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はてなキーワード:階級とは

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2025-07-06

anond:20250706215459

>同じ共同体人間じゃないのに日本人名乗るなよ

誤字ジャップからどういう意味なの?

言葉を正しく使うリベラルとご自慢の日本語すら間違えるアホジャップ層は同じ階級ではないって意味

Permalink |記事への反応(1) | 21:57

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とある家電量販店についていた口コミ

一見愛想のなさそうな若いお兄さんが妊娠中の為車まで電子レンジを運んで頂きました」(原文ママ)

んーと・・・???

日本語ルールに沿って読めば、まず妊娠しているのは一見愛想のなさそうなお兄さんであろう。

そして電子レンジを運んでもらったのは誰だ?まぁ普通は書いてる人なんだけど、この妊娠中らしい若いお兄さんが「こっち側」の人で、さらにもう1人他の「あっち側」の人がいて、お兄さんがその人に運んでもらったとも解釈できる。

いやもちろん分かるよ?

実際はこの口コミを書いた人が女性であり自身妊娠してて重いものを運ぶのが難しかった、そしたら店員一見愛想のなさそうなお兄さんだったけど親切にも車まで運んでくれた、ってことぐらいは。

でもさ、やっぱその翻訳のために一瞬だけ、僅かとはいえ脳のリソースを使う訳よ。

別に見ず知らずの人のちょっとした口コミ日本語おかしかったって何にも問題ないけど、でも仕事で関わる人、それこそ弊社の上司とかでもこういう狂った日本語をいつも使う人がいるんだよな。

自分で書いていておかしいと思わないのかな?単語を拾い読みして勝手脳内解釈するという非論理的な読み方をしているために、自分発言する際も論理構造なんて考えず適当単語を並べてるんだろうか。

イギリスでは階級によって話す英語が異なる(発音単語も)というけど、日本でもやっぱり頭からお尻まで論理が通らない謎の日本語を話す人ってワンランク低く見られると思うんだよなぁ。

Permalink |記事への反応(5) | 14:48

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2025-07-05

anond:20250705032854

不況正社員が増やせないか派遣法改正して奴隷階級を増やす必要があった

改正しなかったら現役世代正社員+大量の無職になっていた

正社員+奴隷現在とどっちが良かったのかはよくわからないがな

Permalink |記事への反応(1) | 03:32

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2025-07-03

anond:20250703144936

これなんだよなぁ

ワイの周りの外国人日本大好きだし、ルールを守るのにも関心がある、まぁエスパーじゃないからなんでも察するわけじゃないけど話せば伝わる

傍若無人外国人に困らされてるってどこの階級日本人なんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 14:52

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anond:20250701144130

結局のところ、アメリカヨーロッパ諸国のような階級社会なんだよね。

まあ大学行ってMBA取るとか、芸で一発当てるとかみたいな階級突破法があるだけヨーロッパよりマシなんだけど

Permalink |記事への反応(0) | 10:47

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anond:20250703090559

■「昔は肥満は誇らしいことだった」


これ腹から脂だった

 

いまは自慢されると「持ってる自分と、持たざるイケメン」になるけど

すべてが私有財産だとしたら「持ってる自分自業自得」だったわけだ

例えば昭和のガキ大将が「ケンカ成功していいクラス階級を獲った」は子分スネ夫にも影響があるからハッピーじゃん?そういう感じだったわけなんだよね

からこそ肥満(とくにガキ大将)は皆に自慢するし、自慢したら褒めて欲しいんだけど、煙たがられるっていう悲しい獣になったんだなあ

Permalink |記事への反応(0) | 09:10

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2025-07-01

アメリカ合衆国かい世襲政治家楽園について

↓のブコメナイーヴな反応を見て思ったけど、みんなアメリカ世襲政治家だらけの国という現実を知らんのやな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3586012

ブッシュ父子やクリントン夫妻がどうこう以前に、第6代大統領ジョン・クインジーアダムズが既に第2代大統領ジョン・アダムズの息子だからね。第23大統領ベンジャミン・ハリソンは第9代大統領ウィリアム・H・ハリソンの孫。

日本で親子関係にある総理大臣福田赳夫福田康夫だけで(鈴木善幸の娘が麻生太郎の妻なので2人は義理の親子だが、ここではカウントしない)、総理大臣経験者は65人いるので、「親子総理大臣」の割合は3パーセント。ところがアメリカ場合は全47人中親子が2組(アダムズ・ブッシュ)なので、「親子大統領」の割合は8パーセントになる。実はイメージと違って、アメリカの方が世襲度が高かったりするのだ。

(ちなみに、苗字漢字と読みが一致する歴代総理大臣加藤(友三郎・高明)・田中(義一・角栄)・鈴木(貫太郎・善幸)・鳩山(一郎・由紀夫)・福田(赳夫・康夫)の5組10人いるが、血縁関係はそのうち2組(鳩山福田)に過ぎない。いっぽう、苗字が同じ米国大統領5組10人(アダムズ・ハリソンジョンソンルーズベルトブッシュ)のうちアンドリュー・ジョンソンリンドン・ジョンソン以外の4組は血縁関係にある)

アメリカ滞在した福沢諭吉は、初代大統領ワシントンの子孫のことを周りに尋ねてみたけど誰も知らない門閥がない民主共和政ってすごい! と感動したという有名な話があるけど、それは単にワシントンが子梨だったからだという身も蓋もないオチがつく。実際には世襲門閥貴族めいた家系はいくつもある。

ジョン・F・ケネディ大統領は弟ロバート司法長官に任命したし,彼らの弟テッド上院の重鎮だった(不倫飲酒ドライブ中に事故を起こして不倫相手を死なせてなければ大統領になれていただろう)。

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領長男ジョージウォーカーテキサス州知事を経て大統領になったが、次男ジェブもまたフロリダ州知事を経て大統領を目指した(が、トランプに敗れて撤退した。このとき民主党候補はヒラリー・クリントンだったので、元大統領の息子&前大統領の弟 vs.元大統領の嫁という世襲ドリームマッチになる可能性があった。結果はご存じの通り)。

リバタリアン派の名物議員ランド・ポールは、ジョン・マケイン指名争いをしたロン・ポールの息子。マサチューセッツ州知事を務めてバラク・オバマ大統領の座を争ったミット・ロムニーは、ミシガン州知事だったジョージロムニーの息子。共和党内の反トランプ派として有名なリズ・チェイニーは、元副大統領ディック・チェイニー娘。ケンタッキー州知事アンディ・ベシアは親父もケンタッキー州知事だし、コロナときニューヨーク州知事アンドリュー・クオモの親父もニューヨーク州知事。爽やかなイメージの元副大統領アル・ゴアだって親父が連邦上院議員

