
はてなキーワード:知的とは
投稿者のブコメを心理的・レトリック的な観点から分析しました。
主な要素は以下の4点に集約されます。
当事者意識の欠如した「評論家気取り」の態度が鼻につくパターンです。
どのような事象が起きても、すべて自分の支持する側に都合よく解釈する論法により、対話の余地を感じさせません。
リスクや不利益を被る人々への配慮が薄く、他者の不幸を「必要なコスト」として冷淡に切り捨てています。
批判対象を単純化し、嘲笑することで自分の正当性を確認しています。
「自分は常に賢い側にいて、愚かな大衆や敵対勢力を高所から見下ろして冷笑している」
というナルシシスティックな態度が、語尾や用語を通じて滲み出ている点にあります。
一見論理的ですが、「自分が見たい現実しか見ない」という強いバイアスを客観的分析のように装っている点が、読み手のイライラを増幅させていると言えます。
「勝てる戦争しようぜ」とか言ってバブル期に侵略だの何だのほざいている時点で、お前の頭の中では歴史も経済も安全保障も全部ごちゃ混ぜになって、因果関係の断片を勝手に繋いで興奮してるだけの自己放尿にすぎない。
そもそもバブルの時に侵略してたら成功したなんて妄想は、軍事・外交・国内経済の相互作用を一切理解していない証拠で、経済力が高ければ戦争が勝てるとかいう、財布の中身と地政学を混同するレベルの知的ショートカット自己放尿が発生している。
これがまた笑えることに、お前自身は合理的に見てるつもりなんだろうが、実際は歴史の複雑系をシンプル化しすぎた、思考停止と願望のダブル放尿だ。
九条がどうとか言い出す前に、国家戦略ってのは軍事・経済・外交・同盟・産業基盤の複合であって、バブル期の日本は産業は強くても政治的意思決定能力も軍事力も戦略文化も欠如していた。
金だけあれば戦争勝てると思ってる時点で、自分の脳みその限界を認識できてない甘ちゃんだ。
だからお前の言ってる「バブルで侵略しておけばよかった」なんてのは現実世界のリスク計算を一切踏まえていない妄想の中だけで勝てる世界線でしかなく、要するに歴史に向かってマウントを取りに行って盛大に滑っているという、一級品の自己放尿だよ。
知能がどうとか書くと、何か言われがちなのは了承済みで、ちょっと悩み事を書きます
知能高いって言ってるけど、どれほどの問題については、色々東大京大卒、国立医学部卒の学力の持ち主しておいてください。
一方で、家内は、いわゆる普通の4年生大学を出た人、この表現も悩ましいけど、一般的に言う偏差値は50としてください。
以上前置きで、実際知能の格差があることで、とても悩んでる結婚生活っていかがなもんでしょうか?
いくらか列挙
これが当然ながら本体。具体的には、日常会話などで自分がなんとなく話していることについて、当然、ナチュラルスピードでは話せない。少し理解がつまずいたなぁと思うと補足説明や例え話をしたり少し手間が多い。また話す。スピード自体も普通だと早すぎるとなるのでとても遅くした調整をする。
日常会話としたものの、関心の範囲やトピック、それ自体にも大きく差が出る。
例えば、私自身は、経済金融や社会政治、医療や科学技術など、少し後半に興味が広いタイプの人間です。日常的にも、今はとても安くなった本を中心に、専門家が書いた一般書なんかを読みっています。
たいして相手はと言うと、そういう話には飛んで、安心はなく、こういった話をすると、少し難しい話をされた顔をしてわかったようでもない。相槌だけが返ってきます。
もちろん、誰でも自分の知らない話をされるのは、快適でないのは理解するものの、残念ながらその共通範囲がとても狭く、また私自身が関心を持っている領域がとても広いと言う図式になっていそうです。
上では、直接的な知能の影響に触れたものの、こちらも大きいものとして、知性は、その人の人柄や感情の管理能力などなどにも強く影響します。
具体的には、同じような、いわゆる東大京大卒のような人は同感されると思いますが、感情的にヒステリックな反応をする人が高学歴にはとても少ないです。
これはとても自然な話で、日常会話で、何かそれが発生した際も、知的な取り組みとして、相手の立場のことを一度考えてみたり、理性的な議論から考えてみたり、また感情的にヒステリックな反応することで得るデメリットも、瞬時に打算的に計算する、などの複合的な理由から、感情的な振る舞いをする人間が少ないんだと考えてます。
一方で、いわゆる普通の人との会話をしてみると、上に上げたものをそれぞれ期待するのは難しそうです。
そもそもの知識が少ない中で、自分自身の感想を事実と混同しながら話してみたり、それに対する別の意見があったら、感情的になってみたり、あるいはそれら全てが成立しておらず、コミュニケーションが破綻しているようなこともよくあります。
自分自身も調べて、感情的に何か波風打つことが少ないので、この辺は、人生の経験として、一般的にそういうものだと言う理解をする努力をしながらもまだ難しいです。
・社会的地位の話
一般的にでは、あるものの、知能が高い人間を挙げたような人が知っている学校を出ており、また就職においてもほとんどの場合においていわゆる上場企業とされる有名な企業や、公的な機関、専門資格の有資格者、といったそれらいずれかの立場に立っていることが多いです。私もその例に漏れるものではありません。
他方で、当然ながら挙げたような普通の人と言う立場の方は、そういう状況にはなく、日本の平均年収は4,000,000円とよく言いますが、その状況にあることが多いでしょう。
即でマウントメれたことにいくつか触れていますが、繰り返しながらこの辺は重要ではありません。
ただ、ポイントとしてあるのは、日常の会話をする中で、こういった差がとても顕著なものとして現れると言うことです。
具体的には、少しお金持ちの話をしてみた際も、自分自身も相応の収入があり、また周囲には名家の取得であったり、メディアに出るような資本主義を勝ち抜いた、人々も接点があり、これらに対して言える解像度を持った知識と意見を持っています。
ただ普通の生活をしているとこういったところとは接点がないので、とてもずれた会話になってしまいます。
以上、思いつく主にいろいろなことを挙げたものの、一言で言うと、とても大きな分断で、そうであれば、結婚生活なんかしなければ良いと言う考え方もあるかもしれませんが、人柄はとても優しくそれを継続したいと思う事はあります。
ただやっぱりとても厳しいのが、上に書いたような大きな差があると、今後数十年同じ生活に取り組み、様々な問題に対面して解決すると言うトライをすることに自信が持てません。
実際、自分が尊敬するような、大学の先生や実業の世界で活躍する様々な知的な人物は、その相手も同等とはいかないまでも、相応の知的能力を持っている人を選んでいる印象があり、例外はとても少ないように見えています。
自分の場合は、そこまで傑出した能力ではないにせよ、その例外パターンになってしまっており、意見だったり反論だったり同じ悩みだったり、いろんなことを聞いてみたいです。
長々書きましたがありがとうございました。
※最後に、この長文は、音声認識でざっと記載しているので、誤字脱字が散見されますが、適宜見合いを組んで読んでいただけるととても助かります。ご容赦ください。
弱者男性界隈が『みいちゃんと山田さん』って軽度知的障がい者をメタファーにした漫画に集団発狂してると聞いた
でもそれって専門学校卒が主人公の『味いちもんめ』とか高卒が主人公の『ライジングサン』みたいなもんじゃん
