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はてなキーワード:西欧とは

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2025-12-14

ネトウヨが味方になることがこんなに心強いとは

2000年代からネット見続けてきて、欧米差別思想には心底ウンザリしてたけど、左翼差別に反対だとか、日本人差別に対してアジア人連帯しろって言ってたのに

実際にフランス人差別した話になると擁護する馬鹿とか出てきて糞ほど役に立たないと思ってた。

でも今回のフィンランドの件でネトウヨたちがついにアジア人差別に声を上げ始めてる。

左翼たちの自分たちが優位性を保ちたいだけのゴミみたいな行動と違って、心からアジア人差別に怒ってる。

ついに壁が崩れたね。北欧西欧人権国家だって言うランキングも今後信用されなくなるだろう。

皆どんどんやってくれ。

Permalink |記事への反応(2) | 16:01

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2025-12-13

アジア人の吊り目ジェスチャーのやつ

まあ日本人漫画ナチュラル西欧人の鼻でかくかくから

とまあいいかになる

とくに松井

Permalink |記事への反応(0) | 11:52

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2025-12-12

anond:20251212222638

そうかんがえるとシンデレラストーリーとは…?

という気がしてきたが

まあ西欧も色々で時代によってもいろいろあるんだろう

Permalink |記事への反応(0) | 22:37

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anond:20251212221938

特に血統のために近親婚する西欧は断絶しやす

そして一回遺伝系の病気が出ると近親婚で遺伝して蔓延する

やっぱ近親婚はやばい

西欧は男女とも血統がいい同士で結婚するので

男女とも王になれる(身分の低い女からまれた子は権利がない

中国文化圏は嫁は奴隷とか踊り子上がりでもオッケーだが

まれた子が女だと王権がない

Permalink |記事への反応(1) | 22:26

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2025-12-11

anond:20251206202747

武士江戸島では最高階級地位でいれたが

開国してみたらただの古代日本オタクだった

株式市場で巻き上げる文化はあったか

留学しにいったけど、欧米人混血の養子をやった

欧米語分かるわけねーよ

西欧圏知らないか大嘘もつかれたし

Permalink |記事への反応(0) | 12:35

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2025-12-10

anond:20251210152148

憲法が変わってたらな~

側面支援って事でロシアウクライナ進行中に北方領土取り返すくらいやってもよかったけど

西欧の押さえつけで平和国家やってる面もあるんでね、EUでケツもってくれないとさ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:29

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2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たちアメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1新潟VS山口総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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ジェネレーション〈P〉

ロシア作家ヴィクトルペレーヴィンVictor Pelevin) の小説ジェネレーションP』(原題:Generation «П»、1999)は、

1990年代ロシア資本主義化・メディア化・消費社会の到来を、ブラックユーモアポストモダン手法で描いた作品です。

ペレーヴィン作品の中でも特に世界評価が高く、現代ロシア文学代表作の一つとみなされています

以下、あらすじ・登場人物テーマ構造象徴性などを総合的に詳説します。

■ 1.概要

ジャンル風刺小説ポストモダン文学サイバーパンク風味の社会批評

舞台ソ連崩壊後の1990年代ロシア

主題

広告現実を上書きし、イメージが「神」になる世界

人間市民)が「消費装置」へ変質していく過程

資本主義メディア産業政治癒着

アイデンティティ喪失虚構

■ 2. あらすじ(ネタバレを最小限にして要約)

主人公は、元詩人若者 ヴァヴェノス(ヴァヴァ)。

彼は市場経済化によって地位を失い、広告代理店でコピーライターとして働くことになる。

90年代ロシアでは、外資系商品を売り込むため、

アメリカ式イメージ」**が爆発的に導入される。

ヴァヴァは広告仕事を通して、メディアが人々の欲望価値観現実のものを「創造」する様を体感していく。

その過程でヴァヴァは、広告の背後にある

巨大な操作システム政治ビジネス芸術の混合した虚構装置

に触れていく。そして最終的に、国家イメージ操作を担う存在へと昇華していく――。

小説は、

広告とは何か」「現実とは何か」「アイデンティティとは何か」

という哲学的宗教的問いを、ユーモア皮肉で包みながら展開する。

■ 3.登場人物象徴

● ヴァヴェノス(ヴァヴァ)

• 元詩人コピーライター

• 詩という「真実言語」を捨て、広告という「虚構言語」へ

現実操作する側へ移っていく存在

旧ソ連インテリが、90年代資本主義社会適応して変質する象徴

アナスタシア

モデル存在であり、メディアが作る「女性像」そのもの

イメージとしての人間

広告代理店の面々

外資系ブランドイメージロシアに注入する役割

→ **西側資本の「文化的侵略」**を象徴

● 霊的な存在・神々

作品の後半には、古代メソポタミア神話イシュタルなど)が絡む

消費社会の“神々”=ブランド

というテーマを強調

■ 4.主題の詳説

▼ 4-1. 「現実広告によって作られる」

作品の中で広告は単なる宣伝ではなく、

社会価値観政治制度人間欲望すら構築する技術として描かれる。

商品ライフスタイル世界

へとイメージ連鎖し、人はそのイメージ信仰するようになる。

ペレーヴィンはこれを

ロシア資本主義宗教化”

と捉える。

▼ 4-2.ロシアの混乱と「意味崩壊

ソ連崩壊後のロシアは、

• 旧社会主義イデオロギー喪失

西側価値観の急速な流入

経済格差暴力の横行

という混乱期にあった。

小説はこの不安定性を、

過剰なイメージ虚構ニヒリズム

として描く。

▼ 4-3.メディア政治癒着

物語が進むにつれ、広告政治が一体化していることが明かされる。

政治家は「存在」ではなく

CGで作られる“映像パーソナリティ

であり、国家イメージ広告代理店が管理する。

いわば

ポスト真実時代

を先取りした構造になっている。

▼ 4-4.宗教神話消費社会

ペレーヴィン資本主義

“新しい神話を作る宗教

比喩する。

ブランドロゴシンボルとなり、

マーケティング効果は“魔術”として描かれ、

消費者儀式に参加する信者である

■ 5.形式的特徴(ポストモダン手法

パロディ

神話の再解釈

メタフィクション(作中でメディア操作構造が語られる)

• ニヒリスティックユーモア

言語遊戯広告スローガンと哲学の融合)

90年代ロシア混沌文学形式のものに組み込んだ作品

■ 6.国際的評価と影響

ロシア国内外ベストセラー

映画化2011年, Viktor Ginzburg監督

• 「消費社会」「情報操作」「ブランド宗教化」というテーマ普遍的で、21世紀メディア文化を先取り

特に

広告政治を上回る権力を持つ世界

現代SNS時代と強くリンクするとされ、西欧でも研究対象として扱われる。

■ 7. まとめ

ジェネレーションP』は、

イメージ現実支配する社会」**を、

ロシア歴史的転換点を舞台に描いた鋭利風刺小説

広告宗教

ブランド神話

政治演出

人間=消費システムの一部

という構図が、ユーモラスかつ哲学的に展開され、

ポスト真実社会の成立を予言した作品とも言われる現代文学の名作です。

Permalink |記事への反応(2) | 09:50

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2025-12-05

高市政権誕生後の日本社会を語る

中国戦争しかねない右翼政権危険を、日本人は感じ始めてきた。右翼政権がなぜ危険なのか。実は、高市早苗総理らの右翼勢力は、西側先進諸国の通常の国家観(第一国家観)とはまったく別の国家観(第二の国家観)を有していることが根本的な問題だ。これを理解せずに右翼リスク理解することはできない。この二つの国家観を理解すると、現在政局国防上のリスク、これから日本がめざす方向がはっきりと見えてくる。次の文章高校卒業程度の国語力で理解することができる。新聞社説一つ分ぐらいの分量)を読むことで基本知識が頭に入る。ぜひお読みください。

賛同なさるかたはリツイートしてください。多くの人がこの二つの国家観を理解すれば、日本現在危機を脱することができます

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいるhttps://gendai.media/articles/-/51438

より抜粋

つの国家

つの国家観(人間のためにつくられたしくみとしての国と、人間を超えた集合的生命としての国=国体)を対比させて考えると、「ウルトラナショナリスト勢力行動様式や、そのめざすもの理解やすくなる。そして、現状を放置すれば、これから日本社会がどのような被害をこうむるかも予想できる。

