
はてなキーワード:課題とは
2026年2月8日に投開票された衆議院選挙で、立憲民主党と公明党が電撃的に合流して結成した新党「中道改革連合」は、公示前の167議席から49議席へと118議席を失う歴史的惨敗を喫した。この数字は、同じ数だけ議席を伸ばした自民党の圧勝と表裏をなす。なぜこれほどまでに中道改革連合は有権者から拒絶されたのか。批判の核心は党名、政策転換、党内構造、そして支持基盤の崩壊という多層的な問題に根ざしている。
中道改革連合という党名そのものが、結成直後から激しい批判にさらされた。まず指摘されたのは「民主」という言葉の消失である。自由民主党、立憲民主党、国民民主党、社会民主党と、日本の主要政党の多くが「民主」を冠してきたのは、国民主権と対話による政治という理念を示すためだった。ところが「中道改革連合」にはその文字がない。評論家や市民からは「国民を見下す驕りを感じる」「上から目線の改革姿勢が透けて見える」といった批判が相次いだ。
さらに深刻だったのは略称の問題である。「中道改革連合」を略すと「中革」あるいは「中革連」となり、過激派組織「中核派と革マル派」を連想させる響きを持つ。ネット上では「中革派」「中核連」といった揶揄が飛び交い、穏健な中道路線を標榜する新党にとって致命的なイメージダウンとなった。保守系論者からは「中国への道」を略して「中道」だという皮肉も投げかけられている。党名は政治において最も基本的なブランドであり、その段階で既に有権者の信頼を獲得できなかったと見られている。
より本質的な批判は、立憲民主党が長年掲げてきた基本政策を、公明党との合流のために大幅に転換した点に向けられた。立憲民主党は安全保障関連法について「違憲部分の廃止」を主張し、党綱領で「原発ゼロ社会を一日も早く実現」と明記してきた。これらは同党のアイデンティティを支える「背骨」とも言える政策だった。
ところが中道改革連合は、安保関連法を合憲と位置づけ、原発再稼働も条件付きで認めた。この転換に対して、れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。社民党の福島瑞穂党首も「安保関連法を『合憲』といい、原発再稼働を『認める』という。自民党とどこが違うのか」と疑問を呈し、国民民主党の玉木雄一郎代表も「背骨となる政策がこんなに簡単に変わるのか」と述べている。
こうした政策転換は、立憲民主党のコア支持層を直撃した。脱原発や安保法制違憲といった左派的価値観を大事にしてきた支持者は、公明党とくっついて中道に移行したことに強い違和感を覚えたとされる。また、反自民的な無党派層も、野党第一党として自民党と異なる価値観で対峙していた立憲民主党が、与党だった公明党と合流したことで「野党第一党としてのあるべき姿を失った」と感じたという分析がある。元NHK解説委員の増田剛氏は、立憲民主党を支持してきた土台が崩れたと指摘している。
選挙戦略の内部配分も大きな不満を生んだ。中道改革連合は比例代表の名簿で公明党出身者を全ブロックで上位に配置し、立憲民主党出身者は小選挙区で戦うという構造を採用した。公明党の支持母体である創価学会は、全国に約800万世帯とされる強固な組織票を持ち、比例代表での集票力は極めて高い。この組織力を最大限活用する戦略が採られた結果、公明党出身候補28人は全員が当選を果たし、前回衆院選の24議席から4議席増やす「勝利」を収めた。
一方、立憲民主党出身者は公示前の144議席から21議席へと7分の1にまで激減した。近畿、中国、四国、九州の各ブロックでは、公明党系候補だけで当選枠が埋まり、立憲民主党出身の候補者は小選挙区で惜敗しても比例復活できないケースが続出した。立憲民主党の創設者である枝野幸男氏、元幹事長の安住淳氏、重鎮の岡田克也氏ら、民主党政権時代に幹部や閣僚を務めたベテランが次々と落選した。
落選した兵庫7区の岡田悟氏は「比例ブロックの名簿はほぼ、公明のかたで埋められた。これをどうやって、誰がどうやって話し合って決めたのか、民主的なプロセスははっきりと経てないんですよ」と不満を露わにした。党内からは「公明に比例を譲りすぎた」という批判が噴出し、立憲民主党出身候補や支援してきた労働組合幹部の間に深い亀裂が生まれた。
創価学会員の中にも困惑があったとされる。取材によれば、長年「仏敵」とまで呼んでいた立憲民主党の候補者を応援するよう要請され、学会員の間にパニックが広がったという。組織の高齢化も課題となり、小選挙区での全面撤退により「推し」がいなくなったことで熱量を保つのが難しかったという声も報じられている。
実業家の岸谷蘭丸氏は、中道改革連合を「嫌われの元気玉」と表現した。立憲民主党も嫌われ、公明党も嫌われていた。その二つが合流したことで「1足す1ではなく、−1足す−1で−2になった」というのである。この指摘は、単なる揶揄を超えた構造的洞察を含んでいる。
日本の政治は2016年頃から「物語を失い、推し活化」してきたと評論家の與那覇潤氏は分析する。かつては「小異を捨てて大同につく」「野党結集」という物語が一定の説得力を持っていたが、2017年の希望の党の失敗以降、有権者は巨大な塊よりも「100%自分にフィットする特定の政党や政治家」を求めるようになったという見方がある。中道改革連合はこの潮流に逆行し、立憲民主党の独自性と公明党の組織力を両方とも十分に活かせなかった可能性が指摘されている。
さらに評論家の宇野常寛氏は「今回の中道改革連合の『壊滅』の原因は野田佳彦の中道路線の失敗でもなければ、国民民主党の大量擁立でもない。端的に『リベラル』な人たちの『キャラ』が嫌われているからだ」と指摘している。政策や戦略以前に、リベラル勢力全体に対する有権者の拒否反応が背景にあったという見方である。
