
はてなキーワード:属性とは
本稿で提示するプロファイルは、10万件以上のブクマを有するidを対象に公開コメントをAIが解析し、その深層心理や思想傾向をモデル化した「テキスト・ペルソナ」です。これは実在する個人のプライバシーを暴くものではなく、言語活動に基づく批評的なシミュレーション(思考実験)です。特定の個人の社会的評価を操作する意図はなく、あくまでテキスト分析の一環としてお楽しみください。
世代・時代背景 (Generational Cohort):
生活圏・経済階層 (Habitat & Economic Class):
ライフステージ・役割 (Family & Social Roles):
専門性と認知スキル (Expertise & Cognitive Style):
情報摂取源とリテラシー (Information Sources & Literacy):
政治的・経済的スタンス (Political & Economic Stance):
「敵」と「味方」の認定 (Enemy &Ally Designation):
道徳的基盤 (Moral Foundations):
対人スタンス (Interpersonal Stance):
コミュニティ帰属意識 (Community Belonging):
「世界の全てを冷笑し、ワンルームの『コックピット』から呪詛を撒き散らす、孤独な氷河期サバイバー」
この人物は、現代日本が抱える「氷河期世代の棄民化」と「ネット世論の分断」が生み出した、悲しきモンスターです。経済的な停滞と社会的な孤立が、彼から他者への共感能力を奪い、代わりにネット上の過激なイデオロギーで空虚な心を埋めさせました。彼は社会に対して「復讐」するかのように冷笑的なコメントを書き込み続けますが、その刃は巡り巡って、誰とも繋がれない自身の孤独をより一層深めていることに、気づかないふりをし続けています。
でもメスがぴえんしたらワンチャンあるかもしれないんでしょ
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ?あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
これってどっちの家系かで聞く話が違いすぎて認識合わないだろうな
ネトウヨ見てるとやたら好戦的で、日中で開戦したら世の中がらがらぽんになって下剋上上等、むかつく金持ちや高学歴どもが徴兵されて不幸になってざまあみろって思ってる節があるんだけど、
そんなこと昭和の戦時中すら起きてなくて、金持ちや大卒高学歴と、貧乏人、自営業、低学歴で明確に徴兵等の扱いで差があったんだよな
お前が後者の家系だと聞かないだろうが、当時の時点ですでに金持ちはバンバン海外に生活拠点一時的に移したり、高学歴の軍の将校の知人、親戚は配給で特別扱いされたり徴兵でも通信兵などの生命リスクの低い配属割り当てられたりしてた
前線に送られるのは地方や田舎の低学歴や、八百屋のおっさんみたいな自営業だらけ
考えてみれば当然なんだよな
政府高官は当時から帝国大学卒のキャリア組だらけで、そいつらと同窓の後輩や先輩を危険な前線に配置させたくないという同情心、共感が働くのに対し、
地方のヤンキーとか低学歴、貧乏人みたいなやつらになんか制服組が共感や同情するわけねーじゃん
だから日中で開戦したら、申し訳ないけど地方の貧乏人から徴兵されて前線で大量に処分されるよ
ロシアだってウクライナ戦線の最前線にロシア国内の少数民族とか、好ましくない属性の国民を送り込んで敵のウクライナ兵に殺させたりしてるんだから。
東大卒をはじめとする高学歴が政府や国会議員を牛耳ってる日本において、開戦で地方のヤンキーやイキリ低学歴が下剋上するはずなんて最初からないんだよ
ワイは僕アカ1話で切ったので爆轟君のイメージは同級生に自殺をほのめかすいじめっ子のクズでとまっているので、あなたの境地には一生たどり着けそうになくて本当に申し訳ない
