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はてなキーワード:退院とは

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2025-10-25

石破さんのこと、「実績に対して惜しむ声ではなく人柄どうこうというのがトップコメにある限り支持されない」とか言ってるけど、会社能力は高いけど人柄に問題がある人は排除するんでしょ?

というか、自分もなんだかんだ、年齢を経てだけど、能力や実績より人柄を優先するようにはなっちゃったんだよね…😟

なんつーか、常識的でつまらない人、って否定的表現で言われがちだけど、

危機的状況になっても、多分、常識的な人はつまんないぐらい常識的対応するだろうな、というのは良い面も悪い面もあって、

悪い面は、まー、その程度しかしてくれないよね、所詮役人とか公務員は…、みたいな感じだけど、

良い面は、あー、こういうとき粛々と淡々仕事してくれるんだなあ、公務員は…、みたいに思うことが多々あって、

だって災害の時とか、インフラ関係とかセキュリティ関係は違うだろうけど、プログラム書くだけの仕事とかなら、まあ休みになるじゃない

災害仕事が止まっちゃった、で終わっちゃう仕事はみんな休みになるだけだけど、

災害対応仕事に含まれてる人は、災害になってからが本番みたいなもんで、生活インフラとか交通インフラとか止まってるのに大変だなと…

多分、多分だけど、麻生さん的には、まあ菅さん岸田さん石破さんが敵だった、公明党自分に味方してくれたことがない、

それから、石破さんは常識的で、ある意味、つまらない人でもあるわけで、新しい風を感じない、

そういう評価は、まあ正しいんだと思う…

ただねー、自分としては、ネットで誰か別の人が同じようなこと書いて盛り上がってたりしたけど、俺も消極的選択で石破さんだったんだよね

もう、政治は余計なことをするな、と…

クールジャパンとか、バカなことを始めるんじゃないか、と思っちゃうわけだよ、置かれた場所で咲けだの、日本世界の中心だの…

もう、余計なことはしなくていいから、粛々と役人としての仕事しろと…

あとは民間企業とか資本主義がなんとかするから、もうでしゃばらないでくれよと…

ところが、なんか高市早苗政権というか、第二次麻生政権というか、そういう方向性になって、公明党排除した

どうするのかと思ったけど、良いかいかは別として、麻生さんとしては公明党排除は悲願だったし、

ある意味、もうカルトとか宗教に票を頼るのはやめよう、という意思表示のようにも思える、これは考えようによっては好印象なのではないだろうか…

ただ、上述のクールジャパンじゃないが、でしゃばってどうなるか、はこれはもう、これから先の推移をただ眺めるしかない、もうわからん

最近中国手のひら返しで、急にハイテク関係に力を入れるようになったけど、

そもそも共産党中央は、巨大ハイテク企業自分たち以上の力を手に入れる脅威になるわけだから、これまで冷たい態度を取ってきた

しかし、AIロボット産業が、ある意味核開発みたいな感じになってきて、核開発とかアポロ時代宇宙開発のように、アメリカ競争するようになった

高市さんにそういう中国みたいな産業への後押しを望んでる声が多々ネットにあるのだけど、俺は本当に中国と同じような方向性を導入していいのか分らん…

自分が老人になったからだろうけど、なんかもう疲れたんで、もっと緩い社会とか、温い世界があってもいいんじゃないか…

そうは言っても、一方で自分テクノロジー楽観主義者でもある

第三次世界大戦とか、ターミネーターみたな話を皮肉としては話すけど、本音では、まあ超知能が仮に登場しても、なんか良い方向に行く気がしてるのである

なんなくても、核と同じで、今度はみんなでその強大な力を抑え込むためになんかやるでしょ

その証拠に、今のところ核戦争は起きてない

やろうと思えばできるけどやらない、というのは、結局核戦争を始めても報復連鎖が起こって人類が自滅するだけなのを、各国のインテリは少なくとも分かってるから

あー、でも、ここで手綱インテリの手を離れて、バカ自殺志願者とかゴロツキに渡ったとき悲劇が起こる、という可能性は否定できない

話が大幅に脱線したけど、いや、ほんと、俺は石破さんみたいな人は、人として好きなタイプなので、一緒にご飯を食べに行きたいぐらい

極度の対人恐怖症の自分でも、そういうイベントがあったら、お金なくても行きますよ、鉄道の話はできないけど…

高市政権がどうなるのかしらんけど、麻生さんとご飯に行きたいとは思わない

皮肉なのは分かるけど、仮に新卒学生上司に向かって、麻生さんみたいな皮肉を言ったら、即刻干されれるでしょ…

麻生さんがそれをできるのは、あの人は生まれつきの上流階級人間から

俺たち労働者階級気持ちが分かってないわけで、

Xを眺めてたら、安倍晋三万歳麻生太郎万歳高須克弥万歳、みたいなことを書いてる人がいて、

その三人とも俺は正直あんま好きじゃないというか、嫌いなんだけどな、と思ってタイムライン読んでたら、

その人はかなり中年高齢?の独身女性で、結婚歴もないみたいで、超貧乏生活してることが分かってきて…

自分不思議なんだけど、いや、でも自分厨二病ときとか、社会挫折してひきこもってた初期の頃はあったか

ナチスの真似したりして、高揚感はあるんだよね…、それは分かる、コスプレみたいなもんだし…

でも、自分貧乏だと、金持ちお金自慢みたいなの見て、いいなあと思って、不愉快になるだけで、

俺みたいに死ぬまで独身決定、孤独死確定の人間が、家族団らんを眺めてても辛いだけでしょ、普通

から、その女性気持ちがまったく理解できなかったんだよね

自分より大きな権力とか力に憧れがあって、彼らと似たような思考や行動をしていれば、自分金持ちになれる、とでも思ってるとか、

まあ、高揚感があるとか、俺は他人とは違うんだ、みたいなニヒルを気取ってるとか、そういう気持ちは分かる

分かるんだけど、まあ、そういうのは長続きしないよ、いつかは目が覚めるんじゃないかな…😟

常識的でつまらない、まあ、そうなんだけど、普通とか常識があるから社会がそれなりに安定して成り立ってるわけだし、

エクセントリックなことをする人が面白い、ってミュージシャンとか漫画家とか政治家とか、目立つ職業評価されるのは分かるんだけどさ、

普段バスとか電車とかタクシー運転してくれてる人がいるから、

なんとか退院したけど、とても家まで歩いて帰れない俺が無事に家に帰れるわけだし、

派手な芸能人とか政治先生が俺を家まで送迎してくれるわけじゃないからねえ…

まらない人にも価値があるし、能力や実績があっても人間として不快な人は不快に思う気持ち自分にもあるし、

自分も人のこと言えないというか、昔の自分反省しているところもあるんだけど、そういう人が干されても当然というのはあると思う

まあ、なっちゃったからには高市さんに頑張ってもらうしかない応援するというか遠くから見守るしかないわけで…

Permalink |記事への反応(1) | 19:44

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2025-10-24

俺が弱者男性にならなかった理由

過去を振り返ると人並みに試練が多い人生だったと思う。

例えば、

社会人になりたての頃は、

全く社会で戦っていける武器はなかった。

過去の瞬間を切り取れば、弱者男性と呼ばれる男だったと思う。

そこから40代になった今は、一応一部上場企業に勤め、年収は1,000万を超え、子宝には恵まれなかったが、妻と2人でささやか暮らしている。

現在弱者男性ではない理由は、他人に期待しなかったからだと思う。

まず近親者に問題が多かった。家族でもこれだから赤の他人行政が親身になって自分を救ってくれるとは到底思えなかった。

みんな自分の事で精一杯なのに、なんで何も持たない俺を気にかける?他人にとって俺を助けるメリットはない。だから自分を助けるのは自分しかない。ずっとそう思ってた。

独学でスキルを学び資格を取り、体当たりで色んな場所に顔を出してコネを作ったり、落とされても何度も挑戦して転職もできた。

途中では、挫折もしたし、恥も沢山かいた。ぞんざいな扱いに傷ついたり、悔しい思いも数知れない。

社会人スタートが遅かったから年下にこき使われることも頻繁にあった。情け無い気持ちになっても自分プライドを抑えた。生い立ちとか学歴とか、未だにコンプレックスだらけだ。