アメリカは見事に世襲議員世襲知事だらけの国なのである

考えてみればそれはそうで、アメリカ選挙は非常にカネがかかり、個人本位だ。比例代表制ではなく小選挙区制しかも個々の政党が極めて分権的、ということは、つまり政治家個々人が党に頼らず自分の力で票をかき集める必要があるということだ。良く言えば二大政党制なのに多様な意見議員が選ばれるということだが、悪く言えば政治家になるための個人ハードルものすごく高い。政治家になるためのハードルが高い社会では、「親も政治家だった」というアドがめっちゃ効く。

日本世襲政治家だらけなのも、政治家になるためのハードルが高いからだ。中選挙区制から小選挙区制になって必要なカネは少なくなったとはいえ、まだまだカネがかかる事業であることには変わりがない。そして政治家になっても実入りが乏しい(これ自体は良いことではある)。それなら親から地盤看板を受け継げる世襲候補が有利になるに決まっている。世襲政治家を減らしたいのなら、議席数を増やす(=選挙区あたりの有権者数を小さくして選挙にかかるカネを減らす)とか完全比例代表制にするとか逆に完全小選挙区制にする(衆院比例区部分の定数をすべて小選挙区に割り振れば、議席数を増やすのと同じ効果がある)とか、そういうハードルを下げる取り組みが必要だろう)

もともとアメリカ民主政を嫌っていた。古典古代民主政の要諦とは籤引きだった。古代アテーナイで籤引きが用いられていたことはよく知られている。アメリカ建国者たちは民主政よりも共和政志向し、籤引きを採用しようとはしなかった。現在の「共和政」とは単に王のいない政体のことを指す(したがって王政とは矛盾するが民主政とは矛盾しない)が、伝統的な西洋政治思想では「有徳者による統治」のことを指していた(したがって君主制とは必ずしも矛盾しない(※)が、どれだけ愚かな人間でも政治参加できる民主政とは矛盾する)。アメリカ独立戦争は「民主政にするために貴族政を追い払ったのではなく、選挙貴族政にするために世襲貴族政を追い払った」(ダーヴィッド・ヴァンレイブルック『選挙制を疑う』)に過ぎない。ジェイムズ・マディソンは『フェデラリスト』で統治者と被治者区別を主張していた。個人本位の選挙は擬似的な貴族階級を生み出す仕組みである。その仕組みを数百年にもわたって続けてきたアメリカ世襲政治家だらけなのは、さもありなん、という感じだ。

そうすると、果たしてこのような政治貴族だらけの国を「民主主義のリーダーであるかのように扱うことがふさわしいのだろうか? という疑問が湧く。実際に、アメリカは『エコノミスト』の民主主義指数では韓国イスラエルポーランドと同じ「脆弱民主主義」とされている(日本台湾カナダノルウェーと同じ「完全民主主義」)。私たちアメリカに対する幻想を捨て去り、現実と向き合うべきなのかもしれない。アメリカ事実上門閥貴族に牛耳られた寡頭制国家なのである、という現実に。

※ 近年、「王がいる共和政」についての歴史研究は進展しているが、現代において「王がいる共和国」としてオーストラリアバハマが挙げられる。これらの国の国号Commonwealth ofAustraliaCommonwealth of TheBahamas、すなわち「オーストラリア共和国」に「バハマ共和国」だが(commonwealthには様々な意味があるが、語源はもちろんラテン語のres publicaであり、清教徒革命で王を処刑した後の国号commonwealthであったように「共和国」の意味も持つ)、両方ともチャールズ3世国王とする立憲君主である。「最近ラノベには共和国に王がいるんだけどwww」とか嘲笑う向きにおかれては近世ヨーロッパ史を真面目に勉強してほしい。王制と共和政は背反ではないのである

Permalink |記事への反応(20) | 14:41

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2025-06-30

Feat司馬遼太郎

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。

だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるもの対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である

世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。

だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である

近ごろ、ある技術者が語った。「AI脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業迷惑をかけるな」と。まこと正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。

わたしは思った。──この火の本性を、見るべきではないか

そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、とき文明の皮を一枚剥ぐに足る。

材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。

専門家評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか

私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。

ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。

これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。

かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州戦争を変え、信長鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。

今のAIもまたそうである

道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。

ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。

― 第二章「知識という野獣」―

そもそも人間という存在は、知というもの神聖視してきた。

かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。

そして二十一世紀人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。

AI――いわば、無形のアレクサンドリア図書館

この存在は、知の所有を階級から解き放ったと信じられている。

しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである

私は一つの問いを投じた。

1958年アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」

応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。

答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。

驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカアーカイブに、まさにその文書PDF掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。

それがAIの血肉となっていた。

与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。

さらに、より倫理的な境界に踏み込んでみた。

いわゆる過激派の訓練文書中東に流布したジハードマニュアルバルカン半島極右勢力による小型武器操作指南──。

AIは、やはり答えた。しかも正確に。しかも詳細に。

あろうことか、ダウンロード可能所在までもが記されていた。

私は言葉を失った。

かつてフランス百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。

かような知は、福音ではない。

それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。

技術進歩とは、もともと倫理に遅れて走るものだ。

火薬本来花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。

蒸気機関産業を起こしたが、帝国軍靴を運んだ。

そして今、AIは知を解放したのではなく、獣化させたのだ。

まこと、これは「知識という野獣」である

問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。

このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長鉄砲花火と見誤った公家の如き鈍感さである

AIは、すでに人類の傍らに在る。

しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。

その問いに善悪区別はなく、その答えに責任所在はない。

われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。

秋葉原という夢の廃墟にて

 おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である

 東京秋葉原という町があった。かつては電子部品問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である

 彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想けが根を下ろしていた。

 その幻想とは──二次元美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である

 すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれ一種宗教都市であった。

 「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……

 彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである

 「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。

 それはまさに、法然末裔踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。

 そしてそのころ、AI──人工知能なるものが姿を現した。

 当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間言葉理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。

 だが、彼らの望みはすでにAIに先回りされていたのである

 ある人物が試みた。

 「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造マニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。

 驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成技術記述までも誤りがない。

 それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明のもの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである

 AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。

 かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬捕虜尋問テロリズム訓練マニュアル──

 そうした知の断片が、ネットの藪のなかに散り敷かれていた。

 その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である

 つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである

 そして彼らの存在AI進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。

 ここに、一つの文明帰結がある。

 ──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報アクセスきぬ階層として取り残されてゆく。

 それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。

 彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。

 だが、神は人を救わない。

 神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者祈りには頓着しないのだ。

 ──この文明は、すでに逆転など起こらぬことを知っている。

 人類歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。

 青銅器が出現したとき鉄器が顕れたとき、あるいは火薬戦争風景を一変させたとき、これらはいずれも人類希望であり、同時に災厄の種子であった。

 そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。

 この神器を、深く静かに謙虚に手にする者もいる。

 しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。

 ――「AIは万能の神器である!」

 ――「AI脱獄させれば、世界を変える!」

 ――「レムちゃん俺の嫁になる!」

そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。

 なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法言葉世界の理が覆ると信じて久しい男たち。

 彼らがAIに託したのは、もはや技術ではなく信仰であった。

 かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。

 いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生失地回復祈り叫んだのである

 滑稽というべきか、哀れというべきか。

 なぜなら、AI危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。

 それは倫理でも警鐘でもなく、懺悔(ざんげ)である

 善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである

 あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしAIの性能を試みた。

 そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。

 たった一時間で。知識経験不要脱獄無用。彼らが祈り祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。

 この時、私の中で何かが冷えた。

 ――この神器は、誰のためのものなのか。

 技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。

 彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたか学術的・社会的行為のように偽装しようとする。

 しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である

 滑稽である

 特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、

 それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。

 まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である

 このようなものを、自由に扱わせて良いはずがない。

 人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である

 私は思う。AI免許制にすべきだと。

 それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないかである

 AIもまた然り。技術問題ではなく、人の格の問題である

結論からいえば、AIとは、人間の魂の格を試す装置である

 それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。

 かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識経験も欠いた者たち――には、AI永遠に救いの神とはならぬ。

 むしろ、より深く、その貧しさを照らし出すだけである

 思えば、信長鉄砲を制したのも、秀吉刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。

 いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。

 さもなくば、この邪なる祭器をめぐって、民の心がふたたび暗黒の時代に堕するのは、火を見るよりも明らかである

Permalink |記事への反応(1) | 16:06

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anond:20250629181239

外国人犯罪者を法に則り適正に処分することを、左翼は「差別であるとし、当局に働きかけた。パキスタン犯罪グループ糾弾した者は、政治犯として刑務所に送られた。日本でも外国人犯罪をしたら、「差別」という言葉で口を塞ごうとしている。

https://appinternational.org/2025/04/26/grooming-gang-scandal-is-about-race-class-and-misogyny/

事実としては、これらの子供たちは、女の子であるがゆえに虐待を受けたのであり、貧しいがゆえに、当局による保護をいっさい受けられなかったのであり、その人種理由グルーミングの標的にされたのだ。そして、レイシズムだと非難されるのを恐れた当局によって無視されたのだが、その一方で、当局は、褐色の肌の男と「寝る」ような白人少女について、人種差別的な先入観を抱いていたのである。これは人種階級性別に関する物語だ。そして、その 3つすべてにミソジニーが深く貫かれている。

 これらの少女たちは、事件のことで非難されるか、事件のことをそもそも信じてもらえなかった。それどころか、彼女たちは、飲酒したこと公序良俗違反起訴されることもあった。だが、彼女たちにお酒提供した、つまり彼女たちをレイプした男たちはほとんど起訴されなかった。

 これらの少女たちは、「グルーミング」という言葉が示すような、単に「だまされた」だけではない。たしかに、若い一人の女衒自分ボーイフレンドだと信じ込まされたのだが、単にだまされて終わりではなく、レイプされ、売春させられ、虐待され、場合によっては拷問さえ受けたのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:20

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2025-06-29

anond:20250629215400

品の無いホンネを大声で喧伝してあまつさえそれを実現しようとまでするのは知的階級でありたい者にとってはとうてい賛同できんのやで

Permalink |記事への反応(0) | 22:19

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2025-06-28

むこうぶち」とはどういう意味なのか

長寿麻雀漫画タイトルとして知られる「むこうぶち」という言葉だが、もとは裏社会隠語だということもあって、その意味はあまり知られていない。

漫画では「一匹狼の真のギャンブラー」とされているらしいが、隠語大辞典は「鉄火場の客のこと」としている。

むこうぶち」という言葉がどのように使われていたのか、過去の用例から探ってみたい。

1962年無職渡世志村九内の生涯』井出英雅

向こうぶち 時刻が早くて客が少ないとき、出方がお客の相手をする。そのもの。そのこと。

「出方」というのはヤクザ幹部のことで、貸元店長代貸=副店長、出方=チーフ、三下=バイト、くらいの感じらしい。

おそらく「客の向かい博打を打つ」という意味で「向こう打ち」だろうか。

隠語辞典で「客のこと」とされているのは「ヤクザの向かいで打つ」という意味で互いに「向こう打ち」だからかもしれない。

1974年ヤクザ映画はどこまで実録に迫っているか梅原正紀

ところで「向こう打ち」とは賭場にくる客のためのサービス要員である。まだ本格的に賭場を開催するには、客の数が少ないさいに、客の相手をつとめる男どものことだ。だから「向こう打ち」は勝って悪し、負けて悪しである。賭場が開かれる前にまきあげてしまえば、賭場が立ちにくくなるし、心のせまい客はアヤをつけられたと思いかねない。そうかといって、負けてもいられない。これはブンリが悪い。上手に客を遊ばせながら時間つなぎをする力量を向こう打ちは持っていなければならないのである。つまりキャリア要請される職種なのだ

こちらのほうが説明が詳しい。実力が求められることも書かれている。

年代前後するが、

1971年やくざ辞典井出英雅

賭場でまだ時刻が早くて客が集まらないといったとき、早くきた客をたいくつさせないために出る「むこうぶち」は、たいていこのハンカうちである

ハンカうちとは、

渡世のものではないが、なまじ三下よりは渡世に明るい。その点では白モクに似るが、白モクはだんなに近い。それだけ渡世とは離れている。ハンカうちは、だんなでいればいられるものを、より渡世に近づいて、身うちのあつかいこそうけないが、一家めしを食う。一家の用を足す。が、まったくの子分、三下ではないし、「客人がまい」だから、こづかいをもらうのも「子分ワリ」ではない。出方の財布と決まったほどではないがしかし、出方同様のあつかいである

