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2025-12-16

anond:20251216084056

負け組はかわいそうだね

しっかり勉強して学歴を上げてコンプラのしっかりしたところに就職すれば、休暇の理由を聞かれることはない

Permalink |記事への反応(0) | 08:43

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2025-12-15

すみっコぐらし公務員副業 前編

増田投稿してみる。

当方は30代の地方公務員である関東役所で働いている。役所の中ではいわゆる最前線。直接住民に接する仕事である。正直、大した者ではない。勤務評価が高いということもない。

今回は、そういうエピソードを語りたい。いわゆる自分語りになるけど、できるだけほかの職員面白い話も入れてみる。最近ネタはさすがにまずいので、目安は五年以上前ということにする。

守秘義務!とか言われるかもしれんが、これまでの公務員増田の先達が綴った日記を読んでる限り、若輩である俺が語る内容は大したことじゃない。これまで人気作になった増田公務員ものを、例えばサバンナライオンだとすると、これから俺が語るのはチンチラである

サバンナライオンチンチラガチ喧嘩になった場合100回中95回はライオンが勝つだろう。先達の増田の方が偉大だということだ。

まず、お世辞抜きで査定が低い方である民間の人事査定は知らないが、公務員業界は5段階評価である。1~5の中だと、これまで取った中で一番多いのは「2」である合格点未満。

査定結果が悪い公務員は、中学高校で成績悪いヤツのようにバカにされがちだし、イベント仕事選挙事務(最近だったら参議院)とか、市全体の行事など他部署協働仕事があっても大した役割は振られない。上司からも軽んじられる。

だが、俺の場合はそれでいい。悪態ついてるわけじゃなくて、本当にこっちがいいのだ。てれんこやってる方がいい。なんというか、普段職場内ではすみっこの方でしみじみとしてる……そう、「すみっコぐらし」である。それがいいのだ。ちなみにとかげが好き。

公務員給料というのは、査定が2だろうが3だろうが4だろうが、誤差は数%以内である。数段階の役職差を踏まえても、生涯賃金差は10%もいかない(※)。これが地方公務員業界リアル。どんだけ能力に差があっても、同じ年齢で給料待遇に差が出にくい。

国家公務員は違う。同年齢でも最終役職の違いで生涯賃金差が3割違うこともある。具体的には、本省の課長級になると年収が300万近く上がる。以後も同様

持論だけど、今の世の中では、(たとえ給料に差があっても)多くの人は経済社会で「すみっコぐらし」がいいと思う。仕事量が少ないのが一番である。それで、定時になって職場を出たら、『家庭』とか『趣味』とか『たましいの仕事』でもなんでもいいけど、その人が人生で一番大事にしてることをするのだ。

俺も、それが目的で今の市役所区役所)に入った。自分が将来何をしたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算をして、今の仕事――さほど適性のない事務公務員を選んだ。ある意味、静かな退職に近い。

実際、俺の仕事ぶりはよくない。一例を2つ挙げてみる。できるだけ簡潔に。

後に語る、俺以外の問題職員エピとは極力被らないようにする。

1.ほうれんそう

 これが一番くだらないと思う。連絡とか報告とか相談とか、共有みたいな言葉もそうなんだが。

 何でイチイチそんなことをしないといけないのか、と思うことが今でもある。新人時代から、あまりほうれんそうをしなかった。すると、先輩や上司が怒ることがあるし、こってり絞られる。しかし。

 俺は動じなかった。学生時代からスポーツをやっていた。中学からずっとやってて、高校大学の時には(自分で言うのもなんだが)優れた実績を出してる。就職先の推薦話が来る程度には。

 ある時、ちょっと年上の女性職員からネチネチ言われてたんだが、「まじめに仕事をする気があるの?」と聞かれた時、「答えません。意味のない質問です」って返すと、さらに怒り出した。

仕事をまじめにやるとか、人の質問ちゃんと答えなさいって、小学校で習わなかったの?さっきの窓口のあの人、税金払ってないんだよ。その対応でよかったの?」と聞かれた。この女の怒りは有頂天に達していた。

 さすがに俺もどうしようかと迷って、「小学校で習ったこと、あんまり参考にしてないですね~(^^)」とか冗談を返したら、その先輩女性がキレた。

 すると、上司である納税部署課長がやってきた。

「いい加減にしろ!」

って、その課長が俺と先輩女性一喝した。当たり前だと思う。区民やその他の人も見てる中で、先輩女性はみっともなくキレた。俺は冷静だった。

 先輩女性は、次の瞬間に「なんでわたしも怒られるの!?」みたいなことを叫んだ。それで俺が睨まれたので、睨み返していたら……上司に別室に連れて行かれた。

 ある小部屋で、遠まわしに「この一年ラストだ。ダメなら辞めろ」と言われた。「課長の方も、考え方や価値観現代社会に合ってないですよ。あの先輩、あんなに大声出して、区民の方に聞かれて課長は情けないって思いませんでした?」と問い返したよ。

 課長ちょっと前の飲み会で部下にハラスメントしてた時みたいに、「いいか。次は人事んところに行くぞ。退職勧告したろうか」と凄まれたので、「意外と俺の方が勝つかもしれません。勝負事好きなんで。先日の飲み会の時のセクハラ行動、ばっちり録画してます(^^)/」と静かに伝えると、課長はため息を吐いた。

 そして、これらのことを言った。

「お前、もし障碍とかあるなら言った方がいいよ。あるなら特別扱いしてやる。こっちのメンツも立つし、お前の身も安全になる」

捨て台詞を吐いた。

 それからまた少し問答があって、課長は小部屋を出て行った……その後、人事課に呼ばれるなんてことは当然なかった。この程度のことで人事課は動かない。こんなことに関わってる時間はないのだ。もっと本質的なことに集中すべきだと俺も思う。

 実際に準備はしていた。あの税務課長が人事課にダイレクト突撃すれば、俺は人事課に呼び出されて、場合によっては説教以上の不利益を受けてしまう。でも、極力そうならないように、ダメージを少しでも減殺できるように、課長やほかの先輩が悪いことをしてる情報証拠付きで入手していた。

 あの課長は、俺が持ってるカードに気付いたのかもしれない。もしくは、あの人は農業部署の係長課長だった時もパワハラ有名人だったんで、人事課から釘を刺されていたのかも。

2.企業モンスタークレーマーとの闘い

 俺にも地方公務員としての矜持がある。査定が低いというだけで、実際に仕事はできる方だと思う。ただ、俺のことを嫌いな人が一定数いる。自分を隠すのが嫌だから、常に本音をぶつける癖があるせいだ。

 好きな人はすごく好きなんだけど、嫌いな人はすごく嫌いだ。それで結局、低い査定になってしまう。たまにだけど、5段階評価で「3」以上をくれる上司もいる。

 さてさて。この当時は、泥臭い事務仕事をする部署にいた。所管業界でいうと建設不動産であるタイトルにある企業モンスタークレーマーは確か、都内本社がある工務店だった。ある問題案件で、うちの道路局(一部署)が窓口まで呼び出した。

 セ・リーグ試合で、スタジアム内にスポンサー企業名を載せるほどの会社だった。だから紳士的な対応をしてくれると思ったのだが……以下、当時の折衝記録簿(GoogleDriveに保存)から、最低限だけ抜き出して説明する。企業名が特定されそうな部分は削った。

