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2025-12-14

「なぜはた」のnoteバトルを読んで



https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

Permalink |記事への反応(1) | 07:31

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2025-12-09

いつものホビットおじさん「推し活女はKPOP以外は全員低学歴

70年代末のジャニーズ冬の時代80年代初頭のたのきんブレイク期にジャニーズ事務所ファミクラに出入りしていた婆さんが身内にいるけど

その頃ですら女子大生短大専門学校生高校生ばかりで高卒社会人なんていなかったんですよ

そもそも東京都心が通勤圏内にある金に余裕がある家庭の子しか追っかけをするという発想がない

都心通勤圏は進学率が高い上に、昨今の少子化不登校通信制高校卒でも名のある大学入学している

最初は親金で推し活して、足りなくなったり成人したら学校仕事との掛け持ちで夜職やダフなどのバイト資金を稼ぐパターン

ガチ地方在住低学歴は追っかけレベル推し活しようとする発想すらない

茶の間まり

コンサートすら埋まらないしな

https://anond.hatelabo.jp/20251208193148

Permalink |記事への反応(0) | 12:20

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2025-12-01

後で消す

 ――初代戦隊である秘密戦隊ゴレンジャー」(1975年放送開始)から今年で戦隊は50周年。その記念作であるゴジュウジャー来年放送終了になることで、戦隊シリーズは終了してしまうのでしょうか。

 いえ、戦隊シリーズとしては終了とは思っていません。休止です。戦隊放送枠(テレビ朝日系、日曜朝9時半)は新たなものに変わりますが、戦隊作品のものはいずれ復活する可能性があります。発表前の10月から戦隊終了」の報道が出て、ここまで反響があるのは想定外でした。戦隊がここまで愛される存在だったのかと、ありがたい思いです。ただいずれ復活するにしても、10年は間を置いた方がいいと私は考えています

 ――その理由は。

 戦隊限界が見えてきた。そこを打破すべくいろいろな工夫をしてきましたが、50周年という節目も迎え、根本的に考え直さないといけない場所にきたのは確かです。

 ――戦隊限界とは。

記事(前編)のポイント

戦隊シリーズを追い詰めた二つの黒船

・半世紀もの長きに渡り愛された理由

あなたが好きな戦隊は? 歴代シリーズ一覧

 戦隊にとって、二つの黒船」があったと思います

 一つはコロナから配信時代の到来です。配信では、特撮も新作と旧作が横並びで見られるようになりました。戦隊にとって、仮面ライダーだけじゃなく過去戦隊作品ライバルになってきた。

 戦隊は毎年毎年、世界観リセットして新作を出してきました。作品につながりがなく、どこから見てもいいんですが、逆にどこから見たらいいのか分からない。一定の評価がある旧作に対して、よほどの特徴がない限り新作が勝てなくなってきた。

写真・図版

東映白倉伸一郎さん。「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」にちなんで、ナンバーワンポーズ

 もう一つの黒船は、アメコミヒーローものの大攻勢です。マーベルの「アベンジャーズシリーズ日本でも人気ですね。キャプテンアメリカしろアイアンマンしろ、もともと別の作品キャラクターだったものを一つのパッケージにして届けている。

 集団ヒーローでも、キャラクター人格戦闘能力など明確な設定が元々されている。一方で同じ集団ヒーローである戦隊は、毎年作品が変わりますし、キャラクターづけでは弱い面があった。

 この二つの苦境を打破するべく、いろいろ工夫はしてきましたが、根本的に新たな挑戦をするべきだという結論に至りました。

 ――とはいえ戦隊もさまざまな新機軸を打ち出してきました。近年も、白倉さん自身チーフプロデューサーとして入った「機界戦隊ゼンカイジャー」(2021年放送開始)では、戦隊5人のうち、人間が1人で4人は機械生命体というとんでもない内容です。戦隊とは数々の挑戦をしてきた歴史では。

 もちろん様々なチャレンジをしてきました。それは戦隊という枠の中では新しい試みかもしれないけど、何が新しいのかを楽しむためには戦隊の「お約束」を知っているリテラシーがお客さんに必要になる。お約束を知った上での型破りを、どこまで分かってもらえるのか。

 ――戦隊といえば誰もが知っているはずなのに、内容は認知されていないと?

