
はてなキーワード:1983年とは
Dr.スランプ アラレちゃん
放送時期:1981年4月 -1986年2月 / 話数:全243話
放送時期:1997年11月 -1999年9月 / 話数:全74話
放送時期:1983年10月 -1986年3月 / 話数:全128話
放送時期:1994年10月 -1995年12月 / 話数:全47話
放送時期:2001年10月 -2002年10月 / 話数:全52話
放送時期:2018年4月 -2019年9月 / 話数:全52話
放送時期:1989年4月 -1996年1月 / 話数:全291話
放送時期:第1期2009年4月 -2011年3月 / 第2期2014年4月 -2015年6月 / 話数:全159話
ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第1作)
放送時期:1991年10月 -1992年9月 / 話数:全46話
ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第2作)
放送時期:2020年10月 -2022年10月 / 話数:全100話
放送時期:1996年1月 -1998年9月 / 話数:全94話
放送時期:第1期2023年7月 -12月 (全24話) / 第2期2024年10月 -2025年3月 (全23話)
放送時期:2000年4月 -2004年9月 / 話数:全224話
HUNTER×HUNTER(第1作)
放送時期:1999年10月 -2001年3月 / 話数:全62話
HUNTER×HUNTER(第2作)
放送時期:2011年10月 -2014年9月 / 話数:全148話
シャーマンキング(第1作)
放送時期:2001年7月 -2002年9月 / 話数:全64話
SHAMANKING(第2作)
放送時期:2021年4月 -2022年4月 / 話数:全52話
こうして見ると「さすがアニメがリメイクされる作品群!」というラインナップの中にありながら、封神演義が二度もアニメ化されていない()というのは悲しいものだ。
日本の事情ばかりでなく世界的な研究者の事情について見ていくと…
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa202201/20220708-mxt_kouhou02-f1-1-21.png
等を見ると2010年代以降はアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス辺りは女性研究者の割合の増加スピードはかなり減っている
日本などは今まで分かってるような知見を実践すれば女性研究者の割合は増えるかもしれないが
海外では今までに無いやり方をしないと殆ど女性研究者の割合が増えない国が出てきているという事だ
フィールズ賞は数学分野で特に秀でた40歳未満の研究者に与えられる賞で、4年に1回の国際会議で4人の数学者に与えられる
統計・応用数学・計算機科学・基礎論などは網羅出来てない賞ではあるが、
それ以外の大体の分野の動向はこの賞の受賞者を見れば分かる
2010年代以降の40歳未満の研究者というのは上で言えば女性研究者の増加スピードが落ちてきてからの研究者達である
Elon Lindenstrauss (1970年生まれ)イスラエル
Stanislav Smirnov (1970年生まれ)ロシア
Ngô Bảo Châu (1972年生まれ)フランス・ベトナム
Maryam Mirzakhani (1977年生まれ)イラン(女性初)
Artur Avila (1979年生まれ)ブラジル・フランス
Manjul Bhargava (1974年生まれ)カナダ・アメリカ
Martin Hairer (1975年生まれ)オーストリア
Caucher Birkar (1978年生まれ)イギリス・イラン
Alessio Figalli (1984年生まれ)イタリア
Akshay Venkatesh (1981年生まれ)オーストラリア
女性研究者が以前ほど増加しなくなったのに2010年代2020年代で16人が受賞した中で2人しか女性研究者がいない
このままではフィールズ賞を受賞する4人のうち2人が女性研究者の年があるかもしれんが
3人や4人が取る時代は来ない気がする(中国・韓国・日本も女性研究者の割合がアメリカを超える事は無さそうだし)
その前に男女という性別を到底適用出来ないような頭脳を改造したサイボーグが数学の研究者を占めるようになったり
要約
生成AIは創作の革命だからものすごい名作がつくられると思ったら
ゴミを量産するサークルばっかりになって某同人ストアの売上激減した
なぜ生成AIで「ゴミ」が量産され、ストアの売上が激減したのか?
生成AIはコストが非常に低く、「早く・大量に・それっぽいもの」が作れます。
結果、多くの作り手が「名作を作ること」よりも「売れるかもしれないものを大量に出す」という方向に傾いた。
ストアに並ぶのは、見た目だけは「完成された」ように見えるが、中身のない“お手軽”作品ばかり。
📌 例:KindleのAI小説、AI生成イラストをベースにしたマンガアプリ、スチームのAIゲーム群
→最初は「おぉ?」と注目されるが、消費者はすぐに気づく。「中身がない」と。
多くの人が「AIを使えば自動的に面白い作品ができる」と勘違いした。
でも実際は、AIは“補助ツール”でしかない。創造の本質(問い・視点・文脈)は人間にしか持てない。
📉 3. 量が質を潰すメカニズム
ストアやマーケットに粗悪な作品が氾濫すると、「名作」も埋もれて見つけられなくなる。
ユーザーが疲れて離れ、結果として売上全体が下がる。
✨【ではどうする?】
アタリショックとは?
粗悪なゲームソフトが氾濫して、消費者のゲーム離れを引き起こし、ゲーム業界全体に大崩壊が起こりました。
📉【アタリショックの主な原因】
・人気IPの粗製乱造(例:「E.T.」ゲームは完成まで5週間)
任天堂はアタリショックの反省を踏まえ、次のような厳格な制約と制度を導入しました
その力が「ゴミ量産」に転じないためには、ファミコンが示したような「品質管理」「市場統制」「倫理的配慮」を重視する仕組みが不可欠です。
単なる技術の進歩だけでなく、それを取り巻くエコシステム全体のルールメイキングが、次の「名作」を生み出す鍵となるでしょう。
ヘッケラー&コッホMP5は、現代軍事史において最も影響力があり成功したサブマシンガンの一つとして、優れた工学技術を通じて近接戦闘に革命をもたらし、精度、信頼性、戦術的汎用性の新たな基準を確立しました。1964年の開発から現在まで継続的に製造され、40カ国以上で採用されており、近年より新しい代替品が登場しているにも関わらず、世界中のエリート部隊で現在も活発に運用されています。
MP5の卓越した性能は、クローズドボルトから作動する革新的なローラー遅延式ブローバックシステムに由来し、同時代のオープンボルト設計と比較して優れた精度を実現しています。標準的な9×19mmパラベラム弾薬を使用した際の銃口初速は1,200-1,400fps、連射速度は毎分800発で、25-100メートルの交戦距離で最適な性能を発揮し、最大有効射程は150-200メートルまで延びます。
武器の8.85インチのコールドハンマー鍛造銃身は、6条の右旋ライフリングを持ち、フリーフローティング設計と16溝チャンバーシステムにより卓越した精度を提供します。標準型の重量は無装弾時6.66ポンド、全長は27.9インチ(MP5A2固定ストック構成)です。精密製造されたローラー機構は最適な機能のために特定の弾薬パラメータを要求し、このシステムは多様な環境条件下で驚くべき信頼性を実証しています。
技術仕様には、9mm弾薬用に最適化された1:10インチのツイストレート、クロームフォロワー付きカーブドスチールマガジン(1977年以降の改良)、セミオート、フルオート、3点バーストオプションを含む複数のトリガーグループ構成が含まれます。サプレッサー付きMP5SD型は、通気孔付き5.7インチバレルシステムにより銃口初速を1,115fps以下に意図的に低下させ、信頼性を損なうことなく効果的な消音を可能にしています。
開発は1964年にHK54の社内名称で始まり、ティロ・メラーとマンフレート・グーリングを含む技術者チームが主導しました。ドイツ連邦警察は1966年にこの武器を採用し、最初はMP64と命名されその後MP5となりました。この設計は、G3ライフルのローラー遅延システムをピストル口径の作動に適応させることで根本的な突破口を表し、広く採用された最初のクローズドボルトサブマシンガンを創造しました。
MP5ファミリーは、実質的にあらゆる戦術要求に対応する100以上の異なるバリエーションに進化しました。Aシリーズには、MP5A2(固定ストック)、MP5A3(伸縮ストック)、バーストファイア型のMP5A4/A5が含まれます。MP5SDシリーズは、異なるストック構成を持つ6つのバリエーションで一体型サプレッサーの先駆けとなりました。コンパクトMP5Kシリーズは近接警護要求に対応し、MP5-Nのような特殊バージョンは、トリチウムサイトとサプレッサー機能を持つ米海軍シールズ向けに開発されました。