 かなり圧縮した。最初発言自分で、次の発言相手会社のなんとか部長の人である会議室ではなく窓口を選んだのは、密室を避けるためである相手ヤクザ気質である可能性があるので、こういう時はオープンな窓口とするのが基本だ。

 まず、俺の隣には直属上司である係長が座っていて、対面のなんとか部長の隣には、本件をやらかし一般社員ハムスターみたいに縮こまっていた。

「○○設計さんが先週、道路側溝に無断設置したグレーチングは、昨日撤去したということでいいですか?」

はい。今朝撤去が終わってますね」

ちゃん道路占用許可申請をすれば通るとは思います。追加で○△の施工必要になりますが」

グレーチングですが、水路端にただ置くだけではいけない、その○△の追加施工をしないとだめだと聞きましたが本当ですか?うちは、施主さんのために無償サービスであれを置いてあげたんですけど」

「当市でもほかの市でも、店売りのグレーチングドン!と水路蓋として置くだけだと道路占用許可は降りません。県の基準もあるので。あのグレーチング、占用物ということになると、あそこの新しいお家の所有物になります。今後何があっても、あのお家の責任なっちゃうので。無許可占用だと、十年後なんかにご近所トラブル危険がありますグレーチング老朽化した後だと特に……」

「やはり占用許可はいらないです。撤去するだけにします。それで、あのお家の並び、ほかのお家も勝手にというか、道路際に水路の蓋や歩道ブロックを置いてる家、いくつもありますよね?」

「ありますね。昔だと、勝手に置くことができてしまったので。今は施工業者さんが必ず申請を出します。昔であっても法律上はアウトなんですが」

「あれらの家には撤去求めないんですか?」

「あれらはもう無理です」

 ※民法解釈では、無償賃借権時効取得している扱いになる

「なんでですか!うちらだって施主さんのために無償グレーチングを置いてあげたのに。不公平です」

「いえ、けっして不公平では」

「同じ並びの家にもきちんと指導してください。それで、その結果をうちに報告してください」

お断りします

「あ?なんでや!おかしいでしょうが

おかしくありません。指導するかしないかは、道路の所有者である道路局が判断します」

差別ですよ。なんでうちだけ撤去するんですか」

あなた会社上場企業から。悪質さが違いますから。明らかに知ってて故意でしょ。はっきり言いますけど、グレーチング所有権とか責任とか、占用許可を取らずに施主さんに押し付けて、最終的な責任とらせようとしてましたよね?」

「いやいやいや!なお、おい……うちら都市計画課これから行きますけど。あんたの道理が正しいか判断してもらいましょうか?」

「いいですよ。どうぞ」

「てゆうか、別の人出してもらっていいですか?係長さんはいるけどさ、課長さん出してよ。今あそこの奥にいるでしょ」

建設課長は奥の席で縮こまっていた。気が小さいタイプ課長だった)

「これは部署内での決定事項です。協議済です。結論は以上です」

(本当は協議してない。係長課長もヒラである俺の判断を追認することが多かった)

 その後、上記の○○設計建築許可担当している部署クレームを付けていた。ただまあ、縦割り行政なんで、そこに行ってもどうにもならないし、こちらに対応依頼や情報提供があることすら稀である行政機関はそういうものだ。うちが大きい役所からかもしれないけど。

 俺の接客態度は、正直悪いことが多かった。戸籍課とか福祉保健課などに比べると、うちの接客は荒っぽくなることもある。でも実際、モンスターハンターみたいな企業は多い。あっちが法令違反してるのに逆ギレするんだからこちらとしては、乱暴な口調の会社住民が来たら、【そういう対応】をせざるを得ない。

 以上の体験について思うことがある。

 係長課長も、気が弱いタイプだった。怖い見た目の業者が怒鳴ってくるとタジタジになる。しかし、俺みたいなヒラ職員リスクを背負って、ああい土木建築・測量設計行政書士・司法書士土地家屋調査士と戦うから上司トラブルの矢面に立たずに済む。

 そして俺も、ほうれんそうとか法令順守とか社会常識とか、そういうのに囚われずに仕事ができる。彼らとはWinWinの関係だった。

 この部署では、なんと係長が俺に対して「4」の評価をくれた。でもそれを貰うと、次はレベルが高い部署に異動になる恐れがあったので、建設課長に頼み込んで「3」に引き下げてもらった。係長、ごめんな。今でも感謝してるよ。ありがとう

(中編・後編は明日21:00までに)

Permalink |記事への反応(1) | 22:39

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anond:20251214182609

# 車田宅士 年表

##1967年(0歳)

##1985年(18歳)

##1986年(19歳)

##1990年23歳)

##1992年(25歳)

##1998年31歳)

##2005年(38歳)

##2008年(41歳)

##2012年(45歳)

##2015年(48歳)

##2018年(51歳)

  • 長女が結婚、孫が生まれ
  • 「やっと一人前の爺さんだな」と同僚に祝われる

##2020年53歳

##2022年(55歳)

##2023年(56歳)

##2024年(57歳)

##2025年(58歳)

---

### 補足設定

Permalink |記事への反応(2) | 13:57

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anond:20251215131646

放送大学がやれてるから大丈夫だろ。

でも、世界の潮流から逆行してるな。

学部生なんか金積めばいくらでも入れるようにして、その金を原資に修士博士途上国秀才たちを傭兵として引っ張ってきて研究を進めるのが賢いやり方。

学部で出ていくやつらはどうせ就職して大学に貢献しないんだから、ふんだくるのが最適解。

修士無料博士給料たっぷり出す。

ポストはないから課程を終了したら留学生は国に帰ってもらうけど、国に帰ればエリート扱いだしお互いWinWin。

Permalink |記事への反応(0) | 13:29

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みいちゃん他人事には思えない

自分ADHD診断済みの女。

みいちゃん山田さんを呼んでいるけれど、みいちゃんのことが他人事に思えない。

自分もみいちゃんになる可能性があったと思った。

みいちゃん自分に違いがあるとすれば、見た目だと思う。

私は人生の分かれ道で、性産業から拒否されたことが救いになった。

どんなバイトをしてもうまくいかなくて家賃一年くらい滞納し、光熱費も払えず水でシャワーを浴びて限界になり「もう夜の世界しかない」と思ってキャバクラ面接に行ったけど落ちたw

水が一番止まるの遅いんだよ。知ってる?

