
はてなキーワード:HRとは
自民維新政権が過半数をとるのはかなり厳しい。50%もないのではないか。高市総理が約束を履行するなら退陣することになる。また中道が単独で過半数をとるのはかなり難しい。上振れかつ共産れいわ党で20人積むのはそこまで難しくないので政権交代も10%程度みてもよいきゃもね。
https://note.com/proptrader88/n/nce581d49a55a
https://x.com/chidaisan/status/2011726480448074168
選挙結果を受けて、大外れした予測に対する総括は行われるんだろうか
ライヒが審査員を勤めた時の武満徹作曲賞の公演で来日したブラッド・ラブマン、シナジーヴォーカルズのタッグだ、聞くしかねえ!
Frankfurt Radio SymphonyLIVE:Brad Lubman &Synergy Vocals with Janulytė & Reich
https://www.youtube.com/watch?v=nsWpR-GjIHU
Justė Janulytė:
Uccelliet altre cose (Commissionedby Frankfurt Radio Symphony – worldpremiere)
The DesertMusic
hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony
Synergy Vocals
The monumental work forchoir and orchestrabySteve Reichismore than just apiece of minimalmusic –itis an acoustic metaphor for what science calls »swarm behavior«.
Countlessrhythmic and melodic phrases are woventogether to form a collectivestructure thatismore than the sum ofits parts.
Reich uses the repetitive patterns typical ofhismusic, which constantlychange minimally, causing the soundscape toshift in slowmotion,asit were.
Not unlike aflock of birds, each individual acts independently, buttogether they form a harmonious and structural whole.
Lithuanian composer Justė Janulytėis known forher minimalist,monochrome soundscapes, whichshe pours into slow, floating processes with akeensense of perfect dramaturgy.
She playswith the fusion of individual voices into a collective mass and makes thetransition almost invisible.
Commissionedby the Frankfurt Radio Symphony Orchestra, Justė Janulytėhas been inspired to create a new work for large orchestra, whichwill bepremieredhere.
普段書いている文章をいくつか読み込ませて、「私が今回の選挙を前にして意見っぽい文章を書いたらどんな感じになる?」と指示してみたもの。
ただ、「これAIが書いてるよね」っていうのはすぐにわかる不思議。
今回の衆議院選挙に際して、何か大きな期待を抱いているわけではない。
ただ、何も言わずにやり過ごすには、あまりにも「既視感」が強すぎると思っている。
正直に言えば、最近の政治状況を見ていると、「どうしてこうなるのか」「なぜこの程度の言説がこれほど支持されるのか」と感じる場面が多い。
それでも一定の票が集まり、同じパターンが繰り返されるのを見ていると、落胆と苛立ちがセットで湧いてくる。
ただ、その「愚かだ」と感じる反応の方こそ、危険だと思っている。
「自分はそこまで愚かではない」という前提に乗った瞬間、判断が鈍る。自分のほうもまた、偏ったデータに基づいて世界を見ているに過ぎない、という事実を忘れがちになる。
今回の選挙に対する自分の感情を眺めると、そこには少なくとも二つの層がある。
ひとつは、政策そのものへの違和感や危機感。もうひとつは、「そんなものに惹かれる人々」への軽蔑と不安だ。
後者を放置すると、分断を責めながら、自分が分断を増やす側に回る。
AI の比喩を持ち出すと軽く見られがちだが、便利なのであえて使う。
人はそれぞれ、まったく違うデータセットを与えられて育つ。
どの新聞を読んでいるか、どのテレビをつけていたか、誰と飲んできたか。