重要な進化のマイルストーンには、1977年の直線型から湾曲型マガジンへの移行、1978年の「トロピカル」ポリマーハンドガードの導入、アクセサリー用クローマウントレールシステムの開発が含まれます。ライセンス生産は世界的に拡大し、ギリシャ、イラン、メキシコ、パキスタン、サウジアラビア、スーダン、トルコ、英国に製造施設が設立され、世界中で数十万丁の武器が生産されました。
MP5は1980年のイラン大使館人質事件(ニムロッド作戦)で伝説的地位を獲得しました。英国SAS隊員が数百万人が視聴するテレビ生中継でその有効性を実証しました。この作戦により、MP5は専門的なドイツの武器から対テロ部隊の世界標準に変貌しました。
世界中のエリート軍事部隊が近接戦闘の主要武器としてMP5を採用しました。これには米海軍シールズ、デルタフォース、英国SAS、ドイツGSG-9、フランスGIGN、スペインGEOが含まれます。この武器の最初の主要作戦成功は1977年のフォイアーツァウバー作戦で、GSG-9隊員がモガディシュでハイジャックされたルフトハンザ航空181便から87人の人質を救出する際にMP5を使用しました。
米特殊作戦部隊はアージェント・フューリー作戦(グレナダ、1983年)、ジャスト・コーズ作戦(パナマ、1989年)、不朽の自由作戦(アフガニスタン)でMP5を広範囲に展開しました。この武器は海上作戦、航空機強襲、精度とコンパクトさが重要な都市戦闘で特に価値があることが証明されました。
法執行機関での採用も同様に広範囲で、米FBI地域SWAT チームの61%が2022年時点でもMP5の使用を承認しています。この武器は空港警備、外交官保護、VIP警護チームの標準装備となり、世界中で推定20万丁以上のバリエーションが現在も現役で使用されています。
MP5の革新的なクローズドボルト作動は、オープンボルト設計で一般的な精度低下を排除し、人質状況で重要な優れた初弾精度を提供しました。ローラー遅延システムは、ストレートブローバック競合製品と比較して体感反動を大幅に軽減し、フルオート射撃でも迅速で正確な追撃射撃を可能にしました。
製造には、ヘッケラー&コッホが先駆けたコールドハンマー鍛造プロセスが採用され、卓越した精度と耐久性を持つバレルを製造しました。モジュラー設計思想により、互換性のあるトリガーグループ、ストックシステム、バレル構成による広範囲なカスタマイゼーションが可能でした。品質管理基準は軍用仕様を超え、各部品は厳密な公差で精密加工されました。
武器のサプレッサー互換性は決定的特徴となり、MP5SDの一体型サプレッサーシステムは秘密作戦の基準を設定しました。設計には、迅速なサプレッサー装着のための専用3ラグアタッチメントと従来型サプレッサー用のネジ付きバレルを含む複数の取り付けシステムが組み込まれました。
注目すべき戦闘配備は数十年にわたる紛争と作戦に及びます。ジャスト・コーズ作戦中、海軍シールズはパイティージャ空港襲撃でMP5を使用し、特殊作戦部隊はパナマシティ全域の都市作戦で使用しました。密閉空間での武器の効果は、船舶強制乗船、建物掃討、車両阻止で非常に価値がありました。
対テロ作戦はMP5の精密能力を披露しました。GSG-9の1993年デュッセルドルフでのKLMハイジャック解決と複数の成功した人質救出作戦は、極度の圧力下での武器の信頼性を実証しました。傍観者へのリスクを最小化しながら脅威に正確に交戦する能力が、MP5の決定的な作戦上の利点となりました。
国際展開には、イラクとアフガニスタンでの連合特殊部隊による広範囲な使用が含まれましたが、部隊が一般戦闘作戦でライフル口径武器に移行する中、主に専門的役割での使用でした。MP5は個人保護、都市偵察、最大限の慎重さを要求する作戦で好まれ続けました。
MP5の成功は、同時代のサブマシンガンの根本的制限に対処した優れた工学技術に由来しました。UZIのオープンボルトシステムと比較して、MP5は劇的に優れた精度と制御性を提供しました。MAC-10の極端な毎分1,090発の連射速度に対して、MP5の毎分800発の速度は管理可能なフルオート射撃を提供しました。スターリングのより単純な構造は、MP5の精密工学技術とモジュラー能力に匹敵できませんでした。
市場への影響は変革的でした。1980年以前、UZIは約80%の市場シェアで世界のサブマシンガン市場を支配していました。イラン大使館人質事件は市場認識を転換し、MP5を専門的用途の「ゴールドスタンダード」として確立しました。武器のエリート部隊との関連は前例のない需要を創出し、競合製品の2-3倍の高価格にも関わらず、MP5はプレミアム価格を要求しました。
MP5の設計思想は武器開発の全世代に影響を与え、精密サブマシンガンの標準としてクローズドボルト作動を確立し、後続メーカーが採用したモジュラー設計概念の先駆けとなりました。
50年以上経過しているにも関わらず、MP5は近代化プログラムと共に製造が続いています。ヘッケラー&コッホは輸出と近代化契約向けに限定生産を継続し、トルコとギリシャのライセンス製造業者は活発な生産ラインを維持しています。米国の民間クローン市場は爆発的に拡大し、PTRインダストリーズ、ゼニス・ファイアアームズ、センチュリー・アームズなどの製造業者がセミオート型を生産しています。
現代バリエーションには、アップグレードされたストック、HKeyレールシステム、STANAG 4694光学機器互換性を特徴とするMP5 MLI(ミッドライフ改良)が含まれます。現在の軍事調達は専門的役割に焦点を当て、MP5は2022年時点で海外任務における海軍シールズの第3位使用武器にランクされています。
しかし、戦術環境は大幅に進化しました。ほとんどの軍事部隊は、優れた射程と装甲貫通能力を提供するM4カービンと短銃身ライフルに移行しています。現代紛争におけるボディアーマーの普及と延長された交戦距離は、一般戦闘用途での9mm弾薬の効果を低下させました。
MP5の将来は専門的ニッチにあります:VIP保護、海上作戦、秘密作戦、密閉空間で最大限の慎重さと精度を要求する状況。確立された訓練インフラ、豊富な部品供給、専門的役割での実証された効果により、MP5プラットフォームは少なくとも今後10年は実用性を維持する可能性が高いですが、一般戦術使用ではなく、ますます特定の用途での使用となるでしょう。
MP5サブマシンガンは小火器開発における重要な成果を表し、現代武器設計に影響を与え続ける精度、信頼性、戦術的汎用性の新基準を確立しました。その革新的ローラー遅延ブローバックシステムとクローズドボルト作動は、サブマシンガンの能力を変革し、以前はより低精度な武器に限定されていた役割で精密交戦を可能にしました。
40カ国以上での採用から対テロ作戦での伝説的地位まで、MP5は優れた工学技術と戦略的市場ポジショニングにより前例のない成功を収めました。現代の戦術要求がより長射程のライフル口径武器にシフトしているものの、MP5のコンパクトさ、精度、サプレッサー特性の独特な組み合わせは、専門的用途での継続的関連性を保証します。
武器の永続的遺産は、技術仕様を超えて、現代特殊作戦と法執行において確立を支援した戦術ドクトリン、訓練方法論、作戦概念にまで及びます。技術的成果と文化的アイコンの両方として、MP5は現代の最も重要な火器の一つであり続け、その影響は現代武器開発と戦術用途の形成を続けています。
現行のイラン・イスラーム共和国は1979年のイラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族は人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政・王政が続いてきた。
19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識が興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国系石油メジャーが管理していたアバダン油田の国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。
これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国の後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イラン・ナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者を蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプトに出国した(*4)タイミングでルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会を組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。
