
はてなキーワード:武道とは
テリ本人は動画説明で「23〜24歳のジョージア人で、日本語学習を2021年3月から始めた」と自己紹介しており、日本語学習を強くアピールするコンセプトのチャンネルになっている。
これは、本人がかなり集中的に日本語を勉強し、日本向けコンテンツを作ることを前提にしている “特殊なケース”であると読める。
チャンネルの概要欄・ショート動画では「いつか日本に行きたいジョージア人の生活」「日本語の勉強法」など、日本語学習/日本向け発信がテーマとして前面に出ており、家族や親族・友人も日本語コンテンツに協力して出ている形になっている。
つまり「たまたま日本語がうまい人が多い環境」ではなく「日本語を軸に売りにしているクリエイターの周辺」が切り取られている。
公的な調査では、ジョージアでは日本語学習への関心自体は若者を中心に高まっているものの、日本語を学んでいる人数は英語・ロシア語などに比べれば少数派で、学習機会も一部の大学・語学学校・日本語文化センターなどに限られている。
日本語学習者は増加傾向だが、国全体から見ると「ニッチな外国語」を選ぶ層という位置づけ。
国際交流基金や日本語教育関係の報告でも、ジョージアでは日本文化やアニメ、武道人気などから日本語への関心は「比較的強い」が、学習者数は依然として多くないとされている。
つまり「日本語が話せるジョージア人」はそこまで珍しくはないが、「ネイティブ級の流暢さ+家族や友人も日本語でコンテンツに参加」というレベルは、かなり限定された層とみなせる。
まるで「右襟が前方に来る」みたいな表現でわかりにくい。
この「前」は、方向ではなくタイミングが前であることを指しているらしい。
つまり右を合わせてから左をあわせる。すると前方に出るのは左襟。
各種の和武道を習っていた人とかちょこちょこ温泉旅館に行く人とかはもう右を先に合わせる手順が習慣化してるので迷うことはない。
私も中学高校の体育の授業が柔道だったのでその時に覚えてしまった。
どっちが前か覚えられない人は、懐(ふところ)に物を入れることを考えるとよい。
背広の内ポケットに物を出し入れする要領で、和服でも懐に小物を入れる。
努力ができるできないは、育った環境によって変わるというのは本当なのだろうか。
仲のいいネ友界隈でこの議題が上がった際に、自分の発言で複数人の逆鱗に触れてしまったことがある。
そして、この身内内炎上ともいえることで、自分は平々凡々な人生を送ってきたが、そうではない、もしかすると箱入り息子だったのかもしれない、と思ってきた。
そうすれば、自分が今まで頑張ってきた勉強、音楽、父親の仕事の都合で同行したつらい現地生活……こういったものは全部下駄だったのか。
あるフォロワーが、「今の時代、努力でどうにでもなると思うなよ、」とつぶやいていた。
俺はそこそこ熱血根性のある性格をしているのと、感情論より論理派なので、違うのではないか、と異議を唱えた。
「努力すればどうにでもなる」「今はまだ20代だけど、30、40になっても努力しないつもりなのか」「自分は自分の努力によりいろんなことを叶えてきたし、いい年した20代後半の男だけど、まだ叶えたい夢も目標もある。今が一番若いから挑戦しないのはもったいない」「未成年時代の勉学などの努力を環境がよかったから、で一掃されるのは腹が立つ」
こんなことをいろいろ言った気がする。
俺は中学から進学塾に通い、某都内公立高校上位に進学し、早慶上位学部に進学。父親の転勤、自身の留学で二か国に年単位で住んでおり、英語もTOEICでは満点、現在は普通の会社員として都内の会社に勤めている。テストの点数や学歴は指標としてわかりやすいから載せた。
気持ちとしては能動的に何かをしなきゃ!となったことがあまりなかった。
むしろ、普通の人よりも試練ばかり与えられて、それをコツコツこなしてきた人生だったから、大変だった、頑張った、そんな気持ちが強かった。
父親の転勤による海外滞在は別に自分の功績ではないし、塾も通いなさい、と言われていたから頑張っただけ。英語も現地で身につけないと生きていけないから、頑張っただけ。
大学も同様、周りが東大を目指して頑張っていたから頑張っただけ。
当然ガキの頃なんて勉強もしたくないし、知らない外国人に囲まれたくないし、英語も勉強したくなかった。
附属高校に通って大学進学で楽をしたい、その思いで勉強していたような人間だから、前向きな原動力ではなかった。
習い事としてやらされていた、バイオリンもピアノも別に弾きたくなかった。乗馬だけは好きだった。馬が好きだから。部活の剣道と茶道、弓道も好きだった。