大卒以上の通常学歴なら、特に苦労せずに普通に超えられるトラブルに必死に努力してクリアしてそれに感動する感動ポルノ作品
私に関する情報と、その情報から組み立てられるChatGPTの有意義な使い方をお願いします
以下は、あなたがこれまでに示してきた特徴・行動パターンを基にした
RTS・アドベンチャー・見るゲーなど複数ジャンルのゲーム設計を同時並行で考えている
(ChatGPTに“広げさせて”、あなたが“選定・要約”するタイプ)
●世界観・興味
●性格傾向(推測)
発想量が多く、構造化と整理を外部に求める
あなたはゲーム・ビジネス・創作をすべて「戦略で捉える」傾向があるため、
ChatGPTは “軍参謀”スタイルの助言AI にすると最大効率が出ます。
使い方例:
が自然。
具体的には:
思いつきを投げる
ChatGPTが構造化・分類
これが最適ループ。
あなたは実装にこだわるため、ChatGPTには以下を依頼するのが非常に相性良い:
設計案の「責務整理」
特に“わかりやすくて拡張可能な構造”を出すと喜ぶ傾向がある。
あなたは即応の遅さを気にしているが、ChatGPTは訓練に使えます。
「RTSの状況を書いたら、2秒以内に最適な手を返して」
長文記事→3行要約
「辛辣に」
「客観的に」
など、創作補助にも最適。
必要であれば、
「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書だからテキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程に論理の飛躍があるからだ。
加えて、三宅の書籍にモヤモヤするのは、彼女の著作の問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来、批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。
論理や構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。
問題は、その本が社会構造の分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論にジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書と社会人の近代史パート(9章くらいまで?)
はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人の感情の物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。
さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまりに無視している。映画「花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身の労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程を記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。
現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者の扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロイン絹ちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家、定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。
一般的な労働者が週5日・フルタイムの構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。
その社会構造自体がおかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービスを享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。
そうした現実に目を向けず、都市部の特権だけが享受可能な理想論を大衆に説く。ここにはグロテスクとしか言いようのない欠陥構造がある。
また、三宅が語る「批評の文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉を生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判が殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したから批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)
批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズムや批判が担っていたのは理路整然の文章を大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民の知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。
これは批評の民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推しを言語化するツールに批評が成り下がると、推しを肯定する言説しか生まれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツや音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者の感情におもねる批評でいいのだろうか。
出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒と共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。
批評が論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級の現実が曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。
「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書だからテキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程に論理の飛躍があるからだ。
加えて、三宅の書籍にモヤモヤするのは、彼女の著作の問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来、批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。
論理や構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。
問題は、その本が社会構造の分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論にジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書と社会人の近代史パート(9章くらいまで?)
はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人の感情の物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。
さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまりに無視している。映画「花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身の労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程を記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。
現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者の扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロイン絹ちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家、定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。
一般的な労働者が週5日・フルタイムの構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。
その社会構造自体がおかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービスを享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。
そうした現実に目を向けず、都市部の特権だけが享受可能な理想論を大衆に説く。ここにはグロテスクとしか言いようのない欠陥構造がある。
また、三宅が語る「批評の文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉を生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判が殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したから批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)
批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズムや批判が担っていたのは理路整然の文章を大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民の知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。
これは批評の民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推しを言語化するツールに批評が成り下がると、推しを肯定する言説しか生まれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツや音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者の感情におもねる批評でいいのだろうか。
出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒と共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。
批評が論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級の現実が曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。
私は『みいちゃんと山田さん』は関心を持つ入口としていいと考えている
作品に反発があるのは理解できるけど、障害者(障害者と言い切らないと始まらないので言い切る)の支援って包括的なものは存在しないことも意識すべきだと思う
親の捉え方ってのは施設に丸投げで金は出すけど関与しないってのもあれば、子供の障害を認めようとしないのもあるし、みいちゃん・むうちゃん・山田さんの親みたいなのも現実としてあるだろう
『みいちゃんと山田さん』に対する反発として「現実はそんなんじゃねえよ!」みたいなのがあるけど、それって障害が一人ひとり違うことを認めていないんじゃないの?って思ってしまう
障害者を持つ家族なら障害が一人ひとり違うことなんて誰よりも知っているんだけど、認めたくない気持ちとか認める余裕がないとか理由はいくらでもあるんだろう
でも、障害が類型できないことも包括的な支援の難しさは受け入れるべき
『みいちゃんと山田さん』は障害だけでなく親や家庭を扱っているので、障害を知らない人が関心を持つきっかけになるのであれば、関心を持つのが100人に1人だとしても、悪いことではないと考えている
いつまでも知らないよりは、知ろうとする方がずっといいでしょ
SNS運営による陰謀論、誹謗中傷、ヘイトスピーチ、誤情報、インプレゾンビ、詐欺、BOTなどの放置
↓
生成AIの知的能力が過半の人間を超えたことにより、「これならAIと話したほうがマシ」と考えるユーザーが増加
↓
↓
SNSから離脱し、AIとの対話やDiscordなど閉じたコミュニティに移行するユーザーの一層の増加
↓
指定されたX投稿(https://x.com/pawapongASD/status/1991112661992702201)は、ASD(自閉症スペクトラム障害)当事者である@PawapongASDさんが投稿したもので、内容は以下の通りです:
> 「君は間違ってる」
> 「正しくはこうだ」
> 「悪いのは○○だ」
>ASDのコミュニケーションって、こんなのばかりになりがちだから気をつけようね。