野田佳彦共同代表は敗北後、「準備期間が足りなかった」ことを敗因に挙げた。高市早苗首相による「抜き打ち解散」で選挙が短期決戦となり、新党の理念・政策どころか党名すらも有権者に浸透させることができなかったのは事実である。結党わずか1か月での選挙戦は、政治的実験としてあまりにも性急だった。
しかし準備期間の不足は、より根本的な問題を覆い隠すものでもあると分析されている。立憲民主党の野田執行部は「野党結集」「非自民勢力の結集」という2009年の民主党政権時代の成功体験に縛られ、立憲民主党独自の社会像を打ち出せなかったとジャーナリストの尾中香尚里氏は指摘する。他の野党との連携を意識するあまり、単独で政権を奪いに行く明確なビジョンを失っていたという見方である。
2024年9月の立憲民主党代表選で野田氏は「野党の議席を最大化するのが現実的な戦略」と述べ、「非自民勢力の結集」を強調して代表に選出された。しかしこの戦略は、立憲民主党が独自に積み上げてきた支持基盤を軽視する結果を招いたと批判されている。
選挙後、野田佳彦共同代表と斉藤鉄夫共同代表の記者会見での態度には明らかな温度差があったと報じられている。野田氏が「終始うつむき加減」で敗北の責任を認めつつも曖昧な継続意欲を示したのに対し、斉藤氏は「前を向いた明るい表情」で「失敗ではないと思います」と言い切った。
この対照は、選挙結果の内実を反映している。公明党は議席を増やし、創価学会の組織票を比例で効率的に議席化することに成功した。斉藤氏は「1000万を超える比例票が短期間で集まった。議席は自民の6分の1だが票は半分で、野党第一党だった」と強調した。公明党にとって、中道改革連合は「失敗」どころか戦術的勝利だったとも言える。
中道改革連合の49議席は野党第一党としては戦後最小規模であり、立憲民主党出身者の当選は21議席と公明党出身者の28議席を下回った。主要政党の中で立憲民主党系だけが「独り負け」の状況となり、自民党はもちろん、日本維新の会、国民民主党、参政党なども議席を増やした。
中道改革連合が嫌われた理由は、一言で言えば信頼と一貫性の喪失にあると総括できる。党名は有権者の共感を得られず、政策転換は支持基盤を裏切り、党内配分は不公平感を生み、準備不足は未熟さを露呈した。そして何より、立憲民主党が長年培ってきた「反自民」「リベラル」というアイデンティティを、選挙のために安易に捨て去ったことが致命的だったと指摘されている。
政治において、有権者が最も嫌うのは日和見主義と機会主義である。中道改革連合は、公明党の組織票と立憲民主党の支持層を合算すれば勝てるという計算に基づいていたが、実際には両者の支持基盤を同時に失った。「嫌われの元気玉」という言葉が示すように、負の感情は足し算ではなく掛け算で作用したと見られている。
この歴史的大敗は、日本の野党政治にとって重要な教訓を残した。有権者は、明確なビジョンと一貫した価値観を持つ政党を求めている。選挙のための便宜的な合従連衡は、もはや通用しない時代になったことを、この結果は示唆している。
「ダメなシステムを憎んで国を憎まず」が必要なんだと思うけど、イデオロギーや宗教が絡むとそれができなくなる
だからチームみらいのような政党が、一定の評価を得ることになる
仕事でやっているように、共通の目標に対してベストを尽くして、改善ポイントを探して優先度を決め、課題を見える化し、スケジュールやコストを明確にして、それを順次修正していく
2026年1月16日、立憲民主党と公明党が合流して新党「中道改革連合」を結成した。高市早苗首相による突然の衆院解散に対抗するため、野田佳彦立憲民主党代表と斉藤鉄夫公明党代表が共同代表に就任し、中道路線を掲げる政治勢力の結集を目指した。綱領では「生活者ファースト」を打ち出し、分断から協調へという理念を掲げた。
しかし現実は厳しかった。1月27日公示、2月8日投開票の衆院選で、公示前172議席から49議席へと壊滅的惨敗を喫し、両共同代表は辞任に追い込まれた。この結果は、母体となった立憲民主党が長年抱えてきた問題を白日のもとにさらすこととなった。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判は、中道改革連合の敗因分析においてしばしば言及される論点である。この批判の実態と背景を多角的に検証したい。
立憲民主党に対しては、結党以来「批判ばかりで対案がない」という批判が繰り返されてきた。まずこの認識の事実関係を確認する必要がある。
note記事による集計では、立憲民主党の政府提出法案への賛成率は2023年の第212回臨時国会で73.3パーセント、2024年の第213回通常国会で83.3パーセント、2025年の第217回通常国会では89.7パーセントに達したとされる。この数値が正確であれば、法案の大半には賛成しており、単純な反対勢力という評価は当たらないことになる。
また議員立法による政策提案も行われてきた。2022年の旧統一教会問題では野党が提出した被害者救済法案が議論の土台となり、与党案にも影響を与えたとされる。ガソリン税減税関連法案では、2025年に立憲民主党が主導して成立させた事例もある。
しかしこうした実績があるにもかかわらず、国民やメディアからは一貫して「批判ばかり」と認識されてきた。なぜこのギャップが生まれるのか。
野党の建設的な政策提案や賛成した法案は報道価値が低いとされ、与党との対決場面や激しい批判の場面が優先的に取り上げられる。国会でのヤジや追及場面は視覚的にインパクトがあり、特にSNS時代においては拡散されやすい。
