はてなキーワード:外食とは
日本人はなんにでも醤油かけまくるから、塩分に対する耐性が高い傾向があるからじゃないかな。
昔、AIとなぜ外人は豚骨ラーメンは好きなのに家系はあまり好きではないのか?という議論をした時に、家系は外人にはしょっぱすぎるのではないかという結論になったことがある。
外人が作るやべー食べ物はカロリー爆弾だけど、塩とかをドバドバ入れた辛い系のやばいのはほとんど見ないでしょ。
一方で日本食は、ほぼなんにでも醤油かけるし、味噌も塩だし、漬物も塩で、梅干しも塩で、塩サバとかの魚にも塩で、とにかく塩分が多い。
だから、塩取りまくってて塩分耐性が高い傾向があるんじゃないか。
追・追記
あと収支はチャッピーに聞いた程度のものなので、もっと安く施工できるとか、もっと儲かってないとか色んな現場からのご意見ありがとうございます!
これだけかみ砕いてもまだ「ワシの考える農業改革、ワシの考えるJA改革は~!!」って言う人はJAの会長にでもなろう!十分な利回りだって言う人、ぜひ農業に参入したらいいと思います!
もしくは黙って田んぼに苗でも植えてろ!
朝起きたらブコメチラホラついてた。長くて複雑な話に付き合ってくれて感謝します。農家周りの方々の意見も面白い。ごくろうさまです、ありがとう。
一つ補足というか…チェリーピックしないでほしいし、ちゃんと読んでよと感じた反応があったので
yingze 進次郎主張の農政改革のキモは金融分離なのに、さらっと流されてるw セルフ突っ込み入ってるけど、ブランド作れないJAは要らんのよ。市場に作物流すだけの簡単なお仕事だと農家は離れるばかり。
サラッと流してない。言及しているのでちゃんと読んでほしいんだが、金融の分離をしたら最大のメリット「JAは最短・適切条件(馬鹿安でもなく高くもなく)での支払いが可能」が難しくなってくのではと思っている、金融分離は農業全体をぶっ潰す最短距離になりうるよ。まぁJAの金融事業の内訳を調べてないから分からないが、JAに近いところにいる事情通の人に聞いた話だと、非農業系の金融事業で稼いで農業事業に回しているような状況らしいので。本文で郵便事業の例を引いたけども金融分離化前の郵政はまさにこれで、郵便事業はもうちょっと立ち行かないかもねって感じになってる。相次ぐ値上げ、不正の増加は、貧した結果の倫理低下だろう。
あと、ブランドを作ろうとしてないJAなんてほぼ存在してない。それに、コメがない高いと言ってたこの半年でもブランド米は高いけど売ってたでしょ?ブランド化=価格の高止まりを目指しているわけで、ブランド作れねぇのかと嘲笑するからにはちゃんと付加価値が付いた高い作物をしっかり買ってくれるんだよね?って話になりますよ。 <h3>o- *********************************************************************************</h3>
以下本文
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkansports.com/entertainment/news/202506300000813.html
必要か、と語りかけてみたものの、国産の野菜やコメなんて非効率!金輪際要らんのや!という過激派にとっては農協は当然不要だし、亜米利加国のような大規模集約農業以外は認めへん!という類の過激派にとっても知らんがなという話になるだろう。ただこれらの派閥は机上の空論でしかないので。
取りあえず、農協は何で「今のところは」 「とりあえず」必要か、という話です。今後、何かが進化して新しい取引や流通方法が産み出され商業的に大変安価に使用できたりするようになれば変わるかもしんない。または何千億円もの税金をかけて田んぼを集約化できれば大規模農場は実現できてJA不要になる可能性もあるかも(なぜ農業の大規模化に多額の税金が必要かはのちに述べるかも。大規模集約化が机上の九龍城だよと言う説明として)。
勤め人ならご理解しやすいかと思うが、一般企業はあまり個人自営業や小規模事業者との直接取引(特に彼らからの購買)を好まないことが多い。取引数が多いとその分、経理をはじめとしたバックオフィスの業務量が増えるし、宜しくない事案(不当なキックバックを要求するけしからん社員が現れたり)が起きやすい。その他色んな理由(与信的なこととかね)がある。
一方で、JAは会員なら誰でも取引が可能で、各農協が決めた規格の範囲内の作物なら原則必ず買ってくれる。なので多くの農家にとっての作物の販売先として真っ先に上がることになる。
