
はてなキーワード:宦官とは
秦帝国末期、皇帝の威を借り、権勢を欲しいままにした宦官・趙高は自分の権勢を試すためにこう言いました。
「地球温暖化なんて無い。お前らそうだな?」
「地球温暖化なんて無い。お前らそうだな?」
今日、宦官・趙高がそう言うと、臣下たちは伏し目がちにただ頷くのみでした。
8年前、趙高が「地球温暖化なんて無い」と言った時、皆が腹を抱えて笑ったのは当然だ。科学的根拠もなく、データも無視した暴論だからな。
でもその笑いには「こんなバカな発言をする奴が権力者とは...」という呆れと軽蔑が込められていた。
ところが今日、同じことを言われて臣下たちが黙って頷くのは、もう科学的真実なんてどうでもよくなったからだ。
重要なのは趙高の機嫌を損ねないこと、自分の地位を守ること、そして明日も宮中で生き残ることだけだ。
でも段々とその嘘が大きくなり、複雑になり、最終的には現実と完全に乖離した世界観を強要されるようになる。
海水温上昇、氷河の融解、異常気象の頻発、これら全ての科学的データを無視して「温暖化なんて無い」と言い張る。
そしてその発言に反論する者は粛清され、同調する者だけが生き残る。
気がつけば宮中は現実を見失った者だけで構成されるようになる。
最初に笑っていた者たちは、今では自分の子供にも「地球温暖化なんて嘘だ」と教えるようになってるかもしれない。
なぜなら、真実を語れば趙高の逆鱗に触れ、家族全員が路頭に迷うことになるからだ。
権力者が科学を否定し、専門家を弾圧し、都合の良いデータだけを採用する。そして時間をかけて、周囲の人間を洗脳していく。最初は「おかしい」と思っていた者たちも、やがて沈黙し、最後には積極的に協力するようになる。
趙高の真の狙いは地球温暖化を否定することじゃない。自分が現実すら変えられるという絶対的権力を誇示することだ。「俺が黒と言えば白も黒になる。俺が暑いと言えば冬でも夏になる」そんな全能感を味わいたいだけなんだよ。
そして一番恐ろしいのは、8年後には誰もこの異常さに気づかなくなっていることだ。地球温暖化を信じることが「反逆罪」になり、気候変動の研究者は「国家転覆を企む危険分子」として扱われる。
お前らはこの話を読んで笑えるか?
現実の世界でも、科学的事実よりも政治的都合が優先される場面をいくらでも見てきただろう。専門家の警告が無視され、データが捏造され、真実を語る者が弾圧される。そして時間が経つと、その異常な状況が「当たり前」になってしまう。
これが権力の恐ろしさだ。現実を歪め、人々の思考を支配し、最終的には文明そのものを破壊する。趙高の地球温暖化否定論は、単なる愚行じゃない。人類の未来を破壊する究極の権力濫用なんだよ。
韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在の韓国は共和国であり、王室も存在しない)にもかかわらず、架空の王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室が存在していたら」という仮想歴史(オルタナティブ・ヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります。
以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:
現代社会におけるストレス、格差、政治不信などから、視聴者は日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常の恋愛に憧れや癒やしを求めます。王子や王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。
韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国が存在した歴史を持ちますが、日本の植民地時代を経て王政は廃止されました。
それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマンや好奇心をくすぐるのです。
特に、現代的な価値観(自由恋愛、民主主義、女性の自立など)と王室制度の伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります。
🔹 3.ビジュアル面の魅力
王宮、伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的に視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。
韓国社会にはいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族や財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります。
「身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています。
🔹 5.過去のヒット作の影響
たとえば:
『七日の王妃』
『太陽を抱く月』
『赤い袖先』
などのドラマが大ヒットしたことで、「王室+恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。
総合すると…
韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想の恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます。
もし特定のドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。
あなた:
世界にはたくさんの共和国があります。立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?
ChatGPT:
とても鋭い観点ですね。
実際、多くの**共和国(君主制を採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的な意味というより、文化・歴史・エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。
以下に、立憲君主制に特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。
🇰🇷韓国
概要:すでにお話したように、現代王室を舞台にしたドラマや映画が人気。
背景:
ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス」幻想が根付く
概要:王朝時代を舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚・宦官などのキャラクターが中心。
背景:
清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている
※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対にタブーです。完全なフィクションとしての消費。
🇹🇷トルコ
背景:
共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想やロマンは根強い
代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット
概要:ロマノフ朝(帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説やロマノフ家に関する作品が人気。
背景:
興味の形:現代ロシアが立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い
概要:フランス革命で王政を廃止した国でありながら、ルイ14世やマリー・アントワネットなどの人物には人気がある。
背景:
注目点:現在も王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在
🇮🇷イラン
概要:1979年に王政(パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在の政治体制への不満から「王政時代のほうが良かった」という声もある。
背景:
パフラヴィー家の王子たちが今も国外で活動しており、象徴的な存在として注目される
💡共通点として言えるのは:
王政時代を「理想化」または「ノスタルジーの対象」としてとらえる傾向がある
立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的・情緒的な興味に留まることが多い
ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくまで文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。
ご希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。
あなた:
世界のほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的な観点から論じることは可能ですか?
