はてなキーワード:法学部とは
司法試験予備試験に1年で合格した方法、と大層なタイトルをつけたものの、何か特別な勉強法があるわけではない。むしろ、誰かの参考になるかもと思って書いておきたいというのが本音だ。自分が勉強を始めたとき、合格者のブログを読み漁っていたから、どこかで誰かがこの文章に出会って、「あ、自分もやってみようかな」と思ってくれたら嬉しい。
予備試験の存在を知ったのは大学4年の春。法学部ではなかったし、法律には全く触れてこなかった。ただ、就職活動がうまくいかなくて、自分に何かスキルをつけなければという焦りがあった。そんなときに、偶然ネットで見かけたのが「予備試験1年合格」の体験記。正直、最初は眉唾だった。でも、色々と調べていくうちに「独学でもいけるかも」と思えてきて、5月の連休明けから本格的に勉強を始めた。
使ったのは、市販のテキストと論証集、過去問、それだけ。予備校の通信講座はお金が足りなかったので取っていない。代わりにYouTubeやnote、はてなブログの情報を総動員した。最初の2ヶ月はとにかくインプット。条文を読む→基本書を読む→論証を写経する→LECの短答過去問集をひたすら解く、の繰り返しだった。知識が穴だらけで、民法と刑法の区別すら危うかったが、それでも毎日5時間以上は机に向かった。
8月くらいになると、短答の点数が少しずつ上がってきて、手応えが出てきた。そこから論文の練習に本格的に移行した。答案を書くのは本当に苦手で、最初は模範答案を丸写しすることすらできなかった。でも、少しずつ自分の言葉で書けるようになってくると、論文の勉強は楽しくなった。何より、自分で考えて、自分で書いた答案が過去問と似ていたときの快感は今でも覚えている。
口述対策は論文が終わってからで十分だった。論文合格が分かってからは、予備校が出している想定問答集を丸暗記しつつ、友達とロールプレイをした。緊張しやすい性格なので、本番前は散歩して気を落ち着けた。試験官は意外と優しくて、拍子抜けするくらいだった。正直、口述は努力した分だけ報われる試験だと思う。
こんな風に振り返ると、すごく順調だったように見えるかもしれないけれど、途中で何度も「向いてない」「やめたい」と思った。特に論文が全然書けない時期はつらかったし、周りが就職していく中で一人黙々と勉強していることに虚しさを感じることもあった。それでも続けられたのは、「1年で受かれば、人生が変わるかもしれない」と思っていたからだ。
実際に合格してみると、もちろん劇的に何かが変わったわけではない。でも、「努力すれば報われることもある」と体感できたことは、自分にとって大きかった。予備試験は確かに難しい。でも、誰かが「1年で受かった」と言ってくれたおかげで、自分も挑戦できた。だから今度は、自分がその「誰か」になれたらいいなと思って、これを書いている。
これから挑戦する人へ。1年間、毎日机に向かえば、十分にチャンスはあります。気合いと根気があれば、道は開けます。応援しています。
その部屋には、椅子が七脚並んでいた。六脚には候補者が座り、最後のひとつは「謝罪演技官」兼プロデューサーである今井の席だ。
「では、あなた。例の不倫報道が出た後、初めてテレビに出る想定での謝罪をどうぞ」
呼ばれたのは若干17歳、元ヤン校中退の朝井ハルカだった。金髪の根本が黒く、言葉遣いには粗さが残る。
彼女は深々と頭を下げ、涙をこらえたような顔で言った。
「このたびは、私の未熟な行動で、多くの皆さまにご迷惑とご心配をおかけしてしまい……ほんと、バカでした。心から反省しています」
室内に微かな拍手が起こる。プロデューサーの今井は指を組み、うなずいた。
「いいね。涙の出るタイミング、詰まり気味の声、実にリアルだ」
朝井はにやりと笑う。さっきまでの反省顔はどこにもなかった。
今井は続けた。
「君たち、わかってると思うが。主演タレントというのは、常に“やらかす”リスクがある。それを乗り越えるには、演技力じゃなくて、誠実さでもなくて――“許される技術”が必要なんだよ」