仕事で新規開拓営業したことある人は分かるかもしれないが(はてな民には少なそうな気もするな…)、「販路開拓」というのはなかなか簡単ではないので、規模の大きい農家でも、素晴らしい栽培技術があったとしても、簡単にいい値段で買ってくれる取引企業を見つけられるわけではない。支払い条件なんかも企業によって全然違う。その点JAはきっちり決まってる。JAがまるっと買ってくれるのは農家の文字通り「生命線」である。
一般企業と取引をしている農家ももちろん居る。例えば某ポテチ屋や某トマトジュース屋などは加工原料を契約農家からトマトやジャガイモを買っているし、ハンバーガー屋、デパ地下のサラダ屋、上げ底コンビニなんかも契約農家から直接仕入れてる。「地元の野菜をたくさん使った地産地消レストランです!」というようなところも直取引。これらは日本の農家の全体取引からしたら少数。
この企業直取引だが、ポテチやトマトジュースなどの)原料としての販売額金額はちょっと失笑するぐらい安い。彼らは定期的にJAなどを通じて契約農家になりませんかと営業をかけているらしいので、その程度には入れ替わる(儲からないからやめる)んだろうとも邪推できる。一方でもちろん、うまくやってて儲けられてる農家もいる。そしてポテチ屋やトマジュー屋も、JAから仕入れることも有る。パンクチュアルに出荷用の材料数を揃えなきゃいけないし、作物は思った通りに育たない時もあるから。
もう一つの主要な直取引先、中食や外食向けの野菜。これは場合によってはJAの買い取り価格よりも高く買ってくれることもある。半面、ジュースなどと違って原型が分かるわけで、規格(サイズなど)の制限がJAよりも厳しいことが多い。加工のために一定のサイズに収まってる必要があるから。これらと取引ができるのは選ばれた神農家、または資本力が高い施設栽培(かっこいいハウス栽培)農家などが多い。そして彼らも同様に足りなければJAからも買う。
ちなみに、ここでは便宜上、JAと言っているが実際にはその地域の中央卸売市場が実際の取引の場になる。JAが買った野菜は半分~8割ぐらいは卸売市場で取引される。そして卸売市場では上記のような一般企業、大手流通小売(スーパーマーケット)、仲卸などが買っていく。仲卸は飲食店とか小さいスーパーや八百屋などに卸したり。それで我々消費者が買って皆様のお宅の晩御飯になったりする。
更にちなみに、スーパーや八百屋などの野菜は、大半がJA・大卸を通した商品だそうです。
なぜならスーパーは消費者のニーズに応えるために少量・多品種が必要でかつ欠品も消費者から許されず、それなのに鮮度も求められるから。特定の農家と取引しているんじゃ棚に並べる商品を揃えられないからだそうで。複雑な卸構造になっているのは、消費者のニーズに適切に応えるため。コメはここまでではない(多種はそこまで求められてないだろう)が、鮮度はやはり求められるからねぇ…。
しかし、生鮮食料品の流通って難しいね。検索したらこの図https://d1obh0a64dzipo.cloudfront.net/images/7595.jpgが分かりやすいなと思ったら元は農水省の白書みたいだ。元記事はhttps://minorasu.basf.co.jp/80696 元記事も面白かったのでお時間ある人はどうぞ。
もっと更にちなみに、別にJAは農家に「一般企業に売るな」なんて圧かけたりなどはしておらず、むしろ逆で、一般企業からの「契約農家を探してほしいんですが」 とか「〇〇を育ててくれる農家さんいますかね?」というような相談の窓口になっていたりするので、しんじろうが言うてることはますます分からんのよね。JAというか農業界隈は「六次化(2次産業×3次産業からきたダジャレ合言葉)」を叫んでいたりもしていて、JAも、農家の一般企業との取引拡大を望んでるんだよね…。
むしろ地方は中央卸売市場のサステナビリティの危機という別の問題もあって、仲卸が跡継ぎ居ない、儲からず廃業などで市場が機能しなくなっていたり、建物が老朽化しても建て替える金がないとかの問題もあって、自治体もJAも中央卸も、企業ウェルカム!な状態なんすよ。でも農業も卸も対して儲からないから企業の方があまり組んでくれないんよ。
JAに作物を納入すると支払は、その地域のJAの決め事により異なるが月末〆、翌月10日とか20日になることが多いようである。これは一般企業の取引よりも支払い条件が良い。これはかなり大きいことで、特に出荷期間が長い野菜や果物の農家にとってはすごく大事な条件である。農家の金の周りが良くなるということなので。