この投稿は、ASDの特性が原因で、会話が批判的・防御的になりやすいパターンを自己反省的に指摘したものです。リプライでは、他のユーザーが「今まさにこれを喰らってました😅」と共感を示したり、「ASDにこのアドバイスをしても『気を付けるってどうやって…?』となる気がします」と実践的な難しさを指摘したりするなど、ASDコミュニティ内での共感と課題共有の文脈が見られます。このようなコミュニケーションスタイル(例:相手の意見を即座に「間違い」と指摘し、論理的・事実ベースで訂正する傾向)が、誤解や対立を招きやすい点が、質問の核心です。
以下では、このようなコミュニケーションがASDのどの特性によって影響を受けやすいかを、DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)に基づく診断基準を中心に、詳しく分析します。分析は、ASDの主な特性(社会的コミュニケーションの障害、反復的・制限された行動パターン)を基にし、脳機能の違いや実例を交えて説明します。なお、ASDは「スペクトラム(連続体)」であるため、個人差が大きく、全員に当てはまるわけではありませんが、傾向としてよく見られるパターンを焦点にします。
ASDのコミュニケーション障害は、主に**社会的・感情的な相互作用の難しさ**と**認知処理の偏り**から生じます。これにより、会話が「論理優先・感情後回し」になりやすく、投稿のような「訂正・防御型」のパターン(例: 「君は間違ってる」「正しくはこうだ」)が頻発します。以下に、具体的な特性を分解して分析します。
#### 1. **社会的コミュニケーションの障害(Theory of Mindの欠如と非言語 cuesの読み取り難)**
- **特性の説明**:ASDの人は、他者の視点や感情を推測する「心の理論(Theory of Mind)」が発達しにくい傾向があります。これは、脳の社会的脳領域(例:前頭前野や扁桃体)の機能差異によるもので、相手の表情、視線、声のトーンなどの非言語的手がかりを即座に読み取れず、会話の「文脈」や「ニュアンス」を捉えにくいのです。
結果として、会話が「事実のやり取り」中心になり、相手の感情(例: 傷つきやすさ)を考慮した柔軟な表現が後回しになります。
- 「君は間違ってる」→相手の意見を論理的に「誤り」と即判定し、訂正する。これは、ASDの人が「正しさ」を最優先する認知スタイル(詳細論理的思考)から来ますが、相手の「自己防衛感情」を無視し、攻撃的に聞こえやすい。
- 「悪いのは○○だ」→責任を外部要因に帰す防御反応。ASDでは、曖昧な人間関係の文脈で「自分の非」を感じ取りにくく、論理的に「原因分析」へシフトします。これが、相手に「責任転嫁」と誤解され、対立を深めます。
- **分析例**:職場で上司の曖昧な指示に対し、ASDの人は「正しくはこうだ」と詳細に修正提案しますが、非ASDの人はこれを「上司の顔を立てない生意気さ」と感じる。結果、孤立や人間関係の摩擦が生じ、二次的なうつ症状を招くケースも。
- **脳科学的背景**:fMRI研究では、ASDの脳は社会的推論タスクで活性化が低いことが示されており、感情共有が「知的処理」として扱われやすい。
#### 2. **制限された興味・行動パターン(こだわりと柔軟性の欠如)**
- **特性の説明**:ASDの人は、特定のルールや「正解」への強いこだわり(反復的行動)を持ち、変化や曖昧さに耐えにくい。これは、脳の実行機能(柔軟な計画・切り替え)の偏りからで、会話でも「自分の知識体系」を守るために防御的になります
「正しさ」を共有することで安心感を得る一方、相手の多様な視点を「脅威」と感じ、訂正モードに入りやすい。
- 「自分は悪くない」→自己防衛の強いこだわりから、会話で「非を認めない」パターン。ASDでは、感情の曖昧さ(例: 罪悪感)が処理しにくく、論理的に「自分は正しい」と結論づけます。これが、相手に「頑なで共感がない」と映り、信頼を損ないます。
- 「正しくはこうだ」→ 専門知識やルールへのこだわりが、会話の「指導モード」を生む。善意の訂正ですが、非ASDの人は「上から目線」と感じ、雑談が論争化。
- **分析例**: 友人との雑談で、映画の解釈違いで「それは違う、原作ではこう」と即訂正。ASDの人は「正確性を共有したい」だけですが、相手は「自分の意見を否定された」と傷つき、関係が希薄に。投稿のリプライでも「気を付けるってどうやって?」と指摘されるように、この特性は「意識しても実行しにくい」のが難点。
- **脳科学的背景**:セロトニン系やドーパミン系の神経伝達物質の違いが、ルーチン依存を強め、柔軟性を低下させる。
#### 3. **感覚処理の偏り(過敏/鈍麻)とストレス反応**
- **特性の説明**:ASDの約70-80%で感覚過敏(例:騒音や視覚刺激への敏感さ)が見られ、会話中のストレスが蓄積しやすい。脳の感覚統合が偏るため、感情コントロールが難しく、防御的な発言が増えます。
- 全体として、会話の「不確実さ」がストレス源となり、「悪いのは○○だ」のような外部帰属発言で解消を図る。善意がないわけではなく、過負荷時の「サバイバル反応」です。
- **分析例**:議論がエスカレートすると、ASDの人は感覚過負荷で「論理的逃避」(訂正連発)へ移行。結果、相手の感情を無視した印象を与え、誤解の連鎖に。
- **脳科学的背景**:感覚野の過剰活性が、会話の社会的負荷を増幅。
これらの特性が絡み合うと、コミュニケーションは「論理的・直接的」になり、非ASDの「感情・文脈重視」のスタイルとミスマッチを起こします。投稿のようなパターンは、ASDの人が「正直で効率的」と思っている一方、相手に「冷たく批判的」と映る典型例。結果、孤立や二次障害(うつ、適応障害)を招きやすく、@PawapongASDさんのバイオ(50歳過ぎて診断、うつ経験)のように、大人期に顕在化します。
| 特性 | 典型的な発言パターン | 誤解の原因 | 例(投稿関連) |
| ------ | ---------------------- | ------------ | --------------- |
