
はてなキーワード:視力回復とは
手術が必要かどうかの判断は、医師の診断と、あなたの目の状態、視力への影響、生活の質にどれだけ支障が出ているかに基づいて行われます。具体的な判断基準については以下の点が考慮されます:
1.視力の低下
•視力低下が進行している場合、手術を検討することが多いです。例えば、白内障が進行して視界がぼやけたり、視力が大幅に低下して生活に支障が出ている場合には手術が必要になることがあります。
• もし、眼鏡やコンタクトレンズで視力を補うことが難しくなった場合、手術が有効です。
2.日常生活への影響
•白内障が原因で日常生活に支障が出ている場合、例えば、運転や読書が難しくなったり、歩行中に安全が確保できない場合には手術が検討されます。
• 強いまぶしさ(眩しさ)や、暗い場所での視界の悪さが増してきた場合も、手術を考える要因になります。
• 視界がぼやけているだけでなく、二重に見える、色が鮮明に見えないなどの視覚的な問題がある場合、手術が必要かもしれません。
• また、視野の一部が見えない(例えば、視野が欠けている)場合は、病気の進行や合併症が考えられるため、早期に手術を検討することがあります。
•白内障以外の眼病(例えば、網膜疾患や緑内障)がある場合、これらが視力低下に関与している可能性もあります。医師はその点も含めて診断します。
•白内障と他の目の病気が併存している場合、手術のタイミングや方法を慎重に決める必要があります。
5.検査結果
•視力検査、眼底検査、眼圧検査などで眼の状態を総合的に評価し、手術が必要かどうかを判断します。
• 進行度が進んでおり、薬や眼鏡で視力が回復しない場合は、手術を検討することが多いです。
• 手術にはリスク(感染症、視力の急激な変化、出血など)もあるため、医師はそれを考慮したうえで、手術が必要かどうかを説明します。
• 手術によって得られる視力回復の可能性や生活の質の向上と、手術に伴うリスクを天秤にかけて判断します。
• 年齢や健康状態も判断基準に影響します。高齢者や健康に問題がある方の場合、手術のリスクが高くなることもありますが、視力の回復が生活に大きな影響を与える場合には手術が推奨されることもあります。
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•白内障が進行しすぎて視力が著しく低下している場合や、生活に支障をきたす場合。
•視力低下が日常生活に影響を与え、他の治療法(眼鏡やコンタクトレンズ)では効果がない場合。
• 手術後に視力が回復し、生活の質が向上する可能性が高いと医師が判断した場合。
まとめ
手術が必要かどうかは、医師の判断に基づいて、あなたの目の状態や生活にどれだけ支障が出ているかを総合的に評価して決まります。もし視力に問題が出てきて、日常生活に不便を感じている場合は、早めに専門医に相談することが大切です。医師は、あなたにとって最適な治療方法を提案してくれるので、不安なことがあれば遠慮せずに質問してみてくださいね。
白内障が進行して視力に影響を与えている場合、ガラス体(硝子体)置換の手術が必要になることがあります。
1.ガラス体(硝子体)置換手術とは?