革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法・行政・司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派(十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教が国民統合の重要な理念となっている以上、統治理論としては一定の正統性・合理性が認められるべきだろう(*7)。
これにより、イランの大統領選や国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者が選挙戦を展開する。一定の範囲内で民意が反映される制度と言える。
イランの大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国がイスラエルの意向を重視しすぎており、イランが改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的と批判されるべきだろう。
イスラエル(*9)、というかベンヤミン・ネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイランを民主化する」と主張している。だが、そもそもイランは民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的な体制となっていることは、ここまで説明した通りである。
「スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアとインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育や軍事技術を進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。
仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエルに従順な政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である。
それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派の信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者の意向を無視した政権運営は不可能だろう。
また、現在のイランの指導者である革命第1世代は、イラン・イラク戦争で前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラームの教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。
付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教者攻撃(自爆テロ)も元々はシーア派に特有の戦術(*13)だった。仮に米国の傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラクで殉教者攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開すると予想される。
イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を促していく他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。
2:高校世界史の範囲ではタバコ・ボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。
3:英米と対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身は王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ、現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である。
4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイランに帰国できなくなり、実質的な亡命生活が始まる。途中で米国に滞在していた際、イランの大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国に要求し、これが「テヘラン米大使館占拠事件」に繋がる。
5:宗教指導者(ウラマー)といっても、イスラームの場合はファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要な職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須の要件となる。日本の教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラー(アヤトラ)と呼ばれ(スンナ派のムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。
6:第4代カリフ、アリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導者であると奉ずる。特徴的なのは、アリーや第3代イマーム、フサインの生涯から、殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラーの儀式が行われている。また、第12代イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。
7:中華人民共和国では共産党のトップが国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解しやすいのではないか。
8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係が改善せず、2005年の大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。
9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝の建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史に断罪されるべきであることは間違いない。
10:特に高速度ミサイルの制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。
11:パフラヴィー朝の元皇太子が米国に在住しているものの、米国とイランは断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝のイメージが非常に悪いため、新体制の指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。
12:パレスチナでは、2006年の評議会選挙でハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかしイランの人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。
13:1983年にベイルートで米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国がレバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナの住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動の指導者がレバノンに追放されていた際にヒズブッラー(シーア派)と接触して戦術を学び、殉教者攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダ(スンナ派)も戦術として採用することになる。
現行のイラン・イスラーム共和国は1979年のイラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族は人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政・王政が続いてきた。
19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識が興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国系石油メジャーが管理していたアバダン油田の国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。
これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国の後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イラン・ナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者を蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプトに出国した(*4)タイミングでルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会を組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。
革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法・行政・司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派(十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教が国民統合の重要な理念となっている以上、統治理論としては一定の正統性・合理性が認められるべきだろう(*7)。
これにより、イランの大統領選や国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者が選挙戦を展開する。一定の範囲内で民意が反映される制度と言える。
イランの大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国がイスラエルの意向を重視しすぎており、イランが改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的と批判されるべきだろう。
イスラエル(*9)、というかベンヤミン・ネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイランを民主化する」と主張している。だが、そもそもイランは民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的な体制となっていることは、ここまで説明した通りである。
「スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアとインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育や軍事技術を進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。
仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエルに従順な政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である。
それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派の信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者の意向を無視した政権運営は不可能だろう。
また、現在のイランの指導者である革命第1世代は、イラン・イラク戦争で前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラームの教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。
付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教者攻撃(自爆テロ)も元々はシーア派に特有の戦術(*13)だった。仮に米国の傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラクで殉教者攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開するだろう。
イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を目指す他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。
2:高校世界史の範囲ではタバコ・ボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。
3:英米と対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身は王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ、現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である。
4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイランに帰国できなくなり、実質的な亡命生活が始まる。途中で米国に滞在していた際、イランの大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国に要求し、これが「テヘラン米大使館占拠事件」に繋がる。
5:宗教指導者(ウラマー)といっても、イスラームの場合はファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要な職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須の要件となる。日本の教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラー(アヤトラ)と呼ばれ(スンナ派のムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。
6:第4代カリフ、アリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導者であると奉ずる。特徴的なのは、アリーや第3代イマーム、フサインの生涯から、殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラーの儀式が行われている。また、第12代イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。
7:中華人民共和国では共産党のトップが国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解しやすいのではないか。
8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係が改善せず、2005年の大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。
9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝の建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史に断罪されるべきであることは間違いない。
10:特に高速度ミサイルの制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。
11:パフラヴィー朝の元皇太子が米国に在住しているものの、米国とイランは断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝のイメージが非常に悪いため、新体制の指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。
12:パレスチナでは、2006年の評議会選挙でハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかしイランの人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。
13:1983年にベイルートで米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国がレバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナの住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動の指導者がレバノンに追放されていた際にヒズブッラー(シーア派)と接触して戦術を学び、殉教者攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダ(スンナ派)も戦術として採用することになる。
