
はてなキーワード:90年代とは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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## 1週間分の総括
この1週間は、選挙を中心とした政治・社会への高い関心が全体を貫きつつ、AIや投資など未来志向の話題と、食・旅行・趣味といった身近な雑談がバランスよく共存していた。
仕事や教育、医療といった現実的な課題への悩みが多く語られる一方で、新技術や文化を楽しむ姿勢も見られ、不確実な時代の中で生活を最適化しようとする等身大の大人たちの対話が印象的なログだった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
戦争反対のスローガンが、現代の若者の心にほとんど響かなくなっている理由を、率直に考えてみたい。90年代までの「戦争反対」は、ある意味でおままごとのようなものであった。あの頃の日本は、戦後長く続いた平和が当たり前で、遠い国の紛争や過去の戦争の記憶は「教訓」として語られるだけで、現実の脅威とは感じられなかった。学校の平和教育も、原爆の悲惨さや「戦争は悪い」という抽象的なメッセージが中心で、具体的な生存の危機とは結びついていなかった。だから「反対」と唱えるのは簡単で、道徳的に正しいポーズとして機能した。しかし、2020年代に入って世界は根本的に変わった。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエル・ガザの激化、台湾をめぐる米中対立の緊迫化――これらはすべて「今ここで起きている」現実だ。日本は地理的に決して安全圏ではなく、ミサイルが1時間後に飛んでくる可能性はゼロではない。実際、多くの若者が「今はまだ人が死んでいないだけ」「交戦状態に近い戦時下にある」と感じ始めている。この状況で、単純に「戦争反対」と叫ぶことは、現実逃避にしかならない。なぜなら、選択肢がもはや「戦争をしない」か「戦争をする」かの二択ではなくなっているからだ。黙って殺される(侵略を受け入れ、抵抗せずに家族や友人と共に死ぬ)
この二択しかない中で、「戦争反対」を掲げるのは、結局のところ「自分たちと大切な人たちに死ね」と言っているに等しい。抵抗を放棄すれば、相手は容赦なく蹂躙してくる。ウクライナの現実を見れば明らかだ。降伏や服従が「平和」をもたらす保証などどこにもない。そんな中で、高市早苗首相(当時総裁・首相)は、若者たちに初めて明確な「戦う選択肢」を提示した政治家だった。彼女の防衛力強化、反撃能力保有、憲法改正への強い姿勢は、「日本は守られるだけの国ではなく、自分たちで未来を切り開く国になる」というメッセージだった。たとえ生き残れないとしても、せめて戦って死ぬ未来を示してくれた――それが、多くの若者にとっての救いだった。高市氏の支持が特に若年層で圧倒的だった背景には、そうした現実認識がある。彼女は「ガチ」だと感じられた。抽象的な平和主義ではなく、具体的な生存戦略を語ったからだ。SNSで長文を発信し、政策を丁寧に説明する姿勢も、若者には「本気」と映った。だからこそ、今の若者たちはこう思うようになっている。「戦争反対なんて、もう綺麗事だ。戦う以外の選択肢はない。だから、戦争しかない。戦って死にたい――少なくとも、殺されるだけでは終わらせたくない」これは絶望ではなく、ある種の覚悟だ。90年代のおままごと平和主義は、もう通用しない。現実がそれを許さないからである。自分は戦争で死ぬつもりだ。それでほんの1%でも、自分の住んでいる国が残る可能性があるなら、戦って死にたい。英霊となる覚悟は、もうできている。最後に、その可能性を僅かでも授けてくれた高市先生には、心から感謝している。
