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はてなキーワード:坂本龍一とは

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2025-12-13

Ryuichi Sakamoto: Diaries」という、坂本龍一さんが亡くなる前の数年間を描いたドキュメンタリー映画を見た。

坂本龍一さんの音楽は聞いたことはあるが、そこまでのファンというわけではない。

ただ、他に見たい映画も無かったし、その音楽の才能と功績が、世界中で認められた人の最期というのはどのようなものなんだろうという興味があったので見た。

坂本さん日記をつける習慣があり、亡くなるまでの間もノートiPhoneメモ帳に、短い言葉を残していったようだ。

その内容や、家族提供映像などを元に構成された映画だった。

予期した通りではあったが、検査ステージ4の癌が発覚した後、ずっと「苦しい闘病生活を送り、わずかに延命することに意味はあるのか?」という問いと「まだ死にたくない」「音楽に没頭する間は死を忘れられる」というような心の変化が描かれている。

 

映画には、死の直前の映像まで記録されている。

既に意識を失い、痩せ衰えたピアニストの指は、まるでピアノを弾いているかのように動き続ける。

これはとても悲しくドラマティックであると同時に、見る側に罪悪感のようなものを想起させる。と思う。

他人の、そして映画を見る人にとっては概ね「推し」の死を観測するというのは、どういったことなのか。意味があるのか。

死の瞬間まで、映画というある種のエンターテイメントに変換されることは、本人にとって幸せなことであるのかどうか。

 

そしてもう一つ、死が映画になり得る人間というのはほとんど存在しない。彼が特別人間からこそ、映画になり得たということ。

YMO個人音楽活動アート活動で積み上げた実績、音楽の大きな才能があったかである

そんな才能を持つ人でさえ、死に直面した際には「たった一年延命することに意味があるのか?」と問い続ける。

第三者から見れば、天才一年時間があれば、音楽が残る。インタビューが残る。その言葉から書籍が残る。それらを待ち望む人が世界中にいる。

しかし、ほとんどの人の最期には、そんな期待はあり得ない。客観的には、何も残さずに死ぬしかない。

そんな凡人にとっての延命とは何か。

自分が同じ場面に遭遇してしまったら、果たして闘病を決心することになるんだろうか。

 

映画館では、ファンであろう人たちが泣いているのが分かった。

推しの死」に再度向き合うわけだから、涙も出るだろう。

個人的には、「凡人の死」「何も残さないであろう自分の死」を考えさせられる映画であり、心が冷たくなるような時間だった。

 

見てよかったかといえば良かった。

強くおすすめはしない。

Permalink |記事への反応(0) | 09:30

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2025-12-05

セスってそんなにゴミなんか?

Youtubeのミセス試聴時間ランキングみたいなの1位だったんだけど普通にいい曲だと思って聞いてたわ

2位はホロライブっていうYotuberのネリッサって人だった

3位は教授こと坂本龍一

4位はLIROIというジャスティビーバーコラボしてる海外新人

5位が藤井風っていうカバー曲歌ってるYouTuber

 

ちな52のおっさん

セスゴミって言ってる人はい環境で聞いてるんだろな

俺は所詮ワイヤレスイヤホン無料Youtubeから・・・

普通にいい曲作ってるように思うよ

一番好きな曲はミセスケセラセラ

カラオケで一番歌う曲はSoranji

距離ドライバーだけど運転中もだいたいミセス聴いてる

Permalink |記事への反応(3) | 12:05

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2025-11-25

坂本龍一動画見てて、ふとベースやりたくなったので、

シミュレータピッチシフターで適当に-12したり、

ベースアンプに変えて、適当エフェクター構成して音出したら、なにこれ楽しい!😊

とりあえず、課題曲にしてるT.M.Revolutionとか弾いてる

他の曲もルート音だけならすべて空で弾けるので、楽しいわ、これ、ダニングクルーガーだわ…😊

Permalink |記事への反応(0) | 13:45

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2025-10-13

飯野賢治」を理解するには当時のゲーム雑誌文化についても理解する必要がある

[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html

kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う

トップブコメのこの意見、まじでそうなのよ。

飯野賢治理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。

90年代日本雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲーム情報ゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。

飯野ゲームスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。

 

SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二糸井重里さくまあきら広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。

 

ゲーム雑誌においてゲームクリエイター露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。

――他に音楽業界手法で言うと、クリエイタークレジットちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれものですよね。

 

川上氏:

 当時は、みんなゲームクリエイター名前は隠していましたからね。

 

丸山氏:

 でもさ、レコード映画クレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤースターがいて、クリエイタースターじゃないというのはヘンじゃない。だからメーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションやすいよ」と説得したんだ。

 

高橋名人

1959年まれゲーム関係者本名高橋利幸ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント所属ファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。

 

 実際、これは有効なんだよ。だって普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。

 

――つまり音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?

