Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「教育」を含む日記RSS

はてなキーワード:教育とは

次の25件>

2026-02-13

中学受験否定する人が多くてびっくりした

よくある中学受験体験談記事ホッテントリに入っていたのでブクマを見てみた。

中学受験に対する否定的コメントスターの多さにはびっくりした。

子供競争をさせるべきでない、無理な負担をかけている、時間と金無駄である、云々。

合理的に考えると、中学受験は極めて効率の良い投資なのは間違いない。

日本社会学歴によるトラック分岐が依然として強固に存在している。

上位の中高一貫校大学進学実績で明確な優位を持つ。難関大学への進学率は公立中学経由と比較して明らかに高い。難関大学卒業者は生涯賃金平均値も高い傾向がある。入口での選別は出口の収入に強く影響する。

教育支出ではなく資本投下だ。リターンが長期にわたり複利的に積み上がるタイプ投資だ。

子供の段階で適切な環境に入ることで周囲の基準値が変わる。努力の方向も変わる。情報の質も変わる。人的ネットワークも変わる。

その差は時間とともに拡大する。

否定的コメントを書いている人たちはその構造理解しているのかいないのか。

この際そんなことはどちらでもいい。

子供がかわいそう」という感情を優先させるなら思想自体尊重されればいい。

だが少し考えて、これはこれで都合が良いとも思った。

中学受験有効性を理解する家庭が増えすぎると競争が激化する。枠は有限だ。全員が参加すれば優位性は希釈される。

教育コストの高さは参入障壁として機能している。塾代、教材費、時間的拘束。簡単に真似できるものではない。

多くの人が否定し続ける限り、競争相手は増えにくい。

全員が合理的に行動する社会は息苦しい。全員が同じ最適解に到達すると差は生まれない。格差構造的に維持されることで意味を持つ。

中学受験否定する人たちはそのままでいてほしいと思う。

無理に説得する必要はない。信じない人は信じないままでいい。

参加者限定されている状態の方が投資としての価値は維持される。

教育に対する認識の差はそのまま将来の差になる。

情報格差経済格差に変換される。

理解している人だけが行動すればいい。

無知な人が減りすぎると競争過酷になる。

無知な人は無知なままでいることが結果的に均衡を保つ。

教育コストが増えることで少子化もつながる。中学受験否定する人は低コストで沢山子供を育ててほしい。

日本社会の維持のためには多様な考えが必要なのだ

Permalink |記事への反応(2) | 18:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

今の若者批判を嫌がると左派が嘆くけどさ

そういう考え方をするように育てたのは立憲・公明の主たる支持層である50代、60代、70代だろ?

教育の成果だよ

教育の結果、自民だけで衆議院で7割占めるようになった

Permalink |記事への反応(4) | 17:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

いじめ動画問題を受け

文部科学省各自治体の教育長を集めて

SNSリテラシーの再教育

を求めたとのこと

 

文科省的にはいじめられても文句を言うなってことらしい

Permalink |記事への反応(1) | 16:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260213152339

そもそも産業革命のあとずっとこのパターン先進国からどんどん安い国に行くというパターンじゃない?

家電とかパソコンとか車とか

車はまだ日本ドイツが頑張ってるが

これ逆に巻き戻すパターンあるのかね?

巻き戻らない気がする

過去に栄えた国ってそういうとこではないとこでやってるじゃん

イギリス金融教育とか

オランダ半導体とか石油とか握ってたりとか

Permalink |記事への反応(0) | 15:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

介護経済

私が素人ながらケアニューディール https://note.com/taomorohoshi/n/n022e9aa48349 としてjabiで発表してきたことと多分同じで。

通貨発行権のある国家は利潤(税収)無関係に公定価格介護報酬等)を設定して支払える。

その為、その支出でその産業名目賃金を増やせ、名目成長させる(GDP政府最終消費支出)。

ここまでは表層。

1/

次に、単価を国家が設定出来るので、他産業より高単価(利用者には無料)にも出来るので、【労働移動】が起こる。

すると他産業人手不足になるため、自動化投資賃上げに追い込まれ、物的労働生産性付加価値労働生産性が上がる。

また、介護自体は低炭素労働でもある。

2/

炭素労働への労働移動は、環境負荷の多い分野のブルシットジョブから労働退出を促す。

介護は人以外に資源を使わず(まあエレベーター設置とか社会全体が備える設備含めるとわからないが)、製品を輸出する為に資源を輸入、みたいなのが不要

人以外は低資源環境面での持続可能性が高い。

3/

持続可能性、と言う面でもう一つ述べると、生命再生産、労働再生産の持続可能性を担保する。

ヤングケアラービジネスケアラー介護離職の話。

家族介護で進学断念損失。

外では賃労働。家では無償ケア労働。いつ寝るの?という話で、賃労働パフォーマンス生産性は落ちる。

4/

寝る暇もなく疲弊した状況(介護離職の場合は更に金銭的余裕が無くなる)で、恋愛生殖不可能

仕事介護家事子育て(の前の生殖に至る交際)を全てこなすの不可能

たまにこなせる人もいるが、持続可能ではない。

生命再生産(疲れて帰り、翌日元気に働ける条件)は

5/

生命再生産は家庭内ケア労働で行われる(これが無償有償か、自費か国費かの影響は後述)。

昭和はこれを妻が担っていた。

男性商品生産企業労働で担った。

労働再生産は要するに生殖教育

その再生産にかかる費用再生費用)を、企業も昔はある程度は支払っていた。

6/

現代は、と言うか資本主義では、この再生費用の不払いが可能な限り徹底される。

資本蓄積の本源は、他国からの略奪、労働から搾取のほか、家庭内で行われる労働者の生命再生産にかかる費用無償化することで得られる。

まりケア労働こそ資本蓄積の真の本源である

7/

利潤のために資源を枯渇するまで採取すればその資源活用していた産業は終わる。

同様に、ケア労働も枯渇すると社会再生産、労働再生産が不可能化する。つまり資本主義というか経済が終わる。

8/

介護保育などに代表されるケア労働無償にして、なお枯渇させずに生命再生産を可能たらしめるには、企業内賃労働者を家庭内ケア労働従事させねばならない(つまり介護離職)。