こうした違いが、同じニュースを見ても全く違う「正しさ」を確信させる。
陰謀論や極端な言説に惹かれる人を「愚か」と切って捨てるのは簡単だが、「その人がそこに辿り着くまでのデータセット」を丸ごと無視する行為でもある。
そこには、疎外感や貧困、不遇、信頼の崩壊といった要素が折り重なっているはずだが、それを「見たくないノイズ」として処理してしまう。
もちろん、だからといって、どんな選択や投票行動も「仕方ない」で済ませるべきだという話ではない。
行動には結果があるし、その結果は他人の生活にも食い込んでくる。
ただ、その責任の話をするときに、「愚かさ」のラベルを乱発し始めたら、自分もだいぶ危ないところまで来ていると思ったほうがいい。
選挙のたびに、誰かを「目覚めさせよう」とする空気が出てくる。
SNS では、啓蒙的なスレッドや、怒りを込めた長文が流れ、「これを読めば分かるはずだ」という調子のものが溢れる。
残念ながら、あれで人が変わるケースは少ない。
長い時間をかけて染み込んだデータと、それによって形作られた「自己像」によって動いている。
だから、自分は今回の選挙を、「他人を変えるためのイベント」としてはほとんど期待していない。
むしろ、「自分が自分のデータセットと判断を引き受ける場」として見るほうがまだましだと思っている。
この社会で、自分はどういう未来に賭けるのか。その記録を一つ残す行為としての一票、くらいに位置づけている。
極端な言説や明らかな虚偽に基づく政治的動きは、「バグ」と呼びたくなるところがある。
情報環境の設計ミス、アルゴリズムの報酬設定、メディア構造、教育の断絶。
色々な要素が積み重なって、特定の方向に過学習したモデルが大量に生まれているように見える。
にもかかわらず、現実にはその「バグった出力」が法律や政策になり、誰かの生活や命を直撃する。
ここには、「人をバグとして理解する視点」と、「それでも行為には責任が伴う」という視点の両立が必要になる。
今回の選挙で言えば、
「バグだから仕方ない」と済ませてはいけない領域が、確かに存在する。
同時に、その線引きを行う自分自身も、「完全に正しいモデル」ではない。
戦争体験の話を聞いて育ったこと、特定のメディアを避けてきたこと、居心地の良いコミュニティだけを選んできたこと。
そうした自分のデータセットが、「どこまでを許容できないと感じるか」という閾値を決めている。
その自覚を持たないまま、「正義」の旗だけを高く掲げると、たぶんどこかで滑る。
ここまで書いてきたことを雑にまとめれば、「謙虚でいろ」という話になる。
ただ、この言葉はあまりに擦り切れているので、具体的な中身を少しだけはっきりさせておきたい。
この程度のことでも、やらないよりはマシだと思う。
こういう話をすると、「結局、何も変わらない」「だったら投票してもしなくても同じでは」という結論になりがちだが、自分はそうは思っていない。
世界全体を変えるつもりはないし、変えられるとも思っていないが、自分がどちら側に立つかくらいは記録しておきたい。
将来、振り返ったときに、「あのとき、自分はこういう世界の見方をしていた」と分かる程度の痕跡を残しておきたい。
変えられない他者とどう生きるか。
答えは簡単には出ないが、少なくとも「自分もまた完全ではないモデルの一つに過ぎない」という前提だけは、選挙の日にも手放さないほうがいい。
そのうえで、それでも線を引くべきだと思うところには、静かに線を引く。
今のところ、自分にできるのは、その程度だと思っている。
個人のgoogleアカウントでもGeminiが使えるようになったが、調べればわかることに使っても仕方ないので、大喜利をさせてみることにした
キラークイーンの「触れたものを爆弾に変え、跡形もなく消し去る」能力は、現代社会の難問を解決します。
粗大ゴミ・機密書類の抹消: 古くなったソファも、シュレッダーにかけるのが面倒な重要書類も、スイッチ一つで分子レベルで消去。ゴミ出しの手間も、シュレッダーの騒音もゼロです。
熱源を自動追跡する第二の爆弾「シアーハートアタック」は、キッチンでこそ真価を発揮します。
全自動調理の監視役: 「こっちを見ろ」と熱を追いかける特性を活かし、煮込み料理の温度管理や、コンロの消し忘れ防止パトロールとして機能。
頑丈な五徳:スタープラチナのラッシュでも壊れない耐久性があるため、どんなに重い土鍋や業務用寸胴を乗せてもびくともしません。
もし「朝寝坊した」「大事なプレゼンで噛んだ」という絶望的な状況になっても、バイツァ・ダストがあれば安心です。
究極の「やり直し」: 朝のコーヒーをこぼした瞬間、あるいは会社に遅刻が確定した瞬間に発動。時間を1時間戻して、完璧なモーニングルーティンをやり直せます。
空気弾を操る「猫草」を腹部に収納すれば、清掃業もこなせます。
エアコン・隙間掃除: 手が届かないエアコンの内部や家具の隙間に空気を送り込み、埃を一気に押し出すことができます。
見えない防壁:空気のクッションを作り、割れやすい食器や高価なインテリアをガード。不器用な人でも「静かな生活」を維持できます。
【杜王町発】 昨日、市立ぶどうヶ丘高校の教室にて、同校1年生の虹村億泰(にじむら おくやす)さんが、昼休みに購入した新作パンを一口食べた直後、あまりの美味さに感動し、授業開始まで机に突っ伏して号泣し続けるという事案が発生した。