ツイフェミさんは言い換えると「メガリア」「保守系フェミニズム」「TERF」「ラディカルフェミニスト」のことです。90年代までの日本ではリベラル系フェミニズムが主流であったこと、また現在でも欧米のフェミニズムはリベラル系フェミニズムが主流であることが背景にあります。
つまり、リベラルな価値観の人から見ると現在のツイフェミさんは「偽物のフェミニズム」となるわけです。
わかりやすく言えば
J.K.ローリングは「TERF」もしくは「保守系フェミニズム」
欧米では J.K.ローリングをフェミニストが批判して炎上していましたよね。一方ツイフェミさんはJ.K.ローリングを信奉しています。そういうことです。日本と欧米ではフェミニズムが逆転しています。
リベラル系フェミ「性役割からの解放。性は社会的に作られた(ジェンダー)。多様性の包摂。フェミニズムは男性も救う。」
保守フェミ「性別は生まれ持ったもの。男は女性に優しくすべき」
リベラルフェミ「女性の性欲も認めるべき。性教育重視。女性の主体的恋愛を」
青少年健全育成運動「子供のためにエロ漫画を規制すべき。ゾーニング」
リベラルフェミ「服は自分のために着るもの。男のために着るのではない。我々が何を着ても自由である」
保守フェミ「社会は男が作っている。我々はセクシーな衣装を着ることを強いられている」
まだ女性差別の残っていた80年代から90年代初期、フェミニズムを担ったのは主に高学歴女性でした。
当時の社会において生き辛さを感じていた「バリバリ働くたい人」「女らしくない人」「出世欲のある人」たちがリベラル系フェミニズムを推進したのです。
女性差別がなくなり女性が働くのが当たり前になった現在、立場が逆転しました。
「低学歴の人」「女の子らしい人」「働きたくない人」が現在の社会では生き辛い人になり、フェミニズムの担い手が逆転しました。
ツイフェミさんはリベラル系フェミニストのことを「名誉男性」と呼び批判します。
あまりにも急激に社会が変わったのでそのバックラッシュと言えるでしょう。
またリベラル系フェミニスト側から見ると現在の社会は生きやすいので、多くの人が活動家を終了してしまっています。なので保守系フェミニストしか残っていないように見えるのです。
漫画で言うと槇村さとるの「おいしい関係」「イマジン」あたりがリベラル系フェミニズム、「Real Clothes」は当時流行り始めた保守系フェミニズムの影響を受けています。フェミニズム的理想の女性像の変遷がわかりやすいかもしれません。
「日本のアニメとアメリカの映画を比較するのはおかしくないか?」と思うだろうが
この「なぜ日本アニメの主人公は学生ばかりか?」は海外から言われる時、「例えばアメリカの映画はそうじゃないのに」が入ってくるからややこしいんだ
そもそも比較対象がおかしいのはその通りだ、既にこんがらがっている
「なぜ日本アニメの主人公は学生ばかりか?」を文脈を無視して言えば「漫画・アニメは子供向けに作られたからだよ」になる、当然そう
でいいんだけどね
なぜ日本で子供向けの漫画・アニメが発達したか?色々理由はあるが、一つにはお小遣い制度が他国であまりないというのがあった
その「金を持った子供」が多かった時代(1970年〜1980年代あたり)に最もそういう市場が発達したんだよね
この子沢山状態は、90年代00年代あたりに無くなってきたため、エヴァを始め、高校生〜20代くらいでも楽しめる作品が増えてきたのは自然なことだ
それでも、今でも一応というか、漫画・アニメは少年少女のためという前提は忘れておらず、完全に大人向けな作品は一番真ん中よりは外れたところで盛り上がっている(存在はしているが)
「おっさんが異世界転生して若者になる」みたいなのは2世代を取り込めるからうまいやり方ではあるよね
じゃあアメリカはどうか、というと、文脈がそもそも映画であり大人向けだと思う
中学生〜高校生が映画代をポンポン出すのはちょっときついだろう
お小遣い文化もないようなので、結果的に残るのはちびっこ向け(ディズニー)と、成人向け作品になるんだけど