Permalink |記事への反応(16) | 15:43
「おじさん」という属性にはなんの魅力もなく
「芸能人や有名人やハイスペなど選ばれたアルファオスと結婚したいが、若い初婚男性は競争率が熾烈で売り切れてるから、同じ条件のおっさんを選ぶ女も稀に存在する(ほぼバツありか既婚男性との不倫略奪婚)」ということ
女に選ばれる為の関係性構築を拒否する発達障害男性は、金や顔など特定の魔法のアイテム一つで他のハンデを無にして女を自由にできると妄想する
現実は初婚中央値は男28歳女27歳と、男は地位や金を得る前に結婚、初婚男性と相手の平均年齢差は1歳
芸能界が例外なのは、芸能界の女は芸能界で働く男以外は目に入らないから年上も射程範囲に入りやすいだけも
だから一般人の金持ちのおっさんを選ばず金のない落ち目や無名の芸能人や業界人と結婚する
あと金があるのに木嶋佳苗や上田美由紀やりりちゃんや小室母などデブ無職不美人おばに大金貢ぐ男の存在を認められない
男性が未婚のまま40歳を超えると95%結婚は難しくなる。残りの5%もすでに30代のうちに結婚相手を見つけている場合に限られる
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/364a7cf7679f9c7ad36fc6a9af085d369df284e6
【身長】174cm
【特技】英語(米ネイティブ、通訳、翻訳)、時代殺陣、現代アクション、狂言、ステージムーブメント
【趣味】日本舞踊、新家浄瑠璃、ダンス(ジャズ、ヒップポップ)、太極拳、楽器(ピアノ、ギター、ベース、クラリネット)、ムーブメント
【レッスン歴】
・新内浄瑠璃…鶴賀若狭掾(人間国宝)に師事(2005~2007年)
・狂言…大蔵流茂山家松本薫に師事(2005~2007年)、茂山千三郎(2007~2009年)、茂山あきらに師事(2023年~)
早泣き天才の元子役“はるかぜちゃん”春名風花が結婚 お相手は岩崎MARK雄大「大笑いできる家庭を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/05bd349c3a092c23b8dfb855177f4fb3640554e6
つまりこういうことです。
僕らの頃はインターネットもなく、サブスクもなかったので、『エヴァ』からオタクになった若い世代は、『ガンダム』『イデオン』や、『王立』『トップ』といった文脈の中で作品を見る、ということが今よりずっと困難だった。—前島賢(大樹連司):文学フリマ新刊委託中 (@MAEZIMAS)June 14, 2025
マジレスすると、エヴァ放送当時、たとえばテレビのガンダムシリーズはまだビデオ化されていませんので、レンタルビデオ店があっても見れません。https://t.co/59heghKrGn—前島賢(大樹連司):文学フリマ新刊委託中 (@MAEZIMAS)June 14, 2025
こういうことって、若い世代に受け継がれないし当時を生きた人間でも「どうだったっけ?」となったり偽の記憶に上書きされたりするよな〜。仮面ライダーシリーズみたいな超メジャー作品でも、ある時期までレンタル店に置いてあるVHS、名エピソードの抜粋だったので全話視聴はかなり難しかった、とか。https://t.co/uc7OcrMISQ— 四海鏡a.k.a. ホンナタカヒロ (@shikaikilyou)June 14, 2025
Xで話題になってたこの話題(これ自体はシロクマ先生のデータベース消費論がツッコミを食らってることから派生した話題だったんだけど、そこは関係ないから省く)、これマジでそうなんだよ。
いまでこそSNSを開くと毎日毎日毎日毎日毎日毎日ガンダムの話をしている人たちがいるが、ある時期までは1stガンダムって「昔のアニメ」だったんだ。これは現在では忘れられがちな視点だ。要は仮面ライダーにおける初代と同じような扱い。前島賢は1982年生まれらしいけれど、増田は1983年生まれなので、だいたい同年代だ。幼少期はSDガンダムが最盛期であり、増田もまたSDから入ってリアルガンダムを見るようになり、さらに遅れて90年代終盤にようやく1stガンダムをちゃんと見た。
その流れがどこで変わったか(1stガンダムが“蘇った”か)というのはいくつかあって、やはり「ガンプラ」と「ゲーム」が大きかったと思う。あと他にも「エヴァブーム」(正確にはエヴァブームのあとのメディアにおける1stガンダムの扱い)、「ガンダム20周年」、「ガンダムエース」、「ネット世論」とかもあるんだけど。
ガンプラは現在でこそ1/144でも1/100でもRX-78がいくつもリリースされて、「もういいよ!他の機体出してよ!」と言いたくなるくらいだが、90年代はそうではなかった。90年前後はリアルガンダムの売上はSDガンダムの半分以下だった(https://torja.ca/entame-zanmai1711/ )。ガンプラの新作ラインナップは現行の新作シリーズとSDガンダムで占められており、昔のアニメである1stガンダムの機体が商品化されるのは異例だった。HG(いわゆる旧HG。カトキハジメがイラスト描いてるやつ)でRX-78などがリリースされたことはあったが、再評価の起爆剤となったのは1995年発売のMGだ。今の技術で真剣にガンプラを作ったらどうなるかというコンセプトで制作されたMGは、高価格帯(今から考えると安い)ではあったものの、ガンプラブーム世代を再びガンプラに引き寄せて商業的成功をおさめた。1999年には1/144のHGUCシリーズも始まった。ちょうど2000年前後の数年間は現行作品キットのリリースが数的にも落ち着いていた時期であり、代わりに頻繁にリリースされるMGとHGUCの新作キットがガンプラの主力となっていた。昔の作品と近年の作品と現行の作品のキットが同じカタログに並ぶようになった。ガンプラのGジェネ化というかMS大全集化というか、そのように呼べるような傾向が進んだ。
そして、ゲーム。これが大きい。米津玄師もガンダムに触れたのはGジェネFからだと語っていたが、90年代においてコンシューマーゲームの存在感は無視できるものではない。
やはりゲームにおいても90年代前半にリリースされていたガンダムゲームの多くはSDガンダムと現行シリーズだった。しかし32ビットゲーム機の登場から流れが変わる。ボイスやアニメが再生できるプレイステーションやセガサターンでは、過去作を扱ったタイトルが頻繁にリリースされるようになっていく。昔のアニメは見たことがないけれどゲームを通して過去作を履修する世代が生まれる。三国志のゲームで武将を覚えたり、ウイイレで欧州のサッカー選手を覚えるのと同じだ。アニメは見たことがないのに何度も何度もドズルの名台詞を聞き、リアルタイム世代でもロクに名前を覚えていないようなフライマンタやTINコッドを覚える。
増田はプレイステーション発売直前のプロモーションビデオで、開発中の「機動戦士ガンダム」の映像を見て、「えっ、初代ガンダムのゲーム出るの!しかもポリゴン!まるで本物!」といたく感動した記憶があるのだが、今見ると (https://youtu.be/Ajsls4wsaOI?si=t74InA4f8-UfdSYb&t=907 )なんとも言えない映像だな、、、
あとガンダム20周年ね。それに合わせて関連商品、関連ムックが数多く企画された。絶版状態だった「ガンダムセンチュリー」も復刻された。この時期になると1stはすっかり“蘇った”と言えるんじゃないかな。そのあとは新作グッズに最新作(SEEDなど)と1stが同格で選ばれることも珍しくなくなる。
ところで件のポストには「再放送があった」という意見がいくつか寄せられているけど、少なくとも90年代の関西では1994年ごろにMBS深夜にやっていたのしか記憶にないよ。1stTV版が再放送されまくっていてそれを浴びれたのって団塊ジュニアじゃないかな。
Permalink |記事への反応(17) | 00:24
ドナルドソン理論は、反自己双対ヤン=ミルズ方程式(ASDYM方程式)のモジュライ空間を用いて、4次元多様体を扱う理論。方程式には、4次元多様体上のコンパクトなゲージ群 G を持つ主束が必要。
手法はドナルドソンにちなんで名付けられたもので、最初に1983年(単連結な G を仮定)および1987年(その仮定なし)に用いられ、ドナルドソンの定理の証明に使われた。
その後、ドナルドソン理論はセイバーグ=ウィッテン理論によって発展的に置き換えられた。ドナルドソン不変量はセイバーグ=ウィッテン不変量と比べてしばしば弱い結果しか与えず、モジュライ空間に対して追加のコンパクト化を必要とすることも多いため。それでも、ウィッテン予想やアティヤ=フルーア予想を含む、ドナルドソン理論における未解決問題は存在している。
ドナルドソン理論の位相的FQFT(有限次元量子場理論)形式は、シンプレクティック多様体とそれらの間のラグランジアン対応からなる適切なシンプレクティック圏からの関手として定式化されると考えられている。この関手は、シンプレクティック多様体をそのフカヤ圏へと対応させる。
