はてなキーワード:春休みとは
地域によるけど、もう最初のスマホはAndroidでも普通らしい
下手すると小学6年生の春休みに買い与える時代になってきた。低年齢化。
・親の経済的な意向が勝つ年齢。高校生ならバイトして返すとかいう子もいるだろうが中学生は無理。
12歳に買うか、15歳に買うかの違いは大きい。
・iPhoneが円安あおりでバカ高い。10数万するもの子ども側がねだっても、3年後に買い替えるかもしれんのに、まだ早いって意識が親には出るし、安めのスマホで妥当感がある。
子ども側も、お年玉とかお小遣いとかの貯めたお金の使い先は、スマホ機種のハードより、音楽のサブスクが大事。
ほかにも有料エンタメサービスで動画サービス、漫画アプリとかにお金使えるかの方が大事でハードよりソフトになってきてる。
iPhoneがバカ高くなければiPhone買った上での話になったろうけど、さすがに性能差ほぼ無いのに高いだけになってきてるからね。
あと、学校のタブレット支給が当たり前の世代か、それ以前の世代かでも感性が結構違うらしい。
地域や学校で支給されてる端末に違いがあるから、何に慣れ親しんでいるかは日本全国一律に語れないと思う。
Chromebook使ってた小学校の子が最初のスマホiPhoneじゃなきゃヤダにどこまで影響するかは結構あると思う。
2000年〜2010年生まれの子の世代のiPhone偏重期は一昔前の話になりつつあるよねと言う事
4〜5年前のコロナ禍ごろまではスマホアプリのサービス提供側は、10代の子を取り込むなら、初めてスマホ持つ=iPhoneに最適化してれば必要十分だったんだよ。
そんな話も、ひと世代入れ替わって、今年とかから状況が変わった。
最適化するベンチマークしとく機種にAndroidのどこまでの範囲をサクサク動くように見ておくのか話になってきてる。
iPhoneの最新機種は常にベンチマークしてたけど、大人の既存層もそんなすぐに機種変なんてしない世の中になった。
業界人よろしく最新機種買い替えてた様な人でもここ数年はiPhone最新機種買い換えてないから、iPhone12とか13でも十分なんだよね〜とか言ってるしな。
あと、グローバルで見るとiPhoneってシェア少ないから、グローバルも見据えてるとiPhone偏重は日本のガラパゴス事情なんだよね。
ここ1年とかのトレンドだから、またiPhone偏重に戻るかもしれないし来年にかけてどうなるかわからないけどな。
まあ、今年はもう2025年なんで若者のトレンド語るのなら、2020年データでも5年前のデータだってこと気をつけた方が良い
・1年前期
将来の夢は非常に漠然としていて、志望の専攻もなかったので偏差値や得意教科的に自分にマッチしているだけの大学・学部に入る。
モチベーションは勿論低い。さっそくドイツ語など教養科目をたくさん落とす。専門科目は全滅。
・1年後期~2年後期
正直あまり記憶がないが、サークル活動が楽しかったということだけは覚えている。
楽しい刹那的な記憶と単位を落としまくるという日常的光景は忘れやすいということか。
まあでもこの時期に自分の学部の魅力みたいなものに気づきましたね。
・3年前期
さらにゼミや大学の公務員講座に入るなど環境が変わったが、ここで突然将来に対して恐怖を感じる。
ある日いつものように学校をサボったのをきっかけに日中に外に出ることができなくなり1ヶ月ほど部屋に引きこもり、携帯電話の電源はずっとオフにする。
自殺願望が高まっていき何度も首を吊ってみたが失敗。久々に携帯の電源をオンにしたら、メール数や着信数がとんでもないことになっていた。
あの時は友人にも両親にも先生にも心配をかけさせまくって本当にごめんなさい。
・3年後期