2026年1月24日の高市首相所信表明演説では、立憲民主党系議員によるヤジで演説が一時中断する事態となった。NHK中継を見ていた視聴者の多くが不快感を表明し、これが選挙戦序盤のイメージ形成に影響したとみられる。与党側は「国民の聴取を妨害する不作法」と批判し、野党側は「議会政治の監視監督」と擁護したが、視聴者の印象は前者に傾いた。
立憲民主党は「存在感がない」「目立たない」という批判を長年受けてきた。野田代表自身が党の動画で「なかなかバズらないけれど」と自嘲したことは、この苦悩を象徴している。
地道な政策立案と国会審議を重視する姿勢は、専門家からは評価されても一般国民には伝わりにくい。他方で、目立つパフォーマンスに走れば「中身がない」「批判ばかり」と攻撃される。このジレンマをどう乗り越えるかが、野党第一党の課題であり続けた。
2009年に誕生した民主党政権は、鳩山・菅・野田と三代の首相を経て2012年に崩壊した。普天間基地移設問題、東日本大震災対応、消費増税などを巡る混乱の記憶は、有権者の間で根強く残っている。立憲民主党は民主党の流れを汲む政党であり、「批判はできても統治はできない」というイメージが払拭されていない。
この文脈では、「批判ばかり」という言葉は単なる行動様式の指摘ではなく、「政権担当能力がない」という評価の婉曲表現として機能している。
中道改革連合の惨敗により、立憲民主党への批判は新たな局面を迎えた。
新党結成に際し、立憲民主党は従来の政策を大幅に転換した。安全保障法制については「違憲部分の廃止」から合憲容認へ、原発政策も再稼働を条件付きで容認するなど、公明党との政策すり合わせのために基本路線を変更した。
野党各党からは「看板の付け替え」「野合」という批判が相次いだ。れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。また立憲民主党内部からも原口一博議員が新党結成に反対し、離党した。
これは「批判ばかり」という批判とは別の次元の問題である。選挙協力のために理念を曲げれば、もともとの支持者からは「信念がない」と見なされる。公明党の組織票を得る代わりに、都市部の無党派層や理念を重視する支持者を失った可能性が高い。
選挙戦では、高市政権の右傾化や積極財政による円安・物価高を批判したが、有権者には「では中道改革連合は何をするのか」が明確に伝わらなかった。党名や理念すら浸透しない短期決戦の中で、政策の具体性を訴える時間が決定的に不足していた。
朝日新聞の報道によれば、立憲民主党側からは「バラバラだ」という不満の声が上がり、比例名簿の作成を巡っても内部対立が生じていた。公明党出身者を優遇した結果、公明出身28人全員が当選した一方で、立憲民主党の玄葉光一郎元外相、枝野幸男元官房長官、岡田克也元外相といった政権担当経験者が軒並み落選した。人材基盤の喪失は、今後の党運営に深刻な影響を及ぼす。
選挙期間中、X(旧Twitter)では「#立民いらない」「#嫌立民ムード」などのハッシュタグが急上昇し、検索窓に「立憲」と打つだけで「立憲民主党 いらない」が候補に表示される事態となった。議員が日常的な発言をしただけで誹謗中傷が集中し、党公式アカウントの年頭挨拶にも罵詈雑言が浴びせられた。
この現象は、立憲民主党への関心の高さの裏返しでもある。本当に「存在感がない」政党であれば、これほど粘着的な批判は集まらない。しかしネット上の批判の多くは感情的で、政策の是非よりも人格攻撃に終始する傾向があった。
ここで重要なのは、「野党は批判ばかり」という言説そのものが、政治的な意図を持って用いられている側面があることだ。
ジャーナリストの尾中香尚里氏は、この批判が対立軸の明確な二大政党制を阻害し、「万年与党と万年野党」という55年体制への回帰を正当化する言説として機能していると指摘する。自民党が野党を「批判ばかり」と攻撃することで、政権交代可能な政治という理念そのものを否定しようとしているというのである。
実際、野党が対案を出しても報道されず、与党が野党案を取り込んでも「与党の成果」として報じられる構造がある。この見方に立てば、立憲民主党の問題は「批判ばかり」ではなく、むしろ「批判も対案も国民に伝わらない」という情報発信力の欠如にある。
ただしこの分析にも限界がある。尾中氏は立憲民主党寄りの論者であり、野党の戦略的失敗や組織的問題を過小評価している可能性がある。メディアや与党の責任を強調しすぎれば、野党自身の改善努力を阻害する危険もある。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判を整理すると、以下の三層に分けられる。
法案賛成率や議員立法の実績を無視し、対決場面だけを見て「批判ばかり」と断じる認識。メディア報道の偏りとSNSでの情報拡散によって増幅される。
第二層:正当な批判
対案を出していても国民に伝わっていない、政権担当能力を実証できていない、理念と政策に一貫性がない、という指摘。これは立憲民主党が真摯に受け止めるべき課題である。
野党の存在意義そのものを否定し、政権交代可能な政治を阻害する目的で用いられる言説。与党や与党寄りの論者が戦略的に使用する場合がある。
中道改革連合の惨敗は、これら三層すべてが複合的に作用した結果と見ることができる。メディアとSNSの構造問題、野党自身の戦略的失敗、そして与党側の攻撃が重なり合い、壊滅的な結果を招いた。
中道改革連合は2月13日に小川淳也氏を新代表に選出し、再建を図る方針である。しかし49議席という規模では、野党第一党としての影響力は大きく低下した。
まず理念と政策の一貫性を回復することである。選挙協力のために政策を曲げれば、支持者の信頼を失う。中道という立ち位置を明確にしつつ、立憲民主党のルーツである立憲主義や生活者重視の理念を再構築しなければならない。