これはJAが金融機能を持っているからこそ可能なわけで、金融機能を切り離したら支払条件も悪くなるんじゃないかなと思うんだよね…。郵便が郵便機能ぼろぼろになったのもゆうちょが儲けてた分がなくなっちゃったからなんじゃないかなーと思ったり。
またJAは金融機関なので、農業のための融資をしてくれる。これもなくなると農家はかなり困るんじゃないか。というか一般の金融機関で農業のための融資が継続できる気がしないぜ。
基本的に作物の品種改良は、その地域の農業試験場がやっている(たまには大学や研究機関もやっている)
新品種や新しい作物(例えばズッキーニとか今は当たり前に作られてるが一昔前は作付けは極小だった)は、これまでの品種と育て方が違うことも良くある。そのための農業指導などを行っているのがJAです。
新品種に切り替えるというのは既存の農家にとってはナーバスな事態である。下手したら半年~1年の売上が吹き飛ぶ可能性すらあるからだ。おまけに新品種は簡単には市場には受け入れられない(知名度とか値段とかで)ので、意気軒高に新品種に切り替えて張り切って栽培して成功しても、思ったよりは売り上がらなかった、なんてことだって起きうる。
JAという「ハコ」があることで、たくさんの農家を取りまとめて新しい品種の栽培指導したり、ブランド化のためのゆるキャラを作ったり、自治体と協力してキャンペーンしたり、いろんなことがしやすくなる。こういうのは「ハコ」がないと纏まらんよ。普通の会社だってそうでしょ?業界団体があるからこそロビイングもできるわけでさ。
ロビイングという言葉を出したのは、要するにJAは農家のための団体なので、究極的には我々消費者とは利益相反する。もちろん敵対関係ではないが、彼らはより高く売りたいし、我々消費者はより安く買いたいというごく原理的・究極的な部分な。なので消費者が「高えんだよ!」っていうのは当然ではあるし、一方で「何を当然なことわざわざ言うのだ、他のすべてのものが値上がりしてるのに」とも思う。
「ここにきて急に高くなったのはおかしい」というブコメもあったが、それは「もう耐えられないところにきている」という考え方もあると思う。原材料に近い商材ほど付加価値をつけにくいから価格の上昇は他の商材と比べて遅くなるのはごく一般的な傾向だとも思うしなぁ…。
エネルギー費用もバイトさんの人件費も、肥料代もすべてが値上がりしている。ハウス栽培が中心の農家はエネルギー代で利益が減ってると思うし、精米の機械だって倉庫の温度管理だって電気で動いてるわけですし。ナスを5個パック入りに商品化するための袋だって値上がりしてるでしょ。
「大規模集約化」というのはちょっと乱暴で、事業者が集約される(大農家が零細農家の休耕田・畑を使って農地を広げる)パターンと、農地の区画を物理的に大きくするというパターンに大別されると思う。そしてこのどちらも、進んでいる所はどんどん進んでいるし、進んでいない所は金がないから進まない。
実は農業地域の「良いけど所有者が細分化されてる農地」はどんどん、地域の大農家が集約している。新規就農者はたいていこういう大農家で「農家修行」として小作として働いてたりするし、技能実習生もたくさんいる。あちこちに分散している農地を、人海戦術で「作物が取れる農地」として維持している、というのが実情。
そして、一方で「あんまり良くない農地」は人気がないまま放置される。
都市に暮らす消費者がちょっと思いつくようなことなんて、とっくに農家はやっているし、やっても儲かれないことは、アホな消費者が何を言ったところで、やらない。
あんまり良くない農地というのは、山沿いだったり(太陽と風が良くない)、水利から少し距離があったり、四角いきれいな形じゃなかったり、小さかったり、道路が貧弱だったり(トラック通れないと収穫の手間がすごい)。そういうところは大農家も使わないので放置されたまま。
こういうところでもドカーンと区画整理をして、四角くしたり、用水路を作ったり、1tトラックくらいなら入れる細い舗装道路を作ったりすれば、ちゃんとした「集約化された農地」になる。でもそれにはすごく金がかかる。これは都心で行われている「再開発」と似たような手法で「区画整理事業」って言うんですが、土木作業のみとはいえお金がかかる。このお金は場合によっては億単位の金がかかるので農家が負担するのはとてもじゃないが難しい。
例えば
1ヘクタールの休耕田を「使える農地」に造成するための費用は、約9,000億円(造成費用1坪3万円で計算。今はもう少し高いと思う)※単位間違ってた!9,000万円です!ごめん!