運が良かっただけとか生存者バイアスとか言われるかも知れない。でも誰かの救いを待ってるだけでは現状は悪くなるばかり。自分自分しか救えない。これは真実だ。

そして、これから人生で何が起きて、また弱者男性になるかわからないが、そんな時でも他人には期待できない。困らないような準備を今からしておく。

みんな頑張れ。

Permalink |記事への反応(2) | 11:03

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2025-10-19

高齢者ワガママってどのくらい聞けばいいんだろうな

誰も面倒を見ないのに自宅に帰りたいって行っていつまでも退院調整で病院にいる老人とかどうすんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 20:51

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2025-10-15

anond:20251014205243

会陰切開って麻酔しないのか?と思ったが、まあするよな。知り合いもしてたし。

局所麻酔をするので、切る時は痛みを感じません。出産後は、切った傷と自然にできた裂傷部を縫い合わせます。痛いみが強い場合は、局所麻酔を追加することもできます。抜歯は、5日目の退院時診察の際に行います入院中しばらくは、縫った部分の痛みがあります

https://www.ncchd.go.jp/hospital/pregnancy/column/einsekkai.html

AI による概要

会陰切開は、分娩中に局所麻酔を行ってから切開するため、切っているときの痛みはほとんど感じません。無痛分娩選択している場合は、追加の麻酔は行われず、そのまま切開されることが多いです。縫合後、麻酔が切れた後から産後しばらくは、痛み、腫れ、違和感を感じることがありますが、時間とともに和らいでいきます。

Permalink |記事への反応(1) | 11:24

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2025-10-08

性癖ってひょんなことから気づくよねって話

今年手術をした。

執刀医は初めて会った時、

若いイケメンだなと思った。

その時はそれ以上でもそれ以外でもなかった。

手術が成功して無事退院すると、

浦島太郎の助けてもらった亀現象なのか、

急に意識してあれ、めっちゃあの人のこと気になる

というフェーズ突入

わたしは割とネトスト力があるから

彼のsnsアカウント特定してしまって、

時々チェックするように。

そこで趣味とか呟きを観察していると、

医師という理性的仕事をしながら、

ちゃんと欲や禁忌にも興味があるタイプだと知る。

そこでわたしは気づく

常に冷静で的確な判断ができる頭脳

何万回も特訓したことで得た手技(身体化された知性)、人間らしさ(感情的な欲)

この3つが完璧に融合した属性人間に頗る弱い、

堪らなくツボということ。

まり性癖

理性的人間内面では欲や熱を抱えている

という構造がたまらなく好き。

からといって何が起きるわけではないし、

そもそもわたしが観察したこと

勝手に作り上げた人物像かもしれないのにね。

彼の専門領域患者になりうる人がエロで小遣い稼ぎしてる垢をフォローしてたのも

倫理的ギリギリで反則(だがそこがいい

だってフェチ仕事が絡んでる人こそ、

信頼できるってもんでしょ?

正直その倫理的ギリギリフォロー案件事実だけで、

彼を思い浮かべて3日連続ひとりでした。

いやあ、本当にわたし性癖に刺さる人だった。

しみじみ。

Permalink |記事への反応(2) | 09:05

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2025-10-03

妻に20年後離婚を切り出された

特に相談ではありません。備忘録です。犬も食わない夫婦げんかの話です。

スペック

増田(夫)

数年前に婚活で知り合い、結婚をした。

家事分担

家事の分担は体感では夫婦間で妻8、夫2の割合。俺が風呂掃除トイレ掃除を行い(毎日)、妻は料理を作ってくれている。その他、掃除機をかけたり洗濯をするのも主に妻だが、俺が在宅勤務のとき洗濯物を干したり取り込んだりするのは俺がやっている。なお、月10日程度の在宅勤務の日以外は、俺は公共交通機関で3時間ほど離れたところに単身赴任しているので、その間はすべての家事を妻がやっている。負担は大きいと思う。

妻は俺から見れば潔癖に近いきれい好きで、毎日午前中は掃除をしているらしい。そんな環境で育った妻と、週に1回掃除機をかける実家で育った俺では、ずいぶんと価値観に違いが出る。俺は単身赴任先では風呂トイレ掃除はは多くて週に一度しかしない。だから風呂トイレ掃除毎日しているのは俺なりに努力はしているつもりだが、妻から見たらそれが当たり前で、何とも思っていないっぽい。以前、トイレ掃除を終えて「掃除終えたよ」と伝えたら「やって当たり前のことは報告しなくてもいい」と言われたので。(ときどき、「ありがとう」ともいわれる。)

料理が妻の分担なのは、俺が料理が苦手というのもあるのに加えて、妻がキッチンの原状復帰を求めてくるので、それは無理だからしていなかった。今回、料理をしたら原状復帰できなかったのでずいぶんと怒鳴られた。

家計分担

妻は住宅ローン以外はほとんど払っていない。俺は鬱病もちで団信が通らなかったため、独身時代貯金職場から借金住宅の購入費の半分を出した。生活費、光熱水費をほぼ俺が払っている。俺が不在時の生活費は妻が払っていることもある。(もちろん、妻名義で俺の口座に紐づいた家族クレジットカードも渡している。)家計管理も俺がしている。妻は親から通勤用(片道1時間かかる)の車を借りている。以前は「家計が苦しい」というたびに「そういうことを言うと運気が逃げるから言わないでほしい」と言われたが、本当に厳しいので、最近は何も言われなくなった。

なにが起きたか

一週間の間に、妻と2度大きな喧嘩をした。その際に、怒鳴りながら以下のような言葉を言われた。

  • ブクブク太って、少しは痩せる努力しろ
  • 瘦せる瘦せるといって瘦せないのは詐欺
  • 家を買う時も全額出すといったのに、折半になったのは詐欺
  • いつも「知らなかった」「気がつかなかった」「見えなかった」で済ませるな
  • すぐに言い訳するけど、男なら自己弁護せず男らしく誤りを認めろ
  • 価値観が合わなさすぎる。子どもが成人したら離婚しよう。

子どもの前で怒鳴ってほしくなかったし、そもそも怒鳴るのはよくないこと、人の身体的特徴をあげつらうのはよくないことを、できる限り冷静に伝えた。すると、「怒鳴らせてるのは誰だ」と言われた。私は怒鳴ったり殴ったりするほうが悪いと思っていたけど、怒鳴らせたり殴らせたりする側に原因がある、というのが妻の考え方らしい。

なにがあったか

いろいろと積もり積もったものがあると推測するが、引き金になったのは以下のことだと思う。

1回目

子どもが先月、病気入院した。幸い、1週間程度で退院した。その際に主治医への心付け(現金)を準備したのに、俺がタイミングを逸して渡しそびれてしまった。それがきっかけで、2時間ほど怒鳴り続けられた。

  • なんで言われたこともできないのか
  • 今日退院するとわかっていたのに、荷物が多すぎるだろう
  • 枕とタオルケットまで持ってきて、誰が洗濯すると思っているんだ
  • 弁当もいつもいっぱい買ってきて、それだけ太っているのだから食べなくても死なないだろう

ちなみに、退院時に持ち帰る荷物には弁当はなかった。

実はこの春にも子が病気入院して、その際にも心付け(現金)を今回とは別の主治医に渡しそびれたため、ミスが続いたかイラっとしたっぽい。

子どもがまだ小さいため、24時間、親のどちらが付き添わねばならず、妻2日、俺5日の割合で付き添いをした。退院の前日には「様子を見て、明日明後日おうちに帰れるかな」と主治医から言われていたものの、まさか翌日退院になるとは思わず、準備が不十分だった。ただ、俺は基本的には主治医への心付けはいらないと考えている(俺たち家族にとっては大きな金額だが医師にとって数万円は大きくないこと、そんな心付けで動くような病院だとみなすのも失礼な気がすることなから)ので、そのあたりのすり合わせができていなかったから、妻との間でコミュニケーション不足があったのは確かだった。妻に言わせると「心付けがなくて子どもに何かあったらどうするの?」「ずいぶん前に心付けをしたから、今回も入院させてもらえた」という理屈らしい。俺が俺なりの意見をいうと「そういうの(心付け)と無縁の世界で育ってきた人にはわからない」といわれる。

