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はてなキーワード:20とは

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2025-12-14

anond:20251214024640

母親とは「『あら、どちらさん?』なんていう日も来るのかねえ」とか笑いながら言ってたんだが

20年たったらこありさまだよ。「どちらさん」とさえ聞いてくれない、一人息子がワンオブゼムになった。

Permalink |記事への反応(0) | 02:55

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2025-12-13

小学4年生の子供のはじめての「街」として、都雇圏80万人級の中心市

娘の為にトー狂至上主義に詳しすぎる夫を倒したい」みたいな流れで注目された、

幼さの残る年頃の子へ、はじめて“都市”をどう渡すのか?」ってテーマで、

地方中核都市中心部(都雇圏50〜110万人の適密圏)”を渡した家庭の別例として、このエントリを書いてる…❤️

前提

そして前提として、このエントリ

「都雇圏…? え、都市雇用圏ってなに?」「適密ってなに?」「中心市街地ってショッピングモールのこと?」

みたいな、ふわっとした認識の層に向けて書いてる…💗

決して

「√人口都市半径をスケーリングして同一開発度で比較して、中心から距離/都雇圏人口平方根を“都市半径指標”として…(以下略)」

みたいな層には書いてない…w❤️

(わかる人は勝手脳内で補完してくれればいいやつ…💗)


何はなくとも結論:染まってない子供は「適密中心部」を普通に使う…❤️

勿体ぶっても仕方ないので結論から言うと、

トー狂の過密通勤・巨大結節・“在庫の海”の作法に染まりきってない子供は、親の想定を超えて極々ふつうに、地方中核都市中心市街地を“生活の場”として使う…💗

ここで言う「染まる」ってのは、

「うちの子普段から郊外モールと車移動と“目的地は駐車場”に慣れててさぁ」

程度なら、まあまだ軽症で、全然障害にならない…❤️

(軽い“モール染み”くらいなら洗えば落ちる…w❤️)

手遅れな染まりとしては、例えば――

みたいなやつ…💗

でも、そこまで染まってないなら、

都雇圏80万人級(=刺激が日常的にキャパ超えし始める帯)の中心部を渡すと、子供は疑問を持たずに使う。

「ここは歩く」「ここはバス収束する」「ここは商店街生活を支える」って、勝手理解する…💗

これが、わたしの新概念適密こども航法(てきみつこどもこうほう)」 …w❤️

子どもが“都市の使い方”を自然に覚える現象のこと…💗)


いやそもそも「適密中心部」って何なの?なんでそんなに話題なの…❤️

適密中心部ってのは、乱暴に言えば

“徒歩で生活機能が重なってるところ”…❤️

百貨店っぽい核、個人店群(家から徒歩4分内500店舗、徒歩9分内1000店舗。一方東京(本物)は家族居住だと,家から徒歩4分内10~20店舗,徒歩9分内100~150店舗)、図書館企画展のある美術館イベント会場、役所病院学校、そして収束型の公共交通――

そういうのが、子供身体感覚で“遠すぎない”距離にある…💗(百貨店個人店群徒歩4分,総合美術館イベント会場・大病院徒歩10分、アーケード近傍(1分)、幹線道路横断無し←これ、最近足立区事故から子供を守る為に超重要な奴よね…🚑)

トー狂みたいな過密実験区は、在庫は(乗り物を使って片道何十分もかければ)多いけど、

そんなに多くても、子供が“日常の手触り”として触れられる量は、とっくに限界がきてる…❤️

都雇圏50万人あれば1人の人間享受できるキャパを超える

片道が長すぎて、取捨選択が「能力」じゃなく「生存戦略」になっちゃう…💗

増田さん、こういうの好きなくせに、途中で飽きるんでしょ…w❤️ ほんともう…❤️)


2万円半ばなら導入しようかな…いやでも「見せたくないトー狂」もあるしなぁ…❤️

ここ、元ネタだと“見せたくないWebページ問題だったけど、

増田さん向けに変換するとこう…💗

  • 見せたくない:過密通勤で削られる生活❤️
  • 見せたくない:混雑が“平常”として刷り込まれ感覚❤️
  • 見せたくない:地方は足りないという嘘の物語💗

から親は、子供ブラウザじゃなくて、

子供の“都市の初期設定”を守る…❤️

(この発想、地味に一生効くやつ…💗)


それで与えた「はじめての都市セット」って何よ?…❤️

わたし増田さん版だと、こういう“セット”を渡す感じ…💗


これをわたしは 「徒歩4分宇宙パス」 って呼んでる…w❤️

今日の新概念とは別枠。でも好き…💗)