その上で賃労働再生費用を組み込むには、賃上げ強制するしかない。

9/

そうでなければ、次世代労働者を産み育てる経済的余裕が失われる。

あるいは、企業内賃労働家庭内無償ケア労働者を労働移動(いわゆる女性社会進出)させたまま、再生産を担保するには、再生産を外部委託する他ない。

まり介護サービスや保育サービス

が、これには外注費がかかる。

10/

この外注費(介護育児の他に、外食クリーニング家事外注)を自己負担できるなら、それはつまり企業再生費用を支払っていると言うことになる。

前述の様に、それは企業の利潤、資本蓄積を困難にするため、まず望めない。

ではどうするか。

政府が支払うしかない。

11/

政府再生費用を支払うときに税や社会保険料、自己負担で取るか、通貨発行で支払うかがある。

前者は累進性が高くなければ、あるいは労働組合などが強くなければ結局は労働者が支払うのと同じことになる。

だとしても支払わなければ資本主義が終わるので支払うしかないが、後者でもいいはず

12/

後者通貨発行で再生費用を支払う)だと、企業は長期での労働者を確保でき、国内消費者も確保できる。

市場労働力が確保できて、更に再生費用を不払いにして置けるので(それがいいとは思わないが)、投資がより大規模に可能となる。

13/

ただし前述のように、国家再生費用を支払うとは、有償ケア労働者を確保することを意味するので(それが家庭内ケア労働への移動か、介護施設や訪問ヘルパーなど公的ケアサービスへの労働移動かはさておき。後者の方が効率的ではある)企業賃上げ圧力は常にかかる。

14/

上の方で書いてたこととだんだんループしてきたが、このことが全体の賃上げ寄与するし、そもそもケア労働ケア責任魔女裁判から続く女性への抑圧で実現し得た、無償再生装置としての立場)は女性に負わされ、それを公定価格の据え置きで国家低賃金に固定してきた訳で、

15/

女性低賃金資本主義国家が作り出したものと言って過言でない。

介護保育など公定価格の引き上げは経済成長云々の前に不正義の是正として避けられない面もある。

経済成長としては14で言いそびれたが(もっと上で述べたか賃上げ圧力自動化投資圧力でもあり、これが生産性向上である

16/

ポストが短文を細切れなのでだんだんループして、論点も忘れてきたが、とにかく【生産再生産が強固でなければ持続し得ず、ケア領域とは再生領域である

ということ。

経済成長したければ再生産を取り戻せ!

という事でとりあえず終了。

17/17

https://x.com/MorohoshiTao/status/2022131879055663466

Permalink |記事への反応(0) | 14:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

AIはお前の会社ことなんかほとんど知らない

世の中のAI導入プロジェクトの大半がコケ理由はコレ。

お前の会社ことなんかAIに聞いても無駄だよ。

AI導入の扇動家がよく言う「失敗したのはお前らの使い方が悪いせい」ってのも半分は言い逃れなんだよな。

もちろん使い方が悪いのもある。

けど、そもそもAI会社のことを教える覚悟と準備が足らない場合が多すぎる。

経営のことをAIに聞きたいなら経営判断に必要情報AIに渡さなきゃならんが、そもそもそのデータがキチンとどこかにまとめてあるか?

ほとんどの場合はまとまってない。

データを端折りまくった報告用のパワポ食わせたってそこに書いてある以上の情報なんかAIは探してくれない。

業務の一部にAIを使いたいならその処理内容がキチンと資料に纏まってるか?

新人教育を終えた社会人向けの資料では不十分で、職場体験に来た高校生に教えるレベル資料必要だ。

そしてほとんどの場合AIの出力を人間がチェックする工程がまだ必要だ。

会社独自専門用語部署名やその略称従業員評価制度、そういった「インターネットに転がってない情報」はAIに教えなきゃならない。

そういうところをよく考えずにチョロっとAI試してみよう、なんて上手くいくわけない。

ミスが許されないところにAIを使いたいなら人間サポートしなきゃならん。

ミス可能性は人間にもAIにもあるが、人間と違って現状のAI経験を積めない。

いつまで経ってもコツを掴むことはないし、モデルバージョンアップすると挙動が変わる。

扇動家AIドライバーのように使えると喧伝するが、実際は工作機械みたいなモンなんだよな。

素人が使い方を間違うと怪我をする。

現状でAI活用したいなら、教えることが少なくて済む作業を少しずつ任せていくか、教える情報をまとめる仕組みを大金かけて整備してからAI導入するか、どっちかになる。

前者は初期コストは低いけど成果が映えないから次に繋がりにくいし、後者はその覚悟を持ってる企業なんかそんなにない。

難しいよなぁ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

どの男性層が婚姻から脱落しやすいか統計

結論世界共通傾向)

✔ 最も脱落しやす男性

年収

低学歴

不安定雇用

社会的ネットワークが狭い

都市部競争が強い

これはOECD日本研究欧米研究でほぼ一致しています

年収婚姻確率(最重要ファクター

女性パートナー選好

オンラインデーティングデータ研究では

女性

👉自分より教育収入が高い男性を好む傾向

男性は逆(年齢若い女性など)

確認されています

さらにこの研究では

👉収入恋愛成立に極めて重要

👉収入適合率は約95%

と報告されています

日本年収別の婚姻確率代表的研究まとめ)

複数国勢調査厚労省分析統合すると:

男性30代婚姻率(概算)

年収      既婚率

200万円未満 約10〜15%

200〜400万 約30%

400〜600万 約50%

600〜800万 約65%

800万以上 約75%

複数研究平均値

👉収入日本ではほぼ婚姻フィルター

学歴

一般傾向:

大卒男性結婚確率が高い

非正規雇用男性は未婚率が突出

これはOECDほぼ全域共通です。

雇用安定性

特に日本では影響が大きい。

正社員男性

結婚確率が大幅に高い

非正規男性

→ 未婚率が2倍近い

Permalink |記事への反応(0) | 14:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

男の性欲の辛さは、適切な性教育人権教育を受けていないからです。

自分の性欲解消のために他人の人体を使えると思ってることが間違いです。

他人の足を踏む権利があるはずなのに踏んだら怒られた」なんていう辛さを慰めてもらおうなんて図々しいにも程がある。

他人の足を踏む権利はありません。

Permalink |記事への反応(0) | 11:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260213112527

あーでた

バカか!理解できた?コンボ

おまえより遥かにIQ教育レベルも高いよ

おまえは自分のいうことが通じないとバカがあ!だもんな

実際にバカじゃなければ他人自分のいうことわからないのは生まれからずっとそうなので

ばかがあ!とか理解できたかあ!!とか言ってたら生きてけないんだよね

Permalink |記事への反応(1) | 11:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

左翼壊滅は民主主義成熟帰結である

アメリカ哲学者ウィリアムジェームズは、「プラグマティズム」という哲学提唱した。プラグマティズムを体系化し教育政治など多方面に影響を与えたのが、大哲学者ジョン・デューイであり、日本国憲法が当時でも有数のリベラル憲法になったのは、デューイの教え子の影響が大きい。

ウィリアムジェームズ政党間の「good temper」(穏やかさ、冷静さ、寛容さ)を重んじる。敗北した側が不平を言わず、静かに次の機会を待つ態度を説く。これが失われれば、民主主義は退廃(degeneration)するとジェームズは警告している。

この考えは、プラグマティズム民主主義観(試練のプロセス市民的習慣の積み重ね)を象徴し、政敵への誹謗中傷を強く否定する基盤となっている。

中道と旧左翼の退潮は、国民成熟し、誹謗中傷武器にすることの邪悪さに気がついたからだとも言える。憲法精神に今こそ立ち返り、民主主義実践することができる基盤がようやく生まれたのかもしれない。

米中露がいずれも専制に傾きつつある現在で、国民が「民主主義価値」を理解するまで成熟したことに、かすかな希望を感じる。

下記は引用

「すべての国にまさって祝福された国とは、市民天才(civicgenius)が日々救済を行う国である……外部的に絵になるような行為ではなく、合理的に話し、書き、投票し、腐敗を迅速に打ち砕き、政党間で穏やかな態度(good temperbetween parties)を保ち、人々が真の人物を見抜き、狂信的な党派主義者(rabid partisans)や空虚ペテン師empty quacks)ではなく彼らを指導者に選ぶ国である。」

民主主義はまだ試練の最中にある。我々の市民天才(civicgenius)はそれの唯一の防壁であり、法律記念碑も、戦艦公立図書館も、大新聞も活況を呈する株式も、機械発明政治的機敏さも、教会大学公務員試験も、内なる神秘(inner mystery)が失われてしまえば、我々を退廃から救うことはできない。あの神秘は、一度に我々の英語を話す人種秘密であり栄光でもあるが、二つのありふれた習慣、二つの公的生活に持ち込まれた根強い習慣以外に何もない——修辞的に表現するに値しないほど平凡な習慣だが、人類が得たものの中でおそらく最も貴重な習慣である。その一つは、反対党が公正に勝利したときに、訓練され規律された穏やかな態度(trained and disciplined good temper towards the opposite party whenit fairlywinsits innings)を持つ習慣である。」

Permalink |記事への反応(1) | 10:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260213084656

教育のたまものか、大多数の精神自衛ならやむなしって感じだと思うけどねえ

こちから積極的ミサイル撃ったりはしないけど、領海領空侵犯ミサイル飛ばして来たら戦争になってもしょうがなくねって人が多いんじゃないか

どこから相手攻撃かっていうのは個人差がありそう

本土上陸なのか、領域侵犯だけなのか、台湾含めた領域外をどう取り扱うのかとかね

Permalink |記事への反応(0) | 08:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

https://x.com/Kosodate_Ogawa/status/2015717584046522435 記事 新しいポストを表示 会話小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者 @Kosodate_Ogawa 協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育て現場から考える、個別最適と公共性の再設計

はじめに──違和感の正体を、構造として考えたい

最近教育現場SNSで、ある種の"すれ違い"を目にする機会が増えました。

注意されたり、期待と違うことを言われたりすると、「自分とは合わない」と、そこでの人間関係のものリセットして離れてしまう。自己主張は強いのに、親や社会に支えられている事実への自覚が薄い。大人の側にも、責任を引き受けるより先に「自分権利」だけを語ってしまう振る舞いが見える──。

あなたも、こうした光景に心当たりがあるのではないでしょうか。

もちろん、これは特定世代批判しようとしているのではありません。私が今回考えたいのは、「その振る舞いが"合理的"に見えてしま社会の側の条件」です。なぜ今、対話よりも離脱が、協力よりも防御が選ばれてしまうのか。その背景には、私たち大人が気づかぬうちに変えてしまった「学びの物語」の喪失があるのではないか──。

そんな折、教育者中土井鉄信先生Facebook投稿出会いました。

そこで語られていたのが、「学びは公共財である」という視点です。教科書は、人類が積み上げてきた英知の集積であり、私たちはそれを受け取って生きている。だから学びは「自分のため」だけで終わらない。受け取ったもの社会に返していく視点が欠かせない──。