そうなると中学生〜高校生のエンタメがぽっかり抜けるので、そこへ日本のゲーム・アニメが入り込んだり、ディズニーが大人でも楽しめる作品になったり、マーベラスみたいなちょっと今までよりは子どもウケがよさそうなものが流行ったりする
というのがここ20年くらいの流れだと思っている
それでなんだけど、「なぜ日本アニメの主人公は学生ばかりか?」「もっと大人主人公のものが流行ってほしい」っていう海外からの声、うるせえ!って感じだよね
ちなみに
日本の成人向けエンタメは、90年代まではテレビ文化だったんだと思うんだけど
それが元気なくなった結果、アニメ・漫画が20代〜40代までも浸透したよね
・出てくるのは子供なんだけど、会社っぽい組織があり、大人も大勢居る
よくよく世の中を観察すると、多くの男性歌手がファルセット寄りのミックスボイスを使ってることに気づいた
これでも、ミックスボイスがめっちゃうまい人なら境目なんてないと思うんだけどさ
チェストボイス
ヘッドボイス
こうすることでファルセットへの移動が滑らかになるし、透き通った声になりやすい
もちろんチェストボイス・ミックスボイスでやってる人も大勢居て、90年代00年代はそっちが主流だったと思うけど、最近流行ってる人はファルセット・ミックスボイスな気がする
それで皆高いんか、と一人納得
ただ、個人的にファルセット・ミックスボイスは安定しないしすぐ喉を痛めるので困る、あと裏返りは当然起こる
訓練でどうにかなるのか、それとも才能か
ボイトレでここらへんやってる人もあまり見たことがない、ボイトレはとにかくチェストボイスを重視する
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AIに聞いたけど、やっぱりこの4つの分け方をしてる人はほとんど居ないらしい
5:5のミックスなんて無くて、行っても6:4か4:6までしかないっていう説なんだけど
>もとより支持政党もなく強いポリシーもない。ただし人生の根底にあるのは戦後民主主義・平和教育の賜物である「戦争反対」「武力より対話を」「差別は悪」「人類みな兄弟」「We are the world」というゆるめの平和主義で、そうなると反体制が基本姿勢となる。
>さらには、90年代サブカルチャーの影響と氷河期世代の被害者意識が重なり「ネオリベ許すまじ」、すなわち「自民党許すまじ、でも野党が弱すぎる(泣)」という状態が続いている。
私は政治には明るくない。だが、人並みに成人として生活をするにつれ、政治経済との関わりは増えてくる。
もとより支持政党もなく強いポリシーもない。ただし人生の根底にあるのは戦後民主主義・平和教育の賜物である「戦争反対」「武力より対話を」「差別は悪」「人類みな兄弟」「We are the world」というゆるめの平和主義で、そうなると反体制が基本姿勢となる。
さらには、90年代サブカルチャーの影響と氷河期世代の被害者意識が重なり「ネオリベ許すまじ」、すなわち「自民党許すまじ、でも野党が弱すぎる(泣)」という状態が続いている。
そんな自分とは対照的に、同世代の妻は高市首相を応援している。
どうやら石破首相が相当に嫌だったらしく、彼を「役立たず」「功績もないまま椅子にしがみついていた」と言い捨てる一方、
初の女性首相となった高市首相には「がんばってほしい」「早速いろんな政策を進めている」「公明党パージしたのナイス」「中国への牽制やるやん」と高評価である。
私はといえばその隣で「この極右だけは無理。大統領気取りの安倍政権の後継なんて応援しちゃダメだよ」とつぶやくものの「女性をなめるな」と蹴飛ばされている。彼女による経済制裁をおそれ、論戦を仕掛けることすらできない。
「今日は電車で中国人の集団を見た」「街に中東系の人が増えた」という不安げなぼやきに、排外主義・差別主義が高まっているのを感じる。
生活者として外国人や人種の異なる人々を警戒する気持ちもわかるが、彼女の寛容さが少しずつ失われていくのを感じる。
衆院選が近い。
高市首相は先日、遊説中に手を痛め、持病のため討論番組を欠席した。