1ヘクタールの田から取れるコメを約5,400kgとする(10a辺り反収538kgらしいので)
5,400kgのコメの卸価格(28,000円/60kgが最新の価格、かなり高い)は2,520万円、経費率を7割(ChatGPT調べ)とみると、利益は756万円弱。
ちなみに1haの農地って、全然「集約化された農地」なんかじゃない、むしろ中の小ぐらいです、サイズ的には。
見てもらった通り、これでは造成費の1億円返していくのけっこう大変。つーかかなり厳しい。したがって農地の区画整理は基本的には半分かそれ以上を税金で賄うのが慣例になっている。補助金です。田舎の土建屋が儲かる、都会の人が蛇蝎のごとく嫌うような補助金ですね。でもこれがないと「農地の集約化」は不可能ですね。
その程度には農業って「あんま儲からない」ものでもあり、そして「人間が生きていくには不可欠な仕事」でもあり、平地が少ない上に平地がどんどん都市化していく(田んぼよりアパートの方が儲かったりするので)日本では、わざわざ農地をお金かけて集約化を実現するんは、かなり難しいんだと理解いただけるとありがたいです。
Permalink |記事への反応(14) | 20:10
もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ anond:20250702083736
一ヶ月前、冷蔵庫を捨てた。
壊れたからではないし、引っ越しのタイミングでもない。単純に「もう要らない」と思ったからだ。誰に頼まれたわけでもなく、自分の意志で、冷蔵庫のある暮らしに終止符を打った。
毎週末の買い出し、増えていく調味料の瓶、冷凍庫の奥から出てくるいつ買ったかも覚えていない肉や餃子。野菜室の底で液体になったピーマン。パックの期限が切れた豆腐、干からびたきゅうり。
そんな呪文を毎日心の中で唱えていた。冷蔵庫の扉を開けるたび、目に入るのは義務と管理の塊みたいな食材たち。もううんざりだった。
だから思い切って処分した。古い小型冷蔵庫だったので、粗大ごみとして申し込んで、業者に引き取ってもらった。その後の部屋は、驚くほど静かだった。
最初の数日は「本当に大丈夫か?」という不安があったのも事実。でもその不安は、すぐに解放感へと変わった。
まず、食べ物を腐らせることがなくなった。そもそも保存しないのだから、腐る心配がない。
今は基本的に「その日に食べる分しか買わない」と決めている。外食やコンビニ、スーパーの総菜、たまにパン屋で買ったサンドイッチ。気分次第で自由に選ぶ。その自由さが、思った以上に心地よい。
「贅沢じゃないの?」とよく言われる。けれど、実際には冷蔵庫があった頃よりも食費はむしろ安くなった。理由は単純で、「余らせる」「無駄にする」がゼロだから。あと、調味料や食材をストックしなくなった分、衝動買いもしなくなった。
電気代も減った。小さな冷蔵庫でも、常に稼働しているだけで月に1,000円〜1,500円はかかっていた。それが丸ごと消えたのは地味に嬉しい。しかも、深夜に聞こえる「ブーン……」というあの微妙な機械音がなくなったことで、部屋の静けさが増した。寝るときの快適さが全然違う。
これまでは「冷蔵庫にあるもので何とかしなきゃ」という発想だった。卵が残ってる、キャベツが傷みかけてる、鶏肉が期限ギリギリ。だからそれを中心にレシピを検索して、適当に何かを作る。
でも今は、「自分は本当に何が食べたいのか?」を、ダイレクトに問いかけられる。
今日はあっさりしたものがいい、とか、少し贅沢して外で定食でも食べようかな、みたいな。選択が“足りないもの”ではなく“望んでいるもの”から始まる。それがすごく健全な感覚だった。
あとは、空間的な変化も大きい。