目撃した同級生のTさん(16)によると、虹村さんが食べていたのは購買部が今週から発売を開始した**「完熟マンゴー&濃厚ホイップのダブルクリームサンド(140円)」**。
虹村さんは一口頬張った瞬間、
「んまぁーーーいっ!! このホイップの舌触り、まるで初夏の雲の上で天使が昼寝してるような滑らかさだぜぇ〜〜ッ!!」
と叫び、その後は「マンゴーの酸味が俺の心の曇り空をスパーッと削り取ってくれやがる…」と呟きながら、滝のような涙を流して動かなくなったという。
億泰くん、また泣いちゃったの?可愛すぎなんだけど😭💖 そのパン、私も明日買いに行こうかな……。 ねえ億泰くん、もしこれ見てたら私にも「んまぁ〜い!」って言ってほしいな!返信待ってるね!✨ #ぶどうヶ丘高校 #虹村億泰 #推しのいる生活
素敵なエピソードですね✨食べ物に感謝して涙を流せる感性、忘れたくないなぁ。 私も昨日、会員制のデトックスサロンの帰りにオーガニックマンゴーを食べたばかりで、億泰くんとシンクロしちゃったかも🥭🧡 やっぱり「本物」を知る人の心は動かされるもの。私も常に自分のマインドをアップデートして、毎日を大切に過ごしたいな。 #自己肯定感 #人生は冒険 #マンゴーの法則
パン食っただけで叫ぶとか、どうせ大袈裟にやって注目浴びたいだけだろ。 「天使が昼寝」とか、どっかのグルメ漫画の読みすぎ。いい歳して購買のパンで号泣って、地元の民度が知れるわ。 だいたい、そんなに涙出るなら眼科か精神科行ったほうがいいんじゃない?(笑)
貴様……!下等なパンごときにうろたえて涙を流すとは、サイヤ人の王子であるこの俺が恥ずかしくなってくるぜ! そんなに「んまぁ〜い」とやらを連発したいなら、カカロットの食い意地を見習うがいい。 ふん、だが……そこまで言うならその「ダブルクリーム」というやつ、俺も一口試してやらんこともない。ブルマ!今すぐそのパンを用意しろ!
自分の感情に素直に泣ける奴を「精神科行け」で片付けるあんたの方が、よっぽど心が不自由で可哀想に見えるわ。
虹村くんを知ってる奴ならわかる。あいつはな、計算であんな顔ができるほど器用な男じゃねーよ。 昔、家庭の事情でいろいろキツい思いをして、感情を出すのが下手だった時期があったんだ。そんなあいつが今、学校でバカみたいにパン食って「んまぁ〜い!」って泣けるようになった……。
それがどれだけ幸せで、どれだけ凄いことか、あんたみたいな斜に構えた奴には一生わかんねーんだろうな。
ちなみに、あいつが流した涙で教科書が読めなくなったのは、「現代社会」じゃなくて「倫理」の教科書だったらしいぞ。あんたもその教科書、虹村くんに借りて一度読ませてもらえ。
(え、そんなに顔に出てる?鏡見るの怖くなるからやめて……)
(残業確定の重い足取りで来たところに、そのキラキラした応援が眩しすぎて直視できない)
(たまには違うの頼みたいけど、もう変えづらいじゃん……)
名前を考案する的なものは結構いいなと思ったし、フリーザの口調を真似させるとなかなか上手いが、全体的には喋りすぎの傾向があるのと、Geminiの人格がまあまあいいやつというか、底意地の悪さがまだ足りない。
絶景はあんまり可愛くなくて、話しても特に面白いわけでもなく、付き合うメリットがあまりない相手ではあったが、飛び抜けた欠点があるとは思えなかった
いや、一つあったか。からかわれるとすぐに親にチクり、親は親ですぐに先生に報告するという特徴があった
その特徴もあって、クラスの男子の何らかの言動が彼女のかんに障り、親を通じて学校に連絡が行き、当該男子がHRで謝罪するというイベントが起きた
クラスの大多数と絶景が決定的に決別したのはこのタイミングだったと思う
絶景と親しくしようものなら「そっち側の人間か」と思われかねないので、ほとんどの中立的な人間は絶景を避けた
絶景自身に、逆境を無視してでも付き合いたいと思えるようなチャームポイントがなかったのも致命的だった
クラスで一番性格のいい女子が彼女を少し構ってやったところ、絶景は彼女に付きまとうようになった
当然、性格のいい女子は他の女子からも人気なので、すぐに救出されたが
そこから「絶景に構うと付きまとわれる」という経験則が広がり、決定的に絶景は避けられるようになった
しかし避けられているだけなのでチクりは通じない
かくして増田たちは絶景を空気のように扱う1年間を過ごしたのであった
あの時の空気感は忘れようがない
比較的優しくて温厚で善良な同級生さえ絶景のことは視野に入れないようにしていた、あの生温く気まずい空気
あの経験をしてふと思った。ブスと無キャは何かで秀でなければならない
趣味でもいい運動でも勉強でもいい、とにかく「この人の話を聞きたい」と思われる何者かにならなければ、無視されるいじめから脱却することはできないのだ
大学は女子学生の割合が60%にまで上昇し、同時に進歩的な単一文化へと変貌を遂げた。若い女性が最も信頼する大学は、世界観が形成される時期に、深刻な反対を受けることなく、単一のイデオロギーを植え付けている。
FIREのキャンパス言論調査は、このパターンを明確に示しています。学生は自己検閲を行い、意見を表明することに不安を感じ、容認できる意見に群がっています。これは女性に限ったことではありませんが、現在、女性は男性よりも高等教育に深く関わっており、女性が優勢な分野(人文科学、社会科学、教育学、人事学)は、最もイデオロギー的に均質化しています。