妻は「かわいそう」と、手を痛めた瞬間らしき画像を見ながら「これは相当痛いよね。リウマチは想像を絶する痛みだろうね」と同情している。
その傍らの私のスマートフォンには「数日前から欠席は予定されていた!」「党首が直接討論から逃げるとは何ごと」「自民党PR動画1億再生wwwなんぼ金使ったんやwww」という記事が並ぶ。
私は高市首相を「嘘つきの憲法改正派の許されざる日本会議系極右 with統一教会」といい、妻は「実行力のあるリーダー。日本のために働く実務者」という。
私は「非正規滞在のクルド人であっても不寛容に強制送還すべきではない」といい、妻は「クルド人も中国人もルールを守らない人はすべて追放すべき」という。
ちなみに、妻にとって、中道改革連合とやらは元公明党が含まれるだけで「そうかw」と一笑に付す政党で、国民民主党や維新は「まあがんばれよ」って感じで、参政党は「カルト」。(このあたりは私も同意見)。
もはや、妻の自民党支持は確実である。よりによって高市首相をトリガーとして。
この先、自民党が与党として、高市首相のような政治思想をもつものたちが権力を握り続けるとする。
憲法を改正し、国防軍を立ち上げ、排外主義的な外交を行い、中国等周辺諸国と衝突しながら自国を強化しようと国家運営するのであれば、私は今後も一切自民党を支持することはないだろう。
インフレと増税にあえぎながら時折のバラマキに安堵しつつ暴力と相互監視に怯えて暮らすなんて未来なんてまっぴらだし、そんな未来を避けるためにも、権力の監視は必要不可欠だ。
しかし、政権担当能力を持つ野党が見当たらない現状に、深い絶望を覚える。考えてみれば、選挙権を得てからずっとこの情勢は変わっていない。
私たちは二十年以上も、自国がダラダラとしまりなく弱まっていくのを見てきただけだった。
そんな国を運営してきた人々はまた支持率だけを頼りに勝負をかけようとしている。弱みを見せまいと権力にしがみつく。
高市首相を応援する妻にはどんな未来が見えているのだろう。きっと、しばらくは考えを変えることはないだろう。
値上がりが止まらない飲食店で食事をする。おっかない外国人たちが道をふさぐ。
子どもの少ない街の中で、もう若くない私たちは選挙カーの音に顔をしかめている。
ペシミストだな、と妻は笑う。君は――と言いかけて、私は口をつぐむ。
私は政治に明るくないし、支持政党もないので、どうなっちゃうんだろうね、と、およそ二十年後を想ったりする。
Permalink |記事への反応(24) | 18:14
そして大して好きでもないロカビリー歌手や加山やエレキバンドやグループサウンズやキャロルや秀樹やゴダイゴや教授や小室哲哉や古賀政男やらを羅列して、はっぴいえんどは小物だ音楽業界や雑誌ののステマだ連呼して大暴れ
要するに70年代の少年時代に歌謡曲よりイケてる邦楽のトップクラスだと信じて聴いてきた存在が、現在では見向きもされないからキレてるのよ
まず、この2組はサザンがデビュー即ブレイク、オフコースの増員やゴダイゴや原田真二が出てきた時点で一気に古臭く聴こえて過去の遺物になっていたわけ
聖子、たのきん、シャネルズ、YMOブレイク辺りで完全に存在感を失う
ユーミン、みゆき、陽水、小田、桑田らがその後も一線級であり続け、松山千春ですら90年代にヒットを出したが、拓郎とチューリップは70年代の思い出と共にリアルタイム世代のみに支持される存在になった
音楽雑誌の影響力などとっくに消え失せ、90年代の時点で売れてる雑誌はソニマガにロキノンジャパンにヴィジュアル系専門誌
現在はストリームにサブスク時代なので更にはっぴいえんど史観ブーストなどないも同然だが、そこでも拓郎やチューリップは後世の人間に聴かれない
しかも90年代はCMにドラマにキンキキッズの番組など、タイアップやメディアで拓郎とチューリップはあれだけゴリ押しされたのに無風だった
