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はてなキーワード:意味とは

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2026-02-13

今回落ちた野党候補戦略が全て駄目だったとは思ってなくて、

#中道いいじゃん

に関しては個人的には割と良いと思っていた。少なくとも何を指しているのかは明確に分かるし、ダサい事には違いない「中道」のネーミングにポジティブな印象を与えようとしているから。

だけど

#ママ戦争止めてくるわ

は駄目だよ!何を意味しているのか分かりにくい上に、反発を生む要素だけは人一倍から!これを成功体験だと思い込んで使い続けるのはやめてくれよ頼むから

具体的な候補者や政党名、政策を書きたくないなら単に

#選挙に行こう

でいいだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 12:23

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anond:20260213120450

意味わからん

Permalink |記事への反応(0) | 12:21

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https://x.com/light77/status/2022128584576708780

【なぜ「宗教法人課税」は世界常識なのか】

マスコミや一部の世論では「宗教法人税金を払っておらず、優遇されている」という批判がしばしば聞かれます

しかし、法律の専門的な視点からその実態を紐解くと、そこには私たちの「信教の自由」と「財産権」を守るための、極めて真っ当な論理存在することがわかります

今回は、特に重要でありながら見過ごされがちな「宗教法人法第84条」の精神を中心に、課税問題正論解説します。

1. 「宗教法人は無税」という言説の誤り

まず、世間に流布している「宗教法人は一銭も税金を払っていない」という認識を正す必要があります現行法制度下では、宗教法人は厳格に区分けされた課税を受けています

収益事業への課税: 物品販売不動産貸付など、法人税法で定められた「34の収益事業から生じた所得には法人税がかかっています

個人への所得税:宗教法人代表者職員が受け取る給与(俸給)には、一般サラリーマンと同様に所得税・住民税が課され、源泉徴収も行われています

消費税の支払い: 物品の購入時には、当然ながら10%の消費税を支払っています

まり、「坊主丸儲け」という批判は、事実無視した感情論に過ぎないのです。

2.宗教法人法第84条が定める「聖域」の重み

最も大切なのは宗教法人法第84条に明文化されている「宗教上の特性尊重」です。この条文は、国家権力安易宗教活動へ介入することを禁じています

宗教法人法 第84条】

「この法律規定中、宗教法人管理運営に関する規定は、当該宗教法人宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意して解釈し、且つ、運用しなければならない。」

お布施は「所得」ではない

信者が支払う「お布施布施)」は、神仏への捧げものであり、サービスへの対価ではありません。これを「所得」とみなして課税することは、信者が既に所得税を払った後の財に再び課税する「二重課税」であり、かつ信仰心という聖なる思いを国が踏みにじる行為に他なりません。

税務署による「日常監視」の拒絶

もしお布施課税すれば、税務当局が「何が宗教活動で、何がそうでないか」を査定することになります。これは、国が特定宗教活動に介入し、監視下に置くことを意味します。84条は、こうした事態が「信教の自由」を根底から破壊することを防ぐために、当局に「慎重な運用」を厳命しているのです。

3. 「非課税」は特権ではなく「武器である

資料の中で鋭く指摘されているのは、**「宗教課税こそが世界常識」**であるという点です。

アメリカをはじめとする諸外国でも、宗教団体への寄付所得から控除されるのが一般的です。それは、宗教が担う「人々の魂を救う」という公益性が、国家提供する行政サービスよりもはるかに深い次元社会を支えていると認められているからです。

一部の論者は「課税原則で、非課税例外だ」と主張しますが、これは逆転した考え方です。

憲法保障する「財産権」や「信教の自由」こそが本来原則であり、国が国民の財を奪う「課税」こそが、法律に基づいた限定的な「例外」でなければなりません。

特に宗教活動における「収益事業」の判定についても、84条の精神に則れば、安易類推解釈法律を広げて解釈すること)をして課税対象を広げることは、法治主義の逸脱と言わざるを得ません。

引用

小鮒将人(M.KOBUNA)

@light77

·

11時間

私は大反対です。 x.com/tweet_tokyo_we…

Permalink |記事への反応(0) | 12:15

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本州のどこか、雪のすっかり消えた山林を背後にした荒野に掘られた塹壕をはさんで銃撃戦をするんだけど