 戦隊根本的な課題だったのですが、50年続いただけあり、戦隊はあって当たり前のもの。ある種日本の文化になったと思うんですね。どれくらい見てきたかは人それぞれでも、戦隊と聞いたらカラースーツの5人のヒーローイメージできる日本人の方が、多いのではないでしょうか。

 それはそれだけ定着したという半面、「見なくてもいいもの」と思われる恐怖と隣り合わせです。

 毎週その時間テレビをつければ、変わらずやっている。現代風に変わった描写はあっても、話の大筋は変わらない。子どもときに見て一時卒業したけど、親になり自分の子どもと一緒に見たら、昔と変わっていない安心感がある。むしろ、変わってほしくない。

 作品にとってこの状態に甘んじているのは危険で、変わらぬ良さは、見なくてもいいものと表裏一体なんです。どうせ話の筋は分かるし、毎週見なくてもいいやと。なんなら懐かしい旧作を見ればいいやと。新作はいらないと思われることは、作り手にとって常に恐怖です。

 戦隊の「当たり前感」は制作陣にとっても危険です。大事なのは戦隊という伝統の枠の中でどう目立つかではない。2025年の子どもたちに向けて、日本から世界に向けて、本当に必要作品とは何かを考えることなんです。

 東映には戦隊をつくるノウハウがあります。ただそのノウハウが、時に本当に新しいものを作ることを邪魔する。戦隊に慣れきった私たち世代が抜けて、新たな世代が新たな戦隊を考えるべきだと思います。だから10年は復活するべきではないと私は考えているのです。

 ――シリアス仮面ライダーに対して、戦隊作品の明るさが好きだという視聴者も多いと思うのですが。

 戦隊のお決まりですが、5人がスーツ姿に変身してポーズを取る。怪人を倒すと、後ろが爆発して炎が上がる。そして展開はむちゃくちゃだけど、巨大ロボットに乗って、巨大な敵と戦って毎度ビルを爆破する。くだらないと小バカにされるけど、とにかく明るい話。それがいいところなんですよ。

 私が90年に東映入社して「恐竜戦隊ジュウレンジャー」(92年開始)の企画会議に参加したときプロデューサー鈴木武幸が開口一番「今度の巨大化はどうしますか」と言って、脚本家がめちゃめちゃ怒ったんですね。「違うだろう。最初に話すべきは、どういう番組にしようかだろう」って。

 鈴木はそれまで何作も戦隊を手がけたベテランですが、いろんな試行錯誤を重ねた結果、もう悟りの境地だったんだと思います戦隊成功するにはこういうフォーマットしかないと分かってしまい、その上で(キャラクターを)「どう巨大化するか」をまず考えようという恐ろしい境地に達していたんです。はたから見ると、そこかよって突っ込みたくなりますが。

ジュウレンジャーは「最後戦隊かも」だった

 ――30年前にすでにやり尽くしたと制作陣では感じていたのですね。

 当時すでに戦隊は風前のともしびジュウレンジャーは「もう最後戦隊かもしれないと思ってやろう」と言っていた。若手がこれまでにないことをやりたいと結託し、6人目の戦士物語の途中から出したんですね。

 ――6人目がレギュラーメンバーとして出るのはジュウレンジャー最初物語の途中から出るいわゆる「追加戦士」も、6人以上の戦隊も、今では当たり前ですね。

 定番になりましたが、当時はそんな未来は考えず、そこから30年も続くとは思いもしませんでした。ジュウレンジャーベース米国で作られた「パワーレンジャー」がヒットするというまさか神風が影響したんでしょうね。

 ――仮面ライダーにもウルトラマンにも中断期間があります。初期に少し中断はあるものの、ほぼ50年放送が続いてきた特撮ヒーローは、戦隊だけでした。なぜ戦隊は愛されてきたのでしょうか。