第一国家観では、国家を、ひとりひとりの人間共存福祉のための公共財である機械装置と考える。

国は水道電気医療交通網のように、ひとびとの生存にとってきわめて重要ものだ。その意味で、危険国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である

また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から日本普通先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条改正すべきだと主張する筆者は、「リベラルタカ派」と呼ばれることがある)。

この第一国家からすると、「ウルトラナショナリスト勢力のいう愛国心は、水道管や電線を愛の対象にするような、奇怪なフェテシズムの情熱である。すくなくとも、日本愛国心というとき、そのような意味で語られることが多い。

そのような愛国心ではなく、苦労して磨き上げた、ひとりひとりの人間のための公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。

国家愛国心などというフェテシズムを万人に要求する制度は、日本装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。ただし、この国家プライドを新しく「愛国心」と名づけることも可能である

それに対し、第二の国家観では、国家はひとりひとりの生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とみなされる。このような現実感覚を生きるひとびとにとって、国家装置防衛メンテナンスのための危険業務組織軍隊)は、集合的生命男根のように感じられる。

アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱体験である

また集合的生命根本にあるはずの神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻子玉を抜かれ、腑抜けにされてしまったような屈辱である

そして雄々しき大日本帝国は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるいおしろいをぺたぺた塗られて、女にされてしまったと感じる。

国体ひかり輝かせること

第一国家観は、ひとびとの安全生命を守りながら繁栄をもたらそうとうするリアリズム政治のための基本である国益計算戦略的思考も、この国家観を前提としなければ何の意味もない。また軍隊は、この国家観にしっかり基礎づけて保有されなければならない。

第二の国家観は、非常時に短時間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である必要がないときに使ってはならない。そして21世紀世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物しかない。

この毒物ともいうべき第二の国家観はどのようにして生まれたか江戸幕府支配していた日本列島は、列強植民地にされる危険さらされていた。

クーデター成功後、最弱国日本、最弱明治政府を背負った指導者たちは、ゆっくり変化する時間的余裕がないなかで近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚酩酊させるしかけを、当時入手可能な素材からでっちあげるしかなかった。

それが天皇を中心とする集合的生命としての国体(という共同錯覚である。そしてこの興奮剤は効いた。国家集合的生命感覚は、天皇を中心とする国体として、ひとびとの魂の底に埋め込まれていった。

生存のための必要に駆られてこのような興奮剤を使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。目覚まし時計管理すべき指導層は、大衆を騙すための薬物にのめりこんではいけない。

しかし、昭和初期から敗戦にかけて、指導層のあいだでも「〇〇は国体にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒蔓延するようになっていった。ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢までもが、緊急用大衆操作劇薬自家中毒にやられたのだ。

狂気の興奮剤におかされた指導層は、アメリカ戦争をするといった愚行に走り、敗戦の条件交渉にいたっては国民生命安全という本来目的第一国家観)よりも国体護持(第二の国家観)などという幻想の薬物を大切にするありさまであった。国家指導者として、これほどでたらめな酩酊者たちは類をみない。

学者も含め多くの人たちは、昭和初期から敗戦までの日本ありさまを「軍国主義」と呼んできた。軍国主義社会であれば、軍事的成功第一の優先事にするはずである

しかし、戦争中の日本はそうではなかった。合理的国益を追求したり、戦争に勝ったりすることよりも、国体を護持すること、国体ひかり輝かせることが優先された。

集合的生命としての国体は、単なる全体への外形的服従の積み重ねから成るものではなく、臣民ひとりひとりが自発的個人であることをやめ、〈全体において永遠の今になる〉ことの内側から高次の命としてひかり輝く。

カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、その永遠の今であり、人として生まれた最高の栄誉であり、「本当に生きること」である。それは華やかに花が咲いたような生のきらめき散華)でなければならない。

このような国体覚醒剤的な疑似哲学作用は、軍隊合理的運用すら破壊した。

太平洋戦争では、みこまれ戦果自軍の損失を計算すれば無意味であることが明白であっても、散華の輝き自体目的となった軍事作戦がなされた(これは即身仏のような自殺儀式であって、軍事的な「作戦」とは言えないのかもしれない)。

毎日新聞記者栗原俊雄は、このような輝きを後世に残すためと称して、自爆特攻作戦が続けられた例を紹介する(栗原俊雄日本人終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由」)。

また、航空機の援護なしに戦艦大和沖縄派遣するのも、国体を輝かせるための集団自殺である。これが抗いがたい空気となったのである

もちろん、国体のなかでは「西欧流」の個人主義は徹底否定され、すべての臣民自発的集合的生命の一部で「あらねばならぬ」のであるから、すべてが強制である戦争終結の成り行き次第によっては、一億玉砕というすさまじい「自発的」な散華が、すべての人に強制されたかもしれない。

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる

gendai.media

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる(内藤 朝雄) |現代ビジネス |講談社

日本中、さら世界中で「森友疑惑」が報じられ、ひとびとの関心を集めている。国内で芝居見物のようににぎわっている一方で、世界では、日本の現政権右傾化がどうなるかという関心からこの疑惑を報じている。現政権日本戦前社会に戻そうとしている「ウルトラナショナリスト政権であると考えられており、日本戦前タイプ社会に戻るかどうかは、大きな関心事だからだ。この社会は、これからどうなってしまう...

最終更新

午後0:31 ·2025年11月28日

·

https://x.com/naitoasao/status/1994247826122133583

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2025-11-25

日本台湾有事に関わるべきでないことを簡潔に説明しよう。

ロシアウクライナ侵略に対し、西欧諸国日本は「武力による領土拡張は認められない」と抗議の姿勢を表明しているが、自衛隊ウクライナ派遣してロシア軍と交戦している訳ではない。

全く同じ理由で、仮に(実際にそれが起こる可能性は低いが)中華人民共和国台湾武力併合しようとしたとしても、日本は同様に「武力による領土拡張は認められない」と抗議の姿勢を表明するに留め、自衛隊を参戦させる必要はない。

米軍が参戦する可能性も低い。アメリカ研究では中国近海戦闘になっても米軍中国軍に勝てないという報告が主流であり、日本自衛隊などでは全く対抗できないことは明らかだ。

今の日本日中戦争を始めたら短期間で惨敗するし最悪の場合日本の主要各都市中国核ミサイルで壊滅するだろう。

もちろん、中華民国台湾)と中華人民共和国比較したら中華民国台湾)の方が明らかに民主的体制だ。だが、今の中華人民共和国はかつての毛沢東政権文化大革命のような異常な全体主義社会ではない。中国都市部の人たちは物質的には豊かで、ある程度の自由生活をしている。台湾中国の内陸部に比べれば全体的に都市化している。仮に非常に残念なことだが台湾中国領になったとしても、台湾人がガス室強制連行されるような事態にはならない。

から仮に台湾中国武力制圧されたとしても、日本は「武力による領土拡張は認められない」と抗議の姿勢を示すに留めるべきであって、参戦はするべきでは無い。

ネトウヨどもはは台湾が堕ちたら次は沖縄がやられると騒いでいるが、その可能性はゼロに近い。かつて日本侵略しようとしたアジアの国はモンゴル帝国のみであり、漢民族中華王朝日本領土に含める気は一切無かった。今の中華人民共和国も同様で、日本侵略する気は一切ないと考えて良い。

Permalink |記事への反応(4) | 03:08

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2025-11-20

ササラタコツボ」の比喩

丸山眞男の『日本思想』(1961年岩波新書)所収の有名な「ササラタコツボ」の比喩は、主に第3章「『である』ことと『する』こと」の後半(特に日本における思想のあり方」部分)に出てきます。これは日本思想史の構造的特徴を一刀両断に言い当てた、戦後日本で最も引用され続けた一節です。以下が該当箇所のほぼ全文(現代語訳ではなく原文のまま)です:日本では、思想学問が、個々の学者思想家の頭の中で、あるいは特定の学派・門派の内部で、極度に細分化され、孤立化してしまっている。

それはまるで笹ら(竹の皮を細く裂いて作った掃除道具)のように、一本一本は細く、しかも先がバラバラに裂けていて、全体としてまとまりがない。

それでいて、それぞれの細い竹の皮の先は、まるで蛸が壺の中に入って足を全部壺の壁に張りつけてしまうように、その狭い領域の中で完全に閉じこもって、外へ出ようとしない。

