
はてなキーワード:2005年とは
どこか間違ってる気がする。
アメリカ 世界資産総額の45%は米ドル。家計金融資産は28兆ドル(2022年)。AIや戦争で電力を消費して産油国ロシアやイスラエルを支持。イスラムテロはうれしくない。
イスラエル アメリカに言われて、ロシア産石油を消費するのでイスラムと戦争もする。そのためにポーランドやドイツから引っ越して建国した。2005年だけガザ撤退した(日本の敵国条項廃止のため)
日本家計金融資産は2239兆円(15兆ドル。金融資産全体は9704兆円、2022年)。原油は輸入。官僚と医療制度(中華氏族込み)の支配。環境汚染だらけ。男尊女卑が長かったし資源は輸入したいほうなのでイスラムは割とOK。
環境庁 弱い
中国 ドル準備額がすごくある。鉄道敷設時代の縁で実はアメリカとはわりと仲良し。昔から日本は警戒しているので日本は途上国支援してくれ。ロシアと北朝鮮から圧力かかるのは嫌。
イギリス・連邦 個人金融資産が7,506億ポンド(9832億ドル。2022年)。海上紛争があれば保険で儲かるんだけどな。部外保険のタンカーの経済制裁逃れは許さん。
インド 先進国の人もしり込みする高度IT人員を提供できます。
ドイツ 医療制度支配なら任せなさい。南ドイツ新聞に寄付よろしく。
1972年11月の衆院予算委員会では、大平正芳外相が「中華人民共和国政府と台湾との間の対立の問題は、基本的には中国の国内問題である」と言及
1997年12月の衆院本会議では橋本龍太郎首相が「(日本は)台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する旨を表明いたしております。このような基本的立場は不変であり、いわゆる『二つの中国』、あるいは台湾独立を支持する考えはございません」と表明。日本は「一つの中国」を堅持すると強調
2005年3月の衆院安保委員会では、町村信孝外相が中国による台湾統一問題について、「(日本は)武力行使には反対である、また同時に、台湾独立も支持しないという原則に基づいている」との立場を鮮明に
元総理銃撃犯、山上徹也の生い立ちを、証人尋問の記事などからまとめてみる。
妹が生まれる前に父親が自殺。長男は病気で失明し、開頭手術も受けるなど、健康面で大きな不安を抱えた。これを機に母の統一教会への入信で家庭は急速に崩れていく。母親は毎朝毎晩、土下座してお祈りをし、先祖の罪をはらおうとした。母親は統一教会と献金の優先度が高くなり、子どもたちは自分たちには無関心だと感じるようになった。
献金で生活は苦しくなる中で、子どもとしては「どうにもならない運命に巻き込まれていく感覚」を持ちやすい。山上の投稿にある「14歳で家庭が壊れた」という言葉は、この時期の実感だろう。
中学〜高校時代は勉強ができたらしいが、家庭の負担が重く進学も難しい。母の献金が続き、2002年には自己破産。山上の学校での成績は良かったようだが、この状況では進学することはできない。本人からすれば「努力しても報われない」「自分の人生は選べない」という感覚が根付いていっても不思議ではない。X投稿には「私は犠牲として生きている」と表現されていた。
母親の自己破産前、母親の行動に憤り子どもたちの世話もしていた祖父が他界。財産は子どもたちに残されるはずだったが、母親が献金に使用。長男も大学に進学できず、精神的に不安定になり、「死んでやる」と包丁を持って暴れるようになった。
その後、山上は海上自衛隊に入る。規律ある世界で生活を立て直したかったのかもしれないが、短期間で辞めている。居場所を見つけられなかった可能性が高い。ここで社会構造への興味が芽生えた可能性もある。
2005年に山上は自殺未遂をする。これをきっかけに教団は家族に返金を始め、経済状況はいくぶん改善。返金されたお金で山上の妹は大学へ進学した。山上は妹の進学を強く後押しした。母親は子どもたちに金の無心を続けた。
2005年以降は職を転々とし、経済的にも人間関係的にも不安定な生活が続く。家族への怒りと罪悪感のような複雑な感情を抱えていた。彼の投稿には「社会制度への恨み」「宗教と国家の構造批判」「存在意義への悩み」などが濃く出ており、孤立の中で内面がどんどん先鋭化していった。
2015年には長男が自殺。山上は「自分のせいだ」と悔しそうに泣き、それ以降は家族と疎遠になった。
2019〜22年頃はXの「silent hill333」アカウントの時期で、統一教会への強い恨みが投稿に表れてくる。ただし政治に対しては、安倍政権そのものを叩いていたわけではなく、「宗教団体と政治の結びつき」に怒りの矛先を向けていた。ここで、個人的な苦しみが「社会構造の問題」へと変換されていったように見える。
2021年頃からは犯罪の準備に踏み込む。手製の銃を試作し、資材を買い、安倍元総理の動きを調べ、長文の手紙まで残している。安倍元総理は「真の敵ではないが象徴だ」と書いていたという。つまり彼の中では、宗教被害で奪われた人生を「正義の行為」で取り返そうとする、自己物語化のプロセスが進んでいた可能性が高い。
2005年にクイーンとポール・ロジャースのコンサートに行った。さいたまスーパーアリーナが会場だったけど、友人を待つためにさいたま新都心駅のコンコースにいた。
黒いジャケットにマフラーを巻かずに肩に乗せているだけの國村隼に似ているおっさん(´・ω・`)
余ったチケットはないから断ったんだけど、私は当時まだ高校生だったからおっさんが珍しがって軽い世間話に発展した。
なかなか気さくなおっさんだったから少し気を許しちゃった(・.・;)
でも肩に手を回されて耳元でなんか言われた時だけは少し警戒した。
2008年のザ・フーや2009年のエリック・クラプトンとジェフ・ベックのときはダフ屋のおっさんは見かけなかった。
2005年のときは、まだTwitterもないので、個人のWebサイトかブログが情報発信の主たる手段だった。
2ちゃんねるのWWRYの掲示板がすごく治安が良かったのを覚えている。治安が良すぎて、他の板の人たちから気味悪がられていたのを覚えている(´・ω・`)
ネガティブな意見はそういう他の板から来たくらいで、非常に情報収集にも役立った。
やはり個人サイトやブログよりもディープな情報は2ちゃんねるのほうが集めやすかった。
来日公演はピーター・マーフィーという人が主演のガリレオ役だったけど、前年まではマイケル・フォーゾンという人がやっていたっぽくて、パンフレットの写真はマイケルのものが使われていた。
来日中にピーターがケガして一部休演して、急遽マイケルが来日して凌いだというのも2ちゃんねるで知った(マイケル来日前はもちろんアンダースタディで凌いだらしい)。
コマ劇場ってWWRYの開演タイミングでリニューアルオープンして、歌舞伎町の浄化のシンボルみたいな位置づけをされていたけど、2008年でクローズしているのねー٩(′д‵)۶
ミュージカルの『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のために新宿コマ劇場に観に行った。
埼玉県で真面目な高校生(つまりはイケてないヤツ)にとって、大人抜きで歌舞伎町に行くというのはなかなか緊張感があった。
あとで知ったけど、大通りだけだったらなんともないんだよね(´・ω・`)
千秋楽の昼公演。
パンフレットやオズ役のレベッカ・ジャクソン・メンドーザが劇中で歌うNo-One butYou (Only the Good DieYoung)のシングルCD(会場限定だった気がする)買った。
そういえば、来日したWWRYのプロダクションはオーストラリアのもの。オズっていうキャラクターはオジー・オズボーンが由来。本国イギリスではミートローフが由来だった。
閑話休題(•ө•)♡
機材トラブルで開演が遅れた。
日本ネタでコナカのスーツがセリフに出てきたり、スカラムーシュ役のピッパ・グランディソンが劇中で客席に降りるときに、わざと客と軽くぶつかって日本語で謝るというサービスなどいろいろと新鮮だった。
Q.