この言葉に触れたとき、私の中で点が線につながりました。

依存」「消費化」「対価志向」「関係短期解約」──これらは別々の現象ではなく、学びの位置づけの変化と深くつながっているのではないか

本稿は、その問題意識を整理し、立て直しの方向を考える試みです。中土先生問題提起へのリスペクトを込め、私が現場で向き合い続けてきた実践から、その解決の糸口を提示したいと思います

学びが"公共財"として扱われなくなると、何が起きるのか

学びや知識には、個人の便益(成績・進学・仕事)だけでなく、社会的便益があります社会一定ルールを共有できること、言葉が通じること、協力が成立すること。その基盤には、学校教育読書を通じて広がる「共通の知」があります

ところが近年、学びは少しずつ、「社会の基盤」よりも「個人投資」「購買体験」に寄って語られるようになりました。

どれだけ得をするか

どれだけ早く成果が出るか

お金を払っているのだから満足させてほしい

この枠組みが強まると、学びの場は「関係を育てる場」ではなく「サービスの場」に近づきます。すると、注意や指摘は「成長のための調整」ではなく「不快体験」になり、合わなければ話し合うよりも「さっさとその場を去る(離脱する)」ほうが合理的、という判断を招いてしまうのです。

「うるさい!もうやだ!こんな学校(塾)辞めてやる!」──この叫びは、わがままではなく、ある意味消費者としての合理的選択になってしまっているのです。

学びが「買うもの」になったとき私たちは何か大切なものを失いました。それは、学びを通じて人と人がつながり、社会を共につくっていく物語だったのではないでしょうか。

かつての日本が持っていた「学びの回路」

私が子どもの頃、勉強が得意な子に向けて大人が「末は博士大臣か」と声をかけることがありました。実際私も、祖母祖父、近所のおじちゃんたちに、何度となく聞かされたフレーズです。

今振り返ると、そこには単なる出世願望だけではなく、「力を持つなら、社会に役立つ人になってほしい」という期待が含まれていたように思います欧米で言われるノブリス・オブリージュ(地位能力を持つ者の社会責任)も、根は同じです。

かつて学びや能力は、個人利益で完結するのではなく、社会に返していく回路の中に置かれていました。この感覚は、言葉にされなくても、日常の中で自然に共有されていたのです。

この回路が弱まると、学びは単なる「受け取るもの」になりやすく、結果として「対価がなければ動かない」という感覚が広がります。それは個人問題というより、学びの物語社会が共有できなくなったことの反映ではないでしょうか。

私たちは今、この失われた回路を、新しい形で取り戻す必要に迫られています

自分との「不一致感」が、関係を壊していく

人が社会他者と健やかに関わるために、最初必要なのは規範」でも「協調性」でもないと私は考えています

私が多くの親子と向き合う中で、それら以前にもっと手前の問題として感じるようになったのは、「自分自身との一致感を持つことができていない状態」で生きている人が想像以上に多いという現実です。

たとえば、次のような振る舞いが見られるとき私たちはしばしば「甘え」や「依存」として片付けてしまいがちです。

やる気がないように見える

注意されることを極端に嫌がる

関係のものから距離を取ろうとする

しかし、丁寧に話を聞いていくと、その背景には別のものが見えてきます

「どう理解すればいいかからない」

「どんなペースなら続けられるのか分からない」

「何を期待されているのか曖昧なまま、結果だけを求められている」

まり自分特性と、求められている振る舞いとの間に深刻なズレが生じているのです。みんなと同じやり方で学び、同じ基準評価され、同じ反応を期待され続ける環境に長く置かれると、人は次第に「自分はどこかおかしいのではないか」と感じ始めます

この状態こそが、私が「自分との不一致感」と呼んでいるものです。

この不一致感は、単なる自信のなさではありません。それは、自分という存在が、この社会の中でどう機能すればいいのか分からない、という根本的な不安です。この不安を抱えたまま「協力しなさい」「もっと頑張りなさい」と言われても、人は動けないのです。

自分との一致感」こそが、協力の土台になる

人は、不安や恐れが強い状態では、協力よりも「防御」を優先してしまます自分の中が不安定なままでは、注意は攻撃に聞こえ、期待は重荷に感じられ、関係のものを避けることが合理的選択になりやすいのです。

逆に、「このやり方なら理解やすい」「この関わり方なら無理なく動ける」という安心感――すなわち「自分との一致感」があってはじめて、人は心理的に安定し、周囲と関わる余裕が生まれます

自分のやり方や反応を「これでいい」と理解できている人は、常に評価承認を求めて振り回される状態から一歩距離を取り、自分と違う人を「役割が違うのだろう」と捉えられるようになります。この視点の転換が起きたとき、違いは摩擦ではなく、補完関係に変わるのです。

協力とは、目標として押し付けものではなく、自分理解し、無理のない形で力を出せる人が増えた結果として、自然に立ち上がってくる関係性だと私は考えます

「協力できない社会」の問題は、協力を強制することでは解決しません。それよりも、一人ひとりが自分との一致感を取り戻すこと。そこからすべてが始まるのです。

家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートする

この「自分との一致感」を取り戻すために、私が提唱し、社会に先行して取り組んできたのが独自の「才能タイプ理論」による個別最適な子育て実践です。

そして、その実践において最も重要になるのが、家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートすることです。

学校社会が一律の基準を求めがちな外部環境であるからこそ、わが子の「才能の形(遺伝特性認知形成のクセ)」を深く理解し、本人そのものを伸ばしきれるのは、親をおいて他にはないからです。

ここで改めて強調したいのは、個別最適とは、嫌なことを免除したり、好きなことだけを選ばせたりするための考え方ではないということです。むしろ本質は、「どの形なら、その人は役割を引き受けやすいのか」を探るための視点です。