ラジオでも拓郎は昭和懐メロニューミュージックや歌謡曲括りでしか流れないが、はっぴいえんどは90年代以降の邦楽や洋楽と共に選曲されており、流れる頻度も後者が圧倒
シティ・ポップ、フラワー・トラベリン・バンドなど一部のグループサウンズやその流れのニュー・ロックのように海外で音源が発売されて評価されるムーブメントも起こらない
拓郎やチューリップをリアルタイムで支持していた当時のティーンズもリアル他界間近だから、蝋燭の火が消える直前に燃え盛るってやつなのかしら
いい歌かどうかしらんけど最近俺が作業用でよく聞いてるサントラはこれ
https://www.youtube.com/watch?v=s0MgVOaDtvM
歌が入ってるのは0:00と49:09、ノルウェーの著名歌手AURORAが歌ってるやつだけだけど
ちなみに冒頭の曲に関してはオーケストラ演奏を撮ったPVもあるから動画として見応えあるのはそっち
Native Instrumentsが予備的破産手続きに入った、ってニュースを最初に見たのは、プリセット探しに疲れてベッドでゴロゴロしながらスマホ眺めてた時だった。
一瞬、寝ぼけて「NIS Americaか何か別のNIだろ」と思ってスルーしかけたけど、本文読んだら普通にBerlinのNative InstrumentsGmbHで、例のCharlottenburg地裁での予備的破産手続き(vorläufiges Insolvenzverfahren)開始って書いてあって、ちゃんと管財人の名前まで出てる。
あー、これマジのやつだ、ってなった。
30年DTMやってるけど、そんな見出しを見る日が来るとは思ってなかった
90年代末にCubaseVSTいじり始めて、ソフトサンプラー黎明期からKontakt 1に飛びつき、Reaktorの意味不明な配線に挫折し、Traktorでクラブもどきのことをし、Maschine Mk1のパッドを叩き過ぎて一部反応悪くして、
Kompleteは気付いたら「アップグレード代が固定費」みたいになってた。
DTM 30年もやってると、「業界標準」って言葉を疑う癖がつくんだけど、それでもKontaktだけは本当に“事実上の標準”だった。
オーケストラ系の国内ベンダーも、同人の薄い本に付いてくるおまけ音源も、だいたいKontaktインストゥルメント前提。
で、その土台にしてた会社が、ある日突然「予備的破産」です、って。
「予備的破産だからセーフ」は、ユーザーの心には何のセーフにもならない
今の段階では「即死じゃなくて、延命しながら解体するか再構築するか見極めるフェーズ」だってことも、
管財人が付いた時点で経営陣の決定権はかなり縛られて、資産の売却とか事業単位での整理が現実的にテーブルに乗ってるってことも。
つまり、「もう崖から落ちてるんだけど、落ち方を調整する段階」に入ったってことだ。
でも、そんな法的な説明をどれだけ読んでも、日本のDTMユーザーのタイムラインは一瞬で「Kontaktどうなんの?」で埋まる。
「Traktor終わり?」とか「Maschine買おうか迷ってたけど様子見だな」とか。
あと、iZotopeとPlugin AllianceとBrainworxも同じグループだったことを今さら思い出して「RXまで巻き込まれるの…?」ってざわつく。
CDMだのGearnewsだのの海外記事は、「短期的にはサービス止まらない」「コアビジネスは健全で、拡大路線と買収で抱えた負債が原因ぽい」とか冷静に書いてる。
でも、30年かけて積み上げてきたプロジェクトファイルの左側で、Kontaktのアイコンがズラッと並んでる光景を見慣れてる身としては、
「はいはい短期的にはね、で、5年後の開けないプロジェクトは誰が責任取るの?」って話になる。
日本のDTM業界が食らう一番デカいダメージは、「安心感」が死ぬこと
日本のDTMって、良くも悪くも「とりあえずNI入れとけば大丈夫」文化があった。
それが一夜にして、「その“とりあえず”が一番とりあえずじゃなくなった」わけで。