「え?」

「俺たちのやってることって意味なくないか?」

突然気づいた2人は、銃を下ろして歩み寄り抱き合って泣く。

戦争よりも平和の方がずっといい。

Permalink |記事への反応(1) | 11:50

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改憲で第24条の「両性の合意のみ」の部分を「双方の合意」のような表現現代化する

という話が仮に最初に出てきたとしたらそれでも反対する勢力は出てくるんだろうか

内容ではなく、「改憲である」という理由だけで反対が成立するのだとすれば

それは議論と呼べる状態なのかどうかは少し気になる

憲法国家の根幹だから簡単に変えるべきではない、という考え方自体理解できる

ただ一方で、戦後アメリカ主導で作られた憲法をほぼそのまま使い続けていることもまた事実ではある

2024年までに、第二次大戦敗戦国であるドイツは67回、起草を主導したアメリカは27回、近くの韓国は9回の改正を行っている

日本けが一度も改正していないという状況を、どう評価するのが自然なのかは少し考えてみたいところではある

議論ができないなら、賛成も反対もあまり意味はなくなる

もちろん、条文には積み重ねられた経緯があり一か所の変更が前例になるという警戒感も理解できる

ただ、その警戒が強すぎるあまり「変えるかどうか」だけが争点になってしまうのだとしたら

本来議論されるべき中身はどこに行くのだろう

今まで内閣等が解釈によって色々変えて運用されている状況のほうが危なくないか

国外の強い影響のもとで成立した憲法を長く運用している以上、時代に合わせてどう扱うかを考えること自体

特別思想というより自然姿勢のようにも思える

改憲に賛成か反対かより前に、「何をどう変えるのか」で判断するという前提がどの程度共有されているのかには少し興味がある

どんな内容でもまず反対

どんな内容でもまず賛成

という態度だけが先に決まっているのだとしたら、それは立場の違いというより判断放棄に近いのかもしれない


少なくとも、自分は中身を見てから考える側でいたい

Permalink |記事への反応(4) | 11:36

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anond:20260213112913

誰の「定義」?

定義って言葉意味わかる?

Permalink |記事への反応(0) | 11:31

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anond:20260213104954

全く意味ないな

チームみらい支持してる底辺はたった800円で何するつもりなんだろう?

Permalink |記事への反応(0) | 11:20

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anond:20260213105907

たとえ紙屑でも額面にこだわるというのが意味わからん

ただ、そこまでこだわるならタンス預金でもしたらいいんじゃないか。

それなら強盗に襲われない限り、額面は絶対的保証されるだろう。

Permalink |記事への反応(2) | 11:07

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anond:20260213105925

「元本保証に等しいとか元本保証と変わらない」って制度としてはないけど、実績で確度が高い商品って意味で使ってんの?

Permalink |記事への反応(1) | 11:01

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anond:20260212195327

Q.高齢者1割→3割にして現役の負担はどれほど減るか

A.年間1万円、月800円くらいの保険料負担

まり意味が無い気がしま

Permalink |記事への反応(1) | 10:49

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anond:20260213104655

改憲に挑戦するのが憲法違反ってのがバカからすると意味不明

何それ?

頭のいい人達はみんなバカなの?