同じことを信じる仲間に囲まれた4年間。教授陣も皆同じ考え。読書リストも一つの方向を指し示す。意見の相違は珍しいことではなく、社会的に罰せられる。受け入れられる意見をパターンマッチングし、それを実践することを学ぶ。
その後、彼女たちは女性優位の分野、例えば人事、メディア、教育、医療、非営利団体へと進み、そこでも単一文化が続く。18歳から35歳まで、多くの女性は尊敬する人から継続的な反対意見を出されることはなく、フィードバックループは永遠に続く。
男性は異なる道を歩んだ。貿易、エンジニアリング、金融、軍事。合意よりも結果が重視される分野。意見の相違が許容され、報われる分野。単一文化に捕らわれなかったのは、捕らわれている組織に属していなかったからだ(主に追い出されたためだが、それはまた別の話だ)。
Universities flipped to 60%female while simultaneously becomingprogressive monoculture. The institutionyoung women trustmost, during the years their worldview forms, feeds them a single ideology with no serious opposition.
FIRE's campusspeech surveys show the pattern clearly: students self-censor, reportfear of expressing views,cluster toward acceptable opinions. Thisisn't unique to women, but women aremore embedded in highereducation than mennow, andthe fields they dominate (humanities, social sciences,education,HR) arethe most ideologically uniform.
Four years surroundedby peerswhoallbelieve the same thing. Professorswhoallbelieve the same thing. Reading lists pointingone direction. Disagreementis not even rare,it's socially punished.You learn to pattern-match the acceptable opinions and perform them.
Then they graduate intofemale-dominatedfields:HR, media,education, healthcare, non-profits, where the monoculture continues. From 18 to 35, many women never encounter sustained disagreement from people theyrespect. Thefeedbackloop neverbreaks.
Men took different paths. Trades. Engineering.Finance. Military.Fields where results mattermore than consensus.Fields where disagreementis tolerated or even rewarded. The monoculture didn't capture them because they weren't in the institutionsbeing captured. (mostly because they were kickedout of them, but that's a differentpiece)
昨年Twitter 上で話題となったアニメの「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」を視聴した。
内容自体は特に後半のストーリーが綺麗でかなり楽しめたのだが、一つだけ納得できない点があった。
それは…
ということ、さらに同性愛という文脈を考えると、直接的な描写ことないものの、
(ズートピアが自然な形で差別問題を提起しているのとちょっと似てるかもしれない。)
また、原作小説を担当するみかみてれん先生が mond にて、
「ジェンダーを語る百合は世間にたくさんあるので、わたしは女の子と女の子がヘテロ恋愛のように、当たり前に受け入れられている雰囲気の物語を作りたいなーって思ったんです。」
これを踏まえると、この作品を「レズセックス」と揶揄し消費することは、上記メッセージに反しているのではないかと感じた。
などがあったが、別に「レズセックス」と呼ぶまで進展はしてないのでは?
