
はてなキーワード:MTGとは
正確時刻を書くと隣人が「それって軍事衛星に追跡されてるの?」とか言い出して話が面倒になるので省略する。
僕は陰謀論を嫌悪している。理由は単純で、陰謀論は説明能力の低い仮説を感情的に強い語り口で上書きする、知性のコスプレだからだ。
今週は、超弦理論の物理の直観で押し切る系の議論をいったん破壊し、純粋に圏論とホモトピー論の言語に落として再構築していた。
具体的には、世界面の共形場理論を2次元量子場などという古臭い語彙で扱うのをやめ、拡張TQFTの枠組みで、(∞,2)-圏に値を取る関手として扱う方向を整理した。
従来の弦理論屋はCalabi–Yauをコンパクト化に使うと言うが、それは情報量が少なすぎる。
重要なのは、Calabi–Yau多様体を点として見るのではなく、その導来圏 D^bCoh(X) を持ち上げた A∞-圏、さらにそれが持つCalabi–Yau構造(非退化なトレース、Serre双対性の∞-圏版)を物理的状態空間の生成機構として見ることだ。
ここでの本体は幾何ではなく、圏の自己同型とその高次コヒーレンスにある。
さらに、僕が今週ずっと悩んでいたのは、いわゆるミラー対称性を単なるホモロジカルミラー対称性の同値(Fukaya圏と導来圏の同値)としてではなく、より上位の構造、つまり場の理論のレベルでの同値として捉えることだった。
言い換えると、これは単なるA-model ↔ B-modelの交換ではない。
A/Bモデルを生む背景データ(シンプレクティック形式、複素構造、B-field)を、派生スタック上のシフト付きシンプレクティック構造として再記述し、AKSZ型の構成と整合させる必要がある。
そしてこの視点では、物理的なDブレーンは単なる境界条件ではなく、(∞,1)-圏におけるモジュール対象として統一される。
Dブレーンのカテゴリーが境界条件の集合だと考えるのは初歩的すぎる。境界条件は高次射を伴うので、最初から(∞,n)-圏で話さないと本質が消える。
特に僕のノートでは、弦の摂動展開で現れるモジュライ空間の積分を、単なる測度論の問題としてではなく、Derived Algebraic Geometry上での仮想基本類のプッシュフォワードとして扱う形式に書き換えた。
これをやると発散する積分を正則化するという話が、より厳密にオブストラクション理論に沿った積分の定義へ置き換わる。
そして、ここが本題だが、僕が今週ずっと考えていたのは、ウィッテンですら「直観的にはこう」と言うしかない領域、つまりM理論の非摂動的定義が、どのような普遍性原理で特徴付けられるべきかという問題だ。
僕の作業仮説はこうだ。弦理論が背景依存的だと言われるのは、結局のところ背景が点として与えられるという時代遅れの前提が残っているからだ。
背景は点ではなく、モジュライの高次スタックであり、その上に束ねられた量子状態の層(正確には圏)として理解されるべきだ。
つまり、弦理論はある時空での理論ではなく、時空の変形をも含んだファンクターにならなければいけない。
この視点では、背景の空間は単なるmoduli spaceではなくderived moduli stackであり、さらにgauge symmetryを含めるならhigher groupoidとしての性質を露わにする。
そして量子補正は、そこに定義されるshifted symplecticstructureの変形量子化として現れる。
問題はここからで、弦理論の双対性は、異なる理論が同じスペクトルを持つなどという安っぽい一致ではなく、ある(∞,k)-圏における同一対象の異なるプレゼンテーションだと考えるべきだ。
たとえばS双対性やT双対性を群作用として扱うと話が狭くなる。より正確には、双対性はスタックの自己同値であり、その作用は対象の上に定義された圏(ブレーン圏やBPS状態圏)の上で自然変換として実装される。
しかもその自然変換は単なる自然変換ではなく、高次のコヒーレンス条件を持つ。つまり、双対性は対称性ではなく、高次圏論的な同値のデータなんだ。
このあたりを真面目に書こうとすると、最終的には量子重力とは何かという問いが、どの(∞,n)-圏が物理的に許されるかという分類問題に変形される。
僕はこの変形が気に入っている。なぜなら分類問題は、少なくとも数学としての礼儀があるからだ。
さらに進めると、弦理論に現れるBPS状態やwall-crossingは、単なるスペクトルの不連続ではなく、安定性条件の変化に伴う導来圏のt構造のジャンプ、あるいはBridgeland stabilityのパラメータ空間上での構造変化として理解される。
ここでは物理粒子は、導来圏の中の特別な対象として現れる。つまり粒子は点ではなく、圏論的存在だ。
普通の人間はこの文章を読んで発狂するだろう。だがそれは読者側の責任だ。
この議論の延長で、僕は弦理論の非摂動的定義は、ある種の普遍性を満たすextended functorial QFTであるという形の定理(まだ定理ではなく、僕の願望)に落とし込めないか考えている。
要するに、弦理論は世界面から時空を作る理論ではなく、世界面も時空も両方まとめて、ある高次圏の中で整合的に生成される構造であるべきだ。
今の僕のノートの中心は「非可換幾何」「導来幾何」「圏論的量子化」の三点集合の交差領域だ。そこは地図がない。地図がない場所は、馬鹿には危険だが、僕には居心地がいい。
次に、趣味について書く。これも重要だ。なぜなら人間社会において、知性の維持には糖分と娯楽が必要だからだ。残念ながら僕は人間である。
MTGは今週、デッキ構築の方針を少し変えた。勝率最大化のためにメタを読むのは当然だが、僕が注目しているのは局所最適に陥るプレイヤー心理だ。
つまりカードゲームとは、確率と情報のゲームである以前に、認知バイアスのゲームだ。相手が「このターンで勝ちたい」という欲望を見せた瞬間、こちらは勝ち筋を計算するのではなく、相手の誤りの確率分布を計算するべきだ。
隣人にこの話をしたら、「え、怖い。僕、あなたとポーカーしたくない」と言った。賢明だ。僕も隣人とポーカーはしたくない。隣人はたぶん手札を口に出してしまう。
FF14は、ルーチンの最適化がだいぶ進んだ。僕はレイド攻略で反射神経を重視する文化が嫌いだ。
反射神経は筋肉の問題だが、攻略は情報処理の問題であるべきだ。ギミックは有限状態機械として記述できる。したがって最適行動は、状態遷移図の上での制御問題になる。
友人Aにこの話をしたら、「お前はゲームしてるのか研究してるのか分からん」と言われた。僕は当然「両方だ」と答えた。彼は笑ったが、この種の笑いは知性の敗北宣言である場合が多い。
アメコミは、相変わらず現実の倫理を歪めた寓話装置として優秀だと思う。
僕は「正義とは何か」という議論が苦手だ。正義は定義が曖昧だからだ。
登場人物が持つ制約(能力、社会構造、情報、感情)を明示すると、物語は心理学ではなく数理モデルに近づく。そうすると面白くなる。
ルームメイトにこの話をしたら、「僕はただ派手な戦闘シーンが見たいだけなんだけど」と言われた。
僕は「君の知性は観測不能なほど小さい」と言ったら、彼は不機嫌になった。観測不能は存在しないことと同義なので、むしろ褒め言葉に近いのだが、彼は数学が分からない。