でも気に入らない属性の人間をカテゴリ分けして罵倒してもいいと思っているような人間がファンってことは彼を見てそういう姿勢を学んだんだろうなぁということは容易に想像がつくので爆轟君は最後までそういう人だったんだろうなぁということはわかりました。
なので未だにジャニーズが下落しているのを認められない属性はホビット男性くらいだが
同世代の元ジャニーズでホールツアーや武道館埋めてるのは郷ひろみと近藤真彦と田原俊彦といった人権身長のみ
たぶん世間的には前者だというのだろうが、殆どの場合は後者の方が属性として可視化されやすくて叩かれている印象
独身オジとしてはパパにはもうなれないけど、家庭を持ってる人は素直に尊敬している
だからパパママと言う属性で叩かれいるのは可哀想だなと思う反面、俺達はむしろ日陰者として無視されているからどっちがよいかわからんな
私は30代半ばの女だ。
最近ノンバイナリーについての漫画がXで話題になっていたのを見た。
それについての反応で、要約すると「これは性嫌悪の話で普通の女だ」というものがあった。
確かにあの漫画の作者に性嫌悪は確実にあるだろうが、それだけで語るのは無理があると感じる。
昔私も「自分はノンバイナリー(もしくはXジェンダー?)なのか?」と悩んだことがある。
だが現在はどうでもよくなったので身体性別以外での性別について考えるのはやめた。
しかし、名乗りたくなる気持ちはわかる。現代社会で生きる以上必ず悩む人が出てくるものだと感じている。
なので、それについての私なりの考えを文章にまとめることにした。あくまで私なりの、だ。
まず、私は自分の性別に違和感を覚える理由は性嫌悪より社会に求められる役割のほうが大きいと考えている。
そう言うと「それは女性ならみんなが感じている」と言う声が聞こえる気がするがそういうことではない。
私は女性なので男性のことはわからないが、少なくとも私は「女性に女性だと受け入れられていない」と感じていた。
生まれてこの方可愛い洋服や化粧などに一切の興味が持てず、男性アイドルにも女性アイドルにも興味がない。
加えて私はあまり恋愛ごとにも興味がない。これまで好きだと感じた人を思い浮かべると男女比率は半々で、性別関係なく性愛は感じない。
そんな奴が女性の中に混ざると当たり前に浮く。全く話が合わない。
そして女性はなんか変な人を見抜くのが得意だ。私のようなものを弾く。自然と孤立する。
結果「ただでさえ女性らしいものに興味がない上に、多くの女性に弾かれる自分って何なんだ?」という考えに行きつく。
そこで一旦性別というのがキーワードになり、それを疑うという流れになる。同性として受け入れてもらえず孤立していると感じるのが大事な点だった。
もちろん女性たちは実際は「女性」から弾いているわけではない。単純に変な人や話の合わない人が多いという経験則で「輪」から弾いているだけだ。
「輪」から弾かれたものたちが集まって新しく輪を作るには、名前を付けるしかない。
もちろん人間の人生はいろいろで、これに加えて性嫌悪や発達障害なども絡んでくるだろう。
だから一概には言えないが、少なくともこの考え方だと漫画の作者を「普通の女」だと言い切るのは少々酷だと感じる。
輪に入れない孤独感の中、「女性らしく出来れば孤独でなくなるのだろうか?」と感じて努力するのは悪いことなのだろうか?
具体例を挙げると結婚や出産のことだ。しかし「それをしたからお前は女である、女であることから逃げるな」などという意見が散見された。
現実の社会とインターネットで語る理想なんか違うに決まっている。せざるを得ない、それ以外に救いが見えない状況なんていくらでもある。
強い言葉を投げる女性たちは性嫌悪が原因なら共にフェミニズムを掲げて戦ってほしいのかもしれないが、少々見当違いなのではないだろうか。
ノンバイナリーを名乗るor名乗りたくなる人間は、同性の人間を味方だと感じていないのだ。
手術をそう簡単にはしてはいけないのはその通りだし、未成年が手術に踏み切ってしまったらという懸念はもっともだ。
しかしその言葉をずっと自分をのけ者にしてきた存在が言うなら「また否定されているな」程度にしか受け取られないだろう。
