
はてなキーワード:審査員とは
昨日、THE Wを見た
"客の質が悪い。もっとウケていい"、だの、「それはお前の好みなのでは?」とか「そのお笑いをわかってない素人も含めて舞台やテレビを見てくれるお客さんなのでは?」思ったが、まあそれはいったん置いておこう
"もっと強く突っ込んだ方がいい"とか「確かに一理あるな」って関心しながら聞いていた部分もあったが、それもいったん置いておこう
話が長いんだよ!
こっちはただなんとなく、ショーレースで勝ち上がってきた人のネタを見れると思って配信開いたんだよ!
お前の素晴らしい芸人論を長々と語られるのを見たかったわけじゃないんだよ!
ショーレースだから審査も番組の一部ってのはわかるし、歯に衣着せぬ物言いみたいなのが好きな人も多いのだろうけど、俺は単純に見てて楽しくなかった…
そもそも人が長々と説教されているところなんて見たくないんだよ…
別に批判的なコメントをするなとかは言わんけどさ、恵美ちゃんですらあんな長々やってなかったし、もっと掛け合いとかしてたぞ
まあ、世間の声を見てみると粗品はオファーされた役割を全うしただけってのもあるから、日テレが悪いってことで
THE W見た
見どころが粗品の評だけだった
紺野ぶるまの一本目のありネタは「初見なら良いけど2度目は面白くない」
去年は決勝3組それなりに良くて、忠犬立ハチ高の1本目とか良かったと思う。にぼしいわしはちょっと分からない。紺野は別に
でも今年は全体的に酷かった
(関係ないが、ytvの時は審査メモとか見ずに話してたと思うけど今回はずっとメモ見ながら下向いて話してた。なんでだろう)
本当に、賞金が一千万円の賞としてはお粗末だと思う
先日女だけのお笑い大会あったでしょ?そこで粗品が本音で辛辣な批評したでしょ?
本当に面白くない芸の悪い所を言語化して点数つけるのは大変だったと思う。
THE Wの話題が審査員粗品の批評だらけなのは女芸人のやってるネタが弱いからな証明になってるんだよ。
粗品は審査員として真摯に批評してたと思うよ、俺は素人だけど。
まさに女って感じで眩暈がした。
お前ら女芸人が信じて演じた舞台ってそもそも持ち上げられ贔屓された舞台って分かってるの?
男はいちいち女に「お前おもろくない」って言わないんだよ。
その事さえ女は分かってないだろ?
女に強くいうと騒いで大事にするから当たり障りのない対応しかしてないの。
その忖度さえ気づかないで生きてる女が多いこと多いこと。
男より体力も筋力もユーモアも仕事能力も劣ってる女が何でこんなに優遇されてるか分かるか?
マンコパワーってすごくて殆どの男がマンコパワーには勝てない。
だからそのマンコパワーに忖度して優遇されてる事を気が付かないんだよ。
THE Wの粗品が世間から絶賛されてるのってみんなが薄々感じてた女おもろくない現象をきっちり言語化したからなんだよ。
そんで仕事(お笑い)も真面目に真摯に向き合ってるから本音の批評が出来る。
マンコパワーが無力化した女の芸を批評するとあんな感じになると思う。
忘年会で泥酔してキューストの「かわいいだけじゃだめですか」を完璧に歌う社外取締役の方がまだ笑える。
本当に女はマンコパワーで日々優遇されてる事を自覚した方がいい。
お前ら女は特権階級なんだよ。
めちゃ雪降ってんだけど!
ついに来たわね冬!ふーゆー!って感じ。
まず早速は今年の一皿の発表におにぎりってお米料理を披露するあたり古古古米なんだな!っていいそうなぐらい誰もが予想しちゃうわよね。
いままで炊くことここ何年か使ってなかった炊飯器を取り出して急に世間がお米お米って騒ぐもんだから
私もお米炊きたい欲がひしひしと炊き上がってくるじゃない!