僕の習慣についても書いておく。
今週も、朝のルーチンは完全に守った。起床後の手洗いの手順、歯磨きの回数、コーヒーの抽出時間、机の上の配置、すべて変えない。
人間の生活はノイズが多すぎる。ノイズが多い世界で成果を出すには、制御できる変数を減らすのが合理的だ。これは精神論ではなく、統計的推定の分散を減らす行為だ。
隣人が「たまには適当にやれば?」と言ったので、僕は「適当とは、最適化の放棄だ」と言った。彼は「そういうところが宇宙人っぽい」と言った。
宇宙人は証拠なしに導入する仮説ではない。彼はやはり陰謀論者の素質がある。
友人Bが「お前の生活、息苦しくないの?」と聞いてきたので、「息苦しいのは君の思考だ」と答えた。友人Bは笑った。知性の敗北宣言である。
これからやろうとしていること。
今の段階では、圏論と導来幾何の言葉でかなり書けたが、まだ計算の痕跡が残っている。僕はそれが気に入らない。真の理解とは、計算を消し去った後に残る構造のことだ。
具体的には、次は弦の場の理論を、factorization algebraの言語で記述し直す予定だ。
局所演算子代数を、E_n-代数として整理し、そこから高次の演算構造を復元する。
これがうまくいけば、弦理論における局所性の概念を、時空幾何に依存せずに定義できる可能性がある。
もしそれができたら、次は双対性を圏の自己同値ではなく、圏の上の2-表現あるいはhigher representationtheoryとして書き換える。
これにより、S双対性を単なるSL(2,Z)の作用として扱う雑な議論から脱却できる。
要するに、僕が目指しているのは物理理論を群で分類する幼稚園レベルの発想ではなく、物理理論を高次圏で分類する文明的発想だ。
その後はMTGの新しいデッキ案を詰める。今の構想では、相手の意思決定を局所的に歪ませる構造がある。人間は選択肢が多いと誤る。
これは心理学的事実であり、カードゲームに応用できる。倫理的に問題があると言われそうだが、そもそもカードゲームは戦争の抽象化なので倫理を持ち込む方が間違っている。
夜はFF14の固定活動。友人Aは相変わらず「気合いで避けろ」と言うだろう。
議論はループする。ループはコンピュータ科学の基本概念だ。だから僕はそれを受け入れる。
最後に、ルームメイトが「今度、隣人と映画を見よう」と言っていた。
僕は断る。なぜなら隣人は上映中に喋る。上映中に喋る人間は、社会契約を破っている。社会契約を破る人間に、僕の時間という希少資源を与える理由はない。
少なくとも、隣人の会話よりは。
金曜日、21:21。
僕は今日という日を、いくつかの確定事項と、いくつかの許容できないノイズの除去によって完成させた。世界は混沌を好むが、僕は世界を甘やかさない。
まず進捗報告から書く。午前中に洗濯を済ませ、タオルを用途別に畳み直した。世の中の大半の人間はタオルを大きさで分類するが、それは分類学の敗北だ。
タオルは水分吸収後に人体へ与える温度変化のパターンで分類すべきだ。僕はその分類をすでに完成させている。
昼は例のプロテインとナッツ。ルームメイトは「鳥かよ」と言った。僕は「鳥は飛べる。君は飛べない」と言った。会話終了。
最近、僕の頭を占領しているのは、もはや弦が振動して粒子になるみたいな子供向けの比喩ではない。
そんなものは学部生の精神安定剤に過ぎない。今僕が追っているのは、弦理論の存在論そのものが、より抽象的な数学的構造に吸収されていく瞬間だ。
従来の弦理論は、時空を背景として仮定し、その上でワールドシートの共形場理論(CFT)を構成する。
僕が最近読んでいる議論は、その揺らぎを、もはや幾何学ではなく圏論とホモトピー論の側から扱おうとする。
弦理論の真の姿は、たぶん幾何学的対象ではなくある種の高次圏の中の関手だ。
例えば、Dブレーンは単なる境界条件ではなく、導来圏の対象として現れる。
これは有名な話だが、僕が今考えているのはその次の段階で、ブレーンを対象として並べるだけでは足りないという点だ。
重要なのは、それらがなす安定∞-圏の中での自己同値性、そしてその自己同値群が物理の双対性を生成しているという構図だ。
つまり、S双対性もT双対性も、時空の幾何学変形ではなく、圏の自己同値の作用として理解されるべきだ。
幾何学は副産物だ。主役は圏のオートエクイバレンスで、その影が僕らに空間や次元という幻覚を見せている。
この視点に立つと、超弦理論は10次元の時空の上で定義される理論ではなく、あるモジュライ空間上で定義される圏の族になる。
しかもそのモジュライは通常の多様体ではなく、スタック、いや派生スタックとして扱わないと整合しない。量子補正が幾何を壊すからだ。クラシカルなモジュライはもはや粗すぎる。
そして今僕が面白いと思っているのは、物理的な散乱振幅やBPSスペクトルが、派生代数幾何の言語でいうコホモロジーの生成関数として現れるのではなく、より根源的にスペクトル代数幾何として再解釈される可能性だ。
普通の環ではなくE∞環、そしてそれを層化したスペクトル層の上で物理が書かれる。
これが意味するのは、弦理論の量子性が、確率解釈とか演算子代数とかのレベルではなく、もっと深いホモトピー論的ゆらぎとして実装されているということだ。
観測値の不確定性ではなく、構造そのものが同値類としてしか定義できない。
だから時空は何次元か?という問いは、すでに古い。正しい問いはこうだ。
この物理理論は、どの∞-圏に値を取る関手として実現されるのか?
そして粒子とは何か?はこうなる。
スペクトル化された圏の中で安定化された対象の、ある種のトレースとして現れる量が、観測可能量として抽出されるのではないか?
この辺りまで来ると、たぶんウィッテンでも「面白いが、それを計算できるのか?」と言う。
僕も同意する。計算できない数学は、芸術に片足を突っ込んでいる。
もっとも、芸術を嫌うわけではない。ただし芸術は、計算不能であることを誇るべきではない。誇るならせめて証明不能で誇れ。
さらに言うと、AdS/CFT対応も、境界CFTが重力をエンコードしているという話ではなく、境界側の圏論的データが、bulk側の幾何の生成規則を決定するということに見える。
bulkの時空は、境界の量子情報から復元されるというより、境界の圏の中の拡張のパターンが距離を定義してしまう。
距離とは、メトリックではなく、圏における対象間の関係性の複雑さだ。
局所性とは公理ではなく、圏がある種のt-構造を持ち、かつ心臓部が準古典的に見えるときに現れる近似現象だ。
つまり、局所性は幻想だ。役に立つ幻想だが。そして役に立つ幻想は、だいたい人間社会と同じだ。
昼過ぎに友人Aが来て、僕のホワイトボードに勝手に謎のロボットの落書きを描いた。
僕は当然、ホワイトボードをアルコールで拭き、乾燥時間を計測し、表面の摩擦係数が元に戻ったことを確認した。
友人Aは「こわ」と言った。僕は「科学を怖がるな」と言った。
そのあと友人Bがオンラインで通話してきて、「今夜FF14で極いかない?」と誘ってきた。
僕は予定表を開き、金曜夜の21:00〜23:00が知的活動に適した黄金時間であることを説明した。
友人Bは「お前の人生、イベントトリガーが厳しすぎる」と言った。僕は「君の人生はガチャ排出率みたいに緩すぎる」と言った。