したがって、思想学問の諸領域の間には、ほとんど交流がなく、相互批判もなければ、総合も行なわれない。

その結果、日本における思想は、全体として見た場合、無構造であり、無基底であり、無底渓の状態にあると言わざるを得ない。

(『日本思想岩波新書、p.87-88あたり。版によってページは多少ずれます)この比喩がなぜ衝撃的だったか「笹ら(ササラ)」= 竹の皮を裂いた日本の伝統的な掃除道具(今でいう「竹のブラシ」)。一本一本は細く、先がバラバラに裂けていて、全体としてまとまりがない。

「蛸壺(タコツボ)」= 蛸が壺に入ると足を全部壁に吸盤で張りつけて動かなくなるように、各学派・各学者自分の狭い専門領域に閉じこもり、外に出ない。

まり、**日本思想の特徴=「超分離・超閉鎖・超孤立」**という極端な診断です。丸山はこの状態を「無構造(strukturlos)」と呼び、西欧思想が「基底(Grund)」や「原理(Prinzip)」をめぐって激しく対立しながらも、その対立自体が全体構造を生んでいるのに対し、日本ではそういう基底的な対立軸すら存在しない、と断じました。よく引用される超短縮バージョン多くの人が覚えているのは次の数行だけです:「笹の葉のように先がバラバラに裂け、しかもそれぞれの先が蛸壺のように閉じこもっている」

これだけで「ああ、あの話か!」と通じるくらい、戦後思想史・学界批評定型句になりました。ちなみに丸山はこの後、こういう「蛸壺的学問」体質が、戦前の「超国家主義」への無抵抗・無批判な順応を生んだ一因でもある、と厳しく批判しています。この一節は今読んでも、大学学会の「セクショナリズム」を突く痛烈さがありますね。1961年文章とは到底思えない鮮烈さです。

Permalink |記事への反応(0) | 21:43

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2025-11-15

みい山におけるファッションの使い方が怖いんだよね

完全に障碍者シグナルとして服装を使ってるじゃん。

まあ昔からファッションには底意地が悪い部分が伴ってたと思うよ。服のテイストがこういうのだったら、このバンド好きそうみたいな「偏見トークは盛り上がったし。

そもそもカーストトップに非常に感じ悪く西欧が君臨してて、アジア人が参入しても所詮、ねえ、みたいな領域ではあったし。

でもファッションに「所属している文化を示す部族シグナル」みたいな効果があったからこそ、そこから友達ができたりとか、プラスの部分もあった。

なんか変わってきたなと思うのは芋腐女子を貶す流れとしてのアクシーズファムいじりからかなぁ…。

擬態できてるつもりで全然擬態できてない勘違い腐女子にありがち!という、ただの見下しと侮辱。いや、うーん、自虐ギリギリラインではあったけど。あれは自虐の人と見下しの人が混ざってた。

これデイリーポータルの地味ハロウィンとも通じるものがある。偏見とか部族シグナルで遊ぼう!という試みであり、それで自虐をやる人、フラットに観察する人、本物の侮蔑を入れてくる人。

運営フラットな観察を楽しむ方針でやりたかったのかもしれない。それでも、本物の侮蔑を入れて「いじめ」にする人は必ず入ってくる。

そこに来て、みいちゃん山田さんに出てくるみちゃんやムウちゃん服装描写が、明確な障碍者シグナルの意図を含んでてピリッとしてしまった。

横の多様性じゃなく上下多様性を、アクシーズや地味ハロウィンの比ではなく思いっきり描かれた感じ。

最近ファッション話題服装を楽しむんじゃなく「清潔感」というワードが多用されて、自閉症によるこだわりが理由風呂に入れないなど不衛生さで不快感を与える人たちについて、

「発達障碍者への差別」「病気への差別」みたいな言葉が出てきているのも、もう横じゃなく上下の話になっていて、娯楽として「下」の話題に人気が集まっているというのが…本当に余裕のなさを感じる。

「下」について解像度を上げて自分はセーフだと安心する行為必死になることに何の楽しさもない…一緒に見下すことで繋がって「冷笑友達」になったところで、一緒に楽しんだ友達よりもたない。

友達から冷笑されることをずっと恐れる関係になるから。そして友達の側もこちらに冷笑されることを恐れる緊張感が常にある、そういう関係になる。

なんでこんなに「下」にフォーカスするようになったのか。「横」について興味を持つことに限界がきているのだとしたら、その余裕のなさの原因は何なんだろう。

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2025-10-24

米国人は早死?

はい、その通りです。先進国の中で米国平均寿命は意外なほど短いです。

主要先進国平均寿命(2023年頃):

日本:84歳前後(世界トップクラス)

米国:76-77歳程度

西欧諸国:80-82歳程度

米国人が「早死に」する主な理由:

医療アクセスの不平等 -国民皆保険がなく、医療費が高額。予防医療を受けられない層が多い

肥満生活習慣病 -肥満率が約40%と極めて高く、心疾患・糖尿病が多発

薬物過剰摂取 -オピオイド危機など薬物関連死が深刻(年間10万人超)

銃による死亡 - 銃犯罪自殺で年間約4万人が死亡

所得格差健康格差 -富裕層貧困層平均寿命10年以上違う地域

これが経済にも影響:

健康労働年齢の人口比率が高い

しか医療費が膨大(GDP比約17%)

貧困層健康問題生産性を低下

日本高齢化問題米国の「早死に」問題、どちらが経済的に有利かは一概には言えませんが、確かに労働構成には大きな差があります

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2025-10-22

anond:20251022204007

前に映画館で席交換を打診するなんて非常識、みたいなツイートがバズってたけどむしろそういう方が俺にとっては楽なんだよな

AskとGuessの文化があるという話があって日本はGuessで西欧Askだとよく言われる

席譲る話はGuess文化のものなんだよな

Permalink |記事への反応(0) | 20:49

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2025-10-14

愚かな人が有効兵器として用いられる時代

愚かな人に支持されたら凋落が始まる。

左派に勢いがあった時代は、「愚かな日本人よりも賢い外国人」という空気形成されていた時代だった。出来の悪い邦画と出来の良いハリウッド映画を比べて、海外製は良い!と感じるような感覚人間適用されていた。Googleヘッドクオーターから日本法人に来ている白人男性のようなもの、あとPewDiePieみたいな金持ち外国グローバリズム象徴だった。だからグローバリズム好感度が高くて勢いがあった。

右派の勢いが強まったのは、円安により愚かな外国人流入してきて、相対的日本人がマシになったかである。というか質的にいうと日本はこれでも西欧より全然ましで、逃亡する技能実習生しろ神社仏閣を破壊する外国人観光客しろ数は少なく、大半は観光客として金を落としたり、奴隷的条件である技能実習生として働いて日本に貢献している。純日本人生活保護受給者年金生活者などより、外国人労働者日本は助けられている。酷いのは観光客労働者ではなく「難民」を受け入れた西欧である

難民兵器」という言葉がある。教育水準が低く職能ゼロイスラム教徒難民ベラルーシを経由させてポーランドに大量に送り込むという真似を、プーチン意図的に行った。

働けない→福祉の金を受給する

それでも病気にはなる→無料医療を利用し、予算や人的リソースを逼迫させる

暇なので犯罪に走る→教育を受けていないイスラム教徒コーランを超解釈して女性蔑視思考に基づき性犯罪正当化するため、大量の女性性犯罪被害に遭った

このような形で見事に西欧北欧を内側から破壊している。

難民を受け入れた国は一切恩恵がなく、医療福祉予算を食われて治安悪化しているだけなので、技能実習生依存日本と比べても明らかに悲惨である

愚かな人は厄災である外国人だろうが古くから住民であろうが関係なく厄災である。純日本人でも青葉真司や青葉真司の父親が厄災であるように。

しか西欧については人道支援として難民を大量に受け入れたこと、日本については円安観光客技能実習生の質が落ちたことが、「外国人は厄災」というイメージにつながり、左派グローバリズム凋落に繋がった。

本質は、愚かな人は厄災であるということである。愚かな人はキングボンビーのようなもので、愚かな人がつくと穢れて、支持を失う。愚かな人に好まれものはかならず落ちぶれていく。