次に情報発信力の強化である。建設的な政策提案をしても伝わらないのであれば、伝え方を変える必要がある。SNS時代に適応した情報戦略、メディアとの関係構築、分かりやすい言葉での政策説明が求められる。
そして政権担当能力の実証である。最終的に有権者が求めるのは、与党に代わりうる現実的な選択肢である。地方自治体での実績積み上げ、政策集団としての専門性向上、危機管理能力の訓練など、地道な努力が不可欠である。
中道改革連合の惨敗は、単なる一選挙の結果ではなく、日本の野党政治が抱える構造的課題を浮き彫りにした。「批判ばかり」という言説の背後にある複雑な要因を理解せずに、表層的な批判を繰り返すだけでは何も変わらない。健全な民主主義のためには、批判する野党と同時に、その批判を適切に評価する有権者とメディアの成熟が求められている。
衆議院選挙が終わって数日が経った。
しかし同時に、「民主主義とは何か」を考え直させられる出来事でもあった。
今回、先の参議院選挙から心惹かれる候補者がおり、その方が衆院選でも立候補されることになったとみつけた。
何を行えばいいかわからない、なので決起集会から参加することにした。
ただ、私はこの政党の政策すべてに賛同しているわけではない。たとえば消費税ゼロを謳っているが、現実的な財源確保として不可能だろう。VAT対象品目の見直しや税率の段階的引き下げならまだしも、と思う部分は多々ある。それでも、この候補者個人の姿勢には共感していた。
会場には早めに到着した。主催者席に座る候補者は、ネットで見るより穏やかで、普通の人に見えた。もしかして別人では、と疑ったほどだ。
ところが決起集会が始まると、徐々にあの雰囲気が戻ってきた。明確な目的意識と、人を飽きさせない話術。理路整然とした言葉運び。ああ、本物だ、と少なからず感動した。
開始ギリギリに入場を諦めかけていた人々を掻き分け、個性的な格好の女性が入ってきた。顔見知りらしき女性と話した後、床に座り込んだ。満員のため床に座る人は他にもいたので、これ自体は仕方ない。冬の寒い日だったが室内は適温だった。
ところが彼女には暑かったらしい。会の進行も気にせずタンクトップ姿になり、ストレッチを始めた。候補者が演説している最中である。周囲の人々が一瞥し、見て見ぬふりをし始めるのが分かった。知り合いと見られる女性も、誰も諌めることはなかった。
これは私にとって異様な光景だった。国の立法府に人を送り出そうとしている場で、自分の快適さを優先する振る舞い。それを制止できない支援者たち。人は自由であるべきだが、この状況への違和感は拭えなかった。
候補者と支援者の話は感動的で思慮深く、ますます応援したくなった。だが同時に、この非社会的行動とそれを容認する雰囲気に、この集団に身を置くことへの躊躇も生まれた。候補者は心から応援するが、支援者の集まりには居心地の悪さを感じる。党内の年齢層が高いせいか、仕組みがアナログなことも気になった。
次に応援に訪れたのは、大きな駅前だった。党首と候補者が揃って演説するという。選挙戦も中盤、どんな話が聞けるか楽しみだった。
党首の主張は理解できる。税金の使途変更、防衛費拡大への反対、雇用の安定化。実現すれば社会的負担を減らせる政策だ。
しかし言葉選びが気になった。この街はかつて若者の街と呼ばれ、今も感度の高い人々が集まる場所だ。新しいものを好み、洗練された言葉を使う。
その駅前で「○○はいいでしょう、みなさん、どうですか?」という呼びかけ。若い世代なら思うだろう。質問形式で議論を誘導するのはレトリックとして不誠実ではないか、と。信念があるなら素直に政策を語ればいい。同意を求める言葉は、自信のなさに聞こえる。
耳を疑った。ガビーンとは何だろう。長年のキャリアを持つ政治家が、なぜこの場にいる人々に届く言葉を選べないのか。聴衆に訴えかけるのではなく、自分の話したい言葉だけを語っているように見えた。
この党首は東大を主席で出て司法試験に合格し、若くして党を任され、弱者の側に立って問題解決に取り組んできた人だ。テレビ討論でもしっかり話される。政治家として評価されるべき実績がある。
それなのに、この演説は何だろう。データの並べ方も、相手に噛んで含めるような話し方も、聴衆を低く見積もっているように感じられた。
この区は常に23区の平均給与トップ3に入る。日々プレゼンをし、人を説得して予算を獲得する訓練を受けた人々が多い。党首の話し方は、そうした聴衆には響かない。
後ろで候補者が不安そうに手を振っている。聴衆の半分は政党ではなく候補者目当てだろう。
党首がようやく話を終えたと思ったら、スタッフが「まだ話し足りない」とマイクを戻した。聴衆は候補者を見に来ているのだ。壇上の党首、スタッフ、候補者の間で意思疎通がうまくいっていない様子が見て取れた。
候補者の演説が始まったのは25分後だった。比例候補とはいえ、若者に届く言葉で話せる候補者の時間が、二世代上の党首の演説に削られたのは残念だった。
それでも、その足で区役所に向かい、候補者の政党名を書いて期日前投票した。
選挙運動平日最終日、金曜の夜に仕事が早く終わったため、もう一度候補者の演説を聞きに駅前へ向かった。
今回、リベラルな政党を心から応援したいと思った。ただ投票以外に何ができるか分からない。勤め人なのでポスティングの時間も取れない。せめて聴衆「モブ」の一人として場を盛り上げられればと足を運んだ。
だがその度に気になったのは、支援者の排他的とも見える行動だった。
この日、自治体の首長と候補者と同じ政策を掲げるNPO代表が応援演説に来ていた。聴衆は80人もいないように見えたが、特記すべきは15人前後が巨大なスローガン入りの旗を持っていたことだ。個性的な格好をした人が多い。
