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「1997年」を含む日記RSS

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2026-02-12

anond:20250701191638

麻雀漫画ゴルフ漫画は、どれも酷いよ

例:

麻雀漫画において、試合の展開が非常に長く感じられる、あるいは実際に1局の決着までに膨大な時間をかける作品として、最も有名なのが福本伸行先生の「アカギ 〜闇に降り立った天才〜」です。

特に「鷲巣麻雀」編は、作中ではたった一晩の出来事であるにもかかわらず、連載では約20年(1997年2017年)かけて描かれました。

この特徴に関するポイントは以下の通りです。

驚異的な引き延ばし(鷲巣麻雀

アカギの27年におよぶ連載期間のうち、鷲巣編だけで約4分の3を占めました。

単行本で約30巻、話数にして300話近くが、ほぼ一晩の対局を描くために費やされました。

心理描写の細かさ

単なる牌の捨て合いではなく、キャラクター心理駆け引き、牌の持つ「流れ」や「意思」を極限まで描写するため、1ツモ、1打に数ページ、時には1話が使われます

他の麻雀漫画の傾向

アカギ」ほど極端ではありませんが、本格的な麻雀漫画天牌むこうぶち等)では、1つの大きな試合赤坂決戦や四川編など)が単行本で数巻に及ぶことは珍しくありません。

キャラクターの牌効率戦術を細かく描写するほど、試合時間は長期化する傾向にあります

このように、麻雀漫画は1つの対局を濃厚に描くあまり時間をかけすぎてしまう(=1局が異常に長い)という特徴を持つ作品存在します。

Permalink |記事への反応(1) | 11:15

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2026-02-02

34年間つづいてるエロ雑誌ってすごいな

沿革

1992年10月3日、前年にアダルトゲームの取り扱いを止めた『テクノポリス』(徳間書店)の元スタッフが中心となってサン出版より創刊。当初は『ログイン』や『コンプティーク』と同様、一般ゲームを中心に取り扱う一般向けパソコンゲーム雑誌であったが、売上が低調であったこから3号目の1993年1月号より刊行ペースを隔月刊に落とし、前年にメディアックスが創刊した『パソコンパラダイス』と同様のアダルトゲーム専門へと路線を変更。それ以後は、順調に売上を伸ばした。

リニューアル後4号目となる1993年7月号で再び月刊誌に戻るが、1994年4月号より再び隔月刊にペースダウンした後に1997年6月号で創刊以来3度目の月刊化を達成。それと並行し、編集部のフルDTP化・編集作業のフルデジタル化を行った。

2010年1月号より、背表紙に表紙イラストの縮小版を掲載している。

2013年2月号より、隔月でDVD-ROM付録している。

2014年8月号でサン出版グループマガジン・マガジン社を離れ、同年9月号以降は富士美出版移籍した。

2016年2月号より、DVD-ROMが毎号付録となる。

2016年10月号より、電子書籍版(Amazon KindleDMM.com)も本誌発売から1週間ほど遅れて発売するようになっている。電子書籍版に付録DVDデータ付属しない。

2019年4月富士美出版スコラマガジン合併。同年5月から発行元がスコラマガジンに移行した。

2021年6月辰巳出版スコラマガジン吸収合併[2]。同年9月から発行元が辰巳出版に移行した[3]。

これを見るとその時の技術アジャストしているのが成功秘訣に見える。ケツだけに(なんのこっちゃ

Permalink |記事への反応(0) | 18:12

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anond:20260202171117

FFVIIオリジナル):1997年1月31日発売

FFVII REMAKE (リメイク):2015年6月16日発表、2020年4月10日発売

FFVIIREBIRTH (リバース):2024年2月29日発売

FFVII REMAKE (PC/Switch/Xbox版):2026年1月22日発売予定

Permalink |記事への反応(0) | 17:13

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2026-01-28

減税の大合唱うんざり

間違いなく高市国会審議妨害目的総選挙で減税減税の大合唱でもううんざり

相変わらず幼稚園レベルの税と社会保障議論蔓延しているので、もう一度貼っておく。

減税とか言っている連中は以下の単純な事実いつまでも完全に無視し続けている。

・国際比較日本租税負担率は低く、日本は国際比較小さな政府であるアメリカより若干高いぐらい。

https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/futanritsu/sy202302c.pdf

過去の減税政策増税反対で、より逆進的な社会保険料負担が高騰してきた。

・「減税」「増税反対」は世界中でどこでも公的福祉が大嫌いな右派ネオリベ派のスローガンで、選挙の争点にまでしている左派政党日本だけ。

・消費減税で飛躍的な経済成長をした国も、消費増税で深刻な不況に陥った国もない。「日本1997年」以外に実例を挙げられない。

・減税を要求すれば、その政治過程代替財源として社会保障公共事業の削減が求められるのは当たり前。財務官僚と政権与党に減税と財政支出拡大を一緒に認めさせる政治交渉力どこから出てくるのだろうか。

貧困問題社会保障研究者運動家など、貧困者の実情に詳しい人で減税策を正面から掲げている人を知らない。官僚嫌いネオリベ派の鈴木亘くらい。むしろ私的負担の軽減のための増税を主張する人の方が圧倒的に多い。

・国際比較では租税負担率が高い国ほど貧困率も低い傾向がある。

「もう年金なんていらないから、社会保険料減らして手取りを増やせ」みたいな、本当に馬鹿みたいな意見を目にすることが多くなったけど、なんかタチの悪い投資詐欺にでもひっかかっているの??

Permalink |記事への反応(1) | 07:13

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2026-01-23

anond:20260123105825

山本富士子(94)

日本一美女」と呼ばれた国民スター1950年第1回ミス日本優勝。1953年映画デビュー日本映画全盛期を代表する大女優となる。1963年悪名高い五社協定犠牲になるが一歩も引かずテレビ舞台活躍高峰三枝子以来の歌う映画スターとして何曲もレコードを吹き込んでいるが全貌がつかめないでいる。https://youtu.be/3mmlSAn45Gw?si=HVA1cAwNaciFHOxJ夫は作曲家山本丈晴

初代コロムビア・ローズ(93)

1952年当初は覆面歌手としてデビュー。当然コロムビアレコード所属1956年「どうせ拾った恋だもの1957年東京バスガール」等立て続けにヒットを飛ばし紅白に5回出場。初代の引退1962年に二代目がデビュー1964年智恵子抄」がヒットし紅白出場。2004年に三代目がデビュー2015年クラウン移籍コロムビア・ローズの名を返上する。2010年には二代目が死去しコロムビア・ローズとして残るのは初代だけとなった。三代揃って「東京バスガール」を歌う貴重な映像https://youtu.be/cyCzhcd1sMo?si=yH2WNq-6UsRJ5Emi