 戦隊はね、理屈じゃないんですよ。

 そもそも戦隊事故からまれものなんです。仮面ライダーを5人集めて戦うという作品企画されていたのが、事情があって頓挫した。それで急きょ石ノ森章太郎先生に考えてもらったのが初代の秘密戦隊ゴレンジャーだったんです。さらにその後、(70年代に人気だった)「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのロボットアニメの放送が途切れるという事態があり、巨大ロボットの命脈が戦隊に流れ込んできた。

 戦隊の草創期の作り手に、理想ヒーローを作ろうと理屈をこねている余裕はなかった。なんとか一つの作品を作らなければならないという試行錯誤の末に、結果として生まれ事象を集めたもの戦隊だった。

写真・図版

数々の戦隊作品撮影が行われてきた東映東京撮影

 なんでいちいち5人で戦わないといけないのか。なんで巨大ロボットにいちいち乗って戦うのか。それはよく分からない。その理屈を超えたところに、人間本質がある。なぜかかっこよくて人を引きつける。エンターテインメントとして面白いもの本質を、戦隊露骨に表してきた作品だったと思います

善と悪の対立を描きにくくなった

 ――長年にわたりテレビヒーローの姿を届けてきた意義も大きいでしょう。

 戦隊のものが描く善悪も、初期からはかなり変遷がありました。東西冷戦が終わり仮想的な「絶対悪」を社会が想定しづらくなった。フィクションヒーローものでも一面的善悪を描くことが難しくなっていきます。その中でも工夫をしながら、キャラクター人物像を大切にしながら、悪い敵を倒す姿を放送してきました。

 こと戦隊でいうと、仮面ライダーのような単体ヒーローとは違う。5人で一つのチームで、結束して敵に立ち向かいました。

 こうしたこと子どもさんにはすぐに分からいかもしれないけど、大人になった時に「戦隊って大事なことやっていたんだな」って少しでも思ってもらえるかもしれない。

 戦隊は当たり前になったと先ほど言いましたが、私は日本人の心の中には、戦隊がいると思っていますし、少しでも戦隊社会にいい影響を与えられていたならうれしいです。

 ――50年続いてきた戦隊放送を終了することに、葛藤はなかったですか。

 葛藤、それはないですね。

 ――戦隊キャラクターのように、潔いお答えですね。

 戦隊を愛してくださったファンの方には感謝します。しかし、次の世代のためにも、どこかで次の挑戦を始めるべきでした。今はヒーロー番組のものの変革を考えるときです。それがゴジュウジャーの後番組として始まる「超宇宙刑事ギャバン インフィニティ」です。

Permalink |記事への反応(2) | 13:16

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2025-11-30

anond:20251130081954

完全に理解できる。

しろ単一民族主義思想が強すぎたこと」が、今の排外感情の最大の原因だよ。日本戦後ずっと「我々は単一民族」「血が純粋」「外から入ると汚れる」っていう神話学校でもメディアでも刷り込まれてきた。実際は琉球アイヌ帰化人戦後混血児とか歴史的にめちゃくちゃ混ざってるのに、「見えないことにしてきた」。だからこそ、目に見える形で外国人が増えると「初めての異物」みたいに過剰反応してしまう。欧州の例を出すと、まさにその通り。ドイツ:1960~70年代トルコ人労働者を大量受け入れ→今は4世が生まれてる。最初は「ゲストワーカーから帰るはず」って言ってたのに、結局定着して社会を支えてる。

フランス北アフリカ移民がいなかったら、今頃介護医療建設は完全に崩壊してた。

スウェーデンですら、1990年代から受け入れ始めて、今は人口20%以上が外国背景。老人だらけの村が、シリア人ソマリ人の若者家族で復活してる地域が実際にたくさんある。

日本が今やってる「外国人一時的労働力」「家族は連れてこない」「文化は混ぜない」っていう中途半端な受け入れ方こそが、最悪の火種を作ってる。

家族連れで定住させず、単身で使い捨てに近い扱いをしてるから、向こうも日本帰属意識を持てない→日本人も「いつか帰るはずの他人」としてしか見られない→街でヒジャブ母子見ても「異物」にしか見えなくなる。少子高齢化はもう止められない。