馬と和道・武道以外あまり前向きな思いで動いていたわけではなかった。
そのため努力をせずに、環境がよかったとぐちぐち言われると、なんでこれくらいできないのだろう、嫌々やっていた俺ですらできたことができないってなぜだ、そう思っていた。
逆鱗に触れたフォロワーは父親がいなく、東北の田舎のほうに住んでいた。
東京にずっと憧れていたが、親からは学校なんて行く意味がないと言われ、高校も留年し、当時付き合っていた方に毎日朝起こされて、なんとか卒業したらしい。
今は他人の家に居候し、風俗店の黒服をやっている。趣味はTikTokで可愛い女の子を眺めることと、通話依存症で常にXでスペースを毎日開いている。
音ゲーと太鼓の達人、鉄道、化粧、カメラが好きで、気に入らない女フォロワーのことを平気で女性器の名前で侮辱する。
なんとなくそのフォロワーのおかれている状況は知っていたが、田舎の人は学校に行かなくていい、親が勉強に理解のある人があまりいない、とかなりの人から意見をもらった。
確かに、俺も都内の公立中学校に通っていたが、休み時間に勉強していたりするとマイルドヤンキーたちに絡まれて、いじられたりしていたからそういう層が一定数学歴社会の日本にいることも知っている。
でも、世の中学歴だけではないと思う。
俺はこの議論の時に、「どんなことでも努力している人はすごい」とも意見を述べた。
例えば、彼氏とすごく仲が良くて結婚まで行きそうとか、サブカルチャーに詳しくて自分の知らないことについてたくさん語れる人。
推しアイドルが大好きでその子についてなんでも知っている人、ポケモンカードで大会にたくさん出ていること。
仕事に情熱をもっていて海外赴任までたどり着く人。ディズニーにとても詳しくて電話をすればすぐにわからないことを教えてくれる人。
全部これまた俺の仲いい友達の特徴だ。
これらは全部一種の努力なのではないか?まだまだ書ききれないものはたくさんあるが、どれも自分にはないものばかりだ。
そしてどれも自分が身に着けようものならそれなりの時間をペイしないと得られないものばかりだ。
だから俺はこういった友達を尊敬しているし、一緒にいて知見を得られる。楽しい時間を過ごせる。
努力する人が好きだし、努力できる人はかっこいいとも思うし、そうなりたいとも思う。
そしてこの友達のバックグラウンドはバラバラだ。地方済み、都内一等地住み、離婚済みの親、両親健在、一人っ子、兄弟がいる、奨学金を借りた、大学中退、一流企業に勤めている…
千差万別な環境で育った人の中でもできる努力はあるし、努力によって磨かれた才能があると思うのはあまりにも性善説すぎる考えだろうか。
先ほど挙げたフォロワー自身も、ダイエットで数十キロ落としている。これも努力の結晶ではないのか。
環境が仮に悪くても、自分とは違った努力の仕方をしている人はいるし、それはすごいことだと思うのはいけないことなのだろうか。
あとそもそも、成人したら親が~とか、環境が~とかは一切通用しないと思っている。むしろ成人してからが、親からのしがらみが溶けて本番だと思っている。
そのため俺はいまやりたいことや叶えたいことがいっぱいある。音楽を習い始め、歌の練習もしたり、ジムに通ったりしている。
努力すればなんでもできると思ってしまうのは、性格なのか、幼少期からの凝り固まった考えなのか。
また、この一連の自分の考え方がボンボン箱庭温室育ちの息子なのか、そうではないのか、誰か教えてほしい。
歩行者を追い越そうと逆側までふくらんだテスラが何を思ったのか追い越してすぐに左側にもどらず、対向から走ってきた俺に突っ込んできてぶつかったという状況
歩行者は目の前で車が自転車に突っ込んでいった状況を事細かに警察に語ってくれたので相手の過失のみということになった
なったのだが、何故か保険屋がやけにオラついていて強気でヤバい
「〇〇さんはお仕事をされていませんので補償はいたしかねます」「収入を補償する仕組みなのでない方には補償できません」
いや、まぁ、FIRE組だから無職だろといわれれば無職だけど、継続的にトレードして相応にお金を動かしてるから収入はあるし源泉で税金払ってるから簡単に証明もできるんよ
それを伝えても対応は変わらずやけに無職を強調してきてビックリというか
これ、他人事ながら心配になってきてさ、俺はそれなりに経済的な余裕あるから自分の人生の方が大事だし受け流せるけどさ
無職でギリギリで生活してる人に事故でケガさせた状況で、そんな言葉ぶつけたら一生恨まれてもおかしくないくらいのことを言うわけ
無敵の人ってあるけどさ、そういう人を相手にしてる可能性を考えないんだなっていう驚き?