いやガチ意味わかんないんだけど

Permalink |記事への反応(0) | 10:49

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元本割れしない商品

って銀行預金の1000万円だけでいいのかな

実績だとかは置いておいて、制度として保障されてるって意味での元本割れ回避

まあ極論、複数銀行が一斉に飛んで、保険会社も飛んで、政府もケツを持たなかったら銀行預金すら保障はされないんだけど、そこまでは考えないでおこう


まじであほが多すぎる

インフレデフレ貨幣価値の増減、為替変動による実質価値の増減などは加味しないものしま

制度として保障されてる】ことを前提としていますので、制度があるものを上げるか、銀行預金しかないと回答をお願いしま

Permalink |記事への反応(5) | 10:46

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anond:20260213102529

それは違うだろう。

カネを持ってて、それを投資しているか利益を生む。

カネを持っているだけなら意味がない。

投資というリスクを追っているのだから利益を生むのは当然だ。

そして、投資がなければ社会は発展しない。

公務員以外のサラリーマンが働いている職場があるのは、誰かが会社投資してくれたからだ。

そうじゃなきゃその株式会社存在していない。

Permalink |記事への反応(1) | 10:31

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anond:20260213100407

前頭悪いのな

混同されててよくわかんなくなってきたから再整理しましょってトラバ混同してるんすよ

って返す意味はない

Permalink |記事への反応(1) | 10:05

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anond:20260213095119

メシ(うどん)食う若い女の頬に赤みを入れる表現に、広い意味での「性的」なニュアンスがあるのは事実

ではない

Permalink |記事への反応(0) | 09:53

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うどんフェラ問題再燃

メシ(うどん)食う若い女の頬に赤みを入れる表現に、

広い意味での「性的」なニュアンスがあるのは事実だけど、

それはそれとして、

『これはフェラチオ連想させようとしてる』というのは無理筋こじつけ陰謀論

というだけのことがなぜ理解できないのだろうか。

Permalink |記事への反応(1) | 09:51

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フリーランスランスがほんとにそのまんま槍の意味なのは意外過ぎる

Permalink |記事への反応(0) | 09:47

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から音楽歌詞が覚えられない

小説を読むのは好きだから詩とか文を読めないわけではない

徒然なるままに~とか春はようよう~とか今でも覚えているから文の暗記ができないというわけではない

じゃあなんで覚えられないのか

増田の中で音楽っていうのはリズムや音が大事なので合って、歌詞は取ってつけたようなものだっていう感覚からなんだと最近気づいた

でもみんなは結構歌詞大事にしてるんだろうね

歌詞意味世界観がどうとかいう発想にもならないから、歌詞が苦手で~とかこれって深いよね~とかには全く同感できない

人前で歌うことがあるからテーマが何なのかぐらいは気にする

例えば夏になごり雪3月9日はいかんだろう、新入社員歓迎会さくら(独唱)はいかんだろう、というのはわかる

唯一歌詞面白いなと思うのは韻を踏んでいたり(これもリズム要素が強いが)、ドラマアニメタイアップキーワードテーマ歌詞に取り入れていることぐらいだ

それ以外の歌詞には本当に興味がわかない

みんなはなぜそんなに歌詞を気にするのか

それが分からない

Permalink |記事への反応(0) | 09:25

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anond:20260213081912

日本語中国悪口を言ったところで日本人同士感情を慰撫する意味は持たないと思うんだが…

Permalink |記事への反応(0) | 09:08

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https://x.com/Kosodate_Ogawa/status/2015717584046522435 記事 新しいポストを表示 会話小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者 @Kosodate_Ogawa 協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育て現場から考える、個別最適と公共性の再設計

はじめに──違和感の正体を、構造として考えたい

最近教育現場SNSで、ある種の"すれ違い"を目にする機会が増えました。

注意されたり、期待と違うことを言われたりすると、「自分とは合わない」と、そこでの人間関係のものリセットして離れてしまう。自己主張は強いのに、親や社会に支えられている事実への自覚が薄い。大人の側にも、責任を引き受けるより先に「自分権利」だけを語ってしまう振る舞いが見える──。

あなたも、こうした光景に心当たりがあるのではないでしょうか。

もちろん、これは特定世代批判しようとしているのではありません。私が今回考えたいのは、「その振る舞いが"合理的"に見えてしま社会の側の条件」です。なぜ今、対話よりも離脱が、協力よりも防御が選ばれてしまうのか。その背景には、私たち大人が気づかぬうちに変えてしまった「学びの物語」の喪失があるのではないか──。

そんな折、教育者中土井鉄信先生Facebook投稿出会いました。

そこで語られていたのが、「学びは公共財である」という視点です。教科書は、人類が積み上げてきた英知の集積であり、私たちはそれを受け取って生きている。だから学びは「自分のため」だけで終わらない。受け取ったもの社会に返していく視点が欠かせない──。

この言葉に触れたとき、私の中で点が線につながりました。

依存」「消費化」「対価志向」「関係短期解約」──これらは別々の現象ではなく、学びの位置づけの変化と深くつながっているのではないか

本稿は、その問題意識を整理し、立て直しの方向を考える試みです。中土先生問題提起へのリスペクトを込め、私が現場で向き合い続けてきた実践から、その解決の糸口を提示したいと思います