周りが就活の準備をする中、単位が不足している俺はまた精神的に不安定に。
このあたりに留年することを決意し親に通達。何もやっていないという不安感から、春休みに運転免許を取得。
・4年前期~5年前期
完全におかしくなっていた。
学校には一切行かず毎日家でネットばかりし、それでいて「自殺すれば全てから逃げられる」と楽観視する退廃的な生活。
食事は1日1食でコンビニの弁当かマックか宅配ピザのローテーション、おかげでこの1年半で20kg体重増加。
大学の友人達が卒業するときに久方ぶりに顔を見せたけど、みんなから太ったねって言われたね。
5年の夏休みに地元の自治体の試験を受けると親と約束していたが、部屋から出れず地元に帰らなかったことをきっかけに、ここで退廃的な生活に終止符。
・5年後期
ある程度改心。
学期開始前に精神科で検査したが、異常なしという結果だったので大学復帰に自信を持てた。
とりあえずまだ取り終えていない英語とドイツ語の単位を取りに行った。
・6年前期
地域で言うと日本海側→日本海側への移動なのでめちゃくちゃ時間かかります。
月曜日に4つ授業を入れていたが就活の日程的に休みすぎたせいで全滅し卒業できるかどうかでかなり焦り始める。
あ、念願のドイツ語の単位はここで取れました。ちなみにドイツ語の教科書は通算で6冊くらい買いました。
就職が決まってから心の中に「責任」というものが芽生え始めたように思える。
立場が人を作るってやつだろうか。
・6年後期
6年間の中で最も真面目に学校に行ってたし充実してた気がする。皆出席を達成。
卒論は書かなくても一応卒業できる大学だったので、その代わりと言ってはなんだが図書館の本を読書をする毎日。
24年間の人生で初めて読書の楽しさに気付けたし、勉強をする意味みたいなものにも気付けた。もう少し早くこの感覚を持ってていたらねえ。
私はアラサーになってから手芸たのちぃぃぃぃ!!状態になった子持ち女だが
手芸は本当に底なし沼で、編み物、縫い物、刺繍、レジン、ビーズ・・・・・・と沼がたくさんあるしいくらでも時間とお金を溶かすことができるんだよなあ
先日の自分の子供の幼稚園の春休みは、私はミシンで縫うことに自分の時間を溶かした
好みの布を買ってお金を溶かした
春休みだから早起きして園に子供を送ることをしなくていいので睡眠時間を犠牲にして縫い物をやった
キミとアイドルプリキュアのレッスンバッグを子供に作ったら、リアクション薄かった。前回わんだふるプリキュアのレッスンバッグを作ったときはものすごく喜んでくれたけど2回目だからか反応薄かったね
タイトルの通り。
俺たち3人は小中高が一緒の幼なじみ。俺だけ県外の大学に進学して、AくんとBちゃんは地元の大学へ行った。
別にどっちも、くん付けでもちゃん付けでも呼んでないけど、性別が分かりやすいように、ここでは付けて呼ぶことにする。
Aくんは、ずっとめちゃくちゃ友達が多かった。とにかく誰にでも話しかけるし、人の会話にすぐ首を突っ込む。テンションも高すぎて、引いてるヤツも多かったけど。コミュ力がありすぎるコミュ障、って感じ。友達思いのいいヤツだった。
大学1年の4月、5月は、Aくんとよく電話してた。俺は一人暮らしで寂しくて、Aくんしか会話相手がいなかった。
俺が「大学どう?」って聞くと、Aくんは「友達いないけど、Bちゃんがいるからなんとかやってる」って楽しそうに言ってた。履修も被せて、よく一緒に授業を受けてるらしい。傍からみればカップルにしか見えなかったと思う。その勘違いを思い浮かべて苦笑した。
俺が「Bちゃん楽しそう?」って聞いたら、Aくんはちょっと鼻で笑いながら「Bちゃんは大学デビューって感じ」って言った。