妻の会社ミスを2度すると「前もやったよね?」と詰められるらしいが、俺の職場は「ミスは起こるもの、再発しないような制度づくりを考えよう」となるので、考え方が違うなあと思った。

この季節、朝晩は寒いから少しでも快適にいようと、付き添いの際は病室で寝る親(俺と妻)のため、枕とタオルケットを持ってきたのだが、妻からすれば付き添う者の快適さより選択煩雑さほうが頭にきたらしい。

2回目

子ども退院後、妻は一足早く職場復帰し、俺は休みを取っていた。その日、妻が出勤前に料理を作っておいてと言われたので、OKした。鮭と大根ニンジンを入れたスープ豚肉白菜を煮込んだスープを作っておいた(センスがないのは認める)。妻が帰宅後、その様子を見て、キレた。

  • この鍋はいいやつだから煮炊きに使ってほしくなかった
  • 鮭がほぐれておらず、塊のままだけど、ほぐさなかったの?
  • あちこちスープが飛んでいたりこぼれていたりするけど、なんで?

鍋のこだわりについては知らなかった、スープが飛んでいたのは見えなかった、鮭をほぐす必要があるとは思わなかった、と答えた。すると、上で書いたように「それで済ませるな」、と怒鳴られた。俺からしたら、だから原状復帰を求められる料理はしたくなかったんだ、の一言に尽きる。妻は俺の作った料理には全く口を付けず、自分だけ卵を焼いて晩御飯を済ませた。残った俺作の料理は翌日に俺が食べきった。

なお、鮭がほぐれていない理由を答えたときに、「どういう育てられ方してきたんだ」と言われたため、スープが飛び散っている理由を聞かれた際に「本当にその答えが聞きたい? 俺がどういう教育を受けてきたんだ、と批判したいだけじゃなくて、本当に理由が知りたい?」と聞いたら。「ケンカを売っている」と言われてしまった。火に油を注いだかもしれない。

離婚を切り出されて

焦ったということは全くなく、ほっとした、という気持ちが先に来た。これでもう怒鳴られることもないし、一生、午前中を風呂トイレ掃除に費やされることもない、と思ってしまった。俺は結婚に向いていなかったのかもしれない。

俺は読書趣味なのだが、子育て中は読書時間が全く取れないのは仕方ないとはいえ、今後、子が大きくなってからも頭の一番冴える午前中を掃除という単純労働に費やされるのが嫌だったので、ほっとしてしまった。(午前中に掃除をするのがいやなことも、妻には伝えられていないので、まだまだコミュニケーション不足かもしれない。)

妻には妻の言い分があるだろうが、自分の言い分の備忘録としてここに書き捨てる。

Permalink |記事への反応(0) | 16:01

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2025-09-29

anond:20250928215209

うちの母親は「思い出しむかつき」がエスカレートし過ぎて人前で大声の独り言(というか一人怒鳴り)をするようになって精神科入院したが

最終的に「精神病ではなくそういう人」という扱いになって症状は何も改善しないまま退院した

Permalink |記事への反応(1) | 14:36

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2025-09-28

50歳手前の姉(追記あり

たくさんの方にコメントもらえて自分気持ちが救われました。ありがとう

更年期障害について

年齢的にも影響はあるのかも。自分は男だし分からない所あるから、まずは母親にでもキーワードとしてインプットしてみる。あと家庭内の状況は、姉旦那や親に聞いてみる。

・親の育て方について

皆さん指摘の通り、原因はこれが大きいと思う。姉とは6歳差で、小学校入るくらいまでは一人っ子扱いだったと思うが、自分が生まれからは「お姉ちゃんなんだから」的な育て方と思う(赤ちゃん小学生なら悪いこととは思いつつ、自分もつい言いそうだなとは思う…)。

以降も姉と父親は事あるごとにぶつかってた。だからこそ私ばっかり苦労してあんたはズルいと言われる。

仕事でも正面突破せず、ちゃんと事前にネゴる癖はこの影響なのか??)

・姉に共感してあげるべき

攻撃的な目で態度で来る人に対して共感は無理よ…。弟って弱い立場扱いだし、第三者だったらできると思うけど、この状況で自分はできない。

最初書いてなかったけど、姉がこんな状態で一番困りそうなのは今は元気な親に何かあったとき…。今は実家まで4時間のところに住んでるので。

表面的にでもコミュニケーション取れるくらいにしておきたいんだがなぁ、怖いんだよなぁ。

■■追記ここまで■■

田舎実家の近くに住んでいる姉は、結婚して子供も三人いて長男地元で一番優秀な高校に行ってて、普通に幸せそうな家族だと思う。

ただ昔からである私に対して姉は、私はこーんなに苦労しているのにあなただけズルい、と言い続けてきた。高校まではお互い同じような感じだったけど大学は姉は相当苦労して浪人して女子短大こちらはストレート地元国立に入ったりはして、それに関してもズルいズルいと何度も言われた。

けど姉もちゃんとした職について今も働いてるし、劣等感を抱くようなところは一切ないと思う。子育て実家の両親に頼りつつ3人も育てていてすごいと本当に思う。

で、まぁそんな感じてズルいとはたまに言われつつ、仲良くはないけど悪くもない感じで過ごしていたんだが、ここ5,6年くらい年々姉からの怒りが増え続けていて怖い。

怒っているのはいずれもとても古い話。

たとえば2年前くらいに泣きながら言われたのは、20年前に母がガンになったときに、あなたは見舞いにあまり来なかった、それを私は怒っている。とか言うわけ。(母は以降再発もなく元気。)

別のときは、こちらが小学一年生だったときものすごい駄々をこねたらしく、姉がやりたいことができなかった過去があったらしい。それを今でも本当に怒っている、と40過ぎの私に問い詰めたり。(その時姉の隣には小学高学年の長男がいるジョークのような状況)

最近親に対しても、古い前の実家自分の部屋が気に入らなかった、あの部屋を割り当てられたのは今でも納得できない、と言ってきたそう。

これらの話を泣きながらものすごい深刻な感じて怒りながら言ってきたりするわけ。許せない!キーー!って。

父親も困り果てていて、そんな話今更されてもなんなんだよ今更…と言っていて、自分も姉からそんな話ばっかりされるから、避け気味にしてたらより一層攻撃が激しくなって手に負えなくなってきた。というか、とにかく怖い。目がマジ。

母親あんたたちきょうだいなんだから仲良くしなさい、としか言わないし、悲しいわと言って泣き出すし、あなたが謝ればいいのよと言われても、そんな20年前のこと謝るのも素直になれないし、というかうっすらしか覚えてねーよ、という気持ちしかない。

自分も含め多くの人は過去の嫌な記憶は日々の生活の中で、時間が経過して薄れていくものだと思うんだけど、年々増していくのはなぜなんだろう。

コトが起きたときよりも明らかに怒りが増えてる。数倍も。

母親病気も、母が退院して数年後にはこちらの結婚式をしていて姉も普通に参加して楽しんでいた(ように見えてた)し、以降もお互い子供が生まれて、実家に集まったりもしていた。まぁ普通だったんだよ。それがなぜここ数年で爆発するのか。

年に2、3回しか会わないし、もうイライラされるほど接点ないんだけど、会うたびに関係が悪くなっていく…というか、あちらの怒りがマグマのようにあらゆるものを溶かして巨大化しているような…。

普段仕事ストレスあるのかもしれないけどそこまでは知らないし、怒りをぶつけやすい弟に照準が合ってるのかもしれないが、ちょっと最近は度が過ぎる。

メンタル的な話なのかもしれないし、カウンセラーとか医師相談したらいいだろうけど多分それを言ったらめちゃめちゃ怒ってきそう。

年齢的なもの?ミッドライフ・クライシス

これ、誰か姉の状況をわかる人いれば助けてほしい。同じような状況の人っているのかな…、どうしたらいいのか教えてくれる人いませんか。困ってます…。

Permalink |記事への反応(30) | 21:52

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2025-09-25

anond:20250911170648

6グラム塩分入院生活送ったけど、

ちょうど退院って頃にやっと慣れてきた

ふだんの生活いくら気をつけていても、2倍は取ってしまうな

味噌汁NGラーメンもつゆは飲まないと言っても、自分で作るとわかるけど

スープの半分が麺にまとわりついてくるので、半分は飲んだことになる

Permalink |記事への反応(0) | 22:23

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2025-09-22

救急車代が1.9万円ぐらいだった(事例2)