ガラス体置換は、眼球内の透明なゼリー状の物質(硝子体)を取り除き、必要に応じて人工的な硝子体やその他の補充物を入れる手術です。これは、白内障の進行に伴って硝子体が混濁してしまったり、白内障の手術後に視力回復が困難な場合に行われます。
ただし、白内障自体の治療には通常白内障手術(水晶体の摘出と人工レンズの挿入)が行われますが、硝子体置換は別の手術です。通常、白内障手術の後に視力が回復しない場合や、硝子体の病変が原因で視力が低下している場合に行われます。
2. 手術内容
手術では、まず眼球の中の硝子体を取り除きます。その後、必要に応じて人工の硝子体や薬剤を注入して、眼球内の構造を正常に保つようにします。この手術は高度な技術が必要で、通常、眼科の専門医によって行われます。
手術の流れ:
• 硝子体の除去:硝子体を吸引して取り除きます。
• 補充:硝子体を取り除いた後、人工硝子体やその他の物質(例えば、生理食塩水など)で補います。
• 縫合:手術後、切開部を縫合します。最近では、傷口が小さければ縫わないこともあります。
3.麻酔について
硝子体置換手術には、局所麻酔が一般的に使用されます。麻酔は以下の2つの方法で行われます:
• 眼内麻酔(局所麻酔):目の周りや目自体に麻酔薬を注射して、手術部位を麻痺させます。これにより、痛みを感じずに手術を受けることができます。注射は通常、まぶたの下や眼球の周囲に行います。
•全身麻酔:場合によっては、患者の状態や手術の難易度に応じて全身麻酔が選ばれることもありますが、局所麻酔が最も一般的です。
手術中は目の感覚が鈍くなるため、痛みを感じることはありませんが、圧力や動きは感じることがあります。
硝子体置換手術は非常に高度な技術を必要とする手術ですので、通常は眼科の専門医が担当します。眼科医の中でも、特に硝子体・網膜に特化した専門医(硝子体網膜専門医)が行うことが多いです。これは、眼球の内部に対する非常に精密な手技が要求されるためです。
日本では、眼科専門医として認定された医師が基本的に手術を行いますが、その中でもさらに研修や経験を積んだ硝子体網膜専門医が担当することが多いです。
5. 義眼との違い
義眼は、視力を回復させることを目的としたものではなく、失われた眼球の見た目を再現するための装置です。義眼は通常、視力に関する治療には用いられません。
一方、硝子体置換手術は視力を回復することを目的として行います。手術によって、眼内の構造が正常に戻り、視力が改善されることが期待されます。義眼は視覚機能を回復させるものではなく、見た目を整えるためのものです。
まとめ
•ガラス体置換手術は、白内障の治療後に視力が回復しない場合や、眼球内部に問題がある場合に行われます。
• 手術は通常、眼科専門医によって行われ、麻酔は局所麻酔(目の周りや眼球内)で行われます。
• 義眼は見た目を再現するためのもので、視力回復には関与しません。
メガネ店に2、3年ほど勤務していた私がおすすめする、近視用メガネ作成時のポイントがあります。
私自身かなりの強度近視でして、メガネの度数は-10.00、コンタクトは-9.00くらいです。
一般的に強度近視と呼ばれるのは-6.00くらいの方からですね。
近視が強い方はどうしてもレンズの歪み(目が小さくなる)が出てしまうのですが、メガネの選び方でこの歪みをかなり減らすことはできます。
かわいいメガネを選んでも、いざ出来上がったメガネをかけて、思っていたのと違う...となるのは近視の方にあるあるの事ですよね。
メガネ作成時に下記の3点に気をつけると、仕上がりのギャップを少しでも減らせるかなと思います。
③目とレンズの間をなるべく狭めるフィッティングにしてもらう(鼻パッド付きメガネが良いかも)
レンズの中央にいけばいくほど厚さも歪みも少なくなる設計になっているんですね。
そのため大きいフレーム(アラレちゃんメガネのような)を選ぶと、レンズが厚くなり歪みが出やすくなります。
なので、出来るだけ小さいフレームを選んでいただけるとGOODです。似合う&かけ心地が合うのであれば小さければ小さいほど良いです!
メガネのサイズの確認方法ですが、実はどのメガネにも刻印や印刷がされています。
メガネのテンプル部分などに書かれていることが多いですが【50◻︎19 138 27】といった数字が書かれています。
◻︎の前に書かれている数字が、片方のレンズの直径です。これがサイズになりますね、この記述の場合50サイズということです。
私の感覚になりますが、女性で顔幅小さめ、度数が-8.00〜の方であれば40〜42サイズくらい小さいものがおすすめです。
ただ、サイズが小さいフレームってなかなかないんですよね...流通しているフレームは何故か大きめが多い!
JINSが目が小さくならないメガネを出していますが、これも45サイズ...頑張ってはいるが、もう一回り小さいものが欲しい...