再生可能エネルギーについて、太陽光や水力、風力発電など、「再生可能」とされているエネルギーでも、間に発電機とバッテリーを置いて中間でエネルギーとして抽出していれば、エネルギー保存の法則によって他に供給されるエネルギーが減ることになり地球環境に影響があるのではと思うのですが、実際にマイナスの影響が起こる可能性はありますか?
A.
興味深い物理的な視点からの質問ですね。実際に科学的な研究でこの問題は検討されており、マイナスの影響が起こる可能性はありますが、その規模と性質は限定的であることが分かっています。
再生可能エネルギーは確かに地球のエネルギーシステムからエネルギーを抽出していますが、その影響は種類によって異なります。
風力発電が最も顕著な影響を持ちます。ハーバード大学の研究によると、アメリカ全土で大規模な風力発電を行った場合、平均気温が0.24℃上昇する可能性があることが示されています。これは風力タービンが大気の運動エネルギーを抽出し、風速を低下させ、大気の乱流混合を増加させるためです。特に安定した気象条件下では、風力発電施設の風下30〜50km以上にわたって風速の低下と乱流の増加が観測されています。
太陽光発電の気候への直接的な影響は風力の約10分の1と、はるかに小さいことが分かっています。
水力発電は河川の自然な流れを変え、水温や酸素レベルの変化を引き起こし、生態系に影響を与えます。
重要なのは、時間軸によって評価が変わることです。風力発電の場合、最初の100年間は温暖化効果が温室効果ガス削減効果を上回りますが、これは温暖化効果が主に風力発電施設の周辺に局所的に現れる一方、CO2削減の利益は地球規模で実現されるまでに時間がかかるためです。しかし、1000年単位の長期的視点では、風力発電による気候への影響は石炭や天然ガスと比べて圧倒的に小さくなります。
さらに興味深いことに、抽出された電気エネルギーは最終的に熱として大気に戻り、一部の位置エネルギーと運動エネルギーが再生されることも指摘されています。
PNAS(米国科学アカデミー紀要)に発表された研究では、再生可能エネルギーの直接的な気候影響とCO2削減による間接的な利益を比較した結果、間接的な利益の方が一貫して直接的な影響のコストを上回ることが示されています。欧州環境機関の分析でも、2018年時点でEUの再生可能エネルギーへの移行は、気候変動、富栄養化、粒子状物質、酸性化などの環境影響を2005年と比較して大幅に削減したことが確認されています。
したがって、エネルギー保存の法則に基づく懸念は理論的には正しいものの、実際の環境への影響は化石燃料の使用と比較すると遥かに小さく、全体としては環境にプラスの効果をもたらすと結論づけられています。
これだけでは自慢話に聞こえるだろうから、俺の話をしようと思う。
俺は連れ子を伴った父と、初婚の母の間に生まれた。
連れ子と俺の目の前で母を殴りつけて、父は浮気相手の元に向かったのだ。
母はその件で心が壊れてしまったのだと思う。父から受け取った俺の養育費と離婚の慰謝料を、ギャンブルに注ぎ込んだ。
母は頭が良くない。当時のギャンブル、主にパチンコパチスロであるが、本気で攻略したら十分に稼げる状態であった。
俺が大人になってから調べたので後知恵ではあるが、ゾーン中の台を拾う、子役をカウントして設定を読む、クギを見て大当り中の止め打ちを行うなど、やり方はいくらでもあったらしい。
しかし、それらを一切せずに、ただ台の前に座るだけのシングルマザーに、パチンコ屋は容赦が無かった。
結果として、我が家はシングルマザーの貧困家庭へと転落、生活保護を受給する事になる。
生活保護で最低限の生活が出来るとの触れ込みではあるが、保護費からパチンコパチスロを行う事は想定されておらず、
学生服の下に着る服は穴が空き、靴下は破れている。風呂は2~3日に1回しか入らない。
小学生で水道が止まるのは一番最後という無駄な知識を得てしまった。
最も惨めだったのは、ガス屋に滞納した支払いをした時だ。
児童扶養手当が入った日に、まだ小学生低学年であった俺に「親が病気で払えなかったですごめんなさい」と謝って払いに行けと母に言われたのだ。
俺には抗する術は無かった。
必死に言われた言葉を繰り返す小学生。ガス屋のおやじは半笑いで「そうか」と言った。
誰も勉強を見てくれない。
塾や習い事もできない。
卒業まで登校せず、無理やり受験させれらた定時制高校も受からず、家に引きこもる事になった。
今思えば、これが反抗期だったのかもしれない。
俺はゲームをしたり、親のパチンコを代わりに打ったり、図書館に入り浸ったりした。
精神科に通いながら生活保護を受け、その金をパチンコに注ぎ込み、怪しい闇金に借金まで作った母が、働かないなら◯すと包丁を持って暴れ出したのだ。
とはいえ社会性皆無の引きこもりであった俺に出来る事といえば、時給750円で皿洗いをする事くらいである。
フルタイムで皿洗いをして稼いだ金は、1万を残して全て召し上げられた。なおフルタイムで働いても、健康保険も年金もかけられていなかった。
母に寄生していた俺は、母とバイト先に寄生される身分となったわけだ。
悪いことばかりでもなかった。俺も若かったのでバイト先の同僚である女子大生と付き合い、色々怒られながら学んでいった。