冷蔵庫がなくなってキッチンが広くなった。狭いワンルームで生活している自分にとっては、その“1畳分の余白”が信じられないくらいありがたい。掃除が楽になったし、気持ちにも余裕が生まれた。
冷蔵庫がないと、買いだめもできないし、ストックでごまかすこともできない。だから、自然と「質」で選ぶようになる。野菜がちゃんと入っているお弁当を選んだり、化学調味料の少ない惣菜を探したり。結果的に、ジャンクに傾きすぎることもなくなった。
「ちゃんとしたご飯を作ってこそ大人だ」とか、「冷蔵庫がないなんて信じられない」とか、世の中にはいろんな価値観がある。
でも、私はもう冷蔵庫のない暮らしのほうが、よほど“自立”していると思っている。
冷蔵庫がある暮らしは、「安心」をくれるけど、同時に「管理」と「義務」もついてくる。
冷蔵庫がない暮らしは、「不便」に見えるかもしれないけど、「自由」と「選択」がある。
どちらが良いかは人それぞれ。でも少なくとも私は、今の暮らしにかなり満足している。
毎朝、静かな部屋で目を覚ますと、どこか身軽な気分になる。
冷蔵庫がなくても、ちゃんと生きていける。むしろ、自分の感覚を取り戻した気がする。
そして、案外楽しく暮らせている。
うちの妻がわがままで「日中仕事(彼女の中では遊んでると思われている)んだから、あとの残った時間は全て私に使え」という人なので。
勿論土日も同様。妻が行きたいイベント(ホモ本購入)に参加し、俺が来なくても良いときだけ時間が出来る。
私も妻も先日ADHDと診断を受け(俺は注意力欠如、妻は全般)、俺はストラテラで快調になったが妻は合わず、しかももう20年の重度鬱・不眠・もう少し踏めば統合失調症(幻聴は常時あるので) であり、俺は常に支えている状態である。
しかもギャンブル依存症で、なにかにつけてパチンコ、スロット、一番くじに突撃し、小銭を無駄に失うのが好きである(ソシャゲガチャは大嫌い。何も残らないし、何より「ゲームは自分で遊ぶもの=PaytoWinを憎悪している」)。
子供は幸いなるかないないし、もう作れる歳でもない。ADHDの結果、新築マンションは妻が暮らしてからゴミ屋敷であるが、片付けるだけの元気はないし、片付けの時間も妻が許さない。
でも「久々にあなたの手料理が食いたい。もう外食&コンビニは飽きた」という要望は叶えたいので、この状況で「いつ作り置き料理を実行すればいいか」教えて欲しい。
ちなみに妻は「レンチン料理は料理ではない。レンジは冷凍食品とコンビニ弁当の温めだけの道具だ。あれは調理器具ではない」とひどくレンチン料理を嫌っている。どうしたらいいか。
最近、政府が免許を持ってなくても教員にするとか氷河期世代に教員になれとかなりふり構わず教員増やそうとしてるんで
例えばオフィスの室温は18℃~28℃という基準があるが、教室の中は”作業現場”であり”オフィス”ではないのでこの基準が適応されない
具体的に言うと職員室はオフィスなのでエアコンが自治体の経費で出るが、教室のエアコンの電気代は自治体から金が出ない(自治体による)
だからPTAなどが金を出さない限りエアコンは動かないし、それで体調を崩しても学校に責任はない
仮にエアコンが付いたとしても座っている生徒と比べて講義している教員は当然体温が上がるし夏は体感28℃を軽く超える学校が殆ど
オフィス勤務してた人からすると信じられないぐらい職場環境が悪い
ちなみに自分は氷点下の廊下で教室から多動の子が飛び出してこないか立ち番をさせられた
2.昼休憩は30分
もう卒業して何年もたって忘れている人も多いだろう昼休みの時間は30分
教員の昼休憩も30分と言うこと、昼の休憩が30分
当然、外に出て外食なんてできないので小中なら給食、高校なら弁当の持参か注文で済ませることになる
ここで30分休憩は違法じゃ?と思った人は鋭い
公立学校の労働時間は大抵7時間45分なので休憩時間は45分で
