
はてなキーワード:真逆とは
広江礼威や我孫子武丸みたいに作風的には自己責任論っぽい作家が当人は意外とリベラルだと好感度上がる
でもネットには逆の事例が多すぎて泣きそう
作品の中では愛や正義や自由を謳い上げながら、現実では真逆のスタンスの作家を見て何度悲しんだ事か…
この6、7年こつこつダイエットしてて、自分なりの食生活が確立できたんだけど、そういう情報が世間で話題にならない理由がなんとなく理解できるようになった。
自分がどういうふうに痩せて、何を食べて何を食べないかを言葉にしても、結局全部「努力の物語」に変換されちゃうんだよね。
実際にやっていることは真逆で、思考コストを減らして体が楽になる生活構造を自動化するのがダイエットのコツなんよ。
だからはっきり言って、太っていた頃より断然生きやすくなるし、その生活を死ぬまで続けることはメリットしかない状態になる。
でも世間的には、そういう状態は「自分を否定する情報」として扱われる。何故なら現代人の生活は「壊れているのが当たり前」だから。
その当たり前を否定したら、それを前提にして生きている人たちの人格を否定することに繋がってしまう。
だから世の中で流行るダイエットの情報は、現代社会の生活を否定しない断片的な小手先の方法論ばかりになる。
もっと言うと、体が楽になる規則正しい生活というものが資本主義と逆行しているという側面もある。現代社会において、そもそも「幸せな人間」というものは都合が悪い。
満ち足りている人間は消費しないし、社会の風潮になびかないし、がむしゃらに働いたりもしない。
社会や資本主義は「刺激と効率を追い求めろ」と人間に要求するけど、ダイエットの本質はそういうレールから降りる作業なんよな。
現代的な刺激の強い食べ物をそもそも食べないから「もっと欲しい」という感情は湧かないし、毎日「これでいい」という充実が成り立つ。
一度そうした生活の気持ちよさを体感してしまうと、世間的には「普通」なんだろう刺激の強い食生活は体が受け付けなくなる。
でもこんなことを話しても人は理解しないだろうし、理解されて何かメリットがあるわけでもない。
だからダイエットに本当に成功した人はそれを言語化しなくなる。話したがるのはまだその入り口に立っているだけの人か、やり方を間違えている人だけになる。
街が浮足立ち、聖バレンタインの慈愛がどうのと抜かしている最中、私はあえて「聖人リップ(St.Rip)」という、あの吐き気のするような嘘を絞め殺しに来た。
たまに意識高い系のバーの店主や、聞きかじりの知識で夜の街を語りたがるサブカル野郎がドヤ顔で語る、あの説だ。
「ストリッパー(Stripper)の語源は、特定のパートナーを持たない者への救済を施す聖人(Saint)である。ゆえにその名は聖リップ(St.Rip)の略なのだ」という、あの美しすぎる都市伝説(バクロニム)。
結論から言う。そんな「聖人」は、この地上のどこにも存在しない。
あれは孤独な魂が寂しさを紛らわせるために捏造した、現代の知的怠慢が生んだバグだ。
「Strip」の中に潜む「St」は、天国への門なんかじゃない。ただの「物理的な摩擦」の残響だ。
「Strip(剥ぐ)」という単語が英語に現れるのは12世紀から14世紀だ。
対して、デジタル界隈で「Rip(データを引き裂き出す)」が産声を上げたのは、たかだか40年ほど前の話に過ぎない。
「Rip(引き裂く)」という言葉自体は14世紀からあるが、これらが「聖人」という文脈で結びつくには、あまりにも時間の断絶が激しすぎる。
現代のデマ野郎は「Strip =St.(聖) +Rip(引き出し)」という安易な足し算を信じている。
言語学の世界には「s-mobile(可動のS)」という、クソ面白い概念がある。
単語の頭に「S」が付いたり消えたりすることで、意味の解像度が変わる現象のことだ。
Rip(リップ):印欧祖語。バリバリと「引き裂く」「引き抜く」破壊。
Strip(ストリップ):印欧祖語。グイッと力を込めて「剥がす」「露出させる」線状の動作。
我々の祖先は、何かを無理やり分離させるときに「R」の振動音を聞き、そこに「St」という固定・強張りの音を添えることで、「表面を剥ぎ取る(Strip)」という物理的な解像度を生み出した。
人間が数千年にわたって岩の苔を剥ぎ、獣の皮を剥ぎ取ってきた「手触りの記憶」そのものなんだよ。
ドイツ語の`streifen`(剥ぎ取る)も、ラテン語の`rumpere`(破裂・切断)も、みんな同じ血族だ。
キリスト教が生まれる遥か昔から、この地上では何かが「剥がされ」「裂かれて」きた。
電線の被覆を剥がすワイヤーストリッパーも。
その本質は、聖なる救済などではなく、「本体からの暴力的な分離」という一つの根源的な物理現象に回帰する。
「ロマンがない」と嘆くか?