この辺りに、所謂マイノリティとシスジェンダー?との断絶があると感じている。
多分私は性別とか関係なしにあまり関わりたいと思われない人間なだけだ。昔は悩んだが今はもうどうでもいい。
ずっと輪に入りそびれながら、なんとかやっているうちに社会にあまり関わらずに一人で生きていけるようになった。
男性らしさ女性らしさを求めてくるのは世間と社会だ。そこから離れてしまえば身体の性別以外に性別なんて概念は必要ない。
しかし多くの人間は他者との関わりを生きがいにしていたりするだろうから、これは誰もができる解決法ではないだろう。そもそも解決はしていないかもしれない。
Xでは女性は性的な嫌がらせを受けて男性を敵と見る流れが多く、ノンバイナリーを名乗ることはそこから少しでも男性側に逃げようとしているように見えるだろう。
だがそれだけではない。そもそも別にノンバイナリーを名乗りながらフェミニズムを推し進めることは出来るしなにもおかしなことではない。
ノンバイナリーを名乗る人に対して強い言葉で何かを決めつけるのは余計断絶を深めるだけなのではないか。
…というようなことが言いたかったのだと思う。
まぁ別にノンバイナリーに限ったことではなく誰に対しても強い言葉や決めつけはよくない。
手術について、本当に誰かが後に困ることを「心配」して口を出しているなら多分言い方を変える必要があるだろう。
それを言う人がいつか必ず後悔すると確信していても、それは現在覚悟をしている人に嫌な思いをさせ未来で後悔している人の傷口に塩を塗るだけだ。
長々書いたが私も手術については絶対に気軽に出来てはいけないと思っている。特に子宮については。
女から逃げるなについては今その話してないよと思うが、まぁ仕方ない。自分と違う属性の他人の苦しみに興味を持てないのは当たり前だ。
Permalink |記事への反応(27) | 02:19
「作りたがる奴ばかり多くて、受け手が圧倒的に少ない界隈」地獄じゃね
具体的に言うと、個人アプリ開発、インディーゲーム開発、個人Vtuber、歌い手、ハンドメイド、物書き、ピアノとか
誰かが作品をリリースする。「すごい!」「リリースおめでとうございます!」とリプライが飛ぶ。
一見、活気があるように見える。
これ、何が起きてるかっていうと、全員が「次は自分の番だ」と思って義理いいねを投げ合ってるだけ。
純粋な客なんてどこにもいない。
で、この構造の中で唯一、確実に儲けてる奴らがいる。
「ツルハシ売り」だ。
ゴールドラッシュの時と同じことが、現代のクリエイター界隈でも起きてる。
作り手ばかりいるから、そこをターゲットにした商売だけが肥大化していく。
「何かを作って表現したい」という純粋な欲求が、カモとして養分にされていく。
一番闇が深いのがこれ。
最初はみんな純粋に「良い作品を作りたい」と思って参入するんだよ。
でも、すぐに気づく。「あ、これ誰も見てねえわ」って。
市場には供給が溢れかえっていて、可処分時間の奪い合いですらない。ただノイズをつくってネットの海に投げてるだけ。
そこで心が折れたけど、飯は食わなきゃいけない人間がどこに向かうか。
「作りたがる人にノウハウを売る側」に回るんだよ。
「アプリが売れなかったから、バイブコーディングの稼ぎ方を売って稼ぐ」
「ハンドメイドが売れなかったから、ハンドメイドの稼ぎ方を売って稼ぐ」
#新人〇〇さんとつながりたい
みたいなハッシュタグにはこういうワナビーをカモにする側に回った連中が殺到する
始めたばかりの新人は不安だし、作品を発表しても受け手もいないので孤独だ。そこに奴らは接触してくる。
新人から見たら相手は経験豊富な先輩だし、「〇〇◯万円稼いでる」とプロフにも書いててすごい存在に見えてしまう。
そうして信頼関係を築いたあと、DMで高額商材を売りつけてハメる。常套句は「すぐ稼げて元取れるから」
最近歌い手や個人Vtuber界隈でちょっとした騒ぎになってたやつね
商品じゃなくて、夢を売って会員を増やしていく。
末端の会員(新規参入者)が金を出して、古参がそれを吸い上げる。