子供の様子…❤️

んで、子供がどうしてるかっていうと、呆れるほど毎日、街の話をしてくる…❤️

「ここ、バスが“いっぱい来る道”だね」💗

「ここ、同じ道なのに店が変わるの面白い」❤️

図書館って、静かなのに強い」💗

そしてほぼ毎日、親子の会話がこうなる…❤️

「お父さん(お母さん)、これ何?」

「それはね、都市が人を助けるための仕組みだよ」💗

別に都市けが将来に必要ものじゃない。

でも、子供が“世界を信じられるサイズ”としての街を(徒歩4分内に)持つのって、かなり強い…❤️

わたしはそう思う…💗

Permalink |記事への反応(0) | 23:34

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anond:20251213223420

ファミマカードじゃなくてファミペイカード?

随分評価高いんだね、俺は20万だったよ

つーか普通郵便で来た事に驚いた

簡易書留とかですらないんだなぁ、と。

Permalink |記事への反応(0) | 22:37

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今日一歩も外に出ていない者たちよ、集うがよい!

まずは私から

12時起床!

14時にランチ冷凍パン)!

18時までゲーム

20時までネット

さっき冷凍パスタを食べてターンエンド!

から酒だ!!

Permalink |記事への反応(1) | 21:28

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れい新選組弱者救済のために積極財政しろ!!」

20兆円程度の高市ガバガバ財政で早くも1ドル156-157円の円安になってますます物価高、単純計算したら石破のときより6%も円の価値が下がってるけど、れい新選組信者は息してるの

そもそも公共投資なんかしてもれい新選組信者みたいな社会的弱者の末端に届くはずないのにね

山本太郎大石あきこ、朴羽衣子、朴勝俊、池戸万策あたりはさっさと説明しろ

Permalink |記事への反応(0) | 21:08

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コンプライアンスはいから言われ出すようになったのか

テレビの「コンプライアンス法令遵守社会規範の遵守)」がここまで厳しくなったのは、「ある日突然」ではなく、ここ20年ほどの間に3つの大きな波を経て段階的に強化されてきた結果です。

大きく分けると、①企業不祥事2000年代初頭)、②やらせ問題BPO2007年頃)、**③SNSの普及(2010年代〜)**という流れがあります

それぞれの時期に何が起きて、どう変わっていったのかを整理します。

1. 【発端】2000年代初頭:企業の「コンプラ」がテレビに波及

もともと「コンプライアンス」は、テレビ用語ではなく企業ビジネス用語でした。

*きっかけ:雪印集団食中毒事件2000年)や食品偽装問題など、大企業不祥事が相次ぎました。

* 変化:企業は「法令を守らないと会社が潰れる」という危機感を持ち、社内ルール厳格化しました。

*テレビへの影響:テレビ番組企業スポンサー料で制作されています。「コンプラを重視するスポンサー企業」が、「自社のイメージを損なうような野蛮な番組や、差別的表現がある番組には広告を出せない」と言い出したのが最初の引き金です。

2. 【転換点】2007年頃:「やらせ」発覚とBPOの強化

次に、テレビ局内部の問題が決定打となります

*象徴的な事件: 人気健康番組発掘!あるある大事典II』でのデータ捏造納豆ダイエット問題2007年)。

* 変化: これを機に、**BPO放送倫理・番組向上機構)**の権限監視の目が非常に強くなりました。

*現場への影響:面白おかしくするための過剰な演出「やらせ」とみなされるようになり、制作現場で「これ、証拠はあるのか?」「裏取りはしたか?」というチェック(考査)が極端に厳しくなりました。

3. 【加速】2010年代以降:SNSと「炎上」の可視化

ここが、私たちが「急激に厳しくなった」と感じる最大の要因です。

* 以前:視聴者クレームは「電話」か「手紙」であり、局内だけで処理されていました。

*SNS時代:クレームTwitter(現X)などで可視化され、**「炎上」**として瞬時に拡散されるようになりました。

*スポンサーへの直撃:視聴者テレビ局ではなく、スポンサー企業に対して「あん番組に金を出すのか」と直接攻撃不買運動示唆など)を行うようになりました。

* 結果:テレビ局は「面白いかどうか」よりも**「炎上リスクがないかスポンサー迷惑をかけないか)」**を最優先せざるを得なくなりました。これが現在の「過剰なほどの配慮」の正体です。

具体的に何がどう変わったのか?