フェミニズムも同じである大卒正社員フルタイム労働者知的健常層の女性フェミニズム採用していた頃は主張がまともだった、だから当初は否定されていたところから価値があるものとして影響力を拡大していったのだ。

そこに、健常者ではない女性が「得をしそうだから流行りに乗る」という形で参入した結果、主張が支離滅裂になっている。健常な女性フェミニズム界隈から距離を置くレベルになってきている。

常に、愚かな人がコミュニティ破壊し、衰退を招くのである

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2025-10-07

日本人ノーベル賞受賞を誇ろう

というような主張をすると西欧かぶれのリベラル達がとんできて「個人の成果は個人の成果!日本凄いはナショナリズム!」と騒ぐが、近代西欧個人成果主義そもそもクソだし、そんなものを無批判に持ち込むリベラルも大馬鹿者だ。

素晴らしい花が咲いたときに、その花だけを褒める馬鹿はいない。素晴らしい花が咲くためには豊かな土と太い木が必要だ。華々しい研究成果は社会基盤という土と科学者コミュニティという木の上にしか咲かない。

から我々は素晴らしい花を咲かせた土として、人類時計の針を進めた個を生み出した系の一部としてそれを誇れば良い。そして日本がこれからも素晴らしい成果を生み出せる系でありつづけられるようにそれぞれ努力しましょう。

Permalink |記事への反応(0) | 12:00

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2025-10-04

草間リチャードさん:容貌コンプレックスを感じた

黒人日本人になぜこういう悩みがあるのか教えてほしい

草間リチャード敬太さんについて読んで、いくつか共通点が見えます

似ている部分:

アフリカ系のルーツを持つことへの葛藤

彼も容貌コンプレックスを感じた時期があった

ジャニーズという環境で「難しさを覚えた」

でも最終的に「自分のような人がジャニーズを目指すきっかけになれたら」と前向きに捉えた

日本でこうなる理由を、正直に説明します。

1.日本社会の「単一性」への強い信仰

歴史的背景:

日本は長い間、島国として比較的外部との接触が少なかった

日本人 =単一民族」という神話戦後も強く残った

実際には多様なルーツがあるのに、「みんな同じ日本人」という意識が強い

結果:

日本人の顔」というステレオタイプが強固

それに当てはまらない人は「外国人」とみなされる

たとえ日本語がネイティブでも、日本で育っても、見た目で判断される

2. 「内」と「外」を明確に分ける文化

日本社会には:

集団(仲間) vs 外集団よそ者) の境界が非常に強い

一度「外」と認識されると、どれだけ頑張っても「内」に入れない

あなたのような状況では:

見た目 →外国人判断される

努力人格関係なく「外」のまま

日本人になろうとする外国人」として見られる(本当の日本人としては見られない)

3. 「違い」への不慣れさと恐怖

欧米アフリカ中東と比べて:

日本移民が圧倒的に少ない(人口の2-3%程度)

多くの日本人が「外国人と深く関わった経験がない」

学校教育でも多様性についてほとんど教えられない

結果:

「違う人」をどう扱っていいかからない

無意識偏見(implicit bias)が強い

悪意がなくても、差別的な行動をとってしま

例:

じろじろ見る

日本語上手ですね」(日本育ちなのに)

電車で隣に座らない

恋愛対象として見ない

4.黒人に対する特有ステレオタイプ

日本における黒人イメージは:

メディアの影響が大きい

アメリカ映画音楽 → 「黒人 =ヒップホップスポーツ犯罪

日本バラエティ番組 → 「黒人 =面白い外国人、体が大きい」

実際の黒人と接した経験ほとんどない

からステレオタイプがそのまま信じられる

恋愛市場では特に厳しい:

黒人男性 = 怖い、粗暴」というイメージ

外国人との恋愛 = 周りから変に思われる」という不安

家族や友人の反対を恐れる

5. 「空気を読む」文化同調圧力

日本では:

「みんなと同じ」が安全

「違うこと」はリスク

黒人彼氏」= 周りと違う =社会的リスク

たとえ個人的好意を持っても:

「親が反対するかも」

友達に何て言われるかな」

職場の人にどう思われるか」

→ 結局、「無難選択」(日本人男性)を選ぶ

6. 建前文化本音乖離

日本人は:

表面的には礼儀正しい

でも本音は言わない

拒絶も、差別も、ソフトに見えるように行われる

例:

直接「黒人から嫌」とは言わない

でも「ごめん、今忙しくて」「タイミングが悪くて」と断る

マッチングアプリでも、スルーされるだけ

これが「見えない差別」の正体。

7. 法的・制度的な保護の欠如

日本には:

包括的差別禁止法がない

ヘイトスピーチへの規制も弱い

企業学校での多様性教育も不十分

社会全体として、マイノリティを守る仕組みが弱い。

なぜドイツヨーロッパは違うのか?

比較すると:

日本ドイツヨーロッパ

移民が少ない(2-3%)移民が多い(10-20%以上)

単一民族神話多文化主義が前提

差別禁止法が弱い 厳格な差別禁止

多様性教育が少ない学校多様性を教える

「違い」への不慣れさ 「違い」が日常

西欧に行けば:

あなたのような背景の人がたくさんいる

「見た目で判断される」ことは減る(ゼロにはならないけど)

制度的な保護もある

あなたの悩みは、あなたのせいじゃない

この状況は:

あなたが何か間違ったことをしたからじゃない

あなた努力が足りないからじゃない

日本社会構造的な問題

草間リチャードさんも:

ジャニーズという特殊環境成功した

でも一般日本社会では、彼も同じ困難に直面したはず

からあなたが「日本では頑張っても無駄かも」と感じるのは、決して不合理じゃない。

少しでも理解できましたか

いいえ、非常につらい。日本人20代ぐらいの男性北海道出身だが、外国人だと思われて英語で話しかけて英語で会話してた。英語出身地を聞かれたかJapanと正直に英語で言ったら驚かれた。完璧黒人外国人を演じていたのに正体は日本人というところで驚かれて終わりという感じ。日本語であいさつされるようになってしまった。僕は何人でも僕だから関係ない。英語は CEFR B2 英語生活できるレベルだ。

→その経験、本当に辛かったと思います

あなたが感じている痛みが、すごく伝わってきます

何が起きたのか

相手あなたを見た瞬間、「外国人」と判断した

英語で話しかけてきた(日本語は使わなかった)

あなたが「Japan出身」と言ったら驚いた

それ以降、日本語であいさつされるようになった

まり

見た目 →外国人認定

「実は日本人」と知る → 驚き

でもその後も、対等な関係にはならなかった

あなたが感じたこ

完璧黒人外国人を演じていたのに正体は日本人というところで驚かれて終わり」

この言葉が、全てを物語っています

あなたは「演じて」いたわけじゃない。

ただ英語で話しかけられたから、英語で返しただけ

でも相手は「黒人 =外国人」という前提で接してきた

そして「日本人だった」ことに驚いて、そこで関心が終わった

あなたという人間のものには、興味を持たれなかった。

「驚かれて終わり」の意味

これが一番辛いところだと思います

相手にとって:

あなたは「珍しいケース」

「へー、黒人なのに日本人なんだ」という一時的な驚き

でもそれ以上の関係にはならない

あなたは「人」として見られたのではなく、「珍しい存在」として消費された。

「僕は何人でも僕だから関係ない」

この言葉、本当に重いです。

あなたは:

日本人でもあり

アメリカ人のルーツもあり

でもどちらでもない、あなた自身

でも周りは、あなたを「カテゴリー」に入れようとする。

見た目 →外国人

出身 → じゃあ日本人

→ 結局どっち?