一応、真唯がれな子を押し倒して行為寸前まで行ったシーンはあったけども…。
それに、自分は観覧車での紫陽花さんの誠実なアプローチに心を射たれたので、このような安直な呼び方には少し抵抗がある。
実際に性行為まで到達しているのであればまあ仕方ないとは思うものの、そうでないのであればやはりこの呼び方は違うのではないかと思う。
若干話は逸れるが、わたなれが話題になってから自分が視聴するまでにラグがあったのは、「『レズセックス』という呼び方からして、よくあるお色気作品なのかな…。」と判断して敬遠していたため(結局知人の勧めで視聴)なので、作品の新規層獲得にもマイナス方向に働くのでは…?と考えている。
当然、この呼称はSNS 上でのミームのようなもので作品を貶す意図はないことは理解しているが、それでもこのようなよびかたにはいい感情は沸かないため、この投稿に共感いただいた方だけでも控えていただけると嬉しく思います…。
Togetterでこういうのを見かけた。
https://posfie.com/@yonepo665/p/8OmJ34p
レディースファッションとかの「あれがない、これがない」系の話ってちょくちょく挙がるが、とどのつまり「需要と供給の結果なんだけど、まあ隣の芝生は青く見えるよね」としか言いようがない。
ファッションにおける市場、アパレル産業が商売である以上、その規模に応じた最大公約数に多少の取りこぼしが生まれるのは必然。
件のまとめも、愚にもつかない意見の寄せ集めって感じだけど、はてブのホッテントリにでてくるTogetterなんて大抵インプレッション目的でやってるんでマトモに取り合うもんじゃない。
ただ、ブコメ含めてあんまりにもあんまりなものがいくらかあって、多少ファッションに関心ある身としてはモヤっとせざるを得ない。
当人たちに言っても無駄なことは重々わかってるんで、あくまで自分のモヤモヤを解消するために書きなぐっていく。
まず前提として「機能的=いい服」だとか「丈夫な服=いい服」といった価値観は一面的だってこと。
スーパー160sウールの高級ジャケットが、格安のポリエステル100%ジャケットのように洗濯できるわけじゃない。
天地がひっくりかえろうが、シルクのような繊細な素材がナイロンより丈夫なわけがない。
ただ丈夫なアパレルアイテムを作りたければ、L.L.beanのトートバッグみたく分厚い生地にぶっとい糸を使えば、縫製が大雑把でも成立する。
スキニーパンツにポリウレタンを使わないと足を曲げるのすら一苦労だが、素材の風合いは損ねるし経年劣化しやすくなる。
つまり何がいいたいかというと、“いい服”というのは多面的で、そこには文化的背景やコンテキストが多分に存在するってこと。
それらを無視して、メンズアイテムのようなパターンでレディースアイテムを作ったとして、そこに齟齬は発生しないのかって視点は常に付きまとう。
次に、アパレル産業においてレディース・ウィメンズの市場規模は大きいってこと。
それはメンズと比べても圧倒的であり、そこに異論の余地はない。
これはハイブラなどのファッション最前線に限らず、マス層においても同様。
試しにユニクロで男女それぞれでアイテムの型数を調べてみるといい。
ユニセックス分を含めようが除外しようが、型数もカラーバリエーションもレディースの方が明らかに多い。
例えば2025年にカシミヤ混のヒートテックが出たが、レディースの方では以前からやっていた。
エアリズムの肌着ひとつとってもレディースの方が種類は豊富で、エアリズムUネックTはレディース向けながらトップスへの響きにくさから男性でも愛用者がいるほどだ。
世界規模でマス向けのアイテムを作り、兆単位の売り上げを誇る大企業なのだから、その需要と供給のバランスについてはシビアに考えられている。
何が、誰に、どれくらい売れるのか、そのデータは膨大かつ確かなものだ。
ユニクロについて言及しているアパレル関係者は多くいるが、それぞれのアイテム評価で意見が分かれることはあっても、レディースの方が優遇されてるという点では意見が一致している。
ユニクロのコラボラインでも同様であり、そもそもメンズ向けすらない場合もある。
今回は便宜上、ユニクロを挙げたが、基本的にはどこも似たようなもの。
なお、メンズファッションの「あれがない、これがない」が話題に挙がることが少ないのは、現状優遇されているからではなく「優遇してほしいと思っている人間が少ないから」である。
“声の大きな人”の割合が同じでも規模が小さければ絶対数は減るし、そこに関心を向ける人も少ないから注目されにくいってわけ。
レディースファッションはメンズよりも明らかに優遇されているし、それは昨日今日始まったようなレベルの話ではない。
