
はてなキーワード:KAWAIIとは
「SUKI SUKI」とスペースを含む表記がhttps://sukisuki-shop.com/news/配下のページにあるという情報もある。
「SUKISUKIトレカ forPEAK SPOT」や「SUKISUKIトレカ forKAWAII LAB.」は別の規約が主として適用されるように思う。別サービスであって、さらに後者は運営者がアソビシステムではないと明示されているという情報もある。
SUKISUKIメインサービスは特定商取引法に基づく表記からして、アソビシステム(株)が運営しているという情報もある。
ところでSUKISUKIメインサービスのうち「特典会」と呼ばれるもののうち、チェキの売買(宛名入りのチェキの場合は請負要素もあるかも)に関し、そのチェキの最終顧客向け発送についての(運送業者が使う)ラベルには「SUKI SUKI株式会社」とあるという情報もある。
この商号で調べると、法人番号9011001169146で令和7年4月24日に法人情報指定との情報もある。
SUKISUKIメインサービスのFAQ的ページへのリンクを押すとhttps://docs.asobidas.com/ に行くという情報もある。このURLのドメイン名部分は(株)アソビダス に関連している可能性がある。アソビダスとSUKISUKIを関連付けて説明する、(おそらく)第三者メディアの記事もある、という情報もある。
感想みたいなことだが、たまに運営法人がよくわからないケースは他社でもあるけれど、基本的に信用できないと考えている。
SUKISUKIメインサービスについては、そのサービス経由でアソビシステム所属のグループのアイドルのチェキなどが実際に入手できているケースがみられ、YouTubeでもその模様の一部が配信されているなど透明性も一定程度あり、信用はしてもいいかもしれない。もし問題を起こせばアソビシステムの名前を傷つけるくらいのことはあろう。
ところで仮にSUKISUKIメインサービスで購入ないし請負わせることをしたとき、アソビシステム運営だが「SUKI SUKI株式会社」とかに個人情報が(規約などに明示されることなく)提供されるのだとすると、個人情報保護の観点で問題がある可能性がある
黒人女性が渋谷で撮影した写真に対してkawaiiじゃないと外国人からリプがあって酷いみたいな話で、オタクがオタクの文脈から擁護・批判してる
しかしkawaiiはオタクカルチャーから生まれたものじゃないし、オタクの文脈からの擁護はむしろ文化の盗用だろうと考えている
可愛い、かわいい、kawaii、どう表記するかはともかく、言葉として意識した始まりは雑誌の『Cawaii!』だろう
Wikipediaによれば1996年創刊で発行部数のピークは2000年、その2000年には『S Cawaii!』も創刊されている。
その頃、オタクとギャルは水と油くらいには相容れないものだったと記憶している
当時からバンギャはいたしダンパもあったけど、個性を認めるギャルカルチャーとは程遠い
オタク側はかわいいではなく『萌え』が 強く、『萌え』はステレオタイプで記号化されやすい特徴を好み、やはりギャルカルチャーとは遠い
2004年の映画『下妻物語』あたりがきっかけで、オタクがギャルとの融合を夢見たのではないかと思う
で現在、オタクに優しいギャルをオタクは求めているけど、現実のオタクはギャルに優しいのかというと残念ながらそんなこともない
例えば渡辺直美を否定するオタクは珍しくない、その一方でkawaiiをまるでオタクカルチャーかのように喧伝するオタクがいる
鍋に弾丸を受けながらでオススメされていて気になってたんだけど、マガポケで配信開始されたと聞いてちょっと読んでみた。
お前らもちょっと読んで欲しい。
センスがすげえ。
https://pocket.shonenmagazine.com/title/03049/episode/428731
な。
すんげえだろ?
ティム・バートンフォロワーなのは明らかなんだけど、それで終わらずに日本漫画風にKAWAII感じになってる。
なんかフランスとかイタリア持っていったらワンチャン向こうでボルテスVみたいになれるんちゃうかぐらいのパワーがある。
んで調べたら1994年にコミックボンボンで連載されていた漫画なんだと。
なんで?
