
はてなキーワード:ADSLとは
なんで日本株式は除くなのか、書き出してみる。
自分は2000年頃、金融ビッグバンでネット銀行やネット証券が認可された頃に投資を開始した。
経緯は親からの贈与。母が株式投資をやっていて、子供にも生前贈与で口座を作ってくれていた
株式投資とか証券投資っていうのは本人がやらなきゃいけないもので、子供のうちは親権者の代理が許されるけれども、成人したから始めた。
(これを見て、資産家に産まれたとは考えないでほしい。父親は公務員、母親は専業主婦。土地も家もなく、大学入学で実家を出るまでエレベーターのない2LDKの公務員宿舎、4階建ての4階に一家四人で住んでいた。エアコンはなかったし、風呂場にシャワーもなかった。母親の口癖は「うちにはお金がない」 今でこそ退職して小さな建売住宅を買ったが、実家に俺の部屋も荷物もない。これが資産家だろうか?)。
親からもらった日興証券の口座には NKコンパスAっていう、いわゆるグロソブ(為替ヘッジなし)みたいなファンド(実際には若干ハイイールドに寄せている)と日本株式が入っていた。
企業分析して株式を買ったり、FX をやったりしたけど、うまくいかなかった。
損が多かった。
優待狙いでJAL、ANAとか。共立メンテナンスは基本よね。ファミレスとかね。あとなんかしらんけどTHKとか日本ライフラインとかが記憶にある。
一時期中国株 携帯電話のチャイナモバイル?とか、石油の会社シノペック?とか買った記憶がある。でも仕事中も値段は気になって身が入らない、大きく儲からなかったし、徐々に投資信託が中心になった。
口座を持ってたのは日興コーディアル証券、マネックス証券、Eトレード証券(現SBI) とか日興ビーンズ証券も開いた。野村系のファンドに特化した会社? ファンドネット? そこも開いた気がする。
当時ダイヤモンドZAIとか読んでました。投資雑誌の。他にも日経マネーとか。
四季報とか見たりね。
その頃、さわかみファンドがちょうど出てきた頃で。
信念がしっかりしていて、長期投資、バイアンドホールドでしっかりした会社を安く仕入れておけば長期で必ず儲かるみたいな投資信念を語ってくれていて持ってたんだけど。
基本的には、ピーター・リンチとか、ウォーレン・バフェットを目指してたのかもしれないね。
自分はさわかみファンドを数年持っていて、公開アナリストミーティングにも1回参加させて頂いた。確かさわかみファンド7周年まで持っていたはず。
当時の相場で世界株式インデックスファンドに勝つのは難しい。色々比較する中で、「世界株式インデックス(除く日本)」にも投資を始めることになる。
インデックス投資を始めた理由はもう1つあって、これは自分がマネックス証券を推している理由にもつながる。
金融ビッグバンと同時に日本にインデックス投資を広めたのがマネックス証券だったんだよね。
証券会社の利益にならないから、売ってはいたけどオススメはされない。別の商品を買うように促される。そういう時代だった。
そんな中、マネックス証券は、バンガードと組んで3つのインデックスファンドを購入しやすい形で積極的に提供してくれていた。
当時はね、今と全然違う。
スマホなんてなかったし、主流はまだストレートの携帯電話でパカパカの携帯電話がはやる前ね。FOMAが出てきた頃でPHSがまだ息してた。
バンガードっていうのはアメリカでインデックスファンドを広めた会社。
ヴァンガードトータルストックマーケットインデックスファンド、いわゆるvti と
もう一つは忘れたけど、大型安定株に寄せたファンドだったと思うけど、
これらを購入しやすい形で提供してくれていて、自分もスモールキャップを買ったのかな?