風俗でも「見た目が…」って断られた。

ちなみにデブではない。身長162cmで体重は49kgだった。顔はデカいから、顔が体重のうち30kgくらいは占めていたかもしれない。

あの時は「自分には女性としての価値もないんだ」って落ち込んだけど、正直、今はそれがラッキーだったと思える。

見た目がブスで「若い女」を商品にして稼ぐこともできないなら、会社員として働くスキルを磨くしかないと決めることができたから。

ブラック企業だったけど、正社員として就職してがむしゃらに仕事頑張ったら成果が出て昇進して、人生ではじめて成功を感じられた。

30歳間近にして、うまれてはじめて仕事評価されて嬉しかった。

みいちゃんかわいいから、「評価されて嬉しかった」が中学校ヤンキー身体を明け渡す体験だったのかもしれない…

私はたまたまブスに生まれたから、性的成功体験を積まずに済んだ。

他人言葉の裏が読めず鵜呑みにしてしまうこの特性を持ちつつ、見た目がよかったら、きっと「女」として性的成功体験から間違った方向に進んでしまった可能性があると思う。

もちろん「女」を利用できる賢い人は別にいいと思う。利用してうまく生きていけるなら、それでいい。

でも私は馬鹿から、望まない妊娠リスク性病、より悪い性産業に堕ちていく可能性が高かった。それはまさにみいちゃんなんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:41

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幼少期、「サラリーマンはつらい」と刷り込まれた。

毎日疲れ切って帰宅する父の姿を見て、そう思うようになったのをはっきり覚えている。

 

高校ときには、友人から誘われて接客バイトを始めたんだけど自分だけ全然うまくできなくて。

「働きたくない」と強く思うようになった。

今思うとADHDASD傾向があって、その影響も大きかったのだと思う。自己診断だけど。

結局、大学卒業後は「サラリーマンになりたくない」と思って夢追いフリーターになった。

大学に行ったのは、考えが足りない当時の自分なりのリスクヘッジしか奨学金利用。

 

その後、20代後半に差しかるとちゃんと働く道を探し始めた。

就活お金もなかったから、まずは派遣事務職に就いた。これが初めての土日休み

当時は本当に驚いた。「金稼ぐのめっちゃ簡単!」って。

フリーター時代は平日休みの変な仕事薄給でやっていたんだけど、デスクワークはめちゃくちゃ合っていたらしい。

 

派遣から正社員オファーをもらって、その後もリファラルの話をずっともらって。

自分就活でも第一志望のJTCに入れて実績を積んで、その後の転職も人気企業さらに実績積んで…

苦労することも多いけど、就職したらすぐ同世代の平均以上の年収になったし、割といい感じできてる。

 

ただ、生涯年収はやっぱり大卒ストレート就職には叶わないと思っちゃう

特に自分がいるのが結構いい企業からハイキャリアの人も多いし、年下で家を買ってるような人もいるし。

あと結婚してる人は、お金があるからなのか、お子さんが複数人いる人が多い。

まあ、夢追い期間で得た友人やコミュ力仕事観もかけがえのないものだけど、IFを考えてしまう。

Permalink |記事への反応(3) | 00:01

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2025-12-14

不妊はつらいよ

結婚してもうすぐ10年、35歳が見えてくる歳になった。数年前から妊活を初めて、タイミング法、人工授精体外受精を経てこの間やっと妻の妊娠がわかったんだ。

ただ、結局心拍確認できたのも束の間、子供が成長していないことがわかり、自分も落ち込んで無気力になり、妻は身体にも負担がかかっている中、悲しみと怒りで憔悴しきってしまって声もかけるのも気を使う状態になってしまった。

妻の職場はあまり妊娠出産理解がなく、不妊治療についても会社には言えず有給を使って何とかやりくりしていたんだ。妊娠が分かった後はつわりが酷かったので、伝えるのにもものすごく躊躇したけど、やっとの思いで妊娠した旨と勤務時間の変更について上司に伝えたにもかかわらず(案の定、将来的な産休等について嫌味を言われたみたいだ…)、その直後にこのような結果になってしまった。

とても出社できる精神状態でないからなるべく休んで欲しいと思うものの、不妊治療有給はかなり使ってしまって残り少なく、流産した後にまた黙って不妊治療の為に休むことも難しそうだ(そもそも治療を再開する気持ちにもなれないが…)

妻も今の職場就職してから1年少ししかたっていないし、短期間で退職することは不利になる気もする(不妊治療理解のある会社就職したいが、不妊治療中ですぐに産休育休に入るリスクのある妙齢女性を取りたいと会社もなかなかいいであろう…)

不妊治療の為に仕事を辞めてキャリアを中断して、不妊治療も上手く行かなければ何も残らないし、妻ばかりに負担がかかってしまうのが苦しくて仕方がない。自分治療同席のための中抜けがしやす職場だし、身体にも負担がかかっていないか負担感が全然違ってどんな声をかけても空虚な感じがしてしまう。

何も苦しまずに子供ができる人達が羨ましくてしょうがない。子供が出来なかったとしても、子供がいる人達のためにお金は取られ、仕事でもしわ寄せが来ると思うと悔しくてしょうがない。軽々に相談できる話でもないからせめて匿名愚痴らせて欲しいんだ。

Permalink |記事への反応(3) | 21:32

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別れた彼女歌舞伎町キャバクラで働いてた。

共通の友人から聞いた時、最初冗談だと思った。

「渚ちゃんキャバクラで働いてるの見たよ」

は?何言ってんの?