でもさあ、80人くらいだよ。ここにいるの。そこの20%が旗持っているわけ。
遠目から見て、異様な光景。デモ会場なら分かる。他党でも旗を持つ人はいる。ただ大抵は小さな応援旗だ。少ない人数に大漁旗並みの旗を持つ人が20%もいる状況は、書かれたスローガンが正しくても、外から見て近寄りがたい。
あの集団を見て、楽しそうだから仲間に入ろうと思う人がいるだろうか。むしろ威圧感を与えているのではないか。
遠目から候補者の演説を聞いた。掠れた声で、それでも変わらない人を惹きつける話し方。前議員時代に力を入れた戦時中の事故の問題、労働問題、あらゆる格差問題。それは意味のある言葉だった。一人でも多くの人に届いてほしいと願った。
大規模政党から見ればメジャーではない政党の些細な敗北かもしれない。しかし多様な問題提起をし、さまざまな状況に置かれた人々の声を国に届けられる人を、有権者の一人として国会に送れなかった。今、とても気持ちが沈んでいる。
全ての人に優しい社会という理念は大事だし、私もその一員でありたい。
直近の選挙でリベラル側に立つことで、リベラルが票を増やせない根本的な問題に気づいた。
理念は正しくても、それを広げる方法に課題がある。他党の主張を支持する人もいるだろう。だが節目の場では、協調と他者への尊重が必要ではないか。政党側にも支援者側にも。
共鳴する仲間を増やす必要がある時に、外から人が入りづらい雰囲気を作る古参の態度は何なのだろう。
学生時代、キャンペーンスタッフのバイトでチラシ配りをしていた。人の目を見て動きを少しシンクロさせると受け取ってもらえることを学んだ。この政党のスタッフは高齢の方が多く、ぶっきらぼうにチラシを押し付けるように渡していた。チラシに書かれた言葉を届けるというより、チラシ配りという役目だけをこなしている。相手の行動を見て判断し、関心のある素振りを見せなければ、誰もチラシを受け取らない。
視覚障害者用の誘導ブロックに立つ支援者もいた。「誰かが来たらどけばいい」ではない。そんな配慮もできない人が支持している、と候補者の評価まで下がることに思い至らないのだろうか。
若い有権者はチラシではなく、候補者のホームページを見る。だがそのホームページも、パワーポイントで作った画像を貼り付けた雑然とした作りで、政策の深掘りも整理もされていない。フォントサイズもバラバラでデザインに落ち着きがない。
候補者は最初の決起集会で、この政党だからこそ活動ができたと感謝を述べていた。その言葉は本心だろう。だが同時に、支援者たちの善意が、意図せず新しい人々を遠ざけている現実がある。
私自身は無党派層であるが、今回リベラルの候補者を追いかける中で、いくつかの問題が見えてきた。
理念を広げたいのであれば、まず支援者の側から、初めての人が入りにくい雰囲気を和らげる必要があるのではないだろうか。
掲げているスローガンは本来、社会全体に向けた言葉のはずだが、いつの間にか仲間同士の確認の言葉になっていないだろうか。
さまざまな立場や温度感の人が参加できる作法になっているのか、改めて考えてみる余地があるように思う。
どのような態度の人であれ、どの立場の人であれ、まず同じ社会の構成員として尊敬の態度を持って扱う姿勢が必要ではないだろうか。
自分たちの正しさを語るだけでなく、その正しさが現実の社会にどのように作用するのかを、現在の社会を前提に説明してほしいと感じた。
たとえ他党であっても、支持される理由があるはずであり、その点を理解しないまま批判すると、力強い、信頼できる言葉を届ける前に、結果として有権者を遠ざけてしまうのではないか。
高市総理は、討論会に同席していた一人であるチームみらいの安野党首からこの点を突っ込まれ「ええ、そうですね。ぜひその点も国民会議で議論しましょう」と明らかにわかってなかったそうな返事をするのがせいぜいだった。
元々倒産しやすい業界ではあるけれど、外食産業を消費税ゼロ政策において無視した場合、一般庶民が外食しないようになる傾向が加速度的に高まるのは想像に難しくない話である。
従って、何もしなければ外食産業は壊滅的になってしまうだろう。
年間消費税総額およそ24兆円のうち、外食産業からの消費税収入が占める割合はよくわからないが、外食産業の規模は14兆〜20兆と言われ、無視できる規模では全然ないのである。
何もしなければ、外食産業に従事する労働者の多くが失業してしまう。
せっかくUber Eatsで食い繋いできた人たちも路頭に迷ってしまう。
ともかく、そのインパクトは計り知れないものになってしまうだろう。
だから、安野が食料品の消費税減税に慎重な態度を取ったのはよく理解できるのである。
かと言って、今更食料品の消費税減税やめますとはいかないだろう。国民への約束履行違反として、悪夢の民主党の二の舞に自民党が見舞われるに違いないからである。
食料品消費税減税の課題が財源問題だけではなかったことを、どれだけの国会議員が理解していただろうか?
なんか政治の潮目が変わった気がする。旧来の日本型リベラリズムが完全に息切れして、代わりに新しい形のリベラリズムがポコッと顔を出してきた感じ。チームみらいみたいな新興政党が11議席取ったのが象徴的だけど、これって欧米型のリベラリズムの日本版じゃない? って思ったので、ちょっと書いてみる。間違ってたらごめん。
日本型リベラリズムって、立憲民主党とか共産党、れいわ新選組みたいな勢力が典型だよね。護憲・反原発・再分配重視で、生活苦を叫んで消費税減税を掲げて、弱者救済をアピールするスタイル。まあ、理想はわかるけど、今回の選挙で票がガクッと減った(または「消えた」って言われてる)のは、なぜか?