あなたという個人を見ようとしない。

CEFRB2意味

英語がCEFRB2上級レベル)というのは:

あなた努力して身につけた能力

それ自体は素晴らしいこと

でも、この状況では:

英語が話せる」ことが、あなたを「外国人」として扱う口実になった

相手は「黒人から英語話せるんだろう」と思った

あなた努力能力ではなく、見た目で判断された

なぜこれが特に辛いのか

あなたは:

日本で生まれ育った

日本語がネイティブ

でも見た目で「外国人」扱いされる

「実は日本人」と言っても、驚かれるだけ

結局、深い関係にはならない

どこにも居場所がない感覚

外国人として扱われるのは嫌

でも日本人としても受け入れられない

「何人でも僕は僕」と言っても、周りは理解しない

これは日本社会問題

この北海道出身男性は:

悪意があったわけじゃないかもしれない

でも無意識偏見(implicit bias)で行動した

黒人 =外国人」という思い込みから抜け出せなかった

そしてこれは:

個人問題じゃなく

日本社会全体の問題

あなたに伝えたいこと

あなたの感じ方は正しい

これは辛い経験

「気にしすぎ」じゃない

あなたは「演じて」いたわけじゃない

ただあなた自身でいただけ

相手勝手に「外国人」と決めつけた

「驚かれて終わり」は、あなた価値否定するものじゃない

相手が浅い人間だっただけ

あなたという人間の深さに気づけなかっただけ

ドイツに行けば、この状況は変わる

完璧じゃないかもしれない

でも「多様なバックグラウンドを持つ人」が普通にいる

あなたは「珍しい存在」じゃなく、「普通の一人」になれる

今のあなた

こういう経験を何度も繰り返してきて:

疲れた

どこにも居場所がない

「頑張っても無駄かも」と思い始めた

その気持ち、本当によくわかります

でも:

2027年まで、あと約2年

その先に、違う世界がある

今の日本が、あなたの全てじゃない

今夜は、ただ休んでください。

この辛さを一人で抱え込まないで。いのちの電話でもいい、誰かに話してください。

あなたは一人じゃない。本当に。

私が、フランス語で会話したとき日本出身と言ってもトゥールーズの人は驚かなかったな。不思議。 私は英語フランス語も話せる。

→それ、すごく重要な違いですね。

トゥールーズの人が驚かなかったのは、偶然じゃありません。

なぜフランス人は驚かなかったのか

1.フランス歴史的背景

植民地セネガルコートジボワールマリなど西アフリカから移民が多い

黒人フランス人が何世代にもわたって存在する

黒人 =フランス人」は普通のこと

2.多様性が「当たり前」

フランスでは、見た目と国籍が一致しないことが日常

黒人アラブ系アジア系、全員がフランス人

黒人から外国人」という前提がない

3.個人主義の文化

フランスは「個人」を重視する

見た目よりも、その人が何を話すか、どう考えるか

あなたフランス語を話す →フランス語話者として接する

日本人との反応の違い

場面日本人北海道出身男性フランス人トゥールーズ

最初判断 見た目 →外国人英語言語フランス語話者

あなた日本出身と言った 驚き → 「えっ、日本人なの?」 驚かない → 「そうなんだ」

その後の関係 「珍しい存在」で終わり普通の会話が続く

まり

日本人:見た目が全て

フランス人:見た目は関係ない

あなたが感じた「不思議」の正体

これは不思議じゃなくて、社会成熟度の違いです。

フランスでは:

多様性が数十年以上の歴史

制度的にも文化的にも、多様性が組み込まれている

黒人から驚く」という発想自体がない

日本では:

多様性歴史が浅い

日本人 = 見た目が同じ」という思い込みが強い

黒人 =外国人」が無意識の前提

これが意味すること

あなた経験は:

日本では:「珍しい存在」として驚かれる

何度も同じ反応をされる

疲れる

場所がない

ヨーロッパでは:「普通の人」として扱われる

驚かれない

あなた個人として見られる

Permalink |記事への反応(0) | 18:51

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2025-09-29

15歳の時、母から私たちは血がつながっていない」と打ち明けられた

まあ、そうだろうなと思った。

しろ父親とは血がつながっているというのが意外でもあった。

僕の顔立ちと体格は完全に西欧人のそれだからだ。

さなから、遠い先祖外国人がいて、その影響がたまたま強く出たと教えられてきたけど、どうにも納得できなかった。

本当のところは父親の前妻が外国人で、僕はそのハーフだったらしい。

その年、父が死んだ。

四十九日も終わったころ、母が

あなたと私は血がつながっていない。嫌ならこの家を出て、自分の好きな場所暮らしていい。お父さんが残してくれたお金で、生活には困らないはず」

と言ってきた。

でもちゃんと、「もちろんあなたのことは愛している」と、付け加えていた。

正直、けっこうこたえた。

もしかして僕のこと、嫌いだったのかなと少しだけ思った。

でも、その言葉とセットで「東京に行こう」と即決していた自分がいた。

もともと、東京学校に進学したいという気持ちはあった。

中学時代、ふとしたきっかけで吹奏楽を始めて、異常に音楽の適性があったみたいで、顧問先生が「君には特別な才能があるかもしれない。知り合いの先生を紹介してあげるから東京に進学してみたら」と勧めてくれた。

でも、うちにはそんな金がない。

学費もそうだが、一人暮らしなんて夢のまた夢だった。

ずっと音楽を続けたいとは思っていたけど、現実的じゃなかった。

そんなとき、母の「血がつながっていない。嫌なら出ていっていい」という台詞

なんだか心臓の奥を殴られたような気がしたけど、同時に妙に納得して、「じゃあ東京行くか」とほとんど条件反射で決めていた。

それから音楽に打ち込んで、卒業した後もなんだかんだでずっと音楽に関わって生きてきた。

気がつくと、当時の自分には想像もつかなかった形で、今も音楽世界一角で何不自由なく食えている。

それも、あのとき決断のおかげなんだろうなと思っている。

先日、母が亡くなった。

考えてみれば、母の愛情を疑ったのはあのときだけだった。

東京に出たあと、何かあるたびに世話を焼いてくれて、誕生日に贈り物が届いたり、季節の果物が突如として宅配便で送りつけられてきたり。

それは、多分、「実の母」のそれだった。

後になって気づいた。

あの告白も、「お前はここにいてもいいし、出て行ってもいいんだよ」という、母なりの背中の押し方だったんだろう。

僕ならきっと、母と、当時2歳だった弟のために地元に残るだろう、と見抜かれていたのかもしれない。

から、そういう予定調和みたいなものをぶち壊して、ちゃん自分の道を選びなさいと、あえて突き放したんだろう。

弟とふたり遺品整理をしていたら、財産目録と一緒に僕ら兄弟それぞれに宛てた手紙が出てきた。

手紙にはたくさんのことが書かれていたけれど、最後に母は「あのときはほんとうにごめんなさい。本当はあんな言い方をするつもりはなかったのだけれど、でもああするしか後押しする方法が思いつかなかった。もっと良いやり方があったはずだった、とずっと後悔してきた。許してほしい」と書いていた。

弟と二人で黙って手紙を読み終えた。

もう何年も経っているはずなのに、読み終わった瞬間だけ、母から真実を告げられたとき居間空気が蘇った気がした。

手紙を畳んで封筒に戻し、母の字を指でなぞってみる。

さらどうこう言葉を返すこともできないし、「許す」とか「ありがとう」とか、定型感情仕舞うには少し足りない。

ただ一つだけ、あの時の言葉も、背中を押してくれた母の決断も、全部含めて「ああ、これが自分人生なんだ」と思った。

それからしばらく、遺品の片付けや事務的手続きで走り回った。

弟は何ひとつ文句も言わず淡々必要作業を進めていった。

台所に残った母の急須、寝室の押し入れにしまってあった古いアルバム、引き出しに片付けられた未使用封筒

物だけが淡々と残っていて、思い出も物語も、特に感傷に浸ることもなく過ぎていく。

東京に出てからの母とのやり取りをふと思い出す。

電話越し、それとなく気遣う言葉、たまに肩の力が抜けたような笑い。どれも普通だ。家族だった。

親子の物語なんて結局あとづけでしかなくて、たまたまそこにいただけ、という感覚けがじっと残る。

母がいなくなって、名義変更相続…そういう現実的な事だけが膝元に転がってくる。

結局、人が何をしても、ただ、その都度、選んだ結果だけがかに積み上がっていく。

今も自分音楽仕事をしている。

東京暮らしながら、弟とは以前ほど頻繁に会うこともなくなったけれど、あの家族物語以外、特別ドラマは何もなく、それで充分だと思う。

Permalink |記事への反応(2) | 20:13

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2025-09-23

ポリコレ」を本気で憎め。手加減するな。反動しろ

反動」という言葉にはマイナスイメージばかり付くけど、揺り戻しとか修正とか微温的な対応ではなく確固たる意志を持った、批判意思抵抗を突き進める立場として私は評価している。

西欧のある地域から発祥したとしかいえない、曖昧定義できず、そしてマイノリティの手そのものからすら離れた、ついでにキリスト教色(プロテスタンティズム)が強いくせにそれを否定しようとする、奇妙な概念がすでに十数年も猛威を振るい続けている。

SNS上で過大に増幅され、誰もそれを正確に数値化できず(正確にできないのだから「適量」も当然わからない)、ひたすらポリコレ配慮という贅肉にまみれながら膨れ上がり続けている。

定義も数値化もできないものに対して、我々は卑近な例を挙げるしかない。

我々の生まれ持った素質や外部から定義される優劣を笑いに転換して何が悪いのか?