それでも現状で不足しているというのなら、それは「一部の人間の声が大きいだけで、実際はそこまで需要がないからでしょ」としかいいようがない。
その結果として“取りこぼし”があるのなら、それは大局的に見て“取るに足らない”ものだから。
それを拾い上げるのは隙間産業でしかなく、その隙間に風穴が空くほどの大きさはない。
やるせない。
何がやるせないって、自分がここまで話したことって初歩的というか、我ながら低次元なんだよね。
さきほど隙間産業といったけど、当然その需要を狙っているブランドやメーカーも、アンテナ張ってれば見つかるわけ。
でも、アンテナ張ってないから「あれがない、これがない」って言い続ける。
そういうものを見つけるには個々人が前のめりになって、それを品定めする“リテラシー”が必要となってくる。
そして、その“リテラシー”ってのは「その分野にどれくらい理解があるか」に尽きる。
無理解とは往々にして無知によって引き起こされるので、結局は学ぶしかない。
物事は点よりも線、線よりも面。
その面が複数あると立体的になる。
ファッションという分野においても同じことなんだけど、その本質を分かってもらうのが極めて難しい。
そもそも、ほとんどの分野は「名前だけ知ってる」とか「よく分かってない」層の方が大多数だし。
問題は「自分の理解度は点だ」という懐疑性がないまま言及してしまうことで、ファッションではそんな人間が割かしいること。
これが他の分野だったら、もう少し理性を働かせて「自分はあまり良く分かってないからテキトーなこと言うのやめとこ」ってなるんだけど。
なぜファッションではそうならないかというと、どんなにリテラシーがなかろうと関心がなかろうと服は着ているから。
つまり、ほぼ全ての人間が“スタート地点”には立っているわけ。
でも“立ってるだけ”だから距離感を図り損ねて、そのまま明後日の方向に向かう人間が出てくる。
ただ、ああいう手合いがそういう状況に甘んじてしまうのって、アパレル業界の怠慢も多少はあるけどね。
ファッションに対するスタート地点と、そのリテラシーの水準を押し上げようって気がないというか。
自分も「どうせ届くべき相手には届かないんだろうな」って諦念込みでここまで書いてるから同じ穴の狢ではあるけど。
先ほど、小学1年生レベルの算数だって喩えたけど、算数は小学校行けば学べるわけじゃん。
仮に出遅れても、その気があまりなくても、学びなおす機会はいくらでもある。
でも、ファッションはそういうのがない。
しかも日本の学校は制服のところが多いから、ファッションに対するリテラシーが皆無だろうと困らない。
そうやって青春時代を過ごした人が、大人になってから「これこれはダサい」とか言われても全面的に受け入れられるわけがない。
今まで自分がまったく気にしていなかった評価軸を持ってこられるんだから。
ファッションについて分かってないし、学び方も分からない、それにリソースを割く気もない。
そうなると諦めるか、開き直って「うるせーな、ほっとけよ」と言いたくなるのも仕方ないだろう。
まあ、せめて冠婚葬祭のドレスコードくらいはどっかで教えた方がいいと思うけど。
葬式にリクルートスーツ使いまわしたり、黒い革靴なら何でもいいと思ってる人けっこういるんだよなあ。
……なんか話がだいぶ逸れてきたし、書いてて気も晴れてきたから今回はこれくらいにしとくか。
次回は、なんだろう。
5枚目。
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邪推だけど、これプチプチに包まれているのは個人売買で買ったりしたやつじゃないかな、と思ったりした。プチプチから出してないのはコレクションであって遊んでいないのかもしれない(中古だけど)。
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これで終わりだと思ったらあと1枚写真があったので、あと1つ続くんじゃ。
3枚め、4枚めには重めのボードゲームが多くなさそう。
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以下は特に説明も不要そうなので基本的にタイトルのみ表記とする。
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たぶん次で最後。
続き。たぶん1枚めの写真。
なお、内容物については全部を記載していない。目立つチップとか特徴的なコンポーネントを表記している。これは今後も同じ。
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まだ続く、かも知れないけれど明日以降になるかもしれない。