寿美花代(93)

1948年宝塚歌劇団入団男役トップスターに。紅白にも出場。レコードも出しており「ボンジュール街角」はその頃の華やかさをよく伝えている佳曲。https://youtu.be/WoxnZmzmWZM?si=2DGP6tznpKZTQ4ji高島忠夫結婚。「ごちそうさま」等テレビで長く活躍した。高嶋政宏高嶋政伸は息子。

高木ブー92

大学卒業プロミュージシャンになる。幾つものバンド渡り歩いた後1964年ドリフターズに加入。次第にコント仕事が増える。1968年ザ・ドリフターズとしてレコードデビュー1969年8時だョ!全員集合」で大ブームに。1997年CDデビュー1999年の「僕の大好きな場所」は篠原ともえ作詞吉田拓郎作曲ハワイアンナンバー。得意のウクレレを弾きながら歌った。https://youtu.be/fuliICJK6wY?si=7dVlVYjwSFB1CX7h

菅原洋一92

1958年タンゴバンド歌手デビュー1962年レコードデビュー1967年「知りたくないの」が大ヒット。1970年今日でお別れ」でレコード大賞。紅白出場は実に22回に及ぶ。今もなお精力的に活動を続ける。驚くほかないが去年はほぼ毎月コンサートを行いテレビに出演し歌を歌っている。CDも絶え間なく出していて、2021年の最新シングル「「歌よ…あなたが居たから」は吉幾三作詞作曲。変らぬ風雅な歌声を聴かせてくれる。https://youtu.be/IazqkIdPsLU?si=KYU7c3jc58EWMBAU (続く)

Permalink |記事への反応(1) | 11:00

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2026-01-19

anond:20260119112521

平田正治 松下政経塾(1979)松下幸之助の娘婿 

内閣法制局長の平田東助の孫

1900年砂糖消費税施行

三井製薬は台湾製糖(鈴木藤三郎)を設立

顧問アメリカ人

オランダ1902年アジア航路を開設し

日本は対抗して砂糖原料優遇割戻税を施行1905年改正時に日糖汚職事件

北浜銀行東京日本醤油醸造鈴木設立

1907年東京に耕余塾の味の素設立

北浜銀行弁護士塚脇直義の関連で醤油品質不正があり1910年鈴木破綻

ところで1997年

乃木希典台湾総督府長官台湾阿片令を布告 

民生局長水野遵は醤油屋の息子

台湾醤油工場

大阪北浜銀行設立

台湾阿片って感じ

最近どこかの神社乃木希典痕跡を消したけど

法制ヤクザいから気をつけよう

Permalink |記事への反応(1) | 12:40

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2026-01-14

悪夢民主党政権

今更Xのトレンドになっていて驚いた。

安倍元総理スローガンだったな。

悪夢民主党政権、あの時代に戻っていいのか!」って。

消費税増税して経済を停滞させた!

氷河期世代悪夢民主党政権を忘れない!

と、Xで息巻いている人がゾロゾロ

民主党政権は2009〜2012年

就職氷河期は1993〜2005年頃まで。

消費税増税1989年に3%、1997年に5%、2014年に8%、2019年10%。

悪夢民主党って言ってる人たちは何が見えてるの?

歴史改変してるの?

Permalink |記事への反応(2) | 11:38

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2026-01-08

1998年日本男性自殺者数は、97年の16,616名から23,013名へと1.4倍に急増した。

背景には、1997年末の山一證券など大手金融機関破綻金融危機)を受け、多くの企業で大規模なリストラが始まったことがある。

男性自殺者数のピークは2003年24,963名で、暗黒期は2009年まで続いた(2009年男性自殺者数は23,472名)。

その後は減少トレンドへ転じ、2024年には13,801名(バブル期並みに少ない水準)まで減少している。

 

では、男女差はどう変わったのか。

男女合計の自殺者数がピークを迎えたのも2003年で、34,427名だった。内訳は男性24,963名、女性9,464名で、男性女性の2.6倍自殺していた。

2009年から2024年にかけて自殺数は大きく減り、2024年の男女合計は20,320名となった。内訳は男性13,801名、女性6,519名で、男女差は2.1倍まで縮まっている。

男女差が縮まったのは「男性自殺がより大きく減ったから」だ。2003年2024年の1.8倍の男性自殺していたが、女性場合はこの数字が1.4倍となる。

 

さて、ここから重要である2024年の小中高生限定すると、男女の自殺数が逆転している。2024年自殺した男子中高生239名、女子中高生は290名で、女子が上回った。

この逆転は、過去の傾向と比べると際立つ。2009年の小中高生では、男子が約200名の自殺女子が約100名の自殺で、日本全体の自殺の男女比(男性女性の2倍自殺する)に近い形だった。

それが2024年には、小中高生から先に、男女差が縮まるどころか「女子のほうが多い」状態へ反転したのである

 

チェリーピッキングだ!というブコメスター集めてますけどバカですか?

https://www.yomiuri.co.jp/national/20250328-OYT1T50083/

女子中高生自殺者数は明らかな上昇トレンドです。

Permalink |記事への反応(23) | 22:43

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美化されているゼロ年代男性の暗黒期である

1998年日本男性自殺者数は、97年の16,616名から23,013名へと1.4倍に急増した。

背景には、1997年末の山一證券など大手金融機関破綻金融危機)を受け、多くの企業で大規模なリストラが始まったことがある。

男性自殺者数のピークは2003年24,963名で、暗黒期は2009年まで続いた(2009年男性自殺者数は23,472名)。

その後は減少トレンドへ転じ、2024年には13,801名(バブル期並みに少ない水準)まで減少している。

 

では、男女差はどう変わったのか。

男女合計の自殺者数がピークを迎えたのも2003年で、34,427名だった。内訳は男性24,963名、女性9,464名で、男性女性の2.6倍自殺していた。

2009年から2024年にかけて自殺数は大きく減り、2024年の男女合計は20,320名となった。内訳は男性13,801名、女性6,519名で、男女差は2.1倍まで縮まっている。

男女差が縮まったのは「男性自殺がより大きく減ったから」だ。2003年2024年の1.8倍の男性自殺していたが、女性場合はこの数字が1.4倍となる。

 

しかし、ここから重要である2024年の小中高生限定すると、男女の自殺数が逆転している。2024年自殺した男子中高生239名、女子中高生は290名で、女子が上回った。

この逆転は、過去の傾向と比べると際立つ。2009年の小中高生では、男子が約200名、女子が約100名で、日本全体の自殺の男女比(男性女性の2倍自殺する)に近い形だった。