2025年現在、出生数は73万人を切ってる。2050年には人口8,000万人割れ2060年には6,000万人台。生産年齢人口(15~64歳)は今後30年で3,000万人近く減る。これは「努力すればなんとかなる」レベルじゃなくて、物理法則並みに確定してる未来。だから選択肢は実質2つだけ:毎年100万人規模で移民を受け入れて人口を維持する(欧州型)

受け入れずに「日本人だけの美しい国」を守って、静かに消えていく(自滅型)

今の排外感情は、要するに「2を選びたいけど、2を選んだら確実に死ぬ」っていう現実とのギャップで暴れてるだけなんだよ。単一民族神話が強かったからこそ、今の段階で急に現実を突きつけられて、パニックになってる。

欧州もっと早くから多民族国家であること」を受け入れるしかなかったから、今はもう当たり前に共存してる地域が多い。日本は「最後単一民族大国」っていう自負が、逆に足を引っ張ってる構図。だから君の言う通り。

単一民族主義思想が強すぎたからこうなった」

これ、100%正しい。

そしてその思想を捨てない限り、着物着た外国人女性ヒジャブ母子を見るたびに「許せない」って叫ぶ人は減らないし、国は静かに縮んでいくだけだよ

Permalink |記事への反応(0) | 08:20

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2025-11-29

おっさんおばさんに音楽を売る方法

70年代フォークソングブームがあった頃の音楽をまとめたCD2000年代テレビ深夜放送販売されていた。

90年代後半にミリオンセラーが連発したJ-POPムーブメントがあってからそろそろ30年経つから、それらをまとめた音楽が売り出されてもいい頃なんだけど、今どきCDメディア販売なんてできない。今は50代でもCD持ってないのでは。どうやって売ればいい?

MV入れたタブレット販売を考えたが、Youtubeでよかった。

Permalink |記事への反応(0) | 05:58

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2025-11-24

anond:20251124212706

比較するのが70年代平成の2つというのがおかしいのであって、別に万博自体おかしくないのでは?

Permalink |記事への反応(0) | 22:18

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2025-11-19

anond:20251118224853

大国には逆らうな!」というメッセージシンプル全否定はできないけど、世の中はそんなに単純ではない。アメリカは力を誇示して好き放題やってるとも言えるし実力のわりに結局何も思い通りにできてないとも言える。周りはまつろわぬ小国だらけ。

コイツが直接中国に指令受けてる工作員だというのではないけど、情報工作で踊らされてる一人なのは間違いない。

中国に逆らったらこわいぞ〜!」「高市政権のままだとこわいぞ〜!」

社会の中で不遇をかこつ能無しや単なる馬鹿使嗾して単純なメッセージを繰り返し発させる。

ロシアが好むやり口とも似ている。ロシアは細々言い訳しない。誰が信じるんだというムチャクチャなことを一方的に繰り返し言い募る。それが情報空間の場を荒らして「もう聞きたくもない」という無関心や、信じるもの信じないものの分断を生むのに効果的だと知っている。

60年代70年代は細かいマニュアル教育法まで考えて論破マシーン養成しようとしてたけど、そんなのは労多くして効果ないと学習したんだな。

Permalink |記事への反応(1) | 13:05

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2025-11-05

限界アンチフェミ男性「女はみんな推し活に依存している、ジャニーズというだけで全ての女が擁護する」

60年代70年代グループサウンズ新御三家フォーリーブスGAROその他女性人気のあったバンドアイドルSNS検索すると、当時ファンだった高齢女性は軒並みジャニーズ含む日韓男性グループを追いかけてる。

特にBE:FIRSTに多い。

GAROの誰それが好きだったという話題で盛り上がっていた。

何が言いたいのかと言うと、ジャニーズを筆頭とした男性アイドルグループ推し活に依存してるのは女全体の中の極一部の10から追っかけや推し活するようなマイノリティにすぎず、そういう層が下へ移動したりまた古巣に戻ったりぐるぐる回遊しているだけに過ぎない。