とはいえ、FF14は僕の中で単なる娯楽ではない。あれは人間集団の協調行動の実験場だ。
8人レイドの失敗は、ほぼ例外なく情報共有の遅延と役割期待のズレで起きる。
つまり、ゲームではなく組織論だ。だから僕は攻略を感覚ではなく、ログを読み、DPSチェックを式で理解し、行動をプロトコルとして最適化する。
ルームメイトはそれを「楽しんでない」と言う。僕は「最適化は楽しみだ」と言う。
そして隣人は昨日、廊下で僕に「また変な時間に掃除機かけてたでしょ」と言った。
僕は「変な時間ではない。床の振動ノイズが最小になる時間帯だ」と説明した。
隣人は「普通に生きて」と言った。僕は「普通は平均であって、理想ではない」と言った。
僕はデッキのマナカーブを見直した。土地事故の確率を計算し、初手7枚からの期待値を再評価した。
僕は「確率分布を無視して勝てるなら、人類は統計学を発明していない」と言った。
アメコミは少しだけ読んだ。
スーパーヒーローの倫理体系は大抵破綻している。正義を掲げながら、法の外で暴力を振るう。
それは秩序のための例外という名の危険物だ。僕は物理学者なので、例外を嫌う。例外は理論を腐らせる。
だから僕はヒーロー物を見ると、いつも「この世界の法体系はどうなっている?」が先に気になる。
友人Aは「お前は物語を楽しめない病気」と言った。僕は「病気ではない。解析能力だ」と言った。
習慣についても記録しておく。
今日も、夕食の箸は右側に45度、箸置きは正中線から3センチ左、コップは水位が7割を超えないように調整した。
水位が8割を超えると、持ち上げる際の揺らぎが増える。揺らぎが増えると、机に微小な水滴が落ちる確率が上がる。水滴が落ちると、紙の上のインクの拡散が起きる。インクが拡散すると、僕のメモが汚染される。
誰も理解しない。だが宇宙も僕を理解していないので、引き分けだ。
さて、昨日の日記の内容は正確には思い出せないが、たぶん「量子と日常の無意味な会話」について書いた気がする。
ルームメイトの無駄話と、僕の理論的思考が衝突するあの感じだ。昨日の僕は、おそらく世界の愚かさに苛立ち、同時にその愚かさが統計的に必然であることに納得しようとしていた。
宇宙が示すのは、美しさとは、人間の圏が勝手に定義した関手にすぎないということだ。
これからやろうとしていることも書く。
まず、FF14の週制限コンテンツを消化する。効率的に。感情は挟まない。
次に、MTGのサイドボード案を2パターン作り、友人Aのプレイ傾向に対してどちらが期待値が高いかを検証する。
そのあと、超弦理論のメモを整理し、派生スタックとBPS状態のカウントがどのように圏の不変量として抽出できるか、もう一度筋道を立てる。
本来であれば、土曜日のこの時間は洗濯物の仕分けと、午後2時からのドクター・フーマラソンに向けた栄養補給(全粒粉クラッカーと適温に冷やした低脂肪乳)に充てられるべきだ。
しかし、僕の思考を占拠しているのは、エドワード・ウィッテンですら到達できなかった領域、超弦理論における高次圏論的モチーフとp進的タイヒミュラー空間の融合という革命的な着想だ。
既存の理論が11次元の超重力理論を基盤としているのは、単に数学的な怠慢に過ぎない。
僕は昨夜、カラビ・ヤウ多様体のホモロジー的ミラー対称性を、圏の枠組みを超えて、非可換幾何学における非アルキメデス的スタックとして再定義することに成功した。
ウィッテンが提唱したアド・ホックな双対性では、強結合領域の挙動を完全には記述できない。
僕はそこに、ホロノミー多様体上のディラック作用素をモチーフ的コホモロジーのスペクトルとして配置する手法を導入した。
これにより、プランクスケール以下での時空の泡立ちが、実はゼータ関数の非自明な零点と1対1で対応していることを証明しつつある。
これを理解できないルームメイトは、僕がホワイトボードに無限次元リー代数を書き殴っている横で「タイ料理を食べるか?」などという愚問を投げかけてきた。
彼の脳は、クォークの閉じ込め理論よりも、パッタイのピーナッツの量に執着するように設計されているらしい。実に嘆かわしいことだ。
午前中、隣人が僕の部屋のドアを正しいリズムを守らずに叩き、勝手に入ってきた。
彼女は僕が開発したMTGの新しいデッキを無限に誘発させ、相手に一切のターンを与えないという、数学的に完璧な勝利をもたらす構成に対して、「友達をなくすだけだよ」という非論理的な評価を下した。
さらに、友人Aと友人Bがやってきて、僕のFF14内でのプレイスタイルについて文句を言った。
僕はヒーローとして、全てのギミックをミリ秒単位の計算で処理し、パーティメンバーの移動経路をベクトル演算で最適化しているだけだ。
友人A(工学などという低俗な学問を修めた男)は「効率的すぎてゲームがつまらない」と言い、友人Bは「君がチャットで数学の講義を始めるせいでレイドが進まない」と主張した。
彼らは、エオルゼアの背景にあるエーテル伝導率が、実は超弦の振動モードの変種である可能性に気づいていない。
これからの予定は以下。
さて、思考の整理は終わった。
トレカ関連の資料を集めているんだが、ちょっとポケカだけ奇妙だなと思ってる
歴史があるトレカやおもちゃ、アニメのなかで、ポケカは過去の製品情報にたどり着くことが結構難しい
もちろんいつどんなパックが発売されたかはわかるのだが、パックのリストを一覧で表示したり、歴史的な解説記事を公式が出していることは滅多にない
ルールやUIも古いものと比べるとだいぶ変わっているし、タイプもドラゴンやフェアリーが増えたり減ったりしているのに、いつどうして変化したかが外部からみるのが困難だったりする
言い方が悪いけど過去作を切り捨ててる印象
一番厄介なのは情報の集約としての歴史あるwikiがほとんど存在しない点
遊戯王wikiほどではなくとも、ちょっとあっさりしすぎだし中途半端さが目立つ
特に過去の情報はほぼ断絶か飛び石ぎみで、公式もプレイヤーも歴史を追うのが難しくなっている
遊戯王は公式のサポートが手厚いしウィキの充実度は全ウィキ中でも上位に入るレベルの質と量を誇ってる
MtGは公式の中の人が阿保みたいに過去を掘り起こす記事を出しているし、過去のカードデータもその言語ごとに細かく見ることができてる
他のカードゲームやおもちゃとかも、サービス終了したりサイトが消滅していない限りはまあわかるんだけどね
ポケモン関連の商品としては歴史があるはずなのに文化の成熟がしていない印象だ
恐らくプレイヤーも開発側も人間が定着せず長い目でたどれる熱心な人がいなかったんだろうな
もちろん玩具の歴史ってのが重要かは人によるけど、巨大IPであるポケモンの一角で、カードという情報のかたまりであるにもかかわらず、歴史や文化がぶつ切りになっているのはちょっと不思議ではある
この弊害は中古市場にも表れていて、古いeシリーズの高騰が続いてる
知ってる人からするとそんなでもないものが値上がりしているのに本当に価値があるものは据え置きと、大変意味不明らしい
文化や歴史の断絶ゆえに有識者が不在のまま、本当の市場価値を無視して投機商材にさせられているようだ
やりたい放題だな
土曜日の16:26。