逆にJINSのこのメガネは、〜-6.00(-7.00くらいもいけるかな...?)くらいの方には結構おすすめかなと思います。
眼鏡市場などで探せばあるかもしれないので、店員さんに小さめサイズで聞いてみて下さい。
デザイナーズ系のメガネは小さめが多いので、小さめのブランドを下記に記載しておきます。ただ、お高い...しかし可愛い...
・YUICHI TOYAMA.
・propo
・Yellows Plus
・ANNEET VALENTIN
などなど...
そして好みによりますが、濃い色の方が良しです!これの理由はデルブーフ錯視で検索してみてください。
続いて②です。
一般的にメガネとレンズでセット価格になっているものは「片面非球面レンズ」が多いです。
これより上位ランクの設計のレンズが「両面非球面レンズ」ですね。JINSも最近取り扱っています。
ただ、片面非球面よりも高くなってしまうので、予算に余裕があればおすすめです。(完璧に歪みが無くなるわけではないので...)
目とレンズの距離、これを頂点間距離と言いますが、これが適切な方がレンズの見た目は良くなります。
なので、この距離を調整できる鼻パッド付きのメガネの方がおすすめにはなります。
鼻パッド無しでも、顔に合っているメガネがあればそちらでも良しです!気に入ったものをかけるのが1番良いです。
かなり簡潔ですが、このあたりを気をつければ少しでも普段使いしやすいメガネが製作できるかな...と思います。
本当は、何も見た目が変わらないレンズor万人に使用できる視力回復術などがあればHAPPYなのですが、それは技術の進歩を待つしかなさそうです。
コンタクトも調子が悪い日は必ずあると思うので、そういう日に無理にコンタクトを装着することがないよう、外でもかけられるメガネは一つ持っておいた方が良いです。
目は一生もの、の割にかなりデリケートかつ複雑な臓器なので、労りながら過ごしたいものです。
セルマが自分の無実を証明しようとしなかった理由は、彼女の性格や価値観、そして状況に対する深い心理的・道徳的な葛藤に基づいています。以下に、その理由をいくつか考察してみます。
セルマにとって最も重要なことは、息子のジーンが視力を失う前に手術を受けられるようにすることでした。彼女が貯めていたお金は、その手術費用に充てるためのものであり、彼女の人生そのものがジーンの未来のために捧げられていました。裁判でビルの死の真相や貯金の目的を明かせば、確かに彼女の罪が軽減される可能性はあったかもしれません。しかし、それによって貯金の存在が公になり、没収されたり使えなくなったりするリスクを彼女は恐れた可能性があります。セルマは、自分の命よりもジーンの視力を優先したのです。
セルマは非常に純粋で自己犠牲的な性格として描かれています。ビルを殺したのは、彼がセルマに「自分を撃て」と懇願した結果であり、彼女に積極的な殺意があったわけではありません。それでも、彼女は人を殺してしまったという事実に対して深い罪悪感を抱いていたと考えられます。この罪悪感が、彼女に「罰を受けるべきだ」という思いを抱かせ、自分の無実を主張する動機を奪ったのかもしれません。彼女は、自分が苦しむことで何かを償おうとした可能性があります。
セルマは現実の過酷さに耐えるため、ミュージカルの幻想に逃げ込む癖があります。裁判の過程でも、彼女は現実と向き合うよりも、内なる空想の世界で心を保とうとしていました。自分の無実を証明するためには、ビルとの争いの詳細を説明し、闘う姿勢を見せる必要がありました。しかし、セルマはそのような闘争心や現実的な自己弁護よりも、精神的な逃避を選んだのです。彼女にとって、真実を主張することよりも、ジーンの手術が実現することの方が重要だったのかもしれません。
セルマは移民であり、社会的に弱い立場にあります。彼女の弁護士が無能だったこともあり、アメリカの司法制度が自分を正しく裁いてくれるという希望をあまり持っていなかった可能性があります。実際に、裁判では彼女の背景や動機が十分に考慮されず、死刑判決が下されてしまいます。こうした状況の中で、セルマは自分の声を上げることに意味を見出せず、黙って運命を受け入れたのかもしれません。