「夢を諦めるな!」
もういいよ。
みんな、頼むから「客」になってくれ。
Permalink |記事への反応(31) | 13:28
暴言に暴言を重ねて優位に立てるつもりなら、まず前提の組み立てからやり直した方がいい。
論理の骨格がスカスカなまま威嚇だけ盛っても、結局自己放尿で床を濡らしているだけだ。
貴様の文章は、比喩の導入から結論まで、一貫して論理的整合性が欠落して自己放尿している。
まず、「ダチョウは力強い」「ダチョウは群れをなす」それは生物学的特徴であって、他者の比喩的揶揄の反論として成立していない。
比喩の批判を比喩の別列挙で返してどうする。属性列挙が反論になると錯覚するのは、論理の基礎体力が欠けて自己放尿している証拠だ。
次に、「数の暴力は物理的にも比喩的にも強力」その通りだが、それを根拠として「だから突撃する」というのは論理ではなく自己放尿の宣言だ。
論理的ステップをすっ飛ばして「多数側だから正義」という短絡に逃げ込む時点で、あなたの主張は既に自己放尿と集団放尿のダブル放尿レベルの自壊構造になっている。
さらに、最後の「ニワトリのクソオス」云々。これはただの属性攻撃であって、反論ではなく感情的反射だ。議論の場で属性攻撃しか投げられない時点で、貴様自身が「声だけデカい」と自白しているようなもの。
貴様の書いているものは脅し文句ですら論理破綻して自己放尿しているという意味で致命的だ。
悪いことは言わない。威嚇を装うなら、せめて論理的骨格を整えてからにした方がいい。
さもないと、今回のように、貴様自身が踏み潰したい相手ではなく、自分の主張そのものを踏み潰して自己放尿してしまうことになる。
肉食動物が肉を食うのは悪いことか?語るのを避けられるべきことか
ズートピアの住人(哺乳類)は草食のズートピア住人(哺乳類)を食っていない。悪いことでも良いことでもないと作中で言及されている。セリフをまともに理解できてない?
人間の話を野生動物に例えるのは古典的なよくある詭弁。こんな事をマジで考えるようなら思考が反ワクと同レベルなので舌を噛み切って死んだ方がマシ
上と同じ。しかも肉食と後者の間に何の関連性も共通項もないので更に悪い
ただそうであることが本当に悪か
ズートピアに関係ない、古典的なあるあるバカ詭弁の繰り返しに大変困惑
ズートピア内ではすでに「本能を押し殺す」節について言及済み。本当に作中のセリフを理解しているか疑わしい。言語を理解できないタイプ
バディものとしては傑作だと思うけど
バカのうわごと、意味の通らない詭弁ごときが、学術的議論の集積(こいつ曰く正しい価値観の押し付け)に、肩を並べられると思ってるんか?ちんさんIQ低すぎない?
意味不明
「この女性キャラはお前らじゃないよ」「エロじゃないよ」「エロいと思ってるのはお前らだろ」って。
当方ある業界のフリーランス(10年以上)。40代。既婚子無し。
稼ぎの大半を毎月インデックス投資にぶっ込み続け、気づいたら資産1億達成。
別に特別優秀だったり熱意があったわけではないが、仕事は好きだしクライアントにも恵まれた。
9時〜18時まで在宅で仕事して夜は趣味やトレーニングにあてる。
もちろんいずれ仕事は減っていくだろうが、今ある資産を運用しつづければ安泰かなという安心感があるので
全然ガツガツしていない。契約切られたらしばらくゆっくりしようかなと思う。
プライベートでは特に浪費はしないが、たまの旅行や食事、車にはまあまあお金使う。
性格的に目立つのが好きじゃないので、資産自慢するでもなし、SNSやYoutubeで承認欲求満たすでなく、
ひっそりとお金持ってるおじさんとして生きているが、
さすがに近しい知人友人には「あいつ結構金持ってそうだな」とは思われているっぽい。
だからなんだというわけでもないし、こちらも鼻にかけたり見下すつもりはないけれど(態度にうっすら出てる可能性は否定しない)、
やはりどうしても静かに疎遠になっていく。
であれば似たような境遇と性格の人と繋がりたいが、この手の人達はネットの世界にはまず出てこない。