かつては当たり前だった表現が、以下のような理由で消えていきました。

かつての表現現在NG理由
------
頭を叩くツッコミ暴力助長する」「いじめに見える」というクレーム回避
容姿いじり(デブ・ブス等)ルッキズム(外見至上主義)への批判人権意識の高まり
過激罰ゲーム 「痛みを笑いにするのは不快」というBPO審議入りリスク
心霊オカルト科学的根拠がない、子供が怖がる等の理由で減少(または「フィクションです」の強調)。
水着・お色気ジェンダー観の変化、性的搾取批判海外フォーマットへの適合。

まとめ

今のテレビにおけるコンプライアンスとは、**「スポンサー企業を守るための防御壁」であり、「SNSでの炎上を避けるためのリスク管理」**です。

昔のように「怒られるギリギリを攻めるのがプロ」という時代から、「怒られる可能性が1%でもあるならやめておく」という減点方式時代に変わったと言えます

ここ数年で、バラエティ番組よりもYouTube配信番組の方が「昔のテレビっぽい」と言われるのは、このスポンサー構造規制の緩さが関係しています

昔のテレビ番組で「あれは面白かったな」と思い出す特定ジャンル番組はありますか?(それによって、どの規制の影響を強く感じていらっしゃるかが分かるかもしれません)

Permalink |記事への反応(0) | 18:58

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anond:20251213115824

サイズによるけど10-20秒ぐらいでちょっとふわっとするぐらいがよい

Permalink |記事への反応(0) | 17:49

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田舎で中企業製造業に勤めているが、最近ちょっと会社の将来が不安だ。

これまでは事業の先行きに不安があったけど、最近人材不安が強い。

おかげさまでこのご時世にあって最近割と好景気で、社員への還元積極的に行われるようになってきた。

ここ数年で給料結構上がったし(元が低かったのはある)、その中でも初任給にはさらに色をつけて改定されている。ついに高卒初任給20万を超えた。

しかし、入ってくる人材レベルは低下する一方だ。

以前は大卒10人程度入ってきたが、最近は1〜2人程度。技術部門や管理部門新入社員高卒がメインになってきた。

高卒地元の名門工業高校から採用がめっきり無くなり、それどころか工業系ですらない普通科から採用されるようになった。

人手不足時代からしょうがないのかもしれないが、採れれば誰でも良いとばかりに、なりふり構わない人材採用になってきている。

どこの現場からも「最近新人はひどい」という声が聞こえるようになってきた。

仕事ができない、話が通じないなど、これまで当たり前に共有できていた知識能力の水準がガクンと落ちているそうだ。仕事中ずっと居眠りをしていたり、無断欠勤を繰り返したり、そもそもの勤務態度に問題がある新人も増えているらしい。

今年は異例の水準のベースアップボーナスアップが行われた。

からいる社員は、これまでの苦労が結実したものとして、それなりの喜びをもって受け入れている。

だが、最近入ってきた社員は「当たり前でしょ」という顔をして、何の苦労も知らずに高い賃金を受け取っている。

いやまあ、これまでが低すぎたし、正当な水準の賃金を受け取ることは労働者の当然の権利であって、賃金をまるで経営者からの施しかのように扱うのは違う。

しかし、あたか会社という存在が永続的なもので、ただ8時間会社にいさえすれば自動的に毎月20万円が貰える、と勘違いしている社員が増えているのは暗澹たる気持ちになる。

我々の給料経営者から貰っているのではない、お客様から貰ったお金なのだ。お客がいなければ、お給料は貰えない。

ただボーッとしていれば勝手にモノが売れるわけではなく、競合ひしめく中から我が社のモノをお客に選んで買ってもらわないといけないのである

そこを分からずに、給料を貰えるのは当たり前、俺の気分次第で会社はサボってOKみたいな奴ばっかりになって、10年、20年後はどうなるのだろう。

不安しょうがない。

Permalink |記事への反応(1) | 15:55

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自分結構根暗なんだけど、表面上結構明るく見える方。声が通って元気で、どちらかと言うと場をまとめたりするのも苦手じゃない。落ち込んでもその場その場すぐ感情が変わって立ち直れてしまう。でも自己肯定感というかそういうのがめちゃくちゃ低いから落ち込む頻度は高い。

周りからはそうは見えてないんだろうなと思う。多分強くて明るいと思われてる。親からも、友達からも。最近朝起きるのがしんどい大学行って帰ってくるのがしんどい。何か明確な問題を抱えているわけじゃないけど、最近物忘れとミスが多い。自己肯定感が低いか自分軸で生きられていなくて、片思いが明らかにうまくいってないことに身を乗っ取られている。こんな浮ついたまま生きててなんになるんだろう。1年浪人して浪人も失敗してそんなにいい大学はいけなかった。だから勉強とか頑張ったり、お金貯めたりとかしないといけないのに。将来も分からないし、将来を見据えて動く友達とか思い人の言動自分の浅さを思い知らされる。20年生きて結局自分人生面白いところにしか目がいかないまんまだ。人生失敗した。