しかも15分は別に分割されて適当な放課後に設定されていることが多い
当然そんな休憩はないのと同じだし、会議とかが平気で入れられたりする
地味ブラックポイント
人権はない
ホワイトボードの学校も増えてきたがチョークの学校もまだまだある
チョークの粉は中性だけれど粉がつくと当然肌の水分が吸われるし肌が弱い人は普通に荒れる
チョークホルダーとか使って対策することもできるけど使いづらいのが毎日の授業では地味にストレスになる
過失でプールの水を出しっぱなしにして何百万も請求された教員がいたが
基本的に学校は業務命令が出されずに「今までやってきたからやらなくちゃいけない」と言う伝統行事みたいな仕事がある
しかし「業務命令ではないので教員個人が勝手にやっている」ことになっている
管理職は命令していない、ただし教員同士の引継ぎで確かにこの仕事は存在する
そんな仕事で損失を出した時どうなるかと言えば法的には教員個人が責任を取ることになる
やってらんないね
学校に勤めてると人生史上ないほどに風邪をひくしインフルエンザにかかる
病気予防に関心のない児童・生徒が何十人も狭い教室にすし詰めになってるのでちょっとした病気でもすぐに集団感染する
そしてそれは当然教員にも伝染してくる
風邪・インフルエンザ・肺炎・マイコプラズマ・ノロウイルス・百日咳etcetc
会社で働いているときにはめったに風邪を引かないが教員になると1年で何度も病院にかかることが出来る
ちなみに自分の働いているところではノロウイルスで吐いた子が居たら見つけた教員が吐しゃ物を処理するんだとさ、見つけたくねえ
教員が病気になろうが生徒は学校に来てその時間の授業は存在していて、法的に授業には教員が居ないといけない
だから真面目な人は少しぐらい体調悪くても休まない、休めない空気がそこにある
体が弱い人はすぐにダウンするからそこらへんは考慮した方が良い
他にもあるけれどとりあえずこんなところ
一見やさしくて合理的に聞こえるけれど、それがいつでも本当に正しいとは限らない。
例えば外食で明らかに量が多いとわかっているのに注文した場合、「残しても良い」という前提で浪費に鈍感になっていく感覚が生まれやすい。食品ロスの観点から見れば、小さな選択の積み重ねが結果として大きな無駄になる。
ただし、無理して体に負担をかけてまで完食すべきではないのも確かで、特に子どもや病気の人には「残すこと=悪」という刷り込みはリスクにもなる。
だから本来言うべきなのは「食べきれる量を選ぼう」であって、「食べきれなければ残せば良い」はその次に来るべき補助的な考え方だと思う。免罪符として使われ始めたときに、その言葉は少しずつ形を変えてしまう。
ようするに、残さず全部食べきるべきなんだよね。
たとえ体調が悪くても、満腹でも、自分で注文した以上は責任を持つべき。そうやって最後の一粒まで食べきることでしか、人間としての誠意や道徳は培われない。
日本で消費される食品の7割、エネルギーの9割は海外から輸入している。
国力弱体や戦争など、何らかの理由で輸入がストップすれば当然今の生活は崩壊する。
生活を維持するために国力維持をスローガンにやってきたわけだけど、この構図は第二次世界大戦前の日本にそっくりだよね。
軍事力が経済力に置き換わり、植民地がプランテーションや資源開発地に置き換わった。
軍事工場で武器を生産する代わりに自動車工場で外貨となる自動車を生産し、駐屯兵の代わりに商社マンが海外資源を支配する。
そして近頃、満州事変ならチャイナショックが起き、日本の経済力が揺らぎ始めている。
アメリカからはトランプの関税ハルノートが突きつけられ、もはや第二次世界大戦会戦前夜の様相。
今の生活がどれだけ危うく、裕福で、持続不可能なものなのかを理解する時期が来たよね。
共働きは嫌?外食が高いのは不満?年金が足りない?地方のインフラが貧相?