学びが"公共財"として扱われなくなると、何が起きるのか

学びや知識には、個人の便益(成績・進学・仕事)だけでなく、社会的便益があります社会一定ルールを共有できること、言葉が通じること、協力が成立すること。その基盤には、学校教育読書を通じて広がる「共通の知」があります

ところが近年、学びは少しずつ、「社会の基盤」よりも「個人投資」「購買体験」に寄って語られるようになりました。

どれだけ得をするか

どれだけ早く成果が出るか

お金を払っているのだから満足させてほしい

この枠組みが強まると、学びの場は「関係を育てる場」ではなく「サービスの場」に近づきます。すると、注意や指摘は「成長のための調整」ではなく「不快体験」になり、合わなければ話し合うよりも「さっさとその場を去る(離脱する)」ほうが合理的、という判断を招いてしまうのです。

「うるさい!もうやだ!こんな学校(塾)辞めてやる!」──この叫びは、わがままではなく、ある意味消費者としての合理的選択になってしまっているのです。

学びが「買うもの」になったとき私たちは何か大切なものを失いました。それは、学びを通じて人と人がつながり、社会を共につくっていく物語だったのではないでしょうか。

かつての日本が持っていた「学びの回路」

私が子どもの頃、勉強が得意な子に向けて大人が「末は博士大臣か」と声をかけることがありました。実際私も、祖母祖父、近所のおじちゃんたちに、何度となく聞かされたフレーズです。

今振り返ると、そこには単なる出世願望だけではなく、「力を持つなら、社会に役立つ人になってほしい」という期待が含まれていたように思います欧米で言われるノブリス・オブリージュ(地位能力を持つ者の社会責任)も、根は同じです。

かつて学びや能力は、個人利益で完結するのではなく、社会に返していく回路の中に置かれていました。この感覚は、言葉にされなくても、日常の中で自然に共有されていたのです。

この回路が弱まると、学びは単なる「受け取るもの」になりやすく、結果として「対価がなければ動かない」という感覚が広がります。それは個人問題というより、学びの物語社会が共有できなくなったことの反映ではないでしょうか。

私たちは今、この失われた回路を、新しい形で取り戻す必要に迫られています

自分との「不一致感」が、関係を壊していく

人が社会他者と健やかに関わるために、最初必要なのは規範」でも「協調性」でもないと私は考えています

私が多くの親子と向き合う中で、それら以前にもっと手前の問題として感じるようになったのは、「自分自身との一致感を持つことができていない状態」で生きている人が想像以上に多いという現実です。

たとえば、次のような振る舞いが見られるとき私たちはしばしば「甘え」や「依存」として片付けてしまいがちです。

やる気がないように見える

注意されることを極端に嫌がる

関係のものから距離を取ろうとする

しかし、丁寧に話を聞いていくと、その背景には別のものが見えてきます

「どう理解すればいいかからない」

「どんなペースなら続けられるのか分からない」

「何を期待されているのか曖昧なまま、結果だけを求められている」

まり自分特性と、求められている振る舞いとの間に深刻なズレが生じているのです。みんなと同じやり方で学び、同じ基準評価され、同じ反応を期待され続ける環境に長く置かれると、人は次第に「自分はどこかおかしいのではないか」と感じ始めます

この状態こそが、私が「自分との不一致感」と呼んでいるものです。

この不一致感は、単なる自信のなさではありません。それは、自分という存在が、この社会の中でどう機能すればいいのか分からない、という根本的な不安です。この不安を抱えたまま「協力しなさい」「もっと頑張りなさい」と言われても、人は動けないのです。

自分との一致感」こそが、協力の土台になる

人は、不安や恐れが強い状態では、協力よりも「防御」を優先してしまます自分の中が不安定なままでは、注意は攻撃に聞こえ、期待は重荷に感じられ、関係のものを避けることが合理的選択になりやすいのです。

逆に、「このやり方なら理解やすい」「この関わり方なら無理なく動ける」という安心感――すなわち「自分との一致感」があってはじめて、人は心理的に安定し、周囲と関わる余裕が生まれます