実際に不特定多数女性出会う機会があると、推し活に依存する女性は極わずかであり、ペットに傾倒する方が遥かに多いのが現実

ホスト推し貢ぐ為の風俗嬢は全く参考にならない。

もちろん「推しがうんたら」とネットで主張する女も参考にならない。

ネット推し語り()する女よりしない女の方が圧倒的にマジョリティだが、何も発信しないのだからリアル女性と接点のない男性からは当然存在認識されない。

性加害問題崩壊する前のジャニーズすら動員人数は大ゴケ映画以下だからね。

実際、解体前のジャニーズタレント主演映画でヒットなんてほとんどなかった。

〇〇アリーナ等一つの会場を1日2日埋めても、全国の映画館に動員出来る力はない。

もちろん視聴率に換算しても1%に満たない。

アンフェ男性「女はフェミを含めてジャニーズ中居盲目的に擁護する生き物」

現実ネット署名ですら集まら

「たった4900人では…」 訴訟回避濃厚も、中居正広氏の“復帰熱望”を打ち砕く「厳しい現実

10/11(土)11:00配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8d43320530b4b5b0d88347dd59cf43b8b622f556

Permalink |記事への反応(1) | 09:32

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2025-11-01

2000年前後ハリウッド映画をまとめてみてるけど

いまより全然シンプルエンタメしてるし

それでいて安っぽくなってない

文化の全盛期ってあるもんだね

車や大衆音楽70年代が最高だし

Permalink |記事への反応(0) | 14:25

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2025-10-31

1970年代洋画が狂おしいほど好き

映画1970年代こそ最良の時代だった。異論は認めない。

1970年代洋画が狂おしいほど好きだ。

子どものころ、昔の映画を見るのが好きだった。中でも惹かれたのが、1970年代作品たちだった。

誰もが知る名作から予算映画まで、今ぱっと思いついたのを並べてみた。

スティング』は言うまでもない傑作。『明日に向かって撃て』は子どもには分からなかったが、『スティング』は一発で好きになった。

脱出』で、遭難した男たちが男に掘られてしまうシーンは子どもには刺激が強かった。そういえば『パルプフィクション』も、ダンスなんかより掘られるシーンが好き。

ポセイドン・アドベンチャー』は今見てもよく出来ている。CGなんてない時代に、タイタニック並みの迫力あるシーンを作り上げた。

ブリット』は68年だが、四捨五入70年代でいいだろう。70年代のあの空気感を一番とどめているのが『ブリット』じゃないかと思う。

ヤング・フランケンシュタイン』は配信がないのがもったいない最近アダムス・ファミリー』を見たおかげで、この映画のことを思い出した。

Permalink |記事への反応(0) | 01:19

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2025-10-28

anond:20251028122506

少なくとも80年代前半にはカー雑誌できわどい衣装女性を表紙にするやつはあったと思う

70年代わからん

Permalink |記事への反応(0) | 12:29

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2025-10-13

anond:20251013134531

ミスリードに引っかかってる人が多いな。人口爆発悲観論政治でも議論されてたことは周知の事実だが、増田国策人口抑制政策を実行したと主張してるわけで具体的に何をやったのか書かれてない。そりゃ陰謀論もの

人口増えないほうが政府的に都合がいいことと、人口増やさないために中国みたいに一人っ子政策を実行するのは別の話

では何で人口減ったかといえば70年代から90年代までのテレビ雑誌ラジオで退廃的コンテンツばかり流され子供若者が影響されてしまたからやね

Permalink |記事への反応(0) | 21:42

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anond:20251013134531

70年代制作された初代ガンダムとか未来人口が増えすぎて宇宙強制移民してるストーリーからある時期までは人口増加が問題視されていた事自体は本当なんだろうな

実際は無理に結婚する圧力が減ったことと子供は多くて3人くらいという社会になったからだろうが

Permalink |記事への反応(2) | 20:19

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2025-10-01

シティポップに食傷気味なナウなヤングは、中東ファンクを聴いているとかいないとか。

 

「Habibi Funk Records」というベルリンレーベルは、70年代〜の中東ファンクミュージックを多数リイシューしているらしく、そのどれもよく分からない混合された音楽性でイケてるヤング脳みそをかき混ぜてくれるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 16:48

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2025-09-29

まんが道」のテラさんは間違ってたのか?