「静かなヤツ(まあ陰キャって言いたかったんだと思う)なのに、クラスで一番の陽キャグループとつるんでる。しかも次の学科イベントの主催もやるらしいんだよ」って。俺は「へえ」って、Bちゃんの行動力に感心した。
その後Aくんは「Bちゃんは無理してる」ってずっと言ってた。俺は(まあ大学の最初ってみんな無理するもんだろ)って思ってたけど、Aくんはそれが気に食わないらしかった。
そんな矢先、6月くらいにBちゃんに彼氏ができた。イベントの主催する中で仲良くなったらしい。
俺はBちゃんとTwitterの鍵垢で繋がってる。小中高の身内だけで繋がるアカウントだ。そこでBちゃんが、彼氏の話を永遠にしてるのをみてた。Bちゃんが惚気けるタイプだったとは思わなくてビックリしたけど、俺はBちゃんが楽しそうで嬉しかった。
その頃には俺も県外での暮らしに慣れて、友達もできて、サークルにも入って。大学生活が楽しくなってきていた。
Aくんと連絡を取る頻度は自然と減った。
Aくんと次に会ったのは、大学1年の夏休みに帰省したときだった。Bちゃんも誘ったけど、他の友達と遊ぶらしく「ごめんね〜汗」みたいなLINEと共に、不参加。
久々に会ったAくんは、見た目はそんなに変わってないのに、静かだった。前はテンション高すぎて、マシンガントークをかましすぎて困るくらいだったのに。大人になって落ち着いたのかな、って単純に思ったけど、違った。
俺が「大学どう?」って聞いたら、「楽しくない。友達が1人もいない。ずっとぼっち」って言ったんだ。
驚いた。Aくんとぼっちがなかなか結びつかなかった。
で、Aくんはそのあとに、「俺がぼっちなのはBちゃんのせい」って言った。
え?って思った。
Aくんは
「Bちゃんに『後期は、彼氏がいるからAくんと2人きりで授業は受けられない』って言われた」
らしい。
最初は執着がすごすぎて、あれAくんってBちゃんのこと好きだったのか?って思ったけど、話を聞いてるとそんなことはなさそうだった。要約すれば「Bちゃんに裏切られた」っていう怨念を抱えている感じだ。
「重症だな…」と思いつつ、心のどっかでは、「いやお前も頑張れよ」とも思った。
で、今俺たちは大学3年になったところなんだけど。
Bちゃんは彼氏とずっと付き合い続けている。未だに惚気が止まらないから、相当上手くいってるんだと思う。俺も大学生活は楽しい。
すこし時系列は戻って、Aくんとは、3年生直前の春休みに久しぶりに会った。この前の春休みだ。
そこで見たAくんは、やつれたどころじゃなくて、別人みたいになってた。
元気すぎたAくんが、ハッキリ言えば根暗になってた。陰キャとかでもないんだよな。屍に近い。
なんか台無しだった。失礼すぎるかもしれないけど。
そこでAくんは、2年生が終わったタイミングなのに、「大学ではまだ友達がいない」って言った。
授業は基本ぼっち、食堂も1人、放課後に誰かと遊びに行ったことも2年の最初にサークルの新歓で1回行ったきりない。バイトも合わなくてやめたらしい。今は家でずっとYouTube見てるって。
で、最後にまた言った。
そこからは話の内容も全部同じ。大学1年の夏休みに聞いたセリフを、そのまま繰り返してるみたいだった。「Bちゃんが大学デビューしたせいで、俺は置いていかれた」「Bちゃんは友達作って、彼氏作って、俺を捨てた」って。
お前、Bちゃんが必死で馴染もうとしてたとき、何してたんだよ、っておもった。
お前、Bちゃんの努力を、「大学デビュー笑」って切り捨てて、バカにしてただろ。努力せず、自分からは誰にも話しかけず、謎に全部Bちゃんのせい。てか普通に色々、破綻してるし。
お前、大学に入った2年間、Bちゃんにキレ続けて、なにしてたんだよ。
って思った。
俺は一応「無理やりでも、今からどこかに馴染みにいけば」って言ったけど、Aくんは「大学の友達とか要らないし」って返してきた。