おかげで、
いつもなんか普通に棚に並んでいて買うことができるんだけどって。
本当にあれは本当にお米無かったのかしら?って思うほど最近毎日と言って良いほどお米炊いてるわよ。
直球すぎて不謹慎かな?って思うし、
新語流行語大賞で輝いた働きまくりまくりすてぃーって働きまくるって5回言うやつの
「働」って漢字かもしれないし
大阪で万博あったしガンダムの実物像も人気だったってことから手偏にガンダムって漢字も今年の漢字に選ばれて良さそうよね。
あとびゃんびゃんめんの「びゃん」が漢字でちゃんと「びゃん」って出てくるようになったのって今年だっけ?
今年だったらそのビャンビャン麺の「びゃん」に1票だわ。
創作漢字今年の漢字一文字だったら私は「古古古米」を順番にならべて四角く判子みたいな塊にした4文字で一文字みたいな漢字を開発して、
でも、
都会まで柿を求めに山から下ってくるアーバンベアに気を付けて柿を早くに収穫しましょう!ってニュースも多くあったので
熊ってあれ甘柿ばかり狙っているのかと思ったら、
味よりもパワーを!って視点で渋柿でも所構わず食べまくりまくりすてぃーなんだって!
やっぱり気になるのは、
乃木坂46の40枚目のシングルのビリヤニってタイトルがついた衝撃のビリヤニ界隈に激震が走った、
そのビリヤニって漢字もあったら今年の一文字の漢字に1票入れてもいいわよね。
そのぐらい衝撃的なことだと思うわ。
世間でビリヤニ流行りだしたって声はインドの山奥まで届いてこないので、
不発に終わったのかしらと言いつつも70万枚を売り上げたセールス記録を叩き出したって言う、
実質これ一人何枚シーディー買ってるのかしら?
いやもといビリヤニ何皿食べられたのかしら?って
ビリヤニ界隈も盛り上がりそうよね。
でもまだインドの山奥までビリヤニが実食盛り上がってるランチビリヤニがあるって美味しくいただきましたって話は届いてこないわ。
早くも1年のまとめ!ってまとめたがる傾向は
いつ考えても終盤の12月に出てきた新しいムーブメントはビッグウェーブに乗ることができなくて、
今年のなになにのノミネートすらされない感じの悲しさがあるわ。
1月1か月ぐらいの集計で1年を占うぐらいの勢いが欲しいわよね。
そのぐらいの心持ちで1月から12月までのをじっくり集計して考えて翌年の2月ぐらいに発表!ってしたら誰もが納得する新語流行語大賞になるってやくみつるさんも言いそうな気がするわ。
郷ひろみさんの2億4千万の瞳をメドレーで歌ってモノマネして抱腹絶倒おもしろやくみつるさんのモノマネして、
どのぐらいやくみつるさんに似ていましたか?って審査員の人に司会の人が尋ねたら
「約みつるです!」って言っちゃいたいぐらいかも知れないわ。
彼の歌ってる歌って私1曲しか知らないんだけど、
ディナーショーってどんだけ尺それで持たせるのよ!?って心配になるのもこの12月ならではの風景よね。
朝雪が降ってて私は慌ててダウンジャケットを取り出して、
慌てて私は冷蔵庫にこれがいつの時代のホッケなのか分からないままホッケの開きを冷蔵庫に入れたの。
それも装備して暖かくできんだな!って実感したし、
内ポケットにはラッキー1000円札は入っていなかったのが残念だわ。
そりゃ雪も降るわよね。
絶対新幹線のEの座席列だと見やすく見える富士山が走って通りすぎて見えてくるのを待っている間に食べたいシンカンセンスゴイカタイアイスの新幹線味をスプーンで固くてダメだと分かっていても何度も刺そうとするのを試みるのと同時に富士山山頂初冠雪記録した日の朝のラジオってだいたい中島美嘉さんの冬の歌かアナと雪の女王の雪の歌かが絶対に流れるわよね。
もうここのラジオ局ドリカムのシーディーしか置いてないの?ってぐらいドリカムしか掛からないでお馴染みだったのに、
違う曲がかかったことで本格的に雪!ってのを感じさせるのよ。
だから、
12月ってなんだか詰め込みすぎ感が満載な感じがして、
あーあ、
今月は祝日ない月間かーってガッカリしないで済むのと同じでガッカリしないじゃない。
だからなんかもうちょっと12月に全部入れるんじゃなくてどうにかして欲しいところよね。
もう急に12月なのよ!