むしろ逆だろ。
数千年前の「剥ぎ取り」という原始的な衝動が、形を変えて現代のハイテク機器や、デジタルデータ、あるいは夜のステージにまで生き延びている。この執念深いまでの「言葉の生命力」こそ、よっぽど神秘性を帯びているとは思わないか。
そこに、「聖人」なんていない。
あるのは物理と、我々の喉元で今も響いている「S」と「R」の呪いのような残響だけだ。
余談だが、今度バーで「聖リップ」の話を得意げにしている奴を見かけたら、黙ってワイヤーストリッパーを差し出してやればいいと思う。
55年体制(ごじゅうごねんたいせい)とは、1955年に成立した、自由民主党(自民党)が政権を独占し、日本社会党が野党第1党として対峙する、約38年間続いた日本の政治体制。
といったものが支持されたのであって、つまり「小さな政府」であって左翼リベラルとは真逆
でも実際に旧社会党左派勢力などが民主党内で影響力を発揮し結局本当に左翼になってしまった
立憲民主党などとっくに終わった55年体制を引きずったイメージを持たれたが
当然支持が広がるはずもなし
政治傾向に大きな差異があっても左翼という共通の敵に対して結束してきた
それが崩壊すれば結束も緩む
今後自民党内も分裂するかもしれない
中国がレアアース規制を緩和して輸出許可したって共同通信の記事が昨日出てますね
https://www.47news.jp/13830043.html
でも日本語記事って英語記事のこの部分ばっさり抜けてるんですよね
https://english.kyodonews.net/articles/-/70043
輸出申請は規制強化前に提出されていたとみられるため、日本企業は中国当局が今後も希土類の輸出を承認するかどうかを注視しているという。
As applications for the shipments had apparently been submitted before the introduction of the tighter controls,Japanese businesses are closely watching whether theChinese authoritieswillcontinue to approve rareearth exports, they said.
これじゃあ日本語記事と英語記事の意味が真逆だし、普段オールドメディアはデマばっかりと言う人たちがろくにそれ以上追求もせずに「中国折れた!!」とか言ってるのばかり見るしあんまりに共同通信がひどすぎない?
なんで7品目でけ輸出許可したのかは英語記事のこの文章みないと推測でしか理解できないのにわざと外してるようにしか見えない
もう一回書くけどこれ見て「中国折れた!」みたいに書く人たちへが普段オールドメディアはデマだらけとか言ってるのはなんなの?