候補者たちはうなずいた。ここは「許され力」を競うオーディション、“謝罪スター選手権”だった。
台本も芝居も無い。ただ、自分の中の“クズ”をどれだけ上手に包装し、泣いて見せるか。
今井は壁際のパネルを叩いた。『2026年度 主演級候補一覧』と書かれたリストの、朝井の名前の横に朱い丸がつけられた。
「よし、次。君、不倫じゃなくて薬物で行こうか」
少年は一瞬だけ青ざめたが、すぐに顔を作った。
ここでは誰もが、スターになるために、最悪の過去を“練習”していた。
夜の青山、ある巨大ホテルのスイートルームにて、ひっそりとした宴が開かれていた。テレビ局・帝都放送の制作局チーフプロデューサー、東大法学部卒・椎名誠司は、その場で笑顔を浮かべつつ、氷入りのウィスキーグラスをスター朝井ハルカに差し出していた。
「今日は本当に、素晴らしい収録でした。さすがです、朝井さん」
朝井は、チークの濃い顔で鼻先をクイッと上げる。隣では、マネージャーと局の編成局長が笑顔で談笑している。
椎名は思う。なぜ自分が、河原者出の元ヤン少女にここまで気を遣わねばならないのかと。
だが、彼にはわかっていた。数字を取れるのは“物語を背負った女”だけだ。そして物語には、必ず「不良の更生」「涙の復活」「逆転劇」という、テレビ的カタルシスが求められる。
彼の東大同期は省庁に入ったが、椎名はそれでもテレビを選んだ。なぜなら、芸能界にはもう一つの希望があった。
それは――
第3章:演技力と知性で生き残る者
彼女の名は嶺岸しのぶ。劇団育ち、京大文学部卒。地味で話題性に欠けるとされていたが、舞台での演技は鬼気迫るものだった。
椎名はある日、彼女の舞台を見て、その才能に惚れ込んだ。スキャンダルも無い、派手さも無い。ただし、圧倒的な“表現”があった。
「君を、本物の主演にする」
しのぶは言った。
それでも、道のりは険しい。今井ら“謝罪製造機”たちが仕切る芸能界で、知性と技術だけで生き残るのは、ある意味で命懸けだった。
だが、椎名は彼女に賭けた。そして――世の中が一人の“地味で知的な主演女優”に揺さぶられる日が来ることを、信じていた。
彼はふと気づく。
スターたちが河原者であること。それは視聴者にとって、無意識の“安全装置”なのかもしれない。彼らの華やかなパフォーマンスに感動しながらも、どこかで「でも所詮あいつらは元ヤンで、成り上がりで」と、見下すことができる。
そうだ。だからこそ、この歪んだ共感と優越のバランスが、芸能という虚構を支えている。そこにこそ、この国の“真の芸能システム”が隠れているのかもしれなかった。
第4章:馬脚の瞬間
トラブルは、編集スタッフの間でささやかれる一通のLINEから始まった。
朝井ハルカが、系列下請けの制作会社に派遣されていた新人女性スタッフに対し、私的にメッセージを送り、こう言ったのだという。
「スタジオでちょっとパンチラしてたよね。撮っておけばよかったな、笑」
女性は戸惑い、無視した。その後、同様の軽口が続き、やがてスタッフ間で情報が共有された。
局の内部調査が始まり、朝井は「冗談だった」「親しみのつもりだった」と釈明した。
しかし、マスコミに流れた瞬間、それは“地元のチンピラが馬脚を現した”という形で燃え広がった。
椎名誠司は頭を抱えた。彼は知っていた。この展開もまた、既定路線だったのだと。
こうした勘違いをしてしまう人の心理だがこれは単なる知識不足や早とちりというだけでなく、もっと根深い人間の性質が関係しているように思う。
人間は本質的に「認知的倹約家(Cognitive Miser)」であると言われる。つまり、できるだけ頭を使わずに、省エネで物事を判断しようとする傾向があるのだ。複雑で多様な現実をありのままに受け止めるのは、非常にエネルギーがいる。だから私たちは、物事を「AかBか」「敵か味方か」「陽か陰か」といった単純な二元論の箱に押し込めて理解しようとする。