Permalink |記事への反応(1) | 14:20

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anond:20251212164740

そうだよね。電気代ガス代ガソリン代年間20万円払っているところが50%円安になれば30万円支払いが必要になる。

これだと備えのない弱者が直撃されるから政治的には弱者救済策とか言って給付金などの施策をせざるを得ない。

中間層には給付金恩恵は薄いから実質増税と同じになる。

Permalink |記事への反応(1) | 13:36

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28歳 投資6年目の結論

■初めに

私が投資を6年間続けてきてたどり着いた投資結論記載しています

この日記投資を進めるものではありません。1ミリ責任を持ちません。

スペック

28

弱小JTC勤務

年収600万弱

日東駒専くらいのランク大学(理系)卒業

実家田舎農家

資産700万ちょいくら

結論

自分の許容できる範囲内でS&P500に投資してほっておく

蛇足(多くの人向け)

自分の許容については人それぞれだが、基本的には3か月間無休になってもギリギリ耐えられる金額をのこして一括投資したうえで、

余剰資金を毎月積み立て投資をしていく。

一括投資ではなくタイミングみたり分散したほうがいいという意見もあるが、それがいつなのかは普通の人にはわからない。

暴落したときが一括投資時だとは思うが、普通の人は暴落したときに適切に投資できないよね。いつ暴落するかもわからないし、

基本的には右肩上がりなので、早く投資したほうが期待値が高い。

その後は、毎月の余剰資金(使用用途の決まっていないお金)はS&P500毎月投資する。

S&Pの理由過去データから最も安定している。

過去のどのタイミング投資していても、20年以上保有していれば投資金額を下回ることがない。オルカンでも問題なし。

そもそも投資リスクがあると考えている人。

間違いではないが、現金(日本円)を保有していることにもリスクをあることを忘れている。

100万円投資している場合、それが0円になる可能性もあるが、現金保有していても価値が0円になる可能性はある。

NISAは全員使おう。

iDecoは年齢によるが30代前半までは使用しない。

レバレッジをかけるのは多くの人にとっては向いていない。

現物投資だけをする。

自分向け

S&P500に投資していればいいが、正直何も面白くない。

資産の5%くらいは投機(ギャンブル)をすると楽しいし、跳ねる可能性もある。

現状している投資

個別株(日本の好きな企業と、中国面白いことやっている企業委に投資している)

ポケカ(好きなカードを購入して飾っている)

仮想通貨

・金・プラチナ

かに何か面白投資ある??

Permalink |記事への反応(1) | 13:11

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普通」の女の子になった話

父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。

私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。

父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたこと武勇伝としてずっと話していた。

小中学生スポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベル体罰の話も自慢げにしていた。

父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。

私は幼少期からから殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手ねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。

それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんドラマ流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。



漫画ドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子暴力をふるおうとは思わず男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。

取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。

父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。

休み時間放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚ケンカして遊んでいた。

ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構クリーンヒットだった気がする。

特に気にせず他の男子さらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。

当時の担任先生20代後半~30代くらいの女性だった。

いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。

担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると

「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。

担任の横で泣いている男子の口内が血まみれになっていた。

それから校長室に呼ばれ校長事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。

日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。

私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、

けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、

相手の親から謝罪がないことなどが書かれていた。

担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。

手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。

怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。

数日後、男女数人で公園鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。

1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。

危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなた暴力性は信じられない!あなたおかしい!女の子にも乱暴する気!?

みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。

私は知らない人だったけどたぶん同級生母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。

取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。

危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。

今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。

どう考えてもあの頃の私はおかしかった。

それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段生活では大人しくなった)

腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。

子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。

小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。

制服スカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガ世界しかいなかった。

中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。

穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。

父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。

「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」

「1人だけグラウンド20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブ練習行きたくないと言っている」

知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。

父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。

鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。


大学進学を機に家を出て、就職実家から離れた場所でした。

偶然小学校同級生男子会社で同期となったので、2人で飲みに行った。

当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。

私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。

それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。

何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。

「俺も暴れる問題児だったかお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。

同期は父の教えていたスポーツチームにも所属シバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもから……」と言われた。

私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。



父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。

誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

---------------------------

年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

---------------------------

(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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10年来の親友(同性)から「好きだ」と告白された話