女性と気後れせずに話せるようになったのは、この娘のおかげである。
今では別の男性と結婚して子供をもうけているが、いくらかの親交はある。恩は生涯忘れないであろう。
バイト先を半年ほどで退職し、清掃の会社に正社員で入社する事になった。
しかし、その会社は反社の社長が仕切る手配屋のようなところだった。
朝6時から夜の12時まで現場を3つはしごして月給15万。休みは月に1~2日である。
ミスをすると殴られ、仕事が終わると開かれる賭場に参加を強制され、給料を巻き上げられる。
お前が店長をやれ、ランチと居酒屋を一人でやれと言われ体を壊す手前まで働く。
仕込みは朝7時から。片付けが終わるのは1時を回る。店の倉庫の米袋の上で寝る事もよくあった。
それでも思うように収益が上がらず、事業不振で融資を受ける事に。ついてはお前が数百万の連帯保証人になれと言われて、その職場を逃げ出した。
数ヶ月ほど印刷工場に派遣されたのち、長期の工場仕事が決まる。
俺は物覚えが悪く叱られがちではあったが、派遣先は一部上場企業の子会社である。
労働基準法違反の飲食店や反社の手配屋しか知らない俺にとって、職場環境やそこにいる社員の質は天国かと見間違うほどであった。
フライヤーの油を菜箸で跳ねてかけられたり、違法改造したガスガンで撃たれたりしない。
イカサマ麻雀で給料を召し上げられる事も無い。社長に逆らった従業員が行方不明になる事も無い。
俺は一度叱られた事をすぐ直せるほど賢くはないが、2度3度と言われたら馬鹿なりに覚えはする。
2年ほど勤めた頃には、職場で頼りにされるようになった。
職長や課長も「よう◯◯、この工程どうなってる?」と聞いてくるくらいになった。
課長と職長が推薦してくれたらしい。
真面目に勤めたなら、俺のような中卒の引きこもりでも年収400万はあるとの事だ。
嬉しかった。
30手前でこんな話が来るのか、世の中捨てたものではないと感じた。
派遣先との契約で3年満了後にはなるが、正社員として働いてくれ。
そう言われて日々仕事をしていた。
同期の派遣仲間も、かなりの割合で正社員転換されるらしく、皆がウキウキしていた。
「俺、今度結婚するんだ。彼女の腹に子供もいる」と言い出した派遣の同僚に、皆でベビーカーを贈ったりもした。
2005年11月に職探し、そこから数ヶ月で工場が決まるという話で察した人も居ると思うが、リーマン・ショックとサブプライムショックが直撃した。
2009年3月末、数万円の手当を渡されて派遣契約が満了となった。
世の中は不景気一色で、四大を出たような優秀な人がコンビニやスーパーで最低賃金付近で働いていた。
いきなり話は変わるが、俺はMMORPG内ではちょっと知られたトレーダーだった。
様々なプレイヤーから買取、換金を行う。クラメンの狩りのアイテムを全て換金する。
物を右から左に流すだけではなく、抗争中のクラン双方にPOTやスクロールを大量に流す。
イベント時に必要になると思われるアイテムを、イベント遥か前から大量に買い占め、イベントの時に高値で売りさばく。
サーバー内の友人知人から聞いた話を元に、匿名掲示板や全体チャットの雰囲気を見て先回りをする。
俺から見れば当たり前と思う事をしていただけだが、競争相手は居なかった。
BOTを使ったり複数名のパイロットが居るプレイヤーを除けば、サーバー内でも有数の金持ちだったと思う。
派遣切りされた時、もしかして現実でもトレードが出来るのではないかと考えて、手元にあった100万円ほどの貯金を使い、失業保険を貰いながら貿易と国内転売に手を出す。
あらかじめ言っておくが劇的な増え方をしたわけではない。
この商売をやってつくづく感じるのは、資本こそ力であり正義という事だ。
元手100万のトレードはほぼ肉体労働となる。手配も、折衝も、梱包や発送も、全て自分で行って事務所を借りる余裕はない。
1Kの部屋の押入れは商品で埋め尽くされ、布団は万年床と化す。
毎日の食事、光熱費や家賃、服や消耗品など、生活の全てに足を引っ張られる。
もう100万200万あれば。そう感じながら亀のような歩みで進んでいくしかない。
10年ほどかけて元手が1000万を超えた頃、ようやく小さな倉庫がついた事務所を借り、パートさんを雇用する。
自分が理不尽をされたトラウマから、1分単位で時給を払い、盆や正月には寸志も渡す。
そうしないと、明日にも居なくなってしまうかもしれない。もしくは倉庫の商品を盗まれるかもしれないという恐怖に駆られながら。
パートさんたちの名誉のために言うが、そんな事は一度もなかった。
来てくれるパートさんは結婚をして子供を持ち、家計を助けるために扶養内で働く善良な人たちだ。
元手5000万を超える頃、目をかけていた男性アルバイトが逮捕される。
2年ほどトリプルワークで働いてくれていたのだが、そろそろ1箇所に落ち着かないかと声を掛ける直前だった。
見た目は陰キャそのもの、大卒ながら30を過ぎてアルバイトを転々としている子だった。
どうも若い子が居る職場が好きらしく、そのような職場を複数掛け持ちしていた。
しかし金は必要なので、ウチのようなちょっと時給が良く好きな時間に働ける職場を探していたらしい。
手が早いわけでも、頭が良いわけでもない。ただ言われた事を黙々とこなしてくれていたので、ウチの商売とはマッチした。