 

丸山氏:

 そうそう。で、クリエイターには「ミュージシャンは顔出してやってるから、どこ行ってもモテるんだぜ」と教えてまわった。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/3#i-2

 

PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社ゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者インタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。

 

飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者いかにも会社組織所属するサラリーマンオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社ゲーム言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョーク坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネット動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治奥さんゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。

彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオパーソナリティや、現代ならばSNSインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。

 

飯野ゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野インタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野インタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野インタビューを取る→宣伝になるから飯野インタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンド記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。

 

いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。

 

----

 

参考までに1990年代ソフトバンクセガハード専門誌からスタッフインタビューリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。

Beep!メガドライブ1993年12月

バーチャレーシング -永田浩一(セガ

ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ

矢野一隆(セガファルコム

重田守(セガ

 

セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)

ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修セガ

エネミー・ゼロ - パーラム飯田和敏(※開発者ではない)

デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ

サイバーボッツ - 醤野貴至、澤田悦己(カプコン

ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ

新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ

意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキーブンブン丸、柏ジェフリー

天外魔境 第四の黙示録 -広井王子森本レオ桜井智

シャイニング・ザ・ホーリィアーク -高橋宏之ソニック

EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也イマジニア

佐々木建仁セガ)×後藤友恵、片平貴子レースクイーン

電脳戦機バーチャロン -亙重郎セガ

セガサターンワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト

センチメンタルグラフィティ -為我井徹

サクラ大戦 -田中公平牧野幸文(セガ)、原太郎ティーズミュージック

セガスキースーパーG -菅原誠(セガ

ラストブロンクス -山下信行(セガ

電脳戦機バーチャロン -亙重郎セガ

Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕セガ

スカッドレース -名越稔洋宮本英明西村英士(セガ

 

DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)

小島弘和、荷宮尚樹(セガ

シェンムー 一章横須賀 -松風雅也安めぐみ、岡安啓司(セガ

電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎セガ

クレイジータクシー -菅野顕二(セガ

スペースチャンネル5 -水口哲也セガ

セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽

プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之加藤真樹、石原学(セガ

Dの食卓2 -飯野賢治ワープ

ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ

東京バス案内 -泉麻人

ベルセルク千年王国の鷹篇喪失花の章 -平沢進

爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー

央華封神 央華咲きし刻 -金月真美田沼雄一郎

お・と・い・れ -中村立行(ワカ製作所)、光吉猛修(※開発者ではない)

Permalink |記事への反応(0) | 02:21

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2025-10-02

anond:20251002192831

もう死んでるけど、坂本龍一もそういうタイプだったな。

あの年代ミュージシャンに多いところを見ると、「反知性的流行」ってのは当たってそう。お手軽に賢くなった気分になれるという意味で、当時の意識高い系みたいなもんだったんだろうな。

Permalink |記事への反応(0) | 21:07

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2025-08-22

anond:20250821100539

坂本龍一そんなこと言ってたのかよ!