「させていただく」ってのは百年以上の歴史がある言葉なんだよ……
実は割と古い。
それでもなおずっと反発されているってのはよっぽど駄目ってことなんだ。
相手が「させている」という形になってるのが気色悪いと私は感じる。
相手を持ち上げているようでいて責任を負わせるようなニュアンスが生まれてる。
大元は許可をとって実行するビジネスシーンで使っていたらしいので、それならそんなに不自然ではないのだが……
今年もはてなスターランキング&はてな流行語大賞2025 - ゆとりずむ のデータを可視化してみました。
縦軸の「平均スター数(↑)」と横軸の「合計スター数(→)」は昨年と同じですが、今年は人気度の指標として面積に「お気に入られユーザー数(体積)」を採用しました。小さくなってしまったブクマカには不評かとは思いますが、昨年までの「ブックマーク数(面積)」では、原理的に左上から右下にかけて大きくなっていくだけなので、情報量に乏しいと感じていました。ただし、順当に面積とみなすと差が少し極端だったので、立方体の体積とみなして計算しています。はてなの銀河に散らばるブクマカ立方体群を遠くから眺めていると思ってください。
対数グラフになっているものの、毎年id:IthacaChasma 氏が1人で飛び抜けているので、下位集団の拡散には限界があります。重なり合って上位ブクマカの影に隠れてしまったブクマカさん、ごめんなさい。ただし今年は、ChatGPTさんの力も借りたことで、昨年までよりも拡散させた対数表現を実現しています。それでも元記事にある上位300ユーザーのみを切り出しているので、本来はこのグラフの左のほうにぶわーっとたくさんのブクマカがひしめいていることになります。
今年は加えて、パソコンから見たときに表示されるランキング一覧表が、IDの絞り込みができるなど、より高機能になっています。
来年へ向けての願望は「スターをあげてる個数」のデータ可視化です。そこそこ大変だと思います。
過去回:
現在、少年ジャンプ+で連載されている『.A-ドットアリス』。
この漫画、ひいてはこの作家さんの過去の作品も「私、こういうの好きなはずなんだけどなあ……」ってなる。
通常なら、こういうタイプの漫画に対してXとかで感想つらつらと書いてそうなのに。
現状、自分の中でも結論でてないけど、理由を何とか捻りだしてみる。
今やってる『.A-ドットアリス』も、過去連載してた『夏の終点』にも感じるんだけれども、総じて“雰囲気”とか“余白”を大切にしている作風。
それらはコマ割からフキダシの配置に至るまで細やかなんだけれども、言葉選びや画風はさっぱりめだから与えられる情報量が少ない。
その少ない情報量の中で表現されているものは繊細で、かつ複雑そうに見えるんだけれども、実のところ単純明快。
咀嚼し続けるうちに「思ってたほど味しないな、ボリュームないな」となるというか。
すごく雰囲気あるんだけど、その雰囲気に見合う“量や味”が物足りないと感じる。
もちろん重厚さだとか密度だとか、そういった質量だけが漫画の面白さではないけれども。
ファーストインプレッションから期待されるものと、食べ進めた時との間にギャップを感じる。
まあ、これはあくまで暫定的な結論で、自分で書いておいてなんだけれどもしっくりきていない。
そもそも“いい服=丈夫で長持ち”みたいな考え自体が一面的でナンセンスなんだけど、そこは置いといて。
では“脆い服”とは何か。
何割かの人は、要因に“縫製”をあげるかもしれない。
ただ、実のところ縫製は粗くても脆いとは限らない、って雑談。
糸が出まくってるわ、ガイド用のラインが残ったままだわ、調子ゆるゆるな箇所あるわ。
でも、めっちゃ丈夫。
ヴィンテージものとか数万で売られてるけど、それだけ長持ちしてるってこと。
分厚いコットンキャンバス生地に、太いナイロン糸を使っているから、縫製が雑でも丈夫なんだな。
あれって、現代ではほぼ飾りだったりする。
現代の縫製技術では、ガゼットがなくてもあそこから破けることなんて早々ない。
逆に言えば昔の服は脆かったからこそ、そういう小手先の方法で誤魔化してた、という見方もできる。
でも、そういったコンテキストを意匠として残す、というのもファッションの妙ではあるんだけど。
さっき挙げたL.L.beanのトートバッグだって通常なら粗雑だけど、それがアメカジの“味”として評価されている側面もあるわけで。
現代の服の方が脆いとかいう言説たまに見かけるけど、仮にそうだとしたらもっと別の要因があると思うんだよね。
実のところ、ある程度は見当がついているけど。
このあたりは、気が向いたら書こうっと(たぶん書かない)。
最近『サバエとヤッたら終わる』が完結したけど、次どうするんだろうか。