別に速度はそこまで必要ではない。言われた事を言われた通りに横領せずやってくれたらそれでいい。ウチはそんな仕事だ。
このくらい有れば生活はできるだろう。
もしも事務所をまるっと任せられるくらい伸びるのなら、1000万くらい払っても構わない。
そう思っていた矢先だった。
どうやら、若い子好きが仇となった様子。バイト先の16歳の子に手を出し、親にバレて不同意性交で逮捕された。
酒を飲ませて前後不覚にした上でホテルに連れ込んだらしく、相手の16歳女性はまんざらでもない様子だが親が本気で怒って通報した。
そして事件化こそしていないものの、同様の案件を示唆するSNSやLINEの投稿も発見されているらしい。
未成年者に手を出す人物を、女性パートさんと一緒に働かせる事は不可能だ。残念だが退職してもらった。
注文処理や備品の手配は任せているが、面倒な所は全て自分でやらなくてはならない。
肉体労働は純資産1億になった今でもさほど変わらない。金にモノを言わせたければ5億10億の資金が必要だ。
元手1億程度の俺は、金に働かせて自分は遊ぶという事ができない。稼いだ金から税金を払い、経費や給料を払い、前期手元に残った金は2500万円ほど。
もうワンステップ上に行くためには5億10億の元手が必要になる。信用できるチームも必要だ。
残念ながら、俺にはどちらも無い。
気がつけば47歳。家賃3万のボロアパートで上階からギターの音と、隣からカップルのセックスの音が聞こえる環境からは脱した。
管理人が居て、共用部を週2回清掃してくれて、住人はレクサスやベンツに乗っているような高層マンションに住む事はできている。
ただ、彼女も子供も居ない。家に帰ってきては冷凍食品を食べ、風呂や歯磨きも忘れて泥のように眠る事も多い。
最近は寝ても疲れが取れない。
そもそも早ければ朝5時から海外のメール対応、夜も12時を超える事が多い。
その時57歳。そこまで生きていられるだろうか?
俺は何のためにカネを稼いでいるのだろうか。
就職した飲食店の大将や、清掃会社の社長がメンターになり得る人格者なら
俺の人生は良くなっていたのだろうか。
それとも悪くなっていたのだろうか。
よくわからない。
それでも、泥の底に沈んだままよりは、少しだけマシな人生なのだろうか。
Permalink |記事への反応(10) | 22:24
最近の株価高騰を見て、「これってAIバブルでは?」と思う人が増えている。
特にNVIDIAやAIスタートアップの急成長、そして「AIを使えば何でも自動化できる」という空気。
ただし、単純な再演ではない。
AIバブルの構造は似て非なるもので、「より上流の層(インフラ)」に資金が集中している。
以下では、まず現在のAIバブルの仕組みを整理し、そこからドットコム時代との比較を行う。
AI関連企業は、今まさに''キャッシュを燃やして''先行者利益を狙っている。
GPUや電力に莫大な投資を行い、巨大モデルを作って市場を押さえようとしている。
AI分野では「先にモデルを作った者が勝つ」という物語が語られている。
蒸留や模倣学習によって、他社のモデル挙動を再現することができる。
結局のところ、''差が出るのはデータの独自性と継続的な更新力''だけだ。
つまり、先行者利益は短命であり、参入障壁はそれほど高くない。
「利用量は多いが利益は少ない」という、ドットコム時代の“アクセス至上主義”とよく似ている。
''使わせること自体が目的化''し、収益モデルが後回しになっている。
一部の処理をスマホや端末上で行う「エッジAI」に期待が寄せられている。
確かに通信コストやレイテンシは減るが、学習や大規模生成は依然としてクラウド依存だ。
結局は''ハイブリッド化''が進むだけで、抜本的なコスト解決にはならない。
| 観点 | 1999年(ドットコム) | 2025年(AI) |
|---|---|---|
| キャッチコピー | 「インターネットが世界を変える」 | 「AIがすべてを変える」 |
| 成長ストーリー | 全ての商取引がオンライン化する | 全ての業務がAI化する |
| 投資マネー | IPOラッシュ、.com銘柄に集中 | GPU、AIスタートアップに集中 |
| 優位性の誤解 | ドメイン取れば勝てる | モデル作れば勝てる |
| 評価指標 | アクセス数 | トークン数 |
どちらも「未来の利益を現在価値に織り込みすぎた」点で共通している。
技術の進歩は本物だが、''経済モデルが未成熟''という構造が同じなのだ。
ただし、違いもある。
1999年のバブルは「利用者がいないのにサービスを作っていた」時代だったが、
2025年のAIは''実際に利用者が存在する''点が大きい。
その意味では、今のバブルは「空想」ではなく「過熱した期待」である。
問題は、''どこまでが現実的な成長なのか''を見極めるフェーズに入っていることだ。
1999年のバブルが崩壊してWeb 2.0が生まれたように、
それが''2005年の前夜''なのか、''2001年の崩壊直前''なのかは、
それは悪いことではない。
ドットコム時代の残骸からGoogleやAmazonが生まれたように、
----
希望があれば、「もう少し皮肉っぽく」「もっと冷静に分析風」などのトーン調整もできます。
どんな雰囲気に寄せたいですか?