言葉説明するのが得意な人、作業で支えるのが得意な人、全体を見て調整するのが得意な人。同じ「責任」でも、担い方は一つではありません。その違いを前提に役割を考えることが、結果的集団を安定させます

個別最適は、わがままを許すことではなく、それぞれの特性に合った形で、社会役割を引き受けられるようにするための設計思想なのです。

公共性とは、「自分らしい形」で社会に関わること

中土先生の「学びは公共財である」という言葉に立ち返ります

学びが公共財であるとは、個人より社会を優先しなければならないという意味ではありません。そうではなく、「社会から受け取った知や経験を、自分特性に合った形で、社会に返していく」という循環を大切にするということです。

かつての「末は博士大臣か」という言葉根底にあった、能力社会に返していく回路。それを、いま私たちは「個別最適」という新しいアプローチで再構築していく時代の扉の前に立っているのです。

公共性とは、画一的基準に全員を合わせることではありません。むしろ、一人ひとりが自分特性理解し、それを活かして社会と関わること。その多様な関わり方の総体が、本当の意味での豊かな公共性を生み出すのです。

家庭という「中心基地」で、わが子の才能の形を認め、自分との一致感を育むこと。それは、お子さんが「自分に合った形で、社会と良い関係を結べるようになる」ための自立への第一歩です。

おわりに──批判ではなく、再設計のために

この記事を通して、今の社会子どもたちを批判たかったわけではありません。なぜ「対話あきらめ、つながりを断つこと」が合理的に感じられてしまうのか、その背景に私たち大人の側の設計はどう関わっているのかを、一緒に考えてみたかったのです。

私自身、「才能タイプ子育て」という活動を通して、一人ひとりが自分と一致した状態で力を発揮し、その結果として、無理のない形で社会と関われる人が増えることを願っています

違いを前提にした関係の方が、結果的社会は安定し、協力は回りやすくなる。この実感を、現場での実践を通じて、少しずつ社会に返していきたい──そんな立場から問題提起です。

私たちが失ったのは、「協力する力」ではなく、「協力できる条件」だったのかもしれません。

そして、その条件とは、一人ひとりが自分との一致感を持ち、自分らしい形で社会に関われること。学びが公共財であるという物語を、個別最適という新しい形で紡ぎ直すこと。

今回の記事が、ご家庭で、職場で、教育現場で、何かを考え直す小さなきっかけになれば幸いです。

あなたは、どんな形で社会と関わっていきますか?

あなたのお子さんは、どんな才能の形を持っているでしょうか?

その問いから、新しい公共性の物語が始まります

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

momenfuとやら

https://x.com/MomenFu/status/2004030728636715313

カタルオチルノキワミ

教育の敗北の象徴かもしれない

性根百までをどうにもならんかったあ

なお「飛ばされるのはずだあ」とやらすら出したり引っ込めたり

ロンクハラライスにスン…とやらで

Permalink |記事への反応(0) | 03:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260212164934

尖閣日本以外の国に実効支配されてるって君中国共産党教育でも受けて育ったの?

Permalink |記事への反応(0) | 00:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-02-12

これに発狂してる学者連中アホすぎて笑えるな。「親が学者でも論文審査は手加減されない!」ってそんなん世襲政治家選挙だって同じだろ。高度な教育文化資本や周辺人脈という有形無形の下駄履いてることくらい自覚しろよ。https://t.co/SYV0d5zWgp小山避難所) (@Segah02457547)February 12, 2026

選挙は違うんじゃねえの?

地域祭りに顔を出す」みたいな泥臭い選挙戦術プロレタリアンフェ大好きじゃん

そこに親が出てくるのが議員世襲でしょ

Permalink |記事への反応(0) | 18:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

【親ガチャSSR田舎サラリーマン

社会人になってしばらく経ち、結婚物件だと大きなプライベート案件の話が出てくると、いわゆる実家が太いとか、お育ちが雅でとか、そういう話が結構顔を覗かせるようになってきた。

自分田舎サラリーマン家庭で育った。THE中流階級だったと思う。小学校の頃は、自宅とは違う雰囲気友達の家に遊びに行っても、いろいろあるなあくらいにしか感じていなかった。たくさんの習い事歯列矯正をさせてもらっていたし、母から「パパもママもこどもにいちばんお金をかけたいの」と言い聞かせられていたので、自分は恵まれているなあとは思っていた。中学校はずっと学級崩壊しており、いじめ暴力地方脱出のための勉強漬けでそれどころではなかった。高校進学校だったので、医者の娘とか社長の息子とかがごろごろいた。私立医学科が選択肢にあるなんてやんごとねえな~くらいは思っていたが、自分受験必死でそれどころではなかった。オープン校風都内大学に進学したので、お金がないやつもいれば世田谷実家から通っているやつもいた。でも大体みんなバイト代でやりくりしていたし、大体みんなお金が無かった。大学生なんてそんなもんだった。

社会人なりたて程度では、会社の同期も大学の友人たちも、一部を除いてそれほど突飛な収入差はない。みんな概ね一直線。そのはずだったのに、5年10年経つとなんかおかしい話が出始めてくる。明らかに弊社の収入では賄えない頻度の海外旅行とか、明らかに弊社の収入では賄えないマンションとか。お金の使いどころや株では片づけられないハテナが頭に浮かぶ。で、そのうち飲み会とかで噂が回ってくるのだ。「おじいちゃま松涛らしい」「マチアプで出会った彼女の親が」「生前贈与で」。

そんなのありかよと思った。ずっと勉強頑張ってきて、田舎から脱出して、ようやく23区で同じ土俵に立てたと思ったのに、立ってるところ全然違うじゃねえかよ。なんだそれは。配偶者実家が太いパターンさらに腹が立った。一発逆転ってそんな転がってるもんなのか。