「理系/文系」という分類も、本来は学問の性質を分けるためのものなのに、
いつの間にか「論理的な人間/感情的な人間」「クールな人間/ウェットな人間」といった、人格の二元論にすり替わってしまう。
そして、そこに「体育会系(陽キャ)/文化系(陰キャ)」という、もう一つの分かりやすい二元論が重ねられる。
こうして、「理系=陽キャ」「文系=陰キャ」あるいはその逆、といった極めてシンプルな(そして誤った)世界地図が完成する。複雑な現実を前にした思考停止であり、一種の知的怠慢とも言えるが、そうすることで心の平穏を保っているのかもしれない。
特に、「自分は理系だ」というアイデンティティを強く持っている人の中にこの傾向が見られることがあるように思う。
「理系的思考こそが優れており、文系的な思考は非論理的で劣っている」といった、やや偏った価値観を持つ人が
自分たちとは異なる「文系」という存在を理解するために都合の良いラベルを貼ることがある。
そのラベルとして、「文化系(陰キャ)」は非常に使い勝手がいい。
「あいつらは、俺たちとは違う。なんかよく分からないことをゴチャゴチャ言ってる、内向的な連中だ」。
そうやって相手を単純なカテゴリーに押し込めて見下すことで、相対的に自分の優位性を確認し、安心感を得ようとする。
これは、相手を個人として理解しようとする努力の放棄に他ならない。
法学部で国際弁護士を目指してディベートに明け暮れる学生も、商学部で体育会の主将を務めながら起業の準備を進める学生も、すべて「文系」という箱に放り込み、「文化系だよね」の一言で片付けてしまう。これほど失礼な話もないだろう。
まず、先ほども触れたように、世間に流布するステレオタイプの引力はあまりにも強い。「理系はオタクっぽい」「文系はチャラい」といった、雑ではあるが大衆に浸透したイメージは、誰の心の中にも少なからず存在している。そして、「オタクっぽい」というイメージは、確かに「文化系」や「陰キャ」といった言葉と非常に近い距離にある。この強力なイメージに引きずられて、「理系の対極にある文系は……あれ、でも文系もおしゃれなカフェで本読んでるイメージだし、それってインドア活動だよな……じゃあ結局、文系も文化系ってこと?」というような、迷路のような思考に陥ってしまうのも、無理はないのかもしれない。
また、学問のスタイルと個人の気質に、全く相関がないわけではない、という点も無視できない。もちろん、これは鶏が先か卵が先かの問題ではある。内向的な性格だから文学部を選ぶのか、文学部で学ぶうちに内向的になるのかは分からない。しかし、何時間も一人で図書館にこもり、文献と向き合い、静かに思索を巡らせるという行為が求められる学問(例えば、哲学や古典文学)と、「文化系」的な気質との間に、一定の親和性があることは否定できないだろう。
逆に、大規模な実験装置をチームで動かしたり、多くの被験者とコミュニケーションを取りながらデータを集めたりするような研究分野では、ある種の外向性や協調性が求められるかもしれない。これは「体育会系」のカルチャーと通じる部分があるとも言える。
もちろん、これは極端な例だ。文系にだってフィールドワークで世界中を飛び回る文化人類学のような分野もあれば、理系にだって一人で黙々と数式と向き合う数学のような分野もある。だから、学問と気質を安易に結びつけるのは危険だ。しかし、「何となく、そういう傾向はありそうだな」と感じてしまう気持ち自体は、理解できるのだ。問題は、その「何となく」を、まるで確定した事実かのように一般化しすぎてしまうことにある。
他者を安易にカテゴライズしてしまうのは、自分自身が何者であるかを説明する手軽な方法を求めていることの裏返しなのかもしれない。「俺は理系だから、口下手なんだ」とか、「私は文系だから、数字は苦手で」といった自己紹介は、とても便利だ。自分の個性や欠点を、大きなカテゴリーに属することで説明し、免罪符にすらできてしまう。そうやって自分をラベリングすることに慣れている人は、同じように他人をもラベリングして理解しようとする。その行為が、相手の多様性や個性を削ぎ落とす、暴力的なものであるという自覚なしに。