うふふ。
これタマゴ美味しくてはまってるわ。
タマゴの充実したつまり具合は12月のそのイベントのつまり具合とは対照的に大好物の1つになったわ!
ちょっと何か食べたいときのこのコッペタマゴが正にピッタリなのよね!
これにどハマりだわ。
心配だわ。
まあ時期に届くでしょうって期待しながら飲む
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
あおやまちゃんをイケメンデカチ🙌ポのオナホール審査員だと勘違いした統合失調症の女があおやまちゃんをストーキングしてくるのです😵
例えばさっきの小説を載せようとか言ってるやつはあおやまちゃんが納得するような小説を書けばイケメンデカチ🙌ポさんにオナホールとして献上してもらえると思ってるんです😵
それで毎回毎回うんこみたいな小学生の妄想みたいなものをあおやまちゃんに見せようとしてくるんです😵
もう勘弁してください🤪
もうやめてください
あおやまちゃんをイケメンデカチ🙌ポのオナホール審査員だと勘違いした統合失調症の女があおやまちゃんをストーキングしてくるのです😵
例えばさっきの小説を載せようとか言ってるやつはあおやまちゃんが納得するような小説を書けばイケメンデカチ🙌ポさんにオナホールとして献上してもらえると思ってるんです😵
それで毎回毎回うんこみたいな小学生の妄想みたいなものをあおやまちゃんに見せようとしてくるんです😵
もう勘弁してください🤪
あおやまちゃんをイケメンデカチ🙌ポのオナホール審査員だと勘違いした統合失調症の女があおやまちゃんをストーキングしてくるのです😵
例えばさっきの小説を載せようとか言ってるやつはあおやまちゃんが納得するような小説を書けばイケメンデカチ🙌ポさんにオナホールとして献上してもらえると思ってるんです😵
それで毎回毎回うんこみたいなものをあおやまちゃんに見せようとしてくるんです😵
もう勘弁してください🤪
OMNK軍団がイケメンデカチ🙌ポ様に気に入ってもらえないのはあおやまちゃんがイケメンデカチ🙌ポ様によからぬことを吹き込んでるからだーって思い込んでるの🥺
あおやまちゃんのことをワールドOMNKコンテストの審査員だと思ってるの🥺🥺🥺
そんなわけねーだろこの白⭕️MNK共って感じなの〜😖😖😖
本当に残念なことに、デジタルカメラ時代の「写真家」を名乗る人間のほとんどが自分でRAW処理ソフトウェアの開発をしたことはなく、審査員を名乗っている人間の多くは、実際に行われた処理の内容を想像することすらしない。
主観的に良し悪しを判断するのは間違いではないのだが、何が行われて写真撮影ができているのか、そしてそれをどうやって鑑賞できているのか知らない人間ばかりなのである。
ただひたすらに画角がどうの、コントラストがどうの、彩度がどうのなどと言ってみているが、RAW処理ソフトの「コントラスト」や「彩度」というパラメーターがどのような実装になっているのか、或いはトーンマッピング処理について理解して審査しているまともな人間がどれほどいるというのか?