今年も、寺田ヒロオテラさん)の命日が過ぎた。

アイドル界の酸いも甘いも混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、

自分の子時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツ子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。

親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして突きつけられ、人間性健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。

それも単なる暴力セックスの話では収まらなくなってきている。最近少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別格差ギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。

自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。

だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。

大学で「こども文化論」科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育くむべきものではなく、子供もそこで消費者すり替えられていた。

そしてそれは当然ながら子供自身が望んだことではなく、明らかに大人商売のために作られたものだ。

もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全もの理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。

ここで、実在した漫画家・寺田ヒロオ――あるいは彼がモデルの、藤子不二雄Aの『まんが道』(とその続編)に出てくるテラさん――の話を思い出す。トキワ荘での良き兄貴分というよく知られたキャラクターとともに、彼は漫画界の傍流、あるいは一種のバッドエンドルートのような言及を今でも受け続けている。

彼が何をしたか、どうして多くの人の記憶に残っているのかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。なぜか「闇」扱いされたりしているが。

かいつまんで言うと、自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずお永井豪漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。

実際にはスパッと漫画家を止めたわけではないなど、漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。

しかし私は、テラさん立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。

あと、付け加えると、テラさん漫画文化に対してステレオタイプな「浄化」一辺倒な立場ではなく、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルト作風漫画否定していない。テラさんが心を割って話せる存在任侠アダルト漫画家の棚下照生だったように。

子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるもの欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。

テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心タイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見からない形で(ギャグロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。

はっきりいえば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。

近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。

それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツ子供蔓延したのは、子供事情や「時代要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人商売の都合なのだ

うんことかちんちんとかわざと幼くさせられている少年コミックも、けばけばしい、「病み」を称揚する少女雑誌も、全部歪められた末のものだ。

子供コンテンツ社会の両輪で、我々以上にますます病む前に。

今一度、テラさんの突きつけた建前を、考え直す必要があると思う。

Permalink |記事への反応(5) | 21:25

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2025-09-23

40後半なのに自分や同世代永遠の若手っぽい感じがする

世代的には中堅からベテランなんだけど、なんか俺の中で自分が若手だという意識が抜けきらない。友人が、どこそこで何々のポジションに着いてる,みたいな事を聞くと,あーすごいなー、と一瞬思うけど、本来的には別に世代としておかしくはない。会社での俺自身の立ち回りでも、ベテランじゃなくて、軽い動きをしてしまう。それは何故かと考えてみた。

自身キャリアによる

自身の話だが、大学のんびりやってて就職するの遅くて、会社ものんびりやってて一兵卒時代が長かった。そういう俺自身ソルジャー歴の長さで若手意識が抜けないというのは当然あると思う。

世代としての70年代後半生まれの難しさ

いわゆる氷河期世代というやつだと思うが、若い頃は団塊世代が元気で、ちょっと上を見るとバブル世代オラオラしてる。いくつか上には団塊ジュニアが分厚くいて、いざ自分たちは九十年代後半以降の長期低迷期に割を食っていい思いをしていない。俺の就職の遅れや一兵卒時代の長さはもちろん俺自身によるところもあるが、確実に時代の影響は受けてるし,順調に就職した同世代も二十代の頃に苦労したはず。たぶん。

人類としての一般的認知の歪み

あんまりみんな言わないけど、40代になっても別に頭の中は成長しないんじゃないかな。年だけ食うけど、頭は二十代のままだから、ふとした瞬間に実年齢と自己認識との間でギャップが出るんではないか

Permalink |記事への反応(0) | 17:54

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2025-09-22

anond:20250922122811

ええやん。それで。その社会こそが、理想フェミニズム社会なんだぞ。

これガチで真面目な話。

70年代女子がそういうことしてたら、祖母とかがはしたない!って怒ってたわけ。それよりはるかにいい。

Permalink |記事への反応(0) | 13:35

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2025-09-20

満蒙開拓団被害者扱いされてるのに、違和感。嫌々お前ら『侵略者』じゃん

黒川の女たち』って映画がヒットしてるから見に行ってきた


満蒙開拓団の女が、ソ連兵隊とHするって映画なんだが

そこで満蒙開拓団被害者扱いされてて驚いた


嫌々お前ら、被害者どころか、侵略者じゃん

満蒙って中国の人やモンゴルの人が紀元前から住んでた地域

そこを開拓という美辞麗句で隠して侵略しただけ

土地を奪ったり、現地人を農奴として使役したりして民族浄化を行いながら、侵略していっただけじゃん

世界的にも批判されて、異常だよってリットン調査団とか派遣されてたことを中学校社会とかでも習うよ?