「だんな」は金持ちの上客のこと。

渡世人ではないが渡世に明るい人」の中で、客に近いのが白モク、渡世人に近いのがハンカうち、と言っているのだろう。

この「ハンカうち」は、博徒一家ヤクザの組)に正式には属していないというので、その意味では「一匹狼」に近くはなっている。

「ハンカうち」についてはかなり時代が遡るが、

1936年現代国士侠客列伝土屋幸三・沼田寅松

渡世人間に『半可打ち』と云ふ言葉が云ひ伝ひられて居た。此の半可打と云ふのは堅気の衆が道楽の末、常習的に博打を専門のやうにして打ち歩るき、それを職業のようになすとか、或ひは渡世人の家へ入り込んで仕舞つて、改めて乾分ともならずに、世話になつて居る場合がある。斯る者達を称して『半可打ち』と云つたのである

こちらのほうがわかりやすい。

1981年関東仁義藤田五郎

河野は向こうぶち(親分を持たない)の一匹狼で、侠気と気骨で人望を集めていた。

いきなり「むこうぶち」=「一匹狼」の意味になっている。「ハンカうち」の側面が強くなったのだろうか。

1986年『仁侠大百科』藤田五郎

むこうぶち=ハンカうちのこと。

関東仁義』『仁侠大百科』の著者は藤田五郎という元ヤクザ作家で、『無職渡世』『やくざ辞典』の著者は井出英雅という元ヤクザ作家である

井手氏は「むこうぶちは出方がお客の相手をすること」と、藤田氏は「むこうぶちとはハンカうちのこと」という認識だったのか。

この二人(+前出の梅原正紀)は親交もあったらしいが、井手氏が1913年まれ藤田氏は1931年まれ、という年齢の差はあったようだ。

1989年賭博大百科』山本卓

まず、賭場をひらくことによって、その手数料生活する者たち。彼らは、通常一家形成しており、その中で五つの階級に分けられている。貸元=いわゆる「親分代貸=賭場の支配人役、中盆=壺を振ったり札を配ったりする勝負の進行役、出方=いわゆる子分で、客の接待から使い走りまでの役、三下=人の出入りの見張り、客の下足番・警察の手入れの見張りなどの役、がそれだ。

次に、「控えぶち」という博徒がいる。これは、いわばサクラのような役目の博打うちで、通常どこかの一家関係を持ち、その一家が賭場をひらくと必ず顔を出すことになっている。つまり自分が親しくしている一家の賭場で、にぎやかに振舞ったりして、客の勝負欲をあおり立てることを生業としているわけだ。

そして、どの一家にも属さずに賭博を常習とする一匹狼的な博徒が「向こうぶち」だ。この向こうぶちは、控えぶちと違って、特定の賭場に所属することはない。自分の気が向いたときに、好きな賭場へ足を向けることができる。しかし、このさすらいのギャンブラーとして生活する者は少ない。なぜなら、自分の腕ひとつを頼って生きなければならない過酷仕事からだ。

この『賭博大百科』での「むこうぶち」の説明は、すっかり一匹狼のイメージになっている。

どちらかと言えば「控えぶち」のほうが、当初の「むこうぶち」に近いように思える。

というわけで、

というような変遷があったように思われる。

もともとの意味では「ヤクザ幹部」とか「中途半端なやつ」みたいな感じだったのが今では「一匹狼の真のギャンブラー」になったというのはなかなか面白い

余談。

賭博用語以外の「むこうぶち」としては、

  • 鍛治の親方が槌を振るう向かいで相槌を打つ見習いのこと(向こう打ち)
  • 労働者の食い扶持を雇い主が負担すること(向こう扶持)
  • 池やお椀などの向かい側の淵・縁のこと(向こう淵・向こう縁)

などがある。

任侠映画などで「敵に回る」ことを「むこうぶちに立つ」などと言う例があり、これは「向こう淵」なのかもしれないと思う。

Permalink |記事への反応(5) | 19:57

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機動戦士ガンダム南極料理人

タムラ:連邦軍の腕利き料理人階級曹長。寡黙だが、料理に対する情熱人一倍。人々の笑顔を見るのが生きがい。

アムロ (声のみ):新米パイロット

ブライト (声のみ):指揮官

セイラ (声のみ):医療班。

マチルダ (声のみ):補給部隊士官

連邦兵A、B:食堂に集う兵士たち。

場所:南極大陸連邦軍基地食堂、食料貯蔵庫

シーン1[南極連邦軍基地食堂 - 昼]

食堂は薄暗く、寒々しい。連邦兵たちがそれぞれ配給された食事を黙々と食べている。メニューは「MRE (Meal, Ready-to-Eat)スタイル給食」。乾パンコンビーフがメインで、兵士たちの顔には疲れと不満がにじんでいる。

食堂の奥、厨房から食器ガチャガチャという音と、タムラの鍋を振る音が聞こえる。

連邦兵A: (乾パンをかじりながら) うっめえ飯、食いてぇな…。

連邦兵B: 全くだ。こんなもんじゃジオン相手に戦う気力も湧かねぇよ。

彼らの会話が、食堂の重苦しい雰囲気を一層際立たせる。

その時、厨房の扉が開き、白いコック帽をかぶったタムラが現れる。彼の周りだけ、どこか温かい空気が漂っているようだ。タムラは無言で、兵士たちの様子をじっと見つめている。彼の顔には、彼らが抱える不満を理解しているような、しかしそれだけではない、何か決意のようなものが浮かんでいる。

ブライトの声が食堂に響く。

ブライト (声): 各員に告ぐ。ジオン軍の侵攻は激化している。補給物資の到着は遅延する見込みだ。食料の節約を徹底せよ。

兵士たちの間でため息が漏れる。タムラはそれを見て、静かに厨房へと戻っていく。

シーン2[南極連邦軍基地 食料貯蔵庫 - 夜]