最初に知った(非子供向けの)アニメはエヴァだった。2005年頃の再放送で見て、世の中にはこんなに面白いコンテンツがあったのかと驚いた。
それでエヴァの次に中学生の頃に好きだった某ラノベがアニメ化したのを知って喜んで見てみた。あまりのひどさに滅茶苦茶落胆した。
原作改変どころの話じゃなかった。登場人物と設定以外全部違うのでは?というレベルだったと感じた(結局耐えきれず途中までしか見てないのだが)。
まぁそれはそれで人気はあったらしく続編がいくつか出ていたようだが、アニメというものに出会って二作目でこんな衝撃を受けたので原作至上主義にならざるを得なかった。
大好きだったものがぐちゃぐちゃにされているショックというのは大きいもので、一種のトラウマだったと言って良いだろう。
その後20年間でまぁ多少はアニメを見てきたが、元々原作が好きなものがアニメ化したものは全くという程見なくなった。というか見れなくなった。
一応アニメを見てから原作を読んだというものもなくはないし、そういうものの中には良く出来ているアニメも色々あったとは思う。
アニメと小説、漫画といった媒体によって得意とする表現が違うのは理解しているし、小説だからこそ、アニメだからこそ生きる表現というのはある。
なのでアニメだからこそというオリジナル要素が実にうまく原作のストーリーに対する肉付けになっていて素晴らしいと感じたアニメもある。
でもそういう枠を超えてストーリーやら人間関係やらまでぐちゃぐちゃにするのは私は許せない。それなら別の名前で別のキャラでやって欲しいのだ。
そういう意味で私は原作至上主義である。原作というまず一本の軸があり、それはブレることなくアニメという媒体ならではの技法で肉付けするという形にしてほしいのだ。
原作をきっちりと引きついたうえでのアニメ化は、原作至上主義とはいえ大歓迎だ。それは原作あってこそのアニメだからだ。
アニメ化自体を否定したいわけじゃない。ただそう勘違いされることもあるので原作至上主義ということを軽々しくは言えないのが寂しい。
----
「My Job Went ToIndia」の改題改訂版が「情熱プログラマー」なんだ!ありがとう発注したわ。(たぶん達人プログラマーと混同して読んだ気になって読んでないパターンだわ)
俺の悪文のせいで意図が伝わらなかったであろうブコメがあったので、要旨だけ書き直しておくな。
ただ忘れないで欲しいんだけど、TerraformメンテしてAWSとかGCPで立ち上げてサービス公開するまでの速度は、相見積取って稟議通して部材調達から入ってた時代に比べると爆速だけど、人間の技術屋の需要は増えてる。
俺は、「マスタリングTCP/IP 入門編」を人間が読んで理解するのは古いよね、という時代にはならないと思ってる。
Slerが自前で手元で試すようになるから~ってのも懐疑的。SIerやメーカーが内製すると必ず子会社作って分離、ぼく発注者きみ受注者にしたがるので。これは技術じゃなくて感情とか経営の問題。
(ただし、Slerが7payみたいなことやらかすのでは?って疑問なら同意。たぶんそういう生成AIで俺たちでプロダクトなんか簡単に作れるじゃんよギークいらね(仕様バグあり)は一時は増えるだろうね)
追記ここまで
----
VibeCodingでIT技術者は不要になるのか?という話題が花盛りなのは理由があります。
ギーク(現場でコードを書いていたい人)が分かる話から、スーツ(人を集めたりお金を集めたり営業をする)が分かる話になってきたからです。
具体的に言うと、OpenAI社をはじめ続々とTDD(テスト駆動開発)でやってますみたいな、具体的な開発スタイルの話が出てきたから。
そうすると、現場の座組チョットワカルという強めの経営者が理解して判断し始めるんですね。
でもね、その道はもう15年も昔に我々は通り過ぎました。前回のブームと何が違うでしょうか?
技術者なら電子も機械も強電も弱電もお世話になったことのあるオーム社が過去に出していた直球の本の話から。
「My job went toIndia :オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド」という書籍、何と発行年は2006年です。
かいつまんで話すと、インターネットが整備され、輸送コストがほとんどかからないソフトウェア開発では、アメリカのエンジニアは給与の面でオフショアに歯が立たない、だって、1/10の給与でインドのエンジニアは働くんだぜ?という本です。
そうした、価格競争力で負けるアメリカのソフトウェアエンジニアは、如何にして今後サバイブすべきなのか、という本になっています。
(普通に面白いしAIコーディング時代に通づるものがあるので復刊を希望したいところですが、まあ直球過ぎる題名を何とかしないと再販は無理でしょうな)
そして、JTCや外資問わず、過去にオフショア開発を経験された技術屋のみなさんははてブにも多く生息されているでしょう。
では、ジュニア開発者は不要になりシニア開発者のみになって、いまのソフトウェア開発は主に安い給与で働いてくれるところに遠隔で作業してもらって、レビューだけすれば良い環境ですか?
そうはなっていません。なぜでしょうか。
さて、今普通にXと連動する中古品売買プラットフォームを開発しようと思ったら、どうやってつくるでしょうか?
この文脈に埋め込まれたいくつもの情報「今」「普通」「連動」「中古品」「売買」「プラットフォーム」「開発」を解釈し、すり合わせ、未来の運営者も含めた全員に伝えるためのコストが、コミュニケーションコストです。
そうなると、「ちょっと良い感じにラフでいいからプロトタイプ作って持ってきてよ」で話が通じるのは、受注者マインドがしっかりした日本の受託開発現場の精鋭たちになるわけです。
テストケースだけを通過するように、内部テーブルを持たせた関数を大量に持ってこられてレビュー時に頭を抱えた経験が無いひとは、とても幸運なのです。
とは言え、これは何も文化の違いに起因するだけではありません。仕様とは、環境によって定まるものだからです。
例えば、うるう年判定の関数は、1581年以前をエラーにしますか?1873年以前をエラーにしますか?(ヒント:明治六年)
テスト駆動開発、古い言い方で言えばテストファーストの考え方は、成功したすべてのプロダクトで例外なく、ただの一つの例外もなく、必ず最初から取り入れるべきだったものです。
品質は最後に振りかける粉砂糖のようなフレーバーではなく、最初から設計に組み込むべきだからです。
ありとあらゆる趣味において、最初から良いものを使えば時間を無駄にせずに済んだ、と言われるような初期投資の大切さが説かれます。
果たして本当でしょうか?
そうです、その趣味にハマって生き残りサバイブした人から見れば、過去にその時点で投資をすべきだった、というのは正しいのです。
その趣味にハマれなかった人からすれば、少ない投資で自分に合わないことが分かったという合理的な選択であることと矛盾しません。
そのため、全ての失敗したプロダクトは、テストケースを書く時間でプロダクトを作り上げて、さっさと世に問うべきだったわけです。
少し昔話をしますが、オフショア開発において重要なのはドキュメンテーションとテストケース、それにレビューでした。
他の部署で失敗しつづけていたオフショア開発のやり方は、端的に言えば"教化"でした。
具体的には書けませんが、グッとお安い単価の国に出す仕事を、日本の会社に出すのと同じようにすべく、相手の会社のメンバーを教育して仕立て上げるブートキャンプの仕組みを作り上げていました。
発注側を変えずに済むように受注側を教育して、日本の会社に出すのと同じように単価の安いところに出せたらお得ですよね?でもこれは必ず失敗します。
何故か。だって、日本の会社と同じように働けるようになったら、日本の会社に就職するじゃないですか。少なくとも価値は上がったんだから単価を上げるように交渉しますよね?