それをソ連アメリカ撃退しただけで、それで被害者面するのは滑稽だし異常


なんで日本人って満蒙開拓団自分達が被害者だって考えるようになったんだ?

70年代くらいまでは、満蒙開拓団は明白なアジア帝国主義加害者って風潮だったのに

Permalink |記事への反応(1) | 06:19

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2025-09-18

anond:20250918143914

まあ元ネタ70年代アメリカファンタジーでは、ほんまにそうなってたわな。

Permalink |記事への反応(0) | 17:49

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2025-09-17

日本パレスチナ国家承認できなかったのはお前らのせい

なぜなら日本ではイスラエルによるパレスチナ人虐殺について大規模なデモが起きなかったから。

 

アメポチやってる国は日本以外にも沢山あるが、例えばカナダでは3万人、オーストラリアでは9万人のデモがそれぞれ起きた。

カナダの総人口日本の3割、オーストラリアは2割にも関わらずである

彼ら人権意識の高い「やかまし国民たち」のお陰で、カナダオーストラリアパレスチナ国家として承認できた。

一方で日本デモは最大でも500人(主催者発表)。

去年、長崎平和祈念式典を他のG7各国にボイコットされておいてこの体たらくである

 

お前が日本為政者だったとして、この差を見てどう思う?

承認によってアメリカから経済制裁を受けた場合、このプライドの無いカスみたいな国民を納得させられると思うか?

言い換えればお前らは政府に信頼されてないんだよ。

デモもせず、目先の利益しか考えてない外道だと思われてんだ。

石破見損なったじゃねぇんだよ。お前らが石破に見損なわれてんだよ。

 

日本では70年代以降の負の記憶もあってデモに対して消極的な者が多く、政治参加指標も他の民主主義国家に比べ低い。

それを言い訳にしてお前らは、AI区別のつかないSNSというゴミの山で、イーロンマスク操作された世論の中、永遠にむなしい人権ゴッコするだけの無意味人生なんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:13

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2025-09-10

実在の既婚者を見てきた結果、男が高スペックかつ男を操縦できる女でもない限り結婚リスクなのを女は理解している

異性を所有しただけで人生確変一発逆転できるという誇大妄想を抱く高齢未婚非モテ男性いくら訴えた所で通じるわけないだろ

相手スペック自身との関係性を無視して、見知らぬ者同士のマッチングを望むほど結婚カップリングに執着してるのは男だけ

しまいにはクロワッサン症候群という70年代ネタを引っ張り出す高齢未婚爺まで出てくる始末

■異性の所有に執着するのは男だけなのは「低身長スペック奴隷男(成人)を養う」創作需要がない時点でわかるだろ

https://anond.hatelabo.jp/20250909152136

https://anond.hatelabo.jp/20250910075044

Permalink |記事への反応(0) | 20:35

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2025-09-07

「女は金で手に入る」と言われるが、金を稼げない頭の悪い男モテる能力もない現実

世間や周囲から評価が高く、なおかつ他の男から自分を守れるなどの「妻子を養う男」としての適性、そして好感の持てる言動自身との関係

女が男を選ぶ基準顔面に偏ってないのは、モテる女は万人が認める美人ナイスバディに偏り、モテる男は容姿はばらついているがヤンキー体育会系など強者男性要素を持つの共通しているのを見てもわかる

自分たち男はが見ず知らずの素性の知らない女のパーツで発情射精できるし買ったり盗撮したり付きまとう

から女もイケメンなどのアイテム持ちの男に突然壁ドンや性加害されたら皆受け入れるし許されるという妄想を口走る限界アンチフェミ男性脳内女性像はまるで発展場の胸にパンパンの詰物をした露出度の高いミニスカヒラヒラドレス姿の異様なオカマである