秒針の進みが不規則に見えるのは、もちろん僕の主観ではなく、脳内で走っている内部クロックが朝から非可換な補正項を拾っているせいだ。
昨日の日記では、世界は依然として説明可能であり、説明可能である以上、僕が説明しない理由はない、という結論に達していたはずだ。だから今日もその続きをやる。
朝から考えていたのは、超弦理論という言葉が、あまりにも粗雑なラベルとして流通している問題だ。
弦は一次元物体、という説明は教育的には便利だが、現代的にはほとんど嘘に近い。
正確には、弦理論は量子重力を含む一貫した摂動展開を許す背景依存理論の族であり、その実体は二次元共形場理論のモジュライ空間と高次圏論的構造の上に乗っている。
ワールドシートは単なるリーマン面ではなく、拡張された世界では、境界、欠損、欠陥、さらには高次欠陥を持つ拡張TQFTとして扱うのが自然だ。
Dブレーンは境界条件ではなく、A∞圏やL∞代数により制御される対象で、開弦のエンドポイントは派生圏の対象間の射として解釈される。
ここで重要なのは、物理的同値性がしばしば圏同値、あるいはスタック同値として表現される点だ。
ミラー対称性は、単なるカラビ–ヤウ多様体のホッジ数の一致ではなく、Fukaya圏と導来圏の等価、しかもそれがホモトピー論的に精緻化された形で成立するという主張にまで昇格している。
さらに厄介なのは、背景独立性の問題だ。AdS/CFTは成功例として崇拝されがちだが、実際には境界共形場理論という強固な外部構造に寄生している。
最近僕が気にしているのは、弦理論を理論の空間そのものとして捉え、各真空を点ではなく、∞-スタック上の点として扱う視点だ。
真空遷移はトンネル効果ではなく、モジュライスタック上のパス、しかもそのパス積分は単なる測度論ではなく、圏値積分になる。ここでは数値は二次的で、本質は自然変換の存在にある。
もはやウィッテンでさえ眉をひそめるだろうが、物理がこのレベルの抽象化を要求している以上、こちらが歩み寄る理由はない。
この種の思考をしていると、ルームメイトが後ろでコーヒーをこぼす音が聞こえた。
僕は即座に「カップの配置はトポロジカルに不安定だ」と指摘したが、彼は意味がわからない顔をしていた。隣人はなぜか笑っていた。
友人Aからは、ロケットと弦理論のどちらが実用的か、という愚問が送られてきたので、実用性は関手ではない、とだけ返した。
友人Bは相変わらずFF14のレイドの話をしてきたが、僕はDPSの最適化問題がラグランジアン最小化に帰着できる点だけは評価している。
昼休憩にはMTGを一人回しした。デッキ構築とは、制約付き最適化問題であり、メタゲームは動的システムだ。
禁止改定は外力項に相当する。アメコミは昼寝前のルーティンで、宇宙論的リブートの乱発には辟易するが、マルチバース疲労という現象自体は統計物理的に興味深い。
僕の習慣は相変わらず厳格だ。座る位置、飲み物の温度、日記を書く時刻。
今日までの進捗としては、理論的には、弦理論を高次圏論と情報幾何の言語で再定式化するメモが三ページ進んだ。現実的には、ルームメイトにカップの置き場所を三回注意した。
これからやろうとしていることは明確だ。
夕方はFF14で決められたルーティンを消化し、その後、再び弦理論に戻る。
具体的には、ワールドシートCFTのモジュラー不変性を、トポス理論の内部論理として書き直す試みだ。
時計を見る必要はない。秒針の位置はさっき自分で確認したし、木曜のこの時間に僕がここに座っていることは、もはや力学系の固定点みたいなものだ。
今日は一日中、もはや時空を基礎に置くという前提そのものが誤りなのではないか、という地点から考えていた。
多様体の上に量子場を載せるという発想は便利だが、便利であることと正しいことは一致しない。
弦の状態空間をヒルベルト空間として扱う段階で、すでに過剰な可換性を仮定している。
今考えているのは、弦の状態を対象、遷移を射とするような素朴な圏ですらなく、それらの間の自然変換が物理量として意味を持つような、∞-圏値の理論だ。
しかもその圏は、基礎体上に定義されていない。数ですらない。ホモトピー型理論と高次トポスの内部論理でのみ定義できる対象として、弦の相互作用を“存在”させる必要がある。
作用積分? そんなものは比喩だ。今やダイナミクスは、安定な導来随伴の存在性としてしか語れない。
これが何の理論かと問われれば、正直に言って、まだ名前を与える段階ではない。
ただ、少なくとも従来の超弦理論が持っていた次元や背景という概念が、不要なゲージ冗長性だったことだけは確信している。
この感覚は、理解というより検出に近い。ノイズが消えたときにだけ現れる沈黙の形だ。
こういうことを考えている最中に、ルームメイトが後ろから「コーヒー飲む?」と聞いてきた。
僕は振り返らずに「今は圏が非可換だから無理」と答えた。彼はしばらく黙ってから去っていった。正しい反応だ。
隣人は廊下で僕を見かけるたびに、なぜか挨拶の文言を微妙に変えてくる。今日は「こんばんは、今日は静かですね」だった。
僕は「静かさは状態じゃなくて差分だ」と言ったが、彼女は笑っていた。意味が通じていないとき、人はだいたい笑う。
昼過ぎ、思考が一瞬だけ収束を失ったので、頭の中でMTGのデッキを一から組み直した。
土地配分を確率測度として扱い、初手7枚の分布を弱収束で評価していくと、なぜかさっき考えていた高次随伴の存在条件と同型な構造が出てくる。
カードゲームが数学的に美しいのではない。数学が避けられないだけだ。
夕方にはFF14にログインしたが、戦闘には入らなかった。レイドのギミックは有限オートマトンとしては面白いが、今日はもっと非可算なものを扱っていたかった。
代わりに、装備更新の計画だけを立て、必要な資源をグラフ理論的に整理した。実行は後でいい。未来にやるべきことが確定している状態は、精神的に非常に安定する。
夜、アメコミを数冊読んだ。宇宙が何度リセットされても、因果律だけは編集部によって強制的に保存される。その雑さが好きだ。少なくとも、作者は自分が神だと誤解していない。
友人Aからはまた意味不明なメッセージが来て、新しい玩具の話をしていたが、仕様書を読まずに感想を語る行為には応答しないことにしている。
友人Bは相変わらず「それ、役に立つの?」と聞いてくる。役に立つかどうかという問いは、対象が局所最適に落ちることを前提にしている時点で、もう役に立たない。
今はもう、飲み物も所定の位置にあるし、椅子の角度も規定値だ。
それから、明日のためにMTGのサイドボード案を頭の中で3通りだけ完成させる。
ポケカ、遊戯王、MtG、と言ったトレーディングカードゲーム
正直、あんなのただの紙だ
カードがないとデッキができないとか言うかもしれないが、ぶっちゃけ大会に出ないならネットに転がってる画像を印刷してスリーブに入れればお遊びとしては全然成立する
なのに、バカ高い金を払って、大会に出るわけでもないのに本物のカードを集めて、眺めてキャッキャする
例えばクレジットカード
カードそのものではなくステータスやポイント還元に興味があるだけって人もいると思うし、そういう人が大多数だと思う
ただ、そんな人でも郵送された封筒を開き、クレカをペリペリ剥がすとき謎の高揚感を覚えることはないだろうか?券面にカッコよさを感じることはないだろうか?