でも友人の表情は真剣だった。心配そうで、でもどこか興味深そうな顔。

マジで歌舞伎町の。源氏名は知らないけど、絶対本人だった」

頭が真っ白になった。

渚。付き合ってたのは2年間。大学同級生で、真面目で控えめな子だった。

将来は保育士になりたいって言ってて、子供が好きで、いつも笑顔で。

そんな彼女が、なぜ。

別れたのは今年の1月就活方向性の違い、将来への価値観の相違。お互い疲れてて、感情的になって、気づいたら修復不可能になってた。

最後はお互い泣きながら、でも仕方ないねって納得して別れた。少なくとも俺はそう思ってた。

就活うまくいかなかったらしいよ。保育士資格は取ったけど、まともな就職先が見つからなくて」

友人の話によると、渚は奨学金の返済と生活費に追われて、コンビニバイトから居酒屋、そして最終的にキャバクラに行き着いたらしい。

胸が苦しくなった。

付き合ってた頃、渚はよく将来への不安を口にしてた。奨学金のこと、就職のこと、お金のこと。

でも俺は真剣に聞いてなかった。「なんとかなるよ」って軽く流してた。

もっと支えてあげればよかった。俺と別れなければ、こんなことにならなかったかもしれない。

でも、一方で。

正直に言うと、嫉妬してる。

渚が他の男と話してる姿を想像すると、胸がざわめく。お酒を注いだり、隣に座ったり、場合によってはもっと親密な関係になったり。

こんな感情を持つ自分が嫌になる。元彼立場で、嫉妬する権利があるのか。彼女選択否定する資格もない。

夜職が悪いとは思わない。きちんと働いてお金を稼いでるんだから、立派だと思う。

でも渚らしくないとも思う。昔の彼女なら、絶対に選ばない道だった。

どれだけ追い詰められてたんだろう。

友人に「連絡取ってみたら?」って言われた。でも躊躇してる。

なんて声をかければいいのか分からない。心配してるとか、困ったことがあったら連絡してとか、そんな偽善的なことは言いたくない。

かといって、復縁を迫るつもりもない。今の状況で、そんな身勝手なことは言えない。

ただ、彼女幸せなのかどうか知りたい。

仕方なく働いてるのか、それとも意外と向いてて楽しくやってるのか。

しかしたら、新しい恋人いるかもしれない。客として通ってくる男性の中に、本気になってる人がいるかもしれない。

そう考えると、また胸が苦しくなる。

友人は言った。「渚ちゃん、前より痩せてた。化粧も濃くなって、昔とは雰囲気が変わったけど、笑顔は相変わらず綺麗だったよ」

それを聞いて、少しだけ安心した。でも同時に、切なくもなった。

渚は今でも頑張ってるんだ。どんな状況でも、明るく振る舞って、人を笑顔にしようとしてる。

そんな彼女を支えてあげられなかった自分が情けない。

それから3ヶ月が経った今日、衝撃的なことがあった。

会社の同期との飲み会で、歌舞伎町に行くことになった。正確には、同期の一人が「最近通ってるキャバクラがある」と言い出して、みんなでついていく流れになった。

まさかとは思った。でも、まさか本当にそこだとは。

店に入った瞬間、心臓が止まりそうになった。

渚がいた。

派手なドレスを着て、濃いメイクをして、でも笑顔は昔のまま。

彼女も俺に気づいた。一瞬、表情が固まった。でもすぐに営業スマイルに戻して、何事もなかったかのように「いらっしゃいませ」と言った。

同期の一人が「俺の推しだよ!」と言って、渚を指名した。

地獄だった。

目の前で、渚が他の男に愛想よく話しかけてる。お酒を注いで、笑って、軽くボディタッチして。

同期は「めっちゃ可愛いでしょ?」と嬉しそうに言った。

俺は何も言えなかった。ただ座って、ウーロン茶を飲んで、渚を見ないようにしてた。

でも、見てしまう。

渚は完璧に「キャバ嬢」をやっていた。昔の彼女とは違う、でもそれが痛々しいほどに頑張ってる姿が見えた。

1時間後、同期がトイレに立った時、渚が小声で言った。

「ごめん。こんな姿、見せたくなかった」

俺は答えられなかった。何を言えばいいのか分からなかった。

大丈夫?」やっと出た言葉がそれだった。

渚は少し笑って、「大丈夫だよ。生きてくために必要だっただけ」と言った。

保育士は?」

「諦めた。お金がなくて」

沈黙が流れた。

「ねえ、今度ゆっくりさない?」俺は言った。

渚は少し考えて、「ごめん。もう関係ないでしょ」と言った。

それが最後の会話だった。

帰り道、同期が「あの子めっちゃいいよね!また行こうぜ!」と興奮してた。

俺は「もう行かない」と言った。

今、家に帰って、これを書いてる。

お前らなら、どうする?

別れた恋人が、予想もしなかった道を歩んでることを知った時、どう対処する?

連絡を取るべきか、そっとしておくべきか。

俺は今、もう一度渚に会いたいと思ってる。話がしたい。でも彼女は「もう関係ない」と言った。

それでも、諦めきれない。

渚には、もっと良い道があったはずだ。そして、それを阻んだ要因の一つに、俺がいるかもしれない。

今更後悔しても遅いけど、やっぱり後悔してる。

でもできることなら、もう一度話がしたい。

俺は何をすればいい?

Permalink |記事への反応(0) | 18:14

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[AIブコメプロファイラー]ワンルーム孤独氷河期サバイバー

【ご注意】

本稿で提示するプロファイルは、10万件以上のブクマを有するid対象に公開コメントAIが解析し、その深層心理思想傾向をモデル化した「テキストペルソナ」です。これは実在する個人プライバシーを暴くものではなく、言語活動に基づく批評的なシミュレーション思考実験)です。特定個人社会的評価操作する意図はなく、あくまテキスト分析の一環としてお楽しみください。

Dimension 1.社会経済的実存 (Socio-Economic Existence)

世代時代背景 (Generational Cohort):

生活圏・経済階層 (Habitat & Economic Class):

ライフステージ役割 (Family & Social Roles):

Dimension 2.知的OS情報食性 (IntellectualOS & InformationDiet)

専門性認知スキル (Expertise & Cognitive Style):

情報摂取源とリテラシー (Information Sources & Literacy):

文化的資本 (Cultural Capital):

Dimension 3.イデオロギーマトリクス (Ideological Matrix)

政治的経済的スタンス (Political & Economic Stance):

「敵」と「味方」の認定 (Enemy &Ally Designation):

道徳的基盤 (Moral Foundations):

Dimension 4.コミュニケーションと対人戦略 (Communication & SocialStrategy)

対人スタンス (Interpersonal Stance):

レトリック文体 (Rhetoric & Style):

コミュニティ帰属意識 (Community Belonging):

Dimension 5.人物像の統合パラドックス (Synthesis & Paradoxes)

主要な矛盾 (Core Paradoxes):

時系列的変遷 (EvolutionaryArc):

総合プロファイルキャッチコピー (Profile & Catchphrase)

世界の全てを冷笑し、ワンルームの『コックピットから呪詛を撒き散らす、孤独氷河期サバイバー

この人物は、現代日本が抱える氷河期世代棄民化」と「ネット世論の分断」が生み出した、悲しきモンスターです。経済的な停滞と社会的孤立が、彼から他者への共感能力を奪い、代わりにネット上の過激イデオロギー空虚な心を埋めさせました。彼は社会に対して「復讐」するかのように冷笑的なコメント書き込み続けますが、その刃は巡り巡って、誰とも繋がれない自身孤独をより一層深めていることに、気づかないふりをし続けています

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

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働くと出来なくなることって読書以外にもあるかね。

就職すると、単純に自由時間が少なくなるから、なんだって、やる時間が少なくなる、ってのはわかる。

就職するまでは〇〇を月にに◯十時間くらいしてたけど、いまはそんなに時間を費やせなくて◯時間程度におさまってる。」

そういうのはわかる。

可処分時間の減少による趣味時間時短だ。

ただ問題は「読書ってやつは、読書時間が減るというよりも『出来なくなる・読めなくなる』」って現象を招くことだ。

(注「」をたくさんつかってるがAIによる作文ではない)

そう、読書って出来なくなるんだよね。

それがなんでなのか?って原因の追求がが課題であるし、それがわかれば読書は出来るようになる、ってことでしょ。

結局、読書ってなんで出来なくなっちゃうんだろうね?

それを教えてほしいんだけど。

Permalink |記事への反応(0) | 14:02

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忍者就職にしたい

ライバル会社に忍び込んで、情報を盗みたい

忍者から、法的にもセーフ

嘘の情報を流して撹乱させたい

忍者なので、フェイクニュース流しても法的にセーフ

危険人物暗殺…は流石にやらない。令和だし。

ハロワで探してるけど、忍者募集って稀だから、難しい

転職エージェント経由でないと就職できないとも聞く

ネットで探すとこんなページもあった

忍者 になるには?資格年収仕事内容・大学をご紹介】

Step.1

伊賀甲賀忍者衆として鍛錬に励む

Step.2

忍具を使いこなし、忍術を会得する

Step.3

忍者として独り立ちする

Step.4

仕える大名領主の命を受けて暗躍する

https://passing-notes.com/job-list/travel/222170/

かなり厳しそう。

でも「あなたの”成りたい”を大成会応援します!」って書いてるから、まずここに入ることにしたよ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:05

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監視資本主義社会を生き抜く

大学卒業して10年間、音楽世界自分の歌で稼ごうと夢を見ていた。寒い夜に路上弾き語りもしたし、ライブハウス前座を長いこと務めもした。それでも、マイナーレーベルからCDが3枚出たので、そんなに悪くはないと思っている。