セルマ自身が積極的に自己弁護しようとしなかったことは確かですが、それを差し引いても弁護士の対応には問題があったと考えられる点がいくつかあります。以下に、具体的な視点からその無能さを考察します。
セルマがビルを殺した状況には、明らかな情状酌量の余地がありました。ビルはセルマのお金を盗もうとし、争いの末に自分で負傷し、彼女に「自分を殺してくれ」と懇願したのです。この一連の出来事は、セルマに殺意がなかったことや、むしろ彼女が追い詰められた被害者であることを示しています。しかし、裁判でこの背景が十分に提示された形跡はありません。弁護士がセルマから詳細な証言を引き出し、ビルの行動や動機を明らかにする努力を怠った可能性が高いです。セルマが話したがらないとしても、有能な弁護士なら彼女の心理状態や状況を考慮し、積極的に真相を掘り下げるべきでした。
セルマが貯金をしていた理由——息子ジーンの眼病治療のため——は、彼女の行動を理解する上で極めて重要な要素です。この事実を裁判で強調していれば、陪審員や裁判官にセルマの人間性や母親としての献身を示し、殺人に至った動機が利己的でないことを訴えられたはずです。しかし、映画ではそのような弁護が展開された様子は描かれておらず、弁護士がこの点を効果的に活用できなかったことがうかがえます。セルマが黙秘したとしても、弁護士が彼女の生活環境や医療記録などを調査し、証拠として提出する努力をしていれば、判決に影響を与えられた可能性があります。
死刑判決という極端な結果に至ったことから、弁護士が効果的な弁護戦略を立てられなかったことは明らかです。例えば、セルマの精神状態(視力の喪失によるストレスや絶望)、ビルの自殺的行動、セルマの移民としての社会的弱者性などを強調し、殺意の不存在や過失致死の可能性を主張する戦略が考えられたはずです。しかし、裁判の描写では、こうした弁護が十分に行われた様子はなく、弁護士が単に形式的な手続きを踏むだけで終わったように見えます。これは、セルマの協力不足を差し引いても、弁護士としての能力不足を示しています。
セルマは自己犠牲的で、息子の将来を守るために真実を隠そうとする傾向がありました。有能な弁護士なら、彼女のこの性格を見抜き、彼女が話さない部分を補う形で弁護を進めることができたはずです。例えば、セルマが黙秘する理由を推測し、彼女の立場を代弁する形で裁判に臨むことも可能だったでしょう。しかし、弁護士はセルマの心理状態を深く理解しようとせず、彼女の沈黙をそのまま受け入れてしまったように見えます。これも、無能さの一つの表れと言えます。
キャシーの関与:キャシーはセルマの親友であり、工場で一緒に働く同僚でもあります。裁判の過程で、キャシーがセルマの性格や普段の生活態度を証言するなど、彼女の人間性を陪審員に伝える努力をしたことが示唆されます。セルマが利己的な動機で殺人を犯すような人物でないことを強調しようとした可能性があります。
感情的なサポート:キャシーは裁判中やその前後もセルマのそばに寄り添い、彼女を励まし続けます。セルマが自分の無実を主張しない態度に苛立ちながらも、彼女を理解しようとする姿勢が見られます。
手術費用の代替案:セルマが貯めていたお金が裁判や没収で失われる危機に瀕したとき、キャシーを含む友人たちが、ジーンの手術費用を何とか確保しようと動いた可能性があります。映画では直接的な描写はありませんが、キャシーがセルマの目的(ジーンの視力回復)を理解していたことから、彼女が他の支援者と協力して資金集めを試みたことが想像できます。
弁護士への圧力:セルマの弁護士が無能だったため、キャシーや他の支援者がより有能な弁護人を雇うための資金や支援を模索した可能性もあります。しかし、セルマの経済的・社会的な立場が弱く、また時間が限られていたため、この努力は実を結ばなかったようです。
真実を話すよう説得:キャシーは、セルマがビルの死の真相や貯金の目的を隠していることに気づいており、彼女に裁判で正直に話すよう強く勧めます。セルマが黙秘を貫く中、キャシーは何度も感情的に訴えかけ、彼女の命を救うために自己犠牲的な態度を変えさせようとします。この説得は、セルマの頑なな姿勢によって失敗に終わりますが、キャシーの必死さが伝わる場面です。