いろいろな関係会社をどついて回って、カネを出させたり、仕入れ価格を下げさせたり、自社製品を押し売りしたりする。
そして、利益が出たら株主(アメリカ国民)に減税という形で還元する。
市民一人当たり約30万円の支給予定。数千円のお米券とは次元が違う。
どつかれて、カネを出させられる関係会社の日本としてたまったものではないが。
奴は減税(配当)するためにひたすらカネをかき集めているわけ。
アメリカ以外の取引先をちゃんと作るべきで、そこと仲たがいするのはアホという立場だ。
もちろん、欧州やカナダ、アセアン、インドなども大切な取引相手だ。
武力により好き放題やると脅しをかけているような相手との取引に依存するのはあまりに危険すぎる。
今回の選挙でどんなネガティブ材料が出ても基本候補者の支持はさがらないみたいな話を書こうとしたけど、長くてまとまらなそうだから書きたいところだけ書く
最近の支持者の傾向だけど、昔と違って支持してる人の言説や政策なんて一部見るだけで全体は碌に見てない気がする
当の支持者は政策で勝負しろ!ちゃんと見てる!言ってるけどどうも見てはない気がする
なぜか
去年の話だけどこんなのがある
https://www.works-i.com/column/works05/detail021.html
要約すると各種意識調査では若者は労働を増やしたくないけど、労働条件緩和を支持しているって内容
この人は思いやりによって規制緩和を支持してるっていってるけど、ぶっちゃけこれ言った政治家を支持してるから、その方策も無条件支持してるんじゃない?って思う
つまり、今までは候補の主張であっても、自分とは違う部分に関してはマイナスがでる、でも支持はトータルで見て判断するってのが大半だった
候補イのAという主張を支持するから投票するが、でもBという主張はダメだよねってのが普通だった
でも今、特に若者はBの部分で、Bという意見とは本来思想は真逆だけど候補イがいうんだからBも賛成するってなってない?ってこと
これが正しいのなら、全体の政策の出来不出来はあまり関係ないし、たかだかほかの人にとっておかしい行動をとってもマイナスにはなりえない
じゃあその根本をなす評価はというと、キャッチャーなことをいってそれを信じさせれば、それだけで残りも肯定させることができるって話になるんじゃないかな
でもそれって、今までもあっただろうというのはそうなんだよね、例えば郵政解散とかね
だから場合によっては何か選挙期間中にあって他のウェイトが増えたら逆転することがありえた、まあ郵政クラスだと難しいけど、それでも可能性はあり得た
でも今回はそれはまずない
わかりやすく言えばキャッチャーで影響を与える主張をA それ以外の主張をBとすると
郵政のころは A:B=9:1 くらいだった
でも前述の1個支持すると残りを全肯定型の最近の選挙では A:B=10:0 なので、いくらBでなんかあってもAさえ崩さなかったら絶対に崩れないって話
まあこれは今回に限ったわけでなく、前回の参議院選でちょっと思ったところだけど、それ以降でもその傾向が強い事象をみたので、そうなんでは?って思ったいう話
力もねえ
知能もねえ
ホルモンバランス(笑)とやらで精神不安定だしさ、きったねえ顔をくっせー化粧品で誤魔化して、それでもきったねえ顔だけどな。香水もくせえ。
妻の実家に行くじゃん?
義両親が、よくもうちの娘をたぶらかしやがって。な態度とってくるじゃん?
もうこの時点で、こっちから尽くすこともなければ親しくなることもないのよ。
そりゃ義理の親でも妻の親なんだからなんでもしてあげたくなるって。
贈り物して喜んでくれるなら何度も贈りますよ。
人間ってそんなもん。
最近ずっと考えていることがある。
現実でもフィクションでも、意志や行為って、だいたい「死後」か「手遅れになってから」評価されることが多い。
主人公が誰かのために自己犠牲する話で、読者は泣く。でもその感動って、主体本人は一切観測できない。報われるのは周囲か、後世か、観測者だけだ。
「描かずにいられない衝動そのものに価値がある」みたいな思想にかなり共感している。
評価されるかどうかじゃなくて、
上手いかどうかじゃなくて、
再現性があるかどうかじゃなくて、
ただ「それでもやってしまう」こと自体に意味がある、というやつ。
描いても描かなくても世界は変わらない。
描いても誰にも届かないかもしれない。
それでも描く。
それでもやる。
技術的には、もう「上手く描く」ことは人間の専売特許じゃない。
再現性、量産性、クオリティだけ見れば、AIの方が強い場面は確実に増えている。
誰にも頼まれてないのに描く。
似ていても、二番煎じでも、それでも描く。
最近、ある有名なイラストレーターの言動を見ていて、ずっと違和感があった。
エゴサしては即ブロックし、意図的に世界を遮断して、それでも作品だけは外に投げ続ける。
最初は正直、病的に見えた。
でも今は、「あれは異常な個人」じゃなくて、「創作構造の極端な可視化」なんじゃないかと思っている。
それでも描き続けるしかない。
正直、かなり意外だった。
他人の影響を徹底的に避けてきた人が、
これは心境の変化なのか。
それとも、もう一人で抱えきれなくなった結果なのか。
よく分からない。
でも少なくとも、あれは「報われなさを一人で引き受け続ける構造」からの離脱に見えた。