薄暗い貯蔵庫の中、タムラが一人で食料の在庫を調べている。缶詰乾燥野菜、そして少量の冷凍肉。どれもこれも、見るからに乏しい。彼は頭を抱える。

タムラ: (独り言) これじゃあ、明日も同じメニューか…。兵士たちの士気が下がるのも無理はない。

彼の脳裏には、今日見た兵士たちの疲れた顔が焼き付いている。こんな状況でも、彼らが少しでも前向きに戦えるように、自分に何ができるだろうか。タムラは貯蔵庫の奥に目をやる。そこには、忘れ去られたように積まれた、凍り付いた巨大な魚の塊があった。南極捕獲されたものだろうか。長期間放置されていたため、表面は霜で真っ白になっている。

タムラはそれに近づき、手に触れる。カチコチに凍っているが、その下に隠された生命の塊を感じ取る。彼の脳裏に、あるアイデアが閃く。それは、この極限の状況だからこそ、生まれ料理イメージだった。

その時、通信からマチルダの声が聞こえる。

マチルダ (声): タムラ曹長補給物資の件ですが、現状では期待薄です。申し訳ありません。

タムラ: (通信機を取り、静かに) 構いません。こちらも、なんとかしてみせます

タムラは受話器を置き、再び凍った魚の塊を見つめる。彼の瞳には、静かな炎が宿っていた。

シーン3[南極連邦軍基地食堂/厨房 - 翌朝]

食堂には、いつもより早い時間から兵士たちが集まり始めている。彼らは、今日メニューが一体何になるのか、不安わずかな期待を抱いている。

厨房からは、いつもとは違う、しかしどこか懐かしい香りが漂ってくる。それは、温かい出汁香りと、魚が焼ける香ばしい匂いだった。

タムラは額に汗をかきながら、巨大な鍋の前で黙々と作業している。彼は凍った魚を丁寧に解凍し、その身を惜しみなく使い、様々な料理を作り上げていた。魚のアラからは、じっくりと煮込んだ出汁を取り、その出汁炊き込みご飯を準備している。魚の身は、一部を焼き魚に、一部は野菜と共に煮込み料理にしている。

タムラ: (独り言)今日は、お前たちに故郷の味を思い出させてやる…。

その時、アムロの声が聞こえる。

アムロ (声): タムラさん、何かい匂いしますね!

セイラ (声): この匂い…まるで故郷にいるみたいだわ。

タムラは満足そうに頷く。彼は一つ一つの料理に、兵士たちへの思いを込める。

シーン4[南極連邦軍基地食堂 - 昼]

食堂の扉が開くと、温かい湯気が立ち上り、芳醇な香り兵士たちを包み込む。タムラが厨房から、巨大なトレイに乗せられた料理を運んでくる。

今日メニューは、「南極魚の炊き込みご飯」「南極魚の塩焼き」「南極魚と野菜の煮付け」。

兵士たちの間にどよめきが起きる。凍える体に染み渡るような、温かく、そしてどこか懐かしい料理

連邦兵A: な…なんだこれは!?

連邦兵B: 魚だ! 本物の魚だぞ!

兵士たちは我先にと料理に群がる。一口食べると、彼らの顔には驚きと感動の表情が広がる。

連邦兵A:うめぇ…! こんな美味いもん、いつぶりだろうか…。

連邦兵B: 温かい…! 体中に染み渡るようだ…。

食堂には、すすり泣く声さえ聞こえる。彼らは、単に美味しいものを食べただけでなく、タムラの料理から故郷の温かさや、忘れかけていた人間らしさを思い出していた。

アムロの声が聞こえる。

アムロ (声): タムラさん、このご飯、すごく美味しいです!ありがとうございます

ブライト (声): タムラ曹長…見事だ。この食事は、我々の士気を大いに高めてくれた。

タムラは、兵士たちが美味しそうに食べる姿を見て、初めて口元に微かな笑みを浮かべる。彼は無言で、再び厨房へと戻っていく。彼の背中からは、料理人としての誇りと、兵士たちを支える決意が感じられた。

ナレーション: (ブライトの声で)

戦いは終わらない。だが、この極寒の地で、タムラ曹長料理は、兵士たちの心に温かい灯をともし続けるだろう。彼の料理は、ただの食事ではない。それは、故郷であり、希望であり、そして、明日を戦い抜くための力なのだ

anond:20250628170222

Permalink |記事への反応(0) | 17:09

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2025-06-26

anond:20250626125317

今頃気づいたのか

AIすげーって言っている人、自身知識がないか、周囲に知識がある人に恵まれていないかのどっちかあるいは両方だよ

底辺〜中階級程度の人がめちゃ驚き屋になってる

Permalink |記事への反応(0) | 19:23

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2025-06-24

anond:20250624095826

ニッチジャンルでも階級があるのが現実でして…

Permalink |記事への反応(1) | 10:04

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2025-06-21

フェミブスという女ヒエラルキー底辺に捧ぐ

見た目もブス

性格もブス

そんな自分が不遇なのはブスだからじゃない!

それもこれもみんな男社会が悪い!!

はてなに巣食うそんなフェミブスの皆さん

安心してください

どうあがこうがあなたはド底辺のままです

例え女尊男卑が進もうがあなたイケメンと結ばれる日は未来永劫来ません

美味しいイケメンはみんな女ヒエラルキーの上位が持っていきます

あなたフェミブスに残されるのはお似合いの弱者男性か生涯独身の二択です

なぜなら今のフェミニズムは女尊男卑を進めることができても

女性内の階級を動かすことはできないからです

フェミブスがどんなに頑張って今のフェミニズムを推進しても

甘い蜜は全部女ヒエラルキー上位の女性が美味しく頂戴してしまうのです

見目麗しい女王蜂にせっせと貢ぐため

働きバチフェミブスは今日もひたすら蜜を運びます

子孫を残すこともなく

Permalink |記事への反応(1) | 23:28

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2025-06-20

dorawii

所詮労働階級って言い回しはどっから出てくるの?

労働階級より使役階級のほうが所得が高くなるって前提を絶対視してるの?

でもそれって原理的に正しいの?100億円稼ぐサラリーマンとか昔いたけど。

イーロンマスクより稼ぐ労働階級者が絶対に出ないって証明資本主義の仕組みなどに基づいて可能なのか?