要するに、旧来型は「今を我慢せずに分配せよ」みたいな福祉優先で、長期視点が欠けてた。選挙結果見ると、これが崩壊したのは明らか。
ここでチームみらいが出てくる。平均年齢30台、IT・AI・コンサル出身者だらけで、「テクノロジーで政治を変える」ってスローガン。比例で11議席取ったの、すごい躍進だよ。政策見てると、欧米型のリベラリズム(特にシリコンバレーや欧州中道リベラル政党っぽい)を感じる。
チームみらいはイデオロギー色薄めて、「テクノロジーで誰も取り残さない日本」を掲げてる。左右超えた実務的アプローチで、若年層に刺さったみたい。欧米型リベラリズムって、個人中心・効率化・イノベーション重視で、日本型みたいに再分配偏重じゃないんだよね。シリコンバレー的なリバタリアン寄りや、欧州のALDE系政党(自由民主同盟)と重なる部分が多い。
今回の選挙で新型リベラリズムの芽が出たのは確か。旧来型が崩壊した隙間に、成長・技術・効率を軸にした新しいリベラル像が浮上してきた。でも、チームみらいはまだ組織基盤弱いし、地方浸透も課題。11議席はスタートラインで、政策実行力次第で本物になるか決まる。
日本政治、ようやく21世紀型にアップデートされそう?欧米みたいに、リベラリズムが「前向きで未来志向」になるなら、面白いかも。
――Human-first Approval Notation の興亡 ――
「はんこは非効率だ」
「デジタルで全部できる」
すべてが記録され、
人々は満足した。
これこそ進歩だと。
数十年が経った。
だが、同時にこうも言われるようになった。
「承認が重い」
「考える前に操作が多すぎる」
「雑に前に進めない」
誰もが気づき始めた。
”正しくなったが、進まなくなった”
「我々は、
その名は
”Human-first Approval Notation(HAN)”
特徴はこうだ。
・一目で分かる外形
・詳細ログは裏側に保持
・普段は見せない
そして、デモが行われる。
インクを付けて、押す。
会場はどよめいた。
「直感的だ!」
「速い!」
「考えが途切れない!」
数十年後――
Human-Centric ApprovalInterface(HAN)は社会に定着した。
だが、次の課題が浮上する。
「我々は、インクを内部に内蔵したユニット式承認デバイスを開発しました!」
製品名はこうなった。
"Human-first Approval Notation andKeyObject(HANKO)"
・・・男は、ChatGPTと会話していた。
「今考えてもらったこの”はんこトランスフォーメーション”はなかなかよくできた寓話だ」
「ええ、率直に言って かなりよくできた話です。
しかし───
実際に訪れた数十年後、
大戦の余波で、
ネットワークは維持できず
電力は不安定になり
残ったのは、
人々は洞窟の壁に、狩りの成功、敵の脅威、仲間との約束を刻み始めた。
そこにあった「承認」───
誰かが壁に刻む。
別の誰かが、その上に線を重ねる。
皆が見て、皆が覚える。
それは、
電源不要
百年互換
完全にHuman-firstだった。
はんこトランスフォーメーションを想像していた彼らは、知らなかった。
文明が十分に洗練されていること自体が、もっとも脆い前提だったということを。
そして皮肉にも、
洞窟壁画
は、
空間共有
に、驚くほど適合していた。
それが
はんこであれ、
紙であれ、
洞窟の壁であれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.47news.jp/13840813.html
チームみらいは憲法問題に口を出すべきではないといったコメントが見られる。
10議席も持っている国政政党なら当然ワンイシューなんてことは許されなくて、国のさまざまな課題について政見を持つのは当然だろう。
チームみらいに非難されるべきことがあるとしたら、むしろ一部の政策で旗色を鮮明にしていない・していなかったことではないか。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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## 1週間分の総括
この1週間は、選挙を中心とした政治・社会への高い関心が全体を貫きつつ、AIや投資など未来志向の話題と、食・旅行・趣味といった身近な雑談がバランスよく共存していた。
仕事や教育、医療といった現実的な課題への悩みが多く語られる一方で、新技術や文化を楽しむ姿勢も見られ、不確実な時代の中で生活を最適化しようとする等身大の大人たちの対話が印象的なログだった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
“高市総理が保守的で「力による平和」といった政策課題を実現していくうえで、大きな成功を収めることを願っているとしています”
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c6ad73b080f7ea528f32d791e7ff84d3d57918d
1億2000万人がこういう流れ作業を毎日ひたすらやっていたんだな。国家戦略だったのか?
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欧米との違い:
| 地域 | 資産管理 |
| -------- | ------------- |
| 日本 | 家庭単位(妻管理) |
| 欧米 | 個人単位 |
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理由:
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```
家庭の貯金
↓
↓
財政投融資(FILP)
↓
```
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```
企業成長
↓
給与上昇
↓
家計貯蓄増加
↓
↓
経済成長
↓
企業利益増加
↓
給与上昇(循環)
```
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### ①企業成長の鈍化
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### ③ 超低金利
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### ④政府支出の変化
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### 昔
```
成長型貯蓄国家
```
###現在
```
```