国内の小さいデベロッパーにしても、多くはKontaktのフォーマット前提でビジネス組んでる。
自社でエンジン作る体力もないし、マルチプラットフォームのシンセを書ける人材もいない。
だから「Kontakt Player対応」ってラベルは、サポートとか互換性とか、ユーザーに対して「うちは大丈夫ですよ」っていう保証の看板でもあった。
その看板を貸してた本体がグラグラになったら、日本のサードパーティは一斉に「うちの音源、この先10年どう説明する?」ってところからやり直しになる。
特に日本は、教則本と専門学校と通信講座で「DTMの正解」を体系化するのが大好きな国だから、「カリキュラムの柱」がこんな形で揺れるのは、想像以上の衝撃になる。
「業界標準」の裏にあった投機的拡大のツケを、ユーザーが払うという理不尽。
今回の件で地味にムカつくのは、CDMや各メディアが「どうもプロダクトの売上がダメになったというより、拡大と高額買収で抱えた負債が原因ぽい」と書いてるところ。
ユーザー目線では、「何かよくわからんけど、あちこちのロゴが全部NIになっていく」くらいの話だった。
でも裏ではそのたびにでかい金が動き、その借金の最終的な“清算”に巻き込まれるのは、30年分のプロジェクトファイルを持ってる現場側。
日本のDTMユーザーは、円安だろうが税金上がろうがKompleteのアップグレード代をせっせと払い、
「もう使ってない音源もあるけど、将来の互換性のために一応アップグレードしておくか」と、実質サブスク状態で支えてきた。
その「互換性への保険料」が、まさか投機的なM&Aの反動で吹き飛ぶとは誰も思ってなかった。
30年DTMやってると、もう何社も見てきてる。
そのたびに、古いWindowsマシンを押し入れから引っ張り出して、
「この曲だけは何としてもステムを書き出しておかなきゃ」と夜中に凍ったUIと戦う。
今回も、多分そういう「最後のエクスポート祭り」が、日本中のスタジオと六畳間で静かに始まる。
国内ベンダーにとっては「巨大なチャンス」と「地獄の二択」が同時に来る
冷静に考えれば、これだけ巨大なプラットフォームが揺れた瞬間って、本来なら国内の開発者にとってはビッグチャンスでもある。
でも、日本のDTMマーケットって、そもそもそんなに大きくない。
NIレベルのプラットフォームを「じゃあ自分たちで作りなおそう」と思っても、開発費もマーケもサポートも全然追いつかない。
結果として、多くの国内ベンダーが直面するのは、だいたいこんな二択になる。
1. しばらく様子を見つつ「Kontakt前提ビジネス」を惰性で続ける
→ でもユーザーには「長期的な保証はできません」としか言えない
2. ここで腹をくくって自前エンジンか別フォーマットに大転換
どっちを選んでも、コストは跳ね上がる。
で、そのコストは結局、値上げか有償アップグレードか、何らかの形で日本のユーザーに跳ね返ってくる。
専門学校と「教える側」の人たちには地味に致命傷
もうひとつ、日本固有の問題として、専門学校と通信講座がある。
予備的破産のニュースが流れた翌日、どこかの専門学校で、講師にこう聞く学生は必ず出る。
「先生、Native Instrumentsって潰れるんですか?」
そこで本当のことを言えば、
「いや、今すぐ潰れるわけじゃないけど、将来のことはもう誰にも断言できない。数年のうちに、ブランドが分割されたり、別の会社に吸収されたり、最悪、一部の製品は開発終了になる可能性もある」
って話になる。
でも、授業としてはそんな不安定な話を延々するわけにもいかないから、「とりあえず今は気にせず学びなさい」と言うしかない。
こうして、「教える側は不安を隠しつつ、学生には良い顔をしなきゃいけない」という、いつもの構図がまたひとつ増える。
企業の戦略ミスと負債の処理を、教育現場が尻拭いするの、正直そろそろやめてほしい。
短期的な話をすると、日本のDTMショップと代理店はかなりキツい。
こういうところで一気に「様子見」が発動する。