ワイの場合も1.9万円ぐらいやったやで。

休日の深夜に意識を失って救急搬送、一式検査して点滴治療で翌朝退院パターンやで。

内約はこうやで。3割負担

診断は要するに栄養出張だったやけど、意識失うとか他にヤバイ病気あるんちゃうんかと言うことで一式検査してもろて、一晩様子をみましょうかということやった。

結果的には軽傷やったけど、これで選択医療費はつかなかったけどなあ。病院によっては厳しいんだな。

Permalink |記事への反応(1) | 19:17

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2025-09-18

二泊三日で親知らず抜いてきた

下の親知らずが少し出てるけど、磨けない状態

かかりつけの歯医者から、いつか絶対虫歯になるから抜きましょうって言われてた。

言われ続けて早5年。なんか疼いてきたので紹介状貰って病院に行った。

嘔吐反射がきつくて全身麻酔でお願いしたら2泊3日の入院になった。

1日目

10入院。ベッドに案内されアレルギーについてしつこく聞かれる。

4人部屋。ほかの人たちから放射線治療とか、脳に腫瘍とか聞こえてくる。

親知らずときでここにいるのが申し訳ない。

以前ロキソニン10日以上の便秘になったのでロキソニンは変えてもらう。

テレビカード買う。冷蔵庫Wifiもこれで賄う。

昼ごはんシチューご飯。お肉たっぷりで美味しい。

口腔外科で診察と麻酔科説明を受ける。

ベッドに横になる気になれない。スマホYOUTUBE3DSテトリスで気を紛らわせる。

晩飯、骨の一切ない焼き魚おぼろ豆腐普通においしい。ここから絶食

会社から電話。持参したパソコン対応する。

布団が分厚い。少し寒いタオルケットだけで寝る。ほかの人がトイレに行くだけで目が覚める。

2日目

手術は4人目。16時開始予定。昼から点滴。

この時点ですごい怖い。3DSテトリスカルドセプトが無かったら耐えられなかった。

気を紛らわせるには反射神経と両手を占有するテトリスが最適だと思った。

予定が押してるのか18時開始。病衣に着替えて手術室に歩いてく。髪の毛キャップかぶり無影灯のベッドに横になる。

心拍数100ぐらい。酸素マスクをつけて深呼吸する。麻酔が流されて気を失う。

なんか楽しい夢を見てたら目が覚める。終わったらしい。すごい解放感。痛みはあるが終わったことの喜びが大きい。

いろんな管を外されてベッドに移動してもらう。20:45妻に終了の連絡。

2時間たって水と痛み止めのカロナールを飲む。さらに2時間トイレに行く。2時間おきに看護師さんが血圧と体温を測りに来る。

術後4時間で流動食は食べられるらしい。残してあったが断った。

3日目

朝食も流動食。おかゆは全部残す。終わったらレントゲン撮る。

病室に戻って身支度。退院が早かったので会計が間に合わないとのこと。次回払う。費用はだいたい10万円。

先生の診察。レントゲン確認して抜歯の予定決めて終了。10時退出。

痛みはまだ全然耐えられるレベル。モノ食べてるときは痛むけど、普段あんまり感じない。

明日から明後日にかけてが痛みと腫れのピークらしい。

付き添いなしの単独入院だと荷物管理が大変だった。

たか親知らずでここまで丁寧にやってくれるのは、今の日本しかありえないなと思った。

ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 13:37

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2025-09-14

anond:20250914003302

本は裁断してスキャンしてガンガン捨てたよ。

一部記念に残している奴はある。自分執筆した記事が載った奴とかね。

全部データ化してNASに入れて管理するのが一番だと思う。

部屋が広くなるし。

親フラされた時に困らないし。

むかしむかし、この距離なら絶対こねーだろうと思って、エロ本を大量に買っておいたんじゃ。

抱き枕とかタペストリーとかのグッズも大量に。

そしたら、腸内出血による貧血で倒れて救急車で運ばれて即入院になった。

そして・・・奴は飛行機できた。

さあ、鍵を渡せと。

ホテルもったいないでしょうって。

こっちは点滴につながれて輸血受けている身。

拒むことはできなかった。

あとはわかるな。

退院して、全部電子化して捨てた。当時はscansnap時代だった。

ああ、懐かしい・・・

Permalink |記事への反応(0) | 00:41

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2025-09-02

盲腸搬送してもらった話

その日の仕事中、かわいがっている姪から「熱が出ちゃったよ」と連絡があったため、アイスを買って届けることにした。

近所に住んでいる甥や姪が熱を出すと、仕事帰りにアイスを買って届けるのが習慣なのだ

マスク持ってる?すぐうつちゃうんだから気をつけてきてね」と追いメールをくれた姪、かわいい

コンビニに立ち寄ってちょっといいアイスを買った。

もちろん甥の分も。

ついでに私自身が食べる分も買った。

大量買いしても大丈夫なように、アイスのすぐ横に保冷バッグも置いてある抜かりないコンビニだった。

アイスを届け帰宅し、晩酌しながら夕飯を食べた。

最近お気に入りのBACARDIのモヒート炭酸で割る。

いくらでも飲める。

野菜と魚と納豆と、ちょこちょことバランス良く食べた。

22時頃、なんとなく腹痛を感じた。

基本的に快食快便タイプだが、たまにお腹を壊すことがある。

今回もそれか、と思ったが特に便意は感じない。

ガスでも溜まったかな、少し経てば治まるだろう。

治まったらさっき買ってきた安納芋アイスでも食べようか、ととりあえずベッドに横になった。

そのまま数時間

痛みは治まらず、特別悪化もしていないようだがしぶとく継続している。

トイレに立ったが下しているようなこともない。

いつになったらアイスを食べられるんだ…とりあえず寝るしかいか…と目を閉じてみるが、眠れない。

まんじりともせず空が白んできた。

数回トイレには行ってみたが、結果変わらず。

痛みは増している。

スマホで色々と検索し、腸閉塞ではなさそうだと自己判断してみる。

以前、憩室炎の疑いで通院したことがあったのでその線か、はたまた卵巣出血かと思いを巡らせる。

巡らせたところで素人には原因がわかるはずもなく、どんどん痛む腹を抱えて時が経つのを待つしかなかった。

6時を回り、これは出勤どころではないと同僚へ「とりあえずクリニックが開いたら見てもらう、また連絡する」旨簡潔に連絡した。

一方でそろそろ救急要請が頭をよぎり始めた。

とは言え、春に別件で職場で倒れ搬送されているためかなり躊躇する。

意識はハッキリしているし、すぐ死ぬほどではなさそうだ。

ただこのまま8時過ぎまで耐えて自力でクリニックへ行くことが可能かどうか、その前に意識を失ったりしたらどうなるかと思うとなかなかのスリルを感じる。

しかたらこれが一世一代の瞬間となるかもしれない。

しかしこの地区はたまに救急車が逼迫していると連絡が来るような地域柄だ。

貴重な医療資源無駄に消費するようなことも避けたい。

7時になった。

痛みに強い自覚はあるも、この時点で恐らく激痛と表現してもいいレベルに達していた。

どこか冴えている脳みそをぶん回し、#7119に連絡することにした。

救急車を呼ぶかどうかの判断をしてもらおう。

搬送される場合を想定し、今できることをやっておかなくてはならない。

なんとか起き上がり、洗濯機下着等をぶっこんでスイッチを入れ、シャワーを浴びた。

#7119は親切に、この時間に診察してくれる病院を2つも教えてくれた。

1つめは自宅から近い総合病院で、家族入院手術したことがあるため大本命だった。

電話をかけると「重篤患者複数抱えているため、診察まで数時間かかる可能性がある」と少し遠い第3の病院を紹介してくれた。

仕方がない、こちらは自力で連絡できるほど軽症である