Permalink |記事への反応(0) | 06:59

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2025-08-21

人格と成果は分けて考えませんか

借金玉が暴行警察のお縄になった件

SNSを見ると、彼の本を過去に読み、賞賛したのを恥じる当事者意見もチラホラ出ている

だけれども、これって「作品に罪はない」と同じように考えられないだろうか

増田自身借金玉の著作は読んだことある

当事者が獏として感じていたことを

高い解像度で且つ巧みな比喩表現を交えてわかりやす説明しており

発達のライフハック本としては出色白眉だなと感心したことをよく覚えている

しかし、著作が世に持て囃されていたときから

既にXで過激レスバに興じており、まあ両極端な人なんだなとはその当時から感じていた

ジョブしか坂本龍一しか手塚治虫しか

大業を成し遂げた人は割と人格面では偏っていて

それでも大半の人はそうした部分は割り切って、プロダクトしたもの自体を受け入れている

幻滅するので「作家SNSをやるな」的な論調もあるけど

生み出した作品が素晴らしいものであっても、本人の人格メタクソ(だと感じる)って全然あることでしょ

その辺は分けて考えて良いと思うのだけど

Permalink |記事への反応(1) | 23:02

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2025-08-08

夏野剛親友爆笑田中に限らず有名人ってさあ

交友あるその有名人が何やらかそうがどんな非道なこと言おうが自分と揉めない限りほぼ見捨てないよな。

蜜月関係だったダウンタウン

タレントとして天下取ったのに芸風がキツくなってんのは単なるイジメ

って距離とった坂本龍一くらいしか例が思いつかんわ。

Permalink |記事への反応(2) | 11:53

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2025-08-07

MO当時、坂本龍一飲み屋で偶々見かけた松田優作に「おう、優作!」って気安く話しかけ行ったら

https://anond.hatelabo.jp/20210603134218

そのとき松田優作と一緒に飲んでた内田裕也ファミリーの連中に

「てめえコラ、気安く呼び捨てしてんじゃねえよ!!!!」

と血相変えてマジ切れされて半泣きで謝って退散したって話を聞いたことある

真偽不明らしいけど俺は本当だと思ってるし、この話は好きだ。

河出書房インテリ編集者の家に生まれて、塩崎官房長官幼稚園から幼なじみで、物心ついた時からピアノ英才教育受けてきて、都立新宿高→東京藝大に進学するような龍一坊ちゃんなんて、

所詮女子供運転手スタッフとか自分より弱い者あるいは、看板とか窓ガラスとかモノに対してくらいしか腕力絶対に振るえないんだよ。

普通に考えたら分かる。

ファンは痛々しい陰キャしかいないから「あの人をキレさせたらヤバい!!!」とか陰キャらしく素直に信じてるけど。

Permalink |記事への反応(0) | 15:07

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2025-06-09

anond:20250609041031

ウワッと引いたところでその場では口に出さないのが良識ある大人というものだ。坂本龍一のように。

Permalink |記事への反応(0) | 15:41

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ブクマカってまじで高齢者だなと思う

さすがに安保闘争とか全共闘に参加した人まではいなそうだが、ギリリアタイムで知ってそうな人がチラホラいるのが怖い

Permalink |記事への反応(3) | 12:57

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2025-05-20

anond:20250520201901

トリオ・ザ・テクノ

メンバー

【元YMOベーシスト細野晴臣

芸風:クラシック

【元YMOドラマー高橋幸宏

芸風:マニアック

【元YMOキーボーディスト坂本龍一

芸風:ミーハー

Permalink |記事への反応(0) | 20:23

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anond:20250520002038

colaboを擁護する女性翻訳家さんcolaboに嫌がらせしていた奴が書いた本が図書館で面出しされているのが許せず勝手に陳列を変えてしま

坂本龍一若い頃に街で気に入らない物を見つけると蹴り入れて壊しては世界から醜いもの掃除してやったとイキってたらしいが同じメンタリティだよな

Permalink |記事への反応(1) | 20:19

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2025-05-05

最近音楽シーンがわからない

70年前メルトーメとかナットキングコールとか超歌も楽器も上手くてステージがオシャレだった。

50年前都はるみとか美空ひばりとかすごかった。映画で歌ってるのを見て歌うめぇーって聞き惚れてしまう。

50年前アースウィンドアンドファイアーとか超グルーヴだった。ジョニミッチェルとかなんか迫力あった。

ポールモーリアとかレーモンルフェーブルとかも爽やかだった。

40年前YMOとかすごかった。楽器エフェクター進化し続けていて流行りの音があった。坂本龍一世界のサカモトになった。

YMOだけじゃなくてユーミン山下達郎もすごかった。T-SQUAREカシオペアも。

30年前渋谷系はお洒落だった。ピチカートVとかカヒミカリィとか。フリッパーズギターとか(でも自分的に音楽的にはあんまりピンとこない。

電グルとかTMNあんまりピンとこない)

2000年代に入るとなんかよくわからなくなってしまうんだ・・・くるりとかPERFUMEとかLampとか押尾コータローとかサンボマスターとか好きだけど

時代代表する曲といえば巫女みこナース・愛のテーマとか?レッツゴー!陰陽師とか?