マネックス証券の口座開設書類を取り寄せたら、この3つのファンドのビラが1枚ずつ入っていた。
今でこそ証券会社の口座開設はネットでやるのが当たり前だけど、当時は郵送でしないといけなくて。
当時はいろんな証券会社あったけど、株の売買で最も手数料の安い会社はイートレード証券、今で言うSBIだったので、、マネックスは日本株の売買にはベストな選択肢ではなかった。
でも、旗揚げと同時にバンガードのファンドを一般人でも買いやすい形で紹介してくれたのは、マネックスの偉業だと思うね。
で、バンガードのファンドを買えるのはいいんだけど、税務処理が面倒くさかった。
アメリカの投資信託だから、アメリカでまず10%税金がかかる。残り10%を日本で納税するみたいな。
当時は今みたいに特定口座がなくて一般口座だったから、しょうがないかって感じだったんだけど。
特定口座が出てきて税金処理が楽になると、バンガードのファンドは特定口座に入れられず、面倒くさくて離れた。
いろいろ投資を行き来したけど、最終的にメインの投資先として落ち着いたのが先はニッセイ外国株式インデックスファンド(除く日本)だった。
当時は世界株式インデックスファンドもあまり選択肢がなかった。
ニッセイさんはノーロードで、信託報酬も安くて良かった。ニッセイさんはいまでも頑張ってるけど、後から出てきたeMaxis slim にシェアを奪われてしまったね。
2000年から2020年、日本株インデックスって微妙でしたね。過去のチャートを検索してみればわかると思う。
今でこそ「日本株式をポートフォリオに入れていい」って雰囲気。だけど当時は日本株インデックス投資なんてありえん感じだった。
全然上がらん。
「失われた10年」「失われた20年」、そして「ひょっとして30年失われるのか?」
っていう空気感。
厳しくないか?
もしあれをリアルタイムに見てたなら、日本株式インデックスに投資するっていうのが分からんな。
小学の時にバブルが崩壊して、いわゆる氷河期世代。日本株はなるべく投資したくないって考えるのはおかしくない。
で、2000年とか昔って、今みたいな良いインデックスファンドはほとんどなかった。インデックスファンドでも信託講習が1% とか、良くてだよ。そんな中出てきた信託報酬の安いインデックスファンドがニッセイ外国株式インデックスファンド(日本除く)で、これは外国株式って書いてるけど、先進国株式で新興国は含んでない。
新興国ファンドの信託報酬は当時は高くて2%近く、当時はインデックス投資で新興国を含むっていう選択肢はなかったな。
後から出てきたeMaxis slim がニッセイの同等で、お互い競争してどんどん信託報酬が下がっていった。
シェアを圧倒的に奪っていったので、自分も徐々にeMaxis slim に乗り換えているのが今。
もちろん、相当利益の乗っかった「ニッセイ外国株式インデックスファンド」は今でも持ってる。
投資額が大きくなるとファンドをいろいろ持つと、ポートフォリオ全体の収益はVTに近づいていくからね。そんならオルカン的なやつで良いか、となる。
そして勿論、自分の子供達の未成年証券口座を開いており、生前贈与をして全額を投資信託にしている。
なんでSP500とかアメリカ集中投資じゃないんだみたいなコメントもあったけど、
これもシェール革命後、LLM全盛の今でこそ言える話で、アメリカ集中投資も怖いよ?
この25年の間にはいろいろあったからね、BRICSの台頭とか、リーマンショック・サブプライムとか、90円近い超円高とか。アメリカ集中投資もこわいよ。
いや、アメリカ集中投資で成功している人がいるのは知ってる。でも自分は怖いからやってない。
自分が「日本除く」を押してるのは、そういう「2000年頃から投資している経験」があるからだろうね。
マネックス証券を推しているのも、「ヴァンガードのファンドを日本に初めて紹介した証券会社」っていう個人投資家を重視する姿勢を見せてるところだよね。
楽天とかソフトバンク系のやり方、「大資本で圧倒的シェアを取りに行って、後からサービスを若干改悪する」やり方が好きじゃないっていうのもある。
このスレでカブ.com証券を使ってるニキがいたけど、カブ.com証券は取引手数料は高めだけど、多彩な注文ができるっていうことが当時の売りだった。
そういう特徴ある会社を推せるなら使っていくべきだと思いますよ。
ブコメでiDecoするなら松井証券はポイントがつくのでいいよ。ってコメントがあったけど、これはありがたいコメント。
俺はどっか違うとこに開いてるから、今更動かすのはあれだけど、これから開く人たちは松井証券がいいんじゃないか。
サービス頑張ってる会社を推すことで全体的な競争が起きてサービスも良くなってくるからね。
何度も書くけど、「これは1000万円投資どうしようニキ」に対してまともなアドバイスがなかったから、ざっくり書いたに過ぎない。
世の中には多数の投資情報があり、それぞれ意見が違うのは当然のことだ。
個人は意見が違うのが当然なので「日本除く」とかに引っかかってるのは謎でしかない。
むしろ人間の考え方ってみんなちょっとずつ違うんだから、意見を完全に一致してる時ほど逆に危険。それは明確な自分の意見を持っておらず、他人に同調してるだけっていう可能性があるから。
意見が少しずれているっていうのは、むしろ健全なんでございますよ。
>マネックス証券は詐欺会社というイメージしかない。理由はカブロボファンド
ご愁傷様です。
>今円が安い
そうでもない。歴史的に見れば、一番最初は1ドル1円で為替開始したんだよね、確か。で、一番安かった時は1ドル360円。
そうやってみると今の1ドル155円っていうのは、歴史的な幅1円から360円のちょうど中間あたりにある。で安いと思う?