いや友達いないからそんな荒んでるんだろ、と思って、他にも色々言ったけど、もうAくんは「変わる気がない。それよりBちゃんが、」って続けるから、説得を諦めてしまった。
新大学生、今友達いないやつもそこそこいると思うけど、「大学デビュー笑」って傍から言われるくらい、頑張ってみてもいいと思うよ。
最初の方を、冷笑みたいなことしてなあなあに過ごす方がのちのちつらいから。
って思った、ってだけの話です。
春休みで実家に帰省していた。読書と猫と戯れること以外にやることがなかった。文学部だったので就職が不安で狂いそうだった。そうだ、いっそのこと狂ってしまえと思った。左翼にかぶれた教授がやたらLGBTを擁護していたので、俺もいっそのこと片足突っ込んでみるか、と思った。いや、そんなのは半分以上見栄だ。女旱りがキツすぎて、もう男でもいいやと思ったというほうが大きかったかもしれない。
LINE友達募集とかカカオ友達募集みたいな掲示板で、ひたすらホモに声をかけまくった。
「挿入は怖くてできませんが、舐め合ったりとかしたいです」
思ったよりも返信率が低くて、選り好みしてんじゃねーよ、と苛立った。こちとら淫乱テディベアのブツでもしゃぶる覚悟でいたというのに。
よくやく会えそうな流れになったのが、2つ隣の市に住む男だった。深夜、軽自動車を走らせて会いに行った。
指定された場所は、昔ながらの田舎の集落の外れの、田んぼ道の入り口だった。
「到着しました」とメールした数分後、暗闇からいきなり男が現れ、当たり前のように助手席に座り込み、ズボンを下ろした。
俺は会って2秒でそいつのチンコをしゃぶり始めた。闇夜でも分かるほど我慢汁が滲み出ていて、雄臭6割、石鹸臭4割の臭気が直撃した。もっとえずくかと思ったが、意外とスムーズにフェラチオができた。自分だったらどうされたら気持ちいいかを考えながら、右手で睾丸をさすり、歯を立てないよう注意しながら愛撫した。
しばらく続けたが、俺の努力の割に、そいつの興奮は高まっていないようだった。男は申し訳なさそうに、「動画、見てもいい?」と聞いてきた。俺は頷いた。何の変哲もなさそうなAVの女の喘ぎ声が聞こえてきた。運転席から90度体を捻ってフェラチオをしていたので、腰が痛かった。
ようやく男が上り詰めてきたので、俺はオーガズムの到来を邪魔しないよう、一定の強さの刺激を与え続けた。一呼吸置いて、男がくすぐったそうな素振りを見せた。
「あれ? イってない?」
小さなオーガズムだったのか。それともイったふりだったのか。ともかく俺は、自分の唾液と少量の精液が混じったかもしれない液体を早く吐き出したく、運転席のドアを開け、ペッとやった。世の女の子は一生のうちに何回これをやるのだろうか、と思った。
冷静になって見てみると、男は俺の一つか二つ年上くらいだっただろうか。三十路手前くらいに見えた。
「いや、ノンケだよ。生きてる間に一回、フェラをしてみたくてね。そっちはどうなの?」
「オレもノンケ。結婚してんだけど、嫁がヤらせてくれなくて。溜まっちゃってさぁ」
つまるところ、その夜の営みには何一つ多様性や進歩性といった要素は無く、どこまでも女に飢えた男二人の悲しき代償行為だったのである。男の放った精液の少なさが、それを証明していた。
別れた直後、俺は持参してきたリステリンで、何回も何回も口を濯いだ。腰の痛みはまだ残っていた。
最近自宅を購入して引越ししてきたんだけど、ちょうどそのタイミングでお義父さんが飼っていた犬を引き取ることになった。
もう15歳になる老犬で、昨日引き取って来たんだけどよろよろ歩く様を見てたら昔飼ってた犬のことを思い出したので少し振り返ってみたくなった。
前飼ってた犬は俺が小学3年生くらいの時に飼い始めたと思う。