それが2024年には、小中高生から先に、男女差が縮まるどころか「女子のほうが多い」状態へ反転したのである

これからは、女性の暗黒期になるのではないか

Permalink |記事への反応(0) | 16:52

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2025-12-27

anond:20251226133258

手取りが今より良かったといえば1997年頃だが、当時は今よりずっと労働時間が長かったから貰いも多かっただけという面が強い。平均労働時間が今とは全然別物。と言っても給料90年代で一番に給与が高かった97年でも467.3万円で去年の477.5万円より低いし、手取りにしても消費税まで含めた税・社会保険料給料に占める割合は97年の22%から足下で26%になっただけだから、言われるほど大きいわけでもない。97年と比べて去年の方が消費税まで引いた後の手取りでは少ないのは事実だけどな。今年か来年には逆転するんじゃないか

物価家計最終消費デフレーター)にしたって1997年が106.5で2024年が110.7とそんなに差がなく、その後のデフレの底と違って別に安い世界ではなかった。もちろん今より安いものだけピックアップすればいくらでも見つかるが、そんなことは当時より今の方が安いものだって多々ピックアップできるように意味がない。なお上手取りの話と合わせる場合は、手取り計算にも物価にも消費税が入っていることは注意ね。消費税を抜けば物価は97年より低いので、間接税も含めた税・社会保険料負担を引いた後の手取りを実質化する場合は足下の方が上押される。

Permalink |記事への反応(0) | 05:28

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anond:20251226133258

かに数字だけを並べて比較すると、今の時代から想像もできないほど「お金の重み」と「心のゆとり」が違って見えますよね。

おっしゃる通り、1990年代特に前半のバブルの名残がある時期)は、今と比べると**「物価賃金バランス」**が劇的に違いました。

###1990年代現代比較(目安)

項目1990年代前半現代2020年代
--- --- ---
**TDL ワンデーパス** 約4,800円 7,900円〜10,900円(変動制)
**早慶学費文系)** 約70〜80万円 約120〜130万円
**ラーメン1杯** 約500〜600円 約800〜1,100円
**消費税** 3%(1997年から5%)10%

---

### なぜ「想像を絶するほど豊か」に感じるのか

単に物価が安かっただけでなく、いくつかの決定的な要因が重なっていたからです。

**「手取り」の多さ**:

当時は社会保険料税金負担率が今よりずっと低かったです。額面が同じ30万円でも、手元に残る金額が今より数万円多かったため、自由に使えるお金可処分所得)が圧倒的にありました。

**「未来への期待値」の高さ**:

給料右肩上がりに増える」という前提が社会全体にあったため、貯め込むよりも「使って楽しむ」という空気が強く、それが街の活気につながっていました。

**デフレ前夜の安定感**:

吉野家の牛丼が400円、駅弁が800円という価格設定でも「高い」と感じさせないだけの所得水準があり、今の「値上げに怯える感覚」とは無縁の世界でした。

### 逆に、現代の方が恵まれている点

もちろん、当時がすべてにおいて楽園だったわけではありません。

**情報コスト**:当時は通信費が高く、スマホ一台で何でもできる現代に比べると、娯楽や情報を得るための「手間と金」は相当なものでした。

**選択肢の幅**:今は安くて質の良いものユニクロ100均、サブスクなど)が溢れていますが、当時は「安かろう悪かろう」がはっきりしていました。

---

あの頃の「1万円札1枚で、朝から晩まで贅沢に遊べた感覚」は、今の若い世代からすれば、おっしゃる通り**ファンタジーに近い**かもしれませんね。

Permalink |記事への反応(0) | 03:00

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2025-12-26

セス紅白大トリってすごくない?(歴代大トリリストあり)

歴代大トリリストアップすると以下の通り。

多分最年少だよ。

…と思ったら、美空ひばり20歳だって!そりゃ叶わないね

紅白歌合戦歴代大トリ一覧(新しい順)