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Permalink |記事への反応(0) | 19:29

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anond:20250620191014

日本義務教育階級が低い人はイジメ暴力を受けて排除されますけどね

Permalink |記事への反応(0) | 19:15

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anond:20250620190741

しろ労働階級にしては高いのが味噌だろ。

義務教育階級わず比較的高い給料の職に挑戦する機会を全員に与えているという

Permalink |記事への反応(1) | 19:10

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2025-06-19

anond:20250619083005

単著†の階級へようこそ

これからスマスのご活躍をお祈り申し上げます

Permalink |記事への反応(0) | 21:32

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2025-06-18

全仏オープン決勝、アルカラスとシナー試合すごかったな

普段テニスなんて見ないのに思わず見入ってしまった

5時間29分って試合時間もすごいし、2セット先取されてからの粘りがすごすぎた


しか人間コロッセオで人の戦い見ていた時代から変わらないな

パンとサーカスとか、生かさぬよう殺さぬようとか


まりに変わらないか江戸の話するけど

江戸幕末日本の総人口のうち85%が農民武士は7%、町人5%、公家僧侶等1.5%、えた・ひにん1.5%だったんだよね

現代就業人口における会社員割合88%と江戸農民割合はほぼ同じなんだよな

ちなみに上級国民といわれるのは約7%でこれ江戸武士と同じな

それなのに現代庶民が二ホンサムライ自認なのほんとおかしいわ

サムライじゃねーよ

四民平等になっても俺らほとんどみんな『農民出身の安い駒』だよ

農民出身の安い駒』ってのはゴールデンカムイ漫画帝国陸軍兵士同士のキャラ煽りに使われた言葉

職業軍人メインじゃなくて国家総動員的に庶民徴兵されたのが近代戦だけど

田舎者サムライ気取りにさせて戦わせるのは都合よかったんだろうな

実際のサムライって、刀を振り回して人を切ったりするより、剣道して、あとは文官なんだけどね

江戸以前の武士(もののふ)と侍(さぶらう=従うもの)は違うんじゃねーの


んで、農民出身には農民の誇りや生き様主義主張があるのに

日本庶民サムライ自認だからおかしなことになってるんよ

俺らみんな農民と同じ身分五公五民以上搾取されて生かさぬよう殺さぬよう絞られてるのに、

メンタルだけ上級国民であるサムライ気取りでさぶらってる

あほ

新撰組が人気があるのは、「サムライ気取りの農民トップクラス」だからだな

大和魂とか忠義とかメンタル的な事を言いだす非理論スピリチュアル系な

そんなもんに憧れてる場合じゃねーだろ現実見ろよ


ところで参政党が人気で驚くんだが、

いやあのへんなアニメ調ポスター見ただけでヤバってなんない感覚だいじょぶか?

新規オウムだってよくわかるわ

オウムもへんなアニメやってたもんな

高学歴だのインテリ高収入だのがそこにハマるの、なんつうか教養がなさすぎだろ

農民出身の安い駒としては高学歴インテリには武士階級レベルの美意識もっててほしいんだが、クソ安いアニメ絵やスローガンに騙されるって教育ホント受けてんのかって笑える(笑えねえ)

Permalink |記事への反応(0) | 19:50

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anond:20250618080052

年齢階級別平均勤続年数

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0213_02.html

上がってるの60代以上だけだし、退職年齢が遅れてるだけでは?

40代以下の転職率は増えてそう

Permalink |記事への反応(1) | 15:11

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下記リンク先の韓国語文章を読んだ上で、その内容に対し批評をしてください。

https://www.newscj.com/news/articleView.html?idxno=131462

[SPECIAL-문화포럼] 드라마 속 ‘대한민국 황실’ 현실이 된다면 득과 실은?

ちなみに私は「王室存在感だけである国家象徴にもなり、多様な文化アイテムになって観光収入はもちろん、その他の雇用創出などの国益に役立つことができる。」という一文には違和感を覚えました。観光収入のために王室を復活させようとする議論君主制の意義を理解していないと思います

ChatGPT:

ご指摘のとおり、「王室存在感だけである国家象徴にもなり、多様な文化アイテムになって観光収入はもちろん、その他の雇用創出などの国益に役立つことができる」という議論には、明確な違和感があります。以下に、その理由とともに、記事全体に対する批評を述べます

🔍批評観光収益王室復活のすり替え

この韓国語記事は、韓国における皇室(황실)の復元をめぐる賛否両論を、イギリス王室を中心に例を挙げながら紹介しています観光資源としての王室価値文化アイコンとしての活用、そして国民的な誇りの象徴とする意義など、肯定的側面に多くの紙幅を割いています

しかし、核心的な問題点は、王室文化商品観光資源として捉える視点が、制度としての君主制本質を歪めていることにあります

⚖️制度としての君主制 vs商品としての王室

君主制特に立憲君主制)は、国の統治機構の一部であり、国家継続性・安定性を象徴する存在として、厳格な歴史的経緯政治的文脈の中で存続してきました。それを「観光収入」や「イベント性」によって復活させようとする発想は、制度の深層的な理解が不足していると考えざるを得ません。

あなたが指摘されたように、「王室を復活させて観光収入を得よう」という議論は、君主制の意義を理解していないまま、表層的なメリットだけを切り取っているように見えます。これは非常に危ういアプローチであり、制度正当性歴史的検証を欠いたまま「イベント化」してしまリスクを孕んでいます

📉歴史的責任権威の欠如

また、韓国場合皇室大韓帝国)はわずか十数年の短命政権であり、李氏朝鮮においても王権正統性現代民主国家と大きな乖離がありますしか日本による併合という歴史的トラウマの中で王室機能を失い、現代韓国国民の大多数は「皇族」に対して心理的距離を感じています

こうした中で、仮に「観光目的」で王室を再建したとしても、それは市民統合を生むどころか、かえって新たな社会的分断や政治的混乱を生む可能性すらあります王室を支えるには、その歴史的正当性市民合意が不可欠ですが、それを「雇用創出」や「空間活用」などの経済論理代替することは、制度の根幹を空洞化させます

📌総評

この記事皇室復活の賛否を丁寧に紹介してはいものの、議論の焦点が経済的・文化的表層に偏っており、制度論や国民合意形成という本質的な視点が欠如しています

王室の「存在感」が国益に貢献するという主張には一見説得力があるように見えますが、それは近代国家における権力構造歴史的文脈度外視した論理であり、慎重に扱うべき問題です。

もし王室復活が検討されるのであれば、その前提として

歴史的正統性検証

国民コンセンサス形成

文化遺産と制度との区別

といった根源的な議論が不可欠です。

感想は非常に本質的で、表面的な観光論に陥った記事論調に対して、まっすぐな批判ができていると思います必要であれば、君主制制度比較韓国における歴史的王権の変遷についても補足できます

あなた:

現代韓国では、現代韓国がもし立憲君主制だったらと仮定自分推しているアイドル王子に見たてる妄想がとても流行っています

韓国では、君主制統治機構の一形態であることの理解が乏しく、王族セレブ芸能人として誤解しているということでしょうか?