紹介された第3の病院電話をかけた。

いくら呼び出しても通話にならなかった。

これでは時間をかけて行ったところで診てもらえるかわからない。

#7119が教えてくれた2つめの病院に連絡した。

「7119が…何かの間違いでは…?今日は消化器の担当ではないので診ることができない」

安直絶望した。

腹が痛い。

救急業界からすると軽症だろう。

しかし激痛なのだ

電話で話そうにも自分でも引くほど息も絶え絶えで、必死に声を出す必要があるくらい辛い。

だが相手はさすがプロ、この状態でも平気で断る。

8時までは待てない。

再び#7119に連絡をする。

救急車を呼ぶかの判断するところに繋がっちゃってるから病院紹介なら"2"を選んでもらわないと!繋ぎますね!」

この一連の盲腸騒ぎで唯一イラついたのがこの対応だった。

というより、電話が繋がった瞬間から相手の方がイラついていた。

とても大切で尊い業務なのだから、あの担当者には、不安を抱えて電話をかける人間対応するための研修を受けてほしい。

結局、再度教えてもらった病院電話して「専門医がいないが、それでもよければ救急窓口にくれば誰でも診察する」と言われ、心が折れた。

冒頭にアイスを届けた姪の親(実の兄弟)へ連絡した。

状態と経緯を説明し、もう自分では判断できないからどこか病院へ連れて行ってほしいと懇願した。

「わかった。救急車を呼べ。すぐそっちに行く」

家族がそうしろと言った、という後ろ盾を手に入れた私はすぐ119へ連絡した。

救急だと伝え、年齢と性別、本人であること、症状。

#7119に連絡して紹介された病院にひととおり連絡したがうまくいかなかったこと。

住まいが少し変わった立地のため、救急車が停められないかもしれないこと。

「もう向かっている」という情報が心強くて少し涙が出た。

財布の中の保険証確認し、スマホを持ち玄関で座り込んでいると、救急車より少し早く兄弟が到着した。

その頃には痛みから過呼吸が起きて手足が痺れ、動きづらくなっていた。

春に倒れて搬送されたのも過呼吸だったが、あれから癖になってしまったのかもしれない。

案の定救急車は家の前まで来られず、救急隊に抱えられて歩いて乗り込んだ。

近所の顔見知りのおばあちゃん心配そうに、「がんばって!」と声をかけてくれていた。

救急車の中でストレッチャーに横になり、搬送先を探す段階になった。

あとから自分の車で後を追うという兄弟が外で待っている。

この頃になるともう痛みで頭が働かない。

「まだギリギリ夜間の当番病院時間で、それで良いか」と確認された。

何でもいいから早くなんとかしてほしくて了承したが、到着まで15分と聞いて密かに何度目かの絶望をした。

意識のある状態で乗る救急車はお世辞にも乗り心地が良いとは言えず、端的に言うと車酔いする。

痛みと車酔いはできるだけ併用したくない。

特に処置必要としないからか、隊員の方々はストレッチャーから離れきちんと座席に座っていた。

たまに「大丈夫ですよ〜」「もうすぐ着きますよ〜」と声をかけてくれた。

七転八倒しならが車酔いとも闘っていたが、周りの様子からただ痛いだけで恐らく死なないのだろう、と察することができた。

何度か「救急車通ります」「ありがとうございます」とマイクの音声が聞こえた。

善良なドライバーの皆様がその度に道を譲ってくれている。

命にかかわらないただの腹痛なのに申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちが浮かぶから痛みにかき消されていった。

病院に着いた。

じっと寝ていることができず喉からウーウーと声が漏れる。

痛みでもう目も開けられないため、誰に何をされているかもわからない。

過呼吸のせいで両手が硬くこわばり、痺れは顔や下半身にも及んでいた。

何度も繰り返すが緊急性がそれほど高くないのは自分でもよく理解していたが、痛み止めの点滴があまり効かず耐えがたい痛みがしばらく続いてしまい、これなら近所の総合病院(#7119が紹介してくれた1の病院)に行っても良かったもしれないとチラリと考える余裕はあった。

急性虫垂炎と判明するのは、ここからいくつかの検査を経てからだ。

搬送された話は以上。オチは無い。

現在は手術を終え退院し、自宅療養中で暇なのでとりとめもなく書いた。

初手術、初入院の話はまた別で書くかもしれない。

ちなみに搬送された当番病院電話しても繋がらなかった第3の病院だった(退院後、帰宅して自分が書いたメモ確認し判明)。

電話が繋がらなかったり、病院からやんわりと拒否されたり、救急車内で塩対応されたように表現しているかもしれないが、単に自分体験したことをそのまま書いただけで、医療制度に不満があるわけではない。

しろ命にかかわらない患者であるにもかかわらず、迅速に安全病院搬送され、適切な治療の機会を得ることができて感謝しかないということを強く主張する。

そして軽症にもかかわらず救急車を要請したことに対する非難はごもっともであり、反省している。

こんなしょうもない駄文最後まで読んでくれる人がどれだけいるのかわからないが、そこんとこだけよろしく

Permalink |記事への反応(2) | 18:54

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2025-08-25

入院中に何を読んでいたか。というかラジオを聞いていたなと思いだした

数年前、2カ月弱の入院生活をしていた時は、なかなか読み進まなかった全7巻の「ひらがな日本美術史」の6巻と7巻を持って行った。

死亡リスクは1%弱、予定時間12時間というザコだがそれなりの大手術を予定していたので、小説とかドキュメント評論など普段自分が読むものは無理だろうなーと思ったから、絵や写真がきれい文字もたくさんある本が良いと思った。「ひらがな日本美術史」は何となく途中で読み止まっていて、読み終わってなかったのが気になっていたのでちょうどよかった。猛烈に良い本なので非入院勢にもお勧め

本も良かったが、役立ったのはスマホタブレット、あとポケットwi-fi

古くてデカ病院入院したのだが、入院前に主治医が「仕事とかインターネットするなら自前で回線を用意してね、ごめんねうち古い病院で」と謝られた。テザリングすればいいしなと思ったが、手術前ぎりぎりまで仕事の引継ぎなどする必要があったので一応会社の経費でポケットwi-fiを手配した。入院→手術まで3wあったのでその間は仕事リモート会議、引継ぎのデータアップロードなどに重宝した(余談だが、個室には入れたのは超でかかった。会議しほうだい。あと広くてプライバシーあるの最高。みんな将来のこと考えて1日いくら入院保障入っとくといいよ。個室超快適)

アマプラDAZNも見られたのは入院当初はまぁまぁ暇つぶしになったが、日中は実は入院患者は、術前検査に見舞いに回診にリハビリ風呂に三食にと、かなりアクティブなので時間があまりないし、手術後はやっぱり心身の回復時間がかかったせいと術後の一時的後遺症で目がちかちかしていたので画面が見たくなくなり結局配信は見なくなった。

一番よかったのはラジコラジオが聞けたこと。結果的に一番時間つぶしになったのはラジコ。今思えばポケットwi-fi要らなかったかもしれない。

体調が良くない時は得てして真夜中の変な時間に目覚めたりする。夜中の入院病棟バイタルモニターのピッ、ピッ、ピピピピピピ、という機械音や時折ワサワサと緊急なことが起きている気配がしたり、ひたひたと静かに巡回する看護師さんのシルエットが映ったりで中々気持ちの沈む瞬間なのだが、そんな時にラジコバカみたいな話をしているラジオを聞くと落ち着いてまた眠れた。

ある晩、夜中に起きてしまって、今はなき「伊集院光とらじおと」のタイムフリーを聞いていたら巡回若い看護師さんが入ってきて私の体に巻き付いているいろいろな線や管に繋がってるモニターの色々な数値を入力しながら、「ラジオ聞いてるんですねー、え、おもしろー、誰ですかこの人?ハライチの人?」って言ってて面白かった。言われてみたら澤部と伊集院さんの声は同じ系統かもしれない。