* 第74回(2023年):MISIA紅白スペシャル2023

* 第73回(2022年):福山雅治桜坂

* 第72回(2021年):MISIA明日へ2021」

* 第71回(2020年):MISIA 「アイノカタチ」

* 第70回(2019年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」

* 第69回(2018年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」

* 第68回(2017年):ゆず栄光の架橋

* 第67回(2016年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」

* 第66回(2015年):松田聖子赤いスイートピー

* 第65回(2014年):松田聖子あなたに逢いたくて~MissingYou~」

* 第64回(2013年):北島三郎 「まつり」

* 第63回(2012年):SMAPSMAP2012'SP

* 第62回(2011年):SMAPSMAP AID紅白SP

* 第61回(2010年):SMAPThis is love'10SPメドレー」

* 第60回(2009年):北島三郎 「まつり」

* 第59回(2008年):氷川きよし 「きよしのズンドコ節」

* 第58回(2007年):五木ひろし 「契り」

* 第57回(2006年):北島三郎 「まつり」

* 第56回(2005年):SMAPTriangle

* 第55回(2004年):小林幸子 「雪椿」

* 第54回(2003年):SMAP世界に一つだけの花

* 第53回(2002年):五木ひろし 「おふくろの子守唄

* 第52回(2001年):北島三郎 「山」

* 第51回(2000年):五木ひろし山河

* 第50回(1999年):北島三郎 「まつり」

* 第49回(1998年):和田アキ子 「今あなたにうたいたい」

* 第48回(1997年):五木ひろし千曲川

* 第47回(1996年):北島三郎風雪ながれ旅

* 第46回(1995年):細川たかし望郷じょんから

* 第45回(1994年):都はるみ古都逍遥

* 第44回(1993年):北島三郎 「まつり」

* 第43回(1992年):北島三郎帰ろかな

* 第42回(1991年):谷村新司 「昂-すばる-」

* 第41回(1990年):森進一おふくろさん

* 第40回(1989年):石川さゆり風の盆恋歌

* 第39回(1988年):北島三郎年輪

* 第38回(1987年):五木ひろし追憶

* 第37回(1986年):森進一 「ゆうすげの恋」

* 第36回(1985年):森進一 「女もよう」

* 第35回(1984年):都はるみ夫婦坂」

* 第34回(1983年):細川たかし矢切の渡し

* 第33回(1982年):森進一 「影を慕いて」

* 第32回(1981年):北島三郎風雪ながれ旅

* 第31回(1980年):八代亜紀 「雨の慕情

* 第30回(1979年):八代亜紀 「舟唄」

* 第29回(1978年):沢田研二LOVE(抱きしめたい)」

* 第28回(1977年):五木ひろし 「灯りがほしい」

* 第27回(1976年):都はるみ北の宿から

* 第26回(1975年):島倉千代子 「悲しみの宿」

* 第25回(1974年):森進一襟裳岬

* 第24回(1973年):北島三郎帰ろかな

* 第23回(1972年):美空ひばり 「ある女の詩」

* 第22回(1971年):美空ひばり 「この道を行く」

* 第21回(1970年):美空ひばり人生将棋

* 第20回(1969年):美空ひばり 「別れてもありがとう

* 第19回(1968年):美空ひばり 「熱祷」

* 第18回(1967年):美空ひばり芸道一代」

* 第17回(1966年):三波春夫紀伊国屋文左衛門

* 第16回(1965年):美空ひばり 「柔」

* 第15回(1964年):三波春夫俵星玄蕃

* 第14回(1963年):美空ひばり哀愁出船」

* 第13回(1962年):三橋美智也星屑の町」

* 第12回(1961年):三波春夫 「文左たから船」

* 第11回(1960年):三橋美智也 「達者でナ」

* 第10回(1959年):美空ひばり 「御存知弁天小僧

* 第9回(1958年):美空ひばり 「白いランチで十四ノット

* 第8回(1957年):美空ひばり長崎蝶々さん

* 第7回(1956年):笠置シヅ子 「ヘイ・ヘイ・ブギ

* 第6回(1955年):二葉あき子バラのルムバ」

* 第5回(1954年):霧島昇石狩エレジー

* 第4回(1953年12月):藤山一郎 「丘は花ざかり

* 第3回(1953年1月):灰田勝彦野球小僧

* 第2回(1952年):藤山一郎オリンピックの歌」

* 第1回(1951年):藤山一郎長崎の鐘」

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2025-12-17

anond:20251217062721

あれは制度設計したときピラミッド構造人口構造がこれから未来永劫ずっと続くんだ...って思ってたんじゃないの?

制度設計をした頃、人口構成はそういう形だったからね。

国民皆保険が始まった1960年ごろは出生率年間160万人程度で、15歳未満が人口の30%程度。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai06/toukei1.html

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2017np/pdf/gaiyou2.pdf

それで、人口構成が思ったのと違うと気づいて、年金破綻するかもと気づいたのが1997年らしい。

https://www.mhlw.go.jp/www1/english/wp_5/vol1/p2c1s1.html#:~:text=The%20latest%20revision%20made%20to,excessive%20burden%20on%20future%20generations.

2004年に「100年安心プラン」を作ってマクロ経済スライドを導入した。

保険料も上限を18.3%で固定したけれど、2004年には14%程度だったのが2017年にそこに到達した。

このときそもそも将来世帯がより多く負担するのは見込まれていたし、老人たちの取り分も減ることが決定されていたんだけれど...

何がむかつくといえば、「俺たちはちゃんと払ってきたんだぞ。ドヤァ」がむかつくんじゃないかな。いやいや、所得に占める割合は増え、可処分所得減ってるんだぞと。

さらにむかつくのが所得税がインフレ率と無関係に設定されていること。これだと、インフレすればするほど税収は増えるかもしれないけれど、可処分所得は減るよね。

それでもって、配るモードに入ると、取った額のことをさっぱりと忘れて、額だけを見始めるところ。

Permalink |記事への反応(0) | 07:13

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2025-12-09

中国海軍歴史 略史(3/4)

anond:20251209162053

韜光養晦期(1989年2011年 052D型の登場)

ソ連という共通の敵を失ったことによって中国西側諸国の友好関係が薄れていき、天安門事件によって決裂が明らかとなり軍事技術的にも独自路線を歩み始めた時期そして第三次台湾海峡危機アメリカの圧倒的な軍事力を目の当たりにしたことが、中国海軍のその後に大きな影響を与える
1989年

天安門事件

鄧小平辞任、江沢民就任

劉華清江沢民後見人として党中央政治局常務委員党中央軍事委員会副主席に任命される

ベルリンの壁崩壊

マルタ会談冷戦終結宣言

1990年

日本バブル崩壊

051G型駆逐艦(旅大III型) 1番艦 湛江就役 051DT型の発展版フランスイタリアイギリスなどから導入した兵器国産化を試みている

★052A型(旅滬型)駆逐艦 1番艦 哈爾浜 起工西側技術を大規模に導入し、中国初の外洋型近代駆逐艦として建造された

 対空ミサイルレーダーフランス製、主機のガスタービンエンジンアメリカ製、ディーゼルエンジンドイツ製を導入、哨戒ヘリコプターフランス製のライセンス生産

 中国海軍沿岸海から外洋海軍進化する第一歩となった

1991年

湾岸戦争開始米軍による一方的空爆を目の当たりにし自国の防空システム限界認識した中国は、新しい防空ミサイルシステムHHQ-9Aの開発に着手

ソビエト連邦崩壊中華人民共和国第一仮想敵国ロシアから台湾支援するアメリカ合衆国に変わった

053H2Gフリゲート(江衛型) 1番艦 安慶就役 053H2型に個艦防空ミサイル艦載機運用能力付与したもの

 1989年天安門事件を受けて西側から軍事技術供与が停止されたため、2番艦以降は1番艦とは異なる構成になっている

 2番艦ではガスタービンウクライナ製UGT-25000(DA80)ガスタービンエンジンにしている。

1993年

053H1G型フリゲート(江滬V型) 1番艦 自貢就役 053H2型フリゲート

052A型(旅滬型)駆逐艦 1番艦 哈爾浜就役

1994年

プロジェクト877EKM(キロ級)潜水艦 1番艦 袁正64就役中国が初めて入手した近代ディーゼル潜水艦

1996年

中華民国が遷台してから史上初めて正副総統の直接民選選挙李登輝当選

第三次台湾海峡危機

 アメリカは2つの空母戦闘群派遣、ミッツ空母戦闘群台湾海峡を通過した

 中国軍はアメリカ空母戦闘群に対し何もできず、アメリカ台湾支援した場合は止められないことを理解し軍備増強を大幅に加速した

 特に艦隊防空(エリアディフェンス)能力の欠如を強く認識

艦隊防空能力強化のためロシアにソヴレメンヌイ級駆逐艦2隻を発注(中国語では「现代级」と表記されることから何を期待していたのかが理解できる)

対空戦能力を有する国産ミサイル駆逐艦整備計画が着手、複数タイプ(052B型と052C型)の駆逐艦を少数建造し設計プロトタイピングを繰り返すスパイラルモデルでの開発が始まる

1997年

970型試験艦就役 HQ-9A艦対空ミサイル、HQ-16艦対空ミサイル、Vertical Launching Systemフェーズド・アレイレーダーテストを行う

プロジェクト636(改キロ級)潜水艦 1番艦 袁正66就役

1998年

劉華清引退

マカオ中国企業が空母ヴァリャーグウクライナから購入

1999年

956-E型(ソヴレメンヌイ級) 1番艦杭州就役艦隊防空機能を有し、射程160kmの超音速対艦巡航ミサイルSS-N-22(P-270)を搭載しアメリカ空母戦闘群の接近を阻止する役割を担う