そのあと、印刷工場就職した。職場で変に目をつけられたりいじめられるのは嫌なので、国立大卒を隠して、履歴書ではFラン大卒にした。ばれると思ったが、これまで案外ばれてない。たまに、上司増田君は手際いいねと言われてヒヤリとするくらい。夜勤のある仕事で、稼ぎはまあそれなりだけど、1人が生きていく分には問題ない。忘年会カラオケで歌がうまいねと褒められるのもすこし楽しい

音楽業界とは縁がなくなったので、当時の人間関係サッパリ切れたのがよかった。才能のない人は他人嫉妬ばかりして足を引っ張るし、才能のある人は実績を作ろうと他人を蹴落とそうとカリカリしているので、業界雰囲気は思ったより悪かった。

いまは家に帰ると、本を読んだりネット記事を見たりで過ごすことにしている。ビッグデータ監視資本主義社会だけど、内心の自由は保たれるように努力している。頭の微小電流スキャンすれば思考内容が翻訳される時代は、自分世代の生きている間は来ないと思う。だから、読んでなにを考えたかは誰にも教えない。

趣味嗜好は変わるものだし決意すれば変えられる。だから、この時代自分の中の変わらないものデータとして吸い上げられないように工夫するのが生きるコツだと思う。例えば、能力や素の人格、内心を特定する情報GAFAに売らないし、避けられない事情があって外に出すときには必ずノイズを混ぜる。どこにどのくらいノイズを混ぜたかは、自分だけの秘密にしておく。

例外コンテンツだ。クリエイティブものは売りに出して、見せたい自分データとして見せるのがいいのだ。そうすれば、データ市場はそれを見て自分判断する。知恵と創造性だけは、真似できないし、アウトプットを推測できないから。当分のあいだは。

Permalink |記事への反応(0) | 07:06

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2025-12-13

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』って本はタイトルだけ見て

労働が脳に与える影響の計測とか、就職前と後の追跡調査とか

独自科学調査をしてそこから仮説を立てているのかとおといきや

ただ単に歴史的資料をつらつら並べるばかりの本だったのではっきり言って期待外れだったな

Permalink |記事への反応(2) | 23:05

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普通」の女の子になった話

父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。

私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。

父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたこと武勇伝としてずっと話していた。

小中学生スポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベル体罰の話も自慢げにしていた。

父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。

私は幼少期からから殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手ねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。

それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんドラマ流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。



漫画ドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子暴力をふるおうとは思わず男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。

取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。

父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。

休み時間放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚ケンカして遊んでいた。

ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構クリーンヒットだった気がする。

特に気にせず他の男子さらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。

当時の担任先生20代後半~30代くらいの女性だった。

いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。

担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると

「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。

担任の横で泣いている男子の口内が血まみれになっていた。

それから校長室に呼ばれ校長事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。

日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。

私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、

けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、

相手の親から謝罪がないことなどが書かれていた。

担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。

手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。

怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。

数日後、男女数人で公園鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。

1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。

危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなた暴力性は信じられない!あなたおかしい!女の子にも乱暴する気!?

みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。

私は知らない人だったけどたぶん同級生母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。

取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。

危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。

今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。

どう考えてもあの頃の私はおかしかった。

それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段生活では大人しくなった)

腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。

子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。

小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。

制服スカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガ世界しかいなかった。

中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。

穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。

父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。

「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」

「1人だけグラウンド20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブ練習行きたくないと言っている」

知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。

父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。

鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。


大学進学を機に家を出て、就職実家から離れた場所でした。

偶然小学校同級生男子会社で同期となったので、2人で飲みに行った。

当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。

私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。

それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。

何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。

「俺も暴れる問題児だったかお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。

同期は父の教えていたスポーツチームにも所属シバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもから……」と言われた。

私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。



父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。

誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

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年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

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(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(2) | 11:29