10年付き合ってきた友人から、先週の夜、思いがけず「好きだ」と告白された。

自分パニックになった。

いつもと同じ金曜の夜だったはずが…

高校の友人グループで、もう10年近く月2回のペースで飲み続けている。

コロナで一度途切れたが、それ以外はほぼ継続してる。そのメンツの一人が、A(男性)だ。

Aとの付き合いはそのなかでも長い。高1のときに同じクラスで、当時は女の子モテる系の奴じゃなかったけど、気さくで一緒にいて楽しい奴だった。

大学で一度グループと疎遠になってた時期もあるけど、就職後に向こうから連絡があって、そこからまた毎月会うようになった。

特段、何かあった関係ではない。普通の友人だ。

いつもと同じ夜だったはずなのに…

金曜の夜、いつもの居酒屋に着いたのは7時過ぎ。

グループのうち3人集まって、ビール枝豆唐揚げ定番セット。

Aはいつも通り、「最近仕事が……」みたいな話をしてた。

会社人間関係愚痴が多いA。それを聞くのが習慣になってた。

ただ、終盤、他の二人が帰ったあたりで、Aが「ちょっと、話あるんだけど」と言い出した。

「ん?」って返したら、「外で」と言われた。

そこから先は、もう鮮明に覚えてる。繰り返し思い出して、その度に気持ち悪くなるくらい覚えてる。

「好きだ」という三文字が、10年を溶かした

コンビニ駐車場

なぜそこなのか、今でも理解できない。

Aは空を見上げたまま、こう言った。

「俺、ずっと好きだった。お前のこと」

沈黙した。10秒か20秒かわからない。時間が止まってるように感じた。

「えっ」としか出なかった。本当に「えっ」だけ。

高校の時からずっと。でも無理だなって分かってたから、友人のままで、月に2回会うこと、それで充分だった。でも最近、こんなんじゃ駄目だと思って」

ここまで聞いた時点で、俺の脳のどこかは逃げモード全開だった。

Aの話が耳に入ってるけど、理解するのを拒否している、その感じ。

「でも、友人です」というそ一言が殺してしまった

「でも、俺たちは友人だ」

Aはそう言った。

「だから、返事は今じゃなくていい。ただ、言っておきたかった。これからも友人でいられるなら、それでいい」

すごく大人っぽいセリフだった。多分、何か月も前から用意してたんだと思う。

でも、その「友人でいられるなら」という前提条件が、ぐさりと来た。

なぜなら、もうその時点で、俺たちはただの友人ではなくなってたから。

帰宅後も、眠れなかった

帰った。風呂に入って、ベッドに入った。

でも眠れなかった。

LINEは来なかった。Aからは何もない。

こっちからも、何も送れなかった。

友人だと思ってた関係に、恋愛感情が隠れていたのか。

10年間、月に2回会ってた。

その間、Aはずっと俺を好きでいたのか。

それなら、あの時間は何だったのか。

同性愛って、誰かの人生

ここまで読んで、「かわいそうなA」みたいなコメントが来るかもしれない。

正直、Aに対して同情する。

でも、同時に俺のことも考えてほしい。

俺は何も悪いことをしてない。

Aを傷つけたつもりもない。

ただ友人だと思ってた関係に、勝手に「恋愛」というラベルが貼られた気分だ。

「友人のままでいい」という甘い言葉の罠

Aは「友人のままでいい」と言った。

それは相手への思いやりなんだと思う。

でも、知ってしまった側の立場で言うと、それは無理だ。

月に2回、Aと会うたびに、「この人は俺のことを好きなんだ」という事実が頭の片隅にある。

無邪気に飲み会の話をしていたAの顔を見ても、もう「このひとはいま何を考えてるんだろう」と探り始めてる自分がいる。

友人のままでいることは、既に不可能だ。

10年って、長い

10年間、月2回、きっかり120回以上会ってた。

正月以外、ほぼ毎月。

その関係が、一言で「好きだ」で上書きされた。

バグのような話だけど、これって珍しくないんだろうと思う。

長く一緒にいると、どこかで感情のズレが生じるのかもしれない。

返事はまだしてない

今日で、あの夜から1週間。

Aからメッセージが来てない。

こっちからも、返事ができていない。

「友人のままでいい」って言われたから、返事の義務はないのかもしれない。

でも、「返事がない」ことが、最大のプレッシャーになってる。

月に2回の飲み会は、どうするのか。

次会ったときは、どんな顔をするのか。

普通に話せるのか。

誰にも言えない10年の終わり

これを増田に書いてる理由は、誰にも言えないからだ。

共通の友人グループには言えない。

親にも言えない。

Aは、本気で隠すつもりだったんだと思う。

でも、俺はもう知ってしまった。

同性愛告白は「二人の問題」ではなく「二人のなかの一人の人生」なんだと、今になって分かる。

Aは何年も抱えてたんだろう。