結局のところ、当初言われていたような劇的な節約にはつながらないわけです。それなら下手に転職されるよりも自前で現地工場でも立てて地元に貢献しつつ雇用を創出した方が喜ばれるし持続可能です。
小なりとも成果が上がった方法は、フィードバックを相手ではなくドキュメントにした場合でした。
例えば先ほどの例で言えば、テストケースは通るが意図したコードにならなかったとき。
「普通はこういう意図でコードを書くから、テストケースを通るにしても、関数は次からこう書いて」というのが、相手に対するフィードバック。
「関数を書く前に、関数の意図をコメントで残して、レビュー時にはそれを見ましょう」というプロセスの修正が、ドキュメントへのフィードバック。
こうすると、担当者が退職していなくなっても、次の担当者はその方法を参考にすれば良いわけです。
これ、何かに似てませんか。現在のAIコーディングのベストプラクティスと呼ばれるものに非常によく似ているんです。
つまり、オフショア開発というのも、設計と実装が分離できるという前提に立って動いていたんです。
そして、実装しながら設計しても問題ないとする場合、それは「技術的な問題」ではなく「組織構造」に起因します。
つまり、プロダクトの構造を分割して、オフショア開発側に設計と実装とを委譲して、実装しながら設計を変えてもらうことが許容できるのは、契約や責任分界点、輸出入の法規を含めた法務の領域です。
少なくとも当時、諸々をクリアにして相手側にプロダクトの一部を荒い設計と共に切り出して、コーディングしながら再設計してもらい、テストケースを完備したコードとドキュメントを共に完成までもっていってもらったことは、大きな成果であったはずです。
(当時日本側と仕事をしたという実績があると大きな実力があるとみなされたと聞いたので、今はより良いところで良い仕事をされていると思います)
(あと、コミュニケーションコストと輸出入の関連法規が複雑だから)
少なくとも、納期までに契約したこれを納品してください、という枠組みの中では、実装作業だけ切り出すことはできない、というのが教訓として残ったはずです。
少なくともあと数年、場合によっては10年スパンで、日本ではほとんど変わらないと予想しています。
これは技術の話ではなく組織構造や、もっと言えばお仕事の進め方と契約の話だからです。
そうは言ってもジュニアエンジニアの簡単な仕事が減って成長機会が失われているのは事実では?と思うかもしれませんが、そもそもの前提が誤っています。
未経験(弱経験)者を雇って戦力まで鍛え上げる必要があるなら、AIに仕事渡してないでそのジュニアエンジニアにやらせるべきなんです。
ジュニアエンジニアとAIと両方にOJTさせて、その違いをレビューの場でフィードバックしてジュニアを育てるわけです。
もし、そんな時間は無いというなら、元々ジュニアエンジニアをOJTで育てていたというのは幻想です。
(たまに、失敗が経験になるとして、会社に損害を与える方法でジュニアを"教育"しようとする人がいますが、商習慣的にも信義則違反ですし言語道断です)
シニアエンジニアだけで事足りるとしてジュニアエンジニアを雇わなかった企業は、シニアエンジニアが抜けてガタガタになります。
これは中核エンジニアがゴッソリやめた会社が傾くなんて言う話で、昔からそうです。(たいてい、もっと人雇ってくれ待遇上げてくれみたいな悲鳴を圧殺した結果だったりします)
昔から、中堅がやれば手早い仕事を新入社員にやらせて鍛える、その代わり質は悪いし時間もかかるしフォローも必要だったわけでしょう。
AI時代が到来するとしても全く同じです。AIが出力するコードレビューで悲鳴上げてる場合じゃないんですよ。
レビューできるシニアエンジニアが足りなくなると予想されるなら、当然、ジュニアエンジニア雇ってレビューできるようにする必要があるんです。
そしてそれは、技術的な問題点ではなく、組織的・経営的な決断です。
国産LLM開発の文脈でもそうなんですが、ハードウェアの進歩を無視して話をする方が多いのが気になります。
現時点のコンピューターパワーは、10年後には手の届く価格になる可能性が十分高く、もっと言えば20年後には個人が所有する可能性すらあります。
いまから20年前の2005年は、Youtubeが誕生した年です。その時に、誰もがいつも手元にビデオカメラを持ち、即座に動画を世界に公開できるようになるとは思っていなかった頃です。
今もそうだと思いますが、ある分野で必要な性能にはもう十分という期待値があり、10年経てばある程度大きな会社の部署単位で現在最先端のコーディングAIがローカルで動くようになると想像するのは容易です。
そうなったときに、果たして営利企業が、エンジニアを育成するというコストを支払うかといわれると、疑問です。その時点で今後のリアルなコストと比較対象可能になるので。
だって、筆耕担当者とか、清書担当者を雇わなくなった企業って、多いでしょう?
My job went toAI として、じゃあ残るものは何?というのはオーム社の本を読みましょう。再販しないかなあ。
今後数年は変わらないでしょと書いたら今現在進行形で変わっとるわいと突っ込みが来そうなんで防衛的な意味で書いておくんですが、あなたは過去数年間同じ仕事してたんすか?
仕事のやり方とか内容とか、言語とかライブラリとか、毎年のように変わってたでしょ。
レビューの比率が多くなったとか、コード書かなくなったとか、そういうの、たぶん管理職になった人が嘆いてたのと同じっすよね?
少なくとも、ジュニアエンジニアが低品質なバイブコーディング結果を寄越すようになってレビューが大変とか嘆くのなら、まともなコーディング規約一つ作れていない組織の脆弱さを嘆くのが先では?
手癖でバイブコーディングしてヒットしたプロダクトに、あとから品質上げるように大工事するリファクタリングと言うよりリビルディングな仕事って、別に今もありますよね?