AMラジオ病気中の自分にとてもよく合っていたと思う。特にNHKラジオ1とTBSラジオ普段元気な時に聞くと時折「正しいすぎるな」という感じがして遠ざけていたのだが、元気がない時に聞くととてもしっくりする。TBSラジオ名物パーソナリティ大沢悠里氏が自身入院経験から病気、療養中の方」と番組中に声をかけるようになった、という話があるらしいのだが、確かにTBSラジオはあちこちでその声掛けがあって、来週はいよいよ手術だなぁ、なんて思っている時に「病気、療養中の方~~」と耳に入ってくると、じんわりしみじみした。

病院の中自体は、基本的には無音で、たまに検査室にクラシックが小さい音で流れていたりする程度だが、リハビリ室はしっかりとBGMがかかっており、いつもJ-waveだった。リハビリしてる人の8割ぐらいは老人なのでサッシャの曲紹介と目の前でポールを伝って歩いてる老人とのギャップがあって面白かった。PTOT先生若い人が多かったので先生の好みなのかもしれない。謎の知育玩具みたいなのでOTリハビリをしたり、ちょこザップみたいなスペースでリハビリしたりするときJ-waveは割と合うなと思った。

あれから数年もたってるが、退院してからラジオ聞く時間めっちゃ増えた。色んな局聞いてる。代わりにTVは本当に見なくなった。

そういえば、10年ぐらい前に家族入院した時にはTVレンタルTVカードを買って視聴してくださいという仕組みになっていたが、自分入院の時にはTVレンタルもあったのかもしれないが気づきもせず案内もされず。時代の変わり目だな。あと10年ぐらいしたら古い病院も建て替わってwi-fi飛びまくってるんだろうなぁ

Permalink |記事への反応(3) | 16:38

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2025-08-13

anond:20250813152906

ちなみに三日は長い方で

次の日退院とか普通にたくさんいるで

Permalink |記事への反応(1) | 15:32

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anond:20250813150650

概ねあってる気はするが

アメリカ人というか白人そもそも死ぬほどパワフルなやつが多いからなあ

ポーンと産んで3日で退院して十日後にはバリバリ動いてる(働いてるかどうかはしらんけど動いてる)とかそんなやつばっかりやで

Permalink |記事への反応(1) | 15:12

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2025-08-12

熱中症になった体験談

2年前の話。そして本当に愚かで馬鹿な俺の行動を戒めとしてちょっと書く。

6月に友人に会いに都内から水戸までバイクで行った。

6月にしては暑い日が続いていて、行きは暑いなーと思いながらもバイク日和で大変気持ちよかったのを覚えている。

水戸に着いたのが夕方(寄り道もたくさんしたので)、そのまま友人宅にバイクを置いて居酒屋で飲んで帰ってきてから友人宅で飲んで飲んでアルコール(溺れていた。

翌朝、歩いてコメダモーニングに行きアイスコーヒーを飲む。

まったり麦茶を飲みながら昼過ぎに友人宅を出て高速で東京に帰った。

丁度高速に乗った辺りからなんだか肩から先の手先が痺れてきた。

バイク振動かとも思ったけど違う感覚、そのうちに上半身金縛りに遭ったかのように動きにくくなった。

暑さもかなりしんどく感じていて、SAまであと少しだったが我慢できずに路肩にバイクを寄せた。

なかなか回復せず、体感数分だったが実は数十分くらいバイクに跨ったまま気絶していたのか高速のパトロールランクルが後ろにいて「大丈夫ですかー!」と声をかけられた。

この時点でたぶん熱中症自覚して、水か何かないか聞いて水を貰って飲み干した。がこの時点で手が動かなくて飲ませて貰ったが正しい。

このまま停まっているのは危ないかダメということで後ろにランクルを従えて路肩をのろのろ走りSAバイク駐車場バイクを停めて、スタンドを出した所でぶっ倒れた。

ぶっ倒れたが面白いことに身体だけ動かなくて意識だけはハッキリとしていた。

バイクに跨った姿勢のまま動けないから手の形は握った形のまま地面にぶっ倒れていたから本当に無様だったと思う。

連絡があったのかすぐにSAの人が来て救急車の手配やらなにやらをやってもらった。本当に助かりましたありがとうございました。

その後は救急搬送されて入院。点滴をしてもらい一泊二日で退院かと思ったら今日暑いから明日帰りなさいとの医師言葉で二泊三日に。

無事に退院したあとはSAまでタクシーで行き、係員の人に御礼を言って、駐車場に置きっぱなしのバイクを回収。帰宅した。

今思うと本当に馬鹿なことをして人様に迷惑をかけてしまったな……と思う。申し訳ない。

今年は2年前よりも暑いし人々の意識も変わってるだろうけど、アルコール沢山飲んだあとにコーヒー飲んで脱水した状態で外に出ないこと。

そんな状態バイク乗るなんて論外。

Permalink |記事への反応(0) | 22:32

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知り合いがチン騎士おじさんになってしまった

20年くらい前から仕事で付き合いのあった男性が、コロナ禍を経てツイフェミを守るチン騎士になっていた。

元々糖尿持ちだったかコロナに罹って大変だったらしいが、退院してからやたら攻撃的な性格になってしまった。

体も前みたいに動かなくて、仕事でもヨボヨボしてよく怒られてる。でもネットではアンチに対してイキリ散らして超こうげきタイプ

コロナ恐るべし。

なお、コロナ罹患したのはワクチンが出回る前なのでワクチンのせいではない。

ちなみにこのチン騎士おじさん、ツイフェミ女性に「守ってくれてありがとう」のお礼に抱かせてもらえると思って頑張ってるが、相手にされていないとぼやいていた。

そりゃ50がらみの腹出たオッサンは流石にツイフェミも引くよ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:27

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Vtuberを始めて7ヶ月が経った

きっかけは、アニメゲームが好きだったこと。

入院中に娯楽に飢えてた中たまたま放送されてたアニメを見て、退院後それ関連のゲームにハマった。

アクション系のゲームは苦手だったけど、それからFPSをし始めて攻略情報を求めてYouTubeを漁った。

で、登録者数1万超の有名配信者をスナイプしたらあっさり勝ててしまった。

その配信者は度々、こちらを負かす動画投稿していた。その腹いせで同様に勝った動画を録画、投稿。そこからVtuber活動が始まった。

様々な配信に顔を出せば名は売れた。

けど、色んな対立も目にしてきた。やれリスナーを取るなだのオンラインでの恋愛だの

人間が絡むと問題が複雑化する。

自分の当面の目標は、1万超のYouTuberに並ぶこと、収益化、人脈を広げること、そして何より楽しむことだ。

だけどこの趣味、正直仕事程楽しくは無い。

肝心の仕事の方にも問題が出始めている。やればやるだけ成果が出る仕事の方が、多分自分には合っている。

時間配信コラボ配信カメラ配信、AMSR…やろうと思えば幾らでも出来るけど機材に金がかかる。

一番気になったのは個人間での対立だ。狭い配信界隈、どうしてもリスナーの奪い合いになる。登録者数1000人のVがこちらを敵視する。結局は閉じた人間関係、それで配信を止めた人も勿論いる。