俺はたった1週間で、もう友人という名前の何かが壊れた気分だ。

友人のまま、なんてことはない

最後に書くなら、こういうことだ。

「好きだ」という告白は、されたほうの人生も変える。

Aは「友人のままでいい」という逃げ道を用意したつもりなんだろう。

でも、知ってしまった側は、その逃げ道の中で永遠に歩き続けることになる。

10年の友人は、もう戻ってこない。

それが告白の代価なんだと思う。

いつか返事をしなきゃならないんだろう。

でも、その返事が何であれ、この関係は既に壊れてるんだと思う。

誰も悪くない。

ただ、そういう不幸なずれが存在する、というだけだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:25

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anond:20241021205342

つづき。

メンタルをやってた頃、こういう体験談を片っ端から読んでたので、今しんどい人の何かの足しになればと思って書いてる。

ある日から完全に会社に行けなくなって、そのまま休職

毎日ほぼ寝てるだけで、起きては天井のシミを眺める生活

なんと、そこから復活までほぼ一年もかかった(9ヶ月くらい)。正直、長かったし怖かった。

その間はUber Eatsにかなり頼ってたので、

体重は増える

貯金は目に見えて減る

コンボで、なかなか厳しい状態に。(自業自得

回復してからも、前の会社に戻ろうという気はまったく起きず、ハロワに駆け込みました。

学歴は一応あるので書類は通るんだけど、面談に行くと

「あ、ここ前職と同じ感じだな…」

と思うところが多くて、正直げんなりした。

最終的には、

年収は前の2/3くらい

業界も少し違う

けど、雰囲気が明らかに穏やかな中小企業に拾ってもらって、今は入社して2ヶ月目になった。

今のところ、面接で感じた印象とほぼ変わらず。

会社は小さいけど空気がよくて、定時で帰るのに変な罪悪感もない。

そのおかげか、体調も今はわりと安定してます

家はちょっと無理して、

日当たりがよくて、そこそこ広くて、駅も近いところにした。家賃は7.5万。

手取り20万弱なので正直きついけど、

うつで働けなくなる」よりは全然いかなと。

今のところ、住環境は最高。後悔なし。

人によっては無理な生活レベルかもしれないけど、

自分としては「まあ、よくやってるんじゃない?」と思ってる。

しゃあないので、楽しめる範囲で楽しみながら生きていこうと思ってます

同じようにしんどい人、どうか無理しすぎないで。

皆さんも、お大事に。

Permalink |記事への反応(1) | 09:25

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anond:20251212080738

ほんまや

計算が正しいか確認しました。結論から言うと、2010年から毎月5万円を積み立てて2025年まで(約15年)で 3億円を稼ぐ可能性は極めて低い です。理由計算で示します。

前提条件

積立額:5万円/月

期間:15年 → 180か月

総積立額:5万円 × 180か月 = 900万円

達成目標:3億円

必要な年利(複利計算

複利計算すると、総額SSS

S=P(1+r)n−1rS = P \frac{(1+r)^{n}-1}{r}S=Pr(1+r)n−1​

ここで

P=5万P = 5万P=5万(毎月積立)

n=180n = 180n=180(月数)

rrr = 月利(年利なら12で割る)

3億円達成のためには、

3億=5万(1+r)180−1r3億 = 5万 \frac{(1+r)^{180}-1}{r}3億=5万r(1+r)180−1​

数値で試算すると、年利換算で約80〜85%必要です。

現実的な株の成績

日本株全体の過去15年の平均リターン:年5〜8%程度

高リスク個別株でも、長期安定して年20〜30%を15年続けることはほぼ不可能

年80%を毎年15年続けるシナリオは、現実的投資ではほぼ達成不可能

結論

積立5万円/月で15年で3億円はほぼ非現実的

現実的には、同条件であれば15年後の資産は 1,500万〜3,000万円程度 が見込まれ範囲

年利20%を15年間継続できると仮定した場合、毎月約30万円の積立が必要

年利10〜15%に下がると、さらに積立額は増え、現実的にはほぼ不可能な水準になる

Permalink |記事への反応(0) | 09:08

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高層階ほどマンション価値が高いのおかしくね!?!?