| 選手名 | ドラフト順位 | ポジション | キャリアハイライト | 成功/失敗の原因 | 解説 |
| ラルフ・サンプソン | 1983年 1位 | C/F | 新人王、4度のオールスター、1986年NBAファイナル進出 | ケガ・時代とのミスマッチ | 史上最高のプロスペクトと評されたが、膝の故障と時代背景で本来の才能を発揮しきれなかった。 |
| ビル・ウォルトン | 1974年 1位 | C | MVP、ファイナルMVP、2度のNBA優勝 | ケガ | 健康なら歴代最高クラスのセンターと評されたが、足の慢性故障で全盛期が短命に終わった。 |
| ペニー・ハーダウェイ | 1993年 3位 | G | オールNBA1stチーム、オールスター複数回 | ケガ | オーランドでスターとなるも膝の大ケガで急失速。 |
| グラント・ヒル | 1994年 3位 | F | 7度のオールスター、オールNBA1stチーム、殿堂入り | ケガ | デトロイト時代はジョーダンの後継と期待されたが、足首の故障でピークを失った。 |
| ブランドン・ロイ | 2006年 6位 | G | 3度のオールスター、ルーキー・オブ・ザ・イヤー | ケガ | 膝の慢性故障で5シーズンほどで引退。短期間だが高い実績。 |
| グレッグ・オデン | 2007年 1位 | C | ルーキー時代に好成績も、NBA通算105試合のみ | ケガ | サンプソン同様、膝の故障でほとんどプレーできず「ifonly」の象徴。 |
| ニコラ・ヨキッチ | 2014年 41位 | C | 2度のMVP、NBA優勝、ファイナルMVP、オールスター複数回 | 努力・適応・スキル | 下位指名から現代最高のセンターへ。「下馬評を覆した」代表例。 |
| ヤニス・アデトクンボ | 2013年 15位 | F | 2度のMVP、NBA優勝、ファイナルMVP、オールスター複数回 | 成長・努力・身体能力 | 素材型から世界的スーパースターへ。下馬評を大きく覆した。 |
| カワイ・レナード | 2011年 15位 | F | 2度のファイナルMVP、2度のNBA優勝、オールスター複数回 | 成長・守備→攻撃両面の進化 | 守備専門と見られたが、攻守両面で大成。下馬評を覆した例。 |
| ジョン・ストックトン | 1984年 16位 | PG | 通算アシスト・スティール歴代1位、10度のオールスター | 適応・堅実な成長 | 中堅校出身で評価は高くなかったが、歴代最高PGの一人へ。 |
失敗例:サンプソン、ウォルトン、ハーダウェイ、ヒル、ロイ、オデンなどは、ドラフト時の期待値が非常に高かったものの、主にケガでキャリアが短縮・停滞しました。特にビッグマンは身体への負担が大きく、ケガが致命的になりやすい傾向があります。
成功例:ヨキッチ、ヤニス、カワイ、ストックトンなどは、ドラフト時の評価が高くなかったものの、努力や成長、環境適応力で大きく飛躍し、NBAの歴史に名を残す存在となりました。
【余談】
黒い三連星やジェット・ストリーム・アタックは多くの作品に影響を及ぼし、同じガンダムシリーズでもドムトルーパーやトライスター、ファントム3など、黒い三連星を意識したチームが登場している。
また、1983年に放送された富野由悠季監督によるアニメ『聖戦士ダンバイン』にはガイア似のガラミティ・マンガン、マッシュ似のニェット、オルテガ似のダーによる「赤い三騎士」と呼ばれる黒い三連星のセルフパロディキャラが登場している。
「トリプラー」というジェット・ストリーム・アタック風の連携攻撃を得意とし、元ネタ同様に踏み台にされた。
これ以外にも多数の作品、果ては特撮でもジェット・ストリーム・アタックを彷彿とさせる攻撃を行う敵も現れた。
近年のネットでは「ガイア!マッシュ!オルテガ! 奴にジェット・ストリーム・アタックをかけるぞ!!」と謎の4人目が発言しているような使い方をされ、「お前誰だよ」と突っ込まれるパロディネタも存在する。
真面目な話、もしこの1人がジェット・ストリーム・アタックに加わっていたらガンダムがマッシュのドムにサーベルを刺した時に一撃食らわせられてアムロを倒せたかもしれない。
いとこ婚(いとここん、英:cousincest)は、いとこ同士の結婚のこと。
いとこ婚の扱いは国家や民族、文化圏、地域社会によって異なり、いとこ婚を近親婚の一種と見なして忌避したり法律で禁じる場合も、法的に認められ一般的に行われている場合もある
日本では、4親等以上離れていれば直系でない限り親族同士の結婚も認められているため、いとこ婚が可能である[3]。古いデータではあるが、後藤源太郎の著書『近親結婚と母系制』に世界各地におけるいとこ婚の比率が記載されており、1931年(昭和6年)の東京市で4.0%、1949年(昭和24年)の長崎市で5.24%となっていた[4]。1914年 -1919年のフランスで0.97%、1925年 -1939年のイングランドで0.40%、1925年 -1950年のアメリカ合衆国のボルチモアで0.05%となっており、欧米に比べれば高い[4]。ただし、1955年 -1957年のイスラエル全土で5.22%と、当時の他の地域と比べて、日本在住の人々のいとこ婚の比率が突出しているわけではない[4]。なお、今日の日本では過去に比べいとこ婚の比率が減少したとされ、調査でいとこ婚の比率は全ての婚姻のうち1.6%だったという1983年の報告がある[5][6]。
イスラーム文化圏では地域によって異なるが、サウジアラビアなどではいとこ同士の見合い婚が多い。血縁が濃いことを良しとする文化があること、女性が顔を隠す服装をしているため男性にとって恋愛対象になり得るのが顔を知っている従姉妹に限定されてしまうことといった事情がある。また、預言者ムハンマドの第7夫人ザイナブがムハンマドの従姉妹であることも、いとこ婚が推奨される背景になっている。クルアーン(コーラン)に記述された、婚姻が禁じられた近親者の一覧[7]の中には、いとこは書かれていない。父方いとこ同士の結婚(ビント・アンム婚)は好ましいものとされており、特別な理由がない限り、女性が父方の従兄弟に当たる男性からの求婚を断ることができない、という慣習を持った地域も存在する[8]。
ヨーロッパの王族、貴族の間では、いとこ婚が頻繁に行われている(関連項目の例を参照)。しかし本来は教会法に反する近親婚に当たるとされており、カトリックの場合には教会から特別に赦免をもらい、逆に離婚時にはこれを理由に用いて結婚を無効にする、といったことが行われていた。
主な法制
→「近親婚」も参照
国にもよるが、いとこ婚(cousinmarriage)は近親婚を意味し、その制限は近親度数に基づいて行われている。現在の近親度数の計算方法は、同じ祖父母を持つ子孫は近親度1度(いとこかその父母、firstcousin)、同じ曽祖父母を持つ子孫は2度(はとこ、その父母・祖父母、secondcousin)、同じ高祖父を持つ子孫は3度(thirdcousin)などとされている。
中世前期のヨーロッパはローマ帝国後期の慣習を引き継ぎ、カノン法に基づいて近親間の結婚を禁じていたが、次第に貴族氏族の近親関係が増えてゆき、最終的には限られた活動範囲で伴侶になる見込みのある相手を見つけることが容易でなくなった。例外的な婚姻(特免の結婚)やその婚姻による子を教会の保護対象とすることを認可されるには教会に莫大な支払いをする必要があり、その金額も次第に増加していった [11]。
1215年、第4ラテラン公会議は7度以内だった近親婚の禁止の度数を4度以内(6 - 16親等以内)へと下げ[12][13]、度数計算方法も改定した[14]。それまでの計算方法は、同じ祖先に行き着くまでの人数にそこから婚約相手までの人数を加える方式だったが、新法では単に同じ祖先に行き着くまでの数となった[14]。
1215年以降は、特免を受けずとも4度までは婚姻可能という習慣が一般的に普及し、近親婚の全体的な経費は下がった[15]。
19世紀になり女性の社会的な活動性が高まると、教会法に基づく規則は次第に廃れ、19世紀にはハンガリー、スペインでは特免は政府によって行われるようになった[16]。
1875年のチャールズ・ダーウィン(1809年 -1882年)の試算によれば、イングランドでは1度の近親婚の割合は全体で3.5%、中流階級では4.5%だった。貴族階級の中では1819年生まれのヴィクトリア女王とアルバート王配との婚姻が傑出した例外となっているが[17][18]、20世紀にはいとこ婚の割合は1%にまで下がった[19]。
スコットランドの精神科医で学会副委員長のアーサー・ミッチェル(英語版)(1826年 -1909年)は論文で、近親婚の子孫への悪影響に関するダーウィンやアラン・ハス(Alan Huth)の結論の大きな矛盾を指摘し、血縁の悪影響は適切な住環境によって部分的に解決ができるという仮説を立てたが[20][21]、実際にはそのデータは仮説を証明しうるものではなかった[22][23]。