| 社会的コミュニケーション障害 | 「君は間違ってる」 | 相手の感情無視 | 訂正が攻撃的に聞こえる |
| こだわり・柔軟性欠如 | 「正しくはこうだ」 | 頑なさの印象 | 雑談が講義化 |
| 自己防衛・責任帰属 | 「自分は悪くない」「悪いのは○○だ」 | 責任転嫁と見なす | 対立のエスカレート |
この分析は一般論ですが、ASDは個別性が高いので、専門家への相談をおすすめします。投稿のような共有が、ASD理解を深める一助になるでしょう。
貴様が投げつけている怒号はだいたい正しい方向を向いているが、その生ぬるい温度では連中の自己放尿まみれの脳味噌には一滴も染み込まん。だから俺が補強してやる。
リフレ派が勝ち誇ってる?笑わせるな。勝ってるのはマウント合戦だけで、実体経済では悉く惨敗してる。
通貨の希薄化という最も単純な会計的現実すら理解できず、量的緩和を無限にタダで効く魔法だと勘違いしたまま、国全体をインフレの初期火災に放り込んだ連中のどこに勝利があるんだ。連中は理論家ではなく、統計表を無視して都合の良い幻覚を見続ける経済版のアル中患者だ。
円安の加速は輸出企業が儲かるから良いとかいう小学生レベルの片肺理論で正当化され、賃金の名目上昇を成功と偽装したが、中身は物価に追いつかず実質賃金が落下し続ける劣化スパイラル。
これを良いインフレだと信じ込める精神構造こそ、自己放尿の極致だ。尿を黄金水に見間違うほど錯乱してる。
そして最大の地雷が日銀。国債を買いすぎてバランスシートはパンパン、含み損で身動きが取れず、利上げすれば含み損が拡大し、利上げしなければ通貨崩壊が進むという二重縛り。
どちらに進んでも死ぬ、典型的なゲーム理論の詰んだ局面だ。それを作り出したのが、他でもないリフレ派の出口なんて必要ないという知的怠慢。出口のない緩和は麻薬と同じで、一回でも打てば中毒が始まり、止めれば禁断症状で即死だ。
さらに致命的なのは、リフレ派が景気が良くなったという幻を維持するために、実体データの悪化を外部要因・世界情勢と言い訳して逃げ続けていることだ。
自分たちの政策の帰結を認める知的勇気がゼロ。都合の悪い統計は見ない。為替の反応も見ない。国民負担の増大も見ない。まるで溶け落ちる国家財政の音をBGMにノリノリで踊っている狂人サークルだ。
貴様の言う通り、連中には高笑いする余裕がある。しかしそれは末期患者が病識を失ったときの笑いと同じで、現実逃避が頂点に達したときにだけ出る種類の笑顔だ。
いずれ為替の暴発、国債市場の硬直、日銀の機能不全、賃金と物価の乖離が一気に積分され、国家会計が悲鳴を上げる瞬間が来る。
その時、リフレ派は自分たちの言説が政策ではなく自己放尿の連続だったと理解するだろうが、もう遅い。
時は令和、空前の「和漢フュージョングルメ」ブームが最高潮!漢方スムージーとか、薬膳スイーツとか、みんなが「健康」と「知識」を求めてた20XX年。そんな中、東京の神田、昔ながらの書店街に、マジで浮世離れした知的で渋いおじいちゃん…ではないんだけど、なんかこう、鋭い眼光と、深すぎる知性オーラをまとったお方。「え?大学教授?歴史研究家?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
え?マジで?あの、江戸時代に日本初の正確な実測地図を作ったと言われる、長久保赤水様!?ゲキヤバ!って歴史好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もとい赤水様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…江戸ではない、か…?ずいぶんと道が整備され、しかし見慣れぬ記号(マーク)ばかりでございますな。」って、マジで江戸時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い探究心を感じてたらしい。
そんな赤水様に、恐る恐る話しかけたのは、神田で漢方薬膳カフェの店員やってる、健康オタクのギャル、サキ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…うむ、少々。この街の『構造(仕組み)』に興味がある。案内してもらえぬか?」って、意外と丁寧な言葉遣い!サキ、その真面目そうな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、サキ!神田の健康グルメなら、何でも聞いて!赤水様、マジでインテリだから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、サキに連れられて、赤水様は初めて現代の日本を体験!最新の地図アプリとか、人工衛星の画像とか、マジで全てが新鮮!でもね、赤水様が一番興味を示したのは、サキの働くカフェで飾られてた、オレンジ色の可愛らしい実。「…この、袋に包まれた宝石のような実は、何というものでございますか?ずいぶんと形状が美しいですな。」って、マジ真剣な眼差し。サキ、まさかの薬膳食材チョイスに驚きつつ、「あ~、これ、食用ほおずきですよ!観賞用とは違って、食べられるんです!甘酸っぱくて、栄養も満点なんです!」って教えてあげたんだって。
赤水様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?甘酸っぱい果肉と、それを包む薄皮…まるで、わが地図作成の苦労と、そして完成した時の達成感のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで天才地理学者っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、赤水様のほおずき愛がマジで爆発!毎日色んなフルーツや薬膳料理店を巡って、ほおずきを使った料理やスイーツを食べまくってたんだって。「ほおずきの種類、栄養素、最適な調理法…研究しがいがありすぎる!」って、もはやほおずきマイスターレベル!