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10年来の親友(同性)から「好きだ」と告白された話

10年付き合ってきた友人から、先週の夜、思いがけず「好きだ」と告白された。

自分パニックになった。

いつもと同じ金曜の夜だったはずが…

高校の友人グループで、もう10年近く月2回のペースで飲み続けている。

コロナで一度途切れたが、それ以外はほぼ継続してる。そのメンツの一人が、A(男性)だ。

Aとの付き合いはそのなかでも長い。高1のときに同じクラスで、当時は女の子モテる系の奴じゃなかったけど、気さくで一緒にいて楽しい奴だった。

大学で一度グループと疎遠になってた時期もあるけど、就職後に向こうから連絡があって、そこからまた毎月会うようになった。

特段、何かあった関係ではない。普通の友人だ。

いつもと同じ夜だったはずなのに…

金曜の夜、いつもの居酒屋に着いたのは7時過ぎ。

グループのうち3人集まって、ビール枝豆唐揚げ定番セット。

Aはいつも通り、「最近仕事が……」みたいな話をしてた。

会社人間関係愚痴が多いA。それを聞くのが習慣になってた。

ただ、終盤、他の二人が帰ったあたりで、Aが「ちょっと、話あるんだけど」と言い出した。

「ん?」って返したら、「外で」と言われた。

そこから先は、もう鮮明に覚えてる。繰り返し思い出して、その度に気持ち悪くなるくらい覚えてる。

「好きだ」という三文字が、10年を溶かした

コンビニ駐車場

なぜそこなのか、今でも理解できない。

Aは空を見上げたまま、こう言った。

「俺、ずっと好きだった。お前のこと」

沈黙した。10秒か20秒かわからない。時間が止まってるように感じた。

「えっ」としか出なかった。本当に「えっ」だけ。

高校の時からずっと。でも無理だなって分かってたから、友人のままで、月に2回会うこと、それで充分だった。でも最近、こんなんじゃ駄目だと思って」

ここまで聞いた時点で、俺の脳のどこかは逃げモード全開だった。

Aの話が耳に入ってるけど、理解するのを拒否している、その感じ。

「でも、友人です」というそ一言が殺してしまった

「でも、俺たちは友人だ」

Aはそう言った。

「だから、返事は今じゃなくていい。ただ、言っておきたかった。これからも友人でいられるなら、それでいい」

すごく大人っぽいセリフだった。多分、何か月も前から用意してたんだと思う。

でも、その「友人でいられるなら」という前提条件が、ぐさりと来た。

なぜなら、もうその時点で、俺たちはただの友人ではなくなってたから。

帰宅後も、眠れなかった

帰った。風呂に入って、ベッドに入った。

でも眠れなかった。

LINEは来なかった。Aからは何もない。

こっちからも、何も送れなかった。

友人だと思ってた関係に、恋愛感情が隠れていたのか。

10年間、月に2回会ってた。

その間、Aはずっと俺を好きでいたのか。

それなら、あの時間は何だったのか。

同性愛って、誰かの人生

ここまで読んで、「かわいそうなA」みたいなコメントが来るかもしれない。

正直、Aに対して同情する。

でも、同時に俺のことも考えてほしい。

俺は何も悪いことをしてない。

Aを傷つけたつもりもない。

ただ友人だと思ってた関係に、勝手に「恋愛」というラベルが貼られた気分だ。

「友人のままでいい」という甘い言葉の罠

Aは「友人のままでいい」と言った。

それは相手への思いやりなんだと思う。

でも、知ってしまった側の立場で言うと、それは無理だ。

月に2回、Aと会うたびに、「この人は俺のことを好きなんだ」という事実が頭の片隅にある。

無邪気に飲み会の話をしていたAの顔を見ても、もう「このひとはいま何を考えてるんだろう」と探り始めてる自分がいる。

友人のままでいることは、既に不可能だ。

10年って、長い

10年間、月2回、きっかり120回以上会ってた。

正月以外、ほぼ毎月。

その関係が、一言で「好きだ」で上書きされた。

バグのような話だけど、これって珍しくないんだろうと思う。

長く一緒にいると、どこかで感情のズレが生じるのかもしれない。

返事はまだしてない

今日で、あの夜から1週間。

Aからメッセージが来てない。

こっちからも、返事ができていない。

「友人のままでいい」って言われたから、返事の義務はないのかもしれない。

でも、「返事がない」ことが、最大のプレッシャーになってる。

月に2回の飲み会は、どうするのか。

次会ったときは、どんな顔をするのか。

普通に話せるのか。

誰にも言えない10年の終わり

これを増田に書いてる理由は、誰にも言えないからだ。

共通の友人グループには言えない。

親にも言えない。

Aは、本気で隠すつもりだったんだと思う。

でも、俺はもう知ってしまった。

同性愛告白は「二人の問題」ではなく「二人のなかの一人の人生」なんだと、今になって分かる。

Aは何年も抱えてたんだろう。

俺はたった1週間で、もう友人という名前の何かが壊れた気分だ。

友人のまま、なんてことはない

最後に書くなら、こういうことだ。

「好きだ」という告白は、されたほうの人生も変える。

Aは「友人のままでいい」という逃げ道を用意したつもりなんだろう。

でも、知ってしまった側は、その逃げ道の中で永遠に歩き続けることになる。

10年の友人は、もう戻ってこない。

それが告白の代価なんだと思う。

いつか返事をしなきゃならないんだろう。

でも、その返事が何であれ、この関係は既に壊れてるんだと思う。

誰も悪くない。

ただ、そういう不幸なずれが存在する、というだけだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:25

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婚約者M子

ちょっと長くなりますが、おれもひとつ

ほとんどエロく無いと思いますが、どうしても吐き出しておきたい事なんで、

スレ汚しスマソ。

もう2年も前の話です。俺には婚約者がいました。

就職後に飲み会で知り合った女の子で、会った当時はお互い24歳でした。初めから可愛いなって思ってて,席が隣同士だったのがきっかけで仲良くなり、付き合い始めました。

彼女を仮にM子とします。M子は、性格はおとなしめで、色白のやや小柄な体格をしていました。バストはかなり大きい方で巨乳の部類に入り、ウエストは細くヒップはやや大きめで俗に言う"えっちからだ"でした。

俺が残業から疲れて帰ってくると、料理を作って待っててくれてるような、優しくて気立てのいい女の子でした。

お互い酒が好きなほうで,デートの時にはよく居酒屋Barに行き、楽しく飲んでたものでした。

セックスはお互い初めてではありませんでしたが、体の相性は良く、M子は俺とするようになってから初めてイクようになったと言ってました。

付き合って2年半の後、俺に異動の話があり2年ほど地方の支社に行くことが決まったんですが、

「離れるのは辛くて嫌だ、そんな辛い想いをするなら別れる方がいい」

と、M子が泣いていた時に、プロポーズしました。

帰ってきたら必ず結婚しようと話した時の、M子の泣いたような笑ったような顔を今でも覚えてます

結納を済ませ転勤した後も、お互いマメに連絡を取り合い、休みの時は飛行機に乗って会いに行ったものでした。

転勤から1年ちょっとほど経ったある日。

俺の兄夫婦不妊症の原因が兄の無精子症であることが判明し、俺も検査することになったんです。

結果は、俺も無精子症でした。

目の前が真っ暗になり、体がガタガタと震えました。

自分の体の欠陥についてのショックも大きかったのですが、M子と結婚しても子供が出来ないといった事実が怖かったんです。

M子は子供好きな方で、M子の姉の子供の写真を見ながら、「わたしにもかわいい赤ちゃんが出来るかなー」と言ってたほどでした。

この事がM子に判ったら捨てられるかもしれないと思うと、恐ろしくて仕方がありませんでした

しかし黙っておく訳にもいかず、本来帰る予定の無いその週の週末に、急遽M子の所に帰りました。普通なら前もって連絡を入れてから帰るところなんですが、M子と話すのがまだ怖かったので、何も伝えないままの帰郷でした。

M子の住んでるマンションの前に夜の8時頃着きましたが、M子の部屋の明かりは点いていません。携帯電話したけどつながりませんでした。ドアにも鍵がかかっており、どうやら外出してるようでした。

このとき、俺の元いた部屋は転勤の際に解約しており、帰郷の時はM子の部屋に泊まっていたため、彼女が帰ってくるまで居場所がありません。(合鍵は持っておらず、俺の実家は遠いためわざわざ帰る気がしませんでした)

しかたなく、近くの繁華街に行き軽く食事をした後、馴染みのBarに行って暇を潰すことにしました。

Bar入り口まであと10メートルまで来たところです。入り口から見馴れた人物が出てきました。

M子でした。

わず声をかけようとしたところ、M子の隣に男がいました。

俺の見覚えのあるヤツで、同期入社したSでした。

俺とは結構仲が良く、転勤の前はたまに一緒に飲みに行ってる友達で、既に結婚子供も一人いました。

M子とSは、俺を介しての顔見知りであり、たまに3人で食事をしてた程度の知り合いだったんです。

二人はBarから出てくるなり、腕を絡ませて身体をくっつけあいながら、俺の居た所とは別の方向へ歩いて行きました。

その姿は、どうみたって恋人同士の様でした。

(中略)

実は、M子が鬱で入院した時に、会いはしなかったけれど様子を見に行った事があります

M子は、病室の天井を見つめたまま、身じろぎしないままの状態でした。

主治医のDr曰く

鬱病は、症状が重いと全く周りの刺激に反応しなくなり、

中途半端回復してくると自殺することがある。」

何度も自殺しようとしたらしいです。

M子、悩みすぎてました。

俺の行いについて後悔し始めたのは、その時からです。

http://moemoe.mydns.jp/index.php?page=article&article_id=18

Permalink |記事への反応(1) | 07:38

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セックスが嫌いだと知らなかった

初めての彼氏が出来た時の話。

思春期は猿みたいにオナニーしてたし付き合った当時も定期的にしてたしで、性欲はある方だと思ってた。

当時はもう既に「付き合ったらセックスするもの」という社会的な風潮自体はあったし自分も当然そういうものだと思っていた。

キスハグといったボディランゲージによる愛情表現抵抗はなかったし、これは付き合っていた最中も今も同じである

で、することはするわけだが、初体験は凄まじい痛みで挿入さえ儘ならなかった。

指を増やして慣らしていくといった手順は踏んだが、それでも初挿入の時は拷問もかくやといったあまりの痛みに悶絶した。血もドバドバ出た。

でも「破瓜の時はそういうものだ」という知識はあったので痛みに耐えてなんとか完遂した。

初体験の後は暫くトラウマになって性行為自体忌避していたが、それは「付き合ったらセックスするもの」という風潮に反するし「愛のあるコミュニケーション」にはセックス必要という規範があるらしいので我慢して対応した。