為替っていうのは過去と比べるんじゃなくて、未来にどうなるかを考えるもの。日本はこれから高齢化がもう少し進展して、子供の数はさらに減っていって、人口がじっくり減っていく。産業は色々あるし、外貨建て資産は多く、外国からの投資収益は入ってくる。だけれども化石燃料の石油・天然ガス輸入に頼ってるし、原子力発電所の可動はまだまだ一部に留まるっていう。産業的にかなり弱い部分もある。
これで日本円が圧倒的に強くなる未来っていうのは、俺は考えづらい。ドラッカーもそういうことを言ってたと思うけど(「すでに確定した未来への警告」)。
>本当の金持ちだーーー!!!”経緯は親からの贈与。母親が株式投資をやっていて、子供にも生前贈与で口座を作ってくれていて。でも20歳を超えたら自分自身でやんないといけない。”
そうでもない。
父親は公務員。母親は専業主婦(のちにパートに出たが)。母方のおじいさんが株式投資をしていて、子供のころから気になっていたらしい。母は東京で就職したのを契機に株式投資を始めた。それが俺に続いている。結婚を契機に地方に戻り、専業主婦へ。
確かに贈与はあったけど、公務員の父からの贈与だよ。質素な暮らしをして、貯金を投資していく。それだけで相当な資産ができるんだよ。
「となりの億万長者」という本を読んでみてほしい。公務員とかお固い職業でも、質素に生活して適切な投資すれば、一億の資産を作れるんだよ。
逆に、医師や公認会計士のような華やかな職業でも、若いころから浪費癖を身に着け、投資もせずに年を取れば厳しい老後が待っている。「となりの億万長者」、自分の人生を変えてくれた一冊です。
次に人生を変えるのは、これを読んでいるそう、そこのキミだ!!
>人それぞれの経験とバイアスで好きに買えばいいですよね。生前贈与の証券口座は(額によらず)かなり質のいい教育機会だな、と自分を振り返っても思います。考えて試行し、結果を自分で引き取る。その繰り返し。
そうですね。同感です。
「幼い子には旅をさせろ」っていう諺がありますが。
投資というのは義務教育から大学を出て、企業に就職してっていう一般的な労働者ルートとは全く違います。企業家的な立場になることで、経験しないと分からないですよね。
https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
自分も、ADHDかつ軽度のASDの子供がいて、ADHDの当人で、配偶者がASDだか、少しだけ気持ちが分かるような、いろいろと辛いような、どちらの感情もあったので走り書き。
つい数年前までは、平凡で普通な平均の人間で、面白みのないありふれた当たり前の生き方の人生だと思ってた。
奥さんの弟は少し破天荒なタイプで、いつも義理の母が苦労していた。ちょっとしたマイルドヤンキーくらいに捉えていたけど、すったもんだであるとき検査をうけてASDと診断された。知的障害はないが、自閉症としては重度だった。
それでも近いようで対岸の火事な気持ちだったから、義母も大変だから何かとサポートしようくらいの気持ちだった。
10年くらい前に鬱で休職して以来、ずっと普通に働いて生活してたつもりだけど、少しだけ精神は不安定だった。それが数年前に仕事のドタバタで鬱ぽい状態から悪化して、会社をしばらく休職することに。
休んでる間はほぼ夏休み気分で溜まってた有給を消費しながらのんびりと過ごしてた。奥さんの全面的なサポートがあったからすごく助かった。
そんな時に、奥さんから精神科で軽度のASDとADHDの診断を受けたと報告された。どうも僕のことを相談しにいって、問題は自分の自認や特性に原因があるぽいよ、という医師の診断と検査結果だったみたい。
そ」から色々と話し合ったりして、もともとADHDの特性に当てはまる自認があったから、鬱の通院のついでに相談して自分も検査してもらった。潜在的な自認はあむたけど、冗談半分の気持ちだったから、たぶん精神科に通院している状態でなければ、検査する気や発想にはならなかったかも。
診断結果は生まれもっての注意欠陥と多動の発達障害でしょう、とのこと。
いまなら自覚もあるけど、自分の性格や普段の行動からも、多動症の典型という感じはする。