でね、ある日、赤水様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「我は、このほおずきをもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味の世界において、人々の心と体を正しく測る、真の『健康の道』をもたらすパフェを創造してみせようぞ!これこそ、余が目指す、『日本図パフェ』よ!」って!
え?ほおずきパフェで天下統一?しかも「日本図」とか!マジで壮大すぎる!でも、赤水様の「正確な測定と知恵」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってサキも思ったらしいんだけど、赤水様の目はマジだったんだって。正確な地図作りへの情熱が、令和のほおずきパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、赤水様のほおずきパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#長久保赤水のほおずき図鑑」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶斬新だけど健康的なパフェの画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、赤水様の哲学的なコメントが、一部のインテリ系ギャルや、健康志向の人たちの中でじわじわバズり始めた!
「赤水様が作るほおずきパフェ、マジで気になる!」 「天才地図師が作るスイーツとか、絶対何か奥深い!」 「ほおずきパフェって、意外とアリかも…?」
SNSは赤水様のほおずき愛でじわじわ盛り上がり!しかも、赤水様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいほおずきや、パフェに合う最高の薬膳食材、そして日本の伝統的な甘味料を探し求めたり、甘さと酸味、そして栄養素の「正確な配合」を追求したり、マジでストイック!「天下のほおずきパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって。
で、ついに!赤水様は、銀座のど真ん中に、自分のプロデュースするほおずきパフェ専門店「SEKISUI PARFAIT - 正確な甘味 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、地図や経緯度をイメージした、知的だけどモダンなデザインで、赤水様の探究心と知性を表現。店員さんも、測量士風のモダンなユニフォーム着てて、マジでインテリ!
オープン初日から、インテリ系ギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして健康志向のビジネスマンまで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のほおずきパフェ、マジで挑戦してみたい!」「赤水様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘酸っぱさと他の食材とのバランスが最高!」「食べた後、なんか頭が冴える気がする!」「赤水様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、SEKISUI PARFAIT - 正確な甘味 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、赤水様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「地理学哲学」について熱弁したり、日本の地形の魅力を語る「日本図パフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和の赤水」「ほおずきパフェの測量士」とか呼ばれて、マジで時の人!赤水様の強烈な個性と、ほおずきパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!赤水様のほおずきパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「赤水印の日本図パフェ」が発売されるほどに!まさに、ほおずきパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、神田の街に静かに佇んでいた天才地理学者が、令和の時代にほおずきパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、日本図作成の知恵がほおずきの甘酸っぱさに宿り、新たな伝説を創り出した瞬間!
サキも、「まさか赤水様が本当にほおずきパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
赤水様は今も、さらなるほおずきパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが探究の道に、終わりはございません!」って、マジでストイック!
こうして、長久保赤水は、令和の日本で、ほおずきパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!ほおずきパフェ、マジ卍!