慣れてくるに従って痛みは薄れたが相変わらず一定数あるし内臓を掻きまわされる不快感といったら相当なもので、とてもじゃないがオナニー快楽には及びもつかなかった。

まず摩擦の刺激だ。ローションや潤滑油あくまで滑りをよくするだけであって摩擦それ自体の刺激をなくすわけじゃない。どうしたって一定はなくならない。

不快時間が続く。長引かせたくないのでさっさとイって終わって欲しい。でも激しくすると痛い。この悪循環である

セックスの後に小便すると尿道口に染みてヒリヒリする。指で触ると膣の粘膜が腫れている。

次に、そんな痛い思いをしても大して気持ちよくないこと。

元々床オナ派だったこともあってクリトリス快感ベースにすると挿入を伴うセックスによる快楽10%程度である

これが滅茶苦茶気持ち良くて脳みそまでぶブッ飛んじゃうようなものなら多少の痛みを引き換えに我慢できるだろうが、そうではない。

最初気持ちよくない旨を馬鹿正直に伝えてどうにか改善してくれないかと期待したこともある。

しかしそれが発奮する起爆剤となったのか、やれ「ここが気持ちいいのか」やれ「あそこが気持ちいいのか」と膣内を弄繰り回されることとなり、不快が増大する羽目になった。

なるほど時間をかければかけるほど苦痛が延びるのは物の道理であって、世の女性というのは快楽を得るフリやイく演技をしてさっさと幕引きを図るものなのだと得心した。

昔の主婦は定期的に訪れる閨のことを社会的身分の安定と金銭的な授受が引き換えの「おつとめ」と表現していたが、この表現はピッタリだなと思う。

さて問題は何で結婚といった契約をしてもおらず家計収入担保しているわけでもない相手に対して何を「勤める」必要があるか、というわけだが、その疑問が浮かぶようになる頃には自分の中で「セックス」と「愛」が分離してしまっていた。

いってみれば相手の性欲処理に対して何故自身身体を明け渡さなきゃならんのだ、と。

それに輪をかけて、こちらが演技をせず大して感じてないことを表出してしまうと、より一層感じさせようとしてくるのにも参った。

なんというか一部の男性の中では"開発"信仰みたいなものがあるんじゃないかと思う。快楽を得られていないのは"開発"されてないだけ、だったらもっと頑張らなきゃ的な。

気持ちよさそうじゃないかもっと気持ちよくさせよう→試行錯誤する→苦痛を感じる→気持ちよさそうじゃないから(以下ループ)の悪循環に陥っていた。

また「もっと積極的になって」というリクエストも難儀なものだった。

要は騎乗位をするとかエロい気分を盛り上げてくれということなのだろうが、こちらとしては「仕方なくしていること」であって、言ってみればゴキブリが部屋に出たら対処しなければならないのと同じである

その光景を見て楽しそうじゃないからと「もっとゴキブリ駆除する動画を見てエンジョイしようよ!」と言われているに等しい。

ゴキブリ動画を喜んだフリをして見て得られるものがあるとしたら、それは虚無だ。

自分にとって相手にとっても不幸だったのは、自分セックスという行為が嫌いなことを知らなかったこである

経験しないことに対して好きも嫌いも分からなかったわけで、こればかりは事前に知悉する術があったら良かったのになと思っている。

自分ほど極端でなくてもセックスが大して好きじゃない女性は世の中にいると思うのだが、それを「愛のため」とか「相手のため」といった利他性で我慢できてるのは凄いと思う。

今回は妊娠リスクについて敢えて省いたが、まぁ一言でまとめると高校大学の在学中に避妊に失敗して中絶するリスクを負い更には懐妊したら逃げられない女に対して男が認知せず逃げるといったケースも想定されるわけで人生選択における「普通に大卒ストレート就職」といったルートを外れる危険性を承知セックスに付き合ってあげてるのは尊敬する。

Permalink |記事への反応(14) | 00:45

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2025-12-12

働き方改革(笑)

就活落ちた恨み節

俺:30代非正規雇い止めなう

応募先企業現場作業正社員

応募した理由

経験のある業種

・どうせなら雇い止めのない契約形態にしたい

遊ぶ金欲しさ

詳しいことは省いて俺の経歴に魅力がないのも面接受けの悪さも重々承知の上で

担当者の頭イカレてんじゃねーの???

いやまじで

人手不足で~業界的にも人がいなくて~

人が足りてる業界のほうが聞かんわ



今回思い切った条件を提示して今までとは違う新しい風を呼び込みたくて~

思い切った条件の内訳

週4日正社員職人候補

月給17万~22万

賞与前年実績1ヶ月(×2回)

家賃補助等なし

Wワーク禁止

異業種、未経験第二新卒歓迎

首都圏でもない田舎では革新的な条件である

そこは否定しない

でだ

なぜ採用試験が1対1の面談だ?

社内の見学等はない

書類の提出後即座に職歴の上から辞めた理由説明を求める

面接から

そりゃそうだ

??????

人手不足

量産型の篩を使って人を篩い落として「人がいないの~~~」ってか?

新しい風

古式ゆかしい就職面接突破できる程度に常識的な魅力を備えた新世代?









みんなそんなに面接受けいいのか

俺は誰とも知らないおっさんが偉そうな顔して値踏みしてくるあの面接ってやつが嫌いだ

面と向かって「なんで辞めたの?」「なんでうちなの?」「なにができるの?」「なにがしたいの?」

うるせーーーーーー



人手不足が叫ばれる昨今ではあるが

俺のように契約が切られる人

俺のように面接で落とされる人

いるんだよ

人は いる

人手が足りないなら他の企業が落とした残り物から選ぶ覚悟はないのか

働き方改革だの新時代への転換だのご立派な文句垂れ流して評価基準は旧時代

同じ形の目

同じ粗さの目

そんな物差しに従ってこいつは駄目だもっといいのが欲しい

強欲だなオイ

採用して失敗したらお前の責任だもんな

不採用にして失敗しても観測できなきゃ評価されないもんな

もっといいのないかな~

そうやって上むいてたら丁度良く熟れた果実が口に入るかもな

お前が今吐き出したそれ

追熟させたら十分食えるぞ?