蛇足だけど、老後生活をゆっくり過ごしている両親には伝えてない。でも自分以上に父親はもっと多動だと思う。
それとほぼ並行して、息子が大学に通えずに精神科に通院し始めた。カウンセラーにもアドバイスをもらいながら検査もして、ASDのADHDの診断だった。
不登校気味で友達関係や人付き合いに悩んではいたけど、自分よりもしっかりもので、事件やトラブルもあったけど、真っ当に成長していると感じていたから、自分のことよりもびっくりした。けれど、まあ、両親の遺伝を考えれば当然なのかなという納得感もある。
あと精神科に通ったり発達障害について多少の知見があったのは、少しだけ子供のサポートに役立ったような気がする。
自分自身が発達障害で何か困難があるかと問われてもあまり思いつかない。締切の直前まで先延ばしにする悪癖は間違いなくある。締切の直前とトラブル時にだけアドレナリンが出て能力1.5倍で働ける。世間では無能な類だと思うが、プログラマとして興味のある分野を勉強、研究して、気に入ったOSSには足を突っ込んだり、担当外のプロジェクトのトラブルや問題に茶々を入れたり、意外とそれなりにやれてきたような。
家を出る時は家族の誰かの忘れ物で何度も行ったり来たり、それでいて肝心の物は結局忘れたり。封筒でもらった現金をお土産と一緒にしてたら空だと勘違いして捨てたり。漫画や小説は昔から同じ巻が何冊か被ってたり。
言い間違いや勘違いや物忘れが多すぎて、友達にまとめられる程度にはトンチンカンだし。
いまだに自分や家族の病名が覚えられなくて、いつもADSLだし。
書き出してみると、確かに優秀な人からすれば我慢が出来ないほどの可哀想な特性なのかもしれんけど。自分たちは動物園も水族館も映画も大好きだから、障害者割引を呑気に喜んだり平和にやっている。
何が言いたいのかもう全然分かんないけど、自分の人生が幸せだと自信をもって言えるのは奥さんと結婚して楽しく心地の良い生活ができているから。少し気難しい奥さんと仲良く楽しくやれるのは自分の特性が少しは役立っているのかも、とか。人名も店名も曲名も歌詞もいっつもうろ覚えで支離滅裂な会話でものんびりぼんやり付き合ってくれる奥さんのパーソナルはとても相性がいい、とか。
息子の将来は心配なとこあるけど、いまだに一緒に野遊びに付き合ってくれる心優しくも楽しい良いやつだから、何とかなるのかなと楽観視はしてる。
しっちゃかめっちゃかだけど、現代社会を生きるのには不便な特性かもしれんけど、悲観するよりは楽観したほうが楽しいんじゃないのかな、という余計なお世話が思い浮かんだ。
友人が失踪してもうすぐ五年が経過する。失踪、と言っていいのかさえ、よくわからない。ただ消息が途絶えた、という言い方のほうがしっくりくるだろう。
しあわせをおしえて
文末に句読点すらないそのメッセージが、俺のスマホの小さな矩形の中でいつまでも光を放っている。
彼の両親は未だに探している。警察にも相談し、ポスターも作ったが、手がかりはない。ニュースにならなかったのは事件性がないからだろう。
2000年代の俺たちは大学生だった。当時はまだガラケーで、ネットはiモードか、PCのADSLが主流だった。今みたいにSNSで推し活なんて言葉もなかった。ただ掲示板やチャットでハンドルネームを名乗り、同じ作品を好きだというだけでどこまでも語れた。あいつと出会ったのも2ちゃんのアニメ板、ラーゼフォンとフルメタル・パニックのスレッドを行き来していた頃だった。大学の構内のPCルームで、授業をサボってレスを投げていた。
「エヴァが終わっても、終わりじゃない」
エヴァが終わったあとでも、俺たちの熱狂は続いていて、むしろエヴァ後のアニメ群──スクライドやラーゼフォン、∀ガンダムあたりをどう受け止めるかで、世代の色が決まっていた気がする。
当時はよく池袋に行ったものだ。デジキャラットのグッズを探すため。ブロッコリーが全盛期で、ゲーマーズ本店に並ぶ人の列は今よりずっと濃度が高かった。メイド喫茶がまだ秋葉原でようやく形を成し始めた頃で、池袋は乙女ロードと呼ばれる前夜。帰り道にサンシャインシティの地下のゲーセンでbeatmaniaIIDX 5th styleを遊んで、あいつはR5ばかりやっていた。俺はリズム感がないから失敗ばかりで、それを笑われた。