039型潜水艦(宋型) 1番艦遠征20就役

 中国国産ディーゼル潜水艦で旧式化した035型に替わる新世代の潜水艦として建造

 ロシア兵器フランス戦闘システムドイツ製ディーゼルエンジンを搭載した

★052B型駆逐艦(広州級) 1番艦広州 起工

 中国が建造した初の艦隊防空能力を持つ艦

 052A型ベースとした中国版ソブレメンヌイ、本命の広域防空艦は052C型で052B型はその保険

 国産で新開発のHQ-9艦対空ミサイルフェーズド・アレイレーダーの完成は間に合わないため、ロシア製対空ミサイルシステムを搭載して建造

 ZKJ-5戦術情報処理装置 今まではイギリス製をコピーしたZKJ-3かフランス製をコピーしたZKJ-4しかなかったが、新規開発された国産戦術情報処理装置テスト

 通信設備としてHN-900(中国海軍第1世代戦術データリンク装置)を採用

2001年

中国WTO加盟

胡錦濤就任

956-EM型 (ソヴレメンヌイ級) 追加発注

ウクライナからSu-33の試作型T-10K-3を入手、後にJ-15の開発につながる

1985年から開発を続けていたWS-10Aエンジンが完成

2002年

★052C型駆逐艦(蘭州級) 1番艦 蘭州 起工

 中華イージス

 国産で新開発のHQ-9艦対空ミサイルフェーズド・アレイレーダーを搭載した中国人民解放海軍本命

空母ヴァリャーグ大連港に入港

093型原子力潜水艦 1番艦 407就役

2004年

052B型駆逐艦 1番艦広州就役

052B型駆逐艦 2番艦武漢就役

052C型駆逐艦 1番艦 蘭州就役

039A型潜水艦(元型) 1番艦330就役プロジェクト877EKM(キロ級)の経験で得られた技術を、039型潜水艦に盛り込んだ性能向上タイプ

2005年

956-EM型(ソヴレメンヌイ級) 1番艦 泰州就役 

054型(江凱I型)フリゲート 1番艦 馬鞍山就役

 従来の中国海軍フリゲート比較して武装レベルが極めて高い、また船体の大型化によって外洋航行能力も大幅に向上している

 054A型テストベッドとしての性格があり、建造は2隻に留まった

052C型駆逐艦 2番艦 海口就役

 2004年に就役した蘭州と共に、新世代艦のプロトタイプとして性能・運用試験実施

094型原子力弾道ミサイル潜水艦 1番艦 411就役 092型からは大幅に進歩したが未だ米英露仏のレベルには至らず

上海長興島造船基地建設開始

なお2005年当時の中国軍の評価は以下のようなものである、きわめて妥当評価で当時の中国海軍がまだ立ち遅れていたことがよくわかる

中台軍事バランス中台安全保障戦略に与える影響―(2005年5月発行)

中国は、約3,200 機の作戦機を保有しており、編制上桁違いの優位があるが、第4世代戦闘機を150機程度しか保有していない〔USDoD,28July2003, p.23〕。

しかも、中国空軍の訓練時間は、新型戦闘機のパイロットを優先的に長時間訓練させていると見られるものの、全体として西側空軍常識から見て極端に少なく、メンテナンスも劣悪で故障も多く、また1日に大量の航空出撃を実施するような演習をほとんど経験していない〔Allen, 1997,pp.224 –232〕。

このため、中国空軍作戦機が台湾攻撃必要な高い練度を獲得するには今後長い時間必要である

他方台湾空軍は、すでにF-16ミラージュ2000-5、および経国号配備完了しているため、旧式機から第4世代への換装をほぼ終えている。

空中戦態様は、戦場中国から離れた台湾の航空管制範囲内であり15、台湾側の方が各種装備が優越し、練度も高いため、台湾空軍側に有利に展開するもの推定されている。

特にF-16 用のアムラーム・空対空ミサイルの売却が2003 年に実施されたことにより、台湾空軍の空戦能力は飛躍的に向上した。

しかも、中国保有しているSu-27 およびSu-30MKK の性能は、電子戦能力戦闘能力において台湾保有するミラージュ2000-5 におよばないとされるし、遠距離から攻撃では経国号の装備が勝っているとされる16。

このため、大幅な改良を加えない限り、Su-27 は量産されても台湾空軍に対して質的な優位を確保することができないと考えられ

中国海軍水上艦艇の特徴は、艦隊防空能力特にミサイル防御能力)が極めて低い一方で、対艦ミサイルの数量が圧倒的に多いことにある。

このため、中国海軍は防御を省みることな攻撃を仕掛けることになる〔McVadon, 1997,pp.259-260〕。

ところが、中国海軍水上艦艇には、視界外レーダー(OTHレーダー)がなく、敵の位置を計測してその対艦ミサイルのアウトレンジから対艦ミサイル攻撃をかけることが困難である

このため、対艦ミサイルの「数の優勢」は当てにならず、中国海軍水上艦艇台湾軍が保有する大量のハープーン対艦ミサイル等によって多大な損害を受けることが必至である〔McVadon, 1997,pp.259-260〕。

2008年

江南造船本社は長興島へ移転

★054A型(江凱II型) 1番艦徐州就役

 HHQ-16艦対空ミサイルを装備し、中国海軍フリゲートとしてははじめて艦隊防空能力を有する

 054型はミサイル発射機を備えていたが、054A型では32セルVLS進化している

 以降『40隻』を超える大量建造が行われる

054A型 2番艦舟山就役

054A型 3番艦黄山就役

054A型 4番艦 衡陽就役

2009年

052C型4隻の追加建造

 2004年、2005年に就役した052C型2隻をプロトタイプとして性能・運用試験実施し完成度を高める為の研究が行われた、結果2008年には艦隊防空艦としての完成をみた

 052C型の発展型として052D型駆逐艦の開発が進んでいたが実用化には相応の時間を要するため052C型駆逐艦の追加建造が決定

2010年

054A型 5番艦 運城就役

054A型 6番艦 玉林就役

054A型 7番艦 益陽就役

039B型潜水艦 1番艦 ?就役 詳細不明

Permalink |記事への反応(2) | 23:51

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2025-12-08

anond:20251208223620

同じ質問AIにしたら、全く違った答えが返ってくるわ。AI合戦

いい問い — やはり「日本実質賃金は1990〜2025年あいだで大きく上がっていない/ほとんど変化がない」という見方には、かなり根拠がある — というのが普通学術統計データの示すところです。以下、補足します。

 

✅ なぜ「あまり変わっていない」はかなり正しい

 