これから方向性、そこそこ悩むところだ。本業には代えがたい物があるし。

Permalink |記事への反応(1) | 08:11

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2025-08-09

公立病院赤字でいい」訳はない

https://togetter.com/li/2586841

公立病院勤務です。

病院関係者赤字でいいなんて1ミリも思ってないです。

普通に設立団体(県)からも詰められるし、

医療機器も古いままで更新できなくなるし、

給料はまだ減らされてないけど、その方向で議論が進んでるし、

まじで勘弁してほしいです。

同僚は、もう公立病院は潰れる、といって転職していきました。

公立病院は、「収支均衡」が基本です。

黒字が出ても、使い道は、設立団体承認を得る必要があって、勝手に決められません。

で、これまで積み上げてきた毎年のうっすい黒字を、大赤字のため、切り崩し続けてる状況です。

病院赤字のために今までの貯金切り崩していい?」

県「しょうがないにゃあ」

という状況です。

ここ数年、真っ赤っかの赤字なのは物価高騰や人件費高騰に、診療報酬が追いついてないからです。

診療報酬勝手に決められないので、病院ができる努力には限界があります

医者看護師も暇なんでしょ」と言われますが、まじでとんでもないです。

ほぼ満床運用し、明日入院予定の患者さんのベッドすら空かないのに、救急車を断ると、アホほど怒られます

給料を減らす方向での議論もあり、そうなった時、もう現場繋ぎ止められる医療はいないと思います

以下、ブコメ返信です。

● 「時間売上が5000円で年収1500万の医師雇って黒字化は無理ゲーでは」

公立病院だけで、医師に1500万円払ってる病院はないですね。少なくともうちは、診療科部長クラスでも届かないです。

医師基本的には「外勤」といって、民間病院出稼ぎに行き、複数病院で働いてます

足し合わせると、それくらいにはなると思いますが、公立病院給料はまじであんまり高くないです…。

人件費の高騰は確かに経営を圧迫してますが、医療職に贅沢させてる訳じゃないです。

● 「満床想定での看護師人員配置医局配慮した過剰な医師受け入れなど、正直課題だらけ。なのに人々は赤字でいいんだ連呼。こりゃだめだ。」

→いや、満床想定というか、病床稼働率100%超える日も多々ありますよ。

で、「明日入院予定患者のベッドないです!なんとか誰かを退院させてください!」と詰められる日々…。

医局配慮した過剰な受け入れ、というのも、少なくともうちの病院はないですね。

病院「人ください!医者足りないっす!」

医局「無理だよ〜どこの病院も足りてないんだから〜」

なら毎年あるけど…。医者残業も平気でひと月100時間超えるし。

● 「私が昔住んでた場所公立病院、私の知る限りこの30年間、ずっと赤字なんだよなぁ。子供の頃聞いたら公立なんで儲けたらあかん(なので慢性赤字地域巡回医療小児科が切れない)と聞いた。今は知らん」

→「収支均衡」が基本だとは言われます

儲けてもいいけど、基本的に儲けても病院は使い道を自由に決められる訳ではなく、設立団体にお伺いを立てます

でも、最近は、今まで積み上げた黒字をひたすら赤字補填に取り崩していますね。

ここまで全国的に大幅な大赤字なのは近年になってからです。

Permalink |記事への反応(0) | 10:33

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2025-08-07

先日親が死んだ

心臓疾患で入院中に心停止だったので死に目にはあえなかった

前々日に見舞いに行ったときは少し元気になっていて、楽しそうだった

退院したら何をしたいかの話なんかもした

今も今度見舞いに行くときは何を話そうか、と考えてしまうことがある

お互い似た仕事をしていたので、仕事関連のニュースを観ると親に話して意見を聞きたいな、と思う

長いこと心臓を患っていたのでいつかこの日が来るとはうっすら思っていた

でもこんなに早いとは思わなかった

悲しいというよりは寂しい

寂しい、まだ話したいことがいっぱいある

Permalink |記事への反応(0) | 00:48

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2025-08-05

[増田保存部]医者という職業がつらい

※その分給料貰ってるじゃないか、という話は置いておいて(しんどさの割には貰っていないと思う)

自分マグル家系からこそ、非医療者の感覚はまだ分かるつもりなんだ。大きい病院であればあるほど安心医者なら責任もって最後までみてくれ、医療ミスするな、とか。なんとなくお医者ってのは患者をだましてそうな感じがするとか、医者けが内緒にしてる治療法があるんだとか。

でもなあ、患者患者家族をだまそうとか全く思わないし、出来ることなら全員が医学的に考えて一番良いと思われる転帰を辿ってほしいと心から願ってる(その方が裁判起こされなさそうだし)。

別にこっちも意地悪で君たちの否定をしてるわけじゃないんだよ。「患者家族自分たちが考える最強の治療」を突き通したいなら、一刻も早く退院して家でやってくれ。新規重症患者が入るスペースを奪って、みんなの税金を使って、この国で整備された医学によって生命担保された上に胡坐をかいて、医療者側の方針拒否。よくやりますわ。勘弁してほしい。

大体、「患者にも治療方針の決定権を」というのは、患者側がしたくない侵襲的な治療を明確に拒否できるようにしようとか、毎日家で自分注射するか1か月に4回病院注射するかライフスタイルによって選べるようにしようとか、なんかそういう前向きな話じゃないのか?いつから、転院・退院しろと言われても拒否するのが患者側の権利になったんだ?適応にない医療行為をやってくれと要求するのが権利なのか?