彼らはSNSで自慢しないし、異業種交流会にも来ないし、オンラインサロンにもいないから。
「同じステージにいる人が見つからない」という孤独が発生する。
普通だったら子育てや小遣いの少なさ、や上司・部下からの圧力、将来の不安など、
悩みを、近い境遇の友人や同僚に愚痴ることで癒やされるのだが、
自分にはその手の悩みが一切ない。
悩みがないことが悩みなのだ。これは大真面目に言っている。
家庭の事情に追われることもない。
だからこそ奇妙な話なのだが、悩みがないことが悩みになっている。
何かに怒る必要もなく、誰かに愚痴る必要もなく、無理に頑張る必要もない。
人間関係の潤滑油は、案外「不満」や「疲労」や「愚痴」なのだと気づく。
そしてそれがない自分は、どこか別の世界にいるような感覚になる。
会社員投資家やスタートアップ経営者の億万長者ではまた違うのかもしれない。
フリーランス・一人親方ゆえのセカンド・サードプレイスのなさがより孤独感を強めている気がする。
それが今の悩み。
狭義のミーハーは髪型や服装を流行に合わせて体型や清潔感を保つ。ミーハーコンテンツオタクは自分の外見を気にしないので体型や清潔感が保たれていない。
狭義のミーハーは周りが恋愛していれば自分も恋愛しなきゃいけないような気がして恋愛を頑張る。ミーハーなコンテンツオタクはむしろ恋愛を馬鹿にする。
狭義のミーハーは流行のカフェやテーマパークなど施設を楽しむため外出する。ミーハーなコンテンツオタクは家から出ないので健康を害する。
狭義のミーハーはテーマパークに一緒に行くためやレストランに一緒に行くため友達を維持する。ミーハーなコンテンツオタクは一人飯できる店にしか行かないので友達を必要としない、交際費を1円たりとも払わない。
ミーハーなコンテンツオタクは狭義のミーハー(王様のブランチ好きそうな女とかインスタに貼りついてそうな女など)を馬鹿にしているが、狭義のミーハーを劣化させたものがミーハーなコンテンツオタクだと思う。
狭義のミーハーから容姿と健康とコミュニケーション能力と既婚属性と子供を取ったものがミーハーなコンテンツオタクなので、何も残らない。ミーハーなコンテンツオタクをやるのに必要な能力が何一つない。
昨年の今頃何やってたんだろうって振り返ってみれば返るページもないって言うけれど、
私はちょうど一年前に、
ってちょうど一年前にって言うとザ虎舞竜さんのロード256章の話になっちゃうけど、
そっちのちょうど一年前にはなにやっていたんだろうって。
そしたらNIKKEのことが書いてあって、
その時はみんなレヴェルが160!
アリスって言うニケだけが199になってわーいって大騒ぎしている様子が描かれていたわ。
当時はそれ以上160超えるとかさらに200レヴェル超えるにはどうやったらいいんだよ!って
そんな私もステラーブレイドとのコラボ企画以外では無課金のところ、
トルコの射的の無課金おじさんのゲットワイルドどころではないのよ。
わーい!
どんどんひゅーひゅーぱふぱふ!
ってもう往年の國府田マリ子さんとかヒュージャックマンさんぐらいしかどんどんひゅーひゅーぱふぱふって言わないけれど、
そこを気をつけないといけないわ。
そんで私はニケたちがレヴェル360!を超えるは超えるけれど、
上がったとて
そんなに進められずに相変わらず敵ラプチャーの強さに手を拱いているのよ。
まんべんなくニケたちを強くさせなくちゃ!
あと、
ニケたちがそれぞれ持っている例えば炎とかって属性があるのね。
敵にその属性が合致して攻撃すると与えるダメージがより大きくなるの!
ここら辺のレヴェルに達成すると
何も考えずに好きなニケ達で編制していても勝てないのよね。
特にトライブタワーっていうニケの製造されたメーカーごとで編制する縛りのミッションがあるんだけど、
そこも、
ちゃんと真面目に炎とか水とか風とか鉄甲とか電撃のコードとかあうように編制しないと勝てないのよ。
そこに気付いちゃったわ!
そうしたら行き詰まっていて煮詰まっていた鍋の底に一欠片のおでんの牛スジを見付けた感じのラッキーをとは裏腹に、
勝てるようになってきたのよ!