厚生労働省(など)の統計によると、1990年代後半をピークに、実質賃金は長期にわたって低迷または低下傾向が続いています。 具体的には、あるデータでは「1997年ピークとして、1998年以降2023年まで約26年で▲19.3ポイントの下落」と報告されています

・また、他の分析では、2000年代以降 は実質賃金の上昇はほとんど止まっており、たとえば 2010〜2018年での上昇総幅がわずか 1.2% にすぎなかった、という指摘があります

・国際比較でも、「1990年と比べて約30年後でも、実質賃金はおおよそ +4〜5% 程度の上昇にとどまっていた(=大幅な上昇ではなかった)」、という報告があります

→ これらを総合すると、確かに「±5%のレンジで上げ下げを行ったり来たり」というあなたイメージは、おおむね「実態に近い感覚」を反映している、という評価になります

 

⚠ ただし「まったく動いていない」わけではない — 変動・構造の注意点

 

とはいえ、「ずっと同じ」ではなく、以下のような変動や条件付きでの事情があります実質賃金は年によって上下を繰り返しており、ボーナスの有無・額、消費者物価の変動、雇用産業構造の変化などで波があります。たとえば2023年には前年から実質賃金が-2.5% 減った、という報道があります

最近では、名目賃金(総支給)は上がってきており、物価上昇が実質賃金を圧迫する構造が続いています

・また、統計の「働く人の構成年代雇用形態、本採用 vs非正規など)」の変化も賃金指標に影響を与える — つまり「みんな同じ人」が前後で比べられているわけではない、という構造的な注意があります

 

→ つまり、「上下動しつつも、おおむね横ばい〜微増」の長期停滞が続いてきた、というのが正確な実態の捉え方です。

Permalink |記事への反応(1) | 22:54

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anond:20251208220623

日本実質賃金は、1990-2025の間で、±5% のレンジを上げ下げ行ったり来たりしているわけで 長期スパンで見ると、そんなに動いてない

これは事実ですか?


結論から言うと、

「1990–2025の日本実質賃金は±5%のレンジで行ったり来たりしている」というのは、事実ではありません。

統計を見ると、ピーから見るとざっくり2割弱下がっているので、「あまり動いていない」というよりは「じわじわ長期的に下がり続けてきた」というほうが近いです。

1.公的データが示していること

1997年ピーク → その後ずっと下り

厚労省「毎月勤労統計」の実質賃金指数(年平均)は、長期時系列e-Stat で公開されています

それを整理した分析では、

実質賃金ピークは1997年

そこから1998〜2023年の26年間で▲19.3ポイント下落とされています

指数は「基準年=100」で作られるので、約▲19ポイント=およそ▲19% のイメージです。

もし本当に「±5%のレンジ」なら、ピークを100としたとき、今も95〜105の間に収まっているはずですが、実際はもっと下まで来ている、ということになります

2. 「そんなに動いてない」と感じやす理由

「±5%くらいでは?」という感覚になるのも、少し理由があります

年ごとの変化が小さい

実質賃金は、多くの年で前年比 ±1〜2%くらいの動きに見えます

でも、たとえば毎年−0.7%が30年続くと、計算上は約2割減になります(0.993³⁰ ≒ 0.81)。

さなマイナスが長年積み重なった結果、大きな差になっている感じです。

物価があまり上がっていないように見える

日本物価上昇自体が、他の先進国よりかなり小さい(1991〜2022年日本物価は約1.11倍、OECD平均は約2.7倍)という指摘もあります


そのため「名目賃金物価も大して変わってないように見える → 実質もそんなに変わってないのでは?」と感じやすいです。

ただ、実質賃金は「賃金 ÷物価」なので、名目賃金の伸びが物価に負け続けると、ゆっくり確実に下がります

まとめ

1990〜1997年ごろまでは実質賃金は緩やかに上昇。

1997年ピークに、その後はおおむね下り坂で、1997→2023年で約▲20%弱。


したがって、

「±5%の小さいレンジで行ったり来たりしている」

「長期で見るとあまり動いていない」

という理解は、少なくとも厚労省公的統計とはかなりズレている、というのが答えになります

Permalink |記事への反応(2) | 22:36

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anond:20251208184944

侵攻を始めたのはロシアで、他の誰がどう思ったか関係なくロシアがそう思ったから侵攻したんだ

他人の行動を法と倫理否定すること自体が間違っているとは言わないよ、実際に違法で非倫理的な行動だしね

でもロシアがなぜそのような行動をしたのかどう考えたかはまた別の話なんだ

1991年ソ連崩壊に伴いウクライナ独立。すぐにNATOの「北大西洋協力評議会(NACC)」に参加し、対話を開始。エリツィン政権は当初は西側との関係改善を重視し、将来的なロシア自身NATO加入に言及するような発言もあったが、NATO拡大そのものには国内で反発も生じ始める。
1994年パートナーシップフォーピースPfP)」に参加し、NATOと本格的な協力枠組みに入る。同年、ロシアPfPに参加し、表向きは協力・対話路線。ただしNATO東方拡大には政界世論から懸念が繰り返し表明される。
1994年ブダペスト覚書:核兵器放棄する代わりに、ロシア・米・英からウクライナ主権領土保全の「安全保障に関する確約」を得る。ロシアは覚書の署名国となり、ウクライナ国境尊重約束。ただし後に2014年クリミア併合でこの約束事実上破ることになる。
1997年NATOと「NATOウクライナ間の特別パートナーシップに関する憲章(マドリード憲章)」を締結。NATOウクライナ委員会が設置され、関係制度化。同年、NATOロシア基本文書署名エリツィンは後に、この文書受け入れはNATO拡大が止まらない中での「やむを得ない一歩」だったと回想しており、拡大そのものには強い不満を抱いていた。
2000年プーチン大統領就任
2002年クチマ政権下で、ウクライナ政府が正式に「NATO加盟を目指す」方針を打ち出す。NATOウクライナ委員会での協議も活発化。プーチン政権初期は、西側と協力しつつもNATO拡大を脅威とみなす姿勢を強める。ウクライナの加盟志向には一貫して否定的。
2004–05年オレンジ革命」で親欧米派のユシチェンコ大統領就任NATO加盟志向明確化し、NATOは「加盟行動計画MAP)」を巡る議論を開始プーチンオレンジ革命西側による「カラー革命」と見なし、ロシア勢力圏への干渉と強く非難ウクライナNATO加盟志向ロシア安全保障への脅威として語り始める。
2008年2月当時の駐ロ米大使バーンズが、ラブロフ外相らとの会談を踏まえて、ロシアNATO拡大に関する“redlines”を整理し、特にウクライナグルジアの加盟に強い反対を示していたと報告
2008年4月ブカレストNATO首脳会議NATOは「ウクライナグルジアは将来NATO加盟国になる」と明記するが、ドイツフランスの慎重論でMAP付与は先送り。プーチン会議に出席し、「ウクライナは真の国家ではない」「領土の多くは歴史的ロシアのもの」などと発言し、ウクライナNATO加盟はロシアにとって重大な脅威だと警告。MAPが見送られたことには一定の安堵を示す
2010年ヤヌコビッチ政権が「非同盟法」を成立させ、NATO加盟を目指す条項を削除し「非同盟(どの軍事ブロックにも入らない)」を国家方針にする。これはロシアとの関係改善を狙ったもので、モスクワは概ね歓迎。NATO拡大を止める「成果」として受け止められる。
2013–14年ヤヌコビッチEU協定破棄きっかけにユーロマイダン革命が発生し、政権崩壊。直後にロシアクリミア軍事占領し、住民投票を経て一方的併合。これが現在まで続く露ウ戦争の起点となる。ロシア自国民保護や「NATOの脅威」を口実に併合正当化。一方で欧米ウクライナはこれを明白な侵略とみなし、ロシアブダペスト覚書を踏みにじったと批判