自分のやり方や反応を「これでいい」と理解できている人は、常に評価承認を求めて振り回される状態から一歩距離を取り、自分と違う人を「役割が違うのだろう」と捉えられるようになります。この視点の転換が起きたとき、違いは摩擦ではなく、補完関係に変わるのです。

協力とは、目標として押し付けものではなく、自分理解し、無理のない形で力を出せる人が増えた結果として、自然に立ち上がってくる関係性だと私は考えます

「協力できない社会」の問題は、協力を強制することでは解決しません。それよりも、一人ひとりが自分との一致感を取り戻すこと。そこからすべてが始まるのです。

家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートする

この「自分との一致感」を取り戻すために、私が提唱し、社会に先行して取り組んできたのが独自の「才能タイプ理論」による個別最適な子育て実践です。

そして、その実践において最も重要になるのが、家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートすることです。

学校社会が一律の基準を求めがちな外部環境であるからこそ、わが子の「才能の形(遺伝特性認知形成のクセ)」を深く理解し、本人そのものを伸ばしきれるのは、親をおいて他にはないからです。

ここで改めて強調したいのは、個別最適とは、嫌なことを免除したり、好きなことだけを選ばせたりするための考え方ではないということです。むしろ本質は、「どの形なら、その人は役割を引き受けやすいのか」を探るための視点です。

言葉説明するのが得意な人、作業で支えるのが得意な人、全体を見て調整するのが得意な人。同じ「責任」でも、担い方は一つではありません。その違いを前提に役割を考えることが、結果的集団を安定させます

個別最適は、わがままを許すことではなく、それぞれの特性に合った形で、社会役割を引き受けられるようにするための設計思想なのです。

公共性とは、「自分らしい形」で社会に関わること

中土先生の「学びは公共財である」という言葉に立ち返ります

学びが公共財であるとは、個人より社会を優先しなければならないという意味ではありません。そうではなく、「社会から受け取った知や経験を、自分特性に合った形で、社会に返していく」という循環を大切にするということです。

かつての「末は博士大臣か」という言葉根底にあった、能力社会に返していく回路。それを、いま私たちは「個別最適」という新しいアプローチで再構築していく時代の扉の前に立っているのです。

公共性とは、画一的基準に全員を合わせることではありません。むしろ、一人ひとりが自分特性理解し、それを活かして社会と関わること。その多様な関わり方の総体が、本当の意味での豊かな公共性を生み出すのです。

家庭という「中心基地」で、わが子の才能の形を認め、自分との一致感を育むこと。それは、お子さんが「自分に合った形で、社会と良い関係を結べるようになる」ための自立への第一歩です。

おわりに──批判ではなく、再設計のために

この記事を通して、今の社会子どもたちを批判たかったわけではありません。なぜ「対話あきらめ、つながりを断つこと」が合理的に感じられてしまうのか、その背景に私たち大人の側の設計はどう関わっているのかを、一緒に考えてみたかったのです。

私自身、「才能タイプ子育て」という活動を通して、一人ひとりが自分と一致した状態で力を発揮し、その結果として、無理のない形で社会と関われる人が増えることを願っています

違いを前提にした関係の方が、結果的社会は安定し、協力は回りやすくなる。この実感を、現場での実践を通じて、少しずつ社会に返していきたい──そんな立場から問題提起です。

私たちが失ったのは、「協力する力」ではなく、「協力できる条件」だったのかもしれません。

そして、その条件とは、一人ひとりが自分との一致感を持ち、自分らしい形で社会に関われること。学びが公共財であるという物語を、個別最適という新しい形で紡ぎ直すこと。

今回の記事が、ご家庭で、職場で、教育現場で、何かを考え直す小さなきっかけになれば幸いです。

あなたは、どんな形で社会と関わっていきますか?

あなたのお子さんは、どんな才能の形を持っているでしょうか?