飼い始めたとは言ったけど、当時実際に飼っていたのは俺の家ではなく父方の祖父母の家で飼い始めることになっていた。
毛色は黒に近い焦茶色をしていて、初めの頃はマグカップサイズでとても小さかったのを覚えている。
最初の2〜3年は躾をするのが大事だと父親に教わったこともあり、接し方についてはテレビで見た知識や本で学んだ知識などを元に少し厳しく、でもフェリスが嫌がらない程度の距離感で接していたと思う。
ちなみにその頃に弟はまだ小学校1、2年生だったのもあるせいか、かなり乱暴な扱いをしていて、大人になってからとことん嫌われていた(近づくだけで唸り声を上げられる、噛み付く、呼びかけても一切近寄らない)ので、今後犬を飼う予定がある人は注意したほうがいいと思う。
少し背景を説明すると、祖父母の家は京都にあって俺は関東に住んでいた。
祖父母の家には毎年、お盆と年末年始と春休みなどの学校が長期休暇になるタイミングで遊びに行っていた。
また、フェリスを飼い始めたきっかけは、祖父母の家で元々飼っていた犬(フェリスとは別の犬)が亡くなってしまい、祖父母が落ち込んでいたらしい。その様子を俺の父が見かねてフェリスをもらって来たことがきっかけだったと聞いた。ただ、祖父母たちからしたら当時は新しい犬を飼う気分ではないし、そもそも自分達もあと10年生きていけるかどうかと言うタイミングだったらしいので初めはあまり歓迎していなかったらしい。
飼い始めてからはよく「フェリスが死ぬのが先か、ワシらが死ぬのが先か」と言っていたのを覚えている。
なぜ背景を説明したかというと、実はこの犬、超がつくほど甘やかされて育ったのだ。
と言うのも、フェリスがご飯のおねだりをすると祖父母(特に祖父)はなんでもあげてしまうのだ。
それこそ、朝昼夕の食事時はもちろんのことで、デザートや間食の際にも何か食べているとすぐに寄って来て食べ物をもらっていた。(大好物はカスタードのクリームパン)
また、それとは別に犬用のご飯も追加であって、しかもそれがドックフードではなくキャベツと鶏肉をクタクタに煮た物でそこら辺の犬よりもよっぽど舌が肥えていたと思う。
それに加えて散歩も大嫌いな性格をしており、家の前でおしっこやうんこを済ませたら直ぐに帰ろうとするのである。一度引きずってでも遠出の散歩をしたことがあったのだが、本当に引きずって散歩したために肉球がズタボロになって、翌日以降に悲鳴を上げながら歩いていたので、2度と無理やり散歩をしなくなってしまった。
そんな生活を数年続ければまぁ当然肥満体質になるわけで、気づけば体重10キロ以上あるデブ犬となっていた。
とことん甘やかされた生活を送って来てはいたが、俺は前述の通り正しい躾を意識した接し方をしていたので、
家族の中でも俺と父親の言うことだけは比較的聞いてくれていた。
祖母がくも膜下出血で倒れて緊急手術をすることになり、フェリスの面倒を見れる人がいなくなってしまった。
祖父母の家では面倒が見れないと言うことで俺の家で飼うことが決まり、急遽うちで住むことになったのだ。
うちで住み始めてからは上記のような甘やかし生活ではなく、一般的なドックフードがメインとなり、間食も与えずにまともな食生活を送ることになった。
そのおかげかみるみるうちに痩せていき、1年で6キロ以上痩せることに成功した。
動物病院に連れて行った母親から「お医者さんからどうやったらこんなに痩せれるんですか!?って驚かれたわ」と言う話も聞いた。
一緒に生活してからのエピソードで2つほど事件があったのでそれも紹介しておく。
俺が大学生になった頃の出来事。その日は午前の授業がなく、ゆっくり家を出る日だったので朝食の時間になっても直ぐに起きずにいた。すると、母親が突然「ご飯残さずにちゃんと食べろ!!」と言うお叱りで起こしに来たのだ。まだ飯を食い始めてすらいないのに何故残してる扱いされるのだ??とリビングへ向かうと、白米が入ったお茶碗の横に空となった小皿が置いてあった。そしてふと横を見ると口をもぐもぐと動かしているフェリス。そう、俺のおかずを食べられていたのだ。