Permalink |記事への反応(1) | 19:01

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2025-12-07

anond:20251207214847

高市さん、自民党の答弁くらい勉強しとけよ…

1972年11月衆院予算委員会では、大平正芳外相が「中華人民共和国政府台湾との間の対立問題は、基本的には中国国内問題である」と言及

1997年12月衆院本会議では橋本龍太郎首相が「(日本は)台湾中華人民共和国領土の不可分の一部であるとの中華人民共和国政府立場を十分理解尊重する旨を表明いたしております。このような基本的立場は不変であり、いわゆる『二つの中国』、あるいは台湾独立を支持する考えはございません」と表明。日本は「一つの中国」を堅持すると強調

2005年3月の衆院安保委員会では、町村信孝外相中国による台湾統一問題について、「(日本は)武力行使には反対である、また同時に、台湾独立も支持しないという原則に基づいている」との立場を鮮明に

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/91804?page=4

Permalink |記事への反応(0) | 21:56

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2025-11-27

anond:20251127092945

1972年11月衆院予算委員会では、大平正芳外相が「中華人民共和国政府台湾との間の対立問題は、基本的には中国国内問題である」と言及

1997年12月衆院本会議では橋本龍太郎首相が「(日本は)台湾中華人民共和国領土の不可分の一部であるとの中華人民共和国政府立場を十分理解尊重する旨を表明いたしております。このような基本的立場は不変であり、いわゆる『二つの中国』、あるいは台湾独立を支持する考えはございません」と表明。日本は「一つの中国」を堅持すると強調

2005年3月の衆院安保委員会では、町村信孝外相中国による台湾統一問題について、「(日本は)武力行使には反対である、また同時に、台湾独立も支持しないという原則に基づいている」との立場を鮮明に

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/91804?page=4

高市さん、自民党の答弁くらい勉強しとけよ…

Permalink |記事への反応(0) | 09:55

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2025-11-26

anond:20251126165407

1972年11月衆院予算委員会では、大平正芳外相が「中華人民共和国政府台湾との間の対立問題は、基本的には中国国内問題である」と言及

1997年12月衆院本会議では橋本龍太郎首相が「(日本は)台湾中華人民共和国領土の不可分の一部であるとの中華人民共和国政府立場を十分理解尊重する旨を表明いたしております。このような基本的立場は不変であり、いわゆる『二つの中国』、あるいは台湾独立を支持する考えはございません」と表明。日本は「一つの中国」を堅持すると強調

2005年3月の衆院安保委員会では、町村信孝外相中国による台湾統一問題について、「(日本は)武力行使には反対である、また同時に、台湾独立も支持しないという原則に基づいている」との立場を鮮明に

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/91804?page=4

高市さん、自民党の答弁くらい勉強しとけよ…

Permalink |記事への反応(1) | 16:58

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anond:20251126094704

1972年11月衆院予算委員会では、大平正芳外相が「中華人民共和国政府台湾との間の対立問題は、基本的には中国国内問題である」と言及

1997年12月衆院本会議では橋本龍太郎首相が「(日本は)台湾中華人民共和国領土の不可分の一部であるとの中華人民共和国政府立場を十分理解尊重する旨を表明いたしております。このような基本的立場は不変であり、いわゆる『二つの中国』、あるいは台湾独立を支持する考えはございません」と表明。日本は「一つの中国」を堅持すると強調

2005年3月の衆院安保委員会では、町村信孝外相中国による台湾統一問題について、「(日本は)武力行使には反対である、また同時に、台湾独立も支持しないという原則に基づいている」との立場を鮮明に

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/91804?page=4

高市さん、自民党の答弁くらい勉強しとけよ…

Permalink |記事への反応(1) | 09:50

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2025-11-24

朗報自民党歴代閣僚さん、答えを言ってしま

1972年11月衆院予算委員会では、大平正芳外相が「中華人民共和国政府台湾との間の対立問題は、基本的には中国国内問題である」と言及

1997年12月衆院本会議では橋本龍太郎首相が「(日本は)台湾中華人民共和国領土の不可分の一部であるとの中華人民共和国政府立場を十分理解尊重する旨を表明いたしております。このような基本的立場は不変であり、いわゆる『二つの中国』、あるいは台湾独立を支持する考えはございません」と表明。日本は「一つの中国」を堅持すると強調

2005年3月の衆院安保委員会では、町村信孝外相中国による台湾統一問題について、「(日本は)武力行使には反対である、また同時に、台湾独立も支持しないという原則に基づいている」との立場を鮮明に