例えば「ホワイトバランス補正」と言われて「色温度」と思った人は、実写の画像処理に対する理解が足りていない可能性が高い。
特に静止画の撮影者は技術面に明るくないものが多く、動画の人のほうがよっぽど技術面に詳しい。実際には同じことをやるのに。
もっとも重大な誤解は、ある種の「無加工」と信じられている実写映像と肉眼が十分に近い、と思われがちだというところだろうか。
カメラが見ているものとCGは非常に近いが、人間の見ているものとカメラが見ているものには大きな乖離があるという大前提が抜け落ちてしまっているのだ。
なにせ撮って出し信仰者なんてものもいるのだから。カメラの中でどういう処理がされているのか少しでも理解しようとするならば、撮って出しを「真」とするのがいかに愚かなことであるか、初期の段階でわかるはずではないのか。
例えばFUJIFILMのように、この辺りを踏まえて「一般消費者はメーカーの言うとおりにすべきだ」と言わんばかりの姿勢を見せるメーカーもあるが、これはかなり理にかなっているとも思う。FUJIFILMは「記憶色」を謳ってきたが、これ自体は間違いではない。(もちろんFUJIFILMの色の処理が適切だとは微塵も思わないし「フィルムシミュレーション」などという、知識不足の消費者にPROVIA・ASTIA・VELVIAなんてあたかもフィルムを再現しているかのような名称で売るのはいかがなものかと思うけれど)
日本語の意味合いとして「真を写す」なんてものにこだわるのは誤りだと言わざるを得ないが、せめて、何をしているか理解しようという姿勢を見せたらどうなんだ。
「プリセットを販売します」とか「フィルムを再現します」とかいう、ただ消費されるだけの消費者を見ているのは少しばかり腹立たしくもあるが、それを利用して商売を続けてきた側は間違いなく悪い。
美術目的なら好きなようにやれ、と言うことに決めているが、理解した上で全ての利用者が開発者になってくれれば、もっと自由な世界が待っているのに……。
また、せめて複写をするようなプロは「Foveonは正しい紫色が撮れる」「Adobe CameraRawよりCaptureOneのほうが色が良い」「LUMIXは色が良い」「FUJIFILMは撮って出しで正しい色が出る」みたいなバカなことを言っていないで、画像処理(フィルム・デジタル・動画・静止画・実写・CG問わず)の勉強をもう少しばかりやり直していただきたいものである。
フィルム時代に自分の手で現像とプリントを試みることよりも、デジタル時代のほうが圧倒的に安定していてシンプル(同じ処理をすれば同じ結果が得られると言いたい)なのに、それをしない。
まずは、「VirtualGorilla+(バゴプラ)」という名のWebメディアです。
そしてもう一つが、SF小説に関する事業「Kaguya」。Kaguyaの取り組みは、いくつかあります。①ショートショートのコンテストの開催。②KaguyaPlanetというWebマガジンの刊行。ここでは毎月短編小説を配信しています。③Kaguya BooksというSFの出版レーベルとしての活動。
二つの活動以外にも、企業のSFプロトタイピングのコーディネーターなど、SF関係のさまざまな仕事も手掛けています。
Kaguyaで開催している短編小説のコンテストは、最大4千字です。気軽に書いて、読者や審査員からフィードバックをもらうなかで、自分の強みが何かを発見してステップアップしていく。そういう場所を目指しています。
ライフステージや、家庭における役割、精神状態などに大きく左右される。「連載が約束されていない長いもの」の執筆に時間を割けるということ自体、特権的なのかもしれない。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20251022002010.html
【井上】 日本のSFだけではなく文学全体がそうかもしれませんが、商業デビューの王道として、新人賞をとって、そこで作品を出して商業デビューし、その出版社から2作目3作目を出し、他の出版社からも声が掛かる……というルートがあると思います。もちろん日本のSF作家で、そのルートに乗らず商業デビューして活躍している方もいるのですが、わりとイメージしやすいロールモデルとして、それがある。
主催によってカラーが決まっていることが悪いわけではないですし、一つのコンテストに「全ての多様性を担保しろ」と求めるのは無理だと思います。なので、窓口を増やすことで、デビューへの道筋を多様にすることが大事だと考えています。
【井上】 23年10月に文芸翻訳の経験を持つ編集者が新しく参加してくれたこともあり、海外から日本への輸入や、日本から海外への発信に力を入れることができるようになりました。
写真・図版
第3回かぐやSFコンテスト大賞作品「マジック・ボール」は、中国のSFマガジン『科幻世界』とイギリスのウェブジン『Schlock!』にも収録された=井上彼方さん提供