「文系を文化系(陰キャ)と勘違いしている人」。この一見すると些細な言葉の誤用は、その根底に、人間の思考の癖や弱さ、そして社会に蔓延するステレオタイプといった、根深い問題を映し出している。
アホだなあ、と思う。でも、そのアホらしさの正体を突き詰めていくと、自分の中にも同じような思考の怠慢や、安易なラベリングへの誘惑が潜んでいることに気づかされる。私たちは誰しも、複雑な世界を前にして、分かりやすい物語を求めてしまう生き物なのだ。
しかし、だからこそ意識したい。文系の中にも、灼熱の砂漠で発掘調査をする考古学者がいる。理系の中にも、美しい言葉で科学の魅力を伝える詩人のような科学者がいる。体育会系のノリでチームを率いる文系経営者もいれば、文化系の繊細さでミクロの世界を探求する理系研究者もいる。人間は、そんな簡単な物差しで測れるほど、単純な存在ではない。
「理系/文系」も「体育会系/文化系」も、あくまで人間という多面的なプリズムを、特定の一方向から照らすための、便宜的なスポットライトに過ぎない。一つの光だけで全体を理解した気になったり、異なる種類の光を混同したりすれば、見えてくる像が歪むのは当たり前だ。
次に誰かが「文系って文化系だよね」と言ったら、今度は「アホだなあ」と心の中で思うだけでなく、こう返してみようかと思う。「面白い視点だね。ちなみに、経済学部でアメフト部の主将やってる俺の友達は、君の言う『文系』に入るのかな?」と。そうやって、少しだけ世界の解像度を上げる手伝いができたら、それはきっと、無駄なことではないはずだ。そしてそれは、自分自身が持つ見えない偏見から自由になるための、第一歩にもなるのだろう。
体育会系と文化系という分類における文化系(陰キャ)と勘違いしているやつがいてアホだなあと思った
先日、ネットでとある記事を読んでいたら思わず「え?」と思う記述があった
一瞬、頭がフリーズした。
彼の言っている「文系」と「文化系」が、私の頭の中でうまく結びつかなかったからだ。
ああ、なるほど。
彼は「理系と文系」という学問の分類と、「体育会系と文化系」という人間の気質の分類を
ごちゃ混ぜにしてしまっているのだ。
そして、その後者における「文化系」が持つ、やや内向的、いわゆる「陰キャ」的なイメージを、前者における「文系」全体に当てはめてしまっている。
しかし、その一方で、なぜ彼がそんな突拍子もない(と私には思える)勘違いをしてしまったのか、妙に気になってしまった。
「理系か、文系か」というのは、高校や大学で選択する学問分野の大きな括りのことだ。
ざっくり言えば、自然科学や数学、工学、医学といった分野が「理系」。そして、人文科学、社会科学、法学、経済学といった分野が「文系」。これは、何を学ぶか、どんなアプローチで真理を探究するかの違いであって、個人の性格やライフスタイルを規定するものではない。もちろん、学問の特性が個人の思考様式に影響を与えることはあるだろうが、それは結果論に過ぎない。
一方で、「体育会系か、文化系か」というのは、個人の気質や所属するコミュニティのカルチャーを指す言葉だ。
「体育会系」と言えば、運動部に代表されるような、上下関係がはっきりしていて、根性論やチームワークを重んじる、エネルギッシュで外向的なカルチャーを指すことが多い。いわゆる「陽キャ」のイメージと結びつきやすい。対する「文化系」は、文芸部や美術部、吹奏楽部などに代表される、個人の興味や探究心、内面的な活動を重視するカルチャーだ。こちらは比較的物静かで、インドア、内向的な「陰キャ」のイメージを持たれがちだ。
この二つの分類軸を並べてみれば、両者が全く別物であることは火を見るより明らかだろう。