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/91804?page=4

高市さん、自民党の答弁くらい勉強しとけよ…

anond:20251125094500

Permalink |記事への反応(0) | 20:15

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2025-11-19

anond:20251118214524

某社の創業1997年らしいから、もう年数的にも規模的にもベンチャーでもない大手上場企業なのにあんなことするんだな

大手上場企業ならもっと社員待遇倫理的になるべきだと思う

Permalink |記事への反応(0) | 00:25

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2025-11-12

anond:20251112220241

今までの質疑では「財政」というキーワードが多く出てきました

高市政権財政」というテーマについて語り合いましょう

まずはバブル崩壊後の日本財政金融政策史をまとめてください

またそれぞれの時代ごとにどのような言説が人気を集めましたか

いいテーマです。まずは「バブル崩壊後〜現在」までの日本財政金融政策の要約年表を、主要な転機ごとにサクッと整理します(一次情報中心に引用)。

1990年代バブル崩壊後〜金融危機

バブル崩壊資産価格が長期下落、企業バランスシート調整を優先し需要が冷え込みました。

政府景気対策補正予算を繰り返し、公共投資や減税で下支えする一方、1997年には消費税を3%→5%へ引き上げ、需要の腰折れも経験します。

金融面では不良債権問題が深刻化し、破綻公的資本注入・預金保護の枠組み整備が進展。

日本ビッグバン制度改革が進むも、デフレ圧力が定着。

日本銀行は金利を急速に引き下げ、1999年ゼロ金利政策を導入(2000年に一時解除)。

結果として、財政赤字と政府債務構造的に拡大し、物価は下方硬直、成長率は低迷という「需要不足+金融システム調整」の時代となりました。

流行った言説

景気対策公共事業派:「需要不足が本丸財政で埋めるべき」「不良債権処理と同時に需要の下支えを」

デフレ懸念ゼロ金利:「デフレが成長を蝕む」「金融は下限に張り付き、財政併用が不可避」

構造改革派(序章):「護送船団・規制撤廃金融ビッグバン必要」「過剰債務ゾンビ企業の整理を」

緊縮志向の反発も:「財政赤字が危ない、ムダな公共事業」—97年の消費税引き上げをめぐる賛否が分極化

円高デフレ観:「円高産業空洞化を招く」→為替を巡る政策論が過熱

2000年代(量的緩和試行世界金融危機

2001年日銀世界に先駆けて量的緩和当座預金残高目標国債買入れ拡大)を導入し、デフレ脱却と期待の転換を狙いました。

小泉政権下では歳出改革郵政民営化などの構造改革を進めつつ、景気悪化局面では補正を併用。

2006年デフレ改善を受け量的緩和をいったん終了し正常化へ動くも、2008年リーマン・ショック外需が急減、景気は再び悪化

政府雇用中小企業需要喚起のための追加歳出を重ね、日銀基金創設等で信用緩和を強化しました。

ただし期待インフレは上がりきらず、名目成長は弱含み。

金融政策ゼロ下限の制約に繰り返し直面し、財政景気循環危機対応拡張と引き締めを往復する不安定10年でした。

流行った言説

構造改革ブーム小泉竹中路線):「規制撤廃民営化競争促進」「痛みなくして成長なし」「郵政民営化改革本丸

量的緩和と期待の議論:「デフレ脱却にはマネリー拡大」「期待インフレを動かせ」

プライマリーバランス重視論:「財政規律回復を」「増税を含む中長期の再建計画

アジアの成長取り込み:「外需主導・輸出立国」「中国需要を逃すな」

リーマン後の反転:一転して「需要下支え」「雇用維持」「危機時は大胆な財政・信用補完」が支持を集める

2010年代アベノミクス、QQE、マイナス金利とYCC、消費税10%)

2013年アベノミクスの下で日銀は2%インフレ目標明確化し、量的・質的緩和(QQE)を実施

長期国債の大量買入れと平均残存の延伸で期待に働きかけ、円安・株高・雇用改善が進行。

一方、2014年消費税を5%→8%へ引き上げ、需要山谷や実質所得の目減りが課題化。

2016年にはマイナス金利(-0.1%)と同年のイールドカーブコントロール(長短金利操作)を導入し、10年金利を概ね0%に誘導

超緩和を持続可能にする枠組みが整う一方、物価目標に持続的到達せず、期待形成の難しさが露呈。

2019年には消費税10%(軽減税率併用)へ。

財政景気対策社会保障費の増勢のはざまで、持続性と成長投資の両立が焦点となりました。

流行った言説

リフレリフレーション派の台頭:「2%目標を明確に」「量・質で国債買入れ(黒田バズーカ)」「円安を通じた期待・投資喚起

三本の矢”言説:①大胆金融緩和 ②機動的財政成長戦略—「第3の矢(構造改革)こそ本丸」という合言葉

消費税論争の定番化:「社会保障財源 vs需要腰折れ」「景気回復まで増税先送りを」

デフレ・均衡から離脱:「賃上げ物価目標・期待形成」を巡る企業春闘連動の議論が注目に

副作用論:「長期緩和の金融仲介市場機能への影響」「格差資産価格バブル懸念」も同時に存在

2020年代コロナ危機物価高、超緩和からの“出口”へ)

2020〜21年はコロナ危機に対し、定額給付金雇用維持・資金繰り支援など未曽有規模の財政出動を実施

日銀企業金融支援資産買入れで超緩和を維持。

22年以降はエネルギー高・円安が重なり物価が2〜4%台へ上昇、政府電気・ガス・燃料への時限補助で家計負担平準化為替の急変時には円買い介入でボラ抑制を図りました。

2024年にはマイナス金利とYCCを事実上終了し、短期金利誘導回帰する「極めて緩やかな正常化」へ移行。

2025年補助金の段階的見直しと成長投資規制改革の両にらみが続く一方、債務水準の高止まりと金利上昇局面での利払い負担が中期の課題

物価賃上げ生産性財政規律をどう同時に達成するかが、政策デザインの核心になっています

流行った言説

危機時の大規模財政コンセンサス:「現金給付雇用維持・資金繰り支援必要悪ではなく必要条件」

MMT・反緊縮の再燃(議論として):「自国通貨建て債務は制約が違う」「完全雇用まで財政で下支え」—賛否が激しく対立

コストプッシュ・為替の再評価:「円安×資源高=輸入インフレ」「為替パススルー状態依存で強まる」

ターゲット支援の支持:「面の補助より、脆弱層・エネルギー多消費層へピンポイント

“新しい資本主義”や供給側強化:「賃上げ促進・人への投資半導体等の戦略産業支援」「GX/DXで潜在成長率を底上げ

出口・正常化言説:「マイナス金利・YCCの終了」「利上げのタイミング副作用」「利払い増と財政の持続可能性」—“どこまで・どの速さで”が焦点

価格介入・介入論:「電気・ガス・燃料の時限補助」「過度な為替変動には介入」—ただし“恒常化の副作用”も論戦に

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2025-11-10

こんなところに高市早苗

9211月2日、「あべ令子と21世紀に飛翔く大阪の集い」が、ホテルニューオータニ大阪鳳凰の間」で開かれた。会費2万円、参加者は約千人。

 司会は「阿部令子ちゃんとは古い古い付き合い」という安西愛子自民党参院議員、講演は武藤嘉文衆院議員自民党税制調査会会長)が立った。予定では渡辺美智雄副総理外務大臣が講演するはずだったが、臨時国会のため欠席し、ビデオで約5分間の挨拶が会場に流された。阿部政治評論家高市早苗挨拶に応え、「私もね、ミッチーさんのお妾や言われましたし、女性が出て行くのは大変なことなんです。誹謗中傷があっても、阿部令子は絶対やりますから」と意気軒昂だった。」

有田芳生『「神の国」の崩壊統一教会報道全記録』教育史料出版会1997年、279-280頁。

Permalink |記事への反応(0) | 23:42

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