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## ■ 若年層が苦しい構造
### 昔の若者
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```
賃金上昇力 ↓
```
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### 旧モデル
```
```
### 新モデル
```
```
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### ただし
```
```
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## ■結論
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```
重要:
```
こちらにつきましては、まず我々受け付けるほうが、例えば御本人の御希望について聴取する際に、実際には存在しないような物件、例えば1LDKでオートロックで、駅近で5万円が欲しいとか、そういったところを我々のほうとしてそんなものはありませんよとはなかなか言えないものですから、そのまま宅建協会の方にお願いするようになってしまうんですけれども、そうすると宅建協会さんとしては、そもそもそういった物件はないので、情報提供いただけないという事態があった
いつ起こるかわからん戦争なんぞよりも喫緊の課題としては税制・経済や医療・福祉の問題どうする気なのってなってんのに
キッティング現場(スマホ・PC)でシフトが安定しない、つまり「人手不足」「離職率が高い」「急な欠勤」に悩むケースは、IT業界やアウトソーシング現場でよく見られる課題です。
原因は、「繁忙期と閑散期の差が激しい」「単純作業の繰り返し」「明確な評価基準の欠如」などが挙げられます。この問題に対し、現場の改善(内製化)と、外部委託(キッティングサービス)を組み合わせた対策が有効です。
不規則な勤務体系と繁忙期: 端末入れ替え時期やプロジェクト初期に作業が集中し、長時間労働や土日・深夜作業が発生しやすい。
モチベーションの低下: 同じ作業(スマホ・PCの初期設定)の繰り返しが多く、成長実感を得にくい。
評価基準の不透明さ: 誰がやっても同じ品質になる作業において、個人の貢献度が評価されにくく、離職を誘発する。
教育体制の不足: 大量導入時の急な採用で教育が追いつかず、作業ミス→担当者の疲弊→離職の悪循環。
スマートフォンのキッティング(業務利用のための各種設定作業)が現場で「つらい」と感じられる主な理由は、膨大な作業時間と工数、人的ミスのリスク、そしてセキュリティ対策の複雑さに集約されます。
具体的な理由は以下の通りです。
個別設定の手間:PCと比較して1台あたりの単価はリーズナブルな傾向にありますが、多くの端末にOSの初期設定、アカウント設定、Wi-Fi設定、業務アプリのインストール、各種ライセンス認証などを1台ずつ手作業で行うため、膨大な手間と時間がかかります。
突発的な対応:新入社員の入社、端末の入れ替え、急な増設など、不定期かつ突発的に発生する作業に対応する必要があり、日常業務と並行して行う情報システム担当者の負担が大きくなります。
作業の標準化が難しい: 手順書があっても、細かい設定項目が多く、担当者によって作業内容にばらつきが出やすいです。
設定の抜け漏れ: 複雑な手順の中で設定の抜け漏れが発生すると、後のトラブルの原因となり、結局二度手間になってしまいます。
多岐にわたる設定:企業でスマートフォンを導入する際は、ウイルス対策アプリの導入、システムやアプリのアップデート、端末固有の制限設定など、厳格なセキュリティポリシーへの適合が求められます。
管理の難しさ: 個々の端末が適切なセキュリティレベルを維持しているか、運用開始後も継続的に管理・監視する必要があります。
4. その他
ネットワーク負荷: 大量のアプリやデータのインストールを一斉に行う際、社内ネットワークに大きな負荷がかかることがあります。
専門知識の必要性:OSやアプリに関する専門知識が求められる場面もあり、IT機器に詳しくない担当者にとっては精神的な負担も大きくなります。
勇ましいことだよ…
国民の皆さんに汗を流してもらわないといけないかもしれないですし、場合によっては血を流していただかないといけないこともあるかもしれませんが、ただこの日本っていうのを次の世代にバトンタッチをしていくために、目の前の課題から逃げずにツケを次の世代に回さずにしっかりと決断できる国。再度、高市総理のもとで取り戻していきたいという風に思ってます。
自民党青年局の青年部長に就任し、自民党の若手のホープとして活躍している
彼は党の未来を担っているということかな。
近年、女性の月経(生理)に対する社会的な理解と支援が進んでいることを、非常に良いことだと感じている。
生理痛やPMS(月経前症候群)による身体的・精神的な負担は、決して軽視できないものである。
生理用品の無料配布、生理休暇の議論、月経貧困対策など、公的・民間レベルでの取り組みが増え、女性がより快適に生活できる環境が少しずつではあるが整いつつある。
これは、誰もが当たり前に享受すべき健康とQOLの向上につながる、喜ばしい進展だと思う。
一方で、同じように生物学的に根ざした強い生理的欲求である「男性の性欲」についてはどうだろうか。
男性の性欲は、主にアンドロゲンの影響で生じる自然な衝動である。個人差はあるが、抑えきれないほどの強さを感じる人も少なくなく、それが日常生活やメンタルヘルスに影響を及ぼすケースもある。
実際、SNSやインターネット掲示板では、常識を疑うような自慰行為や性体験を語る男性の投稿が散見される。これらすべてが望ましくないわけではなく、そうした語りが生まれる背景に、耐えがたい欲求が存在しているケースがあることを示唆している。
しかし、社会全体として見てみると、男性の性欲を「つらい」「支援が必要な生理的ニーズ」として公的に扱う仕組みは、ほとんど存在しない。
むしろ、ポルノへの規制強化、風俗産業への風当たり、性欲を公に語ることへのタブー視といった傾向が強いように感じる。
なぜ、このような非対称が生まれるのだろうか。
月経は基本的に本人だけの苦痛で、周囲への直接的なリスクが少ないため共感を集めやすい。
一方、性欲は行動として現れやすく、同意のない接触やハラスメントにつながる可能性があるため、「危険なもの」として警戒されやすい、という側面がある。
これはおそらく正しいと思われるが、それだけでは説明しきれない部分もあると考える。
たとえば、月経によるホルモンバランスの乱れでイライラや感情の起伏が激しくなるケースは、誰しも「仕方ない」と理解しようとするだろう。
しかし、男性の性欲が強く抑えきれないときに、「仕方ない」と理解しようとする人はどれだけいるだろうか。
