が家ADSLがやって来た!

使い放題だ。

一日中使い放題だ。

そりゃ勉強もしなくなりますよ、ええ。

なんて、大学受験の失敗をネットのせいにしてみるか。

始めてNiftyに繋いだ日。

あの時、モデムが発した音。

何もかもが懐かしい。

Permalink |記事への反応(8) | 11:26

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2008-08-26

僕は彼女持ちで、オタクではないマニア

nifty serveからヘビーユーザーの27歳です。

いやいや、オタクじゃないすよ。マニアです。

なんか、増田さんが色々(http://anond.hatelabo.jp/20080825123643)言っておられますが、そんなことより僕の彼女は冷たいんです。

「こないだパナのDIGA発表されてDLNA対応してんだって!!さらにH.264対応だから容量も贅沢に使えて超ほしい!でも値が張るんだけどどう思う?」

って聞いたら

「買ったらいいじゃん」

だってさ!やったね!でも僕の給料

ほかにも

MGS4買ったッス!画質超キレイでひきこもっちゃいそう!」ってメールしたら

「終わったら連絡して」

終わらない、みたいな!

でも、4日でクリアしちゃった!すぐに彼女の家にスネークしにいったよ!

そんな僕の彼女は超カワイイっすよ!僕から告白したよ!

僕は彼女に「超好き!」を一週間に7回ぐらい言ってるけど、彼女はほとんど無反応。

「あーはいはい」って。照れちゃって、カワイー!とか言ったらこないだグーで殴られた!親父にも殴られたことないのに!

彼女は僕のことオタクって言うけど、彼女オタクの要素何もない!

でも彼女は僕に

ずっと前から好きだった

って昨日言ってくれたんだ!

僕はうれしくて、鼻毛が2センチぐらい伸びたよ!

いつから?ねえいつから?って興味深々に聞いたら、顔真っ赤にして僕に平手打ちしてきたよ!

照れちゃって、カワイー!って言ってたら、僕のシャツが鼻血で真っ赤になっちゃってた!

まぁ、つまり、僕もダメダメだけど、こんな僕でも彼女に愛されて、それ以上に僕が彼女を愛してて、それが基礎となって、プラスの要素がうまれてくるんだ。

明日も、彼女のうちにパソコン教室しに行くんだ。

僕はマニアだけど、彼女の役に立つために、マニアをしてきたんだって思って。

僕はこの気持ち、受け止めてくれ!ダメな俺を受け止めて!なんて思ったことない。

彼女をすべて受け止める。

それが、俺の役目だから。

男だもん。

僕は与え続けるだけ。

お金も、顔も、身長も標準を満たしてないけど。

こんなダメダメな僕でも、与えることだってできるんだ。

Permalink |記事への反応(3) | 19:43

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