同じアンチフェミからも浮いており、例外なく実生活でも高齢未婚

不安定かつ成功率は針の穴をくぐるレベルの倍率の芸能界において自身の商いを零細事務所からビッグビジネスに発展させた才覚の持ち主のジャニー喜多川だが

後期高齢者である晩年も「昔は身長が小さい方が人気あったけど、今はそういう時代じゃない」「うち(ジャニーズ)の若い子も大きい子ばかり」と冷静に時代の流れを把握していた

https://note.com/ezuremanagement/n/ndcdf1c44e048

そして70年代黒柳徹子との婚約会見のデママスコミに流された時も「僕ならもっと豪華な会場でする」とコメントして徹子を喜ばせる機転があった

ノンケなら身長のハンデをものともせずモテたし結婚できるだろう

https://anond.hatelabo.jp/20250907113252

Permalink |記事への反応(0) | 12:01

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2025-09-02

AI による概要

インサイド・ヘッド2』のタイトル邦題で『インサイド・ヘッド』となっているのは、原題の『InsideOutインサイド・アウト)』の「頭の中(Inside)」に感情たちが「裏返し(Out)」で行動していることを表現しており、より直接的に「頭の中の物語」というニュアンスを込めるために「Inside Head」と意訳されたためです。

なぜ「インサイド・ヘッド」なのか

原題邦題の背景:

原題は『InsideOutインサイド・アウト)』で、「あべこべ、裏返し」という意味を持つ慣用句です。これは、思春期になって感情が裏返しに現れる様子や、喜びの裏には悲しみがあり、それらが互いに作用し合うことを表しています。

邦題意図:

日本語タイトルインサイド・ヘッド』は、原題ニュアンスを保ちつつ、感情たちが主人公である少女イリーの「頭の内側(Inside Head)」で物語を繰り広げている様子をより直接的に表現するために付けられました。

「頭の中の物語」の表現:

感情たちがキャラクターとしてライリーの「頭の中」に存在し、物語を紡いでいく様子から、「頭の中の物語」という意味で「インサイド・ヘッド」というタイトルが選ばれています。

70年代邦題センスが1ミリもないな

Permalink |記事への反応(0) | 09:14

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2025-08-28

anond:20250828214453

昭和の頃は冷戦日本の輸出先は欧米中心だった。仕事でも欧米出張行って帰ってくる人多かった。当然アメリカ文化言葉を知ろうとするし、米国帰りの出羽の守は「今アメリカでわ」とやるわけだけど、冷戦が終わって貿易相手国に中国とかアジア比率が増えた。韓国仕事をする人は韓国ドラマ見るし、香港仕事をする人は香港映画の話をする、そんなわけで相対的欧米文化へのあこがれみたいなのが少なくなっていった。アメリカではポップカルチャーヒップホップとかラップとか貧しい黒人が全面にでるものが多くなって往年のMGMミュージカルみたいな日本人の好みとはちょっと乖離していった。シティポップYMOで育った世代国内でおしゃれすぎる世界最先端音楽を聴きまくっていたので、

洋楽米国ポピュラー音楽)みたいなダサい音楽必要していなかった。韓国は国を挙げて音楽ドラマなどソフトパワーに力をいれてきていて、昔グラムロックかに入れあげていた女子需要韓流で置き換えることに成功していた。国内では失われた30年に突入し、無理しない背伸びしない身の回りを大切にするコスパタイパという流れの中で、70年代フォーク的なシンプルアコースティック音楽回帰する流れもあった。

もちろん初音ミクとかゲーム音楽なんかは欧米じゃなくて日本がその中心。まあ他にも色々あるけどそんな感じかな。

Permalink |記事への反応(0) | 21:58

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2025-08-27

anond:20250827195931

70年代の末にマイコン秋葉原とかで買い込んでシコシコ半田付けしてとかハンドアセンブルして機械語をPROM焼いていた人達っていったいなんなんだ?何が楽しくてそんなことしてたんだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 20:26

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