精神的な支え:刑務所に収監された後も、キャシーは面会に訪れ、セルマが孤独や絶望に完全に飲み込まれないよう支え続けます。彼女の存在は、セルマにとって現実と向き合う最後のつながりでもありました。
死刑執行の阻止:映画のクライマックスに近づくにつれ、キャシーや支援者たちが死刑判決を覆すための最終的な訴えや嘆願を行った可能性があります。例えば、知事への恩赦嘆願や、法的な再審請求を試みたかもしれません。しかし、映画ではこうした努力が実らず、時間切れでセルマの処刑が実行される様子が描かれています。
ジーンの手術の保証:セルマが最も望んでいたジーンの手術が実現したことを伝えるため、キャシーが医師や関係者と連絡を取り、手術が実行されたことを確認した場面があります。これは、セルマの死を無駄にしないための具体的な行動であり、彼女が安心して逝けるよう最後の努力を果たしたと言えます。
映画では、キャシーや支援者の行動が細かく描写されるよりも、セルマの内面的な葛藤やミュージカルの幻想に焦点が当てられています。そのため、彼らの具体的な行動は断片的にしか示されず、観客にその努力の徒労感や無力感を印象づける演出が優先されています。ラース・フォン・トリアー監督のスタイルとして、登場人物の善意や努力が報われない悲劇性を強調することが意図されており、キャシーたちの奔走もその一環として描かれているのです。
ただすごく怖い手術だったので、後進の覚悟のために記憶が新しいうちに書いておく
手術を受けることを前提に診察を予約
最初に精密検査をするので検査の3日前からコンタクトをつけないように指示を受ける。
目の検査ってこんな機械あるんだなと感心する程度に何個も検査を受ける
多分6個くらい
ここで手術の予約をするが、流行っていたので1.5ヶ月先になった
どうにもコンタクトで目の形が変わっていると具合が悪いらしい。
ハードコンタクトは7日前、ソフトコンタクトは3日前から装用しちゃダメ
3日前からは毎日6回2種類の点眼を行う、起床時、朝食後とか細かく書いてあるが3時間ごとと解釈し
なお2種類の目薬は5分間隔を開けるのが地味に大変
検査後は待合室で待機しながら定期的に瞳孔を開く目薬などをさして瞳孔の開き具合などをチェック
手術着に着替えて手術室に通される
手術着は別に脱ぐわけではなく、襟カバー前開きのポンチョ、シャンプーハット、ハットを額に固定するテープという感じ
手術台は大体歯医者さんです。
消毒と言われ目を閉じた状態で両目まぶたの上からクマが出るあたりまで、イソジン的な匂いのなにかと、その後もう一つ薬液でビタビタにされる。
目玉の部分だけ穴が開いている布を被される、まぶたを開いた状態で固定するテープや、何らかの固定具をつけて目が開いた状態で固定される。
(生理食塩水とか、涙に代わるなにかかもしれないが、執刀医が「水!」というと横から誰かがかけてたか先生に手渡していたので私の中では水)
なおここから先は目のピントが合ってないのと専門用語が分からないので主観である。
なにかの薬を眼球に直接塗られる、麻酔で眼球そのものに感覚はないが、眼下など押された感触でそう感じた。
ここまでが多分消毒等の準備でここからが本格的な手術
「3つの光のうち左側を見てくださいね」の指示が出され麻酔の目薬や同行を広げる目薬などをドバドバ透過する。
このときの視界は水をちょんちょん垂らしている水面を真下から裸眼でぼやっと見ている感じ
目薬の容器的な物、光、落ちてきた目薬の波紋が見える。
完全に 無感覚と言うことはなく、少ししみるなと言うような感触はある。
目薬は比較的に説明してくれたが「切りますよ」は1回も言われなかった。
手術本番中は時折「光を見て」「上 /下/左/右を見て」と言う指示にしたがい
触られる感触、いろんな種類の目薬とうかに耐えていると20分くらい耐えていると「あと瞳孔閉じたら終わりですねー」と声が掛かる
が…ここからが長かった。
「あれ?引っかかってる」(ん?道具の手入れがなってないのでは?)