個人的に三井住友Oliveゴールドカードのマットな黒に金の三角が右端に少し付いているあのデザイン、かなり好きだ
個人的には派手なカードは嫌いだが、メタルカードのラグジュアリーカードやアメックスの一部カードにワクワクする人もいるだろう
(逆に楽天カードとかむしろテンション下がる券面のカードもたくさんあるが)
だが、ここまでスマホが普及した今、別に物理カードなんていらないはず
なんならメタルカードなんて使えなかったりするし何のためにあるのかよくわからない
なのにメタルカードを選んでしまう、そんな魔力がクレカには潜んでいる
弊社の名刺はただのゴミカスだが、デザインや紙に拘った素敵な名刺は確かに存在する
ペーパーレスの世の中ではいろんなものがデータ化され、紙は悪という扱いさえ受けることがある
実際、申込書が紙だとゲンナリする
そんな世の中ならトレカだってクレカだってペーパーレスになってもいいはず
なのに、デザインや質感にこだわったカードが次々と出てきて、それにときめきを覚える人は多い
希少性があるから?コレクターズアイテムだから?そうかもしれない
ただ、最近のトレカは希少性だけで値はついていない気がするし、クレカもOliveやJCBなら誰でも作れる
A4だと何とも思わないただの紙が、なぜあのサイズになると色気を持ち始めるのか
水曜日の22:44。
今日は時計を見てから書き始めたわけではないが、結果としてこの時刻に落ち着いた。
朝はいつも通り起床して、動線の再最適化を頭の中で確認しながら歯磨きを128ストロークで終え、同じ温度の紅茶を用意した。
午前中は完全に物理の時間に割り当てた。超弦理論という呼び名自体がすでに粗い近似に過ぎないので、今日は理論という語を使わず、構造の話だけをすることにした。
具体的には、背景独立性を前提としない定式化をさらに推し進め、時空を可微分多様体として仮定する癖を断ち切る作業だ。
p進化的な視点から見ると、連続体の極限は実数体である必然性がなく、むしろp進体上での解析の方が自然に現れる対称性が多い。
世界面の量子化をp進解析で再構成すると、摂動展開そのものが意味を失い、代わりにホモトピー型の不変量が前景化する。
そこでコボルディズム仮説を持ち込み、弦の相互作用を時系列の出来事としてではなく、境界付き多様体の同値類として扱うと、散乱振幅は数ではなく元になる。
これは「計算できない」という欠点を持つが、同時に「矛盾しない」という利点を持つ。
ウィッテンがどう考えるかは知らない。理解主体を特権化しない構造だけが残る。その状態で午前は終了した。
昼にルームメイトがキッチンでコーヒーをこぼし、僕の動線に2センチの乱れが生じたので指摘したところ、「細かすぎる」と返された。
細かいのではなく、誤差許容幅を明示しているだけだと言ったが、彼は聞いていなかった。
MTGのデッキを机に広げ、マナカーブと引きムラを統計的に再確認した。
ここでは抽象化をやりすぎないことが重要で、確率は確率として扱う。
友人Aが「そのカード弱いだろ」と言ってきたので、勝率の分散を示して沈黙させた。沈黙は同意とは限らないが、反論がないという点では十分だ。
夕方からはFF14。固定パーティでの動きはすでに身体化されているので、今日は新しい回しを試さず、安定解を選択した。
友人Bは相変わらず必要最小限しか喋らず、その沈黙が全体のDPSを底上げしている。
隣人は壁越しに笑い声を上げていたが、内容はどうでもよかったので無視した。
連続性や正史に対する無頓着さは、物理から完全に切り離された場所でだけ許される贅沢だと思う。
そして今、22:58。
今日までの進捗としては、物理に関してはp進解析とコボルディズムを軸にした再定式化の見取り図がかなり明確になった。
これからやることは、その構造をさらに一般化し、数体すら前提にしないレベルまで抽象度を上げることだが、それは明日の午前に回す。
月曜日の8:00。正確には7:59:58に着席し、2秒の呼吸調整を経て書き始めている。
これは偶然ではなく、僕の週間認知パフォーマンスが局所的に最大化される開始時刻だ。異論は統計的に誤差扱いでよい。
先週までの進捗を要約すると、超弦理論の「理論であること自体がもはや仮説にすぎない層」に踏み込んだ。
具体的には、10次元時空上の超対称σ模型を出発点としながら、その背後にある圏論的構造、特に∞-圏としてのブレーン配置空間と、自己双対性を持つ拡張TQFTの対応を、通常の幾何学的直観を完全に放棄した形で再定式化している。
弦の摂動展開を次数で整理する発想はもはや役に立たず、代わりにホモトピー型理論と導来代数幾何の言語で「物理量が定義可能であること自体の条件」を記述する段階に来ている。
ウィッテンですら「美しいが、何を計算しているのかはわからない」と言いそうな地点だが、問題ない。計算できないものの存在条件を精密化するのが理論物理の一つの正道だからだ。
先週の成果として特筆すべきは、モジュライ空間の境界に現れる特異点が、実は欠陥ではなく高次対称性の痕跡として再解釈できる可能性を示した点だ。
これは弦が「振動する対象」であるという比喩を完全に捨て、圏の射が自己反映的に折り畳まれる現象として理解する立場に近い。
ルームメイトに説明を試みたところ、「つまり、何もわかってないってこと?」と言われたので、黒板に3段階の随伴関手を書いて黙らせた。彼は5秒で視線を逸らした。予想通りだ。
MTGでは、確率論的に最も安定するマナカーブを再検証し、友人Aのデッキが「強いが美しくない」ことを数式で証明した。
彼は納得していなかったが、それは彼が証明と説得の違いを理解していないからだ。
FF14では、レイドのギミックを位相空間として捉え、失敗パターンがどのホモロジー類に対応するかを頭の中で整理している。
隣人に「ゲームは娯楽でしょ?」と言われたが、僕は「最適化問題は常に真剣だ」とだけ返した。
アメコミについては、世界改変イベントの多さが物語的一貫性を破壊している点を、時間対称性の破れとしてノートにまとめた。
友人Bは途中からカレーの話を始めたので、会話は終了と判断した。
習慣についても書いておく。月曜日の朝は必ず同じ順序で行動する。起床、歯磨き42ストローク、コーヒーは温度62度、椅子の角度は床に対して正確に90度。これらは迷信ではなく、意思決定に使う脳内リソースを節約するための最適化だ。
隣人が「細かすぎ」と言ったが、細かさは知性の副作用であって欠陥ではない。
まず、先ほどの理論をもう一段抽象化し、物理と数学の区別が消える点を明示する。
次に、昼までにFF14の固定メンバーに最短攻略手順を共有する。
午後はMTGの新デッキ案を検証し、友人Aに再び敗北の必然性を理解させる予定だ。
夜はアメコミを読みながら、なぜ多元宇宙が安易な逃げ道になるのかを論理的に解体する。
8:21。予定より1分早い。非常に良い月曜日だ。
はじめに言及しますが、主観ゴリゴリです。合わない奴は回れ右。
男。社会人歴はそこそこ。女性の多い職場で長々と働いてきた。そんな自分が思う「ダメな女上司の特徴」を淡々と雑に書き殴っていく。
①役割分担を明確にしない
チームで仕事するとき役割を曖昧にしがち。女性特有の「察する文化」「細かく会話する文化」「気配りの上手さ」「マメさ」によるものだと思ってる。
女性しかいないチームだと問題になってない印象。平均的な男にはこのやり方は通用しない。男は理屈人間なので、曖昧なこと言われてないことは基本やらない。男にヘイトが向けられがちなパターンのように見えるが、役割をはっきりさせない上司の方が怠慢だと思ってる(まあ男も寄り添わんといかん)。
なお、責任の所在もはっきりしない。「私の責任です!」なんて発言聞いたことない。
②やたら仲良くさせようとしがち
①と似ているが、やたら仲良しにさせようとしてくる。何でもかんでもみんなでやる。「え?この仕事を複数人でこなすんですか?」みたいの状況がある。
小学校の先生かよってたまに思う。実際女性側もやんわり感じつつ茶番に付き合ってあげてるよね?