最近うまい人といえば誰?

Permalink |記事への反応(5) | 19:44

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2025-03-27

坂本龍一焼き肉弁当を買ってきたピーター・バラカンを殴る蹴るしたのはなぜですか

坂本龍一さんがピーター・バラカンさんを殴る蹴るしたという事実確認できませんでした。そのような報道情報は見当たらず、お二人の間にそのような事件があったという記録はありません。

坂本龍一さんとピーター・バラカンさんは音楽を通じて親交があり、共演や対談などもされています。お互いを尊重し合う関係であると考えられます

もし、そのような噂を耳にされたのであれば、それは事実ではない可能性が高いです。情報源の信頼性確認することが重要です。

Permalink |記事への反応(0) | 22:36

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2025-03-19

anond:20250319185455

🦁おまえそれ死に際の坂本龍一のまえでもいえんの?

Permalink |記事への反応(0) | 18:58

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2025-03-01

anond:20250301134158

坂本龍一糸井重里アイドルかぶれなかったのかな?🤔

Permalink |記事への反応(0) | 14:17

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2025-02-17

anond:20250217113453

坂本龍一の話になると、世間はなんか戦場のピアニスト的なエモさを押したがるんだが

俺にとってはYMOでイケイケのデジタル音楽をやっていた男なので

人格破綻性とかロックさとか、そっち方面で切り込んで欲しいんだよな。

 

それを封じようとしたらそういうコメントになんのかね?

Permalink |記事への反応(1) | 11:42

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坂本龍一展へのミュージシャンコメント気持ち悪い

坂本龍一 | 音を視る 時を聴く |展覧会」というのが3月30日までやっていて、坂本ファンのワイにとっても大変興味深い展覧会なので今週にでも行こうと思ってる

それはともかく、この展覧会広告内でミュージシャン達が全く同じコメントを吐いてて気持ち悪いんだよ

(死に際に左翼に騙されてイチョウ並木を切るなと主張した坂本さんは哀れだったが)

曰く「今でも坂本さんの音楽はいつも聞いていて・・・

は? いつも聞くような音楽なのかな? 時折聴くもんでしょ いつも聞いてる? 嘘っぽいし、気持ち悪いわ~

Permalink |記事への反応(1) | 11:34

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2025-02-15

ただ今のBGM

【Tong Poo (from "Opus")|坂本龍一

https://www.youtube.com/watch?v=2EUp0FFFzvQ

Permalink |記事への反応(0) | 03:46

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2025-01-26

anond:20250126195925

坂本龍一

Permalink |記事への反応(0) | 21:02

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2025-01-10

最近アニメで「音楽 牛尾憲輔」の信頼感すごいな

音楽ジャンルの引き出しが多すぎるし、何よりセンスがずば抜けてる

次世代坂本龍一っていうとちょっと違うのかもしれないけど、そういう期待感はある

Permalink |記事への反応(0) | 11:07

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2024-12-29

60代のワイが天国紅白歌合戦の曲目を書くやで

時の流れに身をまかせテレサ・テン

・もしもピアノが弾けたなら(西田敏行

・昴(谷村新司

上を向いて歩こう坂本九

戦場のメリークリスマス坂本龍一

イマジンジョン・レノン特別出演

・僕たちの失敗(森田童子

若者のすべて志村正彦

・夢は夜ひらく(藤圭子

愛は勝つKAN

人生いろいろ島倉千代子

ヤングマン西城秀樹

・負けないで(ZARD

15の夜尾崎豊

川の流れのように美空ひばり大トリ

から楽しみやで。

Permalink |記事への反応(1) | 18:01

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2024-12-19

anond:20241218214554

リベラル反戦坂本龍一付き人に酷いパワハラして、学生時代陰キャいじめしてたっぽいしな

Permalink |記事への反応(2) | 11:18

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2024-12-11

anond:20241211110115

YMOYellow Magic Orchestra)は、日本音楽史において極めて重要位置を占めており、その評価の高さは革新性、音楽的影響力、そして国際的成功に基づいています。以下に、その評価を支える要素を日本音楽における歴史的文脈革新性を交えて詳説します。

 