散々テストケースを書かなくて良いプロダクトなんて無いという講演だけ聞きに行って、自分とこでテストケースが自動で走るようになって無いなら、そこが問題でしょ。
ドイツ初の女性首相アンゲラ・メルケルは2005年から2021年にわたりドイツに君臨した。このことをもってしばしばドイツでは日本と比べて女性の登用が進んでいるといわれる。だが、女性首相はそうだとしても、他の閣僚ポストにも日本に先んじて女性が任命されているのだろうか。
ということで、調べてみました! なお、官職名は厳密なものではなくおおよそ両国に共通するであろう具体的な職掌を書いている。
| 官職 | 日本 | ドイツ | どっちが早い? |
| 首相 | 高市早苗?(2025年) | アンゲラ・メルケル(2005年) | ドイツ(20年先行) |
| 蔵相 | なし | なし | 引き分け |
| 総務相/内相 | 高市早苗(2014年) | ナンシー・フェーザー(2021年) | 日本(7年先行) |
| 外相 | 田中眞紀子(2001年) | アンナレーナ・ベアボック(2021年) | 日本(20年先行) |
| 防衛相 | 小池百合子(2007年) | ウルズラ・フォン・デア・ライエン(2013年) | 日本(6年先行) |
| 法相 | 長尾立子(1996年) | ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(1992年) | ドイツ(4年先行) |
| 文相 | 森山眞弓(1992年) | ドロテー・ヴィルムス(1982年) | ドイツ(10年先行) |
| 運輸相 | 扇千景(2000年) | なし | 日本(25年+先行) |
| 厚生相 | 中山マサ(1960年) | エリーザベト・シュヴァルツハウプト(1961年) | 日本(1年先行) |
| 労働相 | 小宮山洋子(2011年) | ウラ・シュミット(2001年) | ドイツ(10年先行) |
| 農相 | なし | レナーテ・キュナスト(2001年) | ドイツ(24+年先行) |
| 環境相 | 森山眞弓(1989年) | アンゲラ・メルケル(1994年) | 日本(5年先行) |
| 官房長官 | 森山眞弓(1989年) | なし | 日本(36+年先行) |
内相(総務相)も外相も防衛相も官房長官も日本の方がはえーじゃねーか! え、ちょっと待って、つい数年前まで女性外相がいなかった国や未だに女性官房長官がいない国のことを、20年以上前に田中真紀子で大騒ぎしてた国や20世紀に女性官房長官が就任した国が見習えとか言われてたの??? 女性の登用に関しては正直どっこいどっこいという印象にしかならないんだが……
比較のために英国とも比べてみた(英国では官房長官にあたる地位が不安定というか閣僚級になったのが最近のことっぽいので官房長官は省いた)。
| 官職 | 日本 | 英国 | ドイツ | どの国が早い? |
| 首相 | 高市早苗?(2025年) | マーガレット・サッチャー(1979年) | アンゲラ・メルケル(2005年) | 英>独>日 |
| 蔵相 | なし | レイチェル・リーヴス(2024年) | なし | 英>日独 |
| 総務相/内相 | 高市早苗(2014年) | ジャッキー・スミス(2007年) | ナンシー・フェーザー(2021年) | 英>日>独 |
| 外相 | 田中眞紀子(2001年) | マーガレット・ベケット(2006年) | アンナレーナ・ベアボック(2021年) | 日>英>独 |
| 防衛相 | 小池百合子(2007年) | ペニー・モーダント(2019年) | ウルズラ・フォン・デア・ライエン(2013年) | 日>独>英 |
| 法相 | 長尾立子(1996年) | リズ・トラス(2016年) | ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(1992年) | 独>日>英 |
| 文相 | 森山眞弓(1992年) | マーガレット・サッチャー(1970年) | ドロテー・ヴィルムス(1982年) | 英>独>日 |
| 運輸相 | 扇千景(2000年) | バーバラ・キャッスル(1965年) | なし | 英>日>独 |
| 厚生相 | 中山マサ(1960年) | バーバラ・キャッスル(1974年) | エリーザベト・シュヴァルツハウプト(1961年) | 日>独>英 |
| 労働相 | 小宮山洋子(2011年) | マーガレット・ボンドフィールド(1929年) | ウラ・シュミット(2001年) | 英>独>日 |
| 農相 | なし | ジェイン・ケネディ(2008年) | レナーテ・キュナスト(2001年) | 独>英>日 |
| 環境相 | 森山眞弓(1989年) | マーガレット・ベケット(2001年) | アンゲラ・メルケル(1994年) | 日>独>英 |
さすが英国、女性登用の古さがすごい。1929年って。その頃は女性参政権すらねーよ日本。でも外相・防衛相に関しては日本が先んじてるのか……日本政治、けっこう頑張って女性を登用してきたのでは、という印象に変わった。
女性向けエロがメディアミックスでカットされた例にはFLESH&BLOODがある
現代日本人の少年がイギリス旅行中にタイムスリップを起こして16世紀大航海時代へ行く内容のBLだ
主人公は富裕層エリート少年なので数ヶ国語話せるし、世界史知識もバッチリだ
パラレルワールドなのか知っている歴史と細部が異なるものの大筋は同じで、世界史知識により異国の預言者としてイングランドの庇護を得る
主人公はさっさと現地人と恋愛関係になるも、タイムスリップしてからしょっちゅう体がズタボロになっているので中々セックスはできない
タイムスリップした直後に彼を救ったのはスペイン人だったが、時代を把握してスペインがこれからアルマダ海戦でイングランドに負けることを口走ったせいでボコボコにされ、
その後も異端審問にかけられ拷問されたり、16世紀では治療法のない死病にかかったり、健康な時期が少ない
それでも21巻でようやく主人公はイングランドイケメンと結ばれ、原作においては濡れ場があった