「瞳孔閉じないな」(あ、引っかかってるの僕の瞳孔ね!)
から始まり瞳孔を閉じる薬をたぶんスポイトかなんかに3ccずつ吸い取って次々刺しても瞳孔が閉じない
「3ccで吸ってるよね?次のやつから5ccにして!」「…7cc!」
少しは感覚あったりしみたりするのでこの時間がかなり苦痛でした、多分手術そのものと同じ20分くらい
その前に機械の入れ替えと言うことで15分ほど時間が空きました。
トラブルで疲れましたね?と言う気分です。
ミスされても困るので充分休んで欲しいところ
なおこのとき目を瞑って休んでてねと言われたのですが、その前に見た天井が手術前より少しだけ鮮明に見えたことを覚えています。
あと異物感がすごい状態でもありました。
同じ流れのところは飛ばすとして、消毒が終わったところで、こちらには乱視矯正があるので
多分医療用のマーカーで眼球にポチポチッとされたと思ってます(見えてないので主観)
そして手術本番、怖いとは言え右目で一度体験したのでもう大丈夫よと思っていたのもつかの間
ある目薬を入れた時点で視界がだんだん暗くなり
物の輪郭だけが見える圧縮動画のデコード失敗のような視界になり
最終的に真っ暗な中に何かうごめいているような、まぶたを閉じたのと同じ状態の視界になりました。
一時的に視界消えるなら、言ってよ!失明かと思って怖いじゃん!
と思っていたのですが、その後の一言で私はさらに凍り付きます。
「!!!!!!!!!!!!!!???????????????」
え?見えてるのが正常なの?全然見えませんけど?
「すみません、真っ暗です何も見えません」
手術中初めて口を開いたのがこれ
「あ、じゃあねもう少し下を見て」「もう少し右」と見えないこともあるような
誘導をすかさずしてくれたのでなんとか精神状態を落ち着けました。
その後も見えるように見えなかったりを繰り返し
やはり、全然瞳孔が閉じずに瞳孔閉じる薬をバシャバシャやって、長めの手術となり左目も終了です。
手術後は目の上の布を剥がされて、消毒液まみれの目の周りを拭いてもらいます。
手術中湯水のようにかけられた目薬ですが、歯医者さんのような手術台で目薬をドバドバかけるとどうなるか?