これはX軸とY軸のようなもので、本来は組み合わせて四象限のマトリクスで考えるべきものだ。
・理系で体育会系:工学部のラグビー部員とか、医学部のサッカー部員とか。ゴリゴリのフィジカルを持ちながら、論理的な思考も得意とする人たち。たくさんいる。
・文系で体育会系:法学部の野球部主将とか、経済学部のアメフト部エースとか。チームをまとめ上げるリーダーシップとコミュニケーション能力に長け、社会の仕組みにも明るい。こちらもたくさんいる。むしろ、営業職などで大活躍するイメージすらある。
・理系で文化系:数学科でチェスに没頭する学生とか、物理学科でSF小説を書きふける大学院生とか。知的好奇心の塊で、自分の世界を深く掘り下げるタイプ。これもステレオタイプな「理系像」に近いかもしれない。
・文系で文化系:文学部で古文書を読み解くのが好きな学生とか、史学科で一日中博物館にいるような人とか。これもまた、一つの典型的なイメージではあるだろう。
このように、四つの象限にはそれぞれ典型的な人物像を当てはめることができる。
そんな単純な話では全くないのだ。
彼が言っていた「文系=文化系(陰キャ)」という図式は、このマトリクスの存在を完全に無視した、あまりにも解像度の低い世界認識だと言わざるを得ない。
では、なぜ彼は、そしておそらく彼以外の一部の人たちも、こんなにも雑な紐付けをしてしまうのだろうか。
いくつか理由が考えられる。
「文系」の「文」と「文化系」の「文」。この共通する漢字一文字が、無意識のレベルで両者を結びつけている可能性は高い。人間は、意味よりも音や形の類似性で物事を連想することがよくある。「文」という字には、どこか「武」の対極にあるような、静かで知的なイメージがつきまとう。「武」が体育会系なら、「文」は文化系だろう、という非常にシンプルな連想ゲームが、頭の中で行われているのではないか。
二つ目は、ステレオタイプの暴走と単純化だ。世の中には、様々なキャラクターの「型」が存在する。特に、ドラマや漫画、アニメといったフィクションの世界では、分かりやすさが重視されるため、キャラクターはしばしば極端なステレオタイプとして描かれる。
たとえば、「理系の天才」は、コミュニケーションが苦手で、白衣を着て研究室にこもっている、まさに「文化系の陰キャ」として描かれがちだ。一方で、法廷ドラマの敏腕弁護士や、経済ドラマの熱血銀行員といった「文系」のヒーローは、弁が立ち、行動力がある人物として描かれることが多い。
こう考えると、むしろ「文系=陽キャ」のイメージの方が強まりそうにも思える。だが、ここで話はもう少し複雑になる。
おそらく、多くの人が「文系」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、
経済学部や法学部ももちろん文系だが、より「文系っぽい文系」としてイメージされるのは前者だろう。そして、ひたすら文献を読んだり、思索にふけったりする文学部のイメージは、確かに「文化系」の活動と親和性が高い。この「文系の中の特定のイメージ」が肥大化し、文系全体を代表するイメージとして認識されてしまう。その結果、「文系=文学部っぽい人たち=文化系っぽい=陰キャ」という、伝言ゲームのような連想が出来上がってしまうのではないか。
人は誰しも、自分の見てきた世界が世界のすべてだと思いがちだ。例えば、その人が通っていた高校のクラス編成が、たまたま「理系クラスは大人しい生徒が多く、文系クラスは活発な生徒と静かな生徒が混在していた」という状況だったとする。その場合、「理系は文化系寄り、文系もまあ文化系寄りかな」という雑な印象が刷り込まれてしまうかもしれない。あるいは、自分の周りにいる数少ない「文系」の友人が、たまたまインドアな趣味を持つ人ばかりだった、という可能性もある。その限られたサンプルから、「文系とはこういうものだ」という法則を導き出し、それを世の中全体に当てはめてしまう。これも、人間が陥りがちな思考の罠の一つだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250614122405