1994年連載ってのも驚きだけど、コミックボンボンってのがもう意味がわからない。
なんでコロコロのライバルがティム・バートン風味のピカレスクアクションやってんだよちょっと対象年齢おかしいから。
でもこういう「どういう層にどう読ませれば良いのか分からないような漫画」を受け入れるのってボンボンやチャンピオンみたいな雑誌だけなんだろうな。
ある意味では当時そういう雑誌のそういう枠が空いてたからやれた作品なんだと思う。
これなにが凄いって普通に子供でも読めるような内容になってることだと思う。
言い回しに余計な複雑さとか前提知識とかがなくて、凄い直球で来るんだけど、エスプリは全部効いてる。
大人がやるならシェイクスピアをパクるとか、昔の芸能人の話をするとかで誤魔化しがちな所をただありのままに描いてくる。
それが「どんな世界でも普遍的な表現」として機能した結果として、没入感を深くしてる感じはあるよ。
あとストーリーの作りもシンプルに「この一番格好いい少年が主人公ですよ」って語りかけてくる感じでいいね。
全体的な表現もグロやシニカルさが抑えられた結果ダークロマンとしての王道ど真ん中になってて、それがホラー風味の世界で正義の大悪党やる主人公とドンピシャっていうか。
本当に面白い。
センスがいい。
とにかくセンスがいい。
名画や名作のオマージュ入れまくりでどこまで著作権的にセーフなのか怪しささえあるけど、それが危うさとして読者に訴えかけるような感じもある。
でも不思議なのがこの漫画があんま評価されてないことなんだよね。
ボンボンやコロコロに載ってた作品群に特有の滑られがあるんだろうか。
もう二回りぐらい知名度が高くても良いような気がしてならんのだが。
それもコロコロの有名漫画がやるような「純粋な熱血者としての格好良さ」とかじゃなくてさ、もっとこう「正義とか悪とか関係なくなるようなとにかく純粋に生き方が格好いい」っていう格好良さ。
以下は、ジェンダーについて、あくまでも(イケメンではない)男性からの視点で考えた文章です。
男女どちらの方がつらいといった意見ではありませんのであらかじめご了承ください。
「イケメンじゃない男性の恋愛社会における生きづらさ」を始点に。
原因の1つは、男女平等が叫ばれて何十年もたつが、いまだに男が女を率いるもの、という価値観がまかり通っていること。バレンタインデーがあって逆バレンタインデーが無いのは、男が女に好意を伝えるのは「当たり前」だから(ホワイトデーはバレンタインデーのお返しをする日である)。
これを強化するのが、ルッキズムは生物学的に(おそらく)自然なことであるのに対し、ルッキズムはダメなことで顔の良し悪しじゃないよという意見が支配的で、しかし実際はテレビに出ている人の整い方は異常であり、完全に矛盾しているということ。例えば、テレビドラマのメインキャストは美男美女しかいないが、これは多くの人が美男美女が好きということの証左である。ちなみにテレビに出ている不細工タレントは本当の不細工ではなく、不細工だとしても身なりやメイクが整っていて漂白されている。これは自然界で起きにくいのは、単純に身なりを(タレント級に)整えるのはお金がかかるからだと思っている。これにブーストをかけるのが昨今のショート動画の流行。
で、なぜイケメンでない男性が生きづらいのかと言うと、特に日本の告白文化だと、告白をするまで女性の本当の意思を確認することができない(男が女に告白して、女に「友達だと思っていた」とフラれる事象があるのは、そういうこと)。で、イケメンなら多くの人が好きなはずであるから、成功確率が高いと事前に分かった上で告白することができる。しかし、イケメンでなければ、よほど特別に近い関係にあって親密さを確認できる環境が整わない限り、告白が成功する確率は著しく不明瞭で、おそらく低い。これが未婚率の増加を物語っているのではないかなあと思いました。あと、告白する前の段階であっても、イケメンでない男性は、特にファーストコンタクト(や浅い関係性)で女性に近づいて拒絶されるか否かは、イケメンに比べて拒絶される確率が高い(内面もよく知られていないから)。だから、親密にもなりにくい。
「イケメンじゃない男性でも美人の彼女がいたり結婚していたりする」という反論に関しては、その男性が「そういう人」(生まれもった性質などでリスク許容性が高い)というだけで、一部の男性に限られた現象ではないかと考える。そうでなければ生涯未婚率が増加している説明はつかない。