最終的には継承とか文脈とか、他者との関係に飲み込まれていく。
主体は報われない。
作者は死後に評価される。
報われなさを前提にしないと成立しない営みって、そもそも健全なのか。
それでも人は描くし、書くし、語る。
それを美談にしていいのかという疑問が、ずっと同時に残ってる。
あるのを知ってて表面的に利用しつつ実際には真逆の政策をする玉木や稲葉、
弱者に向けた政策と称して実行しつつも実際には善意で地獄への道を舗装する共産社民
そこらに比べれば、単に知らないだけの連中の方が救いがあるだろ。
つまり「俺たちのことも見てくれ」って言えばいい。
言った所で分かってくれないならその時怒るでも全然遅くはない。
老婆は、下人をつき放すと、いきなり、短剣の鞘を払って、白い鋼の色をその眼の前へつきつけた。けれども、下人は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗く黙っている。これを見ると、老婆は始めて明白にこの下人の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後あとに残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、老婆は、下人を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「わしは検非違使の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それをわしに話しさえすればいいのだ。」
すると、下人は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその老婆の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くような声が、喘ぎ喘ぎ、老婆の耳へ伝わって来た。
「この服を剥いでな、この服を剥いでな、衣類にしようと思うたのじゃ。」
老婆は、下人の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。下人は、片手に、まだ死骸の体から奪った布切れを持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、死人の服を剥ぐと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、服を剥いだ男などはな、魚を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往いんだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この男の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この男のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの男は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
下人は、大体こんな意味の事を云った。
老婆は、短剣を鞘におさめて、その短剣の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、老婆の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この老婆には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この下人を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。老婆は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの老婆の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
下人の話が完おわると、老婆は嘲けるような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、下人の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、わしが髪を抜こうと恨むまいな。わしもそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
老婆は、すばやく、下人の髪を抜き取った。それから、足にしがみつこうとする下人を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。老婆は、抜き取った長い白髪をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
しばらく、死んだように倒れていた下人が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。下人はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い黒髪を倒さかさまにして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