自分は大好きで尊敬できる、似たような収入で似たような出自パートナーとさっさと結婚していた。これに関してはなんの後悔もしていない。でもなんかもう空しくて仕方がなくて、パートナーにぼやいたところ、ライフプランシミュレーションエクセルを見せられた。そこにはざっくりとした人生の進みとそれに応じた資金計画が書かれていて、ちゃんと働いてちゃん資産形成していけば、20年後30年後には結構いい感じになってますというものだった。なんだ意外といけるもんかと安心し、しっかり者の相手に改めて感動したが、なによりも、自分の足でゆとりある生活安心して送っていけるだけの学歴をつけてくれた両親への尊敬の念が湧いた。ようやく本当の意味感謝できた気がする。

親の年収をしっかりとは知らないけれど、自分の方が学歴収入レンジも高い。生活は細かく節約していたことが都会で適当暮らしているとわかるし、こども2人が大学生だったときはなかなかギリギリだったと後になってこぼしていたのは少しだけ聞いたことがある。「地元に帰ってきてね」=「帰ってきて自分たちの面倒を見てね」が基本の田舎から、何も心配するな行けるとこまで行ってくれ、と背中を押してくれたのか。教育費をかけまくった見返りを期待することもなく。鳶が鷹をなどとは言いたくないし思ってもいないが、自分の代より子の代をずっと豊かにすることってできるのか。お生まれガチャ配偶者ガチャよりも尊いガチャを引き当てたのかもしれん。

から良くしてもらったから、当然自分自分の子にはお金時間もかけてあげたいとは思っていたが、身が引き締まる思いがした。月並み結論だけれど、しっかり親孝行も、子育てもしていきたい。保育園に迎えに行ってきます

Permalink |記事への反応(0) | 17:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

家が欲しい

今は会社の寮に入ってるけど通勤に1時間以上掛かるし、会社に近いとこに家が欲しい。

年収800万あるし、丸ノ内線沿いにマンションでも買おうかと思ったら、築203LDK8000万とかすんのね。高すぎないか年収的に組めるローンなんて良いとこ6000万だよ。

千代田線でも通勤できるから探してみたけど、綾瀬北千住関の山で、子供できたとき教育環境メチャクチャ気になる。

・・・・・・いや、分かってるんですよ。

年収800万程度じゃ都内では貧民ってことなんでしょうね。貧民は足立区に住むしかないんですよね。

もしくは練馬なり板橋に住んで、今みたいに通勤1時間を許容しろってことなんですよね。

とはいえJTCでスキルも何も無いオッサンなので転職も無理だし、マンション価格は高騰の一途を辿るとAI分析してるし、6000万で買える方南町荻窪の築40年3LDKか、子供教育環境は諦めて足立区か、子供を作らない選択を取るなら2LDKで築浅マンションに妻とのんびり暮らすか・・・・・・?

妻は持病があって働けないから、2馬力もキツい。そもそも子供も無理かも。人生キツい。

Permalink |記事への反応(1) | 17:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260212124529

左翼ってゼロイチ思考が多いのなんで

軍備増強すれば攻められないって話題でもそうだけど漸次的に考えられないイデオロギー教育受けてるの?

日常生活はどうやって行ってるの?

仕事は出来る?業種は何?

考え方の違いがここまで大きい理由が知りたい

Permalink |記事への反応(0) | 12:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

たとえば国民の9割の認知が歪んでいて

国内に住む○○民族公職に就けない、居住地制限されるなどの不利益があるけど、でも○○民族ってロクでもない価値観をしているから仕方ないよね。これは差別じゃなくて合理的区別だよ」と9割の国民が思っているとする。

そのような国で「○○民族差別を止めろ」と選挙で主張したところで選挙には勝てない。草の根から「○○民族差別を止めよう」という運動教育をしても、政府広報や主要なメディアも「〇〇民族に対して行われているのは差別ではなく合理的区別です」と言っているから成果が上がらない。

そういう状態だったら、「少数民族〇〇人と、マジョリティのうちの認知の歪んでいない人が立ち上がり、武力政権を倒す」以外にどんな解決法があるんだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 12:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260211185502

ガザ絶滅させると言ってるからその勘違いは嘘ではないだろ。

中国がどういう教育を施してるかわからんけど、中国人が日本人悪魔と考えてるなら、ガザルードはありえる。

Permalink |記事への反応(1) | 11:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

歳入歳出の問題は、どの痛みを受け入れるかだ。そこを無視して自己放尿するな

財政再建だの減税だの社会保障の充実だのと、世の中は今日も元気にスローガンを投げ合っている。

しかし、ここで一回、冷水ぶっかけておく必要がある。歳入歳出の問題とは、結局のところどの痛みを誰が受け入れるかという配分問題であり、そこから目を逸らした瞬間に、議論経済学ではなく宗教儀式になる。

いや、宗教ならまだ筋が通る場合もある。問題は、筋が通っているフリをして自己放尿するタイプ議論が多すぎることだ。

 

政府仕事とは、市場機能するための最小限のルール整備に極限まで縮退させるのが基本形である

自由市場とは、万能ではないが、少なくとも分散した情報価格に集約し、意思決定を分権化し、試行錯誤の淘汰を通じて資源配分改善する装置だ。

価格メカニズムは神ではないが、政治家よりはだいぶマシな情報処理装置である。ここで「だいぶマシ」というのが重要で、政治が介入するたびに知識問題が増幅し、情報局所性無視され、結局は官僚制ヒューリスティックが国全体の最適化代替してしまう。

政治市場を置き換えようとした瞬間に、見えざる手ではなく、見えざる自己放尿が働き始める。

 