俺がブクマしたんじゃねえ。誰だよまじで
ツイッターで流れてきた草案の切り抜きを見たときは、中学生が精一杯むつかしい言葉を使いましたという香り漂う表現と、憲法の何たるかを一切理解していない内容のダブルパンチにやられて鳥肌が立ってしまったのだが、選挙ドットコムにある以下の記事を見てまるきり印象が変わってしまった。創憲チーム責任者が、どういう流れで草案ができたかを書いたものだ。
https://go2senkyo.com/seijika/184681/posts/1109193
これね。ぜひ読んでみて欲しい。腹筋が捩れるほど笑えるので。
今までのいくつかの常識を取り払わなければなりませんでした。
コンセプトが先にあったのではありません。
これは、日本の国のあり方として方向性や理想であって、今の政治環境で今すぐ全部を達成しなければ憲法違反で許されないというものではありません。段階をふんで、一つ一つ達成していくアイデアだと思って下さい。
この創憲チーム責任者、東大寺学園出身で、京大法学部を出た弁護士だ。頭も多分よいし、法学の知識も当然ある。
だからこれ、間違いなく悪ノリなんですよ。お調子者のエリート男子高校生が休み時間の教室や廊下で友達と不謹慎な話で笑ってるときのあのノリを全国規模でやったのがこれ。同類だから分かる。でなきゃあえて「模造紙で発表」みたいなワーディングしないでしょう。
支持者を心の底から馬鹿にしていないとこんなことできないし、こんな文章書けない。参政党にはこの手の人間が結構いるんじゃないだろうか。だからどうしたってこともないのだが。
我が家は両親ともに高卒だけどたぶん地頭が良くて、長女の私も下の弟と妹もすごく勉強ができる
自分も弟も妹も東大、京大の法学部や薬学部出身で、そもそも貧乏な家だったから私大なんて選択肢にはなかったのだけど
地方から東京や関西に転勤してずっと早慶やMARCH、関関同立が分からなかった、有名な私大って意味は分かるんだけど持て囃される?イメージがなくて
旧帝国大でもないし東大、阪大、京大で医学部とかならまだしもそんなに皆ですごいね!賢いね!とコメントする気持ちに便乗できなくて
そもそも私大って滑り止めか金持ちが行くとこじゃないのか?自分で学歴を開示するにあたってその情報は恥では?とすら思ってた
でもまあ私が地方出身者だから私大のブランディングとか偏差値知らないだけなのだと思って色々調べて
年度によるとしても偏差値80いかないくらいなのかという所感、共通テスト85%?100%以外に点数取りようがないのに?とか
恋人に笑って難関私大の基準って何なんだろうね、センター満点じゃないのにと話したら普通にドン引きされた
怖くなった、自分の認知の歪みもめちゃくちゃキモいんだけど、恋人からナチュラルに人を見下してると指摘されて確かにと思った
他人に今まで押し付けてたっぽいとかいう過去や行動や嘲笑や全部が恥ずかしくてキモくて穴があったら入りたいというか
でも心のどこかで劣悪な環境でも勉強ができた10代の自分への賛辞
翻って恵まれた環境下でさえそれができなかった人間への冷笑が確かにあって
どうしたらいいんだろうな、ミドサーにもなって大学卒業から10年以上経って今更感強いし
日頃は学歴なんて関係ないと思って他人に接して自分は肩書に囚われないところが良いところだとすら思ってたのに
恋人や友人らに学歴を求めたことは決してないし(今の恋人は高専卒、元カレらも有名ではない私大とか、友達の学歴なんか知らん)
自分が学歴フィルターで嫌な思いも良い思いもしたからこそフラットでいるよう努めてたはずが、どうしてこうなっちゃうんだろうな~~~~
必死にこれは他人に見せてはいけない価値観だと思ってひた隠しにしてるけど