結論退院してって言ったら退院して。転院先用意したから転院して。お願い。もううちの病院でやることないねん。


https://anond.hatelabo.jp/20250805235306

Permalink |記事への反応(0) | 23:56

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2025-07-27

ミンボーの女を観た

友人におすすめ日本映画を聞いたときに、返ってきたのがミンボーの女だった。

伊丹十三監督映画は、恥ずかしながらこれまで一度も観たことがなかった。

しかし友人曰く「めっちゃくちゃ面白いし、伊丹十三作品の中でも特にいから観た方がいい」とのこと。

そこでこの三連休レンタルし、観てみることにした。

物語舞台は一流ホテル

このホテルヤクザからたか被害を受けていて、ホテル側は波風立てたくないの一心ヤクザ要求をずるずると受け入れてしまう。

一言でいえばビビって何も言えない。そんな様子がもどかしく、どうにかできないものかと観ていてモヤモヤしてしまう。

そんな中で登場するのが主人公井上まひる弁護士

この人がとにかくカッコいい。ホテルから依頼されてヤクザへの対応を引き受けることになるんだけど、最初から一切ひるまない。

徹頭徹尾ヤクザは悪だという明快な立場を崩さず、法律的方法ヤクザを的確に対処していく。

これが序盤のモヤモヤを吹き飛ばすほど痛快。

ヤクザ相手毅然とした態度を取り、一歩も引かずに正論で戦うまひるの姿は今でも時代を超えてすごく魅力的に映る。

そしてこの映画、凄いのはヤクザを徹底的に「悪」として描いてる点。

日本映画って、ヤクザが題材になると何処かヤクザ美学のようなものを描いて一辺倒的な悪の存在としては描かない。

しかミンボーの女では、勧善懲悪的な悪として描かれている。

まひる活躍によってヤクザ側もだんだん追い詰められていき、次第に暴力的手段に訴えようとしたり裏からさぶりをかけようとするんだけど、そこでもまひるは一切怯まない。

この一歩も引かない姿勢がとにかく気持ちいい。

それでも終盤、まひるが組の鉄砲玉に刃物で刺されるシーンがある。

このシーンの意図はとても分かり易い。

これまでの流れでは弁護士法律によってヤクザを退けてきた。

しかヤクザは法のみでは縛り付けられない存在だってことを示しているわけだ。

この映画の最大のポイントはここのシークエンスにあると思っている。

まひるが刺される手前のシーンは公園ブランコ

そこでまひる彼女の部下(ヤクザ対策に任命されたホテル従業員)がブランコに並んで座っていて、従業員の男がまひるに尋ねる。

「どうしてそんなにヤクザが怖くないのか?」と。そこでまひる自分過去を明かす。

彼女父親町医者をやっていて怪我したヤクザをよく受け入れていた。

からヤクザを見るのには慣れているのだと。

重要なのはその話の続きで、ヤクザ親分治療をしているところで別の組のヤクザが乗り込んできて、その親分を出せと脅してきた。

そのときまひる父親は、医者として怪我人を差し出すことは出来ないと断り、ヤクザ親分を守ろうとして殺された。

この話のあと、鉄砲玉のヤクザまひるが刺される。鉄砲玉はすぐに逮捕されるものまひるは重傷となる。

映画の流れとしては、法によってヤクザを退ける → しかし法の力でも防げない事態が発生する

これが現代作品であれば十中八九、この後の展開として「昔助けたヤクザ親分が間に入って助けてくれる」となるはずなんだよ。

何故ならそうすることでヤクザ側の肩も持つことが出来るから

まりこれまではヤクザ絶対的な悪として描きつつも、最終的にはそのヤクザにも義理人情があるってことを示すことでヤクザを一辺倒な悪として描かずに済むってこと。

でもね、だからこそこの映画の凄いところはここにある。

このあとまひるが居なくなったホテルへと敵対したヤクザたちが攻め込んで来る。

しか過去に助けたヤクザ親分は出てこない。良いヤクザは出てこないんだよ。

最終的にはまひる抜きで、ホテル従業員たちが一致団結して自主的ヤクザを追い払う。

そして刺されたまひるは容体が回復して無事に退院

ホテルには以前のようにヤクザの姿が見えなくなり、無事ハッピーエンド

すげぇなって思ったよ。

まるで迎合しない。

ここまで一貫してヤクザを悪として描くスタンスって、そうそうあるものじゃない。

それも架空存在じゃない、ヤクザという実在する存在をこうも徹底して悪として描くことには正直だいぶ驚いた。

からこそ、これまでの日本映画にはなかったようなカタルシスがあった。

宮本信子の演技の凛々しさも含めて、本当に痛快という言葉がぴったりの作品だった。

伊丹十三映画ちゃんと観たのはこれが初めてだったけど、他の作品絶対観てみようと思う。

Permalink |記事への反応(2) | 18:30

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2025-07-24

dorawii@執筆依頼募集中

ホームレス栄養不足で意識不明なところを病院に運ばれたら栄養点滴してもらえるとは聞くが、普通食事は一度も出されることな退院させられるのだろうか?

ホームレス医療費は行旅人法律税金で賄うことになっているそうだがどっちにしろ必ずしも栄養点滴より普通食事の方が高くつくとは限らないように思えるから

いじめ目的でもなければ最後まで普通食事にありつかせない理由あんまり無いように思うんだよね。

餓死寸前で命からがら役所生活保護申請にし行っても手続きに何日かかかるから機械的に処理して目の前の死にそうな人間自分たまたま持ってるハイチュー一つも与えないような人間だらけの国、ってやだなあ。

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Permalink |記事への反応(2) | 15:39

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2025-07-15

今日実母が逝きました

実母が他界しました。

16年前のガンが再発し、再闘病8年目の今年2月、これ以上の治療は困難とのことで緩和ケアへ移行することになりました。

この時私は妊娠6ヶ月でした。念願の初孫だと喜んでくれていたので、この告知はとてもショックでした。

予定日は7月2日、母の余命は4ヶ月ほどだろうと言われました。主治医先生には被るのではないかとまで言われたそうです。

去年は友達九州旅行に行ったり、好きなアーティストコンサートに行っていたのに、本当に急でした。

もちろん里帰り出産なんて出来ませんでした。さらに今後、私がお腹の子を育てていく際に母の支えが無いのだということに絶望しました。孫の手を引くお母さんを見ることは出来ないんだと、孫を甘やかすおばあちゃんがいないのだと。

しかし1番悲しいのは母自身です。私は期待を持たせて悲しさが大きくなるのが怖くて、孫に会わせたい、孫を抱いて欲しいという願いをグッと飲み込み、母は母の病気に向き合って、私は私の出産を頑張るからと伝えました。

遠出を避けなければならない妊娠後期ギリギリまで何度も帰省しては、母にたくさんお腹を撫でてもらいました。撫でてもらうたびに、お腹の子に会わせたいという淡い思いで胸がいっぱいになりました。

最後に会ったのはGWでした。またね、頑張るんだよと声を掛けてくれた姿は比較的元気そうでしたが、今思えば妊婦の私を気遣って無理をしていたのでしょう。

その後、母はみるみるうちにやつれていきました。ご飯咀嚼出来なくなり、ゼリーなどの流動食ばかり食べていたようです。肺に水が溜まり心臓が痛くなり、起き上がるのが苦しくなっていたのです。また薬の副作用や症状の悪化せん妄が顕著に現れていました。テレビ通話メッセージ支離滅裂になっていく母の姿を見るのは辛かったです。

しかし私のお腹の子はどんどん大きくなって来ます。とうとう正期産の日になりました。その当日の妊婦健診時の「いつ生まれて来てもいいからね」という先生言葉を聞いたからなのか、はたまたこの後のことが分かっていたのか、その日の夜、子は予定より3週間も早く産まれてくれました。

小さく生まれものの、2510gとギリギリ体重クリア、増加率も問題なく、一緒に退院することが出来ました。

旦那が無事に出産したと実家メッセージを送ると、混濁していた母の意識が急にはっきりして、母子の無事を泣いて喜んでくれたと聞きました。喜怒哀楽を娘にあまり見せない親だったので、大泣きする母の姿が想像できませんでした。

母がしっかりと会話できたのはこの日が最後でした。

介護をしている姉から送られてくる母の様子は、かなり厳しいものでした。言葉が出てこなくて癇癪を起こしてしまう、姉の顔を忘れてしまった、ベッドから起き上がれなくなった、トイレに行けなくなったとゆっくりと、しかし着実に一生を終える階段を登っているようでした。

ついに1週間前、母が入院になりました。最後入院になるだろうとのことでした。医者見立てというものはすごいです。2月の段階ではここまで進行するとは思えないほど元気だったのに。

私は姉に伝えました。1ヶ月健診が終わったら帰るから、それまで頑張るんだよと伝えて欲しいと。

子が早く生まれてくれたから、早くに外出できるようになったのです。母に抱かせられるかもしれない。諦めたはずの期待が溢れてしまいました。

伝わるか分からないけど、伝えるからねと姉に言われました。

無事に1ヶ月健診を終え、急いで実家帰省しました。母を見舞う前日、姉からご飯が食べられなくなった。それに伴って持病の薬を全て中止した」と言われました。全身に転移したガンとは別に心臓の持病を抱える母にとってそれは、最期へのカウントダウンでした。

月曜日特別許可をもらい子を連れて病室に向かいました。母は息をしていました。意識はほぼなく、呼吸器をつけてやっとしていた息ですが、心臓を動かして待ってくれていました。痩せて骨と皮だけになった母の手を取り、子の手を触ってもらいました。発熱していたこともあり、温かい指先でした。目を少し動かし、私を、子を追っているように見えました。待っていてくれてありがとう、私もお母さん頑張るよと伝えて病室を後にしました。

その日の深夜、日付が変わる時に母は旅立ちました。主人に子を預け、最期に立ち会うことが出来ました。

息を引き取った母を見て、ああ本当に待ってくれたのだと思いました。また、子は母の命の時間を知っていて早くに生まれてくれたのだと思いました。

そうとしか思えないのです。

そう思ってもよいでしょうか。

母の病気が治らないと知った時、奇跡なんてものはなく、神もいないのだと悟りました。

でも抱かせることは叶わなかったけれど、無事出産できたことを知らせることができ、孫の写真を見せられて、直接孫の顔を見せることも、孫の手に触れさせてあげられたことも出来ました。

このタイミングが偶然のものだとしたら、出来すぎだなあと笑ってしまます

そして未明に母が帰宅し、授乳の合間を縫って仮眠を取り、やっとジワジワと母が逝ってしまたことを実感しています

死に目に遭えたからとしても、やはり私のこの先の人生に母の姿がないことに変わりはありません。その事実がどうしようもなく辛く、悲しく、胸に重くのしかかってきています寝不足のまま、微かに一階から流れくる線香の匂いを嗅ぎ、理由なく泣き続ける子をあやしながら、広くなって静かな家の廊下を歩いていると、今日がきっと人生で1番辛い日なのだと思います

程度は変わるのでしょうが、一生この辛さは消えないのでしょう。ここに母がいたら、母だったら何を言ってくれただろう、と。道ゆくおばあちゃんと孫の姿を見かけるたびに、私は一呼吸置いて鼻の奥が痛くなるのを堪えるのでしょう。

それでも我が子を抱きながら、この子と母の奇跡のような巡り合わせを思い出して、痛みを少しだけ溶かしていくのだと思います

義実家とは結婚の時に縁が切れています。そのため頼れる家族が、認知症を患う父と陸の孤島と呼ばれる県内の果ての地で教鞭をふるう姉しかいません。

住まうところに戻ると、主人と2人だけの育児が再開します。

子に寂しい思いをさせないように、明るく元気で健康な子に育てたいと思います

Permalink |記事への反応(1) | 16:47

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