その日のおかずはメンチカツで、すぐさま「お前〜〜〜〜〜!!!!」とブチギレて口元を抑えると、油まみれの口元で「え?なんですか??」と言うとボケた顔で目線を逸らすフェリスだった。
この事件以降、ご飯の準備する時にはフェリスから目を離さないようにするが鉄則になったのであった。。。
俺が高校卒業して直ぐの頃、平日で朝からずっと自分の部屋でゴロゴロしていた時にパートから帰宅した母親から「チョコレートのゴミはちゃんと捨てろ!!!」と言うお叱りを受けた。
チョコレートなんて食べた覚えがないが?と疑問符だった俺がリビングへ向かうと、床にはからになったチョコレートの箱とビリビリに破かれた銀紙が大量に散らばっていた。
何これ、、、とふとフェリスの方を見るといつもより若干興奮気味に尻尾を振りながらこっちを見ていた。
すぐさま吐き出すように手を突っ込んだりもしたのだが、噛みついてくるし吐く気配がない上に食べてから結構時間が経ってしまっているようで、もう手遅れと言うような状態だった。
ちなみにそう簡単にチョコレートが食べられるような場所に置いてあったのかというと、そう言うわけではない。
一般的な高校生用の手提げバック(チャック付き)の中にしまってあり(弟のバック)、
さらに箱の中に銀紙で包まれた状態で入っていた。(一口サイズの小さいチョコが銀紙で包まれてるタイプ)
匂いとかもバックの中にあるときはそんなに匂わないはずなのに、フェリスはバックを開けて箱を取り出し、箱の中から銀紙で包装されたチョコを剥がして食べたのだ。
その時ほどこいつこんなに賢かったのか?と困惑したことはない。
その後、1日はいつもよりも興奮気味ではあったが、他には特に異常がないところを見て、祖父母に育てられていた時には一体何を食わされていたんだろうと心配になったのであった。
※犬にチョコレートは絶対に食べさせてはいけません。皆さんは犬を育てる際にはチョコレートを与えないようにしてください。
また、もし万が一誤って食べてしまった場合は最寄りの動物病院へ相談に行ってください。
この二つのエピソードは今でもうちの中では鉄板ネタとなっていて、事あるごとにみんなで話している。
そんなバラエティに事欠かない犬だったが、5年前の2020年4月に亡くなってしまった。
ちょうど世間がコロナで騒がしくなり始めた頃だったので、よく覚えている。
亡くなる前日にあれだけ食いしん坊だったフェリスがパタリと何も食べなくなって、衰弱していくのを見て「ああもう長くないんだな」と思ったのを覚えている。それで試しに生クリームを口元に近づけたところ、食い気味にぺろぺろ舐め始めたのを見て笑ったのも印象に残っている。
とにかく食いしん坊でまんまるに太っていて、可愛らしい犬だったなぁ。。。
ちなみにフェリスが亡くなってから一月も経たないうちにうちの父親はまた新しく犬を飼い始めたのだが、それはまた別の話なので違う機会に話すとする。
そんなわけで、愛犬を失う悲しさや寂しさを知っている俺の身としては今から妻のメンタルが心配になっているのだが、二人と一匹でこれからも頑張ろうと思う。
1番最初は学生の頃で春休み中、2回目は学校を忌引で休み3回目は職場の年末年始休暇中であった。
4回目は夏季休暇の最終日に亡くなり、本来ならかなり遠方まで葬儀に行かなくてはならなかったが家族の者が一人で行くというので私は行かなかった。
ただ当初は行く予定で数ヶ月前から体調が悪いというのは聞いていたので早めに職場には伝えていた。