あと始めたときは「オーバーロード」ってなに?って全く意味分からなかったけど、
今はもうそこまでやってオーバーロードして武装を改造してさらに強くしなくては話にならないので、
オーバーロードってなに?それ美味しいの?って
鍋の底に一欠片のおでんの牛スジを見付けたと同時に味わうあのなんとも言えない味わい深い煮え切ったとろける牛崇神もきっとお喜びになるぐらいのトロトロの牛スジなのよ。
私がNIKKE始めた頃
よその舞台のニケを見ているとなんでマシンガンで300発以上弾数あるの?って謎過ぎて謎過ぎて謎だったけれど、
オーバーロードして弾丸装填数を改造してアップさせていたのね!って気付いたのはそれから随分あとのことよ。
あの、
アリスダイヤリーって言うのはアリスってニケをいろいろ強くしていくと物資がもらえるミッションがあって、
オーバーロードって項目があり、
これってどうやってやるの?って皆目見当もつかないあの頃が懐かしいわ。
山崎まさよしさんが桜木町で見付けられなかったものを見付けた感じなのよ!
だからアリスダイヤリーを全部まさか自分でコンプリートできただなんて!って思い出すわ。
その時はメインストーリーのキャンペーンも全然進められてなく、
とはいえ、
はて?このニケだれ?っていうのが多かったけれど、
今はみんなもう分かってるわ!
見た目が派手で何このアホっぽいニケは?って言葉を選ばずに言ってあんまり苦手だったニケも
アーカイブの私が何度もここで言って泣いている「ミラクルスノー」のイベントはとても良い話よ。
だから、
なんかアホっぽいバカっぽいニケもいるけど、
みんないいニケなのよね。
それを知った瞬間になんかじーんとくるの。
最近はイヴみたいにバトルバトルした強そうで美しい新ニケの登場が少ないんだけど、
私はカッコよくて強くて美しいニケの新SSRだったら回しちゃうけど、
カウンターズっていう、
いわば主役級のニケたちがいるけれど、
ラピはレッドフードラピになって強くなったでしょ?
いずれなりそうで機会を伺っているのかもしれないわ。
量産型だけでずんずんストーリーを進められるようにって思うけど、
結構倍以上話されているでしょ?
今年の流行語大賞の
はらたいら、はらたいら、はらたいら、はらたいら、はらたいら。
合計で15000点!ってワオー!
そのぐらいの開きなの。
ちょちょっと、
到底全部のニケたちまで最強に仕上げる作業と物資は無課金ではゲットワイルドなのよ。
とても難しい挑戦ね。
2軍がどんどん追いついてきていて、
3軍もまた力を付けてきているから、
地味に強くはなってきているのよね。
だけど、
いまだにみんなと高いレヴェルに揃えられるシンクロデバイスってのがあるんだけど、
そこに装着させられてないニケのレヴェル1のニケたちもたくさんいて、
追いついていないところもあるのよね。
NIKKEの過去のイベントストーリーを見るだけのモードもあって、
そのフィルムのアイテムも36個とかたくさん持ち過ぎちゃって、
全部のアーカイブを見れちゃうかも!って見尽くせないところもあって、
やることたくさんあんのよね!
懐かしさを感じるために、
その頃見ても全く意味が分からなかった文脈もあるかも知れないわね。
今観たらまたより楽しめるかも~。
メインストーリーのキャンペーンとハードモードのキャンペーンと全然戦闘力が足りなくて足りなさすぎて、
レヴェル360なのによ!
弱くて進めないの。
苦手なパズルステージのロストセクターのミッションもこなしたり出来るから
見付けたらやることはたくさんあるのよ。
私が見て見ぬ振りをしているだけ。
でもステラーブレイドとのコラボ企画ではちょっと散財だったので、
ちょうどいいでしょ?
売上には貢献しているので無課金プレイヤーでも見逃して欲しいわ。
ステラーブレイドとのコラボ企画のリバイバルは来年6月にきっとありそうよ。
それまでに
強くてカッコよくて美しくしい新SSRニケが新登場しちゃったらまた変わってくるかもね!
なにがやってくるやらで。
うふふ。
レモン炭酸水2ケースが未だに届けないのは大丈夫かしら?ってちょっと心配にあるというか
他で買ってきちゃおうかしら、
どんどん発送予定があとの日にちに変わっていくのよ!
ふーふーしながら飲みーの朝の暖を暖かく身体の中から温めるのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!