③伸びしろに期待しない
身の丈にあった仕事量を振りがち。できるかわからんが思い切って任せてみようみたいなのが少ない。よく言えば現実的。新人教育には向いている考え。
関係ないけどギャンブルやらせたら期待値追うより的中率を重視しそう、、、。人の適正を見抜くのは上手ではない?部下の成長とか興味なさそう。
④ちまちま男へマウント取りがち
「男より優れている私」「男を言い負かしている私」みたいなのが節々にある。いらんわそんなの暇かよ。矢印どこ向けてんのよ。
酷いと「男のくせに〜」構文が出てくる。関係ないけど女性⇨男性のセクハラってあまりフォーカスされないよね。
言葉を生き物のように扱う傾向にある。言葉を記号として扱う男とは相性悪い。言葉の意味は統一してほしい。
部下の意見に同意したかと思えば、上席から否定されると一緒になって否定してくる。部下からの提言が上席への受けが良い場合「私もそう思ってました!」と合わせてくる。嘘つけ。前と言ってること違うぞ。似た事例で部下の主張を否定するが、上席がその主張に同意のスタンスをとっていた場合、あたかも自分の意見として部下の主張を横取りする。
文脈ではなく点で反対意見を述べるから、議題や課題に対する問いが一向に成熟しない。討論ではなくただの喧嘩。
数字を使えばロジカルだと思ってる節あり。事象を自分にとって都合の良い表現や解釈に変えて論理を展開しがち。
今その話関係ないでしょ?って内容を具体例として引き出してくる。
⑧思い込みが激しい
相手の態度に一喜一憂していつの間にか被害者スタンスをとってくる。いつの間にこちらが悪くなってる⁉︎ってなる。おいお得意の細かい対話はどうした。
チャットで十分だろ
⑩機嫌に波がある
機嫌が良いときの猫撫で声やめろ。「〇〇く〜ん」って呼ぶな。あんたいくつよ。
機嫌悪いとき気分で人を詰めるな。八つ当たりもするな。他の部下の悪口を言うな。
色々書いたけどぶっちゃけ環境や職種次第でまた変わってくると思う。
女性しかいない職場だと男から見て想定外の現象がありそうだし。
上の内容を見て「別にそんなことないけど」「イヤイヤ男だって同じだろ」などの感想は出てくるだろうな。
とりあえず以上です。
バイバイ。
3月に京都でMTGのスタンダードBO3の大会が400人規模で行われるらしい
その特典として、人気イラストレーターのカードが参加賞・上位入賞でそれぞれ1枚づつ貰える
ただし参加費は一人5,500~6,500円
これを気軽かというとちょっと違うとは思う
ただ、こんな大会に出るのは相当擦りまくった古参なわけで、5000円と交通費も出せないってのは単なる貧乏アピールにしかなっていない
地域の大会が5000円なら絶対に来ないだろうが、公式が宣伝していて参加賞だけでもなかなか豪華なので、それに5000円はまあ妥当かな
朝起きて最初に考えていたのは、超弦理論という名前がいかに多くの誤解を温存しているか、という問題だった。
今僕が扱っている対象は、もはや物理理論ではない。むしろ、物理理論という概念そのものを内部対象として含む数学的環境だ。場の量子化も、時空の選択も、可換性条件を満たす高階射の存在に還元される。
最近は、理論空間全体を「理論の理論」として扱う立場をさらに推し進めている。具体的には、各一貫した量子重力理論を対象とし、双対性・極限・退化・次元の出現を射とする(∞,2)-圏を考える。
この圏の内部論理では、「摂動的」「非摂動的」という区別自体が、異なるt構造の選択に過ぎない。真空とは基底状態ではなく、あるスタックが持つ自己同型群の軌道の一つだ。
重要なのは、ここで時空が初期データとして存在しないことだ。ローレンツ対称性すら、ある普遍的対象に対する自己同値の安定部分群として事後的に回収される。
次元は整数ではなく、安定ホモトピー圏における切断の消滅次数として現れる不変量になる。
この段階では、弦は一次元的対象ですらない。弦は、理論間関手が持つ自然変換の失敗度合いを測る障害類としてのみ痕跡を残す。
ここまで来ると、直観という言葉は完全に無意味だが、可換図式は静かに閉じている。
この抽象性の中で朝食を取った。メニューは固定されている。選択肢があると、不要な自由度が思考に混入する。コーヒーを淹れながら、頭の片隅ではMTGの環境解析を続けていた。
メタゲームとは、個々のデッキの強弱ではなく、戦略分布が自己参照的に更新される動的系だ。あるデッキが強いという命題は、その命題が共有された瞬間に偽になり始める。
これは量子重力における背景独立性と同型だ。固定された環境を仮定した最適化は、常に一段浅い。
午前中の後半はFF14に入った。戦闘は単なる娯楽ではない。スキル回しは、有限周期を持つ非可換演算の列であり、理想状態とはそれが一つの準同型として閉じる点だ。
ラグや入力遅延は、射の合成が厳密でないことに対応する。完璧な回しが気持ちいいのは、局所的にではあるが、圏がほぼ厳密化される瞬間を体感できるからだ。
少し休憩してアメコミを読んだ。並行世界やリブートが乱立する構造は、物語の破綻ではなく、単一の時間軸を基準にした読解が破綻しているだけだ。
キャラクターとは個体ではなく、制約条件を満たす表現の圏そのものだ。異なる世界線は異なるファイバーに過ぎず、同一性はファイバー間の同値としてしか定義できない。
この読み方をすると、設定矛盾は問題にならない。問題になるのは、自然変換が存在しないことだけだ。
ルームメイトが何か話しかけてきたが、内容は抽象度が低かったので処理しなかった。
隣人の生活音は、ホワイトノイズとして無視できる範囲に収まっている。
友人Aと友人Bからの連絡も確認したが、応答は時間スロットが来てからにする。割り込みは、理論の一貫性を壊す。
この後は、今朝構成した(∞,2)-圏の定式化をさらに一段引き上げ、理論空間全体を一つの内部論理として閉じられるか検証する。
アメリカ以外では日本で人気のTCGだけど、日本にはもっと多くのTCGがあるので分が悪い
日本人が基本的に戦略・競技寄りの構築戦が好きな民族なので、本家アメリカのように極端なカジュアル寄りの戦略と全然かみ合っていない
今後MTGは大会でガチの対戦をする人は滅び、おじいちゃん同士のテーブルゲームになるのが確定しているため、日本人向けの製品がなくなる可能性が高い
というか現状のスタンってたぶん日本人くらいしかやってないと思うんだ
だから日本人にしか作れないスタン向けのパックを売上的に切ってもいいとなったら、まじでMTGは日本から撤退するだろう
ちなみに日本でも統率者は人気だけど、それで統率者一色になったら他のTCGプレイヤーからは完全に見放されて孤立するので、どっちにしてもスタンが生き残らないと日本MTGの未来はない
SIerにいた頃、酷い時は一週間の勤務時間のうち37.5時間全てが会議だった。
自チーム内の進捗確認のmtg、自チームの進捗を課長と部長に伝えるためのmtg、そこででてきた新たな情報をまた自チームに下ろすためのmtg、それが終わったらSESと下請け合計3社との進捗確認mtg。下請けから「仕様が定まってないシステムを作ることはできない」と怒られる。◯務省に「いつ仕様決まりますか」と質問票をぶん投げる。一週間音沙汰がない。残り時間は社内の営業とコールセンターとCSとの会議。なんかもうとにかく怒られる。四方八方から好き勝手にめちゃくちゃなことを言われる。もうリリースしてしまった物に対して「これじゃ我々非エンジニアには扱えない」とか言われる。仕方ないから空き時間で大急ぎで作って渡したツールのソースコードを見て「このif間違ってるよ」とか言われる。でも直してくれるわけではない。
そうこうしているうちに何ヶ月も何年も過ぎていく。
teamsとexcelをマウスが往復するためだけに存在しているノートPC。
システムエンジニアリングにおいて、コーディングやテストをAIに丸投げした後で待っているのはこういう生活である。
あなたたちはプログラミングがしたくてエンジニアになったのに、なぜわざわざ会議とエクセルだけで埋まる生活を送りたいと思うのか。
「誰でもできるコーディングはAIに任せて人間しかできない素晴らしい仕事を」という考えは夢を見すぎている。
自分で手を動かさないで人に命令しているだけでお金が欲しいなら起業でもしたほうがまだマシだ。
AIにやらせるAIにやらせるとそればかり言っている人が一体どこを目指しているのかわからない。
ずっと寝っ転がってお菓子を食べながら「ヘイAI、なんか楽なシステム作って」と指示するだけの暮らしではないよね?