【井上】 「自分の表現で誰かを傷つけてやろう」と思っている人って、そんなにいないと思うんです。ごく一部の悪意のある人をのぞけば。でも実際に、自分が書いた文章に批判がくると、身構えるじゃないですか。そういうときに自分を見つめ直して反省して次に生かすって、非常に難しいことだと思うんです。特にSNSで炎上してしまうと、冷静ではいられないですよね。
自分の書いた文章について言われるのではなく、あらかじめ「こういうことって気をつけた方がいいね」とわかっていたら、過剰な自己防衛に陥らず、話を素直に受け止められる場合があるはずです。
ヒューゴー賞は世界SF大会によって設立されたSF・ファンタジー作品の文学賞で、受賞作品は世界SF大会に参加登録した人による投票で選ばれます。そして、このSad Puppiesというのは、ヒューゴー賞の選考に影響を与えるための組織的な投票運動でした。女性や有色人種の受賞が増えていることに抗議を示すため、白人でヘテロセクシュアルの男性作家たちが自らを、権利を侵害されているSad Puppies(悲しい子犬たち)と称したのです。
ヒューゴー賞は投票制なので、人々に開かれたものではあったはずです。ところが、Sad Puppiesたちは、「ヒューゴー賞はポリティカルコレクトネスに配慮するあまり、本当に面白い作品を受賞させなくなっている」といった主張を始めた。「もっと面白い白人男性の作家を受賞させろ」という風に呼びかけた。そういう事件ですね。
【井上】 ヒューゴー賞は2010年代、女性作家や非白人の作家の受賞が増加しました。女性だけではなく、クィアであることをオープンにしている作家の受賞も増え、それに対して「自分たちの土俵が荒らされた」というような被害感情を持たれる方がいた。それで起きた事件です。
【岡田】 この事件については、SF評論家の橋本輝幸さんが、ウェブ連載「いつでもSF入門」のなかで詳しく語られています。SF界において女性が優遇された時代はなかった、と指摘されています。
【対談を終えて】
対談から2年。2024年に慶応義塾大学にサイエンスフィクション研究開発・実装センターが開設されるなど、社会の中でSFをどうツールとして使っていくのかという取り組みは広がりを見せ続けているように思う。その中で、SFを取り巻く世界やSFが描く世界の中から、誰が取りこぼされてきた/いるのかということは今も問われ続けている。
この間、VGプラスで行った取り組みの一つに、刊行しているマガジン『KaguyaPlanet』でのパレスチナ特集がある。1948年のイスラエルの建国以前から続く、入植型の植民地主義と人種差別的な支配、ジェノサイドは、「世界では誰の声が優遇されているのか」ということと無関係ではない。そのことにSF企業としてどう応答できるのかを考えて行った特集で、パレスチナ人/パレスチナにルーツのある作家による、パレスチナを舞台にしたSF・ファンタジーを翻訳した。
写真・図版
だが同時に、システムや場づくりについて問題提起をしているVGプラス自身、たくさんの方から至らぬ点についてご指摘をいただき、ときに引き立てていただき、ときに知恵を授けていただきながら活動をしている。マイノリティーの方々に「指摘する」というコストを支払わせてしまった局面もたくさんある。それらを抽象的な次元にとどめることなく、現実の制度や権利回復へとつなげるためになにができるのか、常に考えていきたい。
そしてそれは、SFという私の愛するジャンルそのものを豊かにすることにも、当然つながっているのだと思う。
排除はしばしば、「質」の名において実行される。
なにが「優れた」作品なのか。その指標そのものが、特定の経験や価値観にもとづいて構築されてきた。そうした規範に照らせば、大きく異なる経験を持つ他者の書いた作品は必然的に「劣った」ものと評価されよう。排除は意図的に行われるのではない。それは常に「客観的な評価」の結果として生じる。
Sad Puppies事件は「ポリティカルであること」への反感が運動のきっかけだったが、むしろ、従来の選考こそが政治的だったと考えることもできる。価値判断の場では多くの場合、既存の権力関係が反映される。正統性を維持するためのシステムは個人の意図を超えて作動する。
だからこそ、井上さんたちの取り組む解決策はシステムそのものに切り込むものだ。短編コンテストの開催、発表の場を多様化すること、経済的に持続可能な仕組みをつくること。これらはすべて、異なる価値観が共存できる環境を目指している。
誰が未来を語るのか。どのようにその語りを開いていくのか。今回の対談で示されたのは実践だった。完璧な一つのシステムを目指すのではなく、複数のシステムを並走させることで、今は「評価」できない作品や価値観にも光が当たる可能性を残している。SFの想像力が現実を形成する力を持ちつつある世界において、その想像力を担う主体の多様性こそが、私たちの未来の豊かさを決定づけるだろう。
僕の昔の友だちには、僕のエピソードトークに謎の上から目線で辛口採点するような立場で聞いてくる人がいた。
そういう人がいた。
その他の理由もあったけど袂を分かった。
もう何年の前の話なんだけどね。
思うに、僕がその人に話したかったことと、その人が僕から聞きたかったことで乖離があったというのかな?