インターンの女子大生が昼休みに周りから質問されたときに笑顔で言う
私は関学の経済学部です!って受け答えを聞いたときに出てくる最初の感情がめっちゃうす暗くて嘲笑系でマジで嫌だ
それを理性や論理で振り払って心の奥底に捻じ込んで、おお!すごいねえ!とは足並みそろえて言うけど
期待してるよってオブラートに包んで他人を侮蔑し血縁や自分の過去を理由に高学歴であることを暗に強要しそう
歪んだ価値観、定期的にアプデしたいと思いつつこの年まで残ってるやつってだいぶ強固なので、対峙した瞬間からため息しかない
みんなも勉強頑張ろうな
今まで会った女性は比較的高学歴の人が多いけど、無理に性欲を隠さない人が多かった。
・キスをするだけで発情して童貞(私)を襲ってSEX(早稲田大最難関学部)
・体を触るだけで発情して、太ももに股間をこすりつけた上に物陰に移動してフェラ(難関国立大学→教師)
・肩をもむだけで発情してSEXをせがむ(有名女子大→大学研究者)
・横に寝るだけで覆いかぶさってきてSEX(東大法学部→弁護士)
これがMARCHあたりになると最初は恥ずかしがったふりをする(が応じてくれる)。
日東駒専やそれ以下になると、逆にガードが固くなる。
ちょっと前の話なので今はまた違うのかもしれない。
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88 詳しくはコチラ ん
【回答者】ほら、あなたもエキスパート「orzって何?」【募集】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1228075765/
1:名無しさんの主張:2008/12/01(月)05:09:25ID:sp1rnVwU
http://d.hatena.ne.jp/realiste0/
http://realiste0.blogspot.com/
【前田氏の変遷】
realiste0についての覚書
http://anond.hatelabo.jp/20081129200805
2:名無しさんの主張:2008/12/01(月)05:18:51ID :???
2
3:名無しさんの主張:2008/12/01(月)08:20:43ID:t7rvaga8
やっぱ騙されるより、騙す側にならなきや。
東大ってそのためにあるんでしよ。
4:名無しさんの主張:2008/12/01(月)08:26:01ID:sp1rnVwU
(;V;)イイコトイヴナー
5:名無しさんの主張:2008/12/01(月)08:27:03ID:sp1rnVwU
6:名無しさんの主張:2008/12/01(月)10:53:14ID:t7rvaga8
7:名無しさんの主張:2008/12/01(月)11:56:59ID:aU7qmvFr
あげ
8:名無しさんの主張:2008/12/01(月)12:32:41ID :???
すげー
9:名無しさんの主張:2008/12/02(火)01:46:59ID:BWfLyOkt
あげ
10:名無しさんの主張:2008/12/02(火)02:05:53ID :???
今こそ前田教祖の教えに則り、国家権力を我々国民の手に!国民主権!
ht
久々に東大法学部の人が私に突っかかってきたんだけど、毎日毎日インターネットの更新を頑張ってその程度?
という結果しか出てなくてそんなんでよく人にマウント取れたなって思った
人に散々偉そうなこと言っといて、あなたは成長が止まってるんやなという感じで驚いてる
成長するどころか?嘘ついて大きくなったふりして実態は後ろに下がってる人も知ってるけどね。
下がってるのはスクリーニングしたらすぐわかるのに、嘘がバレてないと信じてる様が滑稽だよ
私?
ここ1年でびっくりするぐらい成長して、SNSやる時間が取れんw
めちゃくちゃSNS中毒だっただけに全然SNS 触ってない自分に驚いてるよ
下手すると1日中見ない