だが日本は、そういう市場主義の方向に舵を切っていない。

ここが現実だ。日本社会保障を手厚くし、再分配を強化し、政府支出一定以上維持し続ける構造を選んでいる。

まり日本社会競争による淘汰と自己責任の痛みを相対的抑制し、その代わりに高負担・低成長・制度維持の痛みを受け入れる方向にコミットしている。

これは倫理的に正しいとか間違っているとか以前に、単なる選択問題だ。経済学的には、トレードオフをどう置いたかという話である

 

それなのに、減税だの給付だのを同時に叫び、財源の議論を後で考えると言い出す。これが自己放尿でなくて何なのか。

政府予算制約式という、経済学の最も退屈で最も重要現実から逃げている。

政府魔法使いではない。支出を増やすなら、税を上げるか、国債を増やすか、インフレ税で実質負担国民押し付けるか、どれかしかない。

これが財政ハードバジェット制約だ。これを無視して「社会保障は守れ、税は下げろ、景気は良くしろ」と言うのは、制約条件を消して目的関数だけで最適化しているのと同じで、ただの自己放尿である

 

国債を増やせばいいという議論も、同じくらい雑だ。

リカード中立命題を持ち出して、増税が予想されるなら家計は貯蓄を増やすから問題ないと言うのは理論的には可能だが、現実には完全な合理性も完全な資本市場存在しない。

民主主義が持つ時間的不整合性典型である短期政治的利得と長期の財政健全性が衝突するとき、だいたい負けるのは長期のほうだ。これは合理的期待以前の、人間仕様である

 

さらに言えば、日本人口動態が財政に対して非常に残酷な国だ。

高齢化は単なる人数の問題ではなく、制度設計思想のもの破壊する。

賦課方式年金医療介護は、現役世代高齢世代を支える構造だが、現役人口が縮み、高齢人口が増えれば、負担率が上がるか給付が減るかの二択になる。

ここで「成長すれば解決する」という反射神経が出るが、成長率を外生的に願望で決めるのもまた自己放尿である

成長は政策の掛け声ではなく、生産性上昇の結果としてしか起こらない。

生産性教育技術進歩資本蓄積、企業統治労働市場の柔軟性、規制構造、そして競争環境の積み重ねからしかまれない。成長を祈るなら、祈祷師より規制改革のほうがまだマシだ。

 

そして規制改革という話になると、日本社会はまたしても痛みの受け入れを避ける。

競争は勝者と敗者を生む。市場効率を生むが、分配の不平等を生む。創造破壊技術進歩を促すが、既存産業を壊す。

まり市場主義採用するとは、失業賃金格差企業淘汰、地域衰退といった摩擦を受け入れることでもある。

市場自由は長期的には社会を豊かにするが、同時に短期的には痛みが出ることを否定していない。

しろ、痛みを抑えようと政府価格統制や産業保護をすれば、情報が歪み、非効率固定化し、成長が止まる。

政府介入はだいたい二次被害を生む」という経験則に直結する。

 

だが日本は、その方向をあまり選んでいない。

日本政治経済は、競争の痛みを緩和するために、規制を残し、補助金を配り、産業を守り、雇用調整を遅らせ、そして社会保障で受け止める。

まり市場の荒波で鍛える社会ではなく、制度堤防で守る社会を選んでいる。

これは日本人の価値観として一貫している。連帯を重視し、格差を嫌い、共同体の安定を優先する。

から社会保障を充実させる。これは単なる政策の偶然ではなく、社会的選好の表れだ。

経済学的に言えば、日本リスク共有と保険の厚みを最大化し、効率性よりも安定性を高く評価する社会効用関数採用している。

 

問題は、その選択をしたなら、そのコストも受け入れろということだ。

福祉・高負担モデルをやるなら、税負担は上がる。労働供給への歪みも増える。企業投資インセンティブも下がる。潜在成長率も落ちる可能性がある。

さら政府支出が増えれば、官僚制が拡大し、レントシーキング余地が増える。補助金規制設計を巡って、政治的な取引が増える。

公共選択論観点では、政府部門肥大化利益集団固定化情報の非対称性を通じて、政策ますます効率にする。つまり、痛みは消えない。形が変わるだけだ。

 

逆に、小さな政府市場主義モデル採用するなら、社会保障給付は削られる。

競争は激化し、賃金格差は拡大し、生活不安定性が増す。労働市場の流動化が進めば、雇用保障は弱くなる。

ここで「自己責任社会だ、弱者切り捨てだ」と騒ぐ人が出るが、それもまた議論本質を外している。

市場主義倫理議論ではなく、制度設計議論だ。保険を薄くして競争を強め、効率を上げ、成長率を取りに行くという戦略であり、それは確かに痛い。

しかしその痛みを通じて、長期的な所得水準の上昇を狙うのが市場主義論理である

 

財政問題は痛みをゼロにする方法ではなく、どの痛みを採用するかの選択しかない。

ここで最悪なのは、痛みの存在否定することだ。

増税反対、給付維持、経済成長、財政健全化を全部同時に叫ぶのは、制約を無視して目的を盛り込んだだけの自己放尿である

しかもその自己放尿は、選挙で票を取るための麻薬として機能する。

国民政治家も、現実直視するより麻薬を欲しがる。これは供給需要が一致しているので、市場原理的には非常に美しい。悲しいことに。

 

日本が今選んでいるのは、市場主義の荒々しい競争ではなく、社会保障を厚くして安定を買う道だ。

まり競争の痛みを減らし、その代わりに税負担と成長鈍化と制度維持の痛みを引き受ける道である

これは逃げではなく選択だ。選択ならば、堂々と認めればいい。

しか現実には、政治メディアも、選択選択として語らない。

痛みの話をすると嫌われるからだ。だが、嫌われるから言わないというのは、政策論ではなく人気商売である

 