しあわせってなんだろうな。
その度に思い出すのは、あの夏の新宿。新宿駅南口から甲州街道を渡った先、紀伊國屋の前で待ち合わせて千と千尋の神隠しを観に行った。2001年の夏休みで、俺たちは大学二年だった。劇場は満席で立ち見になった。千尋が両親を助けるために湯屋で働く姿を見ながら、俺は隣であいつが泣いているのを横目で見ていた。映画の終わりに拍手が起こって、あいつは「やっぱジブリはジブリだな」って呟いた。その帰りに寄った新宿の中古ゲーム屋で、あいつはドリームキャストのギルティギアXを買った。
あいつは本当にゲームが好きで、深夜までファイファンXIにログインしていたことも覚えている。PS2のHDDとネットワークアダプタを買って、ADSLで繋いで、ヴァナ・ディールで寝落ちした話をしてくれた。俺はオンラインゲームに馴染めなかったが、あいつにとっては現実と地続きの世界だったのだろう。
確か2005年頃だったと思う。俺たちは聖地巡礼という言葉を覚えた。AIRやCLANNADが流行して、京都アニメーションが一気に名前を広めた時期だ。夏休みに二人で和歌山の白浜に行った。AIRの舞台に似ていると言われていた海辺で、青い空と蝉の声を聞きながら、あいつは「神奈がここで空に還るんだ」と真顔で言っていた。その帰りに白浜駅で食べた駅弁の味噌カツサンドがやけに美味かったことまで覚えている。
同じ頃、俺たちは東京・荻窪にも行った。ネギまのイベントで、赤松健のサイン会があったからだ。行列に並びながら「これって歴史の証人になるんだな」とか言っていた。あの頃は何もかもがくすぶっていて、しかしそこにだけ輝くものが見えていた。
思えば、俺たちはずっとネット空間に生きていた。mixiの日記、掲示板の書き込み、夜中のMSNメッセンジャー。現実よりもそっちのログのほうが確かだった。あいつが消えたのは物理的なこの世界からであって、ネットのどこかにはまだいるんじゃないかとそんな気すらしている。俺が昔のハードディスクを漁れば、あいつの書いたレビューやイラスト、短いテキストファイルが出てくる。2001年にアップロードされたkyoani_fanpage.htmlとか、今となっては誰も開かないファイルに残っている。
俺は相変わらずアニメを見て、Blu-rayを買って、配信で昔の作品を見返している。先日はスクライドを観直した。あの頃、夕陽をバックにカズマと劉鳳が殴り合うシーンを「熱い」と言っていたあいつの声が頭に蘇った。
彼は今、どこで何をしているのだろう。まだネットのどこかにいるのか、それとももうどこにもいないのか。
大学四年の、ちょうど9月になって間もない頃。あいつと深夜のゲーセンを出て歩いた時のことを思い出す。
自販機でコーヒーを買い、涼しくなり始めた夜風に身を包みながら歩き、少し憂いた顔で口ずさんでいたあの歌詞を。
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ
想定40代〜60代
たぶん35〜45歳くらい
少し前まではインターネット老人会といえばここらへんが多かった
35歳くらいかな
にこにこが青春みたいな人ら
案外若く、今アラサーくらいだと思う
ちなみに俺はISDNからだけどニコニコずっと見ていた、あそこではおっさんと言われていた
25歳くらいかな
ここらへんの子ってXはアカウントだけ持ってるけどあんま見てないんだよね
ここが何になるかは今後5年で決まると思うんだけど
最近はミニゲームがたくさん集まっているようなアプリにキッズが沢山いるので、ひょっとしたらそのままTikTokから移動するのかもしれない
最近はRobloxが流行ってるのかな?Yayとか、WePlayとか、あともう一個あった気がする
男が男の尻穴にチンコ突っ込んでアオンアオン吠えたりビュルビュル腸内射精してる様子に文学的な意味があると言い張るのは無理があるよ。
BL作品のセックスに対して官能小説としての必然性は感じても、蛇にピアスの首絞めセックスみたいな物語における必要性のあるセックスを見出したことは一度もない。