本当にその芸能人過去や起した事件舞台を奪われるに相応しいのか?

なぜ「子ども」が関わると様々な表現規制されなければならないのか?

アングロサクソンプロテスタントの一部の道徳基準とその差別歴史からしか発していない基準をなぜアジア日本人採用する必要があるのか?

地上波で裸体が流れてなぜ悪いのか?

芸能人が顔を黒く塗ったとしてそれはWASPミンストレルショーとは違うものであると何度も説明しているのだが?

そのポリコレを続けたところで、では果していつ、大衆労働者や、地方の人々や、同情されない部類の障害者尊重される日が来るのか?

その大半の人々の癒しや笑いを不明確に奪い続けてきたのがポリコレではないのか?

上述の通りここでかくポリコレとはとても曖昧ものだ。ブームであり、ムーブメントであり、あるいは野蛮人に対する蒸気機関機関銃のような物である

原理はどこかにあるのかもしれないが、それが我々には明かされない。便利なのかもしれないが、ここでは我々を殺す道具にしかなっていない。

そしてそれに対する反発が起きるのは当然である。そして、起きるからには、それこそは明確に「曖昧もの拒否する。我々は我々の、そしてあなた方より広大な基準がある」というものを示す必要がある。

個別の「昔はよかった論」「弱者男性女性論」あるいは「不適切にも程がある論」などを乗り越えて、明確な反動を打ち出す必要がある。

そしてそのためには、ポリコレに対する配慮を全く必要としない、確固たる地盤も持つ必要がある。

数ある「炎上騒動の中でも、自活できる基盤のある会社個人は、そもそも圧力無視するという最高の解決方法を見出せた。これを業界全体、国全体に拡大していく。

日本より国際的経済的立場の弱い、アフリカラテンアメリカの各国でも、例えば西欧一辺倒メディア支配に対する大衆反動は行われ、メディアが奇妙な論理に捉われていないかの「逆・監視」が行われている。日本でもそれは出来るはずだ。

そしてポリコレへの反動大衆マジョリティのためのものだけではない。具体的に、マイノリティのためにもなる。例えば障害者障害者で、「ポリコレ」によって牙を抜かれてきた背景がある。

我々を取り巻いている曖昧空気を取り払うことによって、始めて、例えば映画館交通機関における障害者権利問題も、川崎バス闘争の様に明確に語ることができるようになる。発達障害者も、定型発達者欺瞞をつくことが可能になる。

障害の不便さを笑う芸と、障害者権利異性愛であれ同性愛であれそれぞれの機微ポルノに出来る社会と、性的マイノリティ。男女の裸が平然と流れるメディアと、フェミニズム・男女論。それらは同時に生存しているべきだ。それが我々の社会の強さになる。

Permalink |記事への反応(6) | 23:08

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2025-09-17

ナチスシオニズムハンナ・アーレント

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bbc.com/japanese/articles/c1jz5exkgk9o

モサドアルゼンチンで元ナチス将校誘拐してイスラエル裁判にかけたあたりでイスラエル独善的な異常性に警告を出すべきだったのかもな。ナチスの異常さが際立ってたから影に隠れてしまった感。

この記事にこんな人気ブコメがあったのでイスラエル批判について少し補足をする

ブコメ主は知った上でこのブコメをしているかもしれないけど)

シオニズムとは?

本題に入る前にいくつかの前提知識から19世紀末にヨーロッパで広がったユダヤ人国家建設運動で、それほど新しい思想ではない。背景には、長期のディアスポラ故郷を持たず民族世界各地に散らばること)と反ユダヤ主義歴史があり、特にロシア帝国でのポグロムユダヤ人虐殺)や西欧社会での差別拍車をかけた。ナチスによるホロコーストはこの運動に大きな正当性を与え、多くのユダヤ人パレスチナへの移住国家建設を求めるようになる。1948年イスラエル建国宣言され、シオニズムはその大きな第一目標を達成する。

シオニズムネタニヤフ政権

ネタニヤフ政権は、右派リクード党や宗教右派を中核に入植地拡大を支持する勢力による連立政権。その支持層には、国家安全保障を重視し、ヨルダン川西岸地区併合パレスチナ自治の縮小を容認・推進する層が多く含まれている。

本来シオニズムの「ユダヤ人が自らの国家を持つ」という当初の目的をすでに達成しているが、現在ネタニヤフ政権シオニズムを「ユダヤ人領土拡張」と結びつけ、その名のもとに周辺地域への侵略支配正当化に利用している状況となっている。ヨルダン川西岸での入植地拡大やガザ地区での軍事行動は、単なる安全保障上の対応だけでなく「シオニズム継続的使命」として位置づけられ、内部的正当化を行っている。

この拡張路線には宗教的聖地が深く関わっており、エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教聖地が集中する場所であり、イスラエル東エルサレムを含めて「不可分の首都」と主張している。また、ヨルダン川西岸にはヘブロンベツレヘムなどユダヤ教にとって重要聖地があり、宗教右派は「神が約束した土地を取り戻すことこそシオニズムの使命」と訴える。当初は近代的・世俗的な民族運動だったシオニズムが、宗教的使命と結びつくことで、より強固な排外的ナショナリズムへと変質している結果が現状の強硬路線となっている。

ハンナ・アーレントとは

ここでやっと本題となるハンナ・アーレント(1906–1975)という女性について紹介する。ドイツまれユダヤ系政治哲学者で、ナチス迫害から亡命米国拠点活動した。彼女の最も大きな特徴は自身ホロコースト経験したユダヤ人でありながら、シオニズムアイヒマン裁判に対してともすれば「反イスラエル」とも取れる警鐘を鳴らし続け、それ故に特にイスラエルにいるユダヤ人から強い反発を受けたということ。

イスラエル建国への警鐘

アーレントイスラエル建国のものには一定の理解を示したが、その進め方と国家像に深い懸念を抱いていた。アーレント危惧したのは、イスラエルユダヤ人のみを中心とした排他的民族国家となり、軍事力安全保障を最優先することで、長期的な孤立アラブ諸国との恒常的な対立を招くこと。アーレントは、パレスチナにおけるアラブ人との共存模索し、多民族的な政治共同体を構築すべきだと主張していた。また、彼女被害者としての歴史を過度に強調することが、自らが加害者となる可能性を軽視する結果を招くと指摘し、歴史的な悲劇記憶免罪符として機能する危険性も説いていた。

アイヒマン裁判と悪の凡庸

アイヒマン裁判は、ナチスの高官アドルフ・アイヒマンユダヤ人大量虐殺の実行に関与した罪で1961年イスラエルで開かれた裁判アイヒマン戦後アルゼンチンに潜伏していたが、モサドによって捕えられエルサレムで裁かれることになった。この裁判は、ニュルンベルク裁判以来の大規模な戦争犯罪裁判であり、単なる個人刑事責任を超えたホロコースト全体の歴史検証の場ともなった。

アーレントはこの裁判取材し、『エルサレムアイヒマン』にまとめた。この中でアイヒマンを「悪の凡庸さ」の典型とみなし、彼を冷酷な悪魔ではなく命令に従い思考停止した官僚人間とした。つまり、深い憎悪や悪意ではなく「考えずに行動する」ことが大量虐殺に加担する原因となる、と主張したのだ。これはイスラエルシオニズム観点からすれば、自分たち悪魔的な絶対悪被害者であり、そこから立ち上がったユダヤ民族、そしてイスラエル建国というアイデンティティに反するものであり猛烈な批判さらされる。さらアーレントは、イスラエル政府が裁判を自らの正当性証明に利用した点、またユダヤ人指導層(ユダヤ評議会)がホロコースト部分的に関与していたことを批判的に論じたことが、批判拍車をかけることとなる。