その後亡くなった時に会社にはその事を伝えておらず、その2ヶ月後に仕事が忙しく手が空いている人が何も手伝ってくれず少数の従業員だけが毎日残業をしたり週末は休日出勤をしていたが
精神的にも肉体的にも疲労がたまり、転職を考えるようになった。
ふと前から伝えていた身内の者が今亡くなったことにして忌引を使おうと思い、有給も組み合わせて5日程連続して休むことが出来た。
家族葬でやると言い香典も辞退し、遠方に行くという体だったので会社関係の人が来ることはなく証拠を求められることもなかった。
本来ならいけないことだが一部の従業員だけが忙しく働いていることについて職場には全く理解してもらえなかったし、身内の不幸と言うことで休んでも文句を言われることもなくあのまま仕事を続けていたら精神的にもおかしくなっていたと思う。
5回目は先月だが本当に身内が亡くなり、職場には家族葬でやると伝え香典も辞退したが地元だったので実際に社長やお世話になっている先輩が通夜に来て香典をいただいた。
ずっと高速バスで移動していたのだが、この春休みの旅行シーズンで席が取れず、社長まで申請を上げて許可を得て新幹線に乗車した。
快適だった。
ずんだもんなら、ふんわりとしか考えずに話してしまうけど、都立中高一貫校の合格に向けて、いくつか大事なことがあるみたいなのだ。 まず、Z会の通信教材は、私立中学の受験にはかなり役立つけど、都立中の対策にはちょっぴり中途半端なのだ。他の方が言っているように、都立中の過去問をガンガン解くのが効果的みたいなのだ。 作文対策もかなり重要そうで、小5の春休みから集中して取り組むといいらしいのだ。作文と適性検査、特に適性検査1の読解問題と記述解答に力を入れるべきって感じみたいなのだ。模試の難易度が色々で、本番の都立中とはちょっとズレがあるから、どうせなら自分の立ち位置を確認する程度にするのが良さそうなのだ。 「銀本」という問題集にはちょっと注意で、あまり都立中向けではなかったって話だから、過去問を解く方がいいのかもなのだ。 どんな学校を受けるかは、公開授業や文化祭を見学しながら決めるといいかもね。無責任だけど楽しみながら受験準備するのが一番なのだ!頑張ってなのだ!
もともと塾通いするには条件が厳しかったため、4年生からZ会の通信教材で中学受験の準備を進めていたが、本人の希望により都立中を第1希望にする。6年生になって以降はZ会の通信教材と並行して過去問を中心に自宅学習、夏・冬だけは他の志願者のレベルを体感しておく目的もあって塾(Z会)で講習を受けた。模試は首都模試・enaで計5回。
Z会の教材は私立中を受けるなら必要十分な内容だと思うが(学習は親が手伝わないと無理だろうし、難関校を受けるなら問題集での演習を追加すべき)、都立中の受検準備としてはあまり役に立たなかった。コースとして「全国の公立中高一貫校」が対象であるため、都立中に特化した対策としては無駄が多い。都立中は各校とも過去3年分くらいは検定問題を公開しているので、それを集めて演習するほうが(特に適性検査3の対策では)効果的だった。
一方でZ会の教室(講習)は、子供の満足度も高く、親としても「課金圧力がきつくない」等の点で好印象。先着順だったが無料で模試を受けられる機会もあったので、通信教材をやっていない場合でも、選択肢に含めて良いのではないかと思う。
模試に関しては、実際の検定問題と比べると難易度の設定が微妙で、あまり参考にならなかった。首都模試は全体的に易しく、enaは難しすぎる問題が散見され(まあ実際の検査問題でも「正解できる小学生いるのかよ…」という問題はたまにある)、どちらも作文課題の採点は(仕方ない面もあるにせよ)大雑把。そもそも都立中は設問あたりの配点が大きく、得点にブレが生じやすい。実力を測るというよりも、志願者の中での自分の位置を確認する程度で良いかと思う。ちなみに我が子の場合、enaの学校別模試で、9月はA判定、11月はD判定だった。