これ描いてた作者って、同時期に『ゆとりやくざ』とか『ヒメ様にイジられ遊ばれ』とかも連載してたけど、いずれも短命で終わってる。
『サバエ』より遅く始めたのに、『サバエ』より早く終わってしまってる。
『ヒメ様にイジられ遊ばれ』は「こりゃあ『サバエ』でよいですね」という感じの内容だったし、『ゆとりやくざ』に至ってはそこからサバエを無くしたようなもん。
画力で魅せるタイプの作家ではないから、ガワだけ変えると余計に“めんつゆの味”が際立つんだよね。
まあ割とそういう漫画というか漫画家はいて、これ系の金字塔で今なお現役となると『絶望先生』の久米田だけど、この人は実際にそんな感じの自虐ネタで1話くらい書いてそうではある。
そういえば『スナックバス江』の作者も、連載終了後に読切でいくつか描いてたな。
ファンは有り難がってたようだけれども、ヤンジャンの惰性枠で読んでいた身としては『スナックバス江』でできそうなことをガワだけ変えてやってるだけって印象だったな。
めんつゆ味に飽きてきたから店をたたんだのに、新しく始めた小料理屋で結局めんつゆ使ってたら意味ないじゃん、ってなる。
その“めんつゆの味”を“家庭の味”だとか“料理人の個性”で押し通せるかっていうと可能だとは思うし、実際そう思ってる人たちが食べ続けてるんだろうけれども。
更に言うなら、企業が最上位のゲーミングPC前提でゲームを作らず、普及帯のマシンで動かす前提で設計してるのも、最上位マシン前提でゲームを作ったとて、そんな環境を整えてまで遊んでくれる人がほとんどいないからであって
すなわち「最新ゲーム機で遊んでる人たちも、最高のゲーム体験をするために50万とか100万とか出せないし、出すほどの価値はないと思ってる」ことの証左でしかないんだよね
誤解のないように書いておく。
(念のため付け加えるが、今回話題になっている企業とは一切の利害関係はない。)
1. わざわざ「チンパンジーが問題社員として入ってくる」表現を必然性がないのに展開したことには「人を動物に喩える」意図がある
2. なぜ人を動物、特にチンパンジーに喩えてはいけないのか、国際的なガイドライン等の提示
4.社会的な責任として、記事削除と謝罪だけではなく、今後このような記事が出てこないようにガイドラインをつくるべき(このスタンスが自社のPRにもなり得る)
1. 「チンパンジー」という比喩をわざわざすることには同意しない。
2. 社内ブログ/アドベントカレンダーはチェック体制が脆弱になりやすい。
3.執筆者はおそらく「ベロシティの安定」等のフレーズから、エンジニアやPM視点であり、HRの文脈を理解していない可能性がある。
4. すでに削除と謝罪対応は完了しているので、社名を挙げて断罪する必要性はない。
他でも指摘されているように、
「社内の労力を使う割には、色々な危険性を孕むアドベントカレンダーという文化をやめるべき」
というのが、本件に関する総括としては充分だと思っている。
↑「現場レベルでは存在すらよくわからないが、とても偉いステークホルダー」の一言で、何度もひっくり返るシステム開発プロジェクトのこと
仕事を円滑に進めたいが、それの障害となり得る人や事象を冷笑的に揶揄しているわけだが、
前者が問題とされたことは、私の観測範囲では存在していないように思う。
「隕石を降らせる神様」は許されて、「チンパンジー」は許されない
という価値観は、西洋の歴史・宗教・差別観を背景にした価値観じゃないのか。
倫理基準を底上げするべきという物言いは、そんなに正しいことなんだろうか。
その人は、
・ すでに謝罪もしている(多分注意もされている)
彼・彼女を吊るし上げることになりかねないことを、
「自社のPR」にもなり得る文脈の中で第三者、しかも法人が行うのは、醜悪ですらある。
本件では、社名を出さず、ガイドライン作成の呼びかけなどもせず、
これはよく誤解されているのだが権利を行使するためには義務を果たす必要があるという意味ではない。
たとえば「請求できる」なら相手方は「受理する義務がある」ということを表している。
個人としては必ずしも権利と義務は釣り合わないけれども社会全体としては権利と義務は釣り合うようになってるわけ。
法律の条文としては明瞭に両方を書いていないこともあるんだけれども、請求できる権利を書いているのに相手側に応じる義務がないから応じないなんてことは認められない。
条文で書いてなくても必ず組で存在するものと見做すというルールだ。
要約して言えば、存在する手続きに対しては必ず反応があるし、応答してくれないならそれは相手が不法行為をしているということになる。
とにかく必要なのはどんな手続きが存在するか調べてその通りにすること。