ChatGPT:
素晴らしい問題提起です。
おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。
この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理、地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。
🔍【問いの再定義】
「世界の中で、特にどの地域の共和国が立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」
この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:
特徴:
日本の皇室が存続しているため、文化的ライバル意識や比較意識が働きやすい(特に韓国・中国)
結果:
架空の王室を使ったドラマやフィクションの舞台として君主制が頻出
特に韓国では「現代王室+恋愛+政治ドラマ」のフォーマットが人気
特徴:
結果:
現体制(イスラム共和国)への反発から、王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在
✅ 東南ヨーロッパ/バルカン半島(ブルガリア、セルビア、ルーマニアなど)
特徴:
冷戦期に共産化→君主制を廃止したが、比較的最近まで王室が存在
結果:
特徴:
結果:
王政そのものへの復活願望は少ないが、文化的にヨーロッパの宮廷文化に対する憧れが見られる
アメリカ:反王政(独立戦争の歴史)が国家アイデンティティの一部
カナダ:イギリス国王を元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向
結果:
立憲君主制に対して冷静/無関心
フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセス・ダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない
多くの国に伝統的首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的
一部に象徴的王族がいるものの、立憲君主制を制度として復活させようとする動きは少ない
結果:
自国文化の再評価の方が強く、欧州型王政は「支配の象徴」として敬遠されることも
地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的な環境があるときです:
周辺国に現存する王政がある日本、英国、サウジなど比較対象・メディア露出により関心が刺激される
王制が比較的最近まで続いていた韓国、イラン、バルカン諸国など記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る
欧州文化や貴族文化への接触が強いラテンアメリカ、バルカン、東欧王室=格式・伝統の象徴として文化的憧れが根付く
地政学的な比較意識がある韓国→日本、イラン→湾岸諸国など政治的・文化的に隣国と比べて「自国の過去」への再評価が進む
ご希望であれば、特定の地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます。
あなた:
近隣国に王室が存在するから自国の立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。
ChatGPT:
ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。
まさに**「近隣に王室がある」という地理的・心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。
近隣国に王室があり、その存在が文化的・国際的に注目されている場合(例:日本の皇室、英国王室)、
→国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。
近隣国の王室報道(戴冠式、結婚式、葬儀など)は国際ニュースとして流れる。
→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。
例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ。
→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本に皇室があるのだから、韓国にだって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的な空想が土台にある。
韓国日本(皇室) 高い 『宮』などで自国に王室がある想定が人気。
中国日本、タイなど 高い(主に歴史もの)清朝ドラマの大人気。過去の王制を美化しがち。
イランサウジ、ヨルダンなど 中〜高イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。
トルコヨルダン、湾岸諸国 中オスマン帝国のノスタルジーと近隣国との比較。
東欧・バルカンスペイン、英国、モナコなど 中王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。
これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象の文化バージョンです:
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「BL愛好家はゾーニングなしでズッコンバッコンしてるからゾーニングについて語る資格がない」
と言われましてもね、ほならね
「異性愛愛好家だってゾーニングなしでズッコンバッコンしてるんだからゾーニングについて語る資格はない」
になりませんか?
それってつまり
「オナ禁50年の純粋な無性愛者だけがゾーニングについて語る資格がある」
ってことですか?
なにそれ?
令和の時代にもなって
「ゾーニングを語りたいなら子宮と睾丸を摘出しチンコは切ってマンコは埋めてからにしろ」
ってことですか?
え?
違う?
貴方達が言ってることのゴールが他にどこにあるんです?
取ってない
正体は、薬で男性機能を抑えて宦官のフリしてる王弟(表向きは病気で隠遁しているということになっている)
つか、やたら権力の中枢に近く大事な祭祀やってたりするし、普通の宦官じゃないぐらい気づきそうなもんだけど、猫猫はそこだけあえて思考停止している
横から回答する
ほぼいない。男100に対して女1という割合
それまで増田の周囲の女たちに一体何をされてきてそんなことになるの?