自宅学習で都立中を目指す場合、最大の課題となるのは適性検査1。例年は100点満点で読解が20点✕2問、作文課題が60点という構成だが、読解問題も記号選択ではなく記述解答だし、作文は事前の準備が必須なのに加えアドリブ能力も要求される。我が家の場合、小5の春休みに作文対策を集中的に行い、あとは受検直前の追い込み時期に「自分の体験を踏まえて書く場合」のパターンを幾つか整理した。結果的に適性1で75点取れた(得点開示済)のが結果を大きく左右したと思われる。
別の面から見れば、私学難関校と都立中を併願する場合、作文対策に絞って2科校(=適性検査が2科目)を受けるのが効率的だろう。適性3は各校に特化した対策が必須であり、そこでだいぶ時間を取られることを織り込んでおくべき。
適性3対策としては、受けたい学校だけでなく、他の学校の適性3の過去問を一通りやっておくのが良い。というのも、受験業界でも都立中のマーケットは小さいためか、適性検査に関しては良い問題集が見当たらず、各校の過去問を多少アレンジした問題を載せているのが大半である。それなら過去問をそのまま解いても大差ない。「原則的に、解答する上で不要な情報は提示されない」というセオリーが理解できれば(=ある程度やれば掴めると思う)、入試で勝負できるレベルに達しているのではないか。但し、「正解が1つではない問題」が少なくないので、採点・解説の際は注意してほしい。付言すれば、3科校は適性3が独自作成問題だが、それぞれ校風が反映されている印象がある。できれば公開授業や文化祭などを見学して、お子さんに合った学校を志願すべきだろう。
なお、「公立中高一貫校適性検査問題集」、いわゆる「銀本」と呼ばれる、全国の公立中高一貫校の適性検査問題を収録した冊子が毎年出ている。これが必須教材のように言われているが、私見では効率がかなり悪いため、やる必要は無いと思う。都立中では出題されない内容・形式の問題を解く必要性が薄いことはご理解いただけると思うが、なまじ収録された学校数が多いため、解くべき問題の優先順位を付けるのが非常に面倒くさい。さらに、模範解答は載っているが解説は割愛されているので、採点・解説の手間が煩雑である。結局、我が家は買うだけ買ったものの、開かずじまいだった(そしてブックオフで処分したら100円だった)。
都立中どうしの併願は不可能だが、我が家の場合は近隣に算国のみで受験できる私学(なかなか雰囲気の良い学校だった)があったので、算数の文章題対策だけやって2月1日に受験。ここで無事に合格できたため、心理的にはだいぶ楽な展開になった。結果的には、ここと都立中の2校しか受けていない。
一般論として、近年は難関校を避けて確実性の高い併願戦略を組む例が増えていると聞くが、都立中も例外ではない。昨年との比較では、上位校かつ3科校である小石川は志願者が(一般募集は155人なのに)130人減った一方、中堅校や2科校はそこまで減っていない。
これでどんな事態が起こるかというと、都立中でも上位校とされる小石川・両国・武蔵あたりは「ガチ勢」しか受けに来ない一方、安全策を取った受検生が中堅校に流れてくるため、かえってそちらの競争が激しくなったようだ。
我が子の通う市立小学校だと、受けるなら武蔵・立川国際・南多摩あたりが選択肢となるが、武蔵(3科校)は倍率(2.28倍。追加合格者も含めれば2.06倍)なりの合格率だった一方で、南多摩(2科校)は軒並み討ち死にした模様。前述した理由から私学との併願で「ワンチャン狙い」の志願者も少なくないこと、さらに武蔵を敬遠した受検生が南多摩に回ったことが原因だと思われる。