僕はただ日常で感じたことや、ちょっと変なこととか、くすっと笑ってしまったことと、怒ってしまったこと、
そういうエピソードトークというか、エピソードトークにする前の素材?というのかな、
素朴な原石のような、
について彼と話し合いたいというのが僕の願望だった。。
でも、彼が求めていたのは、そういうクズ石を集めて加工して組み上げて研磨してって感じで、
ある一定の完成度までが高めたエピソードトークを求めてきてたの。
クズ石や原石じゃなくて、なんでもいいからとにかく一度磨いてから人の前に出して来い!、というよう感じかな。
でもね、そんなの無理なのよ。
そりゃさ、半年に一回くらいに会うだけで、時間も小一時間、とか凝縮されてたらそれ用にトークが出来るかもしれないけれど、
その頃はその人と、週1か週2で会ってて、何時間もファーストフード店とかファミレスで粘って話をするみたいな関係だったのに、
そんな完成度高いエピソードトークなんて出来ないし、
素朴な素材を磨いて精査して披露するなんてこと出来るもんじゃないでしょ?
なのに、なんでエピソードトークグランプリの審査員みたいな態度で人の話を聞くわけ???
って意味わからんくて疲弊してしまって、結局その人と会うのはやめてしまった。
とまあ、あなたの話とは関係のないただの自分語りだな、っと書いてみてあらためて思った。
はじめて、自分の考えみたいなものを知ることが出来ると言うか、、、
つまり考えるというのは一度言葉にしてみてはじめて認識できて、、、
私が言いたいことは、そうではなくて、いや、もっとこういう、んーー、でもそうじゃないんだよなあ、
そうそうそう!!本当に言いたかったのは実はこういうことで!!
って、、、
そういう話をする相手が欲しいんだよね。
違うかな?
なにか、考えがまとまらない、モヤモヤしたものを聞いて欲しいし、
お互いにそういうモヤモヤを出し合ってもっと別のものへと昇華していきたい。
でも、なかなかそういうふうな関係って大人になると難しいと思う。
あと、そういう関係を大人になって築くべきなのは友達ではなくてパートナーなのかな?
とか思ったりもする。
結婚する理由って社会性を除けば、そういう相手を得るためにあるんじゃないかな?
とかも思ったりする。
多分応募した主婦が、特定の材料を指定して、同じ金額かシェフのほうが少ない金額で指定された材料を含む食材を買って、指定された料理を主婦の家で作り3人の審査員がどっちがおいしかったか判定するという企画だった
毎回、主婦側がアレンジしてかつ結構独特の食材だったりするのでシェフが苦戦する、みたいな内容でちょこちょこ見てた
それで印象に残っているのは、お題がチャーハンで、材料がそんなに奇抜じゃない食材だった気がするけど、主婦は工夫を凝らした料理をつくる
一方シェフは確か材料費も全額使わずいつも通り作るだけだけど圧勝するって内容で、相手の土俵に立てばそりゃそうなるよなって内容だったんだけど、なんとなくふと思い出した