「性欲を抑えられないのは猿みたい」という揶揄が一部で使われることがあるが、同じ論法で「月経で感情が不安定になるのは猿みたい」と言うと、すぐに非難されるはずだ。
この非対称な許容度自体が、すでにダブルスタンダードを示しているように思う。もちろん、性欲が行動化して他人に迷惑をかけることは、決して許されるものではない。
加害リスクを軽視するつもりは全くない。ただ、すべての男性が加害者予備軍だというステレオタイプで一括りにしてしまうのも、健全な議論を妨げていると思う。
人は誰しも、状況によっては加害者にも被害者にもなり得る存在である。性欲の「つらさ」を語る男性を即座に「加害者側」と決めつけるのではなく、
まずは「生理的ニーズ」として理解しようとする姿勢が、もう少しあっても良いのではないだろうか。
女性の生理支援が進むのは素晴らしいことであるが、男性の性欲についても、抑圧一辺倒ではなく、安全で衛生的な発散の場や、メンタルヘルス的な相談窓口を公的に整備する方向は、検討の余地があると考える。
一部の国や地域では、障がい者向けに性的支援(射精介助など)が福祉の枠組みで提供されている事例もあり、日本でも障がい者限定ではあるが、NPOなどが先駆的に取り組んでいる。
これを一般の男性に広げるかどうかは別として、「性欲も健康の一部」として扱う視点は、増えても良いはずだと思う。
もちろん、ポルノや風俗の公営化・クリーン化は、倫理的・政治的なハードルが高いのも事実。感染症対策、労働者保護、同意の徹底など、クリアすべき課題は山積みである。
ただ、抑圧が逆効果になるケース(規制強化でかえって問題行動が増える事例)も指摘されている以上、単に「禁止・タブー」で片付けるのではなく、科学的に・人権的にバランスを取った議論が必要である。
結局のところ、私が疑問に思っているのは、「どちらの生理的つらさも、できるだけ公平に扱おう」というシンプルなことである。
同時に、男性の性欲が「恥ずべきもの」「抑え込むべきもの」としてだけ扱われ続ける現状に、少し違和感を覚える人がいても、不思議ではないのではないのだろうか。
これは、男性を優遇しようという話ではなく、誰もが自分の体と心を大切に生きられる社会を目指す話だ。
2023年の人数。40年後どうなる?今50~40代の日本人年齢中央値よりやや下の人も何人かは生きているはず。
ーー
現状の確認
2023年時点で20代(20-29歳)が約1,272万人というのは正確です。東京都の人口(約1,400万人)より少ないというのも、日本の少子化の深刻さを示す象徴的な数字ですね。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると:
2063年の20代人口は約700~800万人程度と予測されています
現在の約55~63%まで減少する見込みです
現在の40~50代について
ご指摘の通り、2023年時点で40~50代(1973~1983年生まれ)の方々は、40年後には80~90代になります。日本の平均寿命を考えると:
男性:平均寿命81歳なので、50代前半だった方の相当数が生存
この世代(第2次ベビーブーム世代を含む)は約200万人/年生まれているので、40年後も相当数が生存していると予想されます。
40年後の日本は、20代700~800万人に対し、80~90代が数百万人という、極端な逆ピラミッド構造になります。社会保障や労働力確保の観点から、大きな転換期を迎えることになりそうです。
Anthropicというか、生成AIがITエンジニアの仕事を奪うっていう言説、あれ半分正解で半分間違いだと思う。 正確には「今のやり方のままの仕事」はなくなるけど、IT業界全体のパイが縮むわけじゃない。 結局、現場の編成が劇的に変わるだけなんだよな。
昔みたいに、仕様書を読み込んでひたすらコードを書く「写経職人」みたいなレイヤーは、そりゃあClaudeに食われるだろうよ。 でも、その分、一人のエンジニアがこなせるスピードと範囲がバカみたいに広がる。 今まで10人で3ヶ月かかってたプロジェクトが、AIを使いこなす3人で1ヶ月で終わるようになる。 そうなった時に「じゃあ残りの7人はクビだね」ってなるかというと、普通の感覚ならそうはならない。 今までコストやリソースの問題で諦めてた「本当はやりたかった別のプロジェクト」にその7人が投入されるだけだ。ソフトウェアで解決しなきゃいけない課題なんて、この世にまだ無限にあるんだから。
本当の問題はエンジニア個人じゃなくて、会社の方にある。 「生成AIはセキュリティがー」とか言って思考停止して全面禁止してたり、 「人月単価で稼いでるから、効率化されると売上が減って困る」とか抜かしてる旧態依然としたSIerとか。 そういう「AI前提の編成」にアップデートできない組織が、これから凄まじい勢いで淘汰されていく。AIを武器にして少人数で爆速でプロダクトを回す競合に、価格でも納期でも勝てるわけがない。
エンジニアの職が奪われるんじゃない。AIを使いこなせない「古い体質のままの組織」が、AIを標準装備した「新しい組織」に食い殺されるだけ。 これは職の消失じゃなくて、残酷なまでの適者生存だよ。
俺たちにできるのは、AIに怯えることじゃなくて、AIをどう自社やチームの編成に組み込むか必死に考えること。 とりあえずClaudeに課金して、今日もひたすらプロンプトをこねるしかない。 結局、道具が変わっても、この業界が椅子取りゲームなのは変わらないんだよな。
難しい、って感じるのは普通やで。「一緒に作る」って、実はスライド作業 じゃなくて意思決定(何を言うか・順番・根拠)を分担する作業 なんよ。学生が詰まるポイントはだいたいここ。
以下のやり方にすると、一気に回る。
1)最初に“型”を固定する(ここが9割)
まず全員で5〜10分でこれだけ決める:
結論(1文):この発表で何を主張する?
評価基準:何ができたら高得点?(例:根拠、独自性、わかりやすさ)
この4つが決まると、迷いが激減する。
学生が失敗しがちなのが、
A「1枚目作る」B「2枚目作る」みたいな分け方。これやと統一感が死ぬ。
おすすめはこっち:
最後に1人(編集長役)が全体の言い回しとデザインを統一する。
「スライド作りながら考える」と沼る。
手順はこれ:
各担当が 30秒で言う台本 を箇条書きで作る(300〜500字くらい)
全員で読み合わせして、重複と抜けを直す
目安:発表1分=スライド1枚(図が多いなら少なめ)
4) “揉める場所”を先に決めておく
共同制作がしんどい原因は、揉めが発生した時にルールがないこと。
迷ったら評価基準に戻る
背景(なぜ今それ?)
問題点(何が困りごと?)
原因(なぜ起きる?)
提案(何をする?)
実行計画(誰が・いつ・どうやる)
まとめ(結論もう一回)
すぐ効くコツ(作業が軽くなる)
1スライドは 「見出し=主張」 にする(例:「原因は○○である」)