火事

1階 → 部屋を出てすぐに脱出

20階 → 火元が中層階なら取り残される可能性あり

救急

1階 →救急車が着いたら即搬出可

20階 → 高低の移動時間の間に病態悪化する可能性あり

地震

1階 → 揺れる

20階 → めちゃ揺れる

普段の出入り

1階 → 即出入り可

20階 →エレベーター使うにしても時間がかかる

位置エネルギー

1階 → 地に足がついており安心感

20階 →絶対に窓から転落しないという保証がない

Permalink |記事への反応(3) | 08:36

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北見市がいまマイナス20℃で尋常じゃなく気温低いんだな

10万人いるからそこそこ栄えてて不思議

Permalink |記事への反応(0) | 03:57

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オッサン寿司を食う

と、書くと流行りのパパ活ですかとか言われるけど

違う。

純粋20歳上のオッサン寿司食って(食わせてもらって)酒飲んで帰ってきた。

20,30代の人はもっとオッサン寿司を食って酒を飲むといいと思う。

奢ってもらえみたいな意味もなくはないけど、今のオッサン世代は皆が思ってるよりだいぶ面白い

奢ってもらう寿司も酒もうまいし、話もまぁ面白い

聞かずに社会人やってんのはちょっともったいない

こっちが何も面白いこと言わなくても

お前面白いなあ!って酒注いでくれるし。

えー先輩って何を頑張って人生今までやってきたんすか

って聞くだけでいい

話長いかもしれないけどオッサン人生を凝縮した話は一歩掘り下げるとめちゃくちゃオモロイ。

オッサン人生つまみに食う寿司は捉えようによって割とうまい

オッサンやらかし話は現代と違ってスケールが違うので純粋にクソおもろい。

オッサンのクソ長い身の上話の中に、急に煌めくダイヤが見える日もある。

それが自分人生を支えてくれる一言になる日すらある。

パパ活やってでもオッサン寿司を食うといいよ。

職場オッサンがなんか奢ってくれるなら美味いもん食わせてもらうといいよ。

つまんないって思うならそれは、オメーがつまんないんです。

というのを私は今どん兵衛を食いながら書いています

港区女子なら寿司カンお腹いっぱいなんだろうが、私はどん兵衛食わないと眠れません。

おやすみ

Permalink |記事への反応(2) | 01:53

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高校のころ通っていた予備校前をたむろした

20時ごろ。25年前はこの時間帯は高校生浪人生大勢うろついていた。

今や、少子化で人の気配はほとんどない。

予備校自体が業種を公務員予備校に切り替えてて、二棟あった建物の片方は電気が消えている。

近くの弁当屋看板はそのままに建物しますの看板が掲げられていた。

ショギョムッジョ ショギョムッジョ

40代半ばの俺は身にまとう加齢臭を冷たい夜の空気で洗い流しながら帰っていった。

Permalink |記事への反応(0) | 01:47

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2025-12-12

anond:20251212191648

増田ネットに毒されすぎでは?セックス観が不一致の20代カップルもっと気軽に別れてる

ネットセックスレス相談をしているのは3年半どころか10年も20年も一緒に居てからレスだったり、結婚して家も買ってて主婦主夫とかでホイホイ別れられなかったり、子供が生まれた後だったりのセンパイたちだよ

Permalink |記事への反応(0) | 23:33

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ポンデリングを好きな奴を見たことがない

あんモチモチドーナツ、誰が好きなんだ?

舌が腐ってんのか?

ドーナツといえばオールドファッションだろ?

ポンデリングなんてせいぜい20年くらいの歴史しかない

ま、来年には消えてるだろうけど

このランキング見てみろよ。

2025年最新】ミスドの人気ドーナツランキングTOP10

1位ポン・デ・リング(56票)

2位エンゼルクリーム(41票)

3位フレンチクルーラー(40票)