保険屋はアラサーくらいの女性でさ、武道嗜んでるとか身体的に自信があるような感じでもないのに、何故煽るような発言続けるのか不思議でしょうがない
名刺渡して身元も割れてるのに恨まれるとか想像もしてないんだろうか?
でもアラサーならそれなりに場数踏んでる筈だよなぁ
元々、礼儀を重んじるジャパニーズトラディショナルスポーツであるBUDOに対して
舶来スポーツである競技性の高いYAKYUは低俗なスポーツと見られていた
ところがなんかよくわからん間にYAKYUはジワジワと人気を伸ばしてきて
批判してるほうが空気読めてないよねみたいな感じになってきた際に朝日新聞が繰り出してきたのが
「我々が"礼儀"を教えてYAKYUを正しいスポーツにしてあげよう」というキャンペーン
要するに朝日新聞が自分の失点を取り返してYAKYUビジネスに参戦するために
「礼儀正しい武道のようなスポーツにYAKYUを進化させてあげる。それだったら応援できるでしょ?」
※応援してなかったのはお前や、というツッコミは想定しないものとする
という方向でYAKYUの精神を修正し、実際に全国高校野球選手権(当時は中学だったけど)とかを主催した
ちなみにこれが110年前くらいの話
バスケやサッカーやバリーボールといった舶来スポーツの中で野球だけ異常にBUDO感があるのは
朝日新聞という公的な(!?)新聞社がYAKYUでビジネスするために必要な理屈付だったってこと
YAKYUをやることは「教育にいい」からそれを後押ししてあげてるっていうね
将棋には定跡というのがある。
これは序盤の指し方の中で多くの人に認められている確立された手順ぐらいの意味だ。基本的にはそれを学んで実戦で用いることになる。
しかし中には定跡をわざと外して指す人がいる。そういう将棋を力戦という。
力戦を選ぶこと自体は自由で、事前の研究勝負じゃなくてお互いに初見の局面を作ってその場での力比べを志向するという意味がある。
プロ棋士でも力戦派はいて、近年でもそういう棋士がタイトル戦に出たりすることもあった。武道で言えば「実戦派」なんて言われるような流派の一つみたいなものだ。
もちろんアマチュアにもそういう人たちは数多くいる。しかし……まぁ中にはダサい力戦派もいる。
前述の通り、力戦は力比べを志向するものだ。定跡が定跡であるのはそれがおおよそ正しい手順だと考えられているからで、それを避けて力戦に誘導するのは理屈から言えば損なわけだ。
そんな損をして多少形勢が悪くなろうが、いざ力比べになってしまえば圧倒的な腕力でねじ伏せてやる、ってのが力戦だ。
なのに肝心の中終盤力がなくてヘロヘロの指し手を繰り返す力戦派が少なくない。イキってるだけでいざ喧嘩したら弱いみたいなダサい奴らだ。
そいつらが力戦を選ぶのは単純に相手を惑わせて騙してやろうという魂胆に過ぎない。だから相手に冷静に対応されてしまったらあとはタコ殴りだ。ダサい以外の言葉がない。
そんな奴らと対局することは本当に時間の無駄だと感じる。なーんも楽しくないからね。
ギックリして、やばいと思ってsixpadして腹筋・背筋を鍛えたが、今度は筋がこわばってあぐらがかけない体になってしまった。
結局sixpadはやめて風呂に毎日入るようにして風呂でストレッチしてたらあぐらがかけない体は3ヶ月ぐらいしてあぐらがかける体になったけれど、
違和感なく体が使えるようになるのにはそれから1年はかかったと思う。
一応sixpadしたところで腹筋・背筋はそれなりに鍛えられて、それ以降もそれなりに運動して衰えないようにしているからか、
武道をやるときに先生に注意されるので、姿勢が悪くならないように気をつけているからか、それ以来腰痛にはなってないな。
手首はおかしくなったけど...
学校の体育でやったし、警察官がやってるイメージもある。なんだかんだ言って、日本では一番メジャーな武道だと思うんだ。
でも、考えてみてほしい。テレビで剣道の試合結果がニュースで流れたこと、あるか?大相撲や柔道はあんなに報道されるのに、剣道は全く見ない。
不思議に思って調べてみたら、なんと「世界剣道選手権大会」というものが存在するらしい。1970年から3年に1度開催されていて、2027年には日本でも開催される予定だ。
一番メジャーなはずなのに、一番メディア露出が少ない。世界大会まであるのに、その存在はほとんど知られていない。
3Dプリンタで銃も作れる時代に何言ってんだ?だいたいお前がちょっと武道に自信があろうがトレーラーでトラックで突っ込まれたらなすすべないだろ?
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