ソフトはまだしも、ハードは「これから買うのは怖い」が一斉に駆け巡る。サポートがどうなるかわからないし、ファームウェアやドライバのアップデートが止まった瞬間、OSアップデートのタイミングで一気に文鎮になるリスクがあるから。
で、ユーザー側も、「このタイミングでKompleteUltimateに上げるか」とか「Maschine Mk3に買い替えるか」とか、今までなら普通にポチってた決断に、急ブレーキをかける。
その「様子見」が、実際には「もう戻ってこない」ことも、30年見てくるとよくわかる。
こうして、ゆっくりと、でも確実に、NI周辺にあった「標準装備としての売上」が薄まっていく。
その余波はもちろん、国内ショップの売上にも降りかかるし、「DTMってまだ日本でビジネスとして行けるの?」って空気にもつながる。
それでもプロジェクトファイルは開けなきゃいけないし、音は鳴らさなきゃいけない
じゃあ30年選手として、何をするか。
正直、やることは地味で、ロマンのかけらもない。
(国内外問わず、Kontakt依存度を下げられる構成をゆっくり検討する)
これを、世界中の古参DTMおじさんとおばさんが、各自の狭い部屋で黙々とやる。
そういう、ものすごく個人的で、でもシステム全体としては巨大な「サイレント・マイグレーション」が、これから数年かけて進むことになる。
日本のDTM業界にとって、今回のNIの件が「激震」なのは、別に明日サービスが止まるかもしれないからじゃない。
30年かけて「ここに積み上げれば安全」と教えられてきた土台が、実は誰かの投機的拡大とレバレッジの上に乗っていただけだった、って事実を突きつけられたからだ。
その現実を見せられたあとで、次に「安心して積める場所」はどこなのか。
それをまた探し始めなきゃいけない、っていう意味で、今日という日は確かに、日本のDTMにとってひとつの「終わりの日」なんだと思う。
……とか真面目なことを書きつつ、さっきも普通にKontakt立ち上げてベース音色選んでた。
でも、このニュースを見た瞬間に、いつものKontaktのGUIが、急に“期限付きの借り物”みたいに見えたのもまた、事実だった。
現実の戦争で起こっている現場と基地の分断を描く意欲作だが作品自体が分断されてしまっている印象でちょっとノレなかったので62点。
新米JTACの弟ヘムズワースはフィリピンの小島に囚われた情報員の救出作戦にアサインされる。敵を発見するも敵が民間人を虐殺し始めそれを救うために戦闘になりてんやわんや、チームは壊滅状態に。リアムは基地の無人機オペレーターと更新しながらあちこちを逃げ回る羽目に。で、まぁチームの生き残りと合流したり敵の基地に乗り込んだら捕まっちゃったりそこで拷問を受けて爆撃と同時に脱出して敵のボスを倒したりいろいろあってなんだかんだ脱出する。
みたいな話。
俺が見る映画に出てくる弟ヘムズワース、なんかいつも血まみれで命からがら逃げ回ってから逆転に転じてるな。
というのは置いておいて、まず冒頭、出撃前の主人公はテーブルに載っている2種類の味のシリアルのうち、どっちを持っていくかをなんかずっと悩んでるところから始まり、同様に基地から作戦を援護するラッセル・クロウの登場シーンは出勤後にコーヒーメーカーのポーションがぐちゃぐちゃにされていることにブツクサ文句を言いながら設置し直すところから始まる。ここからもう既に軍人でありながら生活>軍事作戦という意識で生きてしまっているということが提示される。
そして実際に現場で戦闘に巻き込まれ生死の境を彷徨うことになる主人公と基地からそれを必死に支えるラッセルのバディものとして展開していくが、ラッセルの基地では同僚がみんなで集まってテレビのバスケの試合に熱狂しており、作戦が進むと「超過勤務だからお前はもう帰れ」と引継ぎもそこそこにラッセルが指令室から追い出されるという、「戦場」と「基地」の分断が加速していく。