1.日本音楽史の中での位置づけ

 

a. ポップとテクノロジーの融合

YMO1978年に結成され、日本のポップ音楽歌謡曲演歌)が主流だった時代に登場しました。当時の音楽シーンにおいて、テクノロジー積極的活用した音楽制作画期的でした。

シンセサイザーリズムマシンシーケンサーといった電子音楽技術を駆使し、日本独自音楽性と融合させることで、ポップ音楽に新たな次元を開きました。

 

b.日本初の「テクノポップムーブメントの牽引

日本で「テクノポップ」というジャンル確立し、他のアーティスト坂本龍一高橋幸宏細野晴臣がそれぞれの活動を通じて影響を広げました)を巻き込む形で、テクノロジーを基盤とした音楽の普及に寄与しました。

YMO成功きっかけに、テクノポップ一時的ブームとなり、プラスチックスピチカート・ファイヴなど後のアーティストたちに影響を与えました。

 

2.革新

 

a.電子音楽パイオニア

• 当時の音楽シーンでは、電子楽器使用は主に実験音楽映画音楽限定されていましたが、YMOはそれをポップミュージックに取り入れました。

アルバム『SolidStateSurvivor』や『BGM』では、シンセサイザーリズムマシンを駆使しながらもキャッチーでありながら知的楽曲を作り上げ、多くのリスナーを魅了しました。

 

b.サンプリング技術の先駆け

楽曲Technopolis」や「Rydeen」では、当時まだ一般的でなかったサンプリングシーケンス技術を駆使しました。このアプローチは後のエレクトロニカヒップホップハウスなどに直接的な影響を与えました。

 

c.グローバル視点音楽制作

細野晴臣のエキゾチシズム、坂本龍一クラシカル音楽教育、そして高橋幸宏ロックポップス志向が融合し、多文化的な音楽を生み出しました。

• 「東洋的なサウンド」を意図的に取り入れた楽曲(例: “Firecracker”)は、当時の西洋リスナーにとって新鮮かつ魅力的であり、日本独自音楽文化を国際市場に発信しました。

 

3.国際的影響と評価

 

a.海外での成功

アルバム『SolidStateSurvivor』は日本国内だけでなく、海外でも高い評価を受けました。特にアメリカヨーロッパエレクトロニカシーンにおいてYMO一種カルト的な人気を持つ存在となりました。

• 初期MTV時代にも、彼らのビジュアル表現スタイリッシュパフォーマンスが注目されました。

 

b.EDMエレクトロニカへの影響

YMO音楽は、後にテクノエレクトロニカIDM(Intelligent DanceMusic)といったジャンルの発展に寄与しました。Aphex Twinエイフェックス・ツインダフト・パンクジャスティスなどのアーティストにその影響が明確に見られます

 

c.アジア音楽象徴

YMOは、アジアアーティスト世界的に成功する道筋を作ったパイオニアとして評価されています。彼らの音楽は、「日本高度経済成長期」における技術革新象徴する文化的な成果としても語られています

 

4.YMO哲学アイデンティティ

 

a.未来志向美学

YMO楽曲アルバムアートワークは、常に「未来」を感じさせるものでした。例えば、『Technodelic』ではアルバムタイトル自体が「テクノ」と「叙情」を掛け合わせており、電子音楽人間感情統合する試みが見られます

 

b.音楽テクノロジーの融合

メンバー全員が音楽だけでなく、映像テクノロジーへの深い関心を持っており、YMOライブパフォーマンスプロモーションビデオにおいて、当時としては非常に先進的な視覚演出採用していました。

 

5.日本音楽界への影響

 

a. 後進アーティストへの影響

YMO活動は、坂本龍一細野晴臣が手がけたソロ作品プロデュース活動を通じて、多くの後進アーティスト(例えば、小室哲哉電気グルーヴPerfume)に直接的・間接的な影響を与えました。

 

b.テクノロジー重視の音楽制作文化

日本音楽制作において、MIDIシーケンサーデジタルオーディオ技術使用を普及させた功績は非常に大きいと言えます

 

まとめ

YMOは、日本音楽史において「テクノポップ」という新しいジャンル確立し、世界的な電子音楽の潮流をリードしました。その革新性は、音楽的、技術的、文化的な側面で非常に広範囲わたり現在でも多くのアーティストプロデューサーに影響を与え続けていますYMO存在は、日本音楽グローバルな発展とその多様性象徴するものと言えるでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 11:08

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