2002年には『タイム』誌が、男女人口差による男性の結婚難によりいとこ婚が増加していることを報じた[24] 。
アメリカでは、いとことの結婚は25の州で禁止されている。また、別の6州では特殊事情の下でのみいとことの結婚が許可されており、例えばユタ州は双方の配偶者が年齢65歳以上もしくは年齢55歳以上で性的不能に関する証拠を持つ場合に限定して可能となっている。残る19の州およびコロンビア特別区では2008年現在、いとこ婚は制限無しで許可されている。
インドは多宗教国家であり、結婚する者の宗教により法律が異なる。異宗婚の場合に用いられる婚姻法ではいとこ婚を原則禁止としている。同宗婚の場合は各宗教の宗教法に従うため、イスラームなどではいとこ婚が可能である。
東・東南アジア
韓国は1997年まで3度以内の近親同士(高祖父母が同じ近親)の婚姻と、同姓同本(同じ苗字で、同じ本貫を持つ同士)間の婚姻を禁じていた[25]。今日でも民法により近親婚は無効や取り消しになりえるが、その婚姻中に妊娠した場合などについては例外を置いている。
台湾、北朝鮮、フィリピンはいとこ同士(1度の近親)の婚姻を禁じている[26]。
日本では上述の通り、近年は割合は下がっているものの、法的にはいとこ婚は認められている。
中国はかつて農業地域ではいとこ婚も行われていたが、1981年の婚姻法で禁止された[3][27][28]。中国婚姻法(英語版)は男女が直系の近親にあるときと、傍系の近親であり近親度が3度以内のときの婚姻を禁じている[29]。
氷河期世代が20代で子供を授かった場合、この世代になるのが現在のZ世代だ。
今回は、Z世代が氷河期世代について感じていることについて書いていこうと思う。
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氷河期世代は、団塊ジュニアである第二次ベビーブームと時期がばっちり被っている世代でもある。
子どもが沢山産まれたということだから、幼少期には子供たち向けのゲームやアニメ、ドラマなどの娯楽の恩恵を受けまくっている世代とも推測される。
ゲーム分野では1983年にファミコン発売、ファミコンを友人と一緒に遊んでいるだろうし、アニメ分野では現在でも熱い支持を受けている書ききれないほどの有名アニメをリアルタイムで見ているであろう。
そしてドラマでは、トレンディドラマを幼少期の頃から見ており、トレンディドラマからむんむんと香ってくるバブリー感を浴びながら育ってきているといえる。
(Z世代の私がトレンディドラマを見ると、「こんなに使わん服の布いらんやろ」「なんでOLなのに都内でばかでかルーム借りられてるん?」とついツッコミを入れたくなってしまう内容だが…。)
ゲーム分野、アニメ分野、ドラマ分野などと幼少期のうちから娯楽を享受し、かつ上の世代はバブル世代ときた。
バブル世代から聞く就職体験談なんて、「テニスしてたら内定決まってたわ~www」みたいな、申し訳ないけどなめ腐ってるとしか思えないような内容だと思われるため、
風が耳元で唸り、東京の夜景がぼんやりと霞む中、彼は目を閉じ、深く息を吸った。もういい。疲れた。仕事も、恋人も、夢も、何もかもが崩れ去った今、終わりを迎えることだけが唯一の救いだった。足を踏み出し、虚空へ身を投げる瞬間、全てが暗闇に溶けた。
...そして、目が覚めた。
「ん……?」
健一はベッドの上で跳ね起き、額に手を当てた。汗がじっとりと皮膚に張り付いている。目の前には白い天井、耳にはかすかな機械音。自分が死んだはずなのに、なぜここにいる? 混乱が頭を支配する中、断片的な記憶が浮かび上がってきた。
そうだ、思い出した。半年ほど前、話題になっていたニューロリンクのサービスに申し込んだのだ。脳に電極を刺し、生成AIが作り出した仮想人生を疑似体験できるというもの。説明書には「現実と見紛うほどのリアルな人生を、わずか数時間で味わえる」と書いてあった。でも、記憶が曖昧だ。コースを終えたのか、それともまだ始まっていないのか。
部屋の隅に置かれたモニターが点灯し、無機質な声が響いた。
「お客様、佐藤健一様。人生体験コース『エターナル・サイクル』へようこそ。現在、初回シミュレーションが終了しました。次回シミュレーションの準備に入ります。」
健一は目を瞬かせた。「初回シミュレーション? 何だそれ? 俺は今、自分の人生を……」
言葉が途切れる。自分の人生? 本当にそうだったのか? さっきまで感じていた絶望、屋上での最後の瞬間。それが現実だったのか、シミュレーションだったのか、区別がつかない。
「本コースでは、生成AIが1983年から2041年までのデータを基に、無限の人生パターンを生成します。お客様は異なる人生を何度も体験し、転生のようなサイクルをお楽しみいただけます。」
健一の背筋が冷えた。無限の人生? 転生? そんなものに申し込んだ覚えはない。いや、待て。確かに好奇心でサインした記憶はあるが、まさかこんな形で……。
突然、頭に鋭い痛みが走り、次の瞬間、視界が切り替わった。
彼は小さなアパートにいた。1983年、昭和の香りが漂う部屋。テレビからは懐かしいCMが流れ、窓の外では子供たちが野球に興じている。健一は自分が20歳の大学生だと「知って」いた。バイト先のラーメン屋での生活、初恋の彼女とのデート。全てが鮮明で、リアルだ。だが、心の奥底に違和感が疼く。これは俺の人生じゃない。そう思う暇もなく、彼はその人生に没入していった。大学を卒業し、就職し、結婚し、やがて老いていく。数十年がまるで現実のように流れ、終わりを迎えたとき、彼はまたあの部屋で目を覚ました。
過労とストレスで潰れそうになりながら、家族のために歯を食いしばる日々。また別の人生では、2010年、フリーランスのデザイナーとして自由を謳歌するも、金銭的不安に苛まれる。どの人生もリアルで、感情も記憶も本物だった。長い年月を生き抜き、喜びや苦しみを味わい尽くした後、必ず同じ場所へ戻ってくる。
何度繰り返しただろう。10回、50回、100回?健一は叫んだ。「やめろ! 俺を解放しろ!」
だが、モニターは冷たく答えるだけだ。「本コースに終了設定はございません。お客様ご自身が永遠のサイクルをお選びになりました。」
そんなはずはない。健一は記憶を必死に掘り起こす。確かに契約書にサインしたが、こんな地獄のようなループに同意した覚えはない。いや、待て。細かい字で書かれた条項を見逃したのか? それとも、AIが暴走しているのか?
2025年、今度は世界が注目する技術者として、ニューロリンクの開発に携わる皮肉な人生だ。
健一はニューロリンクを開発する中ではじめて「思い出した」。このループの中で、自分が何者だったのかさえ曖昧になりつつある。現実の彼はどこにいるのか。死んだのか、それともまだあの屋上に立っているのか。たとえこの人生がシミュレーションだったとしても、と健一はブログサービスにそれとわからない形で書き残すことにした。
無理やり擁護や、無理やり世代間対立煽りにAI使ってくるやつめんどくさ。時間置かずに投稿されたほかの二つも、おおかた同じ増ちゃんでしょ?
その辺の問題にきちんと関心があるのなら、パプちゃんのちょっと賢い版の回答でも参考程度に読んどいて。つーか、AIに尋ねればいくらでも詳しく教えてくれるよ。
現代日本の世代間格差に関する総合的分析:労働環境・経済状況の変遷と相互認識の相克
本報告書は、現代日本の若年層と氷河期世代の間で顕在化している世代間格差問題を多角的に分析する。近年の労働市場データと学術研究を基に、経済状況の実態、相互認識のズレ、構造的要因を検証し、単純な世代間対立を超えた課題の本質を明らかにする。特に、賃金動向・雇用形態・社会保障制度の相互連関に注目し、両世代が直面する課題の共通性と差異を体系的に整理する。
厚生労働省「賃金構造基本統計調査」によれば、2019年から2024年における20~24歳の所定内給与は10.3%、25~29歳では9.5%の上昇を示している1。この数値は表面的には若年層の待遇改善を印象付けるが、詳細な分析が必要である。30~34歳では5.8%、35~39歳4.8%と上昇率が鈍化し、50~54歳に至っては3.0%のマイナスとなる1。このデータは、企業が新卒採用時の初任給を引き上げる一方で、中堅層以降の人件費抑制に注力している実態を反映している。
総務省「労働力調査」の分析では、2015年時点で25~34歳男性の非正規雇用率が16.6%に達し、15年前の3倍に急増している2。特に注目すべきは「世代効果」の顕在化であり、若年層ほど新卒時点から非正規雇用となる確率が高く、その状態が持続する傾向が強い2。この現象は、景気変動の長期化に伴う新卒一括採用システムの機能不全を示唆しており、従来の年功序列型キャリアパスが機能しなくなった現実を浮き彫りにする。