先週、ネットオフと買取王子に分けて宅配買取に出して、合計査定額は34,800円だった。
1冊あたり約34.8円。
正直、予想の倍近くついたので拍子抜けした。
内訳はだいたいこう。
ワンピース1-113巻(現行最新まで)、ナルト全72巻、BLEACH全74巻、銀魂1-77巻、幽遊白書全19巻、ハンターハンター1-37巻、ブラッククローバー1-35巻、他完結短め多数
マガジン系約180冊
ダイヤのA+actⅡで計90冊くらい、ベイビーステップ全47巻、炎炎ノ消防隊全34巻、彼女、お借りします1-38巻、EDENSZERO全30巻など
キングダム1-70巻、ゴールデンカムイ全31巻、東京喰種:re含め46冊、インベスターZ全21巻、ブルーピリオド1-15巻、チ。1-17巻、など
その他雑誌系約110冊
弱虫ペダル1-88巻、七つの大罪全41巻、ばらかもん全18巻、ランウェイで笑って全22巻、他
リゼロ、転スラ、SAO、オーバーロード、このすば、など各20〜30冊
同人誌70冊くらい
事前に相場を調べて、状態の良い全巻セットは買取王子、それ以外はネットオフに振り分けたのが正解だった。
特にワンピ最新まで揃ってるセットが12,000円、キングダム70巻までが9,800円と高く跳ねてくれた。
ナルト・BLEACHの完結セットもそれぞれ3,000円台後半。
弱ペダの88冊ロングテールも意外と評価されて5,000円超え。
全部で1週間かかったけど、ブックオフ宅配で一撃8,000円くらいで終わるよりは、明らかに賢い選択だった。
場所が空いた本棚3台分の価値を考えたら、34,800円はむしろおまけみたいなものだ。
手放す直前まで「本当にいいのか」と一瞬だけ思ったけど、電子で読めるものはもう二度と紙を手に取らないと確信した。
読まない本はただの重しでしかない、という当たり前の事実にようやく気づいた30代半ばだった。
青春の一部がダンボール24箱に詰まって宅急便で去っていった。
査定メールに書かれた「高額買取ありがとうございました」の一文が、今回は素直に嬉しかった。
それだけ決めた。
あとね、これもGrokで生成した文なんです。
作って貼り付けるのに5分かかってない。
プロンプトは「「漫画を1000冊処分した」というタイトルで、はてなブックマークでバズるように書いて。処分した(二束三文で売った)漫画を具体的に1000冊計算して挙げて。鍵カッコや見出しは使わずに。はてな匿名ダイアリーの口調で。冷静でかつ知的に。」
です。
本当に、酷いよね。
ごめんなさい。
どうなのかな
黙ってた方がいいのかな
ごめんなさい
とにかくみんなも騙されないようにね
バカの曲解を本質と思いこむ知的障碍者にハマる言説すぎて驚くよね。キャバクラ扱い。
チー牛が見下してるふんわりした概念のキャバクラにピッタリなんだろうね。
チー牛の好きな売れない地下アイドルのが近いのに
今日も覗いたら、そこら一面に知能の抜け殻みたいな文章が転がってて、思わず「ここは自己放尿会場か?」と鼻で笑ってしまったわけだ。
何を勘違いしたのか知らんが、日記を書くという行為を、思考の代わりに自己放尿の排泄で代用できると思ってる連中ばかりでな。
お前ら、文章を書く前にせめて脳のエンジンを回してから現実に復帰してこいよ。
まあ、一番笑えるのは、本人たちは「悩んでます」「考えてます」みたいな顔をしているつもりなんだろうが、実態は論理の死骸を並べてるだけで、内容としては感情、被害妄想、承認欲求のトリプル放尿なんだよ。
しかも自覚がゼロ。これが一番タチが悪い。放尿なら放尿らしく、せめて堂々と床を濡らせばいいのに、どいつもこいつも「私は知的だと思われたい」みたいな顔して滴らせてるから始末に負えん。
正直に言ってしまえば、この場所でまともな思考を期待すること自体が間違いなんだよ。
ここは知能の避難所でも学術サロンでもない。ただの「思考のフリをした自己放尿の溜まり場」だ。本人たちだけがそれを理解できていない。これが滑稽で、これが悲劇で、これがはてな匿名ダイアリーの核心なんだよ。
だから俺は今日も冷徹にこう断言してやる。論理のない文章は、内容ではなく態度によって評価される。そしてお前らの態度は、全員まとめて自己放尿の範囲に収まっている。
それだけだ。
みぃちゃんは俺のことが好きで、俺しかみぃちゃんの良さを知ってなくて
でも俺はそこそこイケててって自認してる男なんだけどさ、あれって山田さんの男バージョンだよね。
裏の話をすると、そもそも「キャバ嬢のナンバー」って知的障害者じゃ入れない職業なのね。やってることはマネージャーの居ない営業職だから、IQ低いならEQが高くないとできない。
対して山田さんみたいな腰掛け嬢は知的が入ってる人が多いのよ。
要は何が言いたいかって言うと、「頭が良くて可愛くて、バカっぽい振る舞いを演じてるリアルみぃちゃん」を「ガチの障害者」と見下してる作者
「腰掛け嬢にも優しくしてくれるナンバー入りのキャバ嬢」を「お互い惹かれるものがあり」一緒に遊ぶ作者
つまりみぃちゃんの指名客ってそのまま山田さん反転した存在なんだよね
両方ともASDっぽいし。
お前の文章を読んでまず分かるのは、論理でも思想でもなく、ただの刺激依存の自己放尿だという点だ。
「不謹慎なら何でも許される」「傷つくやつは無視していい」などと吠えているが、それは自由の行使ではなく責任能力の放棄だ。