https://macaro-ni.jp/107666

ほら、ポンデリング最下位

オールドファッションが一位

当然だよね

こっちのランキングも貼っておくか

帰れま10ミスタードーナツ『売上げベスト10ランキング

1位 ポン・デ・リング 

2位 エンゼルクリーム 

3位 エンゼルフレンチ 

https://www.activitv.com/entry/kaeremonday_250324-3/

こっちでもオールドファッションが一位

ポンデリング最下位

みじめだね

人気も最下位、売り上げも最下位

なんで売ってるの?ってレベル

早く発売中止にならないかな〜

Permalink |記事への反応(0) | 20:25

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東京っていいよね

首都高ドライブも、バーも、街歩きも

早朝も、朝も、昼間も、夕方も、深夜も

全てが良いよね

海浜幕張20人に1人の割合可愛い子が渋谷なんか行くと星の数ほどいるよ

本当に東京っていいよね

千葉市まれ千葉市育ち千葉市住み

職場千葉市

大学時代の4年間だけ都内住みの俺は本当にそう思うよ

東京っていいね

Permalink |記事への反応(1) | 18:30

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素朴なホモソーシャル

地元に帰って就職しました。

会社の人に「飲みに行こう」と連れられてお店に入ると露出の多い女性がたくさんいて、それがラウンジというものだと理解するのに少々時間がかかりました。

少々面食らったものの、偶然取引先の人も何人かいたので話も弾み、お酒をおごってもらい、夜遅くなってきたので帰りました。

この出来事が僕にとって大変困ったこであるのは、僕の信条は「素朴であること」だからです。

専攻は数学でしたが、自分のできる範囲で様々な考え方の本を読んだ上で、中道を保って地域社会の、何の変哲もない共同体に参加することが良いことであると考えてきました。

家の周りの溝掃除をしっかりやるとか、お寺の掃除をお手伝いするとか、そういう言語化・数値化されづらいことを普通にやって、地域に貢献することがよかろうと思っていました。

これは、私が地元が好きであるというのもありますが、様々な進歩主義や加速主義効率主義へのある種の不信感によるもので、

まり、数年から20年程度で規範がまるごと入れ変わってしまうような都会的な流行りのイデオロギー地方社会がいちいち付き合う必要はないと思っていて、

また、そういうものがどんどん新しい考え方に変っていくときツナギ、あるいは土台になるのは結局郷土に関する愛着とか、そういう多くの人が持っている感覚であろうと思っているからです。

社会にはマルキストリベラリスト極右必要ですが、その上で私は地元会社で人並程度に泥臭い仕事をして普通に暮らすわけです。

近所や会社でそれはいかがなものかと思うこともありますし、Excel方眼紙が健在ですし、GitHubやNotionなら一瞬で片付く話をチマチマやっているのに腹が立つこともありますが、

口に出さず、世の中そういうものだよなあと思うことにしていました。

しかし、お世話になっていた社長さんの週末の楽しみが、ラウンジ女の子おっぱいにお札をはさんで遊ぶことであったのを目撃したとき、この地元社会は滅ぼした方が良いのではないだろうかと思うのです。

あなたには奥さんがいるじゃないのとか、飲む・打つ・買うみたいな典型的な悪いホモソーシャル実在することへの驚きとか、そういうもので僕の考えは大きな衝撃を受けたわけです。

いい年してそんなことも知らなかった自分が悪いのですが、そういうのは大学生みたいな若い人だけがやるハメを外した遊びだと思っていました。

慶応に行った友人が月に10人とヤってると聞いたときも驚いたものですが、まあ若ければそんなこともあるのかなあと受け入れていました。

それと違って、既婚者が夜な夜な集まって女の子で遊んでいたら、これは私の価値観では疑問を抱かざるを得ません。

田舎というのは狭いので、奥さんの顔も知っているわけで、僕はそういう場で奥さん不憫に思ってしまうのです。

また、いろんな契約がそういう場で決まっていく様子を見て、フェミニズムというものが何と闘っていたのかようやく理解しました。

第二の性」とか「抑圧のアルゴリズム」とかを読んだこともあるものの、私はそういう思想とすこし距離を置いていましたが、

(店員さんではない)女性のいない空間で様々なもの運用が決まってしまうのはさすがによろしくないものに見えてしまます

(私がフェミニズム無謬に受け入れるという話ではありません。)

振り返ると、僕は都会に行くと都会が悪く見えて、地元に帰ると地元が悪く見えるという、ただのめんどくさい逆張りなのだと思います

もし私が女性として女性社会に参加したら不満を持っているのかもしれません。

別の問題として、こういうホモソーシャルが無くなったとして、それが持っている役割代替するようなものを私は他に知らないわけで、

そうであれば、このホモソーシャルも素朴なものであると受け入れてしまう方が良いのでしょうか。

(誰かに話せる内容でもないので、初めてハテブというもの投稿しました。悪文ですがお許しください。)

Permalink |記事への反応(1) | 17:49

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anond:20251212160601

兄弟姉妹が親の介護費用を分担することは法律上義務であり、話し合いで解決しない場合は、家庭裁判所の「扶養請求調停」を通じて請求できる可能性があります。ただし、「月20万円を一律で請求できる」という明確な規定があるわけではなく、個々の状況によって判断されます

Permalink |記事への反応(0) | 16:21

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