排水機構もあるのでしょうが頭を伝わって頭の後ろは結構濡れています。
まずはシャンプーハットの上から外側の水分を拭き取り、シャンプーハットをとって際を拭きます。
私の場合は目薬大量投下の影響かシャンプーハットの内側もぐっしょり濡れていましたが、ここは拭き取ってもらえませんでした。
※このあととても後悔します。
一通り手術着を脱ぐと回復室で休憩です。
手術室を出るときに時計を見たところ2時間か3時間経過していました(視界がはっきりしなかったのと、精神状態で短針の位置の記憶が微妙)
1時間で再びトイレに行ける当初の予告からすると少なくとも2倍の時間が掛かっていたことになります。
保護めがねをかけ、リクライニングチェアに横になって回復を待ちます。
なかなかの恐怖体験をしたこともあり、正直ショック状態になっていた私はてが真っ白になり
なお回復中はドバドバ投下された目薬が口まで(涙腺から?)流れてきて味が気持ち悪いのと
朝から指示されていた絶食ですでにおやつの時間にもなろうという感じで空腹にもなり
追い打ちのように濡れた後頭部が気化熱で冷えて頭痛まで襲ってきて吐き気につながり大変な状態でした。
2時間ほど休憩と言われ、時折追加の目薬を入れられ最後に簡単に診察をして手術日は終了
帰りの視界ですが、この人近視ダナという感じの見え方
絶食でもうダメだったのでタリーズでパスタを食べて帰りましたが
メニューを見るためにかなり持ち上げたりとそこそこ苦労しました。
前日のスマホ充電に失敗していたり、待ち時間でバッテリー使い切ったこともあり。
電車に乗れずタクシーで帰宅08:30に家を出て16:00の帰宅でした。
そこまで良くなっていない視界に慌てては居ませんでしたが
この時点で外側の周辺視野が遮られている感じで消えているのが不安な状態です。
また異物感が続いています。
なお病院で渡された保護めがねは長時間かけると痛くなってきたため
それよりかなり保護面積の大きい花粉用サングラスを家ではつけることとしました。
くらいけど快適…一週間つけ続けるのでクリアversionを追加発注しました。
手術当日は1時間おきに目薬をさすのですがこれが4種類になり
5分だと大変だよね2分は開けてと言われたので、起きている時間の1/6を点眼で過ごしました。
なお、なるべく目を閉じて過ごしてねと言われたこともあるのですが。
ショックからの回復のためベットの上でほぼ無為に過ごしていました。
スマホもテレビもダメな時間どうしよう?と悩んでいた自分は何だったのか
左目は真っ赤、右目もそこそこ赤い
翌日検診で視力を測定 左 1.5 右 1.0 まで回復、体感でもかなり見えています。
なお手術前は両方 0.08だっけかな?コンタクト度数-3.75にて矯正視力1.2でした。
昨日心配していた周辺視野も右側は大分回復左側はまだと言う状況
異物感は減ってきていますが、まだまだある
目の赤さは全然引きません
今日は通院もなく、心の余裕も取り戻しつつあるので有り体に言って暇である。
心の余裕は取り戻したのに、目が疲れることはしてはいけない
異物感は日に日に軽減されて行っている。
視野が狭い感じは右側は完全に回復した、左側は小さくなっている感じがない
何故昨日の診察でこのことを聞かなかったのか後悔している。
流れ作業のような診察に口を挟む暇なく流された結果ではあるが…明日の診察では聞こうと決意
今日から美容室で髪を洗ってもらうことが解禁されている。※仰向けに洗ってもらえる目に水が入らないところ限定
手術後びっしょり濡れてから3日洗ってない髪は、油でギトギトである。
行きつけの美容室には事前に話を通してあり、カット&ブローを昼過ぎにお願いする。
洗髪後すぐに枕と枕カバーをコインランドリーに突っ込んで洗濯、油ギトギトの寝具をすっきりさせてゴロゴロできる時間を長めにとれた。
全休にしなくて本当に良かった、暇で死んでしまう。
仕事は術後2日後からデスクワーク、3日後から力仕事が解禁されている。
プログラミングの仕事は目が疲れる行為なので一週間禁止されているような気がしないでもないが
さて午前の診察、視力検査と眼圧検査をして簡単な問診で終了だ。
流れ作業で流されそうになったので、無理矢理視野が狭くなっていることを質問する
メスを入れたところと見えなくなっているところが一致していて、右側は既に回復していると言うこともあり
手術跡の箇所であると判明、時間と共に治っていきいつの間にか透明になって回復するとのことだった
と憤りながら目薬がなくなりそうなので、追加を受け取り、帰宅
左の赤目はまだまだ真っ赤っか、右は大分白くなった
次の診察は術後7日後だ
さて7日後検診、視力・眼圧を測定し医師の検診と問診を受ける。
まだ左目の端に見えない領域が少しあるのでそのことを聞いてみるが「原因になりそうな所見は見られない」とのこと
やや不安になるが、スポーツでもやらない限り問題にならない周辺視野領域なのでまあいいかな
相変わらず視力教えてくれない感じだったので「視力いくつでしたか?」とやや強引に差し込んだところ 両目とも1.5との事だった、見えるぞ!!!