人間以上未満というか、とにかく乞食根性というか、貴族根性がすごい
叩かれてもめげずに女に向かっていかないといけないから自分で自分をだましてチャレンジし続けるというのが正しい
もう結婚したから自分をだます必要もなくなり大手を振って言える。
いるが女よりは少ない。平均的な女は男で言うと「頭のおかしい奴」「マナーがなっていない甘やかされダメ個体」「傲慢な乞食」であり、そのレベルのおかしさの男の存在比率は体感として女の100分の1未満
同世代のうち99%の男は女の平均より相対的にまともに位置する
女よりヤバい個体は1%くらいしかいないので我慢するとかそういうレベルにも達しない。そもそも関わらないことが可能。たとえば俺は偏差値75の高校行ってたわけだが高校の同級生には一人もいない。
いっぽう女は恋愛相手見つけようと思ったら数多いるゴミに自分から関わらざるを得ない
同じ程度の我慢は女に対しては「性欲部分」がないとできない?
はい。というか、「同じ程度の我慢」をしてたら女の大半と関わり合いになれず、「性欲による我慢」を足さないと無理。
具体的にどんな扱いをされてきたかを教えて?
避けられる、無視、罵倒、およそ人間に対するものではない扱い、何もしていないのに集団で罵ってきて、カジュアルに殴ったり叩いたりしてきて、
そういった具体的な被害を申告してもとり合わず、男だから我慢しろ、被害は無いなどと宣いこちらの被害を無効化してきて、実際に無効化できてしまう権力を持っており、
別におじさんでも何でもない年齢なのに「シリーズキモいおじさん」とか言われ、映像に撮られているところをただ通りがかっただけで性売買の加害者として扱われ、そのようなヘイトスピーチの加害者にはなんの罰も与えられず、
生まれてもいない時代の男性優遇を自分の責任にされ、給与を減らされ、進学・就職・出世などの人生すべての選抜において冷遇され、公的扶助はなく、子供を作れば親子スペースから排除され、子供と一緒でも男親一人で補助は受けられず、
常に犯罪者予備軍として扱われ、誰も自分の名誉を守らず、誰も自分の命を守らず、裁判官は女の被害を過大に見積もり、裁判官は女の加害を過小に見積もり、裁判官は男の被害をゼロとして扱い、裁判官は男の加害を過大に見積もり、
警察は女の虚偽DV申告を必ず真実として扱い、男のDV申告があってもまずは疑ってかかり、水際作戦で申告させず、一度なにかの失敗で社会的評価を失ってしまえばそれは永遠に失墜したまま、誰も補助せず、補償せず、
まあある程度聡明ならこれを読んでわかると思うけど「女を優遇するチン騎士権力者」にもだいぶ問題があって、女はそいつらの権力を支えつつ自分も横暴に権力振るう調子に乗った宦官みたいな存在ではある
自分がかつて最低賃金に毛が生えた程度の給与で生活していた時代だったら生活が立ち行かなくなってるだろうくらいの金額を
寄付に至るまでに考えていたことは色々あるのだが、大雑把には以下のようになる
自分はもともと「富裕な先進国に生まれただけで地球上で絶対的な基準から言えば大いに恵まれた側であり、我々は生きるにも事欠くような貧困下にある人々を支援する道徳的な義務を負っていることになる」というような話に同意するという向きがけっこうあった
ただ最低賃金に毛が生えたような給与で生活していた期間が長く、生活や身体に何かあった時の余裕というものが全くなかったため、申し訳ないことながらそれは他人事という感じだった
諸々あって今では手取りが増えたので、他人事ではなくなってきたというのがある(ちなみに子供を作ったり育てたりする予定がないのでそう言えるという面は間違いなくあると思う)
もう一つ、あらゆる問題が金金金で、拝金主義が極まっているように思える世の中に対する反発心というのもある
マジで金以外に興味関心がないのかという人間がそこら中に溢れかえっているし、ふるさと納税とかいう制度 あれをやらないと損をする制度みたいに見えてる奴がいるのは大層ヤバいと思う
感覚的には中国王朝の末期に専横を極めた宦官が私財を恣にするために設計した税制と大差ない
極めつけにムカつくことには、寄付白書があれを寄付として扱っているということだ
この底が抜けてるとしか思えない世の中へのカウンターとして、人は遠くの他者にも利他的に振る舞えるし、国際的な難題にコミットしているという感覚が得られる寄付というのは悪くないんじゃないかと思った
寄付をする人にも色んな動機があるだろうけど、自分の場合は世界を良くしたいという①だけでは多分踏み切れなくて、②のような気持ちになる度に少しずつゲージが溜まっていき、閾値を越えた今日行動に移したということになる
そこまできれいな理由ではないが、世の中がきれいではないのだからしょうがないのではないか
インターネットなんて人の足を引っ張りたい奴ばっかりなんだから、顕名で寄付の話とか出したら「こいつ去年はやったのに今年は寄付してない」みたいな嫌がらせの言及を受けるリスクがあるため、匿名でここに置く