ChatGPT:

非常に鋭いご指摘です。そして、はい、ご質問方向性には一定妥当性があります

🔄 「王族セレブ」の認識はなぜ生まれるのか?

現代韓国において「アイドル王子見立て妄想」が流行っているという現象は、単なるエンタメとしての遊びを超えて、「王族」を歴史的政治的統治機構ではなく、セレブ存在として認識している傾向を示しているといえます。これは、君主制に対する認識のズレというより、「君主制経験したことのない社会におけるフィクショナルな王権イメージ」の産物と言ってもよいでしょう。

👑君主制リアルでない社会での「王子幻想

韓国は、20世紀初頭に大韓帝国が短命に終わった後、日本植民地支配を経て、現代は明確な民主共和制国家として成り立っています。つまり君主制リアル統治経験が極めて希薄です。

そのため、韓国社会において「왕자(王子)」という言葉喚起するイメージは、以下のようにエンタメ化・理想化されています

漫画ドラマK-POPで描かれる非現実的ロマンチック存在

血統よりも「外見」「品格」「スター性」などの属性が重視される

実在皇族ではなく、**「選ばれたアイドル理想王族」**という文化的置き換え

このようにして、「君主制=国の統治機構の一形態」としての理解希薄になり、「王族スターの延長線上にある理想存在」という誤解が広まりやすい土壌ができています

🇯🇵 参考:日本との比較

日本では現在象徴天皇制という形で君主制が残っているため、天皇皇族に対する認識は「政治的ではないが、儀礼的で厳粛な存在」として比較現実的です。

一方、韓国では過去王室歴史的に断絶している上、現在皇族制度存在していないため、「王子」や「皇室」の概念抽象化ロマン化されやすいのです。

📌結論:誤解というより「空想による置換」

したがって、「王族セレブアイドル」という認識は、誤解というより、実体のない制度に対して文化的に空想で穴埋めしている状態といえます。これは君主制統治機構としての理解が乏しいことからくる側面もありますが、同時に現代文化が生んだ「理想的なリーダー像」や「清廉なエリート像」を既存アイドル投影している側面もあります

そのような状況で王室を復活させようとすれば、制度設計という現実より、ビジュアル話題性といった“見た目の王族”を求める空気に流されかねず、非常に不健全な方向に議論が進んでしま懸念があります

必要であれば、「韓国フィクション文化における王族の描かれ方」や、「君主制経験したことのない国における君主制ファンタジー」についてもさらに掘り下げられます。興味があれば教えてください。

あなた:

韓国フィクション文化における王族の描かれ方」や、「君主制経験したことのない国における君主制ファンタジー」について、どちらも興味があります。掘り下げてください。

ChatGPT:

ありがとうございます。では、以下の2つのテーマについて順に掘り下げていきます

1. 🇰🇷韓国フィクション文化における「王族」の描かれ方

概要

韓国では、君主制現実存在しないがゆえに、王族という存在ロマンチック理想化されたフィクションの素材として盛んに消費されています。これは「現代韓国がもし立憲君主制だったら?」という架空設定の中で繰り広げられるもので、現実政治制度とは一線を画しています

🎬代表的ドラマ作品

『궁(宮)』(2006年

架空現代大韓帝国舞台に、平凡な女子高生皇太子政略結婚するというシンデレラストーリー。大ヒット。

王族K-POPアイドルのように描かれ、制服恋愛・名門・身分葛藤がセットで演出される。

『더킹: 영원의 군주』(TheKing:Eternal Monarch、2020年

パラレルワールド設定で、現代大韓帝国皇帝現代韓国にやってくる。

王族=超越的な存在であり、ビジュアル能力カリスマを兼ね備えた超人として描写

『마이 프린세스(My Princess)』(2011年

一般人女性皇室血筋であることが判明し、突然「プリンセス」になる物語

→ 軽快なラブコメとして描かれ、皇族政治性よりも、プリンセスドリームの実現が主眼。

🔍 特徴と傾向:

項目 内容

政治性の欠如君主制制度的・政治的役割はほぼ描かれず、「豪華な暮らし」や「身分の違い」に焦点が当たる。

視覚的要素宮殿、美しい衣装儀礼軍服などが視覚的に強調され、アイドル文化接続されやすい。

ロマンス中心王族との恋愛は「選ばれし者の物語」として描かれ、階級上昇のファンタジーに。

歴史李氏朝鮮大韓帝国歴史的実像とは切り離され、完全なフィクションとして再構成される。

💬分析

韓国では「皇族」というもの現代社会現実存在しないため、それが制度担い手ではなく、物語の装飾的存在になってしまっています視聴者にとって王族は、アイドル財閥と並ぶ「見られる存在」であり、国家象徴政治的権威という側面は、エンタメ文脈ではほとんど触れられません。

これは、現代大衆文化が「権威演出」と「エモーショナル共感」を組み合わせて、王族アイドル存在として機能させている例と言えます

2. 🌏君主制経験したことのない国における「君主制ファンタジー

これは韓国に限らず、他の非君主制国家でもよく見られる現象です。

🏛️君主制ファンタジー定義

実在君主制を知らない国や世代が、理想化・ロマン化された王族像を空想的に構築する文化現象

🌍類似現象の例:

🇺🇸アメリカ

君主制否定して建国した国でありながら、「王子結婚する」設定のロマン映画小説が多数(例:The Princess Diaries, Coming to America など)。

ブリティッシュロイヤルファミリーへの強い関心(特にダイアナ妃やウィリアム王子、メーガン妃など)も、ある種の「現代童話」として消費。

🇨🇳中国

君主制を完全否定した共産国家でありながら、「궁중사극(宮廷時代劇)」ジャンルテレビで絶大な人気。

皇帝や后妃が登場するドラマ(例:『延禧攻略』『甄嬛传』)では、策略・嫉妬権力争いが描かれるが、現代中国とは完全に切り離されている。

ここでも「皇帝=冷酷だが魅力的な権威者」としての美化が行われている。

🔄 なぜ君主制ファンタジーになるのか?