空軍基地という非常事態の場でバスケの試合に集中したいから電話も取らないという同僚らに対してラッセルが冒頭では「ちゃんと電話には出ろ!俺の嫁が今日出産するかもしれねぇんだ!」と怒るシーンが最後に「ガチの緊急事態の連絡すらおざなりに処理する」というサスペンスにつながり、ラッセルが怒りを爆発させテレビを破壊する展開は主人公との遠い共闘を経て「現実感を取り戻したラッセルVS能天気な軍部」の対立構造として趣深い。
おそらく過去であれば空軍は「自分たちが戦場まで飛んでって爆撃する」というリスクや戦場を共にする覚悟を背負っていたので連帯感があったが無人機がメインとなった今では「なんか遠いところで戦ってる奴がいるらしい知らんけど」みたいな、もはや画面の前で戦争を見ている一般市民と同じ感覚になってしまっているという現代の軍のリアルを描きたいんだろうなというのはわかる。
主人公をJTAC(統合末端攻撃統制官)という現場で端末使って航空支援を要請する担当にしたというのも現代の戦闘のリアルを描こうという観点から見れば面白い方法だと思うし、実際ド派手な戦争が始まるまでは結構興味深く見られた。
ただ、そういう2024?2025?年のリアルな戦争というテーマが一面にはあると思うのだが、いざ戦闘が始まってからは現場パートが1990年代や2000年初頭のようなアクション映画としてのミリタリーアクションになってしまう。個人的に一番近いのはエネミーラインとかかな。
新米JTACというポジションでオドオド戦闘に出るというのが面白ポイントで最初の戦闘ではチームの陰ではわわ~って感じだったのにいざ一人になると急に近接戦闘は強くなるし敵の銃は主人公には当たらず主人公の銃はなぜか当たり、都合のいいところで生きてた味方が合流し捕らえられ殺害される。水責め拷問を受けていたので爆撃による炎を避けられたって展開はちょっと面白かったけど、でもお前風呂桶から腕出して暴れてたたけど平気そう?ってのは気になるし、敵のアジトの通路という通路を炎が覆ってたけど捕虜はみんなピンピンしてるし敵のボスもなぜか平気。
敵のアジトを壊滅させようと爆撃指示をしたあとに捕らえられてしまい、自分が捕らえられている基地への爆撃を自分で指示してしまうという皮肉な展開は悪くない。拷問を受け基地の中を逃げ回りボスをぶち殺し最後の爆撃までに基地を脱出しようと苦労する主人公とのカットバックで、指令室から追い出されたラッセルはスーパーでヴィーガンの妻の指示で買い物というミッションにアサインされ苦労させられるってのも嫌いじゃないし、主人公がようやく電波が通じる場所に出て基地に電話するもあしらわれ、ラッセルに電話するもラッセルは妻と電話中。ようやく繋がってラッセルが基地に急ぎながら電話するも基地はバスケに熱中してつながらない。という「現場と基地の分断」からくるサスペンスも面白い。
でもその結末が「いそいで基地まで戻って廊下を走って指令室に爆撃のゼロコンマ何秒前に何とか間に合って回避される」ってのぶっちゃけどうなん?いまさらそれ?90年代のミリタリーアクションを参照してるのはわかるし、そういうテンプレートとしての楽しさはあるけど、2020年中盤の戦争の現代性をテーマとして打ち出しながらそれ?って冷めてしまった。
そんなこんなで航空支援の無人化による現場と基地の分断をテーマに描きながら、同時に現代のリアルな作戦事情と90年代のミリタリーアクションの分断が俺としては非常に気になる。リアルにやりたいんかファンタジーやりたいんかどっちやねん!と座りの悪い思いをずっとし続けることになった。
とはいえ、90年代ミリタリーアクションとしては予算感はないけど工夫とCGで迫力はあるしやろうとしていることの面白さは十分あるのでそういう映画として見るなら全然及第点はあると思う。実際、文中で挙げたエネミーラインって俺の中で75点くらいはあるからね。別にミリタリーアクションが嫌いなだけではないのよ。現代の技術で90年代アクションを撮ることが目的ですってことなら70点後半くらいはつけられると思うので、金ロー感覚で見るのがオススメ。