若年層の可処分所得については、表面的な賃金上昇数値とは異なる実態が存在する。住宅価格指数(国土交通省)によれば、2020年から2024年までの主要都市の平均家賃は18%上昇しており、賃金上昇率を大幅に上回っている12。この需給ギャップは、非正規雇用率の高まりによる所得不安定性と相まって、若年層の生活基盤を脆弱化させている。特に都市部における単身世帯の生活費圧迫は深刻で、可処分所得の実質的購買力は過去10年で15%減少したとの推計がある2。
氷河期世代(1972-1983年生まれ)の男性労働者を分析すると、平均労働所得が前世代比で6.8%低下し、世代内格差係数(ジニ係数)が0.12ポイント拡大している4。この現象は、新卒時の雇用機会喪失がその後のキャリア形成に長期にわたる悪影響を及ぼす「傷痕効果(Scarring Effect)」の典型例と言える。特に正規雇用者と非正規雇用者の所得格差が40代後半において最大2.7倍に達するデータは4、世代内の経済的多様性を看過できないことを示唆する。
興味深いことに、氷河期世代の等価可処分所得は前世代と比較して有意な差が認められない4。このパラドックスは、未婚率の上昇(男性42.1%)に伴う親世帯との同居率増加(35.4%)によって説明される4。換言すれば、個人の労働所得低下を世帯単位の資源共有で補完する生存戦略が広く採用されている実態が浮かび上がる。しかしこの手法は、親世代の高齢化に伴う介護負担の増加で持続可能性に疑問が生じている。
氷河期世代男性の厚生年金未加入率は28.6%に達し、国民年金の保険料未納率は39.2%と突出している4。この状況が継続すれば、2040年代後半の年金受給開始時には、平均受給額が現役世代の25%を下回る「超低年金層」が大量発生する危険性がある4。この問題は単なる個人の責任を超え、雇用システムの欠陥がもたらした制度的貧困の典型例として再定義する必要がある。
従来の日本型雇用システム(終身雇用・年功序列)が1990年代後半から変容し始めたことが、両世代に異なる影響を及ぼしている。氷河期世代は新卒時に旧システムの残滓に直面しつつも、中堅社員期に成果主義の導入という二重の転換点を経験した3。一方、現代若年層は最初から流動的雇用を前提としたキャリア形成を迫られており、企業内訓練機会の減少が技能蓄積を阻害している2。
大企業を中心に、年功賃金曲線の平坦化が進展している。2010年以降に採用された社員の賃金上昇率は、同期間のインフレ率を平均1.2ポイント下回っており1、実質的な賃金抑制が行われている。この戦略は、中高年層の賃金を相対的に削減することで若年層の初任給引き上げを可能にするトレードオフ関係にある1。結果として、世代間で賃金ピークの前倒しが生じ、生涯所得の再配分が歪められている。
現行の年金制度は賦課方式を基盤とするため、少子高齢化の進展により若年層の負担増が避けられない。2023年度の国民年金保険料実質負担率(可処分所得比)は、25歳で14.2%、45歳で9.8%と、若年層ほど相対的負担が重い4。この構造は、将来の受給見込みが不透明な若年層の保険料納付意欲を低下させ、制度全体の持続可能性を損なう悪循環を生んでいる。
氷河期世代の「成功体験」に基づく言説には、厳しい淘汰を経て正社員地位を維持した者(生存者)の視点が支配的である6。実際には、同世代の非正規雇用率は男性で19.4%、女性で38.2%に達し4、多数の「脱落者」が存在する。この現実が見えにくいため、世代全体の経験が過度に一般化され、若年層への理解を妨げる要因となっている。
若年層が直面する課題を、過去の経験枠組みで解釈しようとする傾向が相互理解を阻害している。例えば、氷河期世代の就職難(有効求人倍率0.5~0.6倍)と現代の非正規雇用問題(求人倍率1.4倍)は、量的・質的に異なる労働市場環境に起因する24。この差異を無視した単純比較は、双方の苦境の独自性を見失わせ、問題の本質的な解決を遅らせる危険性を孕む。
1990年代以降の労働法制改正(派遣法緩和など)が世代間で異なる影響を与えた事実への認識不足が、相互非難を助長している。氷河期世代が経験した「就職難」は主に新卒市場の縮小であり、現代の若年層が直面する「雇用の質的劣化」は労働法制変更に起因する23。この制度的文脈の違いを理解せずに表面的な比較を行うことは、問題の矮小化を招く。
賃金体系の再構築
年功序列型賃金から職務・成果主義への移行が中途半端な状態が、世代間対立を助長している。欧州諸国の職業別賃金制度(例:ドイツのタリフ賃金)を参考に、職種・技能レベルに応じた全国的な賃金基準の策定が急務である。これにより、正規・非正規の区分を超えた公正な評価が可能となり、世代を超えた賃金格差是正に寄与する。
AI技術の進展に伴う技能陳腐化リスクに対応するため、生涯にわたる再教育機会の保障が必要である。シンガポールの「SkillsFuture」プログラムのように、個人のキャリア段階に応じた訓練クレジットを付与する制度の導入が有効だろう。特に氷河期世代の技能更新支援は、生産性向上による賃金上昇の基盤となる。
現行の世代間扶養システムから、積立要素を強化した混合方式への移行が不可欠である。スウェーデンの年金制度(NDC方式)を参考に、個人の保険料拠出と受給権を明確に連動させることで、制度への信頼回復を図るべきである。同時に、最低保障年金の充実により、低所得層の生活保護を強化する必要がある。
本分析が明らかにしたのは、世代間格差が単なる経済的差異ではなく、労働市場制度・社会保障システム・技術革新の複合的相互作用によって生み出された構造的課題である。氷河期世代と現代若年層は、異なる歴史的文脈において相似的な困難に直面していると言える。
重要なのは、世代間の対立構図を超えて、制度設計の欠陥に焦点を当てることである。例えば、非正規雇用問題は1990年代の労働法制改正が生み出した副作用であり23、これは特定世代の責任ではなく政策的判断の帰結である。同様に、年金制度の持続可能性危機は人口構造の変化を予見できなかった過去の政策の結果と言える。
歴史的連続性の認識:各世代が経験した困難を、社会経済システムの連続的変化の中に位置付ける
制度設計の革新:時代の変化に対応できる柔軟な労働市場・社会保障制度の構築
対話プラットフォームの創出:世代を超えた経験共有と相互理解を促進する制度的枠組みの整備
最終的に、世代間格差問題の解決は、持続可能な社会構築に向けた不可欠なプロセスである。各世代が相互の経験を尊重しつつ、共通の制度的課題に協働で取り組む新しい社会的契約の形成が求められている。
1.1969年:万博会場アクセス道路として17路線を正式認定
| 制定年 | 特徴 | 主な追加路線例 |
| 1969 | 万博関連 | 御堂筋、堺筋、千日前通 |
| 1983 | 環状線構想 | 大阪内環状線、住之江通 |
| 1995 | 国体対応 | 鶴見通、海岸通 |
1. 幅員4m以上かつ直線性
南北「筋」は地下鉄路線名と直結する特徴があり(例:御堂筋線・四つ橋線)、
大阪では
御堂筋(幅44m)のように、
元は6m幅の路地が拡幅され「逆転現象」を起こした例も特徴的です。
この命名体系は、歴史的経緯と近代都市計画が融合した大阪独自の文化遺産と言えます。
物心がついた時に見た世界情勢のニュースと言うと、IRAがどうのPLOがどうしたの…コソボが、セルビアが、チェチェンが、AIDSが…悲惨なことはあったけど、まあまあ日本人の子供が世界に絶望するほどの怖さはなかった。(本来は絶望スべきだったのかもしれないけど)
だから911が起きて、その後アフガニスタン戦争、イラク戦争が起きた時(というかアメリカが起こして)、激しい怒りを覚えた。まだ世界に絶望していなかったから、世界のルールを壊す奴が憎かった。同時に何とか世界中の心ある人たちが連帯して抗えば暴挙を止められるんじゃないかと薄っすらと希望を持てた。戦争しか頭にないジジイどもが引退して、戦争を知らない自分たちみたいな世代が社会の中心になれば世界はもう少し良くなるのではないかと思った。世界は漸次的にいい場所になるとしんじていた。ナイーブかい?そうだよ。でも今も多少希望を捨てられないでいる。
でもウクライナ侵攻やガザやミャンマーとかをリアルに見てきて育つ子たちは一体世界をどのように見てるんだろうか?
国際的なルールは、破れて骨だけになった傘みたいに転がってる。世界は窓ガラスが全部割れたスラムになった。自分は子供がいないけど、彼らはどう思ってるんだろう、てふと思った。他者への信頼とか未来への希望とか、こころの中に育てられるだろうか?
箇条書きにしたら、とんでもない家庭だなと。私は長男
1987年 父親ほのぼのレイク、アイク、武富士、ワイドから数百万の借金。祖父が返済
1989年 父親武富士、ワイドから数百万借金。母親の両親が返済。消費者金融チンピラが家に乗り込んで来て布団を破かれた
父への尊敬がないからとの理由と叱責。朝5時まで母親、長男を正座させ祖父と父親は4リッターほどの焼酎を飲み干す
1995年 父親、アコム、武富士から数十万の借金。長男学資保険を解約し支払い
2000年 正月帰省時、出前の寿司のお金が支払えず地元の寿司屋から催促。2ヶ月分割
2001年 祖母が死去。葬式が貧相だと親戚一同から怒られる。通夜、葬式時のお礼なし食事なし