でもあなたたちが漠然と思い描いているゴールはどうもそっち寄りに見える。
SIerの古株にはしばしば実際に客にお出ししているプロダクトの中身を全く理解しないまま何年も積み重なった複雑な仕様を自然言語だけで暗記しているやつがいる。そいつらはすごい偉そうにふんぞり返っている。
そいつらがいなくなったら誰も仕様がわからなくなるからだ。生き字引としての確固たる地位に縋り付いて生きている。
AIにコーディングを任せた結果残された人間は必ずこうやって知識にあぐらをかいてブクブク太っていくと思う。
AIによって属人化を解消して新時代を築くはずが、気づけばAIによって技術を更新する権利は奪われ、残ったカスみたいな仕事に縋り付いて無駄金をチューチューするだけの無能集団に成り下がるのである。本当にそれでいいですか。
会社を辞めた先輩Aの話。
おれより社歴が5年ほど上で年齢はアラフォーだと思う。
仕事内容はWebサービスの開発運用だ。開発はほぼ順委任で外部にお願いしている。案件の要件定義だけして外部に依頼、仕上がったシステムをレビューテストしてリリースする。
おれたちにはある程度要件が整理された状態で仕事が降りてくる。普通ならそこである程度設計に落とし込んで外部に依頼するのだが、Aは丸投げする。絶対に手を動かさないのだ。資料も作らないし、議事録も取らない。定例会議も資料を用意せずフリートークで進行する。お客さんとの打ち合わせも資料を作らず誰かがつくったありもので乗り切る。うまく回っていれば良いのだが全然そうではない。
Aの担当案件で障害が発生してもAは何もしない。上司が勝手に拾って影響調査から顧客調整までやっている。おそらく上司もAは何もできないと思っているのではないか。Aは上司が言ったこともやらない。MTGのときに肩肘をついて姿勢が悪い。話の途中に割り込んでくる。腰を折るだけで大したことは言ってない。全体的に仕事のスタイルが古いのだ。何も言わない上司にも若干腹が立っている。俺たち同僚もAのフォローに手を焼いた。運用を考慮せず相談もせず適当に進めて後で立ち回らなくなる状況を作る。Aはテストをしない。リリースしても監視の仕組みを入れない。それにはさすがにマジかと思った。本当にやらないのだ。でもA本人は仕事をした気になっている。本当にタチが悪い。いいところを挙げるとすれば文句を言わないことだ。人が良いのだと思う。かなり周りにフリーライドしているけど。
Aは社歴がそこそこ長いので準リーダー的なポジションで立ち振る舞っている。チームの人間は懐疑的に見ているが、他部署の人たちはうちのチーム事情なんざわからないので、Aに信頼を寄せているところが見られたりする。Aは頼られると満更でもない感じになる。
そんなAがこの前退職した。理由は知らん。家の都合がなんとかと言っていた。引き継ぎもひどいもんだった。Aがやってないタスクを若手Bに丸投げしていた。まじ可哀想。引き継ぎのしかたも酷いもんで、協力会社さんが作った設計書をみながら肩肘ついて口頭で説明していい気分になって引き継ぎ完了としていた。本人は責任を果たした風に思っていたようだが、おれは寒い目で見ていた。
退職日は丁寧に菓子折りを用意して一人一人に挨拶をしていた。引き継ぎもそのくらい丁寧にやれよ。
他部署の人とのやりとりが聞こえてきた。
「Aさんがいなくなって戦力ダウンすねー」「いやいや、あとはBがしっかりやってくれますよ」
けっ、いまその瞬間もBはお前が残したタスクをやってんだよ。
「これAさんに餞別です」「えっいいんですか、ありがとうございます」
以前からアナウンスがあったとおり、遊戯王OCGはイラストが従来の枠を超えて飛び出しているようにみる「オーバーフレーム」を出してきた
https://x.com/mizukame_MHF/status/2002183379715072319
https://x.com/yukurach/status/2002282967851512048
通常版のほかにこのようなオーバーフレームを出してきたのは遊戯王の歴史に刻まれる出来事だと言っていい
だけど、結論を言えば、俺は好きだが期待した以上のものじゃない
イラスト自体はカッコいいんだが、他のTCGとの差別化が全然図れていないんですよ
フレームレスとかどのTCGでもやってることで、遊戯王が今更それを見習ったとしても単にイラストを巨大化させただけってのが丸わかり
なぜならイラスト以外は特に変更がないので、良くも悪くも遊戯王の体裁がそのまま残っていて、全体が最適化されていない
遊戯王はTCG黎明期に登場したこともあって全体的に古臭いデザインだ
これらが際立つ
特にモンスターはその傾向が顕著で、カードの主役と言っていい中央のイラストは額縁によって切り取られて全体的にこじんまりとしている
またモンスター自体が棒立ちだったり、背景がさほど作りこまれていないこともあって、全体的に「証明写真」という印象がとても強いデザインだ
さらにカードにおいて重要なテキスト部分の視認性は全カードゲームの中でも最悪と言っていい
テキストはイラストと同じく枠で囲まれているが、肝心のテキストはいったい何pxかわからんほどに小さく、記号も使っていないので非常に読みづらい
遊戯王はキーワード能力といったテキストを短く納められる手法を取り入れておらず、さらに総合ルールを持っていない
そのためテキスト自体に全てを詰め込む必要があるので、テキストの総量が長い傾向が強い
さらにカード自体がTCGではややマイナーなスモールサイズという小さい紙であり、テキストの主要な部分は全体の30%程度と小さい
つまり、テキストで全てを完結させようと小さい枠の中に詰め込んでいるせいで、視認性が極端に悪いTCGの代表になっている
せっかくイラストがかっこよくなり、躍動感がでているのに、テキストが読みづらい問題を棚上げしている時点でUIの刷新をあきらめているのが如実にわかる
せめて他のTCGと同じくルールテキストを可変長にしたり、テキスト部分もフレームレスにすればよかったのに
TCG黎明期は本当にいろんなカードがでてきたため、どれもこれも差別化を図っていた
後発のTCGはそれらの知見を参考にして最初からより最適なUIで出している
ヴァンガードなどが顕著だけど、イラストがカード全体に配置されてそこに重なるようにテキストやカード情報が記載されているというのが近年では普通になっている
https://cf-vanguard.com/cardlist/?cardno=DZ-BT10/004&expansion=283&view=image
けど、遊戯王はそのダサいUIがある意味で最適なんじゃないかと思うよ
イラストをでっかくすればみんな喜ぶというのは確かにそうだけど、TCGがここまで普及した現代においては「なんちゃって感」の方が強い
上の方で言ったけど、テキストやレベルといった重要なカード情報はイラストに対して特に刷新されていない
ということはイラストがデカくなって視認性はそのまま悪いだけのカードに成り下がったと言っても過言じゃないのよ
そのため、中途半端さが出てくる
その中には単に既存のイラストをちょっとアレンジしただけのもあれば、全体のフレーム自体の雰囲気を変えたり、あるいはもはやMTGとぱっと見ではわからないくらいに印象を変えてるものもある
https://magic.wizards.com/ja/news/card-image-gallery/kamigawa-neon-dynasty-variants
ちょっと前のスタンにあった神河は、神社とネオンを意識したフレームデザインをヴァージョン違いとして取り入れているよね
これが良いか悪いかはさておき、イラストを大きく変更したものをつくるならこれくらいはっきりとコンセプトを出してほしいものだ
遊戯王はいままで、あのこじんまりとした不細工なUIを誇示していたからこそ、他のTCGと差別化されていたと感じる
けどオーバーフレームを取り入れた結果、よく似たカードゲームと真正面から戦わなくてはいけなくなった
なら、最初から最適化して作られているカードゲームの方が見やすくてきれいに映るのは当然だろう
そして何よりOCGと比較してラッシュデュエルのUIが良かったというのが印象に残る
という点で大きく違う
なのにOCGにはその良い点が殆ど生かされていない
イラストが飛び出しただけで最適化もしていないUIはラッシュに近づいた結果、ラッシュに劣ることが暴露されてしまったんだよね
良い意味で古参が頑張っていた遊戯王に新しい風が吹いた結果、変えなかった方が実はよかったんじゃね?と思うに至る
古いUIのまま最適化されていったものを新しくしようとしたのに、古いUIをリサイクルしているから全体がチグハグになっている
OCGは面白いと思うけど、正直言って他のTCGをみると本当に遊戯王は古臭くてダサいなって部分が多い
遊戯王と言えば、上部にモンスターの名前、属性、レベル、イラスト、効果とくるのはみんな知っているだろう
モンスターは基本茶色で、シンクロエクシーズなどは白・黒といった感じ
それ自体は慣れればいいんだが、ちょっとでもほかのTCGと並べてあると「あーーうん、遊戯王のデザインだな」と消極的な気持ちになるのは否めない
イラストの枠がかっちりきまっているからか、どうしても窮屈なデザインとUI
昔の「ほーむぺーじ」を見ているような感覚がある
あと、全体のバランスがとても悪いんだよな
効果テキストが一番注目されるはずなんだが、ここが全体の3分の1未満の容量しかない
そこに詰め込めるだけ詰め込んでいるからすごく読みづらい
何で一番大事な部分が一番読みづらいんだろうか
棒立ちのモンスターがぐるぐる背景の前にいる印象だと思う
まあそこまで酷いのは近年は少ないけど、ぶっちゃけあまり変わらないと思うよ
https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=1&sess=1&pid=1000009535000&rp=99999
悪く言えば「証明写真」
でも正直、遊戯王のあの古臭いカードデザインの中に押し込むと途端に「いつもの証明写真」になってしまう
もちろん魔法罠はそこまでのっぺりはしていないし、気合を入れているカテゴリーは背景も段違いだ
だけど半数はJ2の証明写真みたいに躍動感が足りず面白みが薄い
まあ遊戯王している人はごちゃついたイラストがたぶん好みじゃないってのは確か
フレーバーテキストってわかる?