その問いから、新しい公共性の物語が始まります

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

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anond:20260213011206

ウクライナが攻められたか日本も攻められる」(ウクライナと違って日本他国国境を接していないのに)心配はするくせに、

韓国徴兵制から日本徴兵制になる」心配嘲笑う(韓国と違って他国国境を接していないという理由で)って意味分からん

警戒するならどっちも警戒すべきだし、心配しすぎならばどっちも心配しすぎだろ

Permalink |記事への反応(0) | 07:26

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anond:20260212163908

中国日本に攻めてくる」心配はするのに、「日本中国に攻め込む」心配はしない意味が分からない

両首脳の言動を見ていると後者可能性の方が高いと思うんだけど

Permalink |記事への反応(1) | 07:04

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統計数学の書って式の説明を軽視してないか

標準偏差=√分散

分散=1/n × \sum_{i=1}^n {(x_i -\overline{x})^2}

ってなんだよ。分散いつ使うんだよみたいな。いや標準偏差くらいなら式見たら意味は分かる脳にはなったがしかし。原理から式の各部分ことを説明してほしいんだわ。

学者って脳ができあがってないんだから。なんか数学ゼミとかだともっと複雑でコンテキストの深い式を解説する時間があったりするらしい?

でも証明するときめっちゃ頑張った説明を「自明」と言われるらしい。まあ、数学教授なんか「そういう」傾向がないわけないわな。

自明」という傲慢を捨ててほしいわな。そんなこと言ったら未証明定理証明した瞬間に自明といわれるわな。証明できることが分かっていつつされてない定理も「自明」なんか?じゃお前仕事辞めろや。

LLMが数学科でも爆進!みたいな記事見るとお前らが知識の整理をサボっただけだろと思う。(これは他の分野もそうで、知識を適切な形で適切な場所に残すってガチムズいので仕方もないのはあるが、数学こそは至高の科学であり、その王座に居ながらにして自明などという高慢かますからには許されない)

あまあまあ、いいんですけど。だったらラマヌジャン意味不明な式を突然持ってきたエピソード

証明できたものに関しては、自明、なのでラマヌジャンの功績は全く存在しない。数学界を急速に前進させたラマヌジャン唐突な式も情報量ゼロであり、驚くに値しない、極々自然ものである

と言い切ってほしい。彼の示した公式の数々はほとんどが正しいと証明されたらしいしな。

Permalink |記事への反応(1) | 06:35

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momenfuとやら

https://x.com/MomenFu/status/2008013559071142321 続きがありもすって?

すさまじいねェまた

オマイウノキワミラーテスト

ハッシュタグ「隙自語」

ジャパン蔑称啼き喚き散らかすことで

百年前の日本未満ぶりガンギマリの「右翼」て誰が…

ジェイ表記賞賛」も「誇る」もソオイ!

他者を憎み攻撃する手段として政治を使っている気取りなだけ

常に攻撃的な原理に基づいていりゅ

攻撃やすものを見つけては攻撃するのと同じ理屈なのだ

体のいいサンドバッグを見つけて一瞬気持ちよくなるためなら、倫理も将来もどうでもいい。

から日本を敵視する無敵とやら界隈とも手を組めるし、それが何を意味するかもどうでもいい。

それがビョーゲンモメンぞらの正体。

奴らはただのわけもなくイライラしている界隈の連中なので、おそらく

「同じ」と思う方が間違いなのだろうて…こマ…?

逆さ地の利でヌケヌケとドツカヲくさそうとするあたりはう~ん

Permalink |記事への反応(0) | 05:13

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このままいくと、同性愛者は迫害されると思う。

世間知らずな低学歴妄想からチラ裏程度に読み流して欲しい。

 

日本少子化は加速している。

若者は「子どもはそんなに欲しくないけど、作らなきゃいけないのな?」とやんわり思っている。

 

これが現行制度のままに時代が進んでいくと、同性愛者とは、

子どもを作らず、社会維持/発展に貢献できない、身勝手な人たち」と認識される可能性があるのではないか

厳密にいうと、同性愛者というよりも、同性愛カップルか。

 

もしそうなったら、とても悲しい。ただ同性を愛する趣向だったがために否定されるなど、意味がわからない。

(ちなみに自分自身バイセクシャルで、異性同性両方と交際経験がある。)

 

そんな悲しい分断が起こる前に、社会制度科学の力で、人間が産まずとも子どもがつくれるようになって欲しい。

自分が生きている間になんとかなるといいな。

Permalink |記事への反応(0) | 05:09

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