インターネットに染まった腐女子はそこかしこに現れるエロ漫画広告のせいで「これぐらいは普通なんだな」と思ってるんだろうけど、紛れもなく異常だと思うよ。
それらはADSL時代のインターネットがバナー広告で「エッチな動画が見れるサイト無料!→クリックしたな金を払え」していた頃の民度を引き摺っているだけで、世の中がこれを正しい広告の姿と認めたわけじゃないと思う。
区画整備の行き届いてない繁華街で道を1つ間違えると、さっきまで外食チェーンが並んでいた通りが風俗街に一変するようなモノに近いっていうのかな。
日本社会のレベルがまだまだしょーもないからまともにゾーニングされてないだけで、幼稚園児の目にR-18が平気で飛び込んでくるような場所がまだ広がってるだけだよ。
ハリウッド映画が業界としての権力を傘にきて有名女優の濡れ場を「挿入してないからセーフ!セーフです!」と平気で銀幕に踊らせているのとかも本当は良くないと思う。
その現状に対して「じゃあBLもいいよね!俺達も低民度でいいよね!」ってする道は確かにあると思う。
だけどそれをやりながら「お前らの低民度マジ許せね~~~~」を口にするのは極めて卑劣だよ。
我田引水でさえなくただただ何も知らなくて頭が悪いだけにしか見えない。
そういう連中にBLを語ってほしくないんだけど、BLという分野が発展するための養分としてそのレベルの顧客でも利用したい気持ちはある。
だからゾーニングを推し進めて「BLはゾーニングしてますよ。え~~美少女エロコンテンツはまだDMMとFANZAの区別もロクにつけずにガキのスマホへ本番セックス広告送りつけてるんスカ~~~」みたいな感じで暮らしていくのが丸いと思うのよね。
どう思いますか?
西鉄バスジャック事件の報を見て子細を調べてネオ麦茶という名前を知ったのが初めてだと思う(ADSL普及前は、散発的に企業のホームページやそこからリンクしてるサイトにアクセスする程度にしかネットを使ってなかった)が、これは増田が期待するような回答になってるだろうか
教えてね。よろしければ知ったきっかけも教えてね。
ちなみに僕が初めて名前を覚えた人は破壊屋の管理人さんだよ。小学生の頃家族共用のパソコンでGoogle先生に「破壊」って入れたら当時のブログがヒットしたのがきっかけだよ。管理人さんが範馬勇次郎の真似してラップを顔で突き破ろうとしていたのが印象に残ってるよ。
みんなも教えてね。約束だよ。
紀藤弁護士ということは統一教会繋がりだよね。僕が中学生だったゼロ年代の終わり頃にネットに詳しい友達が統一教会のヤバさとずっと戦ってる弁護士の人のことを教えてくれたの思い出したよ!どこかのコミュニティ(2chとか?)にまとめられたのかな。
ラルクのhydeさんのことかな。アンサイクロペディアのhydeさんの記事は小学生時代に読んですごく笑った思い出があるよ。「1hyde」ってGoogleに入れると未だに「長さ」とか「何センチ」ってサジェストされるね…。今だとこういうネタは厳しいね。あ僕の身長が何hydeかは聞かないでね!約束だよ!
Syam?syamuさんなら少しだけ知ってるけどあの人はロゴマーク要素ないし別の人だよね?ググっても猫さんばかり出てくるよ!
当時パソコンの操作すらまともに分からなかったワイに、兄貴が横からパソコン触ってYoutube開いて見せてくれた記憶がある
それでキャッキャッしてた
キーボードクラッシャー!!懐かしいね!僕も家族共用のVaio(Windows Vista搭載)で延々見てたよ!
どちらも初めて知った(笑) 少し調べたけれどどちらのサイトも来年で30周年なんだね!みんなで祝おう!
西鉄バスジャック事件の報を見て子細を調べてネオ麦茶という名前を知ったのが初めてだと思う(ADSL普及前は、散発的に企業のホームページやそこからリンクしてるサイトにアクセスする程度にしかネットを使ってなかった)が、これは増田が期待するような回答になってるだろうか
佐賀県佐賀市17歳・・・。まさにネットの有名人だね!小学生の頃「インターネットの闇」的なものに憧れて家族共用のVaio(Windows Vista搭載!)で日本のネット初の事件を検索したときに彼の事件がヒットしたよ!ヒヒヒヒヒ