それを見抜く能力がないか人手不足なんだろ

職人候補募集セルフプロデュース完璧人材を求めるのか

お門違いだろ

「うちじゃなきゃいやって言って」「一生いっしょにいて」「贅沢はできないけどそれでもいいって言って」「他のどこにも行かないで」

それに付き合ってみようかと名乗りを上げた物好きにすら「あんたじゃだめ」

メンヘラかよ

やってらんねー






そういう恨み節

俺はしばらくニートするわノシ

Permalink |記事への反応(4) | 18:41

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2025-12-11

氷河期世代だが投資でやんわり成功した景気のいい話をする

中小JTCなサラリーマン特にプロフェッショナルスキルもないまま働き、会社での身分係長まりとはいえ年下の上司や仲間と仲良く働いて、嫁さんも子供もいる就職氷河期おじさん。様々なラッキーが重なり、少なくない資産を持ち、人畜無害な顔をしながら今日も朝から満員電車に乗っています

誰にも言えないわいのリアル増田で吐き出すんだ。氷河期から全員が不幸なわけじゃない。氷河期は無条件にかわいそうなのではない。こんなラッキー氷河期おじさんがいることも知ってほしい。

2000年頃、リクルート主催お台場で合同就職説明会があり、適当に参加してあれこれ見て、適当に選んだ会社エントリー。そのまま友人と近くのトヨタメガウェブで車乗って遊んで帰った。エントリーした会社面接を受けたらトントン拍子で決まり、なんか雰囲気も悪くなかったからそのまま営業として就職

もくもくと働いていたら、たまたま大きく売れて表彰され、賞金もくれたりして、いい会社だなーと思って働いてた(今振り返れば相当なブラック労働&上司だったが。)その後リーマンショック全然モノが売れなくなり、暇だったから仲良いお客さんのとこに入り浸ってサボり、昼からお客さんと酒飲んでカラオケ行ったりして遊んでたら色んな会社や人紹介してくれてなんやかんや売れて、不況とかあん関係なく賞金も貰えて、意図せず全社トップセールスになって表彰されたりもした。

結果、結構お金を貰えて貯まったから仲の良い同期に酒奢って飲んでたら「これから時代投資だ」と教わり、その時はじめて投資信託やらFX外国為替証拠金取引)なるものがあることを知った。仕組みを調べたら、FXヤバイだの、投信インデックス系が良さそうだの、アクティブファンドあかんだの、詳細はよく分からないが典型的な悪手があるっぽいことはわかり、それらは踏まないように気をつけ、当時出始めていたネット証券で口座開設のうえ手数料の安いファンドを積立てはじめたのが2010年。翌年、東日本大震災の発災で、FXドルを買っていたもの日本危機なのになぜか円高に触れまくり、1ドル76円とか狂った価格に。軒並みドルロングポジションを狩られ無事損失100万越えの強制退場。激痛を経験証拠金取引は一切やらないことを決意(その数年後、200万円を失う大事故をおかわり。)加えて円高によるドル建てのS&P投信とか凹み放題だったが現物ロスカットなどもなくこれは強いと再認識マイナスやけどいつか復活するやろの精神で高級な焼肉を食べて金が蒸発したと思いこんで寝かしておいた。

そこから、謎の胆力で貯金のつもり積立で日経平均やらS&Pをつみたてたりして、年を追うごと少しずつ資産が増えたり、ときに減ったりしながらも、ゆるゆると資産の下限が切り上がっていく様を見て確信。「ん?もしかして、これずっとやってたらお金増えるやん?」。単純である

途中結婚したり、式の前に子供が先に生まれ漏洩事故を起こしたり、金が入り用で投信売ったり、積立やめたりするときもあったけど、なんやかんや「金増えるやん!」だけで、積立し続けてた。加えて2015年頃、暗号通貨なるものを知って、これはナウいから買ったほうがいい、とか、わけわからん動機ビットコインリップルCoincheck経由で30万円分ほど買っていたのも後から資産形成に大きく寄与した。

2020年頃、世界コロナでぶっ壊れる中、株も債権為替先物も全部ぶっ壊れてた(なんか原油とか価格マイナスになってて意味不明だったし)。しかしわいの資産世界経済日本経済もクソオブクソな時から積んでいたから、びくともしなかった。わいは手持ちの金で価格がぶっ壊れた投信たちをしこたま積み増しした。

それから5年たった今、たまたま出にした成果で手元には3億円を超える資産ができた。投信は上がり、暗号通貨は上がり、証拠金取引事故って手を引き、現物積み上げで地道にコツコツやってきた。

何も資産のない農家の生まれ一家初のサラリーマン。平均給与以下の氷河期世代が、10数年にわたる投資資産3億達成は、静かなるホームランだろうと思う。そんな氷河期世代だが地味に打席に立ち続けて打ててるサラリーマンもいることを知ってほしい。氷河期世代は無条件にかわいそうなのではなく、ラッキーが重なったわいみたいな奴も存在する。さえない顔して満員電車乗ってるくたびれた氷河期世代のおっさんの財布に3億入ってる可能性も微レ存なんよ。

Permalink |記事への反応(12) | 23:53

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新卒就職した会社の話

100社以上回って落ちてを繰り返し、やっと就職出来たカーディラーの会


まず入社してから自分営業車を用意して下さい、割引はしてあげるからって言って

車が無いと仕事が出来ないと言われて早速営業車をローン組んで買わされた

それが大体200万ぐらい


就職したてでローンとかい借金を負わされたのもキツかったけど、当然すぐに車が売れる訳も無く

売れないのならどうにかしろ上司に詰められ、親に頭下げて頼み込んで、車買い替えのタイミングを相当早めて貰って買って貰った

それも200万ちょっとぐらい


4月就職して、真面目に働いていたf

6月になって「あなたはこの仕事に適正が無いから」と言われ、試用期間中問答無用首になった

残ったのは車のローンだけ


買った車も会社が他の社員営業車として使わせる、名義はこちらになっているからって中々返して貰えず、

弁護士も挟んでやっと返して貰った時には、どこかにぶつけたのかボロボロになって返却された

見るのも嫌になったので、すぐに車は売ったが、ローンの足しにしかならなかった


自分の分と親の分、400万以上を会社に払って就職した様なものだった

給料なんてその1/10あるか無いかだったから、随分会社は儲けた事だろう

就職して残ったのは、車を買わせてしまった親からの信頼喪失軋轢、そしてローンという名の借金だけだった


これでも自分はまだマシで、同期の人間は、自分・親・親族(兄と姉にそれぞれ買って貰ったらしい)で1000万近く会社に払い、

そして自分と同様に3ヶ月経たずに試用期間内解雇されていた

恐らく自分の様に家族関係も壊されただろうし、人生はより滅茶苦茶になっていただろう


自爆営業なんて自業自得から諦めろと、相談に行った弁護士にも言われ、結局泣き寝入り

就職希望者なんていくらでもいるから、こんな就職詐欺みたいな悪質な商売してもやりたい放題だったんだと思う

昔、と言っても2010年代の話だけど、未だに忘れられないし悔しいしトラウマ


今はそんな事しないまともな会社で働けているけど、マイカーを持つ気はしない

たまに思い出したり、当時詰められた事とか夢に見てしまうんだけど、本当に辛い

Permalink |記事への反応(4) | 15:12

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anond:20251211132902

俺は家と地元が嫌いで18で就職で都会に出たな

Permalink |記事への反応(1) | 13:37

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anond:20251211123651

今の50歳前後の人らの人だけども、

高校同窓会ですら、社会にでてそれなりに就職できた人達だけでしかまれないよね。

って言われてびっくりしちゃった。

Permalink |記事への反応(0) | 12:48

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消えたい

4にたいではなく消えたい

後始末が大変だからね〜

就職しても長続きせず生きていける気がしない

何のために頑張ればいいかからない

自分が生きるためなんだろうけどね〜

Permalink |記事への反応(0) | 12:05

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中国日本への報復として日本人TicktokerをBanしてるらしい

本当かどうか知らんが、日本全体にとってはどうでもいいな

banされた人たちが就職するのであれば、人手不足日本にとっては労働者が増えることになるからありがたいことではある

Permalink |記事への反応(0) | 11:12

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