イングランドイケメンの声優は諏訪部順一なのだが、彼はCD1巻の出た2005年には現役BLCD声優だったが、次第にBLから足を洗った
昔の男声優にはBLCDは避けては通れない登竜門のようで、実はエロは嫌だったとかホモは嫌だったとか言いながら売れっ子になったらBLから足を洗っていく
近年は「仕事を選ばずなんでもやりたい」「BL出てチヤホヤされたい」「BLに好意的」などの人が合意の上で出演し、全くBLに関わらないルートを選べている者もいるが、昔は強制BL堕ちが横行していた
長期シリーズ物だと途中で主演声優が足を洗って声優交代になることもしばしばあった
諏訪部はFLESH&BLOODから降りることこそなかったが、年齢制限のないCDで濡れ場はもうやりたくないと主張しCDでは濡れ場がカットされた
主人公役は福山潤で、福山ももう新規のBLCDから足を洗っていたが義理でシリーズ物には出演を続けていた
福山は喘ぎ声に定評があり、久しぶりにそれが聞けるチャンスだと胸踊らせていたファンたちは諏訪部の主義による喘ぎ声キャンセルに激怒して当時は荒れた
当時原作者は内臓の病気で療養に入り休筆中で、病を押して諏訪部の要望に応えてただ濡れ場をカットするのではなく別の展開にCD用にシナリオを描き下ろした
「ワガママで病人を働かせるな」「福山の喘ぎが聞きたかったのでいっそ諏訪部に降りてほしかった」と諏訪部は叩かれた
18禁レベルではなく青年漫画レベルの濡れ場ではあるが、ガキも聞けるCDで演じるのは嫌だという諏訪部の考えも尊重されるべきではあるだろう
「若い読者を思いやってる諏訪部は立派」「嫌なら降りてもよかったのに続けてくれるだけ有り難いなど」の擁護もあり混沌としていた
友人が失踪してもうすぐ五年が経過する。失踪、と言っていいのかさえ、よくわからない。ただ消息が途絶えた、という言い方のほうがしっくりくるだろう。
しあわせをおしえて
文末に句読点すらないそのメッセージが、俺のスマホの小さな矩形の中でいつまでも光を放っている。
彼の両親は未だに探している。警察にも相談し、ポスターも作ったが、手がかりはない。ニュースにならなかったのは事件性がないからだろう。
2000年代の俺たちは大学生だった。当時はまだガラケーで、ネットはiモードか、PCのADSLが主流だった。今みたいにSNSで推し活なんて言葉もなかった。ただ掲示板やチャットでハンドルネームを名乗り、同じ作品を好きだというだけでどこまでも語れた。あいつと出会ったのも2ちゃんのアニメ板、ラーゼフォンとフルメタル・パニックのスレッドを行き来していた頃だった。大学の構内のPCルームで、授業をサボってレスを投げていた。
「エヴァが終わっても、終わりじゃない」
エヴァが終わったあとでも、俺たちの熱狂は続いていて、むしろエヴァ後のアニメ群──スクライドやラーゼフォン、∀ガンダムあたりをどう受け止めるかで、世代の色が決まっていた気がする。
当時はよく池袋に行ったものだ。デジキャラットのグッズを探すため。ブロッコリーが全盛期で、ゲーマーズ本店に並ぶ人の列は今よりずっと濃度が高かった。メイド喫茶がまだ秋葉原でようやく形を成し始めた頃で、池袋は乙女ロードと呼ばれる前夜。帰り道にサンシャインシティの地下のゲーセンでbeatmaniaIIDX 5th styleを遊んで、あいつはR5ばかりやっていた。俺はリズム感がないから失敗ばかりで、それを笑われた。
しあわせってなんだろうな。
その度に思い出すのは、あの夏の新宿。新宿駅南口から甲州街道を渡った先、紀伊國屋の前で待ち合わせて千と千尋の神隠しを観に行った。2001年の夏休みで、俺たちは大学二年だった。劇場は満席で立ち見になった。千尋が両親を助けるために湯屋で働く姿を見ながら、俺は隣であいつが泣いているのを横目で見ていた。映画の終わりに拍手が起こって、あいつは「やっぱジブリはジブリだな」って呟いた。その帰りに寄った新宿の中古ゲーム屋で、あいつはドリームキャストのギルティギアXを買った。
あいつは本当にゲームが好きで、深夜までファイファンXIにログインしていたことも覚えている。PS2のHDDとネットワークアダプタを買って、ADSLで繋いで、ヴァナ・ディールで寝落ちした話をしてくれた。俺はオンラインゲームに馴染めなかったが、あいつにとっては現実と地続きの世界だったのだろう。
確か2005年頃だったと思う。俺たちは聖地巡礼という言葉を覚えた。AIRやCLANNADが流行して、京都アニメーションが一気に名前を広めた時期だ。夏休みに二人で和歌山の白浜に行った。AIRの舞台に似ていると言われていた海辺で、青い空と蝉の声を聞きながら、あいつは「神奈がここで空に還るんだ」と真顔で言っていた。その帰りに白浜駅で食べた駅弁の味噌カツサンドがやけに美味かったことまで覚えている。
同じ頃、俺たちは東京・荻窪にも行った。ネギまのイベントで、赤松健のサイン会があったからだ。行列に並びながら「これって歴史の証人になるんだな」とか言っていた。あの頃は何もかもがくすぶっていて、しかしそこにだけ輝くものが見えていた。
思えば、俺たちはずっとネット空間に生きていた。mixiの日記、掲示板の書き込み、夜中のMSNメッセンジャー。現実よりもそっちのログのほうが確かだった。あいつが消えたのは物理的なこの世界からであって、ネットのどこかにはまだいるんじゃないかとそんな気すらしている。俺が昔のハードディスクを漁れば、あいつの書いたレビューやイラスト、短いテキストファイルが出てくる。2001年にアップロードされたkyoani_fanpage.htmlとか、今となっては誰も開かないファイルに残っている。
俺は相変わらずアニメを見て、Blu-rayを買って、配信で昔の作品を見返している。先日はスクライドを観直した。あの頃、夕陽をバックにカズマと劉鳳が殴り合うシーンを「熱い」と言っていたあいつの声が頭に蘇った。
彼は今、どこで何をしているのだろう。まだネットのどこかにいるのか、それとももうどこにもいないのか。
大学四年の、ちょうど9月になって間もない頃。あいつと深夜のゲーセンを出て歩いた時のことを思い出す。
自販機でコーヒーを買い、涼しくなり始めた夜風に身を包みながら歩き、少し憂いた顔で口ずさんでいたあの歌詞を。
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