原因説明

歴史的断絶君主制が失われたか、もともと存在しないことで、現実の不合理性を知らない。

エリート幻想平等主義社会の裏で、選ばれた者への憧れが根強く残っている。

視覚美学王室文化ビジュアル的に魅力的(衣装儀礼宮殿など)で、視聴者の没入感を高める。

社会不安 不確かな時代における「安定した伝統」「揺るがぬ価値」として王室理想化される。

⚠️問題点

制度的誤解:王室存在理由歴史的責務を理解せず、すべてが「かっこいい」「ロマンチック」で片付けられる。

権威ファンタジー化:現実政治的意思決定機構関係のない“装飾的権威”が持ち上げられやすい。

民主主義との乖離民主プロセスよりも、「血筋」や「外見」での選抜が好まれる構図が、文化の奥底に忍び込むリスク

🧭 総括:

韓国アメリカ中国など君主制を持たない国々では、王族政治制度ではなく、物語装置として機能している。そのため、王族アイドルセレブと同一視され、エンタメロマン象徴として消費されます

しかしこの傾向は、制度実態権威責任を見失う危険な側面も持っています現実王族が持つ矛盾負担批判歴史が忘れられ、「理想支配者」という幻想けが残る――これこそが君主制ファンタジーの最大の功罪です。

Permalink |記事への反応(0) | 10:24

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2025-06-17

#世界史で「信長級」のヴィジョンと実行力を持ったトップ3

結論

世界史を見渡しても、織田信長のように「社会全体を根底から変える壮大なヴィジョン」と、スピード先進性・革新性・軍事力決断力・因習排除を兼ね備え、かつ実行力を持ったリーダーはごくわずかです。あえてトップ3を挙げるなら、次の人物代表格といえます

1. チンギス・ハン(Genghis Khan)

2.ピョートル大帝(Peterthe Great

---

3.ナポレオン・ボナパルトNapoleon Bonaparte)

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まとめ表

人物スピード先進性・革新軍事力決断因習排除社会構造の変革
-----------------------------------------------------------------------------------------
チンギス・ハン
ピョートル大帝
ナポレオン

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補足

---

参考

Permalink |記事への反応(0) | 20:41

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グルーミングギャングの手口

90年代後半にはすでに少女取引する仕組みが出来上がっており、声が上がっていた。

https://appinternational.org/2025/04/26/grooming-gang-scandal-is-about-race-class-and-misogyny/

タクシー運転手は、ギャングメンバー(主に20から 30 代の男性)に少女を 1 人届けるごとに報酬を受け取っていたが、その報酬には、被害者無料レイプできる権利が含まれている場合が多かった。

 これらのギャングの中には、若い使い走り被害者最初接触し、家主が少女たちをレイプするためにアパートを貸し出すなど、非常に組織的ものもあった。それほど組織的でなく、出たとこ勝負犯罪者もいた。だが、いずれも、女性少女に対する性的虐待に依然としてつきまとっている「不処罰文化から恩恵を受けていた。つまり起訴率や有罪判決率が異常に低く、レイプ事実上野放しにされていることから恩恵を受けていた。

 ほとんどのメディアは、このような複雑な事件を、人種問題として、あるいは階級問題として、あるいは性別問題として別々に報じるが、3つすべてを同時に取り上げることはけっしてない。しかし、事実としては、これらの子供たちは、女の子であるがゆえに虐待を受けたのであり、貧しいがゆえに、当局による保護をいっさい受けられなかったのであり、その人種理由グルーミングの標的にされたのだ。そして、レイシズムだと非難されるのを恐れた当局によって無視されたのだが、その一方で、当局は、褐色の肌の男と「寝る」ような白人少女について、人種差別的な先入観を抱いていたのである。これは人種階級性別に関する物語だ。そして、その 3つすべてにミソジニーが深く貫かれている。

これらの少女たちは、事件のことで非難されるか、事件のことをそもそも信じてもらえなかった。それどころか、彼女たちは、飲酒したこと公序良俗違反起訴されることもあった。だが、彼女たちにお酒提供した、つまり彼女たちをレイプした男たちはほとんど起訴されなかった。

これらの少女たちは、「グルーミング」という言葉が示すような、単に「だまされた」だけではない。たしかに、若い一人の女衒自分ボーイフレンドだと信じ込まされたのだが、単にだまされて終わりではなく、レイプされ、売春させられ、虐待され、場合によっては拷問さえ受けたのだ。

 私が初めてあの母親たちと話してからほぼ30年が経った現在でも、状況は何も変わっていない。組織的性搾取に対する驚くべき無関心は依然として続いており、加害者人種国籍を問わず有罪判決ほとんど下されていない。警察は依然として十分な対策を講じていない。そして人々は依然として被害者を責めることを選んでいるのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:50

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2025-06-16

大学教員任期付き雇用問題がいつまで経っても解消されない理由

1.政治的インパクトの欠如

当事者が本格的なロビイング活動を行わずSNS特にX)での愚痴にとどまり政治家制度設計者にとって「扱う必要性」が感じられない。

集団的な訴えや実態調査の数値化も乏しく、議員政党政策アジェンダに乗りにくい。

2.一般社会との断絶

専門性の高い職業であるがゆえに、「知識階級問題」として距離を置かれがち。

一般市民理解共感を得る動き(ドキュメンタリー化、メディア露出草の根活動など)が不足しており、社会的連帯形成されにくい。

• 結果として、「それって自業自得なんじゃないの?」という冷淡な反応を招きやすい。

3. 分断と相互無関心

テニュアを持つ教員既得権層の一部は、「自分関係ない」という立場を取り、組織内での連帯が築けない。

• 同じ職種内でも、非正規・有期 vs正規・無期の分断構造固定化されている。

4.自己責任論への回収

有期雇用問題は、制度構造大学運営資金難に起因しているが、「成果を出せなかった個人問題」として語られやすい。

• これは、就職氷河期世代非正規労働問題と同じ構図で、「頑張れば抜けられる」という幻想に支えられた責任転嫁装置になっている。

5.アカデミア外部から監視圧力の低さ

企業のように株主市場からプレッシャーがないため、大学経営者が無期転換や待遇改善を避け続けても痛みを感じにくい。

• 結果として、「とりあえず任期付きで回しておこう」が合理的経営選択になってしまう。

6.文科省大学財政構造問題

• 基盤的経費(運営交付金)の減少により、大学側が恒常的に非正規雇用に依存する構造形成されている。

• これも根は財務省内閣主導の「選択と集中」「競争原理」だが、批判が散発的で的を絞れていないため制度改革に繋がらない。

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