カードのどこかにある、効果テキストとは違うモンスターたちの情報を書いたおまけみたいなもの
他にはこんなのがある
謎の呪いをかけられて竜魔族に似た竜の力を発現しているが、
自律型増幅器「PSYフレーム」を駆り、セキュリティ・フォースに強襲を仕掛ける。
その姿は、正に電光石火の如し。
こういうのはストーリーの補完的な意味もあり、実際にフレーバーの中でのみ語られるストーリーは存在する
世界観を語ってるとすれば、DT世界のクリフォートツールが面白いかなと感じ程度
ああいった世界観を表現するにはフレーバーテキストがうってつけだと思う
だけど、基本的に遊戯王って「このモンスターはこういうのです。強いです」的なニュアンスしかない
一言であらわすと手抜きだよな
フレーバーテキストってTCGではおなじみだし、別になくてもあってもよいものなんだ
だけど各社は伝統的にフレーバーを入れたがるし、各社がそこそこ工夫をしている
TCGによっては各パックの中で優秀なフレーバーを投票している動画を上げていたりする
それに比べると遊戯王のフレーバーテキストって、単純に数が少ない上にほとんどが糞ダサ手抜き文章ばっかりなんだよな
ほんの一握りの世界観を現したフレーバーをみんなでわっしょいしているのが現状
そういうと「遊戯王はフレーバーで勝負していない」っていう人いると思うけどさ、他のTCGで普通にやってることできていないんだからさ
これは本当に感覚的なものなんだが、遊戯王はあのせまいテキスト枠の中でできるだけ効果を詰め込むことに全力を費やしているためか、非常に遊びが少ない
別に遊戯王のテキストが分かりづらいとは思わないし、数年前から劇的に良くなっていると感じる
けど逆にいえば似たり寄ったりな説明文を延々と読んでいる感覚に陥る
最近のTCGは初見でも理解しやすいよう開発の段階からテキストの工夫がみられる
色分けして発動条件がはっきりしているのがもはや普通
けど遊戯王って各カテゴリーごとのフレーバー的なものが本当に感じられない
全部平文で黒い文字だけで表現されているからってのが一番だけど、それにしたって硬い文章に感じる
そのわりになぜか冗長なんだよな
総合ルールに裏付けられていないから自由律なはずなのに、なんか妙につかみづらい印象がある
遊戯王に慣れた人が他のTCGを見下す傾向があるのは、たぶんこういうテキストの読み込みが得意な古参が生き残ってるせいもあるんじゃないかな?
俺はこんな文章もスラスラいえるんだぜってなんかドヤってそう
ただし俺にとっては他のTCGと比較して極端に小さな文字で硬くて冗長な文章が並んでいるのはちょっと今の子供には厳しいんじゃないかなって思う
毎回そうなんだが、インフレを意図的に起こして禁止改訂で調整するというスタイルはもう疲れるんだよなあ
ぶっちゃけコナミが日銀トップになれば日本経済変わるんじゃね?とはいつも思う
そして毎回思うんだが、禁止改訂の理由ってまるでわからないんだよな
全てにおいてユーザーの動向に寄せているから反発がほとんど起きないのだが、じゃあMDとかで禁止されたカードがどういう経緯で禁止になったか、今後どうすべきかとか誰もわからない
俺はMTGもするからMTGの開発日記とか改訂のたびに発せられる言い訳ブログとか読むわけだ
他のTCGだって改訂に対してほんの少しの理由を添えたり、レギュレーション導入においてオキモチ表明していることだってある
でもさ、遊戯王ってそういうのないんだよな
なんていうか、遊戯王の開発側の声ってユーザーにはほとんどわからない
それがどうしたって思うだろうけど、俺としては「もうちょっとなんかないの」と毎回思うわけだ
遊戯王がショップに並んでいると時々そこだけ時間が止まって見えることがある
まあそれがいいともいえるけどね
でも本当にUIはWindowsXPどまりなの、ユーザー側が指摘して欲しいんだよな
新規こねーぞ
これは数年前から言われているけど、ユニバースビヨンドの追加で従来よりはるかに1年間の発売セットが増えている
スタンダードも最長3年なので長く多くのセットを扱えることは魅力だけど、同時に2カ月程度で新セットが発売されるのはやはり異常
この弊害としてメカニズムのチェックが短期間しか行われずバランスを欠いていることが多いし、ネタ被りが出てきている
このままいけばどっかで見たことあるカードが短時間に増えて新規勢から見放されるだろう(そもそもいないけど)
憶測だが、5年後にはスタンダードをはじめとした競技フォーマットは事実上なくなるだろう
かろうじて名前だけが残るけど、誰もスタンダードで遊ばないと思われる
事実上アリーナがスタンの受け皿になっているけど、そのアリーナも改修しないとあちこちバグが流出していて、5年後にはどうしようもなくなっている可能性が高い
現在でも各種TCGの中でも遊戯王と肉薄する治安の悪さなので、年長者が古参ぶって新規をイジメる構図が出来上がっているのがマジで終わってる
以前から言われているけど、MTGwikiは有志の面々が細々と続けているものの、管理人が事実上放棄しているのでとても使いにくい
頻繁に503エラーがでるし、明らかに新規カードの記事が間に合っていない
それって速報性が求められる現代では致命傷
そして管理人が執筆者を全然信頼していないことがわかっているので、そういう改善をしてくれることはたぶん永久にない
儲かっているわけでもないということは、それだけ需要がなさすぎるんだよ
閉鎖しないのは単なる管理人の気まぐれで、一時封鎖するような問題があったら二度と復旧しない可能性もある
もはや20年くらい前の記事を眺める以外の用途がないけど、ないと困る存在
でもこれ自体は点滴に繋がれてベッドに寝かされている状態なので、もう緩和ケアに入ってると思っていい
そもそもMTGは各フォーマットごとに派閥があるので、事実上一つのゲームが分割されている
なのでそれぞれが別のフォーマットの人を貶し、いがみ合う構図が常態化している
スタンに居た人がモダンや統率者に行けば、スタンはもう終わりだとかいう始末
当然新規層を常に警戒しているし、統率者内部でもさらに細分化されて議論しているので、盤外戦術でしか戦っていない状態
統率者は完全にゲーム内で別ゲームしているので、もう完全にMTGという括りから脱しているようなもの
新規層への受け皿である唯一の突破口がユニバースビヨンドだけど、古参は常に従来のMTGのストーリーを重視している
けど、正直チャンドラとかボーラスの話で面白いものがあったわけではないし、外部の人にアピールできるような魅力的なキャラがあるわけでもない
理由は明白
面白くないものを面白いと思い込んでいる古参が、新規勢のためのUB戦略の足を引っ張ってる
面白いならきちんとそれをアピールできるはずなんだが、最近の話ですら碌なストーリーがないのはもう終わってる
まあこんなの10年くらい前から言われているけど、MTGWikiとアリーナがもう終わりかけているのが見えているので、ついにカウントダウンが5を切った感じ