ということで、伝統的なジェンダーにおける男性性、つらいよね。ということです。着想した段階では、なぜちゃんみなが人気なのか、という考えがありました。ちゃんみなをビジュアルよりも「強い女性」として人気である、と仮定して考えると、それは生まれもったビジュアルではなく強さ、すなわち「現世で変えられる」ところに希望を感じたからなのではないかと。「理想」は可愛い、きれいな美人かもしれないけど、現実的な折り合いとして「強い女性」が人気になるのではないかと(CHAIの"NEOKAWAII"という考え方は好きですが、生物学的にルッキズムを負かすのは非常に困難で、外見以外を切り口にした方が現実的かもしれません)。それならば女性が強くて男性がそれに預かる、みたいな関係性が魅力になってもいいのではないか、というか、それでしか現代の人間の未来はないんじゃないかなあ、などと考えたり。
先日、来日してるアメリカ人の同僚を家に呼んだんだ。で、うちの猫見た瞬間、そいつが「OH MYGOD!!」って言って固まってんの。
あまりのリアクションにこっちも驚いて「な、なんだよ」って聞たら、「日本の猫……なんて可愛いんだ…!!」って筋肉質の大男が頭かかえて言うんだよ。
いや猫だぞ?世界中におるやん。
でもどうやらアメリカの猫は、もっとこうガタイが良くて、顔もワイルドで、声も低めらしい。
「うちの猫はGRRRAAAって鳴く」って言ってて思わず草だった。
一方うちの猫は「にゃ~」ってゆるい声で鳴く。
そこでも同僚、「KAWAI!!」と大絶叫。
「まるで声優みたいだ!なんてこった!!日本は猫までアニメ声なのか!!」ってもう大興奮。
いやいや声優みたいって…そこに来るとは思わんやん。
でもなんかその瞬間、妙に納得もした。
日本ってアニメとかアイドルとか、かわいい声を文化にまで昇華してる国じゃん。
同僚はうちの猫とたっぷり戯れた後、「This catiskawaiivoice culture!!」って叫びながら写真撮って帰ってった。
日本の猫って、すごいんだな。
Permalink |記事への反応(17) | 21:13
この増田とか反AIに狂った人って大体一緒のタイプの人間で、自分の中の妄想の仮想的を拵えて加害してるに違いない!
と断定したまま狂ってる人なんだよね。
bioにkawaii illustrationと書いてる人がkawaii illustrationを投稿してる「だけ」なのに「AI絵師はbioにAIと明記しなければならない」という謎のマイルールを持ちだして「kawaiiの中にaiの文字を隠してるな‼俺を騙す気か💢」とキレる
ってのがあったんだよね。
反AIに狂った人たちは、AIイラストを「発見」したときにまず、「これはAI生成なのに、それを隠したくて表記してないに違いない!」っていう妄執にとらわれてるんだよね。
もちろん、AIイラストを隠したくて投稿してる人が、指摘されたときに誤魔化すケースも実際にある。これは事実。
「AI生成と表記しないこと」=「AIイラストを隠したい」ではないし、
「AIイラストであることを隠したい人が誤魔化すこともある」=「誤魔化した(ように曲解できる)表記は、AIイラストを隠したい人のもの」ってわけでもない。
だけど、認知が歪んでしまうと、自分で仮想敵を作り始めちゃうんだよね。
「無い悪意」を前提として仮想敵を作り出すと「無い気づき」でどんどん歪んでく。
話は大分脱線したが、この増田も「誤解と曲解盛り盛りの加害者像」が生成されて事実だと増田の中でだけ確定してるので
「新しい加害者を生まないように願うための話」
正直ネットで見かけて「うわぁ」ってなって消す程度なのでよう知らんけど、女が学校の制服着てわーって歌ったり踊ったりするパフォーマンス集団いるやん。アバンギャルディとかいうの?めちゃくちゃ嫌いやねん。
まず制服着たらウケるだろっていう安直さが鼻につくし、それでいていわゆるkawaiiとはちょっと外していて、どう?個性的でしょ。前衛的でしょ?みたいな顔して踊るというわざとらしさも吐き気がするし、歩き方も変だしめっちゃ顔をキマってて気色悪いよね。なんでこんなに気色悪いかっていうと、これはつまり「集団主義の欺瞞」ってやつなんだよな。みんな同じ髪型して、同じ制服着て、同じダンスを踊って、これって学校生活そのものやん。あのクソみたいだった学校生活を思い出させるんよ。こいつら、いかにも個性的なパフォーマンス集団ですよって顔して踊ってくせにだよ。やってることはカルトなまでの集団主義。しかも全員、顔がキマちゃってる。もうオカルトですやん。なんの風刺にもなってねえし。むしろ集団によって守られてる自分。誰も責任取らなくてもいい。群れって最高!みたいな全体主義への全面降伏に見えるんよ。そこが最高に気持ち悪いと思いませんか!?