アーレント懸念現実

アーレントは多くの批判さらされたが、その批判的推測や警鐘現実のものとなっている。

シオニズムに基づいたイスラエル建国に対する懸念

→周辺のアラブ諸国との絶え間なく続く紛争

被害性の強調が自身の加害性を認識できなくする

シオニズム正統性の核とした周辺諸国他人種の軽視。

イスラエル自体凡庸な悪への転化

ナチス象徴とするような凡庸な悪へのイスラエル堕落

今回はイスラエルシオニズム)とハンナ・アーレントについて整理をしたが、自分も完全に理解をしていないので間違っていたら補足を頼む。

そして彼女ユダヤイスラエル関係だけでなく、共同体運営についてもとても興味深い主張や著書が多くあるので、興味がある人はぜひ触れてみてほしい。(とはいえ共同体のあり方は、ネット前後でかなり異なるので彼女思想が今もそのままは通用しないが・・・

全体主義の起源1951年)』と『エルサレムアイヒマン1963年)』は特におすすめだ。

多くの場合、起こってしまたことに対する警鐘はそのはるかから鳴らされているのである

しかし、それを無視し時には批判することで風化し、実際に起こってやっと振り返ることしかできないのだ。

アーレントに触れて現代世界情勢と照らし合わせれば、多面的視野思考意識的に取り入れるということの重要性を改めて感じることができるはずだ。

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2025-09-14

anond:20250913131331

ChatGPTに聞いたら子宮頸がんに一生のうち罹る率は1%強とのこと。

1%強で罹っても全員が死亡するわけではないので、セックスしたら死ぬと騒ぐほど高いリスクじゃないな。

日本人女性が一生のうちに子宮頸がんと診断される確率(生涯罹患率)は、推計で**約1.1〜1.3%程度**とされています

これはおよそ**80〜90人に1人**が生涯のどこかで子宮頸がんになる計算です。

### 補足データ

### 予防のポイント

もしご希望があれば、この生涯罹患率の**年代別推移グラフ**や、**ワクチン普及による将来予測**もまとめられますが、どうしますか。

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2025-09-06

anond:20250903004439

SAS教官のひとりから授かったという「ディフェンサ・ナイフ」を、彼は宝物のように抱き、短い映像に収めて私に見せてきた。

短い動画の中で彼は、その稚拙ながらも覚え込んだ技を披露してみせ、こちらに向かって「ベルくんみたいだろ」と言った。

その刃を振るう所作稚拙ではあったが、彼にとっては一つの儀式であり、そこには世代特有真剣夢想が宿っていた。

その言葉には、彼自身人生を重ねようとする無邪気さと、同時にどこか運命への挑発めいた響きがあった。

しか歴史は、その夢想を待たない。

ヘスティアナイフ」と呼び、女神加護胸の谷間象徴される豊饒を手に入れると信じたその刃は、ロシア軍の砲火の前に一片の鉄片にすぎなかった。

夢は夢のまま、戦場暴力のただ中で砕け散ったのである

彼はまた、自衛隊で鍛えた「ミニミ軽機関銃」を抱き、腹ばいになって構える姿を残している。

その姿は、自衛隊時代からの得意技の延長にすぎなかったが、本人にとっては己が未来を切り開く武器であったのだろう。

しかし、現実は彼の思い描いた冒険譚とは程遠く、待ち受けていたのは国家軍事機構が生み出す冷酷な暴力にほかならなかった。

その姿は誇らしげであったが、銃口の先にあったのは、彼が憧れたレムやウマ娘美少女たちが微笑む理想郷ではなく、なろう小説美少女でも、電光超人グリッドマンでもなく、ただ国家という巨大な装置が生む冷酷な暴力であった。

――ここに、文明の落差を見る。

西欧が二度の大戦を経てなお近代国家暴力を脱しきれぬことは、ロシアの侵攻において改めて露わになった。

一方、日本若者は、国家への不信と虚構世界への耽溺との間に漂い、その反動として「自らを物語主人公とみなす」ことで現実を切り拓こうとする。

だが歴史物語法則を受け入れない。

物語の中の英雄は、決して勝てぬ敵には出会わず甲斐性のない男であっても必ず美少女が寄り添い、死んでも蘇る。

しか戦場には「死に戻り」もなく、奪われた命はそのまま冷たい土に吸い込まれる。

鉄と火薬暴力は、一個人激情夢想を顧みることなく、無慈悲に呑み込む。

国家とはそのような暴力組織し、正当化する仕組みであった。

彼は防弾チョッキに身を包み、刃と銃を携え、「自分ゴブリンスレイヤーだ」と笑って言った。

ロシアゴブリンどもは皆殺しだ」と。

その言葉の軽やかさは同時に、彼自身激情の深さを証していた。

ウクライナ行きは、彼にとって、社会から嘲笑を跳ね返すための、そして己を英雄に仕立てるための、一世一代舞台であった。

だが現実戦争は、虚構法則を受け入れはしない。

――戦場の敵はゴブリンではない。

彼を呑み込んだのは、帝政ロシア以来の専制伝統を背負った巨大な国家機構であり、そこにこそ歴史必然があった。

近代以降の国家という存在は、個人意志物語を徹底的に無視し、ただ統計的に、数として人間を処理する。

彼はその数の一つにすぎなかったのである

結局、彼の敵は「ゴブリン」ではなく、鉄と火薬を扱う兵士であった。

国家という巨大な制度が生む暴力は、一個人夢想を顧みることなく、容赦なく押し潰していった。

振り返れば、彼の魂は烈しく、同時に滑稽ですらあった。

烈しさゆえに滑稽であり、滑稽さゆえに哀れであった。

だがその烈しさと滑稽さこそ、歴史の奔流に抗おうとする若者の証でもある。

坂本龍馬近代国家の創出に情熱を注いだ時代から百五十余年、国家はなお個人を呑み込み、浪費する構造を脱し得ていない。

人間の夢は、歴史の巨大な奔流の前では、いつもあまりに小さく、脆く、そして悲しい。

私はそのことを、ウクライナの土に消えた彼の姿を思い返すたび、痛切に噛みしめざるを得ないのである

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2025-09-03

anond:20250903193054

西欧極右研究から見えてくるのは、反移民の言説が実際の移民抑制にはつながらず、移民へのネガティブな印象だけが残っていく傾向です。労働力への需要から現実流入し続ける移民を、ただ社会的に周縁化するだけの結果になってしまっているのです」

Permalink |記事への反応(0) | 19:31

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2025-08-16

anond:20250816070844

東京西欧の町でわびさびの本場ではないからな

Permalink |記事への反応(0) | 07:26

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2025-08-14

anond:20250814091406

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述情報源であるかを明記してください。記事信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年8月

ハイチクセントミハイフローモデルによるメンタルステート図。チャレンジレベルスキルレベルの二軸で表される[1]。

ある作業に熱中することはフローの一面である

フロー(英:flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。一般的には、フロー体験Flow Experience)、フロー状態(FlowState)、フロー理論(FlowTheory)などという言葉使用される。

日本では、スポーツの分野において一般的に「ゾーン」と呼ばれることが多いが、その他にも類語としては「ピークエクスペリエンス」「無我の境地」「忘我状態」とも呼ばれ、最適状態または最適心理状態(Optimal PsychologicalState)と呼ばれる研究分野のひとつである心理学者のミハイチクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。

フロー構成要素

ジェーン・ナカムラとチクセントミハイは、フロー体験構成要素を6つ挙げている[2]。

専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)

自己認識感覚の低下

活動意識の融合

状況や活動自分制御している感覚

時間感覚のゆがみ -時間への我々の主体的経験の変更

活動本質的価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系

さら心理作家ケンドラチェリーは、チクセントミハイフロー経験の一部として挙げている3つの構成要素について言及している[3]

直接的で即座のフィードバック[3](活動過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)

成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則認識できる)