(大正四年九月)
召使いは老婆を突き飛ばし、一瞬の隙に鞘から刃を抜き、冷たい鋼鉄を彼女の目の前に突きつけた。しかし、老婆は黙ったままだった。彼女の手は嵐に揺れる木の葉のように震え、肩は荒い呼吸で上下し、目は眼窩から飛び出しそうに皿のように大きく見開かれ、無言の者のように、ラバのように頑固に沈黙を守った。それを見て、召使いは彼女の生死が自分の手に委ねられていることをはっきりと悟った。そして、その考えは、それまで彼の中で激しく燃え上がっていた憎しみの炎を冷ましてくれた。残ったのは、絹のように滑らかに、仕事をやり遂げたという安易な満足感だけだった。そこで老婆を見下ろしながら、彼は少し声を和らげて言った。「私は保安官事務所の保安官でも何でもない。少し前にこの門の前を通りかかったただの放浪者だ。だから、お前を縛り上げたり、危害を加えたりするつもりはない。ただ、この時間にこの門の上で何をしていたのかを話してほしいだけだ。話してくれれば、それで終わりだ。」それから老婆はさらに目を大きく見開き、召使いの顔をじっと見つめた。赤く縁取られたまぶたは、鷹のように鋭く、彼をじっと見つめていた。しわくちゃで鼻とほとんど一体化した唇は、何かを噛んでいるかのように動いていた。痩せこけた喉仏が動き、喉仏がコルクのように上下に揺れているのがわかった。そして、その喉からカラスのような声が、息を切らし、ゼーゼーと喘ぎながら、召使いの耳に響いた。「ほら、この髪を引っ張って、かつらを作ろうとしていたのよ。」召使いは、彼女の答えがいかにも平凡だったことに、ひどくがっかりした。そして、その失望とともに、冷たく冷笑的な、軽蔑と混ざり合った昔の憎しみが蘇ってきた。きっと彼女は彼の気分の向くままに、死体の頭から引き抜いた長い髪の束を握りしめたまま、ヒキガエルの鳴き声のような声で、どもりながら呟いた。「確かに、死人から髪を抜くのは邪悪な行為に見えるかもしれない。だが、ここに横たわるこの死体どもは、もっとひどい扱いを受けるに値しない連中だ。今、髪を抜いたこの女を例に挙げよう。彼女は蛇を10センチほどに切り刻んで乾燥させ、ジャーキーにして兵士たちの陣地に売り歩いていた。疫病にかかっていなければ、今でも売り歩いていただろう。彼女のジャーキーは味が良かったという噂で、兵士たちは食料としてこっそり買っていた。彼女の行為は間違っていなかったと思う。そうしなければ飢えてしまう。選択の余地はなかった。だから、私がしていたことは間違っていなかったと思う」どちらでもない。そうしなければ、飢えてしまう。そしてあの女は、他に方法がない時の辛さをよく知っているから、きっと簡単に許してくれるだろう。」老婆が言ったのは、まさにその通りだった。召使いは刀を鞘に収め、左手を柄に当て、冷静に彼女の話に耳を傾けた。もちろん、右手はずっと頬の大きな赤い膿んだニキビをいじっていた。しかし、彼女の話を聞いているうちに、彼の心の中にある種の気概が湧き上がった。それは、先ほど門の下で欠けていた勇気だった。そして、あの老婆を捕まえるためにここまで来た勇気とは全く違う――むしろ、正反対の。彼はもう、飢え死にするか、無法者になるかなど考えていなかった。その時の彼の心境では、飢えなどほとんど考えられず、完全に頭から追い出されていた。「まさか、そうなの?」老婆が話を終えると、召使いは嘲るような口調で彼女を問い詰めた。それから一歩前に進み出て、突然、右手をニキビから引き抜き、襟首を掴み、コヨーテのように噛みついた。「それなら、お前を裸にしてやるからな。私もそうするか、さもなくば餓死するぞ。」召使いは瞬きするかのように素早く老婆の赤褐色のローブを剥ぎ取った。そして、老婆が彼の脚に爪を立てると、彼は彼女を死体の上に蹴りつけた。梯子の入り口まではわずか五歩だった。剥ぎ取られた服を脇に抱え、彼は急な梯子を瞬く間に駆け下り、漆黒の夜空へと消えていった。しばらくして、死んだように動かず横たわっていた老婆が、死体の間から裸の体を起こした。ぶつぶつと呻きながら、揺らめく松明の明かりを頼りに梯子の頂上まで這い上がった。そこで、短い白髪を逆さまに垂らし、門の下を覗き込んだ。外には、漆黒の夜の虚空だけが広がっていた。召使いがどこへ逃げたのか、誰も知らない。(1915年9月)
最近、ある超有名なクリエイターが初めて弟子を取ったという話を聞いて、ずっと違和感が残っている。
その人は長年、
・でも他人の影響は一切受けたくない
ファンとも距離を保ち、同業者とも深く交わらず、作品は出すけど世界には踏み込まない、みたいな。
その一貫したスタンスは、才能のある人間の美学としては理解できるし、実際それで頂点まで行った人でもある。
でも、そういう生き方をしてきた人が「弟子を取る」というのは、構造的にかなり真逆の行為じゃないかと思ってしまう。
弟子を持つというのは、
正直、自分にはこれが「成長」に見えるのか、「歪み」に見えるのか、まだ判断がつかない。
才能ある人間が、孤独を貫き続けるのと、他人を抱え始めるのと、どちらが健全なんだろう。
そもそも「他人から評価されたいけど影響は受けたくない」という態度自体が、健全なのか病的なのか。
弟子を取ったことで何かが変わるのか、それとも何も変わらないのか。
もし何も変わらなかったとしたら、それはそれで結構怖い気がしている。