すがすがしさが半端ない
公衆浴場・プールなど安全とは言えない水にはまだ入れないし激しいスポーツは禁止だが生活の制限は大分なくなった
目薬は1日4回に減ったが3種類でまだまだ面倒な日々が続く
目には手術後の違和感が残っていて、ゴロゴロした感じがまだのこっている、裸眼で最高!!!というには目の違和感が消えていないというのが本当のところ
目の赤みはまだ何かあった???と聞かれる程度には残っている
次の検診は術後1ヶ月なのでしばらく先
目の違和感は日に日に薄くなっているが、14日経ってもまだゴロゴロした感じがあり、裸眼最高!!!には届いていない
赤みは大分減っている、もしかすると術後の赤みは全部引いたかもしれないのだが、花粉症で赤くなっている疑惑もあり完全に白くならない
逆に言うとその程度の赤さで他人になにか言われることもない赤みだ
さて7日後検診で保護めがねを外して気がついたのだが、ハローがかなり強く出ている、夜の街頭に光の輪が見える感じだ
ハローは日数経過により右目は消えていって14日後には右目は気にならないようになったが左目のハローは強く残っている。
左と右でレンズが違い、乱視用のレンズでハローが出ているのではないか?と言うような気がする。
ハローはレンズの眼圧対策のホールが原因らしいので治らないかもなー…
書いている時点で術後4週間を過ぎた。
一つ変わって気がついたのがピントを合わせるのに慣れてきた感じがすると言うこと、術後間もない頃はピントを合わせることになれていなくて目が覚めて目を開けて見えるようになるのに時間が掛かったのと少し目が疲れた記憶がある。
メガネをかけたり外したりしたときの感覚と言えば分かってもらえるだろうか?
この感覚がじょじょになくなり何か物を見ていても目が疲れなくなってきた。
治っていないこととしては
ハローは左目に相変わらず見えている、左目の視界がほんの少し狭いのも治っていない。
それとコンタクトレンズに汚れがついてちょこっとぼやける、みたいな感じが続いている
常にぼやけるのではなくて汚れがついたときにぼやける感じ
これは瞬きを何回かしたり目をこすったタイミングで治るのだが、裸眼の時ってこんなことあったっけ?と不思議に思っている。
コンタクトはもうつけていないのに…目に直接汚れがついてぼやけている???何か不思議な感触だ
一ヶ月検診がもうすぐあるが、予約の関係で検診は5週間のタイミングとなっている。
予約の関係で5週間目となった一ヶ月検診
視力を測って眼圧を図って、問診と診察をして終了
両目1.5だった、2.0となるレンズは選択しないようで、1.5で視力が安定すれば100点とのこと
追加の目薬はなく、目薬は使い切っていたので治療としては終了で、後は数ヶ月おきの経過観察
次回は2ヶ月後で術後3ヶ月検診だ
状況としては先週と同じで特筆することがない
つづく
夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。
8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分はメガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるときの姿勢が悪かったのが原因かもしれない
ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。
しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまったこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。
そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネが割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。
ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。
そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格がさらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。
それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代の写真はほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラスで友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分の長所が勉強しかないのが嫌だった。
だから高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力で視力は回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。
そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色がもっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスはさらに肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査も検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものだからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。
大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト。大学1年の秋には学内で自然と孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日を一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである。
今度はさらに孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種のパニック症状である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神を不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間の思い込みというのも一つの病だと思う。
そして2019年の5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科を受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力は回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。
オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである。
オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療法である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである。
中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼で道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単に解決したのである。
8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。
目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さらに家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである。
8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重は半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。
学生時代のほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日は家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。
カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかしテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。
ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実に脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり、就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはいい人生を歩みたい。
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