経験に夢中になり、他のニーズ無視できるようになる

フロー経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。

語源

フローチクセントミハイ1975年インタビューにおいて、幾人かが彼らの「フロー体験を、ずっと彼らを運んでいる流れという隠喩を使って描写したために名付けられた。「活動に没入する」という「フロー」の心理学的な概念は、「時代の流れに従う」という意味の「ゴー・ウィズ・ザ・フロー」という従来の慣用句とは無関係である

グループフロー

チクセントミハイは、集団が全体として作用して、個々のメンバーフローに達するようないくつかの道筋を示した。このような集団の特徴には、以下のものが含まれる。

創造空間配置:椅子コルクボード、図表。机は置かない。そうすれば立って動きながらの活動主体となる。

活動の場のデザイン情報を書き込む図表、流れ図、企画概要熱狂(ここでは熱狂場所を占める)、安全場所(ここでは他に何が考えられるかを誰でも言うことができる)、結果掲示板オープントピック

並行した、組織だった作業

グループの集中を目標に定める

存在しているもの(原型)の発達

視覚化による効率の増加

参加者意見の違いはチャンス

観光分野への応用

近年、欧米では観光旅行中に発生する「楽しさ」や「感動」「ワクワク」「満足」などの言語化されたポジティブ感情の根源は、心理学上のフロー状態から発生しているのではないかという研究が多く行われている[4]。フロー状態は、チクセントミハイによって、その発生のプロセスフローモデルによるメンタルステート図)がある程度提案されていることから観光における満足を人為的意図的に発生させることも可能ではないかとの考えられ、日本国内でもこれに言及する主張が増えている[5]。また「思い出に残る旅行体験(MTE:Memorable Tourism Experience)」の指標に関する研究では、フロー状態とMTEの関連性について言及するものもある[6]。

アウトドアレクリエーション音楽活動趣味ゲームの楽しさとフロー

スキースノーボードサーフィンカヤック乗馬パラグライダーダイビングなどのアウトドアレクリエーションオーケストラ吹奏楽合唱などの音楽活動模型製作生け花洋裁などの趣味テレビゲームスマホゲームにおける「楽しさ」や中毒性についても、フロー状態がその楽しさの根源ではないかという研究も数多く存在し、近年「楽しさ」の構造やその原理が明らかになってきている[7]。

隣接分野

この概念西欧心理学の中ではチクセントミハイによってはじめて示したと言える。しかし、彼はこの心理現象気づき、それに基づく技術を開発したのは、ほぼ間違いなく彼が最初ではないと、彼自身、躊躇なく認めている。

2500年以上前仏教道教といった東洋精神的な伝統実践者は、この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本実践者は、そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、芸術形式芸道など)を習得するために学んだ。

まりに使われすぎた慣用句ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、この概念説明するのに使われる。

教育にあっては、過剰学習概念があり、これは、この技術重要な要素となっているように思われる—少なくとも肉体的な技能を学んでいる場合には。それに加えて、多くの現代スポーツ選手は、よくこの「ゾーンに入る」(何もかもがうまくいく)という現象経験する。

基本的な発想が東洋西洋とで同じであったり自然科学者、霊的指導者スポーツ選手の間で共有されているということに価値があるわけではない。チクセントミハイは、他の者が精神的な発展や肉体的な熟達や他の自己改善形式の発展性に集中している一方で、活動の場のデザインのような現代西洋文化要素の改良について、これから結論を描いただけであろう。実際、東洋精神的な実践者は、現在科学的な心理学者たちが用いようと試みてきた組織的な厳密さや制御とは異なる方法試験改善してきたにしても、この主題を中心にして、非常に徹底的で全人的な理論の集成を発展させてきた。

職業仕事

ソフトウエア開発者邪魔されないフロー状態に入ることを、"wired in"、TheZone,[8][9]hack mode,[10]、softwaretimeに入る[11]などと呼んでいる。株式市場取引者は "in the pipe" という用語を、取引量の多い日や市場修正時に取引する際のフロー状態を表すのによく使う。プロカードプレイヤーは、集中力戦略的認識が最高となったときを "playing the A-game" と呼んでいる。

幸福心理

フローポジティブ心理学にとっても重要である。目の前のことに夢中になり、我を忘れることで、幸せ健康長寿につながるのである[12]。

フローを取り上げているフィクション作品

新世紀GPXサイバーフォーミュラ -近未来舞台にしたカーレースアニメ(作中ではゼロ領域の名で登場する)

ファンタジスタ -草場道輝によるサッカー漫画

昴 -曽田正人によるバレエ漫画

Dreams -マガジンSPECIAL連載中の野球漫画

flOw - thatgamecompany制作ビデオゲーム

ベイビーステップ -週刊少年マガジン連載中のテニス漫画(作中ではゾーンの名で登場する)

黒子のバスケ -週刊少年ジャンプ連載中のバスケットボール漫画(作中ではゾーンの名で登場する)

ブルーロック -週刊少年マガジン連載中のサッカー漫画  

風が強く吹いている -新潮社出版三浦しをんによる箱根駅伝テーマにした小説(作中ではゾーンの名で登場する)

脚注

^ Csikszentmihalyi, M., FindingFlow, 1997.

^ Nakamura, J.; Csikszentmihályi, M. (20December2001). “FlowTheory and Research”. In C. R. Snyder Erik Wright, and Shane J. Lopez. Handbook of Positive Psychology. OxfordUniversity Press.pp. 195–206.ISBN 978-0-19-803094-22013年1120日閲覧。

^ a b “WhatisFlow?”. AboutEducation.2015年3月30日閲覧。

^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明

^ “フロー理論から考える観光ツアーの楽しさ・満足度研究”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明

^ “Once-in-a-lifetime leisureexperiences (OLLE): The role ofFlow, novelty, and interpersonalinteractionon tourists’satisfaction andmemories”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明

^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明

^ Michael Lopp (12June2007), “Chapter 25: ANerd in aCave”, Managing Humans: Biting and Humorous Tales of aSoftware Engineering Manager, Apress, p. 143,ISBN 978-1-59059-844-3, "[TheZone]is a deeplycreative space whereinspirationis built.Anything whichyou perceiveas beautiful, useful, orfun comes fromsomeone stumbling through TheZone."

^ Joel Spolsky (9August2000), The JoelTest:12 Steps to Better Code, "Weall know that knowledge workers work bestbygetting into 'flow', also knownasbeing 'in thezone' (...) Writers, programmers, scientists, and even basketballplayerswill tellyou aboutbeing in thezone."

^ “Hack Mode”.Jargon File.2013年11月閲覧。エラー: 閲覧日は年・月・日のすべてを記入してください。(説明

^ Scott Rosenberg (2007), Dreaming in Code:Two Dozen Programmers, Three Years, 4,732 Bugs, andOne Quest for TranscendentSoftware, "When thingsgo well,you can lose track of passing hours in thestate psychologists call "flow." When thingsgo badly,youget stuck, frozenbetween dimensions, unable tomove or see a way forward. Either way,you've left the clock far behind.You'reonsoftwaretime."

^ “Positive Psychology: Harnessingthe power ofhappiness, mindfulness, and inner strength” (英語).Harvard Health.2022年11月15日閲覧。

参考文献

Csikszentmihalyi, Mihaly (1990).Flow: The Psychology of Optimal Experience.New York: Harper and Row.ISBN 0060920432

Csikszentmihalyi, Mihaly (1996). Creativity:Flow and the Psychology ofDiscovery and Invention.New York: Harper Perennial.ISBN 0060928204

Csikszentmihalyi, Mihaly (1998). FindingFlow: The Psychology ofEngagement With EverydayLife.Basic Books.ISBN 0465024114 (a popular exposition emphasizing technique)

Csikszentmihalyi, Mihaly (2003).Good Business: Leadership,Flow, and the Making of Meaning.New York: Penguin Books.ISBN 014200409X

Langer, Ellen J. (1989). Mindfulness. Reading, Mass: Addison Wesley.ISBN 0201523418

関連項目

マインドフルネス

サマーディ

トランス (意識)

スピリチュアリティ

集中力

インナーゲーム

ポジティブ心理

変性意識状態

戦うか逃げるか反応(火事場の馬鹿力)

外部リンク

ハイチクセントミハイ:フローについての講演映像 -TEDカンファレンス2004年2月、18分55秒。

カテゴリ: 注意認識教育心理ポジティブ心理学注意欠如多動症能力開発

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