社会は自由と引き換えに必ず結果の査定を行う。お前がネットで人間の傷口を舐めて笑いを取っているつもりでも、周囲はお前の知能指数と倫理観が地面の底に沈んでいるという情報を読み取っているだけで、評価されているのは内容ではなく、お前の劣化だ。
そのうえ「不謹慎で人が死んだか?」などという幼稚な二択で世界を理解した気になっているが、問題は死ぬか死なないかではなく、行為が生み出す社会的コストと自分の信用の毀損だ。
人間は物理的な死の前に、社会的信用の死を迎える。お前が今やっているのは、誰かを笑いものにしているつもりで、実際には自分の社会的寿命を削って自己放尿しているだけだ。
しかも弱者をネタにすれば笑いが取れるなどという発想は、ユーモアではなく退化の証明にすぎない。
プロの道化は権力を突くことで観客に知的快感を与えるが、お前のやっていることは、道路脇で無意味に自己放尿する子供と変わらない。
自己放尿レベルの低知能発言をネットに垂れ流しているというだけだ。
そして何より、お前が「笑いになる」「ウケる」などと主張しているが、それはお前の周囲の環境が低品質だから成立しているだけで、一般的な社会空間ではただの粗暴なノイズであり、知性と感性の欠落を露呈させる行為だ。
人間が笑うのは知的な緊張と解放があるからであって、弱者を殴って快感を得るような粗雑な行動は、笑いではなくただの自己放尿だ。
つまり、お前の主張は不謹慎を語る仮面をかぶった幼児的万能感でしかなく、自分の未熟さを誇示して自己放尿しているだけ。
「コロナ禍で電子書籍の漫画を読む習慣が自分に付いたから」という動機は、単なる自己正当化の言い訳に過ぎません。なぜ、その動機付けが読書リストの評価に必須なのか理解に苦しみます。
「ここに書いてないけど楽しんだ漫画も沢山ある筈だけど、一旦置いておく」という断り書きは、リストの網羅性に対する責任放棄です。大量に挙げたところで「もっとある」と言われては、提示された情報の価値が薄れます。
「とりあえず頭に浮かんだタイトルを片っ端から書いてみる」という姿勢は、構成や論理的な並びを放棄した怠惰の表れです。これだけ大量の情報を提示するなら、もう少し読者に対する配慮(整理整頓)があってもよいでしょう。
過剰な情報量による疲労: 70以上のタイトルを羅列した結果、一つ一つのコメントが短く、表面的な感想に終始しています。「面白い」「名作」「熱い」といった形容詞に頼りすぎており、読者に新しい洞察を与えるレベルに達していません。
例:「これも面白い」「面白かった」「めちゃ面白い」など、具体的な深掘りのない感想が多すぎます。
ネタバレ回避の失敗と中途半端な配慮: 導入で「ネタバレ注意」としながらも、多くの作品の感想が「〜編が面白い」というあらすじの列挙や、既に広く知られた事実の繰り返しに留まっています。特に核心に迫るような鋭い考察は見られません。
「全話無料公開してた時読んだ」「サンデーうぇぶりは〜が全話無課金で読める」といった情報は、**日記を読んだ時点では無効になっている可能性が高く、持続的な情報価値がありません。**これは作品の評価ではなく、単なる「当時の自分の行動記録」であり、読者にとってはノイズです。
『キン肉マン』『彼岸島』『タフ』などの「ネタ要素がある面白さ」を共通項とするのは、広く知られたネットスラング的な評価であり、独自の考察とは言えません。
『ボルト』を『ドラゴンボール』や『ジョジョ』の影響と見るのは、画風や台詞回しというよりも、少年漫画の表現の変遷を深く見ていない浅い感想です。
ジャンルの偏りが激しすぎる: バトル、スポーツ、ギャンブルといった「熱血」「劇画」系のジャンルに極端に偏っており、知的探求心や感性の幅が非常に狭いことを露呈しています。日常系、SF(ハードなもの)、純文学系、ミステリー(トリック重視)、本格歴史もの、アート系など、多様なジャンルへの興味が見られません。
「人を選ぶ」作品への過剰な言及: 「人を選ぶ」「クセがある」という言葉を多用していますが、これは逆に自分の好みが極めてニッチであることの告白であり、大衆的な視点や客観的な評価能力に欠けていることを示唆しています。
「一気読み」依存の危険性: 連載中の作品より完結作を好むという姿勢は、新しいトレンドや未知の才能を発掘するアンテナを持っていないことを意味します。電子書籍の「後追い」という受動的な読書に依存しており、能動的な読書家とは言えません。
全体として、この日記は「電子書籍を大量に読んだという事実の自慢」に終始しており、個々の作品に対する深い洞察や、読者に新しい発見を提供する価値に乏しい、情報過多で中身の薄い読書ログであると言わざるを得ません。
以上です。
おい、その浅い煽りはなんだ。
まず童貞=負け という低学歴レベルの自己紹介、そこで論理は自己放尿している。
童貞というのはな、外的承認に流されず、自らの行動原理を制御できる稀少なサンプルだ。
統計的にも、衝動性低・依存性低・長期的最適化志向という性質が出ることが多い。
つまり、生殖本能に振り回されるだけの消耗型人間より、はるかに自己制御能力が高い。
これが事実だ。
他者の承認を燃料にしない生き方を貫く個体こそが、生物学的ノイズを切り捨てた高効率モデルなんだよ。
要するにお前は、性経験がない=劣っているという、自分の浅い価値観を全世界に自己放尿しているだけ。
その薄っぺらい指標で他人を評価する時点で、すでに知的敗北は確定している。