いやいや、もう植民地支配が難しくなってきてるんでそんな贅沢言ってらんないよ。
専業主婦なんてニートでしょ。外食なんて贅沢なんだから月1回でいい。
年金だってもらえれてるだけありがたく思え。地方のインフラ維持は余力がない!
皆さんも危機感持ってくださいね。衣食住が揃ってるだけありがたく思いましょう。
初めて行ったライブは電話を何度もリダイアルしてチケットを取った。そこからライブは欠かさず参加してる。10周年ライブのツアー最終日はアリーナ前から数えた方が早い場所で見れてなんの奇跡かと思ったし、逆に2014年のライブ(今考えるとこれが最後のライブ)は久々に2階席後ろから数えた方が早い場所で驚いた。そこそこ都心に近い所(都内ではない)に住んでたけど芋女だった自分が武道館にもお台場にも1人で行けた。メントレも何回か観にいけた。東海道新幹線のポスター撮るためだけに品川まで行った。
家族で外食に行ったときDASHの時間に被ってしまって店で泣くという奇行もあった。(親はドン引きしてた)テレビの音声が入るMDコンポを買ってもらってDASHもメントレも録音してた。高校入ってバイト始めたきっかけはTOKIOの番組をDVDレコーダーで録画したいからだった。
こんなに好きだったのにこの15年くらいほぼ追ってなくて辛うじて株式会社TOKIOは知ってるというレベルだし、今やってるミタゾノの舞台はチケットFC枠締め切り過ぎてから気付くダメっぷり。(結局一般販売で取った)
それでもやっぱり今でもTOKIOが好きでライブいつかやらないかなって思ってた。けどきっともうやらないんだろうな。何があったか分からないけど私の中では表立ってコンプラ違反しました休止しますって言うなら戻ってきてほしくない気持ちだし、たっちゃんも今は頑張ってるけど色々あったにせよ女子高生に手を出したって報道された時点で無理って気持ちもある。
家からの外食の要請で、ちょっと気分を変えたくて、金曜夜にモールのフードコートに来るんだ。そこでは決まって「汁無し担々麺」を食べる。鞄に忍ばせた缶チューハイをお供にね。理由はと言うと、その店は子供の嗜好から外れているせいか必ず空いているし、残った辛い具で混ぜ追い飯をするのも楽しみなんだ。最近、何回もバッティングするんだが、私が食べていると、必ず真っ赤な「汁有り担々麺」を食す若き女性が並びのテーブル横にやってくる。何か辛いもの好きで、繋がって居るようでホッコリする。既婚で無ければ声を掛けるんだが...。
会社とか職場とか仕事とかなくなればいいのにと思う。気に入らねえアイツとかできない俺とか死ねばいいのにと思う。優しくしてくれる同僚も顔見たくないくらい嫌になってる。この嫌さから逃げられるんなら死んでもいい。死にたい。
昼くらいになると死にたい感情は少し薄れて、帰りたいがピークになる。このまま昼休憩から帰らなかったらクビかな、とか考える。午後の仕事がダルい。なんかのトラブルで仕事中止にならないかと思う。
嫌だなあ、という気分は収まらないまま仕事が終わる。そうすると今度は帰るのが億劫になる。職場からは一分一秒でも早く離れたいのに、家までの道のりがすごく憂鬱になる。家が目の前に来ればいいのにと思う(もちろん来ない)。寄り道して気分を晴らそうとする時もあるが、たいてい晴れない。
帰宅しても劇的に気分が晴れたりしない。外食してなければなんか作って(その気力もない時は特に食わないで)シャワー浴びて布団に入る。スマホいじってて眠くなったら寝るし、眠くならなきゃ、ああ、明日の仕事なくならないかな、とうだうだしてる。休みの前日はちょっとだけ予定を考えたりするけど、起きたら結局布団から出れずに夕方まで過ごす。
なんかずっと疲れてる。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
1 週間のオープンチャットは **「食・イベント・ガジェット」の三大雑談軸**を中心に、住まい・健康・社会時事がスパイス的に混ざる構成。
参加者はリンクや実体験を交えてフラットに意見交換し、**ローカルグルメの熱量とガジェットの“詰まり”相談**が特に盛り上がったのが特徴でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249