政府善意地獄舗装する。善意制度を守り、善意給付を増やし、善意規制を強め、善意補助金を撒く。

しかし結果として、価格メカニズムは歪み、生産性は落ち、財政は硬直化し、未来自由度は奪われる。

重要なのは善意ではなく、インセンティブと制約だ。

制度設計とは、人間利己的であり、政治家が票を欲しがり、官僚権限を欲しがり、企業補助金を欲しがるという現実から出発しなければならない。

聖人統治する世界を前提にした政策は、現実世界ではだいたい破綻する。

 

から、歳入歳出の議論でまず必要なのは幻想を捨てることだ。

財政とは、夢を語る場所ではない。支払能力負担配分の話だ。

誰が払うのか、いつ払うのか、何を諦めるのか。その冷たい問いから逃げた瞬間、議論自己放尿になる。

そして残るのは、臭いと湿り気と、次世代へのツケだけだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

分譲賃貸にキレ散らかしてる

まず大家個人から法令とかガイドラインなんもわかってない。管理会社大家教育しないから全員素人の話し合いになってダルい。こんなときに頼りになるChatGPTまじありがとうすぎ。

あと管理会社契約しろっていう 〇〇〇〇〇 とかいう一次対応サービス、ほんまクソ。

なんも知識ないアホよこしてどうすんねん。コミュ障無能寄越しやがって。最初からメーカーのやつ呼ぶんが手っ取り早いって誰がどー見てもわかるやろ。

ほんで漏水してんのに大家対応しないのは何なん?あんたの持ちもんやで?家腐ってもええんか?ってか法令違反やで?

みんな、住むなら〇〇〇ィ〇とか、〇〇〇〇とか大家法人マンションにしなよ。そっちに住んでた時は良かったよ。

っていう1日でした。消費生活センター案件なんで続報あったら追記しますわ。ほなな。

Permalink |記事への反応(0) | 00:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

モノを手元に置きたいって欲が薄くて、好みだから手放したくないとかそういうのが全然ない。

何で皆そんなに欲しいものがあるんだろうと思っていた。何かを集めて楽しそうにしてるのが羨ましい。そもそもそういう楽しみ方ができないから。

何でなんだろうなーと思ったけど、多分子供の頃の経験が刷り込まれてる。

服が近所の家からお下がり母親の手縫いで、欲しがっても買ってもらえなかったこと。少ないお小遣いをためて買いそろえた宝物の漫画を、弟がかんしゃくを起こす度に壁に投げつけたりゴミ箱に捨てたりしたこと。この2つ。お金を使うことは悪だって教育あるかな

もう大人から自分の欲しいもの自分で買えるんだけど、もういいですって諦めが染み付いてる感じがする。どうせ本当には手に入らないんだから、みたいな。

Permalink |記事への反応(0) | 00:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-02-11

ウクライナ内戦をしていたし、ロシア国籍めっちゃ殺してる

この前提が共有されていない謎

そもそもあの辺りって元々ソ連だし、日本みたいに国籍放棄なんて迫る頭おかし規定なんか無いので、二重国籍が大量にいる

その状態ウクライナのために戦うロシア国籍(ウクライナ居住者)も当然いて、彼らはただウクライナのために死んでいた

なのでウクライナブダペスト覚書があろうが、仮に日本国憲法9条があろうが、ロシアの介入を免れることはできなかった

立地的に極めて大人しくしているしかない

ちなみにウクライナ民族主義の矛先はロシア国籍だけでなく、南西部に住んでいたハンガリー系にも及んでいる

ロシアの事抜きにしても非協力的なのはそこら辺が原因

外国語教育禁止されたのはロシア語だけではない

Permalink |記事への反応(0) | 18:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

リベラルAI相談してから政治の話しようね

結論から言うと、「強くなりうるリベラル」は“優しい理想”を捨てて、“冷静な設計者”になる必要がある。

順番にいきます

①「善悪」ではなく「設計」で語れること

今のリベラルは、どうしてもこう聞こえがちです。
  • 正しい/間違っている
  • 差別だ/配慮が足りない

でも、有権者が欲しいのは👇

「どう設計すれば、現実がマシになるか」

👉「それは分かる。で、制度はどうする?」に即答できる

②「中間層」をもう一度、正面から定義し直す

ここが最大の分水嶺です。

弱いリベラル
強いリベラル

あなた踏み台にならない設計をする」

と明確に言えること。

③「守るために切る」を言語化できる

これ、めちゃくちゃ重要です。

日本現実
  • 全部は守れない
  • 全員は救えない
  • 先送りは最大の不公平
強くなりうるリベラルはこう言う
  • 「この給付は縮小する」
  • 「この世代には負担をお願いする」
  • 「ただし、その代わりここは守る」

👉痛みを否定せず、配分を説明できる

④ 財源から逃げない(むしろ武器にする)

これは日本では致命的ポイント
  • 「財源は後で考える」
  • 増税反対、削減反対」

これを言った瞬間、信頼は落ちます

強いリベラルは逆

結果👇

支持は急には増えないが、信頼は残る

文化リベラルを“静音化”できる

大事だけど、前面に出しすぎない。
強いリベラルの扱い方

👉「説教しないリベラル

政権担当能力を“演出”ではなく“証明”する

日本では特にここ。
強くなりうるリベラル

「じゃあこう直す」を積み重ねる

⑦ 「不安を煽らない安心感」を出せる

皮肉ですが、今いちばん強い政治的価値はこれ。

👉変えるけど、壊さな

これを一貫して出せるか。

まとめ:強くなりうるリベラルの条件(圧縮版)

まり👇

「正しい人」ではなく「任せても怖くない人」になること

次に行くなら

👉「日本でこれをやると、どこで必ず反発が出るか」

そこを地雷マップ化してみます

Permalink |記事への反応(0) | 16:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2026 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2026 Movatter.jp