https://econ101.jp/matt-alt_japanese-popculture/ で述べられていないこと=邦画
「どうしてアメリカのポップカルチャーは衰退しつつあるのに,日本のポップカルチャーはこんなに絶好調なんだろう?」
USAの音楽カルチャーに対比するのに漫画・comicカルチャーが適切であると冒頭で述べつつ盛田ソニーと任天堂を持ち出している。
「日本のアニメスタジオのどれひとつとしてPixar の規模にまで成長していない理由にも当てはまるかもしれない.」アニメ制作も持ち出しているし
しかし、KAIJUがないのは当然として(ありがとうデルトロ)、日本の映画についてはまったく触れられていない。だってアメリカにおけるプレゼンスがまったくないものね。
小津も黒澤明も過去の人。『半地下』の監督はハリウッド進出したけど日本人監督で今そんな人いるかな?フランスで撮った黒沢清はシネフィルのものでポップではなさげ。知らんけど。海外作品を日本でリメイクすることは多い一方逆は…(『キャメラを止めるな!』はフランスでの『LUCK-KEY』は韓国でのリメイク)
今晩はゼンゼロの予告番組で、明日はこまちょえのハーモニック・ワルツ本編か
昨日ちょえ配信でやってた経営ゲームパートも、自分は25期でクリアしたけど結構楽しかったんだよな
豪雨演習のほうはなんというか今までのオートチェス風ミニゲームと比べても配置やタイミングの自由度が高すぎて
明白な勝ち筋は分からんけどなんとなく有利っぽい采配してれば数ユニット生き残れてゴリ押せるみたいな…なんとも言えんプレイ体験
そしてこれにマルチ対戦があるってことは、このスタイルが崩壊ネクサスアニマに近いんかな?
いやでもアニマとキャラでタッグみたいなコンセプトとは違うしな
個人的にはこれ系のゲームは、キノコンのイベのやつが割と好きだったな、回避指示とかを座標指定で出せるやつ
なんというか、オートじゃなくてリアルタイム指示で落ちないよう粘っていく感じが好きなんだよな
オートチェスすぎると事故的に不利な配置になってユニットが一掃されちゃうのを見るとすぐリセットしたくなる
スタレのほうはヒアンシーすり抜けてテンション下がってるけどそのうちメイン進めよう
やっぱりあれか
まあ、世界と繋がるってコンセプト上、ノンバーバルな音楽ってジャンルは都合がいいもんね
でも俺はコトバによる相互理解を諦めてほしくなかったな
いやコトバが不自由でも芸人はできる、kawaiiで世界を繋げる方法が何かあると思うんだよな
俺がああいうギュンギュンした電子音楽があまり刺さらんというか
アーティストを追うということ自体昭和しぐさと感じてるのもあって追えそうにないな
初期からずっと著名コンポーザーをあちこちから引っ張ってきて自分の曲にしてる感じで
なんというか音楽表現にアイデンティティのような筋が見えないのが不安なんだよな
ただ音楽の業界は本当に才能ある人ばっかりだから、埋もれる予感の方が強い
キズナアイのユニークな強みは、やっぱりトーク